はてなキーワード: 耐震強度とは
自習としてまとめる
死者多数のものだけ
2024/1/1 能登半島地震 Mj7.6
2015/5/30 小笠原諸島西方沖で地震 Mj8.1 史上最深
2011/3/11 東日本大震災 Mj8.4 大津波 日本史上最大
2007/7/16 新潟県中越沖地震 Mj6.8
1995/1/17 阪神淡路大震災 Mj7.3 耐震強度問題
1993/7/12 北海道南西沖地震 Mj7.8 大津波30m 死者・行方不明者230人
1983/5/26 日本海中部地震 Mj7.7 大津波 死者104人
1964/6/16 新潟地震 Mj7.5
1948/6/28 福井地震 Mj7.1 死者・行方不明者数3769人 震度7が制定 複合災害
1946/12/21 南海地震 Mj8.0 死者・行方不明者1443人
1945/1/13 三河地震 Mj6.8 死者・行方不明者2306人
1944/12/7 東南海地震 Mj7.9 大津波 死者・行方不明者1223人
1933/3/3 昭和三陸地震 Mj8.1 大津波 死者・行方不明者3064人
1927/3/7 北丹後地震 Mj7.3 死者2925人
1923/9/1 関東大震災 Mj7.9 死者・行方不明者105385人 日本史上最悪
所感
死者数が増えるのは
・津波
・火災(近年は少ない)
・土砂崩れ
・避難後
戦後、大きな被災があったのはご時世もあったのだろうと考えると、東日本大震災と阪神淡路大震災が異常
・瀬戸内
日本には逃げ場がないとはよく言うが
現代においてそれでも大惨事になる場所というのは限られているとは思う
関東北部〜東北の内陸部、近畿・中国・四国の内陸部、九州北東部など
直下型地震が頻発している地域でなく、かつ沿岸部でなければ被災確率は低そう
沿岸部はチリ地震みたいな例があるのでどうしようもない、逃げ場はない
南海トラフは有名だけど個人的にはやっぱり伊勢と愛知が大人しいのが気になる
でも地震ってむしろ連鎖するから、無いなら無いで数百年行きそうでもあるよね
昭和三陸地震(1933)、明治三陸地震(1896)があったし、三陸沖は地震頻発地域なのに
何で東日本大震災であれだけ被害が出てしまったんだろうというのは結構解せない
80年も経つと忘れるというのがよくわかる
今回のコロナ禍のニュースで維新が大阪の医療リソースを削ったことがよくはてなでは批判されている。
人災だの、維新を支持した大阪人の自業自得だのに星もいっぱい集まっている。
それってつまり100年に一度の地震、津波、大雨、豪雪で死んだ人も想定できていなかった、想定した政治家を選出しなかったから死んだわけで、自業自得と言いたいわけだ。
想定していれば耐震強度はもっと上げていただろうし、津波の避難場所を作れただろうし、堤防だってもっと高くできたし、ダムだってもっと作れたし、除雪車だっていっぱい準備できたはずだ。
それができておらず、これらの災害によって死んだ住民は、そういった災害対策を掲げた政治家を選ばなかった、または、自ら掲げて政治家とならなかった住民の自業自得というわけだ。
特に津波に関してはてんでんこやら石碑やらで警告が残っていたのにそれを無視して住宅地を築いて避難施設もろくに作っていなかったことから自業自得度は非常に高い。
しかし、津波で亡くなった人に「あんな場所に住んでるんだから自業自得でしょ」などと言おうものならフルボッコ間違いなしである。
今回のコロナウィルスみたいな専門家すら想像できていなかった非常に質の悪いウィルスを想定して医療リソースを保持しろということは、過去に例のある津波を想定して街づくりをしろっていうよりはるかに難しいんだけど、はてなではどうも党派性にとらわれて維新、大阪とみるだけでそのことを忘れて、あるいは意図的に無視して批判が盛り上がるようだ。
維新の医療費削減政策を批判するのはいいんだけど、そこにコロナを絡めて亡くなった人の自業自得というのは、津波で亡くなった人に自業自得というのと同じくらい、あるいはもっとひどいことなんだということを自覚してほしい。
どうかそんな無神経なコメントに星をつける人が減りますように。
