はてなキーワード: 骨肉の争いとは
馴染んできたつもりだったけど、やっぱり違う!!!!!と気づいたので辞めることにしました
何が私と合わなかったのか
業界の閉塞感
生活の中で誰もが使うツールを作る会社。でもツールについて一生考え続けるのはちょっとな…。私はこのジャンルを究極に好きになりきれないと思った、ツールよりその先のほうが気になる性格なんだった。
・業界自体の飽和 狭い業界で骨肉の争いをしてるの、競争原理が働いて健全な経済なのかもしれないけど、人類全体で見たら無駄なエネルギーじゃね?
・若手の弱さ 会社のルールがたくさんあり、システムが古く、それらを習得するのに時間がかかる。習得しないうちは子供扱いされる。しかもマニュアルが無くて知識が属人化している。
・忖度ゲーム 社長に直接会えることは少なく、周囲のおじさん達の忖度で謎の指示が飛んでくる。社長(若い)にダイレクトに聞くと「え?そんなことないけど?」みたいなことたくさんある。伝言ゲームならぬ忖度ゲームです。
・会社のWHYがわからない 俺たちは何のために金を稼いでいるんだ?
人
・昭和の人間 たくさんいる。会社は収益を上げる場所なんだという価値観。そうか!? 収益以上の目的はいらないのか!? ただ売ればいいってのは思考停止じゃないか? …という疑問を上司にぶつけたところ「それは社長のレイヤーが考えることだから」と言われた衝撃。
・腑抜けになっていくことへの恐怖 優しい人たくさんいる。1年で私もだいぶ顔が変わった。よく言えば優しくなった、悪く言えば攻撃力がだだ下がりした。生きていくことが簡単すぎると人は輝きを失う。ああ認知度90%越えの定番商品を売る老舗企業よ。黙っていても給料入る。なんとなくで仕事が進む。WHYや理想についての議論は無いか、避けられる。
それでも、いい出会いがたくさんあった。ものづくりを探究し続ける、好奇心と理想をしっかり持っている、尊敬できる技術職の人はたくさんいた。良いメーカーなんだよ。
私がもし技術職やデザイナーだったらこの会社で続いたかもしれない。追いたい背中が見つかったかもしれない。
やめる直接の原因は、上司たちとうまくやれなかったからです。表面上はうまくいっていたけれども、私の中には「もう無理」が蓄積していってある日溢れてしまった。上司たちはびっくりしただろうし、普通に振舞ってたのになぜ?と思われたことでしょう。彼らの普通に適応すること自体が私にとってはストレスになってしまった。ザ☆適応障害。しかしこんなことに適応するために私の人生をくれてやるなんて惜しすぎるだろう。従順な子供のような新卒ちゃん、をやるのは1年が限界だった。(どこが従順やと言われそうだけど、これでも頑張ってたもーん。)
本当に嫌だったことはここに書いてません。限界を感じた部分だけ書きました。限界を感じてても嫌じゃなかったら続いてただろう。
部署異動して心機一転したら…という話もあったけれども、会社に対する気持ちはもう修復不可能なところまでびりびりになっちゃってて。この気持ちで他部署に行ってまたゼロから…子供扱いから…というのに私は耐えられない。私は尊重されるべき一個人であり、好きなチームのためならば情熱を存分に発揮できる。このカロリーをもっと活かせそうな場所を見つけたので転職する。
けど、子供の頃から誕生日というと毎年プチ嫌な事が起こる(様な気がする)ので、今年もおうちに潜んでいる。
なるべく出掛けたくないなぁ。雨だし。
今まで起こった嫌な事といったら、階段で足を踏み外して尻を強打して足も捻挫したとか、レポートで数日徹夜してやっと仕上がったから寝られると思ったら隣の住人がサークルかなんかの打ち上げで10人以上人を集めて朝までらんちきさわぎをしたとか、そういう些細な事が多いんだけど。
あ、でも尻を打った時は些細じゃなかったな。病院は行かなかったが二週間位痛いままだった。
記憶に残ってるので一番嫌だった誕生日は、6歳か7歳か8歳か忘れたけどそれくらいの頃に、母が誕生日だからってケーキを買ってきてくれたんだが、それがいつものホールケーキじゃなくてショートケーキのよりどり詰め合わせ?みたいなので、ついうっかりそれを見た時に僕は
「えー、何で大きいケーキじゃないのぉ?」
って言っちゃって、そしたら母がえらい勢いでぶちギレて、なんかたぶん色々大変だったと思うんだけど、ケーキがあるだけ有り難く思え!って怒鳴られたとこまでしか覚えていない。
ケーキはよりどり詰め合わせ的なものだったから全部種類が違ってて、僕はチョコケーキが一番好きだったというか、ケーキはチョコしか食べない偏食人間だったんだけれども弟と妹も同じ偏食の持ち主だったので当然の事ながらたった一つのチョコケーキをめぐって骨肉の争いが勃発したのは当然の流れだったが、いつもの母ならたぶん今日はにーにの誕生日だからお前達は我慢するんだよって僕にチョコケーキをくれただろうが、前述の通り僕が失言でもって母を激怒させたもんだから、母はホイッとケーキを妹にあげてしまった。
