はてなキーワード: Metooとは
MeTooやセクハラ撲滅運動でモテてるつもりの男が叩かれて超たのしい
ぼくらは文明人で、身体を重ね合わせたら気持ちよくって楽しいけど、相手が嫌がってたら止める知性や礼節があるはずなのに、それを平然と踏みにじる奴こそが男らしくてカッコいいとかいう価値観が否定されてザマーミロだ
曖昧な関係でエッチを楽しのは結構だが、大学の先輩だの先生だの会社の上司だの、地位、財力、腕力その他で立場が上の男が、それらの力のため相手の女が逆らえないのを「自分の魅力」と思い込んでるなんて言語道断だよ
べつに三次元の異性と恋愛しなくて二次元とオナニーでも満足な奴だって世の中にはいるのに
これまでずっと「異性と恋愛しなければ人にあらず」というプレッシャーが支配してきた
うぜえよ
ところがやっと
一方的に異性に迫る奴が叩かれるようになって
ぼくらは動物で、身体を重ね合わせたら気持ちよくって楽しいのに、ぼくらの文明はそれを否定していく道を選んだんだね。
このまま行くと男女がプライベートなことを話すのは非常識ってなるんだろうな。
付き合ってもいないのに食事に誘うなんてふざけるな。
効率化とポリティカル・コレクトネスで動物としての接触を捨てて、考えるだけのAIに近づいていくんだね。
ああ、楽しかったな。
飲み会にいた初対面のアラサーちゃんにヨネスケして毛布に包まりながらエッチしたこと。
もうできないんだな。思い出してオナニーするしかできないんだな。
これから生まれてくる子どもたちは性愛の楽しみをまったく知らずに、区役所みたいなセックスしかできないんだな。
マーヴィン・ゲイが歌った性愛の輝きは、静かに消えていくんだな。
あの初対面の女のコと見つめ合ってこれからエッチするかもしれないという火花みたいな日々。
それは過去のものになって、「昔は東京でも天の川が見えたんだよ」というようなセピア色の幻想になっていくんだろう。
facebookでいっつも日本ディスに勤しんでいて、ポリコレやMetoo事案に言及しない日がない自称リベラルの反安倍説教おやじがいるんだが、
「日本(チーム)の事なんてどうでも良くなるくらい凄い試合だった!」と、いちいち日本下げを付け加えてつぶやいてて
お前ら自身のせいで野党やリベラルが嫌われて安倍の消極的支持者が増えていくんだよと思ったわ。
最近すっかり嫌われてしまったはてな民の前にヨッピーさんはすっかりはてな周辺に顔を出さなくなりましたね
ここで記念碑的に「ヨッピーさん下半身露出強要事件」をメモ代わりに残しておきます
簡単に言うとTwitterでとうとつに「◯◯◯見せろ!」と女性ユーザーに詰め寄り鍵垢に追い込んでしまったセクハラ事案です
リアルタイムで見ていたのですがこの時には流石に驚きました
他にもヨッピーさんは六本木には◯◯◯◯しかいないと地域差別発言を行ったり
週刊ジャンプで女性差別をテーマにしたマンガ連載を行いたいと発言してみたり
はてな村とは相容れない男性優位社会の権化のような人なんですが
いつか ツイ消しを行ったら「なんで存在に気づいているのに謝罪しないんですか?」と指摘しようかと思い貯めた魚拓も100を超えてしまいましたよ。
どうするんですか。
性犯罪を形容する言葉として「魂の殺人」というものが用いられているのをよく見る。
数年前に私が初めてその言葉を見たときもその用法で使われていた。
#Metoo運動もまだなく、ジェンダーについての議論もそれほど活発ではなかった頃。その時私は、この言葉は虐待を形容するのにもドンピシャだなと思った。
自分の中のごちゃごちゃとした気持ちが正しく簡潔に表されるというのは気持ちがいいもので、こんなに的確な言葉を使うことができて羨ましいと思った。
その「魂の殺人」が元々児童虐待を表す言葉だったと知ったのは最近のこと。