この増田で言っていないこと
http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/lnews/kanazawa/3025397471.html
記事では廃棄の際に相談もなかったとある。事前に話し合いができるような緊密な関係をお互いに築いておくべきだった。まだ寄贈者生きてるじゃねーか。
よくあるパターンだと、寄贈者亡くなってから奥さんや息子さんとうまくコミュニケーションとれないってのはあるけど。
寄贈者は普段からあまり図書館の人と緊密ではなかった? 普段からこの図書館利用してなかった? この辺りは廃棄されるされないを決めるうえで、地味に重要。
穴水町は小さい町(2016年4月で8809人、広報参照)で、この人口規模では司書は多分1人~2人。常勤のひとか、あるいは準職員で回しているのかも。そうなってくると、専門的な本かどうかの整理が追いつかない。
事務職員もすぐ異動する。耐震強度の問題などで、図書館の移居の事例もある。そうなると、蔵書が失われる可能性は十分にあった。
本当は職員がしっかり連絡などできればいいのだが、如上の理由では手が回らないことが多い。
図書を寄贈する際は、そういう事情を汲んだ上で寄贈しなくてはならないだろう。スペースあります? 整理ができますか? そもそもいりますか? ってあたり。
私も図書を地元の図書館に寄贈することがよくある。仕事上、大正末~昭和戦前期の地元に関する書籍が中心。まず自分で重複がないか調査して、そして受け入れ可能か司書に相談する。週1くらいで図書館を使っている。
司書さんと話していると、いらない本とか忙しい時期や作業が解ってくる。こんなの個人がすべて理解するべきとは思わないけど、文庫レベルで図書を寄贈するなら当然理解していないといけないと思う。
これは私にも言えることなのかもしれない。古本とか稀覯本の、そのものの価値に加えて、それを所持している自分・あるいはそれを知っている自分に価値を見出していませんか。
今回の事案、寄贈者は漆器研究の専門家ということで、彼の価値は、漆器にまつわる民俗学の専門性にある。研究自体もそうだが、彼の研究姿勢や系譜が解る図書群ならばまとめて寄贈してもいいと思う。
ただし今回の奥さんの蔵書はどうだろうか。寄贈者の専門性と照らし合わせて、あるいは研究者のバックグラウンドを考える上で重要だろうか? そのあたり、寄贈者や図書館は充分にお互いを理解しなくてはならなかった(こうやって増田で言うのは簡単だ。ちょっと無責任な放言だとは思うけど。)。
たまにtwitterとかのSNSを見ていると、「本をたくさん持つ自分」「知識の基をたくさん持つ自分」に酔ったような、「知」にあてられたような人間をよく見かける。
かつても、文芸者の飲み会などで、家にこんな本があるあんな本があると自慢合戦になることもあったから、昔からそうだ。
実際大事なことは、本を持っていることではなく、それを読んで研究した結果、社会や学説史にどういう貢献をしたかだろう。
そこを踏み誤ると、名前を冠した文庫が公的機関に存在することに、思いもよらない価値が含めてしまうことになる。
文庫は名誉なことだけど、名誉な業績があったからそうなるわけで、そうなったから名誉なわけではない。ここを踏み誤りがちだ。
踏み誤ると、妻の蔵書を寄贈、なんて発想が出てくる。
大抵の大工は二級で事足りるので一級を取得しようと思わないということをいいたかったのか、
大工は一切図面なんてひかんでよいし作図ができるはずもないと思っているのか、どっちなんだろう。
ちなみに一級と二級の違いは扱える建造物の規模の大小で、並の大きさの住居や延べ面積500㎡の公共施設なら二級で設計できる。
なので某リフォーム番組に出てくる一級建築士に違和感を感じるのはある意味しかたない。
本来は豪邸や集合住宅、ビル、図書館、美術館なんかを手がけるはずの人に狭小住宅を作らせているのだから。
もっといえば内装や調度品はインテリアデザイナーと大工に任せたほうがいい。
