2015年05月23日の日記

2015-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20150523210217

「私にはスタートだったの。あなたにはゴールでも」

涙浮かべた君の瞳に

何も言えなくて まだ愛してたから

もう二度と会わない方が いいと言われた日

やっと解った事があるんだ 気づくのが遅いけど

世界中の悩み ひとりで背負ってたあの頃

俺の背中と話す君は 俺よりつらかったのさ

時がいつか 二人をまた

初めて会った あの日のように導くのなら

水のように 空気のように 意味を忘れずに

あたりまえの 愛などないと 心に刻もう

短い夏の終りを告げる 波の音しか聞こえない

もうこれ以上 苦しめないよ

背中にそっと「さよなら…」

キモくて金がないおっさんは、何を糧に生きてるかって、基本的には「週末になけなしの日銭握りしめつあ競馬競艇→勝てば風俗で豪遊、負ければコンビニカップ酒」、早い話がセックスドラッグギャンブルなので、おっさんたちの濁ったソウルジェムを救うために必要なのは文学でも音楽でも芸術でも社会福祉でも絆(笑)でもなくて、マリファナカジノ管理売買春合法化なんだろうなあと思います

http://anond.hatelabo.jp/20150523213615

ほんの百年前の有名な作家の本ですら、漢字も送り仮名も、現代から見れば使い方めちゃくちゃだったりするけどね

http://anond.hatelabo.jp/20150523132103

こういうのを見ていつも思います

周りの目を過度に気にしすぎる人が多すぎると・・・

そりゃスタバ初めての人だってますし、subwayが初めての

だってます十人十色ですよ。

注文方法なんか種類を言ったら向こうから、大きさや冷温とか

聞いてきますよ。適宜答えてれば何の問題も無いと思います

会計なんて払えさせすればOKなんですからスタバカード

払おうがクレジットキャッシュ何でもいいんですよ。

まり周りを気にしすぎない方がいいと思います

仮に自動運転タクシーが当たり前の世の中になったとする。

ネット経由でどこからでも呼びつけ可能でだいたい15分以内で来るぐらい、ほぼどこでも走っている。

都内なら5分もせずに来てくれるだろう。

運転手を雇わなくて良い分、割安で利用できるだろう。

そうなったら、もはや地方でも個人で車を運転する意味も所有する意味もなくなるだろう。

車の維持費に比べれば、明らかに安いだろう、事故による過失の心配もいらなくなる。

自動運転での事故なんて人間が起こす事故に比べれば、ほとんど起きないだろうし、実用化されるとしたら、何重にも安全対策を施すだろう。

技術的には、既に確立しつつあるし、数年もすれば、そこそこ実用レベル自動運転カーができると思う。

たぶん追いつかないのは、法律とか、万が一のとき誰が責任を負うのかとか…

しずらいって言うヤツは何を考えているのか

どんな気持ちで言ってるか気になる。

ちゃんとしづらいって使えてる人は、言葉意味をわかって、するのがつらい=しづらいっていう認識があると思うんだけど、

しずらいっていう言い方をする人は新しい日本語だとでも思って使ってるんだろうか。

しずらいという言葉をしにくいという言葉同義語の別の特別言葉として認識してるのか?

http://anond.hatelabo.jp/20150523151304

初めて有名人を見た

ウド鈴木さん。

ふつーの小さなまちの床屋さんから出てくるところに遭遇した。

白いモヒカン笑顔で気づいた。

床屋さんに会釈しながらお礼言っててすごく好印象だった。

でもまさかウド鈴木さんだとは思わないから二度見してしまった。

キャップをサッとかぶって歩いて行ってしまった。

応援してますとか声かければよかったかなあと思ったけど、有名人ってだけで声かけるのも失礼かと思ってスルーした。

上京して8年目にして初めて有名人を見てちょっとうれしかった。

日本人の総奴隷化は進む

国立大学から文系学部が消える!安倍首相文科省文化破壊的“大学改革”(リテラ

http://lite-ra.com/2014/10/post-508.html

「金がないから稼ぐ学問だけ残す」…実に分かりやす阿呆理屈だ。額に汗して稼ぐなど、下僕に任せておけ。「なぜ稼がなくてはならんのか」「稼いだ金で何をするか」を考えるのが、主人の仕事だ。それを考える頭を失くし、金だけ儲けてどうするのか。その金を、海の向こうの主人に貢ぐのがせいぜいのところだろう。今回の方針は、実に亡国と売国の二重の愚行と言うべきだ。国家百年の大計を過った文科官僚は、未来日本人呪詛の的となろう。そのとき我々に呪詛するだけの頭と余裕があれば、だが。

