はてなキーワード: 映像の世紀とは
コロナ禍、リーマンショックどころか世界恐慌も超えそうっていうし、まあ明らかに歴史的じゃん
ってことはそのうち映像の世紀(の類似番組・コンテンツ)で取り上げられると思うんだよな
俺も「-ある男性の手記」とか、「-匿名掲示板の投稿」って形で出演してえ
願わくば「いいや、あなたたちは知っていた」くらいパワーがあるオチクラスの文 そこまで行かずとも出られさえすればいい
どこに何書いたらいいかなあ 市井の声っぽさが強いのってやっぱTwitterか?でもTwitterはあとから掘り起こすのが難しそうなんだよな 案外増田こそ良かったりして…
いまは能天気な中に不安もにじませるような文章が良さそう 今後どうなるかなあ 案外どうもならなかったり…はしないよな、さすがに
聡明でかわいらしい、素敵な彼女だった。
酔狂にも俺というオッサンを選ぶくらい、独特の価値観を持つ女性だった。
おまけに脳内存在ではなく、実在しているときた。二次元相手にすら恋愛という感情を覚えることができないままぶくぶくと肥ったオッサンには過ぎた幸福であった。
三十路半ばに降って湧いたように訪れた初恋は一年と少しで消えていった。
仲違いではないし、ケンカをしようといっていたけれど、それも楽しみにしていたけれど、結局できないまま終わっていった。
わかっていたことだが、未来よりも過去が強く、彼女は聡明でやさしく、俺は弱かった。
「いつか、彼女が俺に愛想を尽かすだろう」と、非モテのオタクらしくビクビクした卑怯で惰弱な予防線をはりめぐらせ、それでも卑屈にならぬようにつとめて一年を過ごした。
それは思い返しても幸福で濃密な一年で、一人で過ごしたこの一年はただネトゲとソシャゲの数値を漫然と増やすのと同じ時間であることがにわかには信じられないほどであった。
我々は遠距離であったから、一年の間にともに過ごしたのは実質3週間かそこらといったところではなかろうか。
俺は身に余る幸福を、軽々に疑うことなく、その一瞬をひとつづつ大切に味わい、決して忘れないようにしようと思ったのだ。いつか失われるものだと予感していたから。
別れを告げられる前の、楽しそうだった最後のデートで時折見せた憂いの表情で確信にかわった。
もちろん決裂を回避すべく、さまざまな方策が取られた。しかし、竹ヤリで飛行機は落ちない。俺にできることはこの先のお互いの平穏を用意することしかなかった。
万全の心の準備があった。
傷付かずにいられると思った。
やせ我慢などではなく、こんな甲斐性も主体性もない男に生まれてきたことを感謝させてくれてありがとうな。なんて思っていた。
愛想をつかされたわけではない、しかし、どうしても避けられぬ別れを。一緒になるには俺が俺であること自体が障壁になる理由を、来るべき三行半をLINEでしぼりだすように送られたとき。
ここからの余生が決定された。
このハッピーにもほどがある一年を思い返し、少しずつキャラメルをなめるように溶かしながら生きていくのだ。
それはそれで悪くないと、口を半開きにして漫然と生きてきた自分には身に余る幸福なのだと本気で思った。
恋をしたことがないオッサンは、恋に免疫はなかった。ぶっちゃけ甘く見ていた、ひどくナメていた。今自分にとりついている無情感、寂寥感、つかれ、首の凝り、残尿感、就寝後喉から込み上げてくる胃液で灼ける喉、そういったものは一時的な症状で、一年もたたないうちに治るのだと。
そうしたら、突然推しが自分ちの台所で白米を炊き始めたのを目撃した女子のごとき切ない声をあげてうずくまるようなこともなくなるだろうと軽く考えていた。
これは失われゆくときに効果を発揮し、一生をかけて宿主を食らう猛毒の類であることに。オッサンはようやく最近気づかされてしまった。
余生のはじまりであったこの一年は短いが、人生を支配するには十分な期間だった。