アリス・ミラーというスイスの心理学者の著書だ。彼女は児童虐待について研究していたらしく、この本もそのことについて書かれているらしい。
らしい、という言葉遣いからお察しの通り、私はこの本を読んでいない。読んだらものすごくスッキリするか、ものすごくしんどくなるかのどっちかだろうなと予想できるからだ。こういう予想ができるだけに、それが大外れして何も変化がなかった時の落胆も酷そうだから今は読みたくない。
閑話休題。
「魂の殺人」というのは邦題で、原題は"For Your Own Good" 英語は得意ではないから自信はないけれど、さしずめ「あなたの幸福のために」といったところだろうか。
原題とかなり違うので気になって文中検索をかけたところ、確かにアリス・ミラーは"murder the child's soul","psychic murder","Soul Murder"という言葉を使っていた。さらに、彼女よりも先にモートン・シャッツマンという人が"Soul Murder"というタイトルで教育熱心な親による子供への迫害について綴った本を出版していたことも分かった。こちらの本も「魂の殺害者」という邦題で「魂の殺人」よりも後に日本で出版されている。
「魂の殺人」の訳者は「あなたの幸福のために」よりも「魂の殺人」(≒"Soul Murder")のほうがよりインパクトがあり、より虐待について書いたことが分かりやすいと判断し、そちらを邦題に選んだのだろう。
「魂の殺人」という言葉は、この本が出版された1983年、虐待を意味する言葉として使われたのだ。
元は幼児虐待を形容するための言葉だったと知って、深く納得するとともに、自分の道具を取り上げられたみたいな気持ちになった。
私は性犯罪被害で苦しんだことはないから分からないが、私が最初にその言葉を見た時みたいに、性犯罪被害者の人もドンピシャだと感じて使うようになったのかもしれない。自分の魂はソレによって殺された、と。
もちろん、偶然という可能性もある。1983年よりも先に別の人が性犯罪を形容するために使っていた可能性だってある。
私が今後虐待を形容する言葉として「魂の虐待」を使用しても何ら問題ないし、使うなとまだ誰かに言われたわけでもないから「取り上げられたみたいだ」という気持ちは完全な被害妄想だ。けれどもう既に私の中では「魂の殺人=性犯罪」というイメージがついていたから、私と同じくそういうイメージを持った人に何か言われるんじゃないかと思ってしまうし、とても使いにくい。
「被虐待児のための言葉だ」とか「(だから)使うな」言う気は毛頭ない。言う権利もない。けど、やっぱり使われている場を見ると少しモヤモヤしてしまうようになった。
かねてより、ジェンダーについての議論が活発になされている場を見るたび、虐待についてももっと世間の目が行けばいいのになと思っていた。その羨ましさと、この「魂の殺人」という言葉をめぐっての私の色んな気持ちが混ざってゴチャゴチャしている。
とりあえず、
『ある心理学者は、幼児虐待を"Soul Murder"と形容することにし、
男をいくら責め立ててセクハラ防止研修とかやったところで、何%かの低い確率でやる奴出てくるよ。それ0にしろって男に言ったって無理だし、知らんってなるに決まってる。大半の男はやらないのだから。
それゼロにしろって言われたら、唯一の方法は、男を皆殺しにする事しかないと思う。
平均寿命は女性のほうが長いから、長寿社会では女性が人口の半分超える。多数決取れば女が勝つ社会はもうすぐそこにある。多数決で民主的に憲法改正でもして、男性は人間じゃなく動物である事にして、合法的にこの国の男性を抹殺すればいい。
「そんなの当たり前でしょ!?」と息巻いている画面の向こうの聖人君子諸君、ちょっと落ち着いて読んてほしい。
だって、楽だから。特に努力しなくても、自分より下の存在がいる。こんなにコスパのいい話ってある?
