はてなキーワード: nycとは
実際クオモはジャーナリストの兄弟の演出で無能なのにあんなに評価されている。
自分の動画への初見時の評価は、「おじさんだっせ」「犬いるのか」「それはいらんやろ」だった。
しかし暫くすると、ぶりぶり怒る人が続出した。
そして星野源の出した声明に対して「星野源がアベを切り捨てた痛快痛快」、
「星野源がアベに日和った!俺らと共にアベと戦え!」という全く正反対のもの。
どれも、なんでそんなに怒ることかね?という印象。
前述したように政治家としての働きを見せるのが正解。
あと犬派じゃないから他人の犬見ても別に嬉しくない。犬派ってそういうとこあるよね
「星野源はアベを切り捨てた」「星野源はアベに日和った」については
シェア素材を発信する側はそれを止める義務も責任も権利もない。
そして「切り捨てた」派のほうが反応としてはまだ少し正しい。
会社から徒歩五分ほど。最近オープンした雰囲気で、オモテに大きめの水槽がある海鮮居酒屋風の店。
どれも850円。
スタッフは、店主と思われる20代後半ぐらいの茶髪の男性がキッチンに1人
全員カラーのロングヘアで、髪留めとかもなし。
お釣りを渡されるとき、手が触れないように高い位置から落とされました。おじさんは悲しい。
店名の入ったお揃いのTシャツを着用。
店員同士でずっとおしゃべりしてて、大学生ノリの延長ぽい店だなぁという印象。
肝心の海鮮丼は、赤身が一切れも乗ってなくて、米もあんまり酢が効いてない。味噌汁も具がネギしか入ってなかった。
ここまでなら、もう来る事はないなぁ。ぐらいで終わりだったんだけど、
1番気になったのが、海鮮丼のフタの上にたくあんが乗っていたこと。
丼の上に、漬け物の小皿を重ねてるとかじゃなくて、フタの取っ手部分に直置き。
取っ手の丸い溝の中にたくあんがすっぽり入ってる感じ。
嫌がらせか何かか?と思って状況が飲み込めなかったんだけど、他の客にも同じように提供してた。
とりあえず食べるか。とフタを開けようと思ったけど、困った。
この状態だとフタを開けたあと、裏返して置けないので、フタの内側の湿った方を下にしてテーブルに置くことになる。
たくあんを先に回収してから、裏返して置いたとしても、たくあんが乗ってた部分がテーブルに着くことになる。
たくあんに箸をつけたくなかったので、前者にしたけど、いったい何が目的であんなことしてるんだろうか。
もともと欧米や近代化以降の日本では同性愛は違法で、「以前のように無視してくれていたら」どころか積極的にほじくりだされて吊るし上げられる種類のものだったんだけどなあ
じゃあ、なんでそうじゃなくなったかと言えば、当事者やその理解者による運動によって人々の倫理観が更新されたからだよね
たぶんほんとうに語りたいのは「LGBT当事者として何かしらの参加を強いられること」に対する反感なんだろうけど、この増田はその反感を現行のLGBT運動それ自体にまで拡大させてしまっているように思う。
「中山優馬 Chapter 1 歌おうぜ!踊ろうぜ!YOLOぜ!TOUR」DVD/Blu-rayが期間限定・完全生産限定で発売されるにあたって。
どこにも公開してなかった当時の感想を、残しておこうかと、思って。
去る5/2、私はTDCで中山優馬くんの初ソロツアー「YOLOぜ!」を観ました。
年相応の色気と、自分の美しさを自覚した魅せ方ができるようになっていて。
たくさんたくさんインプットして、それをエンターテイメントとして昇華してアウトプットできるようになったんだなあと感じる演出と表現力でした。
2年間のクリエを経たからこそのクオリティだなあ、と。思いました。
自分のやりたいことが思い切りできている充実感にあふれた表情は、どんな瞬間を切り取っても、強く美しく輝いていました。
優馬くんが優馬くんという市場価値をつくりだすために屋良くんの力は絶対に必要だったと思います。優馬くんには、必要だった。
NYCで一緒だった山田くん、知念くんはもとよりJUMPには裕翔くん、圭人くんがいて、ジャニーズWESTには流星くん、ABC-Zの橋本くん、SexyZoneの健人くん、
錚々たる同い年が乱立しているなかで、中山優馬という価値を生み出すには絶対に必要だったブレーンだったんだな…と思いながら。
