はてなキーワード: 年末ジャンボとは
世の中の人間は他者と対等な人間関係を築くことができ、恋人がいたり友人がいたりする。
どうやら恋人がいたことがあるもしくは、友人がいるというのは見聞する限り人として常識的なことのようだ。
彼らは、息するように他者と会話しあまつさえ楽しさすら覚えている。
一方の私は会話により苦痛を受ける。会話の多い日は定時にあがれても家のベッドへ直行し起きる気力がないほどぐったりする。私にとって繁忙期にいくつもの期日に追われ深夜まで残業するほうがだいぶ楽だ。
彼らは私のことをコミュ障だと軽い口調で言う。120%がんばって擬態しようとしてこの様、素の私はもはや人間に満たないなにかなのか。発達障害は白黒でなく濃淡だと言われるが、仕事が何年も続けられている時点で私は大分色が薄いほうなのではないかと思われる。
しかしある統計では世の中には沢山いるはずのコミュ障なる人はまるで見当たらない。それはどこにいるのか。もしかしたら私よりもうまく擬態できているだけなのか。
遠出した先の私鉄の駅で便意をもよおした。
乗るべき特急の時刻が迫っていたので同行者の手前もあり不本意ながら我慢するしかないかとあきらめかけたところで事故による遅延を知らせるアナウンス。
チャンスとばかりにトイレに駆け込む。
ほどよくチャージされたブツは一気に放出され、洋式便器のくぼみを埋め尽くした。それは30年ぶり(2度目)の巻きグソになっていた。
日常的な飲酒のおかげでやや緩めなことが多くなっていたのでこの年になってまた再び巻きグソを拝めるとは思わなかった。
素直にうれしかった。この感動を誰かと分け合いたくて写真を撮ろうかと思ったが実名でやっているFBにも匿名のTwitterにもアップするわけには行かないだろうと思い直して水を流した。
翌日、職場についてすぐに再び強い便意。
くだらない朝のミーティングの間はただ黙って耐える。ミーティングがあと2分長引いたら途中退出してトイレに向かっていたと思うがなんとか我慢した。
これは無理をしてはいけないヤツだ。
慎重に、ゆっくりと、自分自身を内側から調教するように徐々に力を込めていく。
そのうちそれは勢い良く飛び出した。まっすぐ伸びた巨大なうんこ。
28年前を思い出す。自宅のトイレを詰まらせた巨大なうんこを。
子供だった私には手に負えず恥を偲んで母親に事態の収拾を依頼するしかなかったあの出来事を。
二日続けてこんなことが起きるなんて何かあるのだろうか。
しばらく考えてみたのだが「ウンがついてる」というベタなダジャレだかゲン担ぎしか思いつかなかったので仕事帰りにロト6を1000円分と年末ジャンボを10枚買った。
ロト6は外れたが年末ジャンボは当るかもしれない。発表までワクワクして待つとしよう。
このワクワク(というかレアうんこ)は年末の職場の殺伐とした空気に疲れた私への少し早いクリスマスプレゼントだったということにしようと思う。
世間様とやらは相変わらずだなと思う。凄いよ。
こちとら忘れ物しちゃったり約束の時間にちょっと遅れちゃうぞ☆ってくらいのつもりでやってんのに
はあレイプ魔ですか。人よりちょっとメモを取らないと不自由する人間がレイプ魔ですって
もちろん露骨には書いてない、でも匂わす程度、匂わす程度に書いている。
もともと俺はバイでそれをカミングアウトしてないから、友人に隠さなきゃいけないことがもう一つ増えた。
犯罪者顔だとよく言われる。人を殺してそうだと。勿論、考え無しな人の冗談だと今まで思っていた。
でも彼らは本気なのかもしれない。次にADHDだとか、バイセクシャルだとか、ばれたらなんとなるだろうか。
俺は確かに真面目な生き方はできなかったよ。今だって正社員じゃないし、アルバイトだ。
でも技術職だしクリエイティブ系の仕事についている。俺は夢を叶えた人間だ。
仕事がつまらないと思ってる奴よりまともな生存戦略を図ってきたと思う。
まあ、恋人は難しい、女性は殆ど玉砕、男性だって結局セフレみたいなもんで、もうここ6年は誰とも関係を持ってない。
そういった面で良い目を見れたのは2年くらいで、あとは糞みたいなもんだ。
しょうがない。これは俺がセクシズムに対して拗らせたせいだから。
そのかわりこの6年でいい友達も得れたし、世界は良くなった。風に見えた。
正直、セックス出来るならしたいってくらい好きな奴もいるけど相手を尊重してる。
