はてなキーワード: ちもととは
いや、ワイも軽い方だけど搾取用の方だからさなんかシンパシーを感じちゃった。
兄は幼いころから何かと世話を焼かれるのが当たり前。
ワイはしっかりしないとと思って親に世話を焼かせないように気を付けてた。
兄が進学校に進んでいじめられていたことや受験に何度も失敗したことは母に正当化のための理由を与えた。
兄はいろいろ苦労してかわいそうだから気にかけてあげないと的なことを頻繁に言う。
ワイにはあなたは楽して恵まれていて幸せそうだからもっと負担をしてもらって当然的なことも平気で言う。
こっちもとうとう切れて帰省するたびにトラウマ返ししている気がする。
大抵逆切れされるけれど、少なくとも知らないから苦労していないと思われる状況から、知っている方になるだけましかなと思ってる。
みんな空いてるのってどうやったら塞げるんだよ 虚無感とか、それにひきずられるあの世行きたい感とかのことだよ
塞がったような気になる手段なんかどうでもいいよ そういうのはもう要らん
人とつながることが根本的な解消法のように言われるけど、それってやっぱりそんな気になっただけだよ
サネトシ先生は箱から出られないって言ってたし、シンジくんはなんどもつながった気になってそれを忘れてまた思い出すだけだって言った
その通りだと思う
じゃあもう「そんな日もあるけど明日もがんばろ☆」って毎日意気込むしかないけど、正直に言うともうがんばれないよね
がんばるってなんなんだよ がんばっても骨折したり摩耗したりするだけだよ
日々充実してる人はすごくがんばったんだと思う だからそんな人たちの事情を想像もせずに羨ましがったりなんか逆立ちしてもできない
だって、事実すごいからね すごいんだよ ちゃんとしてる人ってすごくがんばってる
でも「もう無理」みたいな、今の自分みたいな人たちもとてもたくさんいて、自分も含めてすごく救われたい その方法があればいいのにな 金かな
人と比較してしまうのは、まだ人間がのっぱらの木の実なんかをウホウホ言いながらむしって食べてた頃の名残りだって
でかい実、腐ってない新鮮な実を優先して食べるようにするためなんだって
待ち時間が空いて暇なので書く。
アラフォー女性です。6年前に卵巣癌で卵巣、子宮を摘出しました。
それ以来いわゆる悪玉コレステロールの値が上がって健康診断ではいつも注意を受ける。
癌の方の主治医の話では、卵巣を摘出するとそうなりがちだしまあしょうがないですよ、との事。
それが今年は大分下がって、基準値よりちょっと高いくらいになっていた。
何で下がったんだろう、とずっと考えていた。
食生活が変わったわけではない。
一応あまり脂っこいものは食べないように気をつけてはいたが、去年は父が亡くなり、母が病気に倒れ、自分の食生活に気をつけるどころではなくてむしろ適当だった方だ。ストレスがすごくてずっと我慢してたチョコとかも食べてた。
6年経って抗がん剤が身体に与えたダメージが和らいだのかなとも思う。5年くらい影響が残るという人もいるし。
父親寝たきりだったし、今再発は絶対に出来ないというプレッシャーが大き過ぎて参ってしまった。
で、耳鼻科の医者から「カフェインは良くない」「出来るだけ水分を多く取る」の2つを言われてそれを今も守っている。
コーヒーはデカフェ。麦茶もほうじ茶もカフェインは入っているから無印良品の黒豆茶を水筒に入れていつも持ち歩いている。
やっぱり一番の理由はそれかなあ。
黒豆茶おそるべし。
ひとつ病気になる事で数珠つなぎ式にあっちもこっちもとわるくなっていたけど、珍しいこともあるもんだ。
それとも卵巣を取ったことによる長かった更年期障害がそろそろ終わるのかもしれない。
不眠もちょっと良くなってきたし。
ひょんなことから田舎にやってきた.田舎とは言っても,コンビニまでは徒歩5分,スーパーまでは徒歩10分.
もちろん人は少ないし,周りは田んぼと森の緑に満ち溢れているが,ほどよく生活には苦労しない.街道も通っているし,東京へは電車で帰れる.そんな程よい田舎.
