はてなキーワード: 流行歌とは
あいみょんとか米津玄師とか、最近の若い人で、有線でかかってるような曲ってけっこう重くない?
インスタとか見てるとキラキラした人たちばかりなんだけど、ああいうキラキラした人たちがそういう曲聴いてるの?
また別の層なのかしら?
さとり世代とか言うけど、もしかして若者の大半は既存のヒットチャートと無縁のところにいて、ごく一部の流行に関わる人たちだけの流行歌が有線に乗ってるのでは?と思うのだけど、どうだろう?
たとえば、世の中の75%が流行歌と無縁の生活をしてる人で、残りの25%が作ったヒットチャート上位曲が社会全体の流行として扱われてるとか?
(75%の人は、YouTubeやSpotifyでいろんな時代のいろんな国のいろんな音楽を聴いてるか、音楽に関心がないか。)
街中のポスターや看板がセクハラだみたいな話、よく上がってるけどさ、何気に店でかかってる音楽がきついときない?
流行歌か歌謡曲だかの、重いメロディに重い歌詞、失恋だかなんだかの重いストーリー。
不用意に入った定食屋や百均でこの手の曲がかかってて、がっつりこっちの精神に食い込んでくる。
でも、音楽はもっとパーソナルなものであって、流行ってるからってみんな失恋の歌聴きたいわけじゃないよねぇ。
最近の若手のアーティストで、才能あるなぁって思う人もいるのよ。
でもそれとこれとは話が別なのよ。
今はまだその場を去ればいいだけだけど、昔、職場でとりあえず802流しとけって感じで、聴きたくないJポップ聴かされてた時代はきつかったなぁ。(大阪ではどこいっても802が流れてる時代があった。)
今もそんな職場あるんかなぁ。
あったとしたら、環境型ハラスメントだとか何とか言ってはてなでやり玉に上がっててもおかしくないよねぇ。
個人的には、ジャズとかイージーリスニングとか、歌詞がなくて(あるいは外国語で)、旋律もうねりの少ない、ストーリー性の少ない音楽なら街中でも大丈夫なんだけど、これも人それぞれなんかな。
日本が歌下手アイドルの国になった戦犯は誰なの?
あたかも洋楽エンタメの世界は歌が上手い人がもてはやされているような論調だが10年代以降のポップスの状況を顧みると、元増田は今の海外シーンを旧来の日本のエンタメ観で捉えてしまっているような気がする。
じゃあ今の海外シーンは昔とどう変わったのかって話をすると、それは大きくいってヒップホップがメインストリーム化したことじゃないか。
ヒップホップがメインストリームになったというのはEminemや50 Centみたいな音楽ばっかりになったってことではなくて、ポップスがヒップホップの感覚で作られるようになったということね。
旧来のポップスもとい今の日本の一般的な制作体制ってのは、基本的に作家(コンポーザー/ライター)、アレンジャー、歌手に分けられる。
メロディや歌詞を考える作家がいて、それを基にアレンジャーが音源仕上げて、歌手はクリエイターの意図に沿った歌唱をする。
一方ヒップホップっていうのはトラックメイカー(プロデューサーっていわれることも多い)と歌手という分類になる。
まず誰がどんな歌を歌うのか未定の状態でトラックメイカーがインストの音源を作り上げてしまう。それを聞いてラッパーや歌手自身がメロディ(ラッパーではフロウと呼ばれる)や歌詞を考える。
SNSの浸透でアマチュアでも大々的なプロモーションが可能になったため、無名だけどセンスいいトラックメイカーから安く音源を買って自分で曲を仕上げてヒットを飛ばすようなラッパーが増えたのね。
歌メロと歌詞を考えるだけなら知識がなくてもセンスで勝負できるからR&Bやヒップホップ畑じゃないポップス志望の歌手もそういう方法を取り入れるようになった。
そして細かいとこまで詰めてからやっと歌入れする旧来のやり方より、ヒップホップのやり方のほうが効率よく手早くできる。
また昨今のハラスメント排除の流れとかもあって「プロデューサーとかの操り人形みたいになってる奴ヤバない?」みたいな風潮ができてきて、歌手本人が制作に口出しできなければ健全じゃないというように見られだした。
Rケリーのいざこざが蒸し返されたり、Ke$haとプロデューサーの裁判があったりで、与えられた曲を一生懸命歌うような姿勢は奴隷奉仕としてリスナーに嫌われだしたんだね。