すると僕の弟はすごくワガママなので恐らく泣いて暴れてかなり大変な事になったはずで、しかし癇癪持ちの妹には敵わなかったのでチョコケーキを妹から強奪は出来なかったと思うんだけど、とにかくうるさかったのはうるさかったはずなんだが、それを母がどう収めたのかは今となっては謎だ。
僕は泣きべそかきながら、寒天なのかゼラチンなのか判然としない薄い膜の張ったフルーツケーキの様なものを食べた様な食べなかった様な気がする。
ケーキは六人家族分あっただろうが、当時は父が単身赴任でいなかったし祖母は病気で入院中だったので、祖母の好物のモンブランと父がいつも食わされる余り物の変なケーキはどうなったんだろう?
そうそう、前述の失言エピソードだけ読むと僕んちは貧しい母子家庭みたいな感じだが父はサラリーマンでそこそこ稼いでいたし、その少し前までは祖母が元気で僕と弟妹の面倒を見ていて、母はバリキャリだったので、金に困った事は無かったんだ。
あの年の誕生日は祖母が病気で入院してしまって、僕はばあちゃん子だったので祖母のいない誕生日が悲しくて、寂しさをもて余していたところ、母が忙しい中買ってきたケーキについ文句を言ってしまったという、そんな感じだった。
そういえば僕の誕生日って大体平日なんだけれど給料日なので、プレゼントが恙無く貰えそうなもんだが僕の両親は給料が入ったそばから大きな出費があるのは気分が萎えたらしい。
ともかく僕はまた一つ歳を取った。
生まれた時は十歳までしか生きない難病だったんだがついにアラフォーになった。今年はちょっとボランティアがんばる。
【追記】
てっきり今日も0ブクマで流されていくと思ったからびっくりしたよ。
おめでとうありがとう!!
【追記その2】
……なんか最後の文で皆さんを勘違いさせてしまったのかもしれなくてごめん。
人間は、なぜか選ばなかったもう一つの人生の方が、今の人生よりいい結果になったと思いがちな気がする。
だから、人は、あの時ああすればよかったとか、何でこんなことにとか、想うんじゃないかな。
もしかしたら、その時考えたことをした方が結果的には悪くなってた可能性もあるのに。
例えば、1億円当たってほしい!と思って外れた時、がっかりするけど、1億円当たった後にそれが原因で骨肉の争いが起きるとか想像もつかない。
そんなことかんがえもせず、当たった方がいい人生だったに違いないと思ってしまう。
そう思うと、自分は過去最悪だと思った時も、いまと比べるとさして悪くなかったのかもなって思う。
なんでそんなことを思うかと言うと、今なにしても腰痛がひどくて、本当に何も出来ないから。
最悪だって思ったあの日は腰痛に悩んでなかったから、少なくとも最も悪いわけではなかったんだ。
そして今も、腰痛には悩んでいるけれど、お金には困ってないし仕事も楽しいし、何不自由無く暮らしてるのだから、「腰痛を患った人生」のなかでは、まぁ悪くない方なのかもしれない。
入社から定年まで雑用仕事だけをやり続け、一度も出世することなく、社内で親しい人もおらず、家では仕事の話すらしなかったコミュ障で情熱のない父親と、
あれは向いてない、あっちは人間関係がイヤだ、と年金間近までパートを転々とし続けた母親では求めるだけ酷ですが、
身を持っては無理でも、せめて言葉だけでも、世の中には仕事でがんばってる人間がいっぱいいて、そういう人が幸せを掴んでるんだ。と教えて欲しかったです。
おかけで息子は今スタートダッシュが遅れてとても苦しんでいます。
・遺産の相続争いであなた達が不甲斐ない所為で、人間不信になりました
あなた達はいつも、他人の顔色をうかがってばかりで、自分から主体的に決定するということをやりませんでしたね。
相続争いが長引き、親戚と険悪な関係になった一因はあなた達のその主体性のなさにあると思います。
あなた達がもっと自分達が何をどうしたいのかを明確にして行動していれば、あれほどの骨肉の争いを繰り広げることもなかったのに、と今更ながらに思います。
おかげで息子は、あんなに優しかった親戚のおじさんとおばさんがこんなに豹変するものなのか、という恐ろしさを子供心に見せつけられ、
またあなた達が相続争いのストレスからくる夫婦喧嘩を見せつけられたおかげで、結婚生活にも夢を見ることができなくなりました。
でも、僕は思うのです。あなた達にはそれが精一杯だったんでしょうと。許すことはできませんが、その事を直接に責めることはしません。
・お母さんへ、なぜ離婚しなかったのですか?