東京にいたときは,趣味が高じてものづくりをしていた.気づいてみれば大学も博士進学一歩手前,研究すると覚悟を決めた矢先,とある縁でここへやってきた.
最近思うのは,「やりたいこと」と「できること」は違うってこと.「やりたい!」で飛び込んだ研究の世界だったが,論文締切や学会発表は,やる気だけではどうにもならない.今更だけどつくづく感じている.
本業というのは,むしろ「やれること」で「できること」をこなしていくべきなんじゃないかと,そう思うようになったのは,こっちへやってきてひと月も経たない頃の話.
結局自分は研究ではなく開発がしたかったんだろうな〜,と思っていたところに,友人がものづくりに誘ってくれた.これまた程よくモチベーションを保ってくれている.
「やりたいこと」を諦めるのではなく,「やりたいこと」は趣味として,自分のペースで続けることの楽しみを再確認できたからである.
いつから「やりたいこと」を「やるべきこと」に,そして「できること」に錯覚していたのか...定かではない.
もともと周りに信頼されていないというか,「人から嫌われているんじゃないか?」という,猜疑心にも似た気持ちを心のどこかで抱えてきた.
しかし自分に足りなかったのは,「成功」でも「称賛」でもなく,「自然」と「人とのふれあい」だな〜,と感じさせられる.
空が開けてとてもきれい,どこか風も心地いい.町の人たちもとても暖かく,ともすればこちらに永住したいような,そんな気にさせてくれる.(現実が許してはくれないのだが...
ゆるいゾーニングされてるならそれはそれでいいじゃないかと思ってはいるが、この件そのものよりこの意見に対するオタ男の発狂っぷりヒステリーっぷりにはドン引きで今まではオタクは勉強熱心で静かな男くらいにしかとらえていなかったが、
寄ってたかって女に向かって全方位から石を投げ始めたのを見てはっきりと近寄ってはいけない危険なものと認識させられた。
ゾーニングすべきならどっちもという意見もうなずける。腐女子はむしろゾーニングを受け入れるしTLもそうだろう。
しかしそう言われたオタクはごねだす。一緒にゾーニングじゃ嫌なのだ。あれらでオナるのは自由だし別にいい。
しかしオナニーの種をどうしても公共の場に置きたいというのは、社会にオスとして自分の性欲の匂いのマーキング、スプレーをしたい、雌に見せたいという雄の欲求からくるものだとでもいうのだろうか。
雌ごときに雄が譲るのは許せないとでもいうのか。
自分が認めてもいない雄のスプレーの匂いをかぎとったら野生の雌だって毛を逆だててその場所を忌避するだろう。
選んだ雄いがいの雄は遠ざけるのも種を保存する雌の大切な仕事。性欲は本能だから尊重しろと言うなら雌のも同じである。
オタクの表現が一般人に嫌がられるのは、三次元と違って自分の現実を変えてしまいたい、現実の女をこう欲望の形にねじまげたいという願望を
絵にして誰にでもわかるように見せてしまっているという表現のかたちもあるだろう。
いずれにせよオナニーの道具を道に放り出して置きたい、排泄物を戦ってまでみんなに見せていたいという変態的な欲望はわからないものだ。
私は魔法先生ネギま!およびUQ Holder!が好きなのですが、それをTwitterで好きだと言えません。
理由は簡単。これらの作品がフェミ的にNG作品だから。そして私の相互フォローの人たちは進歩的な女性が多いからです。
別にその人たちが嫌いじゃありません。むしろ好きな人たちだからこそ繋がりを続けてるわけだし、オフでも知り合いだったりします。
みなさん素敵な人たちです。
先程もUQの新刊が発売になるというツイートが流れてきてファボりたかったのですが、付いている表紙絵が登場人物の女の子たちの入浴絵。あかん!ファボすら他人のタイムラインに名前付きで流れる現状でこれはファボれない!と言った感じなのです。
個人的には魔法先生ネギま!もUQ Holder!もエロコメの皮を被ったとても優しい物語なのですが、ガワは間違いなくエロコメなのは認めざるを得ない。
女子ファンの目から見てもお約束として女の子たちが意味もなく脱がされる姿は正直擁護のしようがないです。そこだけは。
でも!でも!
ネギまの主人公ネギ君、そしてUQの主人公刀太君をめぐる100年単位の叙事詩はとても面白いのです!
