こんなに伸びた増田は初めてだ。
性別を特定させない表現を敢えてしたけど、自分のことを女(姉)と見る人が結構いたのは予想外だった。
正解は兄でした。
もう妹へ何か言ってやりたい気持ちもない。
旦那含めた本人たちと顔を合わせてきたら変な気は起きなくなった。
旦那はズボラな感じが妹に合っていそうだったが、仕事のことを聞くとちゃんと子育てできるのかと別の心配が出てきたがもう何も言うまい。
結婚式はカメラの撮影をお願いされているので、素人なりに思い出に残るいい写真を撮ってやりたい。
今にして思うと、妹の報告は親戚で集まったときに突然言われたことで、事前に自分に対する報告がなかったことへの苛立ちだとか、
あるいは長年生活を共にしてきた人間の意外な一面を垣間見た衝撃とか、色々な要素があってのあの増田だったのだろう。
自分は思ったことは言わないと落ち着かない性格なので、こうして増田を使ってうまく気持ちの整理ができたのは良かったと思っている。
うちの場合。
だから「お皿の洗い方が悪い」とか「昨日掃除したからいいじゃん」とか、その辺の価値観が根本的に合わない。
それで消耗したくないから即離婚とかくだらないことも言いたくないので、ルールをひとつ決めている。
ズボラな方は「自分は平気だけど、相手は汚くて嫌だろうからキチンとする」ことを心がける。
潔癖な方は「自分は我慢できないけど、相手は少し汚くても平気だからうるさく言わない」ことを心がける。
それで家事も役割分担とか決めないで、「できるほう」がすることにしている。
ゴミ出しやお風呂掃除は誰がやると決めないで、とにかくやろうと思った方がやる。
できれば週末などにやるべきことはタスク化してホワイトボードに書いておいて、終わったら消していく。
予定などもホワイトボードの週間予定表などで共有すれば、仕事でどちらが忙しい時期なのかわかりやすい。
つまりこれで物理的に忙しいことがお互い見えないせいで起こる無駄な諍いがなくなる。
どちらがやっても家のことは家のことに変わりがないので、「どっちが」「誰が」にはこだわらない。
これはお互いの気遣いスキルと信頼関係がそこそこあるから出来ることだと思う。
最後に、お互いのしてくれたことにはひとつひとつ感謝をすることがこのシステムを続ける秘訣だと思っている。
夕飯を作ってくれたとかお風呂掃除をしてくれたとか、そのひとつひとつがサプライズプレゼントだと思うとまた相手のために気持ちよく生活できるようなことをしてあげたくなる。
家事はどっちがどれだけやったという総量より、どれだけやらない相手のために動けるかという度量も互いに試されているね。
父親がアスペだ。
昔から「おれはアスペなんだよー」と言っていた。父親は良い大学を出て良い企業に入っているのでそれは冗談だと思っていた。
空気が読めない→友達が少ない、同じことを何度も言う、1つのことに異常に固執する、なんか変人、まさに父親そのものだった。
約束には必ず遅刻する、いつも締切ぎりぎり、空気は読めて交友関係が広い、部屋が汚い、極度のずぼら、腹が立ったら我慢できない
診断はされていないし、本人に言ったら笑い飛ばされるだろうが確実に不注意優勢ADHDだと思う。
オーストラリアに行った時にホームステイ先がこれだった。びっくりしたので他のオーストラリア人に聞いたけど綺麗な水で洗い流すという人はいなかった。なんでもシンクに水を張り、洗剤を適当に入れてその中に洗い物を入れ、スポンジでこすって乾かすだけだそうだ。汚くないのか聞いたが「汚れは残らないし洗剤は無害だから問題がない」らしい「でも日本では……」という話をすると「……神経質すぎでしょwww」と逆に笑われてしまった。
いいことを聞いた。ズボラな僕はさっそく実践してみることにした。万一他人に文句を言われても「はあ? オーストラリアではこれが普通だしー。神経質すぎでしょww」ととぼければいい。
実はたいていの合成の台所用洗剤はそもそも薄めて使うものである。ウソだと思ったら洗剤の裏を見よう。ちゃんと薄めるように書いてある。うちので1リットルに小さじ1だ。タライに3リットル入るとして大さじ1が適量となる。