その代りムッチャ甘えてる。勿論、友人として、だけど。
他人の嫌がることをしちゃいけないことくらい知っている。
メモに書かなくてもわかるんだよそれくらい。
こんな社会に生きるのはもう無理だし、
空飛ぶ鉄塊が家に墜ちてくるのを待つしかない。
追記:改行ちゃん入れ忘れてやんの、あほだね
まずはおめでとう。7億は人生を買えるお金で、あなたは賢く立ち回れば一生労働しなくて良い身分になった。
しかし、今までは無縁だった危険と隣り合わせになった事も自覚しなければならない。
まず、当選した事を10年は隠し続けなくてはならない。誰にも言ってはいけない。例え親兄弟恋人だろうが例外は無い。
身近な人がお金に困っていても、絶対に出してはいけない。例え親や嫁や旦那が借金取りに追われようが出してはいけない。(債務整理が得意な弁護士を紹介してあげるのは良い)
そして使い方について。
まず奨学金だが、月々普通に返していけば良い。奨学金の利子は低額なので、借りている方が得なのだ。
真っ先に不動産に手を出すのは愚策。まずは今の所の1.5倍くらいの家賃の家を探せ。都内なら2倍でも良い。
そして自分の中で心地よい住まいのイメージを固めてから、ローンを組んでマンションを買え。
定期に1億も放り込んでおくか、あるいはローンと同額の国債を担保に入れれば、低金利で金を貸してくれる銀行はいくらでもある。
何故借りるかと言えば、住宅ローン減税を使うためだ。銀行に相談したらなんぼでも教えてくれる。
両親に仕送りは絶対やめろ。そこから足がつく。7億は大金だが、身内にバレれば一瞬で消える程度の端金でもある。
お前の親が老人ホームに入る時、年金暮らしで生活がキツくなる時まで仕送りはするな。
良かれと思って親に仕送りを始めると、親がもらえるのが当然と思いだす。その後はバレ→身内総出タカリのコンボが決まるぞ。
家電、円盤、お絵かきは好きにしろ。自己消費の分はよほど派手に使わないかぎり問題無い。
ただし、友人にバレると最悪命の危機まで有るから気をつけろ。億の金を○してでも奪いたい奴はこの世にいくらでも居る。
普通預金に7億入れると営業電話がクソうるさいが、絶対にかけてくるな営業するなやったら別の銀行に預金を移すと言え。
あ、地方銀行や信金は万が一が有るので、メガバンクに入れとけよ。
お金を増やしたいなら、まずはNISAと確定拠出年金を勉強しろ。ファンド大賞に常時入っているファンドに毎年放り込め。
最終的には優遇措置使いながら1.5億ずつ投資信託、固い株式、REIT、外貨建MMFに分散出来る知識が欲しい所。
難しく考える事は無い。あなたには時間もお金も十分有るのだから、10年かけて学ぶつもりでやればいい。
分散投資が出来るようになれば、あなたは同人誌を書きながら手取り1200万(年収換算コミコミで2000万くらい)の生活が出来るようになる。
元手を崩さずにこの生活が出来るようになるのを、向こう10年での目標とすれば良いのではないかと思う。
大金が入った直後は一番危ない。それは口座に入っただけで、ほんとうの意味でのあなたのお金にはなっていないのだ。
金が自分に定着するには10年かかる。逆に言えば、10年後6億数千万残っていれば、それは本当のあなたのお金だ。
多少金持ってるオッサンからのアドバイスだ。たぶん金持ちに聞けば同じような答えが返ってくる事しか言ってない。
まずは落ち着け、そして自分以外に使うな。これだけは絶対に守れよ。
追記
社債とか言ってる奴が居るが、このご時世会社なんていつ潰れるかわからん。
追記の2
そういや年末ジャンボの季節か。
基本的な考え方だが、あなたのポケットにお金を入れてくれる物は資産、ポケットからお金を持っていく物は負債。
額の多寡は全く関係無い。7億も有るのに~の意見には全てこれが返事になる。
分割して死ぬまで細く長く使うのも無理。金は使い出すと止まらない。特に自分で稼いでいない金はね。
資本主義社会だから、資本を持つ者は勉強せざるを得ないのです。
金が本当に自分に定着するまでは、常に振り回されている感覚だよ。定着した後は、世の中を一歩引いて見ている感じだ。
なってみればわかるよ。
追記3
2000超えしてて更に吹いたw
7億も有るのにNISA住宅ローン減税wって言う人はお金を落とすのが趣味の人なのかな?