それに出てくるヒロインたちもとても魅力的です。個人的には夕映っちとのどっちのコンビがとても好きです。ネギまの頃の同じ人を好きになってしまった親友同士という関係も非常に良かったですが、UQに出てくる二人の友情すら超えた相棒である関係も好きです。それと最近のイチオシは桜雨キリヱ!いわゆるツンデレなんだけど、その能力とか過去とか役割とか葛藤とか色々と味わい深いです。早く彼女の能力が必要なくなればいい。残酷すぎるから。
しかしながら、ネギまとUQを読んでいると作家の背負ってしまう属性的なところって本人の意思だけではどうしようもないのかもなぁと思います。
正直ネギまのラカン戦の頃の熱気と人気がずっと続いていればと思うこともあります。そうすれば、女性ファンでももう少し堂々と好きだと叫べる作品になっていたかもしれない。
でも、私は本当にネギまとUQが好きです。どんな困難な状況にあっても必ずハッピーエンドが待っている。それが確信できる稀有な物語だからです。それは赤松健という作家に対する信頼でもあります。
私がネギまにハマったのはもう10年以上も前のことで、最初はその必ずハッピーエンドが待っていることに気づいていませんでした。けれども、何年も読んでいるうちに気づきます。この物語は、誰も悲しい思いをして終わったことがないことに。どんなキャラクターにも救いが待っていることに(カトラスだけは今もまだ飲み込めていないけれど)。
それは、物語という架空の世界に何かを求める私にとって、最上のもののように思えます。
ここまで素晴らしい物語なのに、好きだと叫べないことが。もっとこうであったら、なんて酷いことを思ってしまうことが。
こういう性根もあってあまり堂々とファンです!と言えないのですが、それでも好きです。魔法先生ネギま!とUQ Holder!が。本当に。
はじめてドリフェスを目にしたのは2年前くらいだったと思う。TVCMでアプリの紹介が流れていた。キラキラしてるな〜と思ったが赤い子も青い子も緑の子もどこかで見たことあるようなキャラクターだなって感じたことを覚えている。
それからしばらく経ってアニメが放送されると聞いた。1話は見逃してしまってとりあえず2話をみた。絵は嫌いじゃない。くせになる。ただ声優が下手すぎる。聞いたことない声だし誰がやっているのか気になったので調べたら俳優、しかも声優を務めている俳優でユニットを組んでいるのか。とてもおもしろいなと思った。青の人がとてもイケメンだなと思った。
3話も見てみた。2032。びっくりしてしまった。こういう話を3話でやれるんだと。続きも気になった。だけど当時リアルが忙しかったのとどうしても声に慣れなくて4話以降の視聴を諦めてしまった。
そのとき私は病んでいた。高校二年生のとき自称進学校のプレッシャーや精神的な弱りからくる体調不良で不登校になっていた。案の定進級できずに、4月から通信制の高校に転校した。アルバイトを始めてほかのハマっていたジャンルにお金を使うことで少し元気になっていた。
夏休み、8月頭の頃だっただろうか。フォロワーさんがドリフェスの布教をしていた。アニメの2期が始まるらしい。1期から見てみようかなと思いアニメイトチャンネルに登録した。いざ見直してみると声優の荒さはあるもののそこまで気にならないカラダになっていた。なんだこれ。キラキラしている。こんなにキラキラした世界があったのか。佐々木純哉はアイドルになるために高校へ進学せずに上京してレッスンを受けている。惰性で高校進学した私に刺さりまくってしまった。そしてアニメイトチャンネル無料期間のあいだに最終回まで見てみごとドリフェスに落ちたのであった。
アニメ2期が始まった。キラキラしたアイドルはそこにいて、またKFのエピソードはとてもクるものがあった。毎週更新されるエピソードに私は元気をもらい病んでいたのも軽くなり、鬱ではなかったけど抗うつ剤みたいなものだったと今では思う。
夏の終わり頃にアプリをダウンロードした。音ゲーはそれなりに楽しくてたまにドリカショップで課金もした。DCDも始めた。純哉のカートが出ると嬉しいしルーキーの子たちもとても魅力的だった。犬地鈴之助くんがすきだった。