ソロで、NYCでもなければ関西でもなく「中山優馬」という名前で新しい、ジャニーズの、王道を、作り、そしてその道に戻るために。
明るい照明のなかで踊る水の帰る場所をみて涙がでました。
悲劇を背負わされる自分のキャラクターをエンターテイメントとして昇華した姿です。
音楽はロックで、照明は明るい。プレゾンとも違って、強く生き抜く水の帰る場所でした。
悲劇的な美しさだけで終わらない真の強さを持てたことに感動した。
関西曲を当時から着ている衣装をきてパフォーマンスする優馬くんをみて、
ああ、彼にとっての正統派のアイドル時代ってきっとこの時代なんだな…って思うことばかりでした。
あの頃の君のこともすきだけど、何より、今、今の君がすきだよ!って心の底から言えるなって思える瞬間でした。
後ろのスクリーンに頼りなくはかなげに同じ曲を歌ってた当時の君の映像を流すなんてずるいよ。
「アイドル」な自分の一部、優馬くんのアイデンティティなんだってことはよくわかった。
妙なこだわりも感じなかったし、とはいえやらなきゃいけないという義務感でもないと思う。
ただ純粋に自分でやってて楽しいんだろうなって。楽しい想い出が染みてる曲なんだろう、と感じました。
関西ジュニアがバンバンやロマンティックや強引オンをやっているとき、優馬くんは会場の一体感をながめて、感じていた。
関西ジュニアのコーナーだから、っていう気持ちなのかもしれないし、自分がメインであおるっていう気がないのかもしれない。
でもいつもそうだったな、って。
現ウエストのメンバーと一緒にやるときにこの歌を優馬くんも一緒に歌うことも何回かあったけど、
いつも優馬くんは会場を下から上までながめて嬉しそうに楽しそうに自分は煽ることを忘れて眺めてたなーって。
オリックスでのコンサートや過去2年のクリエを思い出すとき、ほんとうにパフォーマンスだけで勝負してきたなと。
もっとコントやMCやゲームみたいなものがあるのかと思っていました。
笑いや遊びにに逃げずに、中山優馬というエンターテイメントを提示してきたこと、ほんとうに嬉しく、そして感動しました。
「もっとすごいライブを、もっとすごい自分を、みせたいとおもいます。」
「僕には自信がある」
「今日の日を忘れずにいよう」
出来過ぎたセットリストです。
赤が似合うオトコになったなーと、想いながら。
でもやっぱり青色の衣装を着ているとなんかしっくりきちゃったりもして。
それはわたしがNYCというグループで青を担当していた優馬くんがすきだったからでしょうか。
優馬くんは「ジャニーズ」の「王道」の「アイドル」でいることを諦めてしまったのかと、思ったときもありました。でもそうではなかった。
時間はかかったけど、優馬くんは「ジャニーズ」の「王道」の「アイドル」としてTDCのステージに自分で自分を立たせたんだなあと、そんなことを感じるコンサートでした。
ジャニーズの謎のイリュージョンをみたとき、泣きながら笑ってしまいました。優馬くん、君もたいがいジャニーズだね!って。
自分のパフォーマンスでたくさんのひとに元気や勇気を与えられる人というのは、まさしく、アイドルだと、思います。
「これからもみなさんに元気、勇気、根気(?)いろいろ届けられるように頑張りたいと思いますのでこれからも宜しくお願いします」
わたしが知ってる優馬くんはそんなこと言わなかった。言う人じゃなかった。
ほんとうに大人になったし、強くなったし、「中山優馬」という道を、切り拓いて、
ひとつこうやって「ソロツアー」としてカタチにして興行を行えるようになったこと、ほんとうにほんとうに嬉しく思います。
中山優馬というアイドルが提示してくれるエンターテイメントが好きだなって。ウソいつわりなく心の底から今なら言える。
http://anond.hatelabo.jp/20151011032832
自慢以外になんの意味があるのかってコメント、自分でも「へー」っと思ったエピソードだからシェアしただけだよ。
実際の自分はその辺の他の増田と同じ謙虚で奥ゆかしい人間なんだが、匿名ダイアリではここの仁義にしたがってちょっと煽りっぽくTOIECのスコアとか書いたけど自慢のためならそんなもん書かないで、嘘でもいいから学歴と年収でも書いておくよ。少なくともアメリカじゃ大概の人はTOEIC自体しらない。(でも「死ね」ってコメントがきたのはびっくりしたので通報しておいたよ!)
