はてなキーワード: 違憲状態とは
コロナ禍や東京オリンピックを経て、国民がいくら反対したところで国はどうしてもやりたいことなら押し通し、実行してしまうことが分かった。
また、国民も雰囲気やメディアに流され世論が変わっていくのを感じた。
これがたとえ戦争であってもなんだかんだ国がやると言ったら始まってしまうのではないか。今までの国や国民の動きから、100年以内に日本が戦争を開始する場合のシナリオを素人ながら想像して書いてみる。
なお、この想像に登場する「外国」は特定の国を指すものではない。まだ存在しない国かもしれない。
1.
「外国」が日本の一部を侵攻する。最初は在日米軍だけが戦っていたが、戦況の悪化につれてアメリカは日本に戦力の派遣を要請する。
国としては、アメリカの要請を拒否する手段がなく、国土を侵攻されるのも困る。また、協力すれば多額の補助金が出る。
(このきっかけが実際にありえるかは分からないので適当に設定したが、とりあえず自ら戦争に参加したい事情ができて)国が戦争への参加を決意する。
2.
世論は「自分の国は自分で守るよう努めるべき」派と「事情に関わらず日本は絶対に戦争に加担してはいけない」派の真っ二つに分かれるが、この時点では後者が8割以上である。
3.
国は一貫して「戦争」という言葉は用いず、「衝突への対応」など曖昧で暴力的な印象の弱い単語に置き換えられる。「軍」「徴兵」「武力」なども同様。
「衝突への対応」を憲法違反と見做した裁判官は降ろされるか、違憲状態としつつも放置される。
4.
弁が立つイケオジが総理大臣になる。
現状況は実質的に武力衝突であり憲法に違反するのではないかという野党の質問に対し、総理大臣は「今は国民が一丸となるべきときなのです」「これは『衝突への対応』でありやむを得ないことだと感じています」と、やや的を外した回答を行う。
5.
まだ自衛隊(的な組織)と米軍が海上で戦っているだけであり、民間人にはほとんど影響が出ていない。
6.
民間人にとっては大したことなかったので、戦争への悪印象が弱まる結果となり、沸き立つ。
7.
数年後、再び状況が変わり今度は全面戦争が開始する。
今度は民間人に徴兵令が出る。これも徴兵とは言わず「防衛協力要請」などの置き換え語が用いられる。
8.
軍人の死亡率が意外と低いことや戦争に参加するメリットがメディアでさかんに取り上げられる。また、差別用語を使って反対の意を表明した、警察に暴力を奮ったなど極端な対抗手段をとった民間人が茶化すようにメディアで取り上げられ、晒し者にされる。軍人の愛国心や優しさを感じるエピソードがさかんに報道され、軍で働くことは名誉でカッコイイという価値観が生まれる。キャラクターや魅力的なイラストを用いたプロパガンダが作られ、親近感が湧く。
軍需により経済の回転が上がり、高度経済成長期以来の超好景気を迎える。日本はお祭りモードとなる。
戦争を批判すれば、世間からは「これまでに国(君)のために死んでくれた軍人に失礼だ」「遺族の気持ちを考えろ」「また日本を不景気に戻して自殺者を増やせと言うのか」などと非国民扱いされるようになる。
「衝突への対応」はやむを得ないと考える国民は8割以上に上る。ここまで来たらもう誰にも止めることはできない。
10.