また構造設計を担当する構造設計一級建築士、設備設計を担当する設備設計一級建築士という免許もある。これらは一級建築士資格がなければ取得できない。
①姉歯物件は大震災でビクともしなかった ⇒http://spotlight-media.jp/article/50466214100990319
②大震災で配管が断絶した(つまり、建物がそれなりに地震で変形した)ものもあった ⇒http://blogos.com/article/92808/
の両方の主張は、いずれかが全数調査を行っていない限り「ウソを言ってないというレベルでは」「自分が調査した範囲では、という但し書きの下では」同時に成り立ち得るが、あまり意味が無い。
東日本大震災は、地震そのものの揺れのレベルは非常に小さかった。ここで言う「揺れのレベル」というのは「一般的な建築物を揺らす能力」という意味だがこれは震度を意味しない。震度が高くても建物が全く壊れない地震もあれば、震度が低くてもメチャメチャに壊れる地震もある。この辺は高校か中学で習う「共振」を思い出せば何となく理解できるんじゃないだろうか。要するに地震そのものの持つ周期と建物が持っている周期が一致すればより建物は揺れやすくなる。建物と共振しやすさは、震度の計算にあまり加味されていない。これが東日本大震災で「揺れのレベル」が小さかった、と書いた理由だ。
この前の震災では地震の継続時間が長かったから超高層ビルがめちゃくちゃ揺れたとかニュースが流れたが、一般の建物を崩壊させるほどのパワーはほとんどなかったと見ていい。
もちろん局所的に地盤が軟らかい土地などでは大きな被害を受けた建物もあっただろうし、もちろんその逆もあっただろう。
要するに地震そのものに対する認識が雑だと、この種の議論はまったく空転するのである。いくら建物が強かろうと、それを上回る程度の「揺れのレベル」の地震が来れば壊れるだろうし、逆に弱小建物も「揺れのレベル」が小さければ壊れないのである。
長谷川豊が言っている、
当時、震度5か6でパターンと倒れると報道された姉歯元1級建築士が設計したマンションは果たしてどうなっているのか?!答えは…
ビクともしていなかった。
当時、姉歯氏はこう語っている。
「耐震に関してはかなりの強度を保っておりますし、震度7や8にも十分耐えられるはずです」
そう、関東地方にある姉歯物件は実はフジテレビ関係者も住んでいた。お台場にあるフジテレビ本社にはかなり交通の便の良い所に姉歯物件が存在するのだ。ちなみに、それらの姉歯物件だが、少なくとも僕の知る限り…
1棟もヒビ一つ入っていない。
国土交通省省の定める耐震強度がそもそも、あまりにも強すぎる設定になっているだけで、姉歯氏の計算通り、1000年に1度の地震が来ても、彼らの物件やマンションはビクともしなかったのだ。
は、まったく地震に対する議論が雑である。専門家ではないので仕方ないかもしれないが。地震に対する言及は
・1000年に1度の地震 ⇒ マグニチュードはその程度の頻度になるかもしれないが、マグニチュードは揺れの強さではない。「揺れのレベル」も表さない。
・そもそも震度8などない(最大で7。姉歯の言葉の引用のようだが。)
だけである。上でも書いた通り、震度7でもまったく建物が壊れない場合もある。
では逆に、震度5で姉歯物件は倒壊しうるか?と言われれば、「倒壊しうる」と俺は答える。
http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/kyoshin/kaisetsu/comp.htm
上記を参照すると、震度5強で周期1.0秒(建物の周期に近いところな)だと加速度は100gal~200gal程度だろうか?(重力加速度は980galなので重力の1/10~1/5の「地面の揺れ」)
建物に「地面の揺れ」が伝わると加速度は増幅される。その倍率を仮に1.5だとする。そうすると建物に作用する加速度は100gal~200gal×1.5で150gal~300galだとする。
通常建物は重力の0.5倍の加速度(490gal)で倒壊しないよう設計されるとして、それが耐震偽装により半分まで落とされた場合どうなるか?