増田が例示したワンダイレクション、Little Mixを輩出したXファクターも二年前に終わっちゃったし、この二組のメンバーも今は曲作りに積極的に関わるようになってるよ。
で、そんなこんなでコーライティングという制作スタイルが定着したんだよ。
コーライティングというのは歌手を含めた複数のクリエイターがチームを組んで、ディスカッションを重ねながら制作とレコーディングを同時進行で行うやり方。
アイドルっぽい扱いされてる人でもなんでも最近の流行歌手の曲はクレジットみたらちゃっかり歌手本人の名前が記載されているけどそれはコーライティングで制作されているから。
前置きが長くなったけどつまり今の洋楽って歌手本人が歌いやすいよう最適化された曲ばかりだから下手になりようがないんだよね。
「ちょっとこの部分高音きついわ。直してくんない?」みたいな注文つけて書き直してもらうようなプロセスがあるから。
オーダーメイドスーツだからぴしっとお洒落に決まるみたいなもんだよね。
話が脱線するけど、だからシンガーソングライターは格上だとかアイドルとアーティストの括り分けみたいな、そういう日本人がもってる概念も洋楽には存在しないんだよね。
ライブとか曲制作にいっちょ噛みしてるかどうかでアイドルか否か、アーティストかどうか日本だと分けられるけど、才能あるなし関係なく洋楽はもうみんないっちょ噛みしてるからね。
それの何が凄いの?って。
まあアリアナグランデとかThe Weekndみたいに歌唱力が売りの一つな人もいるけど、下手なことでマイナス評価がつけられることはもはやないと思う。欠点を論っても仕方ないというか。
テイラースウィフトなんかはダンスも歌もいまいちだけどSNSでのセルフプロデュース込みのイメージ戦略と、赤裸々な歌詞で地位を築き上げたじゃん。
そもそも歌が下手な奴に無理強いさせて歌わせようって感覚がおかしくて
そこの違和感に気がつかず「最近の音楽は」なんて言ってる日本人の感覚がガラパゴスなのかもしれないね。
歌いたい奴が勝手に歌って、たまたまそれを見聞きして良いと思ったら応援して拡散させるっていうのがこれからのあり方なんだよ、きっと。
高校の頃までオタクだったが、大学デビューのためにオタクをやめた。
いや、いきなり漫画もアニメもpixivも同人も全て封印するのは無理だったので、漫画も今まで好きだったものは読んでいいが新規開拓はしない、グッズ・同人誌は買わない。
pixivは見るだけで投稿は絶対しない、ぐらいの緩さから入った。
オタク的な感性を矯正するために、流行りの歌を聞き、それまで好きだったアニソン・ボカロ曲などは今まで好きだったもの以外は一切聴かないことに決めた。
アニメを見るのはやめ、代わりにバラエティーと音楽番組と月9を視聴する。(バラエティー禁止の家庭で育ったのでバラエティーを見る感性が備わっておらず本当に苦痛だった)
芸能人の名前を暗記し、着る服や化粧品の選定は全て友人と恋人と店員の感性に任せ一切私の趣味を挟まない。
赤文字雑誌を最低でも3か月に一度は購入し熟読する。
オタク以外と仲良くすることに努め、今まで仲良くしてきたオタクの友人の前以外ではオタクであることを隠す。オタクとしてオタクと積極的に仲良くするのは避ける。
二次元しか愛せないとか言わずに付き合えそうな男がいたら付き合って好きになる努力をする。
オタク以外の人間から何か新しい趣味を紹介されたらとりあえず挑戦する。オタク以外の趣味を見つけるためだ。このルールのせいで全く興味のない恋愛映画を相当数見たし、変な場所へも旅行に行った。興味もないスポーツの試合を見に行ったりもした。クソまずいハーブティーを出すカフェを巡ったり、信じてもいない占いを信じる努力をしてみたり、お菓子を作ってみたり、料理に凝ってみたり、色々やった気がする。
で、そうやって全力を上げて努力すればオタクをやめられるものだと楽観的に考えていたが無理だった。
おしゃれもメイクも要領は良くなったが、全く楽しいとは思えない。
私が好きな服は真っ黒のロングコートとか、ドイツの村娘みたいな民族衣装とか、純白の軍服とか、とりあえずZARAには売ってない。
流行りのドラマや恋愛映画より全然pixivを見てる方が幸せだ。