終戦。
敗北すれば、やはり戦争はいけないことだったとして太平洋戦争と同じ反省を繰り返す。勝利すれば、これはあくまで「戦争」ではなかったとして、憲法にも違反しなかったことになる。
今回は想像なので戦争開始のきっかけあたりは適当だが、国が戦争を始めたい事情ができたら何が何でも始まるのではないかと感じている。もちろん明日から戦争を始めますと言ったところで国民は納得してくれないので、一致団結、感動、戦争のメリットの意外性、成功体験などを通して、少しずつ巧みに誘導していくことは間違いないと思う。
みんな高揚していて、大好きなコンテンツが国への協力を推奨していて、景気が良く、仲間意識が生まれてもう自分は一人じゃないと感じる。自ら参加すれば今までにないほど称賛されてありがたがられる。そんな浮かれた状況で、果たして戦争は絶対にいけないことであると主張し続けられるか、平和ボケしかけた日本人は一度考えてみるべきだと思って記事を書いた。
名前 | 出身 | 夫婦同姓 | 1票の格差 | 女性裁判官数 | 投票価値の平等 |
深山卓也 | 裁判官 | 合 | 合 | ||
岡正晶 | 弁護士 | - | - | 評価は国民が行うこと | 個別事件で熟議したい |
宇賀克也 | 学者 | 違憲 | 違憲 | ||
堺徹 | 検察官 | - | - | 意見は差し控えたいが、活躍は望ましい | 考えは差し控えたいが、平等は重要 |
林道晴 | 裁判官 | 合 | 合 | ||
岡村和美 | 行政官 | 合 | 合 | ||
三浦守 | 検察官 | 違憲 | 違憲状態 | ||
草野耕一 | 弁護士 | 違憲 | 条件付き合憲 | ||
渡辺恵理子 | 弁護士 | - | - | 回答は差し控えたいが、機会は重要 | 具体的な事件で考えを示したい |
安浪亮介 | 裁判官 | - | - | 回答は差し控えたい | 具体的事件で考えを明らかにすべき |
長嶺安政 | 行政官 | 合 | - | 具体的事件で考えを示すべき |
ソースはNHK。「合」は合憲、「-」は就任前で判決に加わっていない。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/kokuminshinsa/2021/
https://www3.nhk.or.jp/news/special/kokuminshinsa/2021/trial-dai20210623.html
https://www3.nhk.or.jp/news/special/kokuminshinsa/2021/trial-dai20210623.html
この判決に関与していない裁判官については、朝日新聞のアンケートに対する回答。
https://www.asahi.com/senkyo/kokuminshinsa/
女性裁判官数は、アンケート6番の「現状の女性最高裁判事数は妥当か」に対する回答。
投票価値の平等は、アンケート8番の「議員定数の是正に司法がもっと積極的に関与すべきという意見にどう考えるか」に対する回答。
名前 | 出身 | 夫婦同姓 | 1票の格差 | 女性裁判官数 | 投票価値の平等 |
深山卓也 | 裁判官 | 合 | 合 | ||
岡正晶 | 弁護士 | - | - | 評価は国民が行うこと | 個別事件で熟議したい |
宇賀克也 | 学者 | 違憲 | 違憲 | ||
堺徹 | 検察官 | - | - | 意見は差し控えたいが、活躍は望ましい | 考えは差し控えたいが、平等は重要 |
林道晴 | 裁判官 | 合 | 合 | ||
岡村和美 | 行政官 | 合 | 合 | ||
三浦守 | 検察官 | 違憲 | 違憲状態 | ||
草野耕一 | 弁護士 | 違憲 | 条件付き合憲 | ||
渡辺恵理子 | 弁護士 | - | - | 回答は差し控えたいが、機会は重要 | 具体的な事件で考えを示したい |
安浪亮介 | 裁判官 | - | - | 回答は差し控えたい | 具体的事件で考えを明らかにすべき |
長嶺安政 | 行政官 | 合 | - | 具体的事件で考えを示すべき |
ソースはNHK。「合」は合憲、「-」は就任前で判決に加わっていない。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/kokuminshinsa/2021/
https://www3.nhk.or.jp/news/special/kokuminshinsa/2021/trial-dai20210623.html
https://www3.nhk.or.jp/news/special/kokuminshinsa/2021/trial-dai20210623.html
この判決に関与していない裁判官については、朝日新聞のアンケートに対する回答。
https://www.asahi.com/senkyo/kokuminshinsa/