自分は容姿も優れないし、特別な才能も持っていない。勉強スポーツどれも中途半端で、全体的に見ると他人より劣っていることのほうが多い。その上めんどくさがりで、努力をするのが大嫌い。特に夢中になることもなく、ぼんやり毎日過ごしてる。
そんなクズであっても、誰かの上に立つ、支配する立場になるというのは気分がいいものだ。本来ならば己の才能を発揮し、たゆまぬ努力をもってして、人はその立場を手に入れる。学生だったら委員長、部長。社会人だったら管理職。しかし、怠け者の自分にはとてもそんなことはできない。
面倒なことはしたくない、でも人の上に立って偉ぶりたい……そんなときに便利なのが、差別だ。
差別はお手軽だ。無条件に相手を見下すことができる。社会的に高い地位に上り詰めなくても、自分より立場の低い存在がある。劣っている存在がある。
それは安心感がある。さらに女性というのは身近な存在で、人種や民族差別より見下せる総数が多い。実際に腕力、体格という点では、女性は男性より劣っている。暴力をふるえば簡単に圧倒することができる相手なのだ。
男に生まれた時点で、自分より弱い存在がある。なんて簡単なんだろう。クズ人間にとって、これほどありがたいことはない。なんの取り柄もない自分にも、見下せる相手がいるのだ。こき下ろせる相手がいるのだ。
ここでタイトルにもどる。
そんな「自分より弱い者」のいる立場で、女性差別をしない男性はえらいと思う。自分なら、その安心感に屈服する。この便利な立場を享受する。
クズ人間の自分にも唯一叩ける相手なもんだから、徹底的に叩く。すかっとする。生意気な反論が来れば女性器の蔑称を上げて「これだから(笑)」とでも言っておけば済む。語彙力のない自分には他人を言い負かす能力などないが、女相手ならこれで論破できる。リアルでだって同じだ。最悪、ぶん殴っておけば相手は黙る。
しかし世の中の男性の大半はそんな差別を行っていない。むしろ、世の流れは確実に、差別をなくす方向に動いてきた。
ほんとにえらいと思う。よくこの誘惑に打ち勝ってきたね。
最近はmetoo運動なども話題になり、女性の立場向上はますますめざましいものがある。と同時に心配でもある。男性というだけで、「誰かより上」という安寧に浸ることができた愚か者たちの居場所が、脅かされつつあるからだ。彼らは焦るだろう。自分の立場が相対的に低くなることに、危機感を覚えるだろう。縋ろうとするだろう。女性の立場が向上していく一方で、女性叩きも加熱していくのではないか?私の心配はそこだ。無能な男に唯一許された、「女性よりは上」という安心感。彼らの牙城が崩れたときの、捨て身の攻撃。
杞憂だといいのだけれど。
本当に恐ろしいのは右でも左でもフェミでもアンチフェミでもない。
「一般人」だ。
それを、山口達也の件で実感した。
普段言い争っているフェミもアンチフェミオタクも、この件では「山口が悪い。セカンドレイプよくない」と殆どの人が一致していた。
「metoo とか言ってるフェミは声を上げないのかー」「上げとるわバーカ」程度の小競り合いはあったが。
だが、彼らは「少数派」であり、ネットでもリアルでも見るに耐えない被害者叩きが溢れた。
その多くが、普段論争などをしない、大多数である「一般人」によるものであった。
「ホイホイ男の家行って被害者面とかどうかしてる」「キスくらいで山口さんの人生を潰すなんて!許さない!」「金目当てのハニトラに決まってる」「イケメンにキスされたのだから感謝すべき」「山口さん可哀想」等々…
こんなことを、特定の思想を持たない大多数の一般人達が、時に実名と顔を晒して、時にリアルで、口々に言った。
この差は何なんだろう。特定思想とは無縁に普通にこの国で生きていればセカンドレイプ的な考えを持つようになるのだろうか?と暗澹たる思いになった。
この件に限らず、一番「炎上」を引き起こすのって特定思想の持ち主より「一般人」だよなぁ…と思うことは多々ある。
一応言っておくが、「一般人」でもセカンドレイプに反対する人達もいた。また、思想を持っていてセカンドレイプをする人もいて、ネトウヨ系に多かった。
ついでに、意外なことにミソジニストの巣窟であるはずのまとめサイトや2ちゃんねるのほうが被害者に味方するまともな意見が多かった。ジャニーズやジャニオタを叩くためかもしれないが…。
とにかくリアルでセカンドレイプを聞きまくってしまったこの件は、「まとめサイトや2ちゃんねるをはじめとしたネットのような酷い意見はリアルでは中々ない」と心のどこかで思いたかった私にはショックだった。