理系文系の、あるいは自然科学人文科学の違いを、粗く粗く再定義すれば、それは「死物」を扱うか「生物」を扱うかの違いである

自然科学は、生き物であっても、多様性があり生きている対象そのままを研究するのでなく、生き物一般、物質一般に還元して、いわば死物とすることで初めて研究対象とする。一方人文科学は、一人一人の人間社会をそのままに把握しようとする。雑多なものごとを雑多なままに受け止め、受け入れようとする。

この二つの考え方の違い。すなわち、分析総合人間の脳には、おそらくその両方の世界把握・認識システムが組み込まれている。その二つを使い分けながら、世界認識しているのだ。

そして、死物を分析する自然科学が、必然的事象に対して従属的になるのに対し、生物を受容する人文科学は、必然的事象を支配し整理し再定義するのがその重要仕事となる。これを、叱られることを前提で言い換えれば、前者を奴隷の学後者主人の学となる。これは、一個の人間の中でもそうであるし(目の前のエサを捕える時は科学者に、未来について考えるとき哲学者に)、一個の国家においても、この二つが手を取り合っていくのが、あるべき/理想の形だろう。

人文科学を軽視すると、どうなるのか。国立大学から、人文系学科が消え、教授たちが消えていくというのは、どういうことを意味するのか。

我々は、今後世界議論し、交渉し、将来を見通してビジョンを語るための有力なツール思考手段とその訓練の場を、言い換えれば広義の哲学の場を、国家予算を傾注した最高峰教育研究機関から失うのだ。国の在り方を変えるような巨大な改革を成し遂げるためのツール、この国に生まれ育つ中で誰もが思考根底に置く言語文化のものを掘り下げ高めるための研究機関人間集団社会という複雑な存在を、ただ分析するだけでなく操縦し運営する方法論を探る場、それら全てを失うことになる。そして、それらについて先人が積み上げてきた知識の集積を活用できる人材活用する手段や場の全てを失うのだ。なんという巨大な蕩尽! そのおそるべき愚行の涯に、一体どのような日本が現出するのか。これはもはや、日本語日本文化日本という国自体の、敗北宣言に等しい。

「文(系)学部存在意義が分からない」?

一つ質問だが、文部科学省官僚たちよ。こんなことが分からないあなたたちではないと思うのだが、分からないのは本当に君たち自身なのか。それとも、「分からない」と言ってくる偉い方々に与える、適切な説明をただ見付けられずにいるだけなのか。もし後者なら、頼むからもう少し努力してくれ。君らの肩に日本がかかっている。もし前者なら……そういうことはあまり考えたくないのだが、それならもうこの国は終わりなのだろう。滅ぶしかないし滅べばよい。私はひっそりと、ただ自分の中で、私の知る日本を私が死ぬその日まで、大切に守ることにしよう。

「人にしてほしいことばっかりなんだ。人にやってあげたいことなんか、何一つ思い浮かばないくせに。」

という綿矢りさ蹴りたい背中」の中の一文をよく思い出すんだ。

本当にその通りなんだ。

してほしいことばっかりなんだ。

どうしようもなく悲しくなったよ。

どうしたら人に何かしてあげたいって思えるんだよ。

※冒頭のお詫びとお断り検索対策のために、略字を多用することになりました。読みづらくて申し訳ありません。

お勧めいただいた『R』、読了しました。小説を読むこと自体が、わたしには滅多にないことなので、読み出し当初は困惑しつつも、広大な小説世界に潜り浸るという新鮮な体験を楽しむことができました。作者NA文体も、読み慣れてチューニングが合うようになると、とても心地よく感じました。そんな読書の幸いを少しだけ、感謝を込めて共有させていただけたらと、拙い感想をお届けいたします。ご笑覧いただければ嬉しいです。(わたしには本当に文才がないので、つぶやき投稿のように、思いついた順番で書き散らかしまうことを、どうかご容赦ください。いわゆる「感想文」を期待されませんように…。)