女性裁判官数は、アンケート6番の「現状の女性最高裁判事数は妥当か」に対する回答。
投票価値の平等は、アンケート8番の「議員定数の是正に司法がもっと積極的に関与すべきという意見にどう考えるか」に対する回答。
私は誰かに「表現の自由戦士ですか?」と聞かれれば、「そうですよ?」と真顔で、しかも相手のことを若干哀れみながら即答する程度には表現の自由戦士であるつもりだ。なぜ哀れむかというと、表現の自由戦士という言葉が私には「黒人と女性の選挙権戦士」と同じ感触を持って聞こえるからだ。「それ、大分昔に結論が出てて、しかもその結論に従わないと野蛮人みたいな扱いをされるはずじゃなかった?」と。このあたり、「野蛮な西洋思考から脱却してイスラムを根本に据えた政治をやれ」と言って戦っている人と思考形式としては似通っているかもしれない(主張にも方法にも同意しないが)ので、戦士と呼ばれるのもむべなるかな、と思う。
そんな私の政治的立場は、やけくそになって後藤輝樹に投票した一回の過ちを除けば、10年ほど毎回共産党に投票してきたし、だいぶ左寄りであるとは思ってきた。とは言えきょうび共産主義を目指すというのは頭がおかしいとしか思えない。マルクスを多少なりとも学んだ人なら知っていることだが、マルクスは共産主義がどのようなものかとは全く説明していない。資本主義を打倒すれば生まれてくる何か、としか言っていない。まあ、現状の批判だけでもそれが新鮮なうちは一分の理があるのかもしれないが、色々テストされた挙げ句「民主主義は最悪の政治形態と言える。これまでに試みられた民主主義以外のあらゆる政治形態を別にすれば」というジョークが生まれたあたりで、共産主義は役割を終えたのだと思っている(とはいえマルクスの資本主義批判自体は時代のテストを耐えた今でも通用するものだと思う。よりよい資本主義を目指す限りにおいて)。なので、自分の共産党に対する印象は「理想については頭がおかしいが、現状についてはいちばんましなことを言っている人たち」というもので、だから投票してきたわけだ。
何を「現状いちばんまし」と考えるかはその人によって大きく変わるであろうことを私は知っている。私には自民党が腐っているように見えるが、別の人から見ればそうでなかったり、あるいは腐っていても何らかの利用価値があると考える人がいるのはわかる。私が自民党を嫌って共産党に共感している(と思っていた)のは、ひとえにリベラリズムという思想を自分がインストールされていることによる。私がここで言うリベラリズムは、ほぼ井上達夫の言っている「リベラリズム」に等しい。つまりそうとう偏っている。井上達夫は日本の「リベラル」を批判する。例えば自衛隊についてはこうだ。「憲法は何よりも大事だ。その憲法に戦力は保持しないと書いてある。今日本が保持している自衛隊は戦力であり、違憲状態にある。このままだと憲法が無視されてもよいことになってしまうので、憲法を変えるか自衛隊を解散するかの二者択一だ」と井上達夫は言っている。いっぽうで「リベラル」は「大事な憲法を変えるな、自衛隊はないと困る」と言ってて矛盾している、というわけだ。全くその通りだと思う(ちなみに井上は憲法を変える方を選ぶが、憲法そのままで自衛隊を解散しろという意見にも理は認めている)。井上達夫は筋金入りも筋金入りのド左翼であるが、この現状左派内で主流の「リベラル」を超えたリベラリズムに殉じる、という姿勢は左派運動をしている人からも批判が多いらしく、度々愚痴をこぼしている(まあ『リベラルのことは嫌いになってもリベラリズムのことは嫌いにならないでください』(名著!)という本を出すくらいなのだから戦う気マックスなのだろうと思うが)。
その自衛隊について志位和夫氏が例の件の一日前の記事で、「自衛隊と憲法は矛盾するから今すぐでなくともいずれ自衛隊はなくすべきと考えてはいる」と言っているのを見て、「相変わらず頭おかしい理想を抱えてんなあ。まあでも理屈としては正しい」「とはいえ理屈のレベルでの話が通じる政党すら貴重なので今回も共産党だな」と思ったのだが、今思えばこの歯に物が詰まったような言い方に違和感を覚えるべきでなかったか。井上達夫流に言えば、ここは「政権を取ったら自衛隊はすぐに解散する」と言い切るべき場面ではなかったか。
私が理解している井上達夫流リベラリズムは、「人間はその知識の研鑽によってより良くなっていくことができる」という思想と「人間は人それぞれである」という思想に基づく「正義」を掲げる思想である。前者=啓蒙を重視するからこそ「頭はおかしいけど一応話は通じる」共産党に投票してきたし、後者=寛容を重視するからこそ自民党を支持する人を口汚く罵ったりはしない。自分の正義に反するからだ。しかしこの寛容と言う概念は問題含みで(啓蒙は啓蒙で問題があるが今回は触れない)、代表的な物に「不寛容にも寛容になるべきか」という問題がある。私は(多分井上も)「啓蒙を正義として掲げている以上、あるいはそもそも正義を正義として掲げている以上、それを侵す不寛容には寛容になるべきではない」と考える。たとえば在特会は在日の人々の「人それぞれ」あるいは彼らがそもそも人として生きることそれ自体を侵しているのだから、それらをゆるす必要は無い、ということになる。自分では常識的な考えだと思っているが、どうか。