一年には四季があった、ふたりでいろんな話をしながら、様々なところにでかけた。おそらく、ほかのつがいたちがそうするように。我々もさんざんそうした。行こうと約束したきりの場所が、いくつもあった。
ひょんなところで、どうしても、少しのきっかけで思い出してしまう。
つきあっている間から、ちょっとした瞬間にこねくりまわしていた甘い思い出たちが、刃を剥いてオッサンのやわらけえ心をズッタズタに切り裂いていくのだ。
お揃いで買ったボールペンを筆箱から取り出したとき。町中でてんぷらそばの香りが漂ってきたとき。美しい紅葉を見たとき。バスの中が閑散としていたとき。Twitterにネタ画像を貼ろうとしてカメラロールをたぐったとき。カップル用の写真置き場として導入したアプリに「もう別れた」と告げることもできないままだったから「つきあって2年目ですおめでとう」という通知が臆面もなく画面に現れたとき。テレビにサメがでてきたとき。花火の音を聞いたとき。モネの絵を見たとき。映像の世紀のテーマソングが流れたとき。海。いきつけの居酒屋。空が透き通るように青かったとき。ふたりで行こうと話していたその場所への旅行記。机の引き出し。
容赦なくそれらにまつわる我々のイベント一枚絵がフラッシュバックしていく。
思い出がたのしかったほどに、もはやそれらが二度と訪れないことを突きつけていく。無能で怠惰だった自分を上っ面だけなじって、甘い記憶の反芻にくたびれる。
そして文字通りくたびれたオッサンは何度目か忘れた記憶の反芻の果てに、ふと気づいてしまう。
たった一年だ。
たった一年でも、強い記憶でも、そのすべてをわすれないように目に、鼻に、耳に、手がかりをのこして脳の一番とりだしやすい引き出しにこうしてしまいこんだつもりでも。
どうしたって、あせていくのだ。あせていく割に、思い出したときのダメージは軽くなりはしない。ただうすくらがりの割合が増していき重くなっていく。
なんて意味のない自問をして、やめて、また自問して、夜が明ける。
どうすればこの変質を止めることができるのか。
高校生のうちになやんで置くべき事をいまさらやりはじめているから、だれもその無意味な思索を止められない。
俺の印象に沿って変質した思い出を、きっと刻み込んだ瞬間から変質しつづけているその代替品を、いつまで、いつまで舐め続けることができるのか。俺が改竄したのは、いったいどの部分か。彼女の行動か、表情か、懊悩か、それらを突きつけられまいと先手をとって口先で蓋をしていった愚かで卑しい自分の行動か。
傷つけるかもと言おうとして言えなかったうわっつらの言葉か。
いや、それに妥協する自分を、自己愛を自覚していますみたいなメタい達観視点で、別の自分を用意したあげくのいぎたないマウントをキメる惰弱な自分への嫌悪感だ。
こんなものが、二度とこない、見ることのできない美しい追憶の邪魔をする。
しかしこんなものがなければ俺はきっと、こんなこともわかりはしなかった。
冒頭で「フラれたときに、余生を決定した」と言った。
20代のはじめに自分というハードウェアの脆弱性に愕然とした自分は、ここより余生という看板を高々とかがげ、レールにトロッコを設置してゆっくりと坂を下りはじめた。山にぶつかるまでが人生だと割り切ってみると、けっこう空は綺麗だったし、白米は噛むと甘かった。
思い出じゃなくて、君と君と一緒にいる自分自身を。
なんて、ありあわせの後悔を口に出せば、どうしたって、安っぽくなる。
感謝の言葉を書き連ねたいが、それここでやるにはあまりにも浅ましすぎる。
誰の目にもつかず埋もれるか、「貴様の贅沢な懊悩など見る価値ないわ」と吐き捨てるように扱われたいだけなのに。
そうでもされないとやっぱりやってられないくらいにただひたすらに、いまだに、恋しさだけが、こびりついていく。
こんな寒い日に、さびれた地方都市のビジネスホテルで、小さなシュトーレンを分けて食べた。
みんな! 現実には存在しないキモオッサンの気持ちになって書いたキモポエムをここまでよんでくれてありがとうな! 愛してるぜ!