テレビでのアニメの放送が始まった。放送後にドリフェス研究室というものをやっているらしい。見てみたら最高だった。みんなおもしろかった。純哉の声をやっているトミーがとても愉快で5人の中では1番好きになった。アニメOPのCDを買った。MVもかっこよかった。2次元寄りに応援していたけど3次元もとても好きになった。
高校三年生となると進路関係が忙しいわけで、ツアーがあるので遠征したいと親に言ったら一蹴されてしまった。東京は近かったがセンター試験直前だったためダメだと言われた。パシフィコ横浜だけ行けることになった。
ツアーファイナル、サイコー超えてた。始めて生で見た3次元のステージ。キラキラが溢れていて涙が止まらなかった。
終了が発表されて緊急配信を見た今、原因はお金かアミューズとバンダイの契約なのかわからないけれどこの半年間私の心を支えてくれた感謝ともっと早くからドリフェスにハマっていなかったことへの後悔しかない。決して私が出せたお金は多くなかった。アプリへの課金が少しとDCDはカード100枚あるかないか、CD数枚は買ったが、クロスドリームツアーは行かなかったしアニメの円盤も買わなかった。グッズを大量に集めていたわけでもないし、3次元のキャストをドリフェスの活動外で追うこともなかった。本気でドリフェスを追っていた人たちからしたらムカつくのかもしれないが、これが私の精いっぱいだった。今まで他ジャンルに入ってたお金がドリフェスに流れたことは確かであり私はこの使ったお金に後悔もしていない。
2次元が先に停止することには本当に疑問しかない。武道館に行きたいとは思うが、アプリが終了してから当日まで気持ちを保っていられるかわからない。3次元のイベントをやる日のアプリの特別ボイスがとても楽しみだった。武道館はきっとそれがないのだろう。
「応援をありがとう!ほんっとに、俺はアイドルになれてよかった!」
自分の応援しているアイドルに、アイドルになれてよかったって言われることはファンをしていて1番の喜びなのではないだろうか。もっと応援していたかった。好きだった。
まだ凸バクぜんぶ開けられてないがキャンブロ欲しいので通常楽曲やるしかなくて本当に苦しいけど残された時間を精いっぱい楽しみたいと思う。
例えば待機児童問題なら「幼稚園をこども園(保育園)化してワーママの子を優先的に入園させる(その分専業の子は入れなくなる)」って方策がとられてて
専業から反発くらってるけど、そりゃ当たり前のことでしょ。
幼稚園ってのは教育施設なわけで、「赤の他人の子の為に自分の子供の教育を犠牲にする」事に納得出来る親がいるわけがない。
ワーママからしたら「こちらは入園出来ないと失業して収入激減するんだよ!専業はどうせ暇な癖に!」となるけど
専業からしたら「何で赤の他人の金稼ぎの為にうちの子が犠牲にならなきゃあかんねん!収入激減してるのはこっちもとっくに同じだ!」になるだろ、そりゃ。
あと仕事で中国人に何人か。他にはよくいくほか弁もスタッフ全員中国の人だ。
親切だし丁寧だ。
見た目まで爽やかだ。
遺恨や気に入らないことなど何一つない。
でもなんかこう
和やかに話していても、仲良くなれない変な抵抗感?膜?を自分の中に感じてしまう。
個人のつきあいに領土だの歴史だの持ち込むほど政治厨じゃないし
話をしてる時にそんなこと全く思い出さない。
仲良く話をすればするほどなんか通じないもどかしさが嫌なのか?
同じテレビや芸能人や事件を知ってるような共通体験のなさが案外大きいのか?
わかって欲しいが別に外国人を憎んでるとか怖いとかではないのだ。
ただこれぐらい付き合ってたら普段なら湧く親近感が彼等相手にいまいち湧いて来ないのだ。
逆にこの体験を通して、自分が別に好きじゃないやつにも親近感を持ってることに気付いた。
なんか敵意を感じて嫌な奴だなとうっすら思う相手ですら、自分はつきあいが長いとそれなりの親近感を持っていた。
そういうのが親切で爽やかで優しい中国人の先生相手にはいまいちうまく発生しないのだ。
ちょっとでも甘えを見せるとブチキレてくる恐ろしい日本人パーソナルトレーナーにすら親愛の情を持ってるのに。
別にそれがなくてもつつがなく付き合えてるからいいっちゃいいのだけども。
自分の心はどうなってるのだろうか。
書きながらいま思いついたひとつの仮説だが、
相手ばかりに頑張らせるので、自分からコミットする部分が少ないことで、親愛の情が発生しないのではないだろうか?