児童ポルノ問題について話を向かわせよう。私は表現の自由戦士であるからして、表現の自由はかなり大事なものだと思っている(本当は順番が逆だが)。なぜ大事なのかと問われればそれは、第一に大事な憲法に書いてあるからだと答えるが、そもそもは「啓蒙」が表現の自由がなければ成り立たず、また「寛容」の精神から多少気に食わない表現であってもゆるすべきであると考えるからである。そしてエロが啓蒙に役立つのか、と言われれば、もしかしたら立つかもしれないと答えるし(過去の文学作品を見よ)、仮に役に立たないとしてもそうした「くだらないもの」を排除する理屈は、やがて「人それぞれであること」あるいは正義についての議論をもくだらないものとみなす理屈に変わるだろうから、と答える。ニーメラーの警句だ。だから、そもそもわいせつ物規制自体あまり気に食わない。ただ、職場にヌードポスターがあったり、子供でも見えるところにエロがあるのが嫌であるとか、そうあるべきではないと考える人がいるがいるのも十分にわかる。したがって彼ら彼女らの「人それぞれ」を守るためにゾーニングを行うのは賛成である。ただ、コンビニのエロ本棚やアキバのエロポスターを除去すべきだったかは、発行側の「人それぞれ」も考慮するために議論の余地がある(というか啓蒙の観点から、撤去するにしても議論を尽くした上でそうすべきだった)。宇崎ちゃんとかラブライブポスターについては、まず第一にそれらはポルノではないのだからこれまで挙げた例とは別の理屈が必要であり、第二にその理屈づけが成立していないので、規制側が間違っているというのが私の意見だ。
他方で現実の被害児童が存在する児童ポルノについては断固として規制すべきであるとも考えている。第一にそれらは例外なく児童の「人であること」を侵しているし、第二に(それらが児童を対象にしている以上「合意の上」ではありえないので)それらが「啓蒙」の議論に結びつくことはありえないからである。第一の点は説明不要だろうが、第二の点は説明が必要かもしれない。私は法学の専門家ではないが、以前表現の自由に関して法学者が書いた本を斜め読みしたところによると次のようなことが書かれていた。第一に表現の自由はやはり重要なのだという。しかし憲法にも書かれているように公共の福祉の観点からそれを制限することはありうる(と法学者だから法律のことしか書いていなかったが、この点は不寛容への寛容を認めないことともつながり理解できる)。たとえば殺人やレイプなど、犯罪を行わなければ撮影することのできない「表現」は、この観点から規制すべきである。とりわけ児童ポルノは被写体が児童=法律的に自由意志を持てない人が対象であるからして、万が一にもそれが「合意の上での表現」であることはありえず、また放置は被害児童の人権の侵害が拡大することを意味するから、したがって問答無用で規制してよい。そのようなことが書かれていたと私は理解しており、完全に同意である。こうした理屈で児童ポルノを「とりわけ規制すべきもの」とするのは、表現の自由戦士たる私にも容易に理解し同意できるものであり、過激派フェミニストから右派左派合わせて多くの人が同意可能なことだと思う。しかし「とりわけ」児童ポルノを問題視するということは、「殺人やレイプを記録したフィルム」を取り締まるべきものではあるが一段低いところに置くことでもある。私はそれに同意するが、同意しない人もいるであろうことは理解できる。私がそれに同意するのは、それが成人同士の合意による「殺人風フィルム」「レイプ風フィルム」である可能性を考えれば、表現の自由(なぜこれをそんなにも大事にするのかは既に書いた)の観点から取り締まりにはすこし慎重になるべきだと考えるからである。これは断じて殺人フィルムレイプフィルムを見逃せと言っているのではない。もちろんそれが「風」でなければ断じて規制すべきである。話を「児童ポルノは啓蒙の議論に結びつかない」というところに戻すと、児童ポルノは「風」である可能性が皆無であることから、児童の「人それぞれ」を侵していることが明白であり、拡大解釈の余地がない最小限の表現に対する必要な規制であるということである。
この理屈は若干弱いところを抱えている。成人同士の合意による「児童ポルノ『風』」の表現は一切存在しえない、という前提をしいているからである。海外において日本の「ロリ系」AV女優の作品が規制されていることがあるのは諸氏も御存知の通りだろう。あれは愚かで間違った行為だと私は考えており、「見りゃ分かるだろ」と思うが、向こうは向こうで「見たまんま」規制しているのが難しい。私は日本においても「出演者が17歳くらいに見える児童ポルノらしき表現」の取り締まりは殺人フィルムレイプフィルムと同様の慎重さが求められると思うが、ここは議論があると思う。これはよくあるようにそう言ってお茶を濁しているのではなく、本当に議論の結果ボコボコにされ誤りとして認める可能性もあると考えた上で言っている。