インターネットと共に育ってきた世代としては、ここ5年くらいでインターネットの世界の面白さがどんどん減っていることを非常に残念に思っている。
その理由は明白で、インターネットの世界はマーケティングの手段に成り下がってしまったからだ。
ただのテキストが書いてあるだけのサイトなのに、毎日毎日見に行っていた。
当時はサイトが更新されたことを知るための仕掛けがなかったので、「巡回サイト」なるお気に入りフォルダを作って、そこを毎日毎日見ていた。
多分多くの人も同じように、サイトを巡回する時間というものを能動的に作って、サイトを見にいっていたと思う。
やがてRSSリーダーたるものが一般化したり、まとめサイトが一般化したり、キュレーションメディアというものが一般化していった。
とはいえ、インターネットに対する能動性というものを、これらが徐々に奪っていった。
自分たちで巡回しなくても、そこを見に行けば何かがあるという世界に私たちは染まっていった。
15年前、どれほどの人が自分のサイトでお金儲けを考えていただろうか。
訪問者が増えることは嬉しかったが、お金儲けなど考えていた人はごく少数だったように思える。
まあもちろん、ダイヤルQ2全盛期だったり、エロサイトは相変わらずな感じだったけど、それ以外の一般サイトは、お金儲けよりも自分たちの楽しさを優先していた世界だったように思う。少なくとも、現在でいうブロガーのような形で、生活の手段としてサイトで情報を発信するという人はほぼいなかったように思える。アフィリエイト自体は当時もあったし、アフィサイトもあるにはあったが、多勢はアンチアフィだったし、そんなことよりお面白さを求めていたと、懐古厨は思うのであった。
で、現在はどうかといえば、お金儲けのためにブログを始める人が増えたり、お金儲けのためにフォロワーを増やす活動をする人が増えたりと、15年前と手段と目的が入れ替わってしまっているように思える。ブログを書いているだけだったり、YouTubeに動画をアップしているだけで生活ができるという世界は、悪いものではないと思う。とはいえ、お金儲けのためだけの記事や動画に囲まれる生活は、正直全く面白くない。運営側の面白さや、それを見る人の楽しさだけを考えていた時代の方が、コンテンツの内容は面白かった。
テレビはまさに同じ道を辿ったメディアだと思っていて、ますマーケティングの手段として認知されるまでとされた後では、コンテンツのクオリティが全く異なっている。NHKはその競争から離脱しているから、諸々の異論はあれど、ある意味でクオリティの高い映像を提供し続けている。生命とか映像の世紀とか、あれ系の映像を他のテレビ局が作りきれるとは到底思えない。
どの業種業態であっても、マーケティングの手段に成り下がった瞬間から衰退が始まる。
その理由は上述のような、手段と目的の転換であり、本質的な面白さが薄れていってしまうからだ。
インターネットの世界は、この流れを止めることはできず、これまでにない速さで陳腐化してしまうのだろう。
インフルエンサー、YouTuber、ブロガー、これらが悪いわけではなく、自然の流れだとはいえども、もうちょっと面白い世界のままでいてほしかった。
能動的にサイトを巡回する能力を失った私たちに待っているのは、お金儲けのためだけに書かれた記事を、お金儲けのためだけにキュレーションして、お金儲けのためだけにPush通知を打ちまくるよくわからないサイトやアプリなのだろう。まったくもって、つまらん世界になってしまった。
結論からいうと私が勝手に映像から誤った解釈をしたんだと思います。
塹壕戦の初期では兵士はヘルメットをかぶっておらず、塹壕からでてる頭がパンパン撃たれて死人が出まくってました。
解説があったかどうか覚えてないのですが、私はここで頭を撃たれても死なないようにヘルメットが支給されたのだと解釈しました。
時代は流れ、ある時、18世紀の戦争についての文章を読みました。
「兵士がヘルメットや鎧をつけてないのは銃の攻撃力が鎧の防御力を上回っているためです」
なんだってー!