サラリーマンや自営業者はほぼ全員検討する制度を、金持ち気分でスルーするのは虚栄心でしょうか。
銘柄選定すればNISAは良い制度だし、住宅ローン減税は不動産投資している身としては喉から手が出るほど使いたい制度なのですが。
他事で忙しいからやらないならともかく、資産が有るからサボるという発想は理解できません。
MMFとかバカじゃねETFだろと言う人。その意見も有りだとは思うけど、現在の株価でETFに突っ込む勇気は俺には無いね。
宝くじを買うのが情弱なんじゃなく、宝くじの金銭的なリターンに期待するのが情弱、というか脳弱なんだよな。
例えば年末ジャンボなんて餅焼きながら元日特別号の新聞で番号確認する恒例行事が本体だろうに。
むしろそこで当たってたら「一年分の運使い果たしたか」とか震え上がるわ。
というか、正直何でもかんでも「そんなもんは騙されてるだけ、情弱乙」で片付ける昨今の風潮は個人的にはつまらん傾向だと思う。
コストパフォーマンスだけを考えると結局のところ娯楽に金を使うだけ無駄だし、おいしい料理とか考えずに小麦粉とサプリメントだけで生きたほうが良い。
さて、俺自身は宝くじの業務に間接的に関わっているので、ここから先は眉に唾つけてから読んでほしいのだけれど、宝くじは本当に買うべきじゃないのかということを擁護していきたい。
そもそも宝くじを何のために買うのか。
これは、宝くじ購入者が言うように『夢を買っている』ので間違いないと思う。もうちょっと具体的に表現すると、『当選発表までのワクワク感を買っている』ということになる。
買ってしまえばあとは当選発表を待つばかり。今年の年末ジャンボだと12月13日に発売し、31日に当選発表するので、だいたい2週間ちょっとワクワク感が持つ。『もしも数億円と言わずとも数百万当たったら』という自分の中だけのワクワク感もあるし、知り合いとの会話のネタにもなる。
ワクワク期間が長すぎるならばロト6やナンバーズを買えば数日で当選発表される。競馬ならば馬券を買ってから馬が走るまで。ぱちんこならば4円の玉が穴に入ってスロットが当たるまでの数十秒間。
言い換えると、基本的にギャンブルというのは「当たるまでのワクワク感を買ってる」ということになる。これが無駄と思うか有意義と思うかは人によって異なると思う。
移動だけ考えるならばジェットコースターは始点と終点が同じなので全く無意味だし、映画なんて2時間も椅子に座らされる。しかし、ジェットコースターの爽快感とか、感動的な映画での号泣とか、そういうのをストレス解消や人生の楽しみにする人は多い。
なので、そもそも娯楽に対してコストパフォーマンス云々を言うのは全く持ってナンセンスだと思っている。
ここからは、個人的に「宝くじ買ったほうがいいんじゃないの?」と思える点。冒頭にも書いたけど、宝くじの業務に間接的に関わってるので、眉に唾つけて読むように。
ポイントは2つ。1つはランダムであること。もう1つは当選発表までの期間が長いということ。
最初のポイントは、『完全にランダムである』という部分。バラと連番という違いはあったとしても、自分で番号を選ぶことができない。これが良い。
というのも、外れた時の原因が『運が悪かったから』になるから。当選率の高い宝くじ売り場に行くとか、黄色い財布に入れておくとか、そういうゲン担ぎはあったとしても、結局は運になる。そもそも宝くじにおいてのゲン担ぎなんて、夏祭りに浴衣着るのと同じぐらいの気分を盛り上げるための手段だし。
競馬やぱちんこといったギャンブルになると、技能やセンスに依存する割合が若干増える。言い換えると、「馬の状態を勉強すれば当たる確率が上がる」とか「釘や設定の見極めをできるようになれば当たる確率が上がる」ということでもある。
こうなると、負けた時は運だけでなく実力も問題となる。自分に実力があればもっと稼げたはずだという思いが強くなってしまう。そうなると射幸心を煽られて、結果的にギャンブル狂になってしまう。
ところが宝くじの場合は運が悪かったからで終わらせることができるので無害。運以外の要素が絡まないからこそ、純粋に運のせいにできるので、自分自身を呪うことなく「残念だったね」で終わらせられる。