コツとしては、明らかな汚れは事前にキッチンペーパーなどで取り除いておくことだ。また炒めものをしたフライパンのようにギトギトしたものは別にして最後に洗う。
洗い方は簡単で洗剤水のなかでスポンジでまんべんなくこするだけ。指でキュッと音がすれば汚れは落ちている。例えば皿ならそのまま引き上げて立てて乾燥させる。コップは水切棚の網状のところに伏せる。複雑な形をしたものは軽く振って水を払うといい。水切れがいいので思ったほどタライの水は残らない。たとえば次にコップで水を飲む時に水が泡立つというようなことは一切ない(泡立つなら水切りが足りないか洗剤が濃いのだ)。
それから洗ったものを指でこすってキュッっと言わなくなったらその洗剤水は限界なので捨てて新しく作りなおす。
うちではフライパンの持ち手がどうしてもキュッとならないので別洗いしている。だが鍋部分はテフロンだから上記の方法だ。しばらくやってみているが水や洗剤の節約にもなるし、洗うのが断然早くなる。不潔さも感じない。ズボラな人にはお勧めだ。ただし合成洗剤は毒だと信じこんでるロハスな嫁や友人に提案すべきではない。
実はこの方法は俺が高校生のころ飲食のバイトでもしていたことがある。その時はタライではなくて大きなシンクが2つ、1つが洗剤が入ってるやつでもう一つがすすぎ用だ。洗い方は同じで洗剤水の中でスポンジでこするだけ。その後一瞬すすぎのシンクに沈めてから干すのが唯一の違いだ。「さすがに擦っだだけで干すのはちょっと」という人はこのすすぎ水方式も検討してみるといいだろう。多分食洗機がない外食産業(特に屋台)なんかは今でもこれだ。外食でそういう食器で食って平気なんだから家で食っても平気だって。
4年前、当時の彼氏(Aさん)が私に隠れてTwitterをやっており
その中で元カノの事が忘れられない旨が書かれてて、許せなかった
そんなある日、会社の先輩(Bさん)に口説かれて、Aさんと別れた。
その後すぐにBさんにやり捨てされた。
1年間フリーだった。
理由は、仕事で彼を評価しておらず、なんとなくだらしない人に思っていたから。
その後、数ヵ月アピールされ、その気持ちが嬉しくて付き合った。
その後、やはりズボラなところや女性関係、金銭関係のだらしなさに直面し、結局苦労して今にいたる。
CさんもBさんも悪い人ではない。
Cさんの事は今でも好きだけれど…。
AさんのTwitter事件を当時、許していたら今もっと苦労せずに済んでいたのかなと思っている…。
もっと、Aさんのことを大きな心で見られていたら…。
Twitterで本音を書きつつも私に優しくしてくれたAさんのことが忘れられない。
Cさん、ごめんね。
Aさんと、もう一度会って、下らない話をしたいよ。
[ト・タル][文][形動タリ]
1 虫などがうごめくさま。
「―として御玉杓子 (おたまじゃくし) の如く動いて居たものは」〈漱石・趣味の遺伝〉
2 おろかで無知なさま。また、そうした人が秩序なく動きまわるさま。
「―たる凡俗の徒輩」〈谷崎・神童〉
【閲覧は自己責任で】
サラリーマンは小遣いが貴重だ。
子供が夏休みに入ると同時に弁当をこさえることをやめてしまう嫁から、その代わりにと500円ばかりの昼食代を援助してもらっている。
学生時代から昼食代を切り詰めては遊興費に回すことは得意だった。
最近では家にある冷凍ご飯を持ち出し、コンビニのレトルト惣菜とインスタント味噌汁や粉末スープで300円前後に抑えるのがマイブームだ。
会社のレンジとポットを使えば、温かいスープと主菜、さらにサラダまで楽しむことができる。
個別の皿に盛られて出てくるだけで3倍はかかると思うと、最近のコンビニはランチ産業までをも脅かしているに違いないとよく知りもしない畑の心配をしていた。
以前からもコーヒーはインスタントで楽しんでいた。缶やペットボトルなんぞは外で飲む以外に買う理由はない。
これらすべてを100円ショップで買ったどんぶりとマグカップで楽しんでいる。
ずぼらな私ではあるが、ここで使い捨てを選んでは元も子もない。
ランニングで考えれば洗剤のほうがはるかに安価なのは考えるまでもないことだ。
コーヒーの水面を揺蕩う湯気は、自分の経済観念を讃えているかのようだった。
そんな私だが、コーヒーと砂糖をすくい取るスプーンを入れるカップだけは使い捨てを使っていた。