では2次元はどうかと言えば、これはほぼ完全に無規制であるべきだと考えている。「ほぼ」というのは実在の児童ポルノのトレースでないことが明かな場合である。これに関しては規制すべきだと考えているし、先ほどの「17歳に見える児童ポルノらしき表現」みたいなグレーゾーンはほぼ無いと考えている。また仮にグレーゾーン(「17歳に見える児童ポルノらしき表現のトレースらしき表現」とか)があったとしても議論の主戦場はそこではない(誰も宇崎ちゃんが児童ポルノのトレスだとか言ってないわけで)と考えている。そう考える理由は既に書いたと思う。付け加えるならば、実在の児童が被害に遭っていないわけで、それを規制するならば児童ポルノ規制とは別の理屈が必要(たとえば「助長」とか)だということを理解している人がまず少ないようなのがつらく思える。その上で構築された「助長論」等々も、表現の自由(なぜそれが略)を規制するほどのたいした理屈ではないと考えている。たとえば「助長論」を支持するような科学的研究があってはじめて「さあ話し合いましょうか」となるし、仮定に仮定を重ねることになるが「現実児童への被害を助長する」ということが100%正しいとしても、私は表現の自由の立場から反対するのではないかと思う。「社会をに悪影響がある表現」に対する規制は、容易に「よりよい社会を求める言論」に対する規制に流用できてしまうから。そうした流用が行われないような条文を提案された場合に初めて、私は規制に納得するかもしれない(しないかもしれない)。
そこに来て共産党である。私は彼らを「理想は狂っているが理屈レベルでは誠実な議論をする人たち」と考えてきた。それは私の考える「理想」とは異なっても、私の「正義」とは道を同じくするものと考えていた。しかし今回「非実在児童ポルノは、現実・生身の子どもを誰も害していないとしても、子どもを性欲や暴力の対象、はけ口としても良いのだとする誤った社会的観念を広め、子どもの尊厳を傷つけることにつながります。」という根拠の無い理屈を用い、釈明においても「いやあれ一足飛びな法的規制を目指したものじゃないよ」というだけで、その理屈の撤回自体はされていない。私が今回共産党に失望した理由はここにある。「非実在児童ポルノを以下の理屈で規制します!」といつもの共産党らしい理屈づけをもって主張していれば、「まーた頭おかしい理想抱えてんのか、でも理屈は通ってるな」で共産党に投票した可能性もある。しかし今回のできごとは、私にとって共産党を「頭のおかしい理想を抱えていて理屈も通じない人たち」と感じさせるには十分であった。であるとすれば、自民党や立憲民主党と何も変わらないどころか、それより劣った存在にすらなりうる。なにせ自民党や大手野党は私に10万円をくれたり(資本主義の犬であることを私は否定しない)、あるいは議会で私のために動いたりしてくれる可能性があるが、議席を少ししか持たない共産党はその力がないからである。
私は共産党を「左過ぎて頭変な人たち」と思ってきたが、私はその共産党よりも左寄りなのかもしれない。その兆候はあった。井上達夫を師匠のようにあがめてきたが、その井上達夫も「左派」の人たちからは何かと批判されているのだ。その理由として考えられるのは、井上達夫が右派であるからというものより、「左派」より左にいるからと考える方がよほど妥当だろう。私が共産党より左寄りの位置にいるとして、共産党より左の政党が無いことは百も承知だが、今回は他の政党に投票することになるかもしれない。それは本来あるべき態度ではないと思う。共産党さん、「頭おかしいけど理屈は通ってる人たち」に戻ってくれませんか。
9条改憲反対派です。現状では共産党支持。トランプがまたなんか言い出したから自分なりにお気持ち表明してみる。
ともかく、俺は他国の都合に付き合わされてて、日本国民が戦争の加害者被害者になったり、日本が他国から恨まれたりするのが嫌だ。
日米安保と憲法9条の関連性はざっくりいうと以下の通りだと俺は認識してる。
①日米安保によって日本は軍事的・経済的な自主独立性を米国に奪われている。
②上記①により米国の戦争に日本が加担せざるを得ない事態が起こる。(実際にイラクなどで起きている)
③武力保持と交戦権を否定している憲法9条は、上記②においての「武力行使」を制限し、自衛隊が前線に出ないよう抑制する効果がある。
つまるところこのまま③が失われた場合、アメリカの戦争に日本が付き合った場合、後方支援に留まらず、実際に殺したり殺されたりをする可能性がものすごく上がると思う。