三次元の男よりずっとずっと二次元の男の方にドキドキする。二次元相手ならいくらでも濡れるのに三次元の男とはローションがないとセックスできないしちっともときめかない。人間としては尊敬できるがそれだけだ。
めちゃくちゃ楽しい。
まあ、現世に未練はあるので、これは推しのイメソンだからと流行歌を一通り聞いてイメソンっぽい曲を探したり、推しを投影できそうな映画を見たり、聖地巡礼を兼ねた旅行に行ったり、推しが出ているという妄想をしながらバラエティーを見たり、なんとかオタク趣味と一般的なエンターテインメントを関連付けて摂取することで、周りの人間との会話に困らない努力はしているが、オタクをやめるのは無理だった。
いったん努力はしてみたので、もう私はオタクでしょうがないんだなと自分を許せたのは大きなメリットだったが、感性は努力で何とかなるものではないという絶望感を背負ってしまったのは少し悲しい。
昭和の歌は、戦争から帰ってくる息子を待つ歌や、人生の悲しみを歌う歌があり、東京以外の地方を歌う歌があり、それはそれはしっとりと見事に歌う歌い手もいて、そういう歌って、もう無いよね。
人生の悲哀を掬い上げる歌がもう、無い。現代の、生き辛さを抱える若者たちも、心は救いを求めるけれど、その気持ちを受け止める歌が無い。流行歌が無い。
そのくせ、軽薄な歌ばかり聴いている。エグザイルとか。重厚さが足りない。それじゃあ、君の悲しみは収まらない。
君たちが生きづらいのは、真剣に生きるものを、馬鹿にし続けてきた結果じゃないのか?因果応報…は結果論でしか無いが、その辛さは、かつて君たちが馬鹿にしてきた者たちの声なき声が覆いかぶさってきたものなのだ。
未来は、現在進行形で作られている。君たちが、団塊の世代を恨むように、次の世代は君たちの世代を恨むだろう。
でも、まだ間に合うようよ。祈れ。隣人を馬鹿にするのをやめろ。今から、晴れるよ。ハレルヤ。
そういえば、選挙のことを歌った歌ってないんですかね?
40代後半のおっさんだけど、洋楽を聴き始めた当時(中学生、80年代前半)の日本は、
J-POPと呼ばれる前の歌謡曲と呼ばれる流行歌、それも若者には松田聖子を筆頭とする
アイドルの曲が全盛だった。
もうね、嫌になった。こんなくだらない音楽聴いてられるかと。
Music TVという音楽のビデオクリップ専門チャンネルがアメリカで放送を開始して、
なぜか日本でもUHF放送(千葉テレビ、テレビ神奈川)とかで放送されていたので
にマイケル・ジャクソンとか大流行。
イギリスのバンドも人気があり、Duran Duran ,Culture Clubなどとても流行った。
歌詞は歌詞カードを読んで翻訳しないと意味がわからない語学音痴なので
聴いてるだけなら頭に入らず聞き流すことができる。
じゃあクラシックでも同じじゃんと今なら思うが当時は全く興味もなく。
ていうか増田は何聴いとるん?
言葉の意味というのは曖昧模糊としておりますから、私がお話しします。
ここで言う「いい」とは、普遍的な良さを指しています。八方美人的な立ち居振る舞い。ポリコレ的な思考。
誰にでも好感をもたれるような人が、いい人と表現されます。感じがいいとか、人当たりがいいとか、好青年だとか、
言い方はたくさんありますが、どうやら万人受けするということがいい人の条件のようです。
このような「いい人」の性質とは裏腹に、「やさしい人」と言うのは限定的です。お年寄りに優しい、自分にだけ優しいと言うように、
やさしさには必ず対象が存在します。誰にでも優しいというのは、誰かに優しくすることとは違うのですね。
また、やさしいという言葉には好感も含まれています。優しくされた、優しい感じがしたというのは、「自分好みだった」という
ニュアンスが含まれているわけなのです。人は無意識に、「自分にだけ向けられる優しさ」を求めているのでしょう。
近頃の流行歌には「君を守る」といった言葉が増えているかと思います。
このフレーズには、「(世界中全てを敵に回しても)君を守る」という意味が隠されており、
その圧倒的な好意の指向性を、たった4文字で表してしまっていたのでした。
人に優しさを伝えるには、他と同じにしていてはいけないのです。
他のことなどどうだっていい、あなただけがすべてだ。…というような思いこそが、愛と呼ぶに相応しいのではないでしょうか。
愛せよ、増田。