じゃあライフリングによって、さらに攻撃力が高まった銃ならヘルメットなんてもっと意味ないじゃん!あの映像は何だったのか。
映画でもヘルメットに防弾効果があると思わせるシーンがありました。プライベートライアン冒頭のノルマンディー上陸作戦のところです。銃弾が飛び交ってる中、ある兵士がヘルメットを脱いだ瞬間に頭を撃たれるんですが、あれを見た人はヘルメット脱がなければ生き延びてたのに、と思わせる効果がありました。
ヘルメットが防弾に効果があると思わせるのは今後一切やめてほしいです。
追記
↓
ってよくネットで盛り上がったりするじゃん。「これって国民の総意でしょ」ぐらいの勢いでさ。
その一方で、大河や朝ドラだったり、映像の世紀みたいなドキュメンタリーだったり、果てには天気予報のキャラクターまでバズることも結構あるのが不思議なんだよね~。皆、NHK見てるんだなって。
同一人物が書き込んでる訳ではないから当然そうなるっていうのは分かってるんだけど。
でも、NHK不要説で盛り上がってる時にNHKの番組ファンってどこにいったんだろう~っていつも思うんだよね。
あと、よくNHKの番組のファンの人でも「スクランブルにしよう」って言う人もいるけど、同じクオリティが保てると思ってるのも不思議。
「映像の世紀プレミアム」は、1995年度に放送された「映像の世紀」と2015年度に放送された「新・映像の世紀」を合体させ、さらにこれまでの放送にはなかった新たな映像を追加。
各回90分という長い時間をかけてたっぷりとお見せする豪華版です。
新旧2つのシリーズでは映像が誕生してから100年余りの歴史を編年体で描きましたが、今回の番組では芸術・女性・兵器などのテーマ毎に年間4本を放送します。
なんとかこの日までは生きてみようと思ったんだ。
前回までのあらすじ
三十路に入って空からぼた餅とひょうたんと彼女が降ってわいてマグワイをキメたけど
後ろで流してたNHKBSではプレイ中に映像の世紀が流れてるし、うまくいかないし大変だったという
アポーパイの作り方を書いたほうがいくぶんかマシだ的増田を書いて即消ししたところ
こころやさしきはてなブックマーカーたちに「それ膣内射精障害じゃね?」と言われてはや半月が経とうとしていた。
あらすじおわり
ある逢瀬にて、俺は彼女を自宅につれこみ、およそ読者が期待するようなフェティシズムも変態性も存在しないつまらないマグワイに興じていた。
彼女のほうは気にしてないそぶりではあるものの、男子たる俺のほうは毎度死地に赴く覚悟で挿入を果たしているのである。
精神的にも器質的にもおそらく欠陥があるので、結局どちらかが疲れたところで見られながら手淫の運びとなるわけで非常にむなしい。
むろんそれはそれで興奮するのであるが、毎度その方向でフィニッシュをキメていくと
「どうせ私より手のほうがいいんでしょう?」と言われかねない。
実際言われた。
そんなことはないというか、そもそもそれぞれの行為で得られる快楽は別物なのだが、
かぶせるように「下のほうのきみは正直だものね」とかいわれてしまうと正直さにさらなるボーナスポイントが割り振られレベルアップしてしまう。
ともかく今回は、ことのほか時間をかけたせいか、前日十数年ぶりに北方謙三三国志を読みなおしたせいかはわからんが
彼女の中ではじめて射精に至る性的オーガスムに達することができた。
あと、"ことのほか"って見る度に、「ことほの」が連想されて「そうやってうみちゃんをハブるのはよせよ! かわいそうだろ!」って思わない?
