はてなキーワード: 変人とは
変人か? 結局のところ、なんなんだよ… わけわかんねえ
妻はベッドや布団で寝ない。
冬はコタツに入って、夏はタオルケットを被って、いずれも床で寝る。
カーペットを一枚敷いただけの、普通の床だ。おれも何度か寝落ちしたことはあるけど、間違いなく体が痛くなる。
でも妻は、毎日そこで寝ている。
ベッドや布団が使われることは稀だ。
本人曰く、気づいたら気絶するように寝ているらしい。この主張がまったく意味が分からない。
床で寝ても体の疲れは取れないのだから、普通なら「昨日は床で寝てしんどかったから、今日はベッドでゆっくり寝よう」と思うはずなんだけど、それをしない。
本当に気絶するように寝るのであれば、夕飯が終わったらすぐにベッドに向かえばいいのに、それもしない。
しかも、労働時間も家事育児する時間もおれの方が圧倒的に多くて、妻がそこまで疲れるわけがなく、やっぱり寝方の問題だと思う。
妊娠中などに、健康に気を使えという意味合いで何度か注意したことあるけど、放っとけといわれたので、それからは起こすことなく朝まで放ったらかしにして過ごしていたら、無理やりにでも起こしてベッドに連れて行かせろと怒り出した。
マジでうざすぎる。
だって床で寝る方が好きだから毎日そうしてるんじゃないのかと言ったら、そんなわけないと怒り出した。じゃあ、なんでベッドで寝ないの?
実体験です。
そうなると、以下の弊害がある。
・留年。
・↑している奴が一目置かれる。
・気に入らない奴、立場が悪い奴をいじめるようになる。パワハラ。
・一度立場が低くなると、這い上がるのが困難。
・自分の思考が偏っていることに気がついて辞めようとしても辞めさせてくれない(社畜思考とはちょっと違うけど)。
・体調不良でもなかなか休めない。優しいサークルだと「見学で良いよ」と言われても結局拘束されてしまう。
・↑体調が悪いだけで罪悪感を抱いてしまう。
サークルに関係する能力は磨かれますが...就活時に人事担当者の立場からみれば魅力的に見えるのだろうか。
社畜として雇われる可能性はあるが、その場合は思考停止状態が続き、30歳くらいで限界が来る可能性が高い。
人それぞれなのはその通りだけど、個人的には大学時代はサークル活動で鬱になっても辞められなかった(辞めさせられなかった)から、後悔している。
社長に目を着せられAI開発チームを編成されたが開発は頓挫し地下に潜った。
筋さえ通らなくても金次第で何でもやってのける命知らず。
「俺はリーダーの代表取締役。通称社長。無茶な発想と強行の名人。うちのようなアットホームな会社でなければ、ジャストアイデアでプロジェクト立ち上げは務まらん!」
「俺は平社員。通称現場。あまりの忙しさにみんなイチコロさ。時間とカメラさえあれば、画像データからビッグデータまで、何でもそろえてみせるぜ。」
「役員、通称会長。経営の天才だ。社長でもぶんなぐってみせらあ!でも、告発だけは勘弁な!」
「よぉ、お待ちどう!俺様こそ増田。通称元社員。ソフトウェア開発の腕は天下一品!奇人?変人?だから転職だ!!」
「俺はリーダーのフル・バック大佐。通称ハンニバル。奇襲戦法と変装の名人。俺のような布面積でなければ、百戦錬磨のつわものどものリーダーは務まらん!」
「俺はブラジリアン・ペック。通称フェイスマン。自慢のルックスに女はみんなイチコロさ。ハッタリかまして、ブラジャーからパンティーまで、何でもそろえてみせるぜ。」
「P・T・バラカス、通称コング。メカの天才だ。大統領でも被せてみせらあ!でも、ブリーフだけは勘弁な!」
「よぉ、お待ちどう!俺様こそティーバック。通称クレイジーモンキー。パイロットとしての腕は天下一品!奇人?変人?だから何??」
俺達は、道理の通らぬ世の中に敢えて挑戦する、頼りになる神出鬼没の、「パンティー野郎Pチーム」!
パンティーを借りたい時は、いつでも言ってくれ!