あと、対外的にもアメリカとの軍事的結びつきが深くなるから、必然的に反アメリカ系のテロの標的になる可能性も高まるのではと考えている。
これが俺は嫌だ。
逆に言えばアメリカ言いなりの状態が解消されるのであれば、別に自国の軍隊を持つのは、別に嫌でもなんでもない。
というか、自主独立した一国家が軍隊を持つのは自然なことだし、むしろ我が国の場合、自衛隊が違憲状態を解消するため、積極的に改憲すべきとさえ考えてる。
というのが大体の俺のスタンスです。
ただ実際に改憲するってことになれば、安保だけじゃなくて、日米地位協定や、集団的自衛権の見直し・破棄も前提に入れなきゃだめだと思うし、
9条の改憲自体にしても、自衛隊の違憲状態を解消することがメインで、平和主義や交戦権の否定なんかは明確に残すべきとは思ってる。
こういう立場は左翼ナショナリズムと言うらしく、俺は共産党シンパだった俺の爺様から植え付けられた。
爺様曰く、割と共産党の中にも言わないだけでこういうスタンスの人は結構いるそうな。ほんとかどうかは知らんけど。
ちなみに日米安保そのものについては、感情的には無くなってほしいと思ってるけど、無くした方がいいのかの確信は持てないスタンスです。
個人的感覚として、これからますます米中の対立ってのは激しくなるはずで、そんな中で「アメリカの対中国の尖兵ないし防壁」と国際的に認識されている今の日本の立場はすごく危ういと思ってる。
仮にこの二国が武力に訴えた場合、確実に日本はアメリカの前戦基地として、一番悲惨な形で巻き込まれるんじゃないかって気がして、すごく怖い。
そう言う意味では出来る限り早くアメリカとの関係は清算したい、と思ってる。
それに、やっぱり国家として別の国家に従属している状態が、主権者の一人としては純粋に嫌。
一方で、安保が無くなることでの国防費の増加っていう問題が出て来るとは思ってる。
でも、それがどの程度になるのかは調べても俺では正直判断がつかなかった(倍増するって言う人もいるし、現状のままで良いと言う人もいた)
米国との関係性が変化することで、国防費以外の面にもどういう影響が出るかも見えないので、そこが現状、俺の確信持てない理由。
共産党は参議院の公約で社会保障に対する7.5兆円の財源を示してるけど、この半分を切り崩して賄えるなら、俺は安保廃棄を選ぶと思う。
元の話からいきなり飛躍しててどうなってんのかと思ったんだけど一応。
あと自衛隊について司法で違憲判断がされているということはあります。
憲法改正する「べき」とは思いませんが、この矛盾というかそういう部分は悪くないように直されるといいなとは思います。
これまでの自衛隊の災害活動、PKO活動(戦闘は拒否してほしい)日本の防衛と右も左も関係なく認めている所なのであって、
あとはその内容次第なんだけど、その点だけにフォーカスしてやれば改正できるでしょう。
集団的自衛権でも個別的自衛権の話も出てくるかもしれないけど、そこまでしなくても、
違憲状態を解消するという程度にならできる筈なのでそこはやってほしいですね。
重大な責任を心に留め、公平・公正な審理を尽くしていきたいです。職務上の文書の量が膨大で、あらゆる分野にわたることに強い印象を受け、難しさを日々感じています。
最終審として、公平・公正な裁判を通じて納得のいく判断を下すことが期待されており、そのことが身近な司法ということにつながると思います。
まだ、関与してから日が浅いので、件数は限られていますが、どの案件も関係者にとって重大な結論を出しているのだという意味で重みがあり、心に残ります。
任命された側ですので、個人的な考えを申し述べるべきではないと思います。
国会が発議し、国民投票で決まる話ですので、最高裁の一員として考えを申し上げることは差し控えます。
憲法9条を巡る議論が活発化していることは承知しています。最高裁の一員としてこの議論に加わるのは適当でないと思います。
9月27日に参院選に関する大法廷判決に際して個別の意見を申し述べました。私の基本的な考え方は、そこにあるとおりです。
注:16年参院選の「1票の格差」訴訟で違憲状態の個別意見(17年9月)
原発訴訟についても、個別事例に即して判断していくべきものと考えます。
裁判員の方々は、真摯(しんし)に役割を果たしておられると承知しています。分かりやすく公正・迅速な刑事裁判、国民の司法参加という意味で良い制度だということの理解を更に広げていくことが必要かと思います。
冤罪(えんざい)はあってはならないことであり、裁判の段階においては先入観にとらわれず、証拠に基づいた裁判をしていくということだと思います。
死刑は、刑罰として究極の選択であり、そのあり方については国際的な潮流も踏まえながら、国民の皆様、その代表である国会において議論が深められるべきものだと考えます。
今の段階では、具体的な話を述べるのは尚早ですが、所期の目的に沿って刑事司法プロセスへ信頼が高まる一助となることを期待しています。