『R』のなかに見出した、タイトルとなった人物RRと、修史を完成させたSS、そしておそらく、作者であるNAの、幾重にも折り重なった宿命との葛藤が、深く胸に響きました。読書中は熱い臨場感をもって読み進めていたのが、いま、こうして彼らについて語ろうとすると、静かに冷たく研ぎ澄まされた気持ちになるのは、なぜだかわかりません。書きながら、自分感情文字にして確認してみたいと思います

RRが、内に抱えた矛盾を少しずつ自覚し、揺れていく様は、わたし自身も覚えがあり、とても身につまされました。B帝に誤解され、国に残した愛する老母も妻も子供も弟も、みな殺されてしまう。RRは、大いに怒り、忠誠を誓ったはずの国とのつながりを見失う。思い返せば、これまでR家の忠誠に国は報いてくれたことがあったかと疑い、むしろ辱しめを受けただけだと失望する。そして、首を取って戻るという目的喪失したものの、よく似た身の上で、誰にも認められなくとも、国への愛情と忠誠を抱き続けたSBに、尊敬の念と敗北感を抱く…。

でも、と、その余白をわたし想像します。

家族を殺された怒りの大きさのあまり、B帝に誤解させたであろう同姓のR将軍の「存在」を怒りの矛先として、即座に彼を殺害したRR。けれど、B帝の誤解の原因が本当にそうであるか、定かでないはず。B帝と同様に、RR自らの誤解の可能性が、R将軍の命を奪い、彼を愛した皇太后を悲しまたかもしれないことに思いは至らなかった。ただ怒りに身を震わせて、衝動的に行動してしまった。おそらくは、B帝がRR裏切りだと誤解して、衝動的に一族皆殺しを命じたように。

しかに、身分の違いによる命の重さの違いを当然とする価値観が、受け入れられていた時代だったかもしれません。それゆえ、別の場面では、砂漠の中、戦局が厳しく、少しでも確実に部隊を生き延びさせるために、RR自ら、部隊男装して混じっていた妻たちを殺害する命令を、冷静に下したこともあった。同様に、愛する妻を殺された部下は、敵に寝返って、RR部隊の勝機を完全に奪った…。

RRは、自分がされて苦しんだことを、他人に対して無自覚にしてきたということ。それゆえ、RRが直面した苦しみの本質は、因果応報自業自得というメカニズム、…などでは「決して」ないと、わたしは思います。そもそも、RRの行動は、彼なりに状況に応じて最善と思われる選択をした結果でした。作者も、そんなRR「悪」として描いてはいません(むしろ宿命との格闘を活き活きと描写する姿勢には、愛情を感じます)。状況に追い立てられ、もがきながら生き延びてきた選択の愚かさを、もしも誰かが(分析好きのわたし自身が)指摘するなら、それは一生懸命さに対する揚げ足取りにすぎず、そもそも人間はそういう愚かな存在だし、渦中にあったら、わたしもそうしたはずだと(ましてや、さらに低きに流れていた可能性のほうが大きいと)、反論せずにはいられません。

SBと邂逅後のRRは、自らの抱える矛盾二面性に気がついて、苦しみを深めます。B帝の死後、かつて望んだように、国から彼が認められ招聘が掛かるのですが、それを断る弱々しい(元気のない)声のRRが印象的です。RRは、ここでもまた無自覚で、言葉を結んでいないものの、自らを通じて、人間存在の内にある矛盾二面性に、また国(人間社会)の内にある矛盾二面性に直面して、途方に暮れているのではないかと、わたしには感じられました。さらにいえば、SBのように国への想いを貫ける強さも持ち合わせず、そのSBを羨望する弱い自分を恥ずかしく思うRRは、それゆえ人間矛盾二面性を丸ごと生きているのでしょう。RR覚悟悲壮であるとすれば、そのような自分気づきつつも、両極に引き裂かれてどちらへも動けない苦しさゆえと感じました。正しい道はあまりに険しくて進めず、かといって居直ってダークサイドに落ちることもできないと自覚した以上、どっちつかずのまま生きながらえます(B帝の死後、7年目に没)。おそらくはRRも、自殺による幕引きを自らに封じた一人でした(文中では、現地での恩義や家族などのつながりをRRはあげていますが、対して、RR祖父は、親のいない孫を残して、義憤から自死を選んでいます)。