490gal×1/2=245gal
これが耐震偽装された建物の耐えられる加速度だ。地震によって150gal~300gal程度の加速度が作用したら?
安全率、建物の劣化程度、局所的な地盤条件その他諸々条件を考慮したとしても、「倒壊し得る」という答えが妥当だ。100棟あれば少なくとも1棟くらいは倒壊する可能性が高い。
そんなような簡単な計算に基づいた推測からすると、姉歯は相応に叩かれるべきだったと思うし(叩かれ方は妥当ではなかったと思う。それは同意できる。)、姉歯物件は震度5強でも倒壊し得る。
長谷川豊は「あの姉歯物件は東日本大震災でビクともしていなかった。」とあくまで特定の地震に対する結果のみに限定しているとはいえ、姉歯物件が安全であるかのような書きっぷりにはやはり納得がいかない。
「虐殺器官」という本を読んだ。
読みおわってつまらなかったなーと思い、しかもただつまらなかっただけでなく読んでてイライラしてストレス溜まるタイプのつまらなさだったから、これは星1のAmazonレビュー見に行ってうさをはらそう、としたら意外にひょうかたかい。なんでかしら。
この本にストレス溜まったのは、わりと同じ理由でいらつく本多いんだけど、以下のような点が挙げられる。
・会話が不自然
登場人物がいちいち○○学的な側面からぐだぐだ話す。百文字以上は一息に語る。日常的にこういう話し方する人いないと思うしいたらいらつく。話してるんじゃなくて語ってる。
・登場人物が没個性
こいつら基本的に同じ思考パターンしてやがる。わかりあえなさがない。こんな人間ばっかならそりゃ凄まじいスピードで虐殺文法浸透しますわね、という感じ。社会ってもっと多種多様な人間がいて、それによって生まれる不協和音におもしろみがあると思うんだけど、たぶんこの世界の人間の性格パターンって一つしかない。同じ人間が別々のバックグラウンドをもってるだけって印象。
・主人公の語りがうざい
一人称の小説なので文章の大半は主人公の語りなのだけど、いちいち二千一年宇宙の旅だのモンティパイソンだのをおりまぜてくる。単純にノイズ。あとなぜスターウォーズと銀河ヒッチハイクガイドが同居してるの? どちらかに絞ってほしい。あと主人公はほんとにアメリカ人なの? この小説は『海外小説を翻訳しました風』な文体なのだけど、なんか主人公がアメリカンな心情を持っているとは到底思えない。ついでに言うなれば、なんでか『日本』がちょこちょこと出てくる(オーサカの工場、とかジエータイ、とか)だけど、これも海外小説っぽくなくて違和感がある。海外小説に『日本』がぴょこっとでてきておおっと思うのって、卵が双子だったみたいなプチハッピー体験なのだけど、頻度多過ぎて逆にしらける。
そして主人公は戦闘中に生命の危機を覚えることもなく(これは未来テクノロジーの恩恵という説明になっているけど)、悩みを語るときもそこには気の利いてる風例えがワンセットになっているので、彼に共感することもできない。結果、白々と淡々と読み進めるだけになってしまう。
あと、虐殺の文法の説明少ないとか銃撃戦の最中に気の利いた会話してていいの? とかいろいろあるのだけど、結局内面のリアリティとSFのリアリティと、どっちも中途半端なのが最大要因かなあと思う。どっちかしっかりしてればまだスムーズによめたんだろうけど、両者がやわやわなので中国のビル並みの耐震強度になってる。
ライブドアの事件に特捜が入り、あっという間に逮捕されましたが、どうして耐震強… - Yahoo!知恵袋
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q107931365
ライブドアの事件に特捜が入り、あっという間に逮捕されましたが、どうして耐震強度の事件では誰も逮捕されないのでしょうか???