ああ、思わないならいいんだ。話を続けていいかな。
めでたく射精できたんですよ。
そう、ちゃんと外に出したしコーラも買ってある
堪能する間もなく、というより射精した直後、
脳とか脊髄からフワーっとそれまで腰とかを動かしていたエネルギーが雲散霧消する瞬間を見計らったように
チャイムが鳴った
「ああ、祝福だ」
彼女氏も「おめでとう!」と手を叩いてくれているし、これは祝福の鐘なのだなと理解した。
ティッシュとインターホンの受話器を同時に持ったあげく、マイサンではなく送話口にティッシュを押しつけていた。
抑えるものなく、やむなくこぼれる精液。
俺は濡れた陰茎を左手に
濡れてないインターホン受話器を片手に努めて冷静を装い
「あ、すみません、5分待ってください。今イきました」
「どっちですか???」
そして紆余曲折があったあと、めでたく防災設備点検が終わった。
三十路の薄汚い性欲はもはや満足してしまっているので「今晩米とライスどっちがいい?」とか彼女に聞いてしまうものの
ここを引用して「解散」とかブクマをつけると様々なひとが傷つくので一度自分の人生をふりかえってみてほしい。
さて、彼女氏もまた、俺のファットボーイスリムでは満足出来ない身体であった。
俺は彼女氏に、自分のふがいないファットボーイスリムでは満足させられないことを嘆いて
過激な振動をする人肌ににた樹脂で周囲をコーティングされた水洗いもできる充電式のジョークグッズを買い与えていた
俺がしがないファットボーイスリムなら
そのジョークグッズはさながらダンシングドールといった装いだ、動きも。
潰れたアニメ制作会社みたいな名前をつける彼女のセンスを疑ったが、口にはしなかった。
彼女は俺のいないときのみならず、情事が一段落したあとでも"権蔵"を持ち出した。
俺の名前ではなくジョークグッズの名前を呼んで嬌声を上げる彼女の姿。
それをいまいましげに眺める三十路男の姿。
ジョークグッズから彼女を奪い返そうにも、下半身は祝福を受けてしまっており、明日の夜まで再び堕落はしないだろう。
これほどむなしい情景があるかといわんばかりである。
そして同時に、そのいまいましい自分で与えたジョークグッズへの嫉妬を募らせていた。
これは我が裡に潜む鬼なのだと気づいていつつも、蛮行を止めることはできなかった。
俺は自慰を続けながら敏感になる彼女のニップルをさぐりながら、即興の歌を歌った
ゆけゆけ権蔵 勝利のために
きこえるかこのよろこびの声が
すすめしげみの奥の奥
目指すは闇の下の豆
わりと足癖が悪いという彼女の新しい一面を知ることができた。
ふるえろ権蔵 明日のために
きこえるかぼくらの快哉が
きみは責めるんだ下の豆
上の豆ならふたつある
別れ話になった。
正月休みを利用して溜まった本やテレビを消化しようと思っている
いわゆるインプットなのだろうが、ハックな人たちは、アウトプットをした方が何かと良いという…
なんとなくはわかるんだが、
感想文でも書くのか?それとも
仕事に活かすヒントでも見つけるべきなのか。
残念ながらなかなか活用できるような仕事させて頂いてるわけではなく、
刺激を受けて何かクリエイティブなモノを作り出せるところにはいない。
具体的に「ハック人」達に習ってみた「積ん読」(≒遅々として読み進まないうちに興味が移った本)や
撮りためてるドキュメンタリー(≒気楽なアニメばかり消化してしまって、HDDに残ったカス)
本
「生元素とは何か」道端 齊
「思考する言語」スティーブン・ピンカー
専門知識が必要なものも、論文などの難解なものもなく、一般向けのものだと思うのだが、
どうも気が散る性格なのかウィキペディアを片手に読むので進まないうちに放置、
期間が経つと、やや難しいのでまた初めから読むことになったりしてしまったコンテンツたち
ん!まさか…
それこそアウトプットをしないから、読了に対するモチベーションにもならない、
ハック人らのいう便が詰まった状態になっているのではないか??
そうだ!そうに違いない!!弁?