ところで、RRは、自らとSBとを「隔てる根本的なもの」に直面し、自らへの「暗い懐疑」を自覚するに至るのですが、SSとの関係もまた非常に興味深いです。

SSは、RR名誉を守ろうとしてB帝らに反駁し、結果、死よりも恥ずかしむべき宮刑を受けます。ところが、このことを伝え聞いたRRは、自らの沈む絶望が深く、SSに対して何の特別感情も抱きません(し、そのようなクールRRの反応を、SSは伝聞することもありません:そこに作者NAの優しさを感じます)。対してRRは、B帝のため国のために信義を尽くそうとするも、相手から誤解され、罰せられて一族が殺されたことを知り、大いに絶望して反転します。しかし、自らが、為を思って働いた相手に無碍にされることが、どれほど当人を傷つけうるかに、思い至りません(し、それも尤もだと説明を書き添える作者NAには、RRへの深い愛情を感じます)。

そんなSSですが、42歳にしてようやく父の遺言を継ぎ、修史の編纂に取り組むことが叶います現代の人々に知らせるために記録するにとどまらず、人間の叡智として後世へ伝え残すための歴史、なにより自分自身が書き残したい歴史には、「人間についての探求」が不可欠だと考え、「述べる」と「作る」との違いを熟考する。しかし、真摯に取り組めば取り組むほど、歴史上の人物自分自身とが渾然一体となるような文章、まるで描き出す歴史上の人物の中に自分が生きているような表現、憑依し憑依される活き活きとした文体が流れ出る。そうした箇所を削除すれば、たちまち修史はいくつもの死人に関する記録に成り下がる。削った字句を戻して、ようやく歴史上の人物たちが「安心してそれぞれの場所に」落ち着くように思われる。

このSS創作風景に、作者NA自身創作風景を重ねて見るのは、自然でしょう。わたしは、NAについてほとんど何も知らないけれど、この『R』やその他の彼の短編小説なども、歴史書を下敷きにして創作されたと(文庫巻末の解説に)目にしました。憑依し憑依される関係性のなかで、自らの書く小説の中に(のみ)活き活きとした自由を感じられたのは、SSだけでなく、NAもそうであったと想像します。

先を急ぐ前に、もうひとつSSについて。時代的・文化的な特徴と思われますが、宮刑を受けて「男」でなくなった自分の身体は、「完全な悪」に落ちたと苦しみます。心の傷は癒えても、醜悪な身体は、死ぬまで自分を苦しめる。それは、自分という存在のものが、悪である証しであり、生きる限り続く恥辱だ、と。これが、「盲目的な獣」としての苦しみの段階です。(が、作者NAの有名な短編『S』では、狼へと変身して初めて思い至った気づきを、数日で通り過ぎてしまうあたり、作者NAが、SSに託した気持ちの大きさを思います。)

その後、SSは、我が身に降りかかった苦悩・人生への懐疑とは別の、意義を疑えない「畢生の事業である修史に「無意識の関心」が向いており、それゆえ自ら死を選ぶことができないでいるとハッキリと自覚します。ここから、「より意識的な・人間」としての苦しみが始まります。この、獣から人間への飛躍が、とても深いことに感嘆しました!