知識がない私はライブドアの株で確かに被害にあわれた方、おられると思いますし、実際私も株をしていますが、株は何があっても事故責任だと思って取引しています。
耐震強度の事件は偽装もはっきりしていて、実際に認めているのに、なぜ逮捕されないのですか????
特捜はどんなときに出動するのでしょうか?
私にとったら、殺人マンションを自分のエゴのために平気で創ってなおかつ隠しとうそうとする行為の方が凶悪のように感じてなりません。。。。
詳しい方教えて下さい。
よろしくお願いいたします。
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質問日時:2006/4/13 14:54:55
解決日時:2006/4/14 20:31:57
回答数:7
閲覧数:1,382
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ベストアンサーに選ばれた回答
kunnsirouさん
耐震偽装問題は自民党もそうですが、創価学会も絡んでます。姉歯は学会員で建築ではゼネコンの福田組が絡んでます。福田組とヒュザーは創価大学卒業生の就職先では有名です。それよりも福田組は民主党の代表小沢の妻(和子)の実家です。四季報にも株主として名前が出ています。前代表の前原氏の妻も学会員です。これから先、野党は追求できるのでしょうか?どうせトカゲの尻尾きりで終わりそうです。
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回答日時:2006/4/14 11:40:32
林業における密植の効果。
日本の林業の特徴は、密植にある。密植は、苗を植える時に、極端に狭い間隔で植える事であるが、これによって、木と木の間が狭くなり、日が当たらなくなる。
すると、枝が伸びても、日照不足で枯れて腐って落ちる。人間の手で枝打ちをすると節が残るが、腐って落ちた枝の節は残らない。このため、無節の良い材木が取れるようになる。
縦横1メートル間隔で植えると、1ヘクタールあたり10000本の苗を植えることになる。この状態でしばらくたつと、木の上部だけに枝がついた林になる。そこで、半分くらいを切り倒す。間隔が広がり過ぎると枝が生えてしまうので、間伐する時期を決めるのは重要な判断になる。上部の枝だけで木を太らせる事で、無節で太い材木を育てるのである。
ここで重要なのは、元気な木を残すのではなく、弱い木を残すということである。元気な木は成長が早かった分だけ、木目が粗いし、何度も枝を伸ばしては枯れて落としてを繰り返して来た分だけ、節の痕跡も消えずに残っている可能性が高い。弱い木は上部の枝だけで細々と伸びてきた為に、枝を伸ばす事も無かったであろうから、節が残っている可能性が低いとなる。さらに、太る余地があるという事は、それだけ、節を消せる余地があるという事になる。苗を植える時に、強そうな苗と弱そうな苗を交互に植えるという配慮をするというのが、一番良いのだが、実際に育ててみないと、どうなるかわからない部分もある。
密植は、林の中に光を入れない事で、節を発生させないという効果を狙う手法であるが、同時に、地面に他の植物を発生させないという結果を招く。密植中の林の地面は、湿気が多く、日照が少ない為に、コケの類だけしか発生できなくなり、地盤がゆるくなりがちである。このような環境でも生育できる植物で、かつ、材木にした時に価値の高い植物ということで、杉が選択されることになる。
杉は、適性があるが故に密植されるというよりも、自然界において、密植によって育成に適した環境を自ら作り上げる特性があった為に、人間に利用されるようになったとも考えられる。
樹齢20~30年程度では、磨き丸太にして使うくらいしかないし、40~60年程度でようやく板が取れるようになり、80年を過ぎたら角材の柱に使えるようになるというのが、林業である。つまり、間伐によって抜き出した材木や製材残りの端材の使い道がないと、採算が取れない商売になってしまう。林業において一番重要なのは、この、間伐材の使い道を開発して採算を維持する事であろう。
200年もつ住宅のような長寿命化住宅では、スケルトン・インフィルになり、インフィルには、2×4が想定されている。その部材に、国産林業品を使う事は、不可能ではない。スケルトンが構造強度を担うので、インフィルは耐震強度等を考えなくて済むから2×4で十分となり、競争力のある価格設定が出来れば、間伐材の使い道の一つとなりうるであろう。
[2009.9.26] http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/diary.html