そんな起業家でもなければ、ブロガーでもない私にアウトプットの仕方を教えてはくれまいか。
読んだことのある本やテレビならそれそのものに対してでもいいし、全体の考え方でもいいし、方法論でもなんでも。
あ、ちなみに絵も下手なんで模写もちょっと無理です。
http://anond.hatelabo.jp/20151229102542
12/30 寝る
12/31 寝る
1/1 映像の世紀デジタルリマスター版 NHK BS1 元日一挙再放送
1月1日(金)午前00時00分~午前01時14分 第1集 20世紀の幕開け
1月1日(金)午前01時20分~午前02時34分 第2集 大量殺戮の完成
1月1日(金)午前02時40分~午前03時54分 第3集 それはマンハッタンから始まった
1月1日(金)午前04時00分~午前05時14分 第4集 ヒトラーの野望
1月1日(金)午前05時20分~午前06時34分 第5集 世界は地獄を見た
1月1日(金)午前06時40分~午前07時54分 第6集 独立の旗の下に
1月1日(金)午前08時00分~午前09時14分 第7集 勝者の世界分割
1月1日(金)午前09時20分~午前10時34分 第8集 恐怖の中の平和
1月1日(金)午前10時40分~午前11時54分 第9集 ベトナムの衝撃
1月1日(金)午後00時00分~午後01時14分 第10集 民族の悲劇果てしなく
1月1日(金)午後01時20分~午後02時34分 第11集 JAPAN
1/2 寝る
1/3 寝る
本当の追記
http://anond.hatelabo.jp/20160105143040
そういう嘘つくのやめようよ
1/4 仕事
1/5 仕事
1/6 仕事
1/7 仕事
1/8 仕事
1/9 休日出勤(予定)
1/10 寝る
1/11 寝る
↑これが本当の僕のすごしかた
大学の生協で本が15%引きだったので1万円以上を本に費やした。
しかし、英語の課題や、グループワークで処理をしないといけない課題、自分が通う底辺学部ならではの制作実習に忙しかったりとなかなか本を読む時間が取れないのが残念だ。
いや、実は本なんか読むのはすきじゃないのかもしれない。
お顔が良くて、セックスに困らなきゃ今頃はセックスしていたに違いない。
昨晩は、平和学の授業中に行われるテストの準備で追い詰められていた。
辺野古の基地問題について30分で2000字程度で論じるものだけれども、自分は徹夜で準備していた。
そのために1限の別の授業は寝過ごして、出席点を減らした。
そして、いざテストの時間だと思って平和学の授業に赴いたら、テストは次週であることと、少し自分が当てた軸と論題がぶれていることが発覚したのはなんともいえなかった。
テストが行われるという情報から、普段よりもずっと多くの人間が平和学の授業に押しかけていたが、平和学のテストが行われないということを講師が言った途端「帰ろうか」とかいう声があちらこちらから聞こえてくる。
自分の前に座った、講師の容姿を笑ったりした、顔のいいセックスに困らなそうな女たちは、講師の板書がある程度済んだ時点で教室から出て行った。
セックスに困らないお顔がいい女の子たちは、映像の世紀の東西冷戦のビデオなんか見たくないのだ。
すこし、腹が立ったが、よくよく考えてみたら自分もお顔が良くてセックスに困らなくてみんながチヤホヤしてくれたら、東西冷戦も辺野古の新基地建設計画も集団的自衛権も南沙諸島の自衛隊問題もなにもどうでもいいのだ。
映像の世紀を見たあと、グループワークの資料作成のためにiPadで写真を撮ったが、間違ってインカメラを起動した。
顔の皮膚は赤みを帯びて、酷く凹凸があり、脂汁が全体から湧いているし、膿の塊がある。そして、酷くくせ毛で、顔の形からパーツまで全く全てが見ていられなかったし、こんなやつと金を払わないでセックスをやる人間がいるとは思えない。
持病の薬の副作用やら、どうにもならないことが永遠と続いているが、こちらも精神優位性を持たなければいけないのだ。
だから、仕方なくあいつら馬鹿だなとか思いたいから仕方なく本を読んだり、一般教養の課題に比較的真面目に取り組んだりしているのだ。
こっちは別に勉強は嫌いだし、やっても出来ない。できていたら都内に実家があるのに、こんな北区のごみな大学にいるわけ無い。
本当にやっているということでなんとか気持ちを保とうとしているのだ。
クリスマス(2017)だしもう別れたんでこっそり復活させとくわ
まさか三十路を越えた童貞の俺に恋人ができるなんて思わなかった。
インターネットでリア充を気取る輩どもも、非モテをこじらせてリア充をうらやむ芸風の輩どもも、俺は気にくわなかった。
だから、そういう話で場が盛り上がる度に「そんなことより聞いてくれよ、うちのオカンがさ!」と、だれも聞いていないオカンネタをツイートしてどうにか居場所を確保していた。
おかげでオカンは毎朝起きるとアルミホイルをシャクシャク噛みながら口笛でダイアルアップをしてインターネット株取引にいそしむ化け物になってしまった。この場を借りて深くお詫びしたい。
だが、インターネットでしずかにこじらせていた俺にも好意をむけてくれる奇特な女子が現れたのである。
快活でやさしくてユーモアと好奇心を兼ね備えた年下の才女であり、たいへんかわいらしい。性格カタログと化した往年のエロゲでもなかなかここまでストライクなものはないだろうという高級物件である。
もちろん、俺は三十路童貞よろしく魔法使いとしての矜持をたずさえ、しずかにはげしくこじらせていた。
これはもう確実に騙されているに違いない。
三十路超えの売れないふぁぼられないブクマもつかない顔も目と鼻と口と耳がワンセットついているだけでたいしたことはなく、悪いことに肉は最近落ちなくなってきたうらさびれたインターネット芸人崩れを好きになるわけがない。
そうだろ?