「獣」と書いていますが、つまり世俗社会的価値観のなかで「盲目的に」生きている段階のことです。ここでは、「身体=身」と「心」という対比が支配しています(「身/心」という二元論で捉えられています)。舞台となった漢の時代的・文化的な特徴として、名誉や忠誠といった「心」を守り通すためには、人々は死を恐れず、むしろ喜んで「身体」を自ら差しします。SSも、死刑を恐れてはいませんでした。しかし、醜悪な「身体」となったSSは、その恥辱から「心」解放すべく死を願うも、それを押しとどめるもの存在を予感します。自宅に戻ると、それは父に託された修史編纂の完成であることを理解します。自らに刻み込まれた「宿命的な因縁」として、「肉体的な」仕事とのつながりを放棄できないことに改めて気づかされます。ここから、「より意識的な・人間の苦しみ」へと飛躍するわけです。

ところで、世俗社会的価値観(=知覚や意識)は、SS「心」=「我」と、「身体=身」とを形成してきたものです。しかし、託された使命への自覚は、既存価値観にとって、おめおめと生き恥さらすような人生を続けることを求めますSSの抱く既存価値観(=知覚や意識)にとっては、耐え難く、非情要請です。そのため、「知覚も意識も」持たない、修史編纂のための「機械」に過ぎないと、(既存価値観=知覚や意識で)自分定義しなければ、自らに言い聞かせなければ、生き続けられなかったのだろうと思いますSSSSであるという意識の土台となる「心」=「我」も、そのために捧げる「身体=身」も、当時の社会的解釈の上に成立してきました。この解釈いつまでも安住できたら、まだSSの苦悩は浅かったかもしれません。「宿命的な因縁」、すなわち、いにしえから脈々と受け継がれて自分生命(魂)を与えた血統のように、時代を超越した「肉体的な」つながり=使命(魂)への自覚は、SSに当然視してきた当時の社会的解釈に安住し続けることからの飛躍を求めたわけですから。「心/身」という二元論を越えて、使命を抱く「魂=肉体」として自らの存在のものを捉え直すことは、当時の社会的解釈から、漢の時代的・文化的制約から、身を引き剥がすことでもあります。それは、昭和時代から当時を見つめる、超越的な作者NA視点でもあります

ここで描かれたSSの姿は、作者NA解釈したSSの苦悩であり、おそらくは、昭和現実を生きて苦悩したNA自身の苦悩の姿であるのかと思います。作者NAもまた、病床のなか不遇のなかで「心」も「身体」も傷つきつつ、作家として生きる使命によって、自らの小説の中に「魂=肉体」を解き放したのかなと思いました。(ちなみに、「魂」という単語は、作者NAは使っていません。でも、明らかに、「身体」=「身」と、「肉体」というのを使い分けています。その差を強調するために、わたし勝手に補ってみました。)

そういうわけで、困難な戦場を生き延び、また自らに暗く懐疑するRRも、自らの信じる正義を貫き、恥辱に苦悩しながら使命に生きるSSも、その抱えた宿命の重さにも関わらず、活き活きと自由に躍動する姿には、作者NAが重ねられているのだと思いますNAにとって、小説を書くことというのは、憑依し憑依されてその世界を生きることなのだろうと感じました。事実、『R』のなかで、RRSSの二人について「だけ」、歴史上の人物としての事実描写だけでなく、その場にあって思い感じたこと、彼らの知覚と意識まで作者は思い描き、詳細に語っています。(わたしは、新潮文庫を購入したのですが、その文末の解説に、『R』はRRSSSBの三人の物語だと紹介されていて、そりゃちょっと違くないか?と違和感を覚えました。それもあって、今回の読書では、基本的に予備知識なく、勝手に読んでいます。)

からこそ、冒頭に書いたような「静かに冷たく研ぎ澄まされた気持ち」を抱いてしまうのかなと思いますRRSSが抱えた宿命の重さも悲壮覚悟も、作り物としてのフィクションではなく、また単に歴史を題材にした半分史実・半分フィクションといったものでもなく、作者NAが抱えたであろう実体験を(ノンフィクション、と片仮名で書くには軽すぎる経験を)、わたしはそこに感じたからだと思います

作品は、読者の能力に応じて・読者がそこから読み取れるものしか、読むことができないのだろうと思います。(それゆえ、例えば同じ聖書であっても、子供が、若者が、大人が、死を前にした老人が、それぞれが自分必要ものを、そこから読み取ることができるのだと思います。) だからわたしが読むことができた『R』は、私の興味・関心に限定された、豊穣な作品全体のごくごく小さな断片に過ぎないと自覚しています。きっと、H.H.さんからしてみれば、幼い読み方だと笑ってしまわれるような感想だったかもしれません。それでも、この作品出会えて、とても嬉しいです。作品を作ることに込める覚悟のようなものを、改めて考えるキッカケをもらえました。ありがとうございます