で、自分で「へー」と思った点というのは以下の通り
1. 何年も英語勉強してきたにもかかわらず、こんな基本的な事を見逃していたのは意外
2. それを発見したきっかけがコンピュータの音声認識というのも意外
3. 訛りの許容範囲は人によってかなり違い、社会的バックグラウンドと、地域性で大きくことなる(これは知ってはいたが実際に肌で感じるのは新鮮だった)
基本的な事という点。これはRをドロップする自分の癖と言うより、Rの無視がコミュニケーションを阻害するというということ。以前から自分がRの発音が弱いというのは知っていたが、「イギリス英語はerのrとか発音しないし」「ボストンの人も発音しないし」と思って、まさかそれがコミュニケーションを大きく阻害しているとは思っていなかった。つまり問題の重要性の勘違い。あと、自分には他の訛りもあるので(そりゃ日本人だからね)、その組み合わせでわかりにくくなる、というのはあるんだろう。たとえばボストンから来た人やイギリス人が、Rの発音のせいだけで西海岸のバーガーキングでメキシコ系の店員にWhopperを頼むのに苦労するとは思えない。だからRだけが問題というわけではないが、他と組み合わさったときにコミュニケーション阻害の原因になりうる、ということだろう。(逆に言うとRに気をつけても変わらない人もいるかもしれない)
で、今頃こんなのを見つけたってことは他にも似たようなのがあるんだろうなということでげんなりしている。外国人にとっての言語習得には終わりはないのだよね。次の自分の課題はWがUっぽく発音されることがあることだ。これも「え?なに?」と良く聞き返されることに気がついたので、直しておいた方がよさそうだ。いまさらアメリカ人みたいに発音したいとは思わないが、コミュニケーションが止まるのは現実問題として困るので。
コンピュータの音声認識、という部分。面白い符合として、わかりやすい英作文をするためにコンピュータが読みやすいような英文を書こうという主張の本がある。
理科系のための英文作法―文章をなめらかにつなぐ四つの法則 (中公新書) 新書 – 1994/11 杉原 厚吉
http://www.amazon.co.jp/dp/412101216X
雑にまとめると「ネイティブみたいに書くのは無理だしわかりやすい文章を書こうよ。それならコンピュータにも理解できるように書くといいかもよ」というもの。コンピュータはデータと照らし合わせて文章の意味を推察するので、コンピュータが理解できるようなら、標準的な文章として合格になる確率が上がるということ。名文を書くのではなくわかりやすい文章を書く手法。なんだか音声認識ソフトに発音チェックさせるとの似ている。音声認識ソフトも標準的な発音とくらべるので、エラーがでない発音は標準的な範囲に収まっている可能性が高いんだろう。で、エラーがでると標準から大きく逸脱した発音なので伝わらなくなる可能性があがる、と仮定すると納得がいく。人間のインストラクターを置き換える物ではないが、実際にネイティブの教師につきっきりで発音チェックしてもらうのは非現実的なので、コンピュータの発音チェックは良い補完教材になるのかもしれないなと思った。(以前は馬鹿にしてた。スマン)
ところでRosetta Stoneは発音矯正ソフトじゃなくて総合英語トレーニングソフトなので発音の確認には効率が悪い。100語くらいの頻出英単語の発音や、基本的な発音の組み合わせをチェックするソフトがあればいいのになと思うけど、ちょっと探した範囲では見つからなかった。
最後、自分は仕事がら世界中の人と話をしなきゃならないので、それこそいろんな種類の訛りと闘ってきた。いろいろ不思議な組み合わせがあって、インド人と東欧人の電話会議にでたときはインド人参加者が軒並み東欧人の訛りが理解できなくて、「なんんでお前はあいつの言うことがわかるんだ?俺たちは一言もわからなかったぞ」とか言われたりとか。(こっちにしてみればきついインド訛りの方がよっぽど大変なんだが)。そんななかで特定の発音の欠落が特定の人とのコミュニケーションの阻害に直結している例というのを初めて体感したのが面白かったのだ。(また言っておくけど、20年以上も外国人とコミュニケーションをとり続けた上での感想だからね)
ところで、メキシコ系でも海外にしょっちゅう行っているような人には自分の発音は割と伝わっていた。今はNYCにもメキシコ系の人が多いそうなのでそういう人たちはRなしでも伝わるのかもしれない。自分がメキシコ系の人との会話で苦労していたのは主に米西部の話なので、これもメキシコ系全体ではなくて特定の地域のメキシコ系移民に関わる話かもしれない。あと、アメリカ大陸以外の人はイギリス英語にも慣れているから、Rなしでも伝わる率が高いんだろうね。
目的地に到着する頃にはお昼だろうなと思いながら
思い出したことがあった。
大抵、この時間帯に座席に座ってる人は
時折鼻をすする音が線路を噛む車輪の悲鳴に紛れて聞こえてくる。
そんな中、私の前に座っていた女性は珍しく生きていた。
私よりお姉さんだと察した。
気になるが、画面を盗み見するのは良心が痛む。
何とか意識の外に追いやろうと、嫁のはてぶを弄ってると
終着駅が近づいてきた。そして路線を切り替える大きなゆれ。
思わずよろけると、足元を小突く音がして、彼女に謝ると彼女も頭を下げた拍子に
LINEで知人と話してればよかったのか。
縦に拘ったと開発者が話してたのを思い出した。
そう声をかけられる接点もあったのだが。
如何せん思い出すのが遅すぎた。
仕事したくない。