だから当然の帰結として、生身の人間に触れずにオッサンが考えた二次元の女子の一挙手一投足に日夜情欲を昂ぶらせていた自分であるがゆえに、生身の女子がくれる好意の質を勘違いしてとらえているのだろうと手前勝手に得心した。
さもなくば、その好意に乗せられて暴走する俺をどこかで観察してあざ笑っている集団がいるのだろうと考えた。
そういう面白い催しがあるのならば、どうせなら観察する側にいたいものだ。
三十路半ばで人生に対するそれなりのあきらめを身につけた俺は、半ば自嘲とともにイグアスの滝にノーロープで飛び込む芸人になったつもりで好意に乗った。
手もつながずにデートは終わった。中学生男子よろしくゆだった頭がその重要さに気づいたのはデートが終わった後だった。
好意を向けられた相手にデートに誘わせたあげくなにもしなかった俺に、相手は失望しただろう。したはずである。
なにもなかったということは、さすがにかけるコストとして俺が笑いものにされている可能性は低い。
というかそもそも俺は罠にかけて笑いものにされて面白いようなキャラクターではなかった。
こうして浮かれて血迷った頭が人に決断の時を誤認させるのだなあと深夜の公園で砂山に頭をうずめて泣いた。
ふがいなさが、自責の念となり俺を毎夜責め立てるようになった。釣り逃した魚は大きいのであるし、俺はこうしてこの失敗を人生における最大の失敗として二月に一度くらいの頻度で悪夢に見ながら死ぬまで一人であることを責められ続けるのだろうなと覚悟を決めた。
いい夢を見たのだと思って、宝石箱にしまって生きよう。そう思っていたらまたデートに誘われた。
あるデートの時、意を決して家に呼んだ。
向けられていた好意につきあってみたような気持ちでいたはずなのに、いつしか呼吸ができなくなっていた。
胸は本当に苦しくなるのだと知った。右室ブロックの気があるらしいです。ヤバい。
さすがにこの頃になると、お互いにお友達同士のおつきあいではなく異性として認識しているに違いない。
何度となく繰り返された三十路のくたびれたオッサンの咲きかけの恋と葛藤、不完全燃焼のデートの度に膨らんではしぼんでいるのである。
他人事としてみるとこんなに気色悪いものはないのだが、明らかに相手も俺のアタックを待っているのである。
恋に狂った本能はそうだと断じている。しかし、「騙されるな、社会性を失うな」とこじれた理性もまたささやくのである。
「貴様の薄汚い下半身由来の欲求がそういう自分に都合のいい思考を招いているのである。一緒に居て楽しい女子と二人でいられるだけで身に余る幸福だというのに、お前は自分からその幸福を靴で踏みにじろうとしているのだ」
と大脳皮質に棲む天使(メイド服)と悪魔(ブレザー)がドルビーサラウンドでささやく、最近二人の意見が食い違うことがなくなってきた。
いやいや、とはいっても、女の子家によんで、お茶とお菓子だけ飲んでおしゃべりだけして帰るわけないでしょ、平成何年だと思ってんの。
二一世紀に生まれた若造どもが青い性欲をもてあまして図書館トイレ駐輪場でよろしくやってるんですよ中学生じゃないんだからそんな――
――手も、つながずに、デートは終わった。
待ってください、みなさん。ウンコを投げないでください。座布団を持って行かないでください。
みなさんのおしかりはごもっともです、自分でも、こんなに恋愛に向いてないとは思わなかった。