最後に、『R』を読みながら、H.H.さんがそこに読み取ったであろう痕跡をいくつか感じました(例えば、存在することが悪であること、それでも書写機械として生きる覚悟をしたSSの中に)。そんな大切な小説を、紹介してくださって、本当にありがとうございます。とても光栄です。でも、もしかしたら上述した私の感想は、そんなH.H.さんの想いを、まるで現国試験問題に答えるかのように切り刻み、分析し、曲解した失礼なものと映ったかもしれません。もし、不快気持ちにさせてしまいましたら、本当に申し訳ありません。(あなた真摯さに敬服するファンとしては、自分の正直で素直な感想真摯に伝えるべきで、あなたのご機嫌を取るために媚びを売るような接し方こそ失礼なのでは、と勝手に考えてしまいました。決して、あなた否定するものではありませんこと、ご理解ください。)

自分について思索する道を、Kさん=H.H.さんに教え導いてもらえたように感じていますあなたの魂=肉体の存在に、感謝します。(勝手ファンの願いであり、余計なお世話かと思いますが、だからこそ、どうかご無理をされず、くれぐれも心と身体を大切にしてください。) あなたの幸いを心からお祈りしています

h_s

http://anond.hatelabo.jp/20150522092738

問われない。

しかに運転手は事故を起こした時「自分に過失がないことを証明する義務」が課せられていて、証明できなければ責任を負うことになる。普通事件は「過失があると証明されれば責任を負う」ものなので、それに比べると運転手の責任はかなり厳しい。

ただ例に挙げられたケースだと、飛び込んでくるのを予見するのは絶対不可能で、自分に過失がないことは明白なので、責任を負うことにはならない。

これが例えば「前を走っている車は気づいて回避したけど、自分回避できなかった」とかになると、「事故予測回避することは可能だったのではないか」という疑いが出てきて、改めて「いや自分には何の過失もないんだ」と証明する義務が生じてくる。

地獄よりマシな 地獄みたいな世界

地獄より1つマシ。

もう定着してしまったのでどうこうしたいというのもないのだが

ニコ生等で視聴者のことをリスナーって呼ぶのがすごい違和感

ラジオからの流れなんだろうけど、聴くだけじゃなくてちゃんと画面も見てるだろうにどういうことなのよと。

http://anond.hatelabo.jp/20150523205434

のび太みたいなやつだな

そういえば、BLコーナーで、のび太って名前作家がいて衝撃だった

ところでこれ何だったの?

普通問題しか見えないんだけど

なぜ2chに貼られてここに転載されたの

http://anond.hatelabo.jp/20150523155301

何も言えなくて辛い

夏とか、夏に限らずだけど

キレイな指をした素敵なレディーが俺を待ってくれてたとき

「どんな悩みでも打ち明けて」

って言われる。

「私にはスタートだったの。あなたにはゴールでも」

って涙浮かべるんじゃないかなー?とか。

まだ愛してたから何も言えなくて。

時がいつか二人をまた初めて会ったあの日のように導くんだったら

二人して生きていくことの意味をあきらめず語り合うことを誓うつもりだけど。

http://anond.hatelabo.jp/20150522085914

http://anond.hatelabo.jp/20150523204904

しらんがなそんなもん。

単に知ってる人いるなーっつってフォローする奴かもしれないしお前が言うように勘繰りがあるのかもしれないだろ。そいつ次第。一般解などない。

俺はそんな監視とかしてくる奴がいる会社には務める気無いし、転職くらい別にするだろって会社従業員もみんな当たり前に思ってるし、監視だのブラックリストだの載せたければ好きにすれば?と思ってやっている。

そういうのが気になる人間linkedinとか使うのやめた方がいいと思う。せめてプライベート設定してコネテッドな人以外から名前見えないようにしとけ。

キモくて金のないおっさんだけど

放っておいてほしい

生活できてるから文句ないもん

まあもっと金くれるっていうなら貰うけど

女を用意すると言われたら困る

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