この質問をすれば、あなたはきっとあなた達のためだった、と答えるでしょうね。
ロクに会話も成り立たない旦那と、抜け目がないが底意地が悪く、いつもあなたがビクビクしている親戚と、社会不適合者でいつもあなたに辛く当たる息子に囲まれて、あなたは不幸な人生を送ったように僕には見えます。
結局のところ、あなたは自分の力で人生を切り開く勇気がなかったんでしょう?
家族とはいえ、あなたとはロクに会話もしたことがありませんでしたね。
もう何十年もの付き合いになりますから、あなたには何を言っても、そのコミュ障が治るとは思いません。一生会話が通じることはないでしょう。
結婚できて良かったですね。一生一人ぼっちなはずのあなたが伴侶を得たのは奇跡です。
まあなんだかんだで親子なんでしょう。子どもの頃は勉強ができ、明るく、未来に希望が満ちているように自他ともに思えた息子もあなたと同じような人生になりそうな雲行きです。
結婚できそうにないぶん、僕の方がもっと悲惨かもしれませんが、あなたはそんな僕の話を聞くこともないでしょう。
ネット見て、酒呑んで、現実逃避をし続けたまま一生を終えるのは僕にはわかっています。
もう何の期待もしていませんが、ちゃんとお父さんして欲しかったです。
「スターウォーズ」の父息子要素の扱い方はかなり好きだけど、ギリギリ主題ではないと思ったのでノーカウント。マンガだけど「鋼の錬金術師」も同じ。「ゴッド・ファーザー」はマフィアものにカウントされている。
複数の父息子を扱うと、子供はより重要になる。無垢さが傷ついたり、顕著に成長したりも。成人した息子と老父も好きですが。
血縁だけが息子じゃない!養子関係はもちろんのこと、師匠と弟子という関係でも、弟子が師匠に父親の影を見れば、父息子映画になりうる。
対比があると、よりテーマ性が際立つので。擬似息子と実の父息子、子供と大人など、組み合わせの妙が楽しめる。
物語全般への好みです。
王位を争うなどのパターン。「ゴッド・ファーザー」も1より2のほうが父息子要素は強い(私のなかで)。兄弟争いも別のツボは突かれますが。
骨肉の争いが見たいわけじゃないんだよね…。
基準を全部満たしていた!どこを切っても好き!
「そして父になる」
家庭内で母親も絡むけれど、父息子要素ド直球なのと映画自体の質が非常に高いこと、「与える側が与えられている」という自分の大好きなテーマに収束したので。
これも、好みじゃない要素が混じっているのに大好き!ユアン・マクレガーの魅力、ティム・バートンの物語への愛情が見えたのもツボだったようです。
映画自体は好きですが、おじいちゃんの挙動のおぼつかなさにハラハラしてしまった。いたわりよりも、超克のほうが好みなんです。
「MUD」
基準をすべて満たしているのに、そこまでツボではなかった。「スタンド・バイ・ミー」タイプのひと夏の冒険ものに見えたからでしょうか。
前情報入れずに見て、途中で「やったー!父息子映画だー!」と気付いて脳内で万歳三唱しました。だから、過剰な補正が掛かっていると思います。超暗いし長い。
絶対に寂しくさせないから、などとほだされてはまた付き合っていた。
まるで光源氏があちこちで女口説いてるのと同じだなあ<その不倫相手男
その人と結婚しても、そういう尻軽男だから結局愛人余所に作られてしまうと思うよ。
結局寂しい嫉妬人生。
自分自身が恋愛体質って思うなら、結婚して子供を作らない事だね。
自由に恋愛出来ないよ。結婚するだけならまだいいけど、子供産んだら足枷。
全ての子供が親を大事にしてくれる訳でも無し、可愛い訳でもない。
親子で骨肉の争いになることだってあるし、死に別れる事もある。
それとその男を基準点にしないことだね。色んな男と付き合わなきゃ。
合コンっていっても偏ってないかな?