相手に尽くされるより相手に尽くすほうが恋愛感情が湧くとかいうしな。
いやどうだろう。違うかな。
どう思う?
https://www.nasnem.xyz/entry/incorrect-comprehension-test
http://mubou.seesaa.net/article/453754579.html
どっちもとんちんかんなことを言っているので、この問題について解説。
1「輸出が伸び悩む中でも、和牛が人気の牛肉や、和食ブームを反映した緑茶や日本酒などは好調だ。」
2「輸出が伸び悩む中でも、和食ブームを反映した日本酒や緑茶、和牛が人気の牛肉などは好調だ。」
1と2を同じ意味に解釈することはできますか。と問われればイエスだが、全く同じですか。と問われればノーだ。
同じ意味に解釈したときの文章構造をJSON風に表記するとこうなる
輸出が伸び悩む中でも好調だ : [ { 和牛が人気の : ["牛肉"] }, { 和食ブームを反映した : ["緑茶","日本酒"] }, "など", "など", "など", //以下任意のなどが続く。"など"の中身はなんでも良い ]
輸出が伸び悩む中でも好調だ : [ { 和牛が人気の : ["牛肉"] }, { 和食ブームを反映した : ["緑茶","日本酒","など","など","など",] //以下和食ブームを反映した"など"が続く }, ]
2の文と同じ意味の文はどれですか、と問われれば1を選ぶが、
別に漫画でなくとも創作ならなんでも良いんだけれど、多い。漫画は特に多い気がする。
「結婚」を物語アイテムとする場合、ハーレム系ストーリーなら『結婚=最終回』は良いのだ。
なぜなら『あっちもこっちもとつまみ食いをして幸せだったけど、一人の相手と添い遂げる覚悟をした』ということで結末を迎えるのだから。
でもそれ以外の系統の作品で結婚ゴールをされるとポカーンとしてしまう。
これは少女漫画に多い話、というわけではない。少女漫画は1話で結婚してる場合もあるし有名どころで言えば『いたずらなkiss』なんかは物語中盤で結婚し、そのまま続いていく。
「むかしむかしあるところに可愛らしい子が居ました。やがて成長し、立派になって結婚しました」
っていう終わり方をする話は、ある種の古典と言えるかもしれない。ディズニープリンセスなんかもそうだ。(最近は違ったりする)
だから「結婚」は物語の終焉を指す、という方式が自然と浮かぶのかもしれない。
にしても、WHOの国際基準では高齢者とは65歳以上だ。この高齢者基準も相当古いと思われ、戦後日本の寿命くらいなのでそのうちもっと引き上げられる。
とりあえず平和なとこに暮らしそこそこ健康な人が80歳まで生きるとしよう。
漫画などの結婚年齢が20~30の間だとする(感覚的にはそれが多い。そしてそれもまた最近の感覚だと若い)。
50年以上、その人は生きるのだ。
結婚してゴールしてしまえば物語は終了するのか。いやもっと長く先に物語は伸びているはずだ。
勿論描き方にもよる。身寄りのなく寂しい人が人間的に苦悩し成長し見つけた運命の相手との結婚で終焉。「家族になった」オチ、人間ドラマがあれば良いと思う。
でもバトル漫画の終焉が結婚子供エンドとか、それがまた少年誌だったりしたら、本当にそこが人生の墓場みたいに子供に思わせては居ないだろうか。
多くの週刊漫画家は結婚して頑張って連載続けてるっぽいので、むしろ結婚してからがスタートだ!みたいな人生を過ごしていると思うのだが…そのオチを描いてて違和感はないのだろうか。
少女漫画にもこれは言える。結婚がゴールのような漫画も多くある。でもその主人公が望んでいるのは結婚した未来のはずであり、絶対ゴールでは無いと思うのだ。
いやでも結婚したら描くことないじゃん?って思う人も居るかもしれない。
こんなのがFacebookに流れてきたので勢いで書いてしまった。
なんかもったいないので、増田にでもメモ代わりに流そうと思う。
■YES
■NO
どんな科目でも生活に直結してるといえます。直結というより、きっかけが正しいかもしれません。例えば、国語であれば漢字の読み方、読解力でこうやって文章が書けます。理科で原発事故について学びました。まさか習った後に、3.11が起こるとは思いませんでしたけどね。