グローバル化につれて国際ルールも変化していきます。そうした国際潮流の展開を的確につかむだけでなく、自ら潮流を作っていくとの気構えが必要だろうと思います。
裁判に限らず、電子化は賛否の問題ではなく必然です。世代間ギャップへの配慮も必要ですが、日本標準、世界標準に乗り遅れないようにすることが必要でしょう。
うれしかったのは、サッカー日本代表のワールドカップ(W杯)本大会出場決定です。腹立たしいというか心配なのは、北朝鮮をめぐる情勢です。
娯楽としてはサッカー観戦と音楽が好きです。尊敬に値する先達ばかりで、特に一人挙げることは難しいです。日頃の心構えとしているのは「一期一会」という言葉です。
「外交官の一生」(石射猪太郎)。先輩から勧められた戦前の知中派外交官の回想録で、内政・軍事と外交の交わる難局における身の処し方につき考えさせられました。
22日投開票の衆院選と同時に実施される最高裁裁判官の国民審査に向け、朝日新聞社を含む報道各社は、審査対象の裁判官7人に共通アンケートを行いました。質問と回答の全文は次の通りです(文意を損なわない範囲で、表現の一部を変えています)。
質問と回答が分かれていて読みづらいので整形した。
参考:国民審査 | 衆議院選挙2017 - Yahoo!みんなの政治
常に中立公正であること。法と良心に従い、幅広い視野から事件に取り組み、考え方の筋道がよく分かる判断をするように努めたい。
適正迅速で分かりやすい裁判をすること。利害や見解の対立する事柄について、証拠と法に基づき筋道立てて判断を示す裁判の役割への期待に応えることが大切だと考えている。
これ一つと挙げることは難しい。医療事件は、事実認定、法律判断、科学的知見の理解、当事者の心情などについて考えを巡らせることが多く、深く記憶に残るものが少なくない。
国のかたちを定める憲法の改正については、国民的な議論を経て国民が判断することであるので、回答は差し控えたい。
具体的な事件を離れて、憲法条項の在り方について見解を述べることは差し控えたい。
議員定数訴訟の判決の中で示した意見のとおりである。具体的な事件を離れて見解を述べることは差し控えたい。
注:14年衆院選の「1票の格差」を違憲状態とする多数意見(15年11月)
具体的な事件を離れて見解を述べること、個別事件に対する見解を述べることは差し控えたい。
裁判員制度は、課題はあるが、おおむね順調に運営されていると考えている。司法の国民的基盤に関わる極めて重要な制度であるので、課題については実証的な検討を重ね、中長期的な構想をもって粘り強く対応していくことが大切だと考えている。
司法制度改革以降、刑事司法は大きく改善されてきたと思う。事実認定については、常に謙虚さと恐れをもって取り組み、誤りのないよう様々な角度から慎重に証拠を吟味することが大切であると考えている。
究極の刑罰である死刑については、様々な意見や議論があるところであり、格別の検討が必要であると考えているが、具体的な事件を離れて見解を述べることは差し控えたい。
かねてよりの懸案事項が立法化されたものであり、刑事司法の適正化などが更に促進されることを期待している。
具体的な政策についての見解を述べることは控えたいが、幅広い素養を備えた法律家が養成され、司法制度を支え、更に様々な分野で活躍することを期待している。
国際取引事件、家事渉外事件をはじめとする国際的紛争事件に円滑に対応するためには、手続き的整備のほか、裁判所における人材の育成、専門集中部などの処理態勢の整備を図ることが重要であると考えている。
裁判も一種の情報処理作用であるから、情報処理革命の外にいられない。法的手当て、関係者の発想転換などが必要になるが、情報伝達、情報の整理検索などの切り口から従来方法の思い切った見直しを図ることにより、アクセス、迅速性などが大きく変化するであろう。
若いスポーツ選手、棋士たちが伸び伸びと活躍していることを頼もしく、うれしく思う。理不尽な事柄に対しては、感情によるより、事実を見つめて捉えるようにしている。
好きなことは、読書、速歩による散歩、総菜作りなど。好きな言葉は「初心忘るべからず」。市井に生きた両親への感謝と尊敬の念を忘れることはない。
コリン・パウエル氏の「マイ・アメリカン・ジャーニー」。パウエル氏の軌跡からアメリカの社会構造を興味深く感じ取ることができた。
当事者に主張立証を尽くす機会が与えられ、裁判所が適正で公平な審理判断をしたかという観点から原審までの手続き・判断を先入観なく審査したい。上告理由など該当性の判断と結果の妥当性とのバランスや従前の判例との整合性など、上告審、法律審としての判断の在り方に難しさを感じている。
納得性の高い審理に基づき、分かりやすい理由を示した適正で迅速な裁判が行われ、その内容が社会一般の正義の観念にも合致するものであること。傍聴して内容を理解できる分かりやすい審理・判断をすることが重要であり、最高裁で行われ始めた判決理由要旨の告知などもよいことだと思う。