知人友人のツテでの合コンなら似たような男しか集まらないんじゃね? だからピンと来ない。
男女エロでも、たとえば漫☆画太郎先生みたいな絵だったら気持ち悪いとおもいませんか?
これは極端な例だけど、要は描き手が好きな
恋愛の形式(絵柄=相手の顔も、ストーリーも、シチュエーションも)が如実にあらわれるのが同人漫画で、
それは千差万別だから、個人的に会うかあわないかだけだとおもいますよ。
売れててる同人作家は同時に同じ数くらい叩く読者もかかえていますよ。
いなかったらプロになれちゃうw
読者に目を転じると、男女エロでも少しでも女がビッチ臭いとか、処女厨乙とかおもったら
もう苦手だーってなる人多いんですよ(同じキャラを同じ組合せで扱ってても骨肉の争いありますもん)。
えっ、じゃあ男男エロとはなんなの、みんな何をよろこんで読んでるの・・・?
ってなるようだったら実際読んでみるしかわからないでしょうね。
好きな恋愛漫画を教えてこういうのある?って指南してもらえば、
楽しみの幅がひろがっていいんじゃないでしょうか。
ジョジョは承太郎と露伴とキラ、鈴木あたりのあっさりした男女エロなら読みたい。
■ニンテンドー3DS 思わぬ 落とし穴 @ニコニコVIP2ch
http://nicovip2ch.blog44.fc2.com/blog-entry-2070.html
目が痛くなるとか目が悪くなりそうだとか、3DSの裸眼3Dについて色々と出てるけど、
そもそも今回の3DSの、裸眼3D機能事態が、任天堂の壮大な釣りだったりしないの?
PSPが今までNDSに対して持っていたアドバンテージとかぶる部分が多く、
画面の大幅なクオリティ向上。明らかにPS2かそれ以上のレベル。
2画面をそのままに、上画面はワイド設定で、情報量が大幅UP。
キーにスティックも装着され操作性も向上。タッチペン操作はそのまま。
DSとPSPはいわゆる棲み分けが進んでいる状態だと思うのです。
お互いは、お互いに足りない部分をメリットとして持ち、
画質 PSP>NDS
操作法と画質をほぼそのままに、据え置きクオリティを持ち運べることに重点を置いたPSP、
新しい試みづくしでもって、携帯ゲーム機に新たな風を提供したNDS。
PS2のソフトはPSPに移植されるけど、NDSへの移植は少ない。
箱とPS3のようなマルチ発売もない。だってゲームが違うんです。
ドリキャスとPS2のような、メーカーが一個つぶれそうになるくらいの
骨肉の争いをする必要はそもそもない。
でも3DSはどうでしょう。
画面の大きさはPSP>3DSだけど、どうだろう。
どうせLLでるでしょ?
3DSはPSPとほぼ同じ土俵に入った。
そもそも何故バッテリーがこれしか持たないかというと、PSPがOKだったから。
高校生や大学生といったPSP世代は充電器も一緒に持って移動してる。
PSPがそういう習慣を植え付けてくれたから、3DSだってできない訳がない。
3DSの投入目的を「PSPに持っていかれた携帯ゲームシェアの奪還」としたときに、
裸眼3D要素はそこまで重要じゃない。ただ単にアピールポイントとしての、お飾りの存在。
近年の3Dブームを予測した上で搭載した結果、(任天堂は新しい物好きだし)
このエントリーを見て思い出したけど、大学時代何故だか自分の不幸話をされたことがあったな。皆で話している時にされたんじゃなくて、個別に次々カムアウトされて、どう反応していいのか困った。
一人は父親の暴力に悩まされている人。上にいた兄弟たちはそれで家を出て行ったらしい。それ以来音信不通の兄弟もいるとか。母親は泣いているだけで庇ってもくれないと。両親共を憎み、いつか家を出て行くことだけを目標にしているのだと。そして「親の愛を知らないから、誰かに好意を向けられることがよくわからなくて、なかなか他人が信用できなかった」と言っていた。
一人は親の愛情が全て弟にいっていて、存在を無視されていた人。何をしようと無関心なのだそうだ。一応卒業したら家を出て行く前提ではあるが、大学へ行くお金を出してくれているだけマシと言う。夜家に帰って来なくても心配もしてくれない以前に、帰っても自分の晩ごはんだけないらしく、いつも外食だった。事故か何かのトラブルが起きた時も親に無視されたらしい。くったくがない人だったから、明るく言われてびっくりしたなあ。