濡れたスプーンはカビの原因になる。
そのためにすくい取る専用の乾いたスプーンを用意しておいたのだ。
そのスプーンを瓶に刺しておくのも棚に直接おいておくのも憚られたため、汚れたら捨てれば良いとプラスチックのカップを用意したのだ。
もともとがずぼらな私だけに、我ながらいいアイデアであると感心していた。
コーヒーやスープなどが置かれた棚に並ぶように、一枚のタオルを半分に折りたたんで敷いた上にそれら食器一式は置かれている。
洗ったのちの乾燥もそこで行っていた。
四六時中パソコンのモニターとにらめっこしては、そこに現れる問題点を潰していく仕事だ。
正義感も罪悪感もなく、ただただ単調に害虫を発見しては潰していくのだ。
そんなちまちました作業には、自律神経を緊張から開放させてくれる温かいコーヒーが不可欠だった。
さて、午前のノルマを終え優れた経済観念を楽しもうといつものように逆さに向けられたどんぶりを手にした時だった。
何の気なしに、安物と言えども丈夫な作りをしてくれているなぁとどんぶりを覗きこんで見たのだ。
そこで私は、クリーム色の陶器に反射する蛍光灯の光を遮る何かを見つけてしまった。
目を凝らして見ないとわからないほど小さな、それも一つではなく、数個の、どんぶりの色によく似た白い個体が、陶器に足を滑らすでもなく、自由自在に動きまわっていた。
蟲だ。
急いで流しに駆け寄ると勢い良く水で洗い流し、半ばパニック状態になりながらも洗剤も使って念入りに洗い直した。
動くたび鳥肌が衣服に触れ、まるで小さな蟲が体中を蠢くようなかゆみに耐えながらふと疑問が頭をよぎった。
「いつからか?」
普段ならどんぶりの中など気にもせず、レトルト食材を袋からどんぶりに移してレンジにかけていた。
ラップに包まれていた温め終えたご飯をどんぶりに加え、さらにサラダまで盛りつけて食べていたのだ。
加熱処理をしているから問題ないという言葉が一瞬浮かんでは見たが、それがなんの慰めにもならないことに気づいてかえって苛立ちは増して行った。
そんなことを考えながら食器の置かれていた場所に戻ると、コーヒースプーンの入ったプラスチックカップが目に飛び込んできた。
そこには、カップの底にわずかながらの、しかし暫くの間放置されたであろうコーヒー豆と砂糖のカスを見ることができた。
やつらはどこからかこの匂いを嗅ぎつけ、時間をかけてここに仲間を呼び寄せたのだ。
コーヒーはかれこれ半年ほどこうして飲んでいる。食器を買い込んで惣菜で弁当を食べ始めたのはここ1ヶ月くらいの話だ。
よもや期せずして昆虫からのタンパク源摂取の臨床実験を成功させていたとはなんという皮肉。
夜寝る時、布団で寝ない。
テレビやらビールやら本があるリビングのソファーで寝てしまう。
そして嫁に朝、怒られる。
今までは、めんどくさいとか、ずぼらだとか、疲れてるからとか思っていたけど
どうやらそれは結果であって原因ではない気がしてきた。
そのときの心理を考えてみると
↓
「朝がこないでほしい」
↓
「寝てしまうと朝がくる」
↓
「出来るだけ夜を長く過ごす」
というものだ。
そして出来るだけ夜を長く過ごすつもりが
そして当然そこは布団でなく、テレビやら本が近くにあるソファーなのだ。
これはアルコール依存、薬物依存などの依存症に近い状態なのだと思う。
ただの身体的疲れでなく、精神的な疲れが大きく影響しているのだ。
連続飲酒、パチンコ通いその延長にソファー寝があるのだと思う。
だから嫁よ、いたわってくれ。
最近「年収1,000万円あるのに、預金が数十万円しかない」、
或いは「年収1,000万円なのに、借金抱えている」みたいな記事が相次いでいる。
http://president.jp/articles/-/15222
http://www.nikkei.com/money/features/32.aspx?g=DGXNASFK17049_17122012000000
自分の大学時代の友人とか、職場の同僚も、ほぼ年収1,000万円プレーヤーが多数だが、
プライベートな家計の話は、あまりしたことないので、他の人の家計がどうなのか、イマイチわからない。
が、1,000万円な人って、そんなに浪費しているのか?