任命後半年余りに過ぎず、無我夢中で事件に取り組んできたというのが正直なところであり、まだ記憶に残る事件を申し上げられるだけの経験がない。
最高裁判事の任命の在り方などについては、最高裁判事の任命権が属する内閣において検討される事柄であるので、お答えは差し控えたい。
憲法改正は、国会による発議と国民投票によるものであり、司法権に属する立場から個人的な意見を述べることは差し控えたい。
諸情勢が変化する中で憲法9条を巡り様々な議論があることは承知しているが、司法権に属する立場から個人的な意見を述べることは差し控えたい。
具体的な事件の中で判断を示すべき事柄であるので、回答は差し控えたい。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
高度な科学技術を用いたシステムの効用とリスクや社会的許容性の的確な判断は困難だが、中立公平な姿勢で双方の意見に耳を傾け、多角的な判断をするよう心掛けたい。
長期化は証人らの記憶の減退、被告人の身柄拘束の長期化などの弊害を招く。法曹三者が具体的な長期化要因を分析・共有し、改善策を協議することが重要。辞退率上昇の原因は様々だと思うが、法曹三者は、審理期間、審理・判断の難易度、心理的負担感等、裁判員の負担感を軽減するための努力が重要。
誤判はあってはならず、裁判官は、虚心に被告人の弁解や証拠を精査し、わずかな疑問点でも納得するまで解明する姿勢を堅持しなければと自戒している。
死刑制度の存廃は国民の間で様々な観点から議論されるべき問題であり、司法権に属する立場から個人的な意見を述べることは差し控えたい。
新制度の下で得られる証拠が事案の解明に効果的であればあるほど、証拠としての適格性や信用性の判断も一層慎重に行わなければならないと考えている。
法科大学院の教育の更なる充実を図るとともに、プロフェッションとしての法曹の価値に対する社会の評価を高め、需要の裾野を広げることも重要。
国際感覚を身に付け、事案に応じて外国の法制度、文化、生活様式、価値観などを適切に考慮した判断を行うことのできる裁判官の育成が求められる。
電子手続きは、裁判所へのアクセス負担を軽減する等の効用が期待できるが、当面はコストに見合う利用と効果が期待できる分野から始めるのが現実的。
うれしかったことは、1968年メキシコ五輪の年に100mで10秒の壁が破られてから49年後に日本人も10秒の壁を破ったこと。体格差を考えると偉業。腹立たしく感じたことは、歩きスマホ、自転車スマホの人とぶつかりそうになった時。本人も危ないが、相手に負わせるかもしれない被害を想像してほしいと思う。
鉄道趣味全般。古い車両に乗るのが楽しい。健康維持で始めたウォーキングは10年になり、街歩き、街道歩き(ゴールは遠い)も楽しんでいる。小学校から高校時代の恩師の中には人間形成面で重要な影響を与えてくださった方がおられ、折に触れて思い出し、感謝の気持ちを新たにしている。好きな言葉、座右の銘は、「一隅を照らす」。どんな仕事でも受けた以上責任を持って行わなければならないという戒めとして。「一度に一つずつ」(One thing at a time)。トム・クランシーの小説の中で主人公が緊迫した状況で出る言葉で、仕事が交錯して煮詰まった時の呪文として。
少し前に読んだものであるが、鎌田浩毅著「地球の歴史(上)(中)(下)」(中公新書)。地球46億年の歴史がコンパクトに記述され、億年単位の長いスパンの地球の活動の前では人類は微小な存在であることが素人にもよく分かる。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/071000146/073100007/
中学生が読んで自衛隊違憲となる憲法はおかしい:日経ビジネスオンライン
別に個人的に興味のある話題じゃないし、別に変えようが変えまいが知ったこっちゃないんだが、トップブコメは意味不明
なんでこんなんが共感得られるの?
↓これな
i誤:「中学生が読んで自衛隊違憲となる憲法はおかしい」正:「中学生でも違憲性を指摘できる組織として作ったことがおかしい」//日本では現行憲法が成立した後に自衛隊を作った。つまり自衛隊を憲法に合わせるべき。
筋トレ集団の為に日本全国に基地設置すんの?そんならアメリカにでも全部外注すればいい
そもそも変えるなって圧力がなければ、大昔に軍隊設置しますでなんの問題もなかった
今の違憲状態は必要不可欠な軍隊を護憲の圧力の中で設置しようとした結果だろうが
自衛隊が名称を変え解釈を変え今の形になったのは言うまでもない
何とか違憲にならないように工夫した
それを言うなら、なんでこんなになるまでほっといたんだってことだろ
ところで、筋トレ集団ってのは半分冗談だが、憲法に合わせた自衛隊って本当何を想定してんの?それだけは分かる人教えて
いや、まじで