はてなキーワード: きぬとは
バック・トゥ・ザ・フューチャーの冒頭で「日本製」という概念が老人と若者の間で全く真逆の意味で使われるシーンがある。
昔の感覚を引きずっている人間からすれば「日本製=パチモンゴミ製品」という認識だったが、若者からすれば「日本製=デジタル先進国製の信頼できる製品」であるという認識のズレを利用して、ジェネレーションギャップを抱える二人が友人として宜しくやっていることを描いた場面である(今風に言うなら「てぇてぇ……」である)
はてさて、今回したい話は年の差友情の尊さではなくて、「中国製」に対する認識によってジェネレーションギャップが浮き彫りになる現状である。
かつての日本製が世界の笑いものから最先端トレンドになったのと全く同じ道を中国はたどっている。
「日本はイギリスを真似、中国は日本を真似る」という言葉があるが、まさにその世代交代が起きている。
いまや中国製を笑うことは嘗ての時代に「お前、もしかしてウォークマンも知らないのか?」と笑われてしまうような時代錯誤な言動であるのだ。
そして、日本にはその時代錯誤に気づかない老人たちが大勢いる。
悍ましいことに、現状を正しく認識できぬまま時間間隔がバグって自分が働き盛りであった頃の世界が今でも続いていると思い込んだ死にぞこないがこの国を牛耳っているのだ。
終わりだ。
英国が己の石頭と移民政策の不手際で滅びる道を日本も同じように歩むのだ。
だが、東アジアにはEUのように助けてくれる仲間たちはいない。
終わりだ。
若者や子ども達は成長します。大人になって、もっと購買能力が高くなります。
そして、彼らはスマホを使って日常を過ごし、漫画も読んでいます。(日本の子ども達以上に)
2 業界の目利きの人、スマホ向け漫画で描ける漫画家さんを育ててください。
スマホでいかに見やすく、面白く読ませるか、で勝負できる作家さんを育てて欲しい。
もちろん、大御所の方でも柔軟に表現方法の変更に対応できるような方もいらっしゃるとは思うが、
デジタルネィティブの若い世代の方がスマホ媒体での表現能力の適応が早いかな、と。
(専門学校などで既に教えていることかもしれないけれど)
WEB漫画雑誌とかコミック用のサイトも見たことがあるけれど、
そこにある漫画の「つくり」が、紙媒体でページをめくって読むことを基本としているものが多い気がする。
縦スクロールでの「映え」や、スマホ画面に対して文字量大過ぎ(老眼だから読みにくいんだよってのもある)、
などをあまり気にしていないように見える。
3 スマホ向け漫画の海外翻訳版の課金可能サイトを構築してください。
それから英語以外の各国現地語翻訳版のサイトもできれば欲しい。
日本の人口が減ることが目に見えている中で、海外に市場を求めて欲しい。
多分、「モノのやりとり」が発生していた20世紀より、WEBの海外市場には手が届きやすいと思う。
その分、著作権の取り扱いが複雑になっているかもしれないけれど。
アマゾンの「ロングテール」戦略と同じように、ニッチなジャンルの作品も市場を広げれば収益化しやすいはず。
海外版向けサイト構築で、海賊版サイト、インスタグラムでの違法投稿等々、著作権の問題が頻発するだろうけれど、
それでも、日本の漫画の存在すら世界の若い世代に認識されなくなることは、全盛期を見た人間としては辛すぎる。
4 ファンアイテムとしてオールカラーで美しい紙の本を作ってください。
単価が高くなっても買ってもらえるような本を作って欲しい。
紙に印刷するときに、コマ割りを再構築するデザイナーのような専門職に入ってもらったりして
完成度を上げて、コアファンに向けて売って欲しい。
以上、WEB上の世界でも、これからも日本の漫画が読まれて欲しいし、
漫画を描いて生計を立てたい多くの若者が夢を叶える機会が増えるといいなと、なぜか元旦に突然思い立って書きました。
オマエが自分でやれよ、と言われても、出版業界からもWEB業界からも遠い世界で生きているしがない中年にはムリゲー。
ド素人が何か言ってる、と思われることも織り込み済み。
今更そんなこと言われなくても、もうやってるよ、ということを教えてもらえたら、自分はすごく安心できます。
日本文化の中にいる誰かが世界中の若者に語られるスマホ向け漫画を描いてくれる日を待っているのは本当です。
(2021/1/1現在)
追記2
しかし、残念なことにFGOでは、もう、そのシナリオマンネリが見えてしまったのだということ。
FGOは1章までで完結させて、そこからは全く別の話を続けるべきだったように思う。
2章に入ってから、シナリオとキャラクターはワンパターンでマンネリ化し、偽りの苦悩に支配されてしまった。
「世界を滅ぼすための苦悩」
をエンドレスに繰り返されて、鬱陶しいのだ。
4回も同じ苦悩を見せつけられて、涙を流すとともに「もう割り切ってくれよ」とイライラと嫌気もあったのである。
ソシャゲというのは、数年に渡ってそのキャラクターと付き合わなくてはいけない。
世界の謎や悪役の暗躍よりも、シナリオとキャラクターの爽快感が欲しいのだ。
しかし、FGOは、ここ最近とかく、バカなギャグシナリオにも暗くてどんよりとした情念をひたすら混ぜたがる。
ぐだぐだのようなイベントにすら混ぜてくるので、正直なところいい加減にして欲しい。
どんな料理にもタバスコやマヨネーズが入っているようなもので、全て結局その味に塗りつぶされることになる。
同じ味の料理ばかり出されては、どんなに旨い料理でも飽きてしまう。
「苦悩するマシュ」