一人は親が遺産争いに巻き込まれて兄弟親戚からの嫌がらせを受けていた人。一時期父親はそのせいで身体壊して入院したらしい。極僅かな遺産、遺言がないってことでここまで・・・と言う骨肉の争いって本当にあるんだよって、ドロドロネタを披露してくれた。
自分としてはごく普通に親の愛情を受け、ごく普通に親戚づきあいをしていたので、本当にそんなことが現実に身近であるんだと驚きつつも、その時相手に何を言えばいいのかわからなかった。もう何て言ったのかは覚えていないけれど、多分無難な返事しか出来なかったはず。あの時皆何て言って欲しかったのかな。
ただ今考えてみると、こう言う自分だけど友達でいてくれる?ってテストみたいなものなのかなとも思う。相手が自分を受け入れてくれるかどうかを試して、それで自分の心を守ってたのか、と。
きっかけは、暇でやる事無いから楽器始めた。
当時家は遺産で揉めてて、リアル昼ドラみたいな骨肉の争いだったのだけれど、それは大したコトじゃなかった。
そっちの揉め事より、自分の鬱屈した感情・憂鬱としてるコトの方がなんとかしたかった。
ゲーム、漫画、映画etc・・・。インドア系ばかり好きだった自分にとって、当時音楽は憂鬱を解消する救いであり、向上心、心の拠り所だった。
誰かが言ってた「宗教」みたいなもの、それに近かった。
でもかなりの下手糞。だから、思いっきり練習した。カッコ悪いし。
「演奏技術を高めよう」「もっと音楽として聴けるものに近付こう」「オレは不細工だしコレしかない」
そんなコト思いながら、学校から帰って22時ぐらいまで練習の日々だった。
良く聞く、一晩寝ずに練習とは自分は違った。
血豆の数が嬉しかった。血豆が破れた時の風呂は痛いけど楽しかった。
あぁオレバカだったんだなって思えて笑ってた。ここで初めて心から人生って楽しそうと思えた。
要領がいいヤツなら、これと並行して学生生活もエンジョイするのだろうけど、バカだから練習漬けだった。
脳内も音楽漬けで、通学時ウォークマンの電池が切れたらイライラしてた。替えの電池パックに感動してた。
でも幸い彼女は出来た。バイトもやった。今思えばアレはアレで良かった。
当時、闇雲に色んな曲をコピーした。自分の技量に見合った曲、見合わない曲。見合わなかったら練習した。
好きと思えたらなんでもやった。ジャンルも良く分からなかったので本屋行ったりして、子供の発想で色々調べた。
その過程で音楽から色々な考え方、テーマ、歴史、感情を学んだ。今でもアレは良い経験だと思う。
Alternativeからは追求する精神を。
PoPからは聴きやすさの基準を。
Glindcore,ska,GAME…(略)
上みたいに、あくまで自分の目安で色々なジャンルを漁っていった。
そのままコレで飯を食うと決め卒業し、現実の壁を実感しながらも、バイトしたり派遣したり、会社に入ったり色々バカやって歳をとった。
だが歳をとるにつれて練習量も減っていき、音楽に対する探究心が薄れていった。所詮若気の至りかと。見苦しいけど続けた。
そういう人脈もか細いが増えた。
そして今、また転機に差し掛かっているが正直なところ疲れた。
贅沢なコトを・・・という自覚はある。
でも疲れた。
先程東北某県に住む伯父から母に連絡があった。
20年近く前に亡くなった祖父が残した遺産の相続の件。寝耳に水。
ドラマみたいな兄弟同士の骨肉の争いとかは多分なさそうです。仲良く分け分け。伯父は長男なので土地とか家とかの分を差し引いて現金で貰える分は少なくなると言っていた。母は全て現金で受け取れるらしい。
突如ウン千万が転がり込んでくるというにわかに信じがたいお話。現実に起こってしまいました。
贈与税対策として、数百万単位に分割して何年かに渡って受け取ることになったようですが。
私は結婚の見込みのない一人っ子長女なので、とりあえず安心要素が増えたことに大喜び。
親の介護とか正直一人では不安だったので、先立つものが出来て本当に良かった。
私は自分が食っていく分くらいしか稼げないので。それでもカツカツで。
ヘルパー雇ったり民間サービス利用したりするお金に困らないというのは素敵。理想的。
あわよくば、私の老後までこのお金が残っていたら良いのだけれど…少しで良いからさ(笑)。