もう1つのポイントは当選発表までの時間が長いということ。冒頭でも書いたけど、長ければ長いほどワクワク感を持続させられる。
一度購入したらあとはワクワクを心に秘めながら生きるだけ。映画や遊園地といった娯楽は長くて数時間で終わってしまう。旅行は実施までの期間は長いものの準備が必要となる。宝くじは何も考えずに待つだけで良い。
仕事や子育てや学校が忙しくなったとしても、何も準備する必要が無い。買ってしまえばあとはワクワクし続けるだけで良い。たった数千円で当選まで2週間楽しむことができる。
また、ジャンボ宝くじは年に数回のため、競馬やぱちんこといったギャンブルと比べて、『アツくなってすぐにもっと使いたくなる』ということが無いのも大きい。「くそぅ! 次はもっと当てるように頑張る!!」と思っても、次が来るのは数か月後だから、だいぶ熱が冷めている。
他にも、「収益金の一部が公共事業に使われる」とかあったけど、その辺は人によって好みが分かれるんで割愛。
そんなわけで、たった数千円で当選発表までの2週間以上を心のどこかでワクワクし続けられるのが宝くじ。「そんなの儲からないよ」と冷めた目で見るのも別にいいけど、試しに1セットだけ購入して、こっそりとワクワク感を秘めながら生きるのも悪くないと思う。
こういう人生オワタ記事って増田に毎日上がってる気がするけど、ついに自分もその一人になってしまった。
さて、詰んでると思う点を10個ほど挙げてみよう。
書き出してみたら思ってたより酷かった…。
うつ病なんじゃないのって言われたことがあるけど健康保険が無くて全額自費だと万単位で飛ぶだろうから病院へは行けない。
残りの貯金7万円も今月の家賃と奨学金の返済で引き落されて本当に無一文になってしまうだろう。年越せないんじゃないかこれ。
こんな状況で何かしないとヤバイと思う気持ちがあるのに、体が動かず布団から出れなくて昼夜逆転してもネットサーフィンだけはしてる自分。
BIGと年末ジャンボのどっちか1等当たって危機は去るだろう!みたいな妄想をし始めたら相当終わってると思ってたけど最近毎日考えてる。
はぁー宝くじ当たんねえかな~
俺「マスコミがああやって煽るから、宝くじが当たりそうな気がしちゃうんだよ」
高田純次「でも当たってる人も多いと思うよ。だからくじはちゃんと買ってね」
俺「そうかなぁ、当たってる人は昔から居るよ。それに実家なんて年末ジャンボも買ったこと無いけど平気だったよ」
俺「夢がほしいのは分かるよ。だからくじは買うけど、そんなに当たる確率は高くないと思うなぁ」
高田純次「当たるかもよ。200人は当たってるじゃん」
俺「6億があたることって確率的には交通事故より少ないんじゃない?」
高田純次「でもそれで6億当たったらうれしいでしょ?」
俺「そりゃ、嬉しいに決まってるじゃん。俺が言ってるのはそういう事じゃなくて、確率の話」
俺「うん、だからくじはちゃんと買うよ。でもそこまで期待するほど確率は高くないんじゃない?」
高田純次「そんな事ないよ。当たってるよ。私がビッグマンしなくても良いっていうの?」
俺「え?そんな事まったく言ってないじゃん。さっき嫌だって言ったよね?」
10年ぐらいぶりに某地方都市の実家に帰ってきたら、パチ屋がやたら増えてた。
駅前にあったビジネスホテルも百貨店もレンタルビデオ屋も全部パチ屋になってた。
国道沿いの打ちっぱなしゴルフ場もパチ屋になってたそれでも足りなくて田んぼだったところにジャスコみたいにでかいパチ屋ができてた。地元のテレビCMもパチばかりだ。
それだけパチ人口が多いのだろうが、あいつらはいったいどこから出てきてどこへ行くのか?
同じバクチでも競馬や競輪はCMもほとんど見ないし、場外馬券売場もまず見当たらない。
宝くじはあちこちに売場があるが、行列ができるのは年末ジャンボの時くらい。毎日のように抽選やって るのに買う人をなかなか見掛けない。
なぜパチばかり?
確かに俺自身はギャンブルやらない人間だが、競馬競輪系や宝くじはまだ理解できる。そもそもパチほどやる人いないし。
この10年で娯楽の種類は増えたはずなのに、むしろパチが盛り上がってるって何でだ???