プレジデントに出ているような家計の人(預金が100万円未満、ないし借金)って、
1,000万円プレーヤーの中ではごく例外(10%以下)じゃないのか?
年齢にもよるが、年収1,000万円な人の過半数は、預貯金が3,000万円以上はあるんじゃないかな?
(そういうデータ、誰か持っていないのか?)
「ごく一部の例外的な浪費家の事例」を、さも「年収1,000万円層の代表例」と誤認させ、
「年収1,000万円な人って、案外、経済観念がズボラなんだな」と(年収1,000万円未満な人に)誤認させるような
元増田っす。
「おまえは料理上手とは言えないけど、献身的だし性格とか含めて大好きだから気にするな」
と言ったのですが、やっぱりどうしても胃袋を鷲づかみにしたいと言うので、
俺が料理上手だと思う水準について説明したら、
いやー、よかった。
その後は気が済んだらしく、元に戻りつつあるけど、
良かったです。
結局何が問題だったのかというと、料理のテクニックというよりは、
一手間かけられるかどうか、という部分。
これができずに、ずぼらな料理だったのがネックだった模様。
少しだけ手間をかけようと意識するだけで、かなり変わりました。
今では、特に以前と変わりませんが、本人はもう胃袋の件は
もともと眼鏡酔いがひどい方で、眼鏡を掛けてPCの画面を長時間見ていると目が痛むほどだった。
昨年、金銭的に余裕が出来てきたので、思い切ってコンタクトレンズを装用し始めた (ズボラなので一日使い捨て以外使う気がしないんだけど、年に8万円くらい必要)。
眼鏡の欠点は、周辺部の景色が歪んだりフレームの外側がぼやけているせいで、目線を動かしすぎるとくらくらすることだと思うのだけど、コンタクトレンズはこれらを見事に解決してくれた。おかげで悩まされていた目の疲労感から解放され、晴れ晴れとした気分で過ごしている。
ところで、コンタクトレンズを着け始めてから思わぬ副作用があった。それは、女性の同僚たちが僕に向ける態度がやけに柔らかくなったということだ。明らかに、以前と比べて、にこやかな笑顔で接してくれる。休日に、街で彼女らに偶然出くわす (というか、向こうが見つけて声をかけてくれる) 頻度も増えたような気がする。
眼鏡装着時のいかにも根暗な雰囲気のせいか、それとも眼精疲労で目つきが酷いことになっていたせいかは分からないけど、やっぱり人は相手の見た目で態度が変わるのかな、と思った2014年だった。
だんごといいつつ、かぼちゃのすいとんが正しいのかもしれないけど、昔からこう呼んでるのでこれで。
すごく地味だけどたまに食べたくなるくらいには好きなので、どこかで誰かがハマってくれないかなと思ってメモすることにした。
ところで冬至にやればよかった……。
かぼちゃは1/4カットでもいいけれど、ある程度量がないとだんごを煮られないので1/2カットを使用している。
この分量で1.2Lの片手鍋に3/4くらい出来る。
小麦粉の量も実はお好みで。わたしはだんごそこそこ多めが好きなので小麦粉のだんごは多めに作ってる。
すいとんと違うのは、どちらかと言えばおやつっぽいのと、だんごを伸ばすところ のような気がする。あと生地がべたつくくらいのものを伸ばすから?
指で取って、団子の自重で下にびよーんと伸びるのを、手で横にも広げてあげるとうまくいく。
あと小麦粉が少し溶け出すんだろうけど、かぼちゃの部分もちょっとぽってりするので、かぼちゃを煮る水は少し多めでも。そして小麦粉だけなので茹で過ぎるとドロッドロになったりする(やった)