どの科目も、中学の時にもっとしっかり勉強しておけば素晴らしい大学に行けたと後悔していますが、特に英語は大切です。自分はプログラミングをしていて、英語が読めたり話せれば、もっとプログラミング力を伸ばせていただろうと思っています。英語はやっておいて損はないです。ちゃんと単語を覚えましょう。きっといつか絶対に英語は役に立ちます。
勉強なんてしなくたって生きていけます。ただ、勉強が出来れば絶対に勉強ができないよりも、幸せになれます。行きたい大学に行けます。人生の選択肢が広がります。それに気づくのが遅すぎました。
好きな科目より、嫌いな科目を伸ばすことの方が簡単です。自分は社会科が好きで、必死に勉強しました。そして、センター試験で現代社会を84点取りましたが、苦手な数学、英語は惨敗。もっと嫌いな科目を重点的に勉強するべきだったと終わった後に気付きました。別に嫌いな科目は嫌いな科目のままで良いと思いますが、それが苦手なままだと人生の選択肢が減ります。そういう社会です。手遅れにならないうちに、ちゃんと基礎中の基礎から学びましょう。高校のときに、中学の勉強の大切さに気づきます。ただ勉強するのではなく、ちゃんと将来まで覚えていられるよう、ちゃんと忘れずに勉強しておきましょう。いくら勉強をしたって、忘れたら意味がありませんよ。あとは、身の程に合った高校に行くように。高校になれば、勉強はもっと難しくなりますよ。世渡り上手な推薦という方法がありますが、自分は絶対におすすめしません。学力が低下し、上に書いたとおり選択肢が狭まります。人生を生きていく上で大切なことは、いかに選択肢を広げるかです。嫌いな科目は嫌いな科目のままでいいですが、苦手な科目は絶対に無くすように。人生の負け組、反面教師より。
学力がお察しで、学科だけで選んだけど、結局やりたいことが学べない学部だったことに後で気付いた。
もう早く大学を辞めたいと思ってる。自分の大学は本当につまらないよ。
底辺なので周りのレベルも底辺。中には出来る人も居るけど、ゲームやアニメの話ばかりで話が合わないや。
もう馬鹿みたい。涙が大量に出てきた。
っていう奴で。
『アクメツ』じゃねーか。って感じだけど。
なんでそんなことするのかっていうテーマがナカナカに感動した。
貧乏な生まれで、援助交際したり、虐待されてるの見ても見ぬふり、父親にバイトの金取られるなど嫌な団地から抜け出したいなあ。みたいな描写から。
援助交際して生きるのが辛い、金に殺されちゃうから、そういう実況しますみたいな。
なるほどなあと。
なんで俺はリア充っていうか、チャライのりが嫌いかって、これなような気がした。
宮沢賢治が、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」みたいなこと言ってたけど。
これだよなって。
リア充のノリって、どーしてもスクールカーストだの、恋愛至上主義だの、勝ち負けの上で成立している。
そういう気持ち悪さを、なかなかスカッとさせてくれているように感じた。
つーか、『シマウマ』って漫画もこの漫画家が描いてるけど。そっちはもう少し理不尽な暴力だけど。
そっちもとても好きだったしなあ。
やっぱ、リア充大嫌いだわ。
俺はロリコンではないが、常々思うことはカワイイの限界はやっぱり15歳にあるということだ。
それ以降はキレイになっていくか、もしくは化け物化していくしか道は残されていない。
花でさえ咲いてしまえばキレイであり、カワイイのはつぼみまでなのだ。
咲いてまでカワイイにしがみつこうとすれば、それは当然擬態に過ぎず、カワイイではなくカワイイっぽいにすぎないということだ。
そもそも女性がキレイになるなんてことは何よりすばらしいことではないか。
そうして円熟した果実になり、実を落として残る枝のたおやかなる美しさすべてを合わせて女性の美しさといえるのだ。
もともとがカワイイことが評判だったとはいえ、ファンも本人たちもとっくに迎えた限界を知らぬふりしているような集団に引きづられることはないのだ。