ふがいない右手を切り落としたい衝動を押さえつけて、メールで謝罪文を打ち、その勢いでおつきあいをお願いした。
リンゴが地面に落ちるがごとくオッケーがでた。
客観的に見るとなんなのこのウブなネンネちゃんとしか思えないし、実際そうだ。
相手もここまでつきあってくれるというのは相当の変人か暇人だし、この際もうちょっと押していこう。
ここにきてようやっと足が動きはじめて恋人的な段階が進んでいくわけです。
話が長くなってきたんでノロケはこの辺にしまして、タイトルの伏線を回収したいと思います。
途中段階はとばしますけど初行為をするべくホテルに行ったわけです。
泡の出る風呂とか照明とかで遊んで、テレビをつけて、AVはやめようってんでNHKにしといたんですよ。
あとは存分にイチャイチャして、照明を落として、消毒剤の臭いがするシーツの上に彼女の身体を横たえて、服はうまく脱がせなかったけど、ブラのホックは一発で外せて。いざや鎌倉うちてしやまんって時テレビの音が耳に入るわけです。
非常に耳慣れたBGM。そう、俺はこのBGMをよく知っている……荘厳で重厚で、悲哀をたたえた力尽くで精神をゆさぶってくる力強い音楽……!
彼女の肌の色がまぶしくて目をつぶるだけで経験したはずもない二〇世紀中盤の白黒映像が走馬燈のように流れ去っていく……。
『映像の世紀』
この文字列見るだけであのテーマソング「巴里は燃えているか」が耳に蘇る方多いんじゃないでしょうか。
わかりますよチャンネル変えるとか、音量下げるとかすればいいんですよ。そんなことはわかってるんですよ。
でも壮大な音楽と、うすっぐらいナレーションをバックに慣れない愛撫とかしてるんですよ、背中にファスナー付いてないかとか、カメラがしかけられてるんじゃないかとか、この反応は演技ではないのか、とかそういうことを考えるのに三十路半ばおじさんは必死なんですよ!! チョビ髭の男が演説してる中、ゴムを付け替える俺の身にもなってくださいよ!! ていうか早くしないとこのままだとあのシーンになってしまうじゃないですか!! だが焦るほどになにもかもうまくいかない!! 東京が焦土に!!
なかばやけになってテーマソングのリズムに沿って腰を動かしてたら、新型爆弾が落ちました。
人間としていろいろ申し訳なくなります。この映像とBGMが強力すぎて、俺は今後彼女と肌を重ねる度に「巴里燃え」が自動的にかかる身体に改造されてしまったわけです。
ちょっとした背徳感は恋のエッセンスとかそいういうおためごかしをすっとばして不謹慎きわまりない初体験です。ヒンズー教徒だった前世の俺が牛肉でも食ったのかと言わんばかりの仕打ちに心折れつつも、焦土となった都市の映像に負けない励起状態を維持しようとしている俺に、彼女がようやく口をひらいてくれます。
そう! 俺はずっときみの一言を待っていたいまからでも遅くない助かった! このいまいましいテレビ消そう! 消そうと言ってくれ! この状況がちょっと面白いのはわかるが俺のチキンハートはもう耐えられないんだ!
枕元にあるリモコンをたぐってなんでもいいからチャンネルを変えてくれ――! はやく!
このままでは俺の爆弾が――――
「ん、――不発弾?」
イケませんでした!
(最後の部分をオチ補正のため追記しました、わかりにくくてすみません)
(まだわかりにくいですよ)
(オチがなくて無理やり付け足すからこういうことになるんですね、わかります)
(うるせ-!)