「戦う現地サーヴァント」
「圧倒的などうしようもない力を持った敵」
だが、「もう勝てないほどの強大な敵」も、もう飽きたのだ。
毎回毎回同じ味の組み立てばかりをやられると、流石につらい。
そうではなかったろう。
それが売れてヒットするというのは、構わない。
同じキャラクターに同じシナリオと苦悩を何度も味合わせるようでは、なにを食っても同じ味、ということになる。
新しい体験や鮮烈な感動を奈須きのこに求めていた自分は困ってしまうのだ。
イエス「腹が減ったなぁ。おっ、あそこにイチジクの木があるぞ」
しかし、イチジクが実る季節ではなかったので当然そこにイチジクは無い。
イエス「なんや、イチジク無いやんけムカつくなぁ。お前の木からイチジクが実らんように呪ってやるわ」
そして後日、
弟子A「いったいイエス様はどうしたというのだ。季節外れのイチジクの木に八つ当たりをするなんて」
ペテロ「皆の者落ち着くがよい。これには訳があるはずじゃ」
弟子A「ペテロよ、いったいどんな訳があるというのだ。むやみに木を呪って枯らすなど、いくらイエス様の弟子とはいえ容認できぬぞ」
弟子B「そうだ。手をかざすだけで人々の病を治し水上歩行するほどの奇跡を起こしたイエス様なら、イチジクの木を実らせることなどたやすいはずだ。たとえ奇跡の力を使うつもりはなくとも、呪いをかけて木を枯らすこともないのに」
ペテロ「そうか、わかったぞ。イチジクの木とはイスラエルのことじゃ。つまりは堕落したユダヤ教が滅びることを暗示していたのだ。そして、将来はイエス様の愛によって世界が救われる福音の時代が来ることに間違いなしじゃ」
弟子A「なんてことだ、イチジクの木を呪ったことにそんな意味があったとは」
弟子B「イエス様の深い御心にそこまで気が付くとは、さすがはイエス様の一番弟子のペテロだ」
――
おしりを拭くとなにか異物が存在していてなかなかつかめない。頑張ってつかみかかりえいやっと引き抜くとそれは長い長いもやしだった。
今朝からなんかずっとお腹が変な感じだったの、これかあ…とおしりをウォシュレットで何度か洗い、パンツを履いて出たもののまだ変な感じがする。
ヤバいのでトイレに戻りペーパーのうえからおしりを触る。わからない……おしりのあなからもやしをひきぬいたことでおしりのあなが変になっちゃったんだろうか?!
もやしなんかないのにある気がしてるだけだろうか?!
そうはおもったが括約筋をしめるとやっぱりなんかあるので仕方なく直接肛門を触った。
こんなふうにおしりのあなを触るの、いぼぢが出たとき以来だな……と思いながら探していると小さな何かをおしりのあなに発見!!
もはや汚いとかいってる場合でもないのでおしりのあなの何かを素手で引き抜いた!!
そこにはやっぱり長い長いもやしがあった。思わずしゃがんで眺めた。きれいなもやしだった。うんちもついていない。
おしりをふいたり紙で触ったりしまくったためおしりのあながいたいのが難点だが私はおしりのあなのもやしに勝利した。
今日は良い夢が見れるに違いない。
ふーむ、なるほど。拙者が想像するところによりますると、女性というのはおそらく自分の行動の責任を自分で負うことに慣れておらぬ。それゆえ、自分が撤退の判断を下した時に、それを自分の内なるものとの不一致にあると判断することができず、外部の要因に責任を負わせることで納得しようとするものではござらぬか。あるいは、そのように未練をのたまう場合は自分が好いたモノや過去抱いたポジティブな内心を完全には否定できぬまま、現実的な状況判断として去るという判断を選ばざるを得なくなった事態に対する認知的不協和の解消のために、対象を貶めることで離脱を図るのござろう。他を貶めることの品の無さを意に介す余裕がないほどに、おそらく不協和の解消は切迫した問題として当人の中で大きく膨らんでしまっているのでござらぬか。しらんでござるが。
うむ。ヒロポンを街頭で無償配布せよ。保険の給付は100%ではないことは10万円の配布で証明された。10万円をあげるでも貧困層で1名2名のうけとれない人材が出る。ゆえに薬も必要であろう。優勝にはできぬ。
できない、たとえ、AKBが23時より前の番組に出演できるとしても、ヨシヒコ様はできぬ。魔王と勇者が妥協するとしても、ヨシヒコ様に妥協はない。この瞬間のみ、パイタッチ。
お前は浅学非才無能怠惰であるが、親の教育の賜物で国立大学に入れた。
しかしデータサイエンティストになりたいなどと夢を見たせいでお前のスキルはボロボロである。まず、お前の学部で学ぶ、経済学であるが、経済学はマクロ経済学もミクロ経済学もテスト問題を解けるようにしただけで本質は掴めず、データサイエンスに少しでも近づこうと取った計量経済学の講義はコーディングのテストは余裕でクリアしたが、面接で理論を答えられず落単した。
プログラミングは学部のまわりのやつらよりは多少できたが、それでも1番ではなく、当然外の世界を見れば、底辺もいいところである。
肝心の機械学習についてであるが、情報学部のパターン認識の講義をとったものの、ただコードが動くように書き、手書きの数字を識別できるようになっただけで、SVMの理論的背景もNNがなんたるかということも理解できぬまま、C評価の単位がきたのみである。
かといって努力せず、まわりの人と交流することもなければ、無理やり実績を作ってインターンに行くようなこともしなかった。
よくて数行のコードとGoogle Analyticsを使う程度の仕事しかできないお前はそうして雪かきをして一生を終えるだろう