015-06-27ブログ記事のコピーと右クリック禁止でパクリ転載防止する方法トップ >ブログ運営ブログ記事のコピーと右クリック禁止でパクリ転載防止する方法右クリック禁止とコピー禁止のCSSを紹介します。これでブログの記事をパクられた。画像を勝手に利用された、というのが多少防げる。まあ著作権法違反は親告罪なので探して、訴えないといけないけど、その手間は多少減るでしょ。ビックするほど情報リテラシーが低いのでこの程度でめんどくせってなります。CSSでテキストのマウスドラッグでの選択とコピー禁止CSSのエリアに以下内容を記述することで、テキスト選択とマウスのドラッグを禁止してコピーを防止することが出来ます。body{user-select:none;-moz-user-select:none;-webkit-user-select:none;-webkit-user-drag:none;-khtml-user-select:none;-khtml-user-drag:none;}下書いたのに実際にやってないwwあれ?いれた?まぁ、あとで削除しとこまあちなみにこのブログで採用しているからコピー出来ないから簡単にできないよ!!って人いると思います。CSS解除して出来るようにするのが優しさだと思いましたが、めんどくささを体験してもらうためにそのままにします。そのうちもとに戻してるかもね!コピペさせてよ!という人向けにはてなブックマークに書いといたのでそこからコピーすればいいよ。ちなみにこれはFirefoxとsafariとGoogleChromeで有効で、あの憎きIEには通用しないので別の対処方法を入れます。あと右クリック禁止はこれだけだと出来ないのでそれもあわせて対策ちなみにはてなブログでスマホとPCのデザインをわけていると、PCの デザインCSSに入れてもきかないっぽいので、細かいこと角のめんどくさいので適当にスマホ用のデザインページで<style></style>でくくってフッターにでも突っ込んでおくといいよ。それでとりあえず使えるからJavaScriptで右クリック禁止でコピーを禁止する右クリックで画像保存などができるので、画像保存禁止対策とインターネットエクスプローラー通称インターネットをみるやつの対策をジャバスクリプトでテキストのコピー禁止対策をします。<body></body>の間に以下のジャバスクリプトを記入<body oncontextmenu='return false' onselectstart="return false">はてなブックマークにコメントで書いといたのでそこからコピーすればいいじゃない!これで右クリックの禁止とIEでテキスト選択とコピーができなくなります。はてなブログならフッターエリアにでも突っ込んでおけばいいと思いますよ記事を引用コピペしたい場合IEでジャバスクリプトをオフにするまあジャバスクリプトはオフにすれば回避されますが、どうせコピペしてパクるような人は、その程度の情報リテラシーなのでほかのサイトに行ってコピペすると思います。世の中の記事はだいたい誰かが同じようなことを書いているものです。調べればなんでも分かるのはそのおかげですし。普通に引用したい人はIEでジャバスクリプトをオフにするか、ソースコードからコピペすればOKです。はてなブログはRSS全文配信なんでRSSからコピペできるはてなブログの場合は、パクりたいブログ記事をRSS登録すれば、RSS経由で記事を全部一気にコピペしてパクって転載することが出来ます。何でそんなの紹介するの?と言われそうですが、どうやってぱくった!!アップした瞬間にどうやってと思う人が出てくるからです。RSSからパクられないようにするには全文配信のはてなブログをやめればいいんですよね。ある程度ユーザー確保したら、WordPressあたりに引っ越せばいいんじゃないですかね。これで対策はできます。そもそもやだ!ぱくられたくない!と最初から思う人ははてなブログ以外を利用するという選択も必要ですね。パクるのをめんどくさくさせて他でパクってもらう対策ですね結局はパクられる対策としては、めんどくさい、なんかちょっとやばいかもと思わせて自分のブログでパクられる確率を減らしておけばいいんです。コピペ出来る方がそのサイトでわからないことがあったらすぐに検索できるからやらない方が便利よ。これやると、引用して言及してくれる人とはいなくなりますので、まぁ、いちいちやらないくてもいいとおもいます。今回は試しにこんな方法もそういえばあるよって感じで紹介。記事がパクられたら楽しんで記事ネタにしてストレス発散キュレーションメディアやバイラルメディアでパクられるのは、まあよく言われる有名税的な感じで仕方ないわ的な感じです。親告罪だしみつけだすのめんどくさいし。もし見つけたらそこで怒るよりも、パクられた時に楽しんで、このサイトにパクられた~!記事ネタ増えた~!やったね、試しに少額訴訟でも起こしてみようとか、プロバイダやキュレーションメディアなどに情報開示請求してみた。とかそういう遊びをして見るといいと思います。パクった人じゃなくて、ブログサービスなどを提供している会社やパクリメディア本体に集団訴訟してみた。とか遊べばいいんじゃないんですかね。テキストなんて海外で英語翻訳されたらもう調査するのも大変だし。100%防ぐのは無理ですからね。死んでから国ごとによって違いますが著作権なんて切れたら無料で使えるようになるし。あまりイライラしてもしょうがないです。まあ著作権は権利者の保護と文化の発展の両方の意味合いがあるので、文化に貢献した!とか思っておけばいいんじゃないんですか。
27女です。
誰も興味ないかもしれないけど、思うところを書いてみる。
自分となるといろんなことが茶番に感じて抵抗あったし同棲期間も長くて、今更結婚式するのなんて面倒!と夢のない事考えてた。
遠方の親戚に挨拶に回るのが面倒だから結婚式したほうが一度に親戚に挨拶出来て楽って話はよく聞くけど、
考えるうちに、どこかで親に対しての一区切りというか感謝を伝えたいという気持ちが芽生えてしまって地味にでも何かしたいなって思った。
家で手紙読んで花束渡すのもアリだしお金もかからないけど、今更と照れくさい。
■フォトウエディング
フォトスタジオや街でドレスや和装で写真をとって記念にするパターン。
訳あり婚(?)とかおめでた婚の人も多そう。
ただカメラマンの指示で見つめ合ったり手でハート型つくったり、
出来た写真を家に飾るのも、誰かに見せるのにはとっても抵抗が・・・
the結婚式っていう白無垢の古風な写真を残しておきたい気持ちは多少ある。
■二人だけでの挙式
もしくはハワイとかビーチリゾートでハネムーン兼ねてってのもコスパがよさそう。
でも二人で式ってところがまずピンとこない。贅沢な旅行という感じ。
■身内だけで海外挙式
まぁ楽しそうだけど、父母が若くないので海外挙式なんて想像がつかないし合わないというか。
費用的にも旅費を一部~全部負担したりご祝儀を遠慮したりあるだろうし
親戚を呼ぶなら仲の良い友達を呼びたいから、どっちもとなるとハードル高め。
■家族で挙式&お食事会
これは結構本気で考えた。最近多いらしいいわゆる地味婚。神前式もいいな。
でも親戚が遠方だと、時間をかけてわざわざ来てくれるんだから良いお料理で、お色直しもしたほうが良いだろうし、間を持たないから司会者もプロにお願い・・・
となると普通の披露宴と同じような金額になっていきそうな予感もしたし、
なにより旦那になる人が『友達呼びたい』と言ったのが親族だけっていう式が選択肢から消えた理由。
費用を惜しまずに親戚だけで料亭なんかで挙げたらアットホームで良い式になるだろうけど。
挙式に呼ばなかった親戚や上司を招待するならあるていどフォーマルにしないと失礼そうだし、
逆にフォーマルにしていくとどんどん披露宴のようになっていく。
会費、立食or着席、遠方からのゲストへのお車代、お色直しの有無、引出物の有無・・・
こういうのは、主催するカップルのリア充具合(人脈や雰囲気、プロデュース力)があって初めて楽しめる感じ。
『会費』というところで逆に失礼にあたったり?料理と金額のバランスも悩みそう。
遠方で呼ばれた人も困るだろうし。
北海道だと会費制が普通っていうけど1.5次会がもっと全国的に当たり前になればいいのに。
なんて事をぐだぐだ思いつつ、式場見学に行ったらあれよあれと一般的な挙式と結婚式の組み合わせに落ち着いてしまった。
しかもドレス試着したら意外にもテンションがあがってウエディングハイになりかけてる。
アメブロでもやろうかな。