正確には軽度のアスペにADHDが混入しており、いわば心のなかで「自閉の弟を多動の兄が連れ回している」状態。
診断受けたときにやった知能テストでは、アスペが強いとされる部分は天才的に凄いと言われた反面、弱い部分は境界知能クラスと言われた。
今までの人生を振り返ると、結局の所、自分の一番弱い部分が事あるごとに足を引っ張ってきたと言っていい。
だから、「長所を伸ばすことが生存戦略として適っている」という、よくある言説は一切信用していない。
むしろ弱い部分を底上げするほうが確実にQOLは上がるだろうと思っている。まあ言うは易く…ってやつなんだが。
あと、障害特性が「軽度」で「混ざっている」というコウモリ野郎なため、普通の人からのみならずガチアスペっぽい人からもADHDっぽい人からも「変人キャラ」扱いされるのが地味に辛い。
さて、長い前置きはこれくらいにして、今まで使っていなかったストラテラを使うことになった。
薬については自分の場合、二次障害に対処するリスパダールとかリボトリールとかは使ったことあるけど、障害の根本部分にコミットする薬は使ってこなかった。
今まで比較的自分に向いていた部署にいたのが、配置転換により、全く向いていないどころか事故多発→クビ路線が確実視される現場に行くことになったから。
正社員につきものの話なのか、はたまた会社が自分を追い出したいからなのかは知らないが。
それで、とにかくなりふりかまっていられない。薬でもなんでも、合法的に使えるものは何でも試してやれと決心。
とはいえアスペに効く薬はないから諦めるとして、せめてADHDの特性だけでも軽減させないと…ということで主治医に相談したところ
「増田さんにどこまで効くかはわからないけど、最小量の25mgから試してみようか」
ということになった。
これが10日くらい前。
その効果だけど、「おお!こういう効き方するのか」と結構納得できる手応えだった。
初日から、仕掛中のタスクもさっくり切り上げて他のタスクに切り替われるようになり、更に集中と俯瞰の切り替えがベストタイミングで発動する感覚を味わった。
翌日には、相手の話を最後まで聞いて話すのがデフォルトになった。
翌々日には、話す前に一呼吸置いて話すようになった。
一週間後には、怒りも悲しみも不安も全て「冷静さを失わず」感じられるようになり、逆に今まで自分の心がいかにざわついていたかを実感した。
そしてここが重要なのだが、薬が効いているときに経験した言動は知らず知らずのうちに脳に記憶されるようで、効き目が切れ始めても、前述の記憶で言動が自然矯正されるのだ。
即ち一度薬を摂取したが最後、摂る前の自分には二度と戻れなくなると。
しかもたった25mgで、前頭葉にしか作用しない、精神系のお薬としては「見劣りする切れ味」と言われているものでも、この効果である。
こりゃ、麻薬や覚醒剤を売るなんて人殺しと一緒だよなと、心の底から思わされた。
というわけで、本格的に新しい部署に赴任するのは来年度で、今は移行期間なのだが、今の所大事故は起きていない。
それでもつまらないミスや必要以上にビビるケースは無くなっていないので、薬の増量を試すのもありかと思っている。
ただそれで治るのは多動のみであり、自身の問題のもうひとつの根幹である、自閉の部分は未だ手つかずである。
よって、話を端的にまとめるとか、相手に合わせて話す内容やアプローチを変えるとか、そういう他者への強い興味とそれに伴う情動がなければ身につかない部分は、多分今後も生きる上の厄介事でありつづけるだろう。
てかMDMAみたいな、情動を喚起する系の薬が早く実用化されて欲しいんだよね。
そんな感じ。
いつもなら座席座れるか微妙な所だが2人がけの席を一人で使っている状態。
札幌駅も人が少ない。
たまにいる欧米からの観光客はスキーにいくのであろうウェア姿。
ちょっと変(8割マスク着用せず・意味の分からない発言が多い)
他の接客業やっている友人らにも聞いたところ変なクレームが増えたとのことなので、
まあ買物してくれるなら変人でもいいんだけどだいたいそういう人たちって
ちなみに今マスクせず来店されると店員に影でマスクくらいつけろよって
言われている確立90%。
そもそも1月後半から2月のはじめ、中国人ばっかり接客してきたし、店員が感染している可能性の
ほうが高いので予防はしっかりしてきてほしい。
駅周辺に出没する有名クレーマーも、今までマスクしている人はいやなの!と
騒いでいたのに今日はマスク着用で現れて店員らの注目を浴びる。
それにしても客がいない。
今日来る意味あったんだろうか・・・と夕飯のことをひたすら考える。
店が開いている限り、人は来る。
商材的に、コレ買わないと今すぐ死にます!みたいなもの無いのに。
ただ、鈴木知事の緊急事態宣言、意外と皆ちゃんと守っててびっくりした。
やっぱり有能そうなイケメンのいうことってみんな守るんだな。
あれが嫌いって言う人も、好きだっていう人も、たぶん根源に感じている感情は一緒で
あの若さ特有の自己顕示欲と、傲慢さに魅力を感じているんだと思う。
一種の「規範的で無い自由な学生」という『規範』に「だが頭は良く常識がある」という『ズレ』によって、面白みを生み出しているという。
あれとよく似た構造を僕は知っていて、もう20年前にもなるが自分は国立の小中学校に行っていた。
小学生の時は普通の小学生だが、中学生になると異常な「学力至上主義」になる。
そこで何が起こるか、というと、「面白い事やくだらない事をするのは(変わってる事をしていいのは)頭のいい人だけ」になるのだ。
授業の途中にちょっと遊んでみたり、そういう事を頭の悪い奴(要するに自分みたいな人)がすると白ける。
なので、みんなに笑ってほしかったりするときは、不意打ちでボソッとギャグを言ったりしなきゃいけなかったし、
なんか規範が重苦しく感じて、ちょっと人とは違う事をすると「馬鹿なのに……」みたいな目線で見られたりした。
頭のいい人は何をしても許されていた感じがあった。
まぁこの話にはオチがあって、常識や規範なんてものは人それぞれで
「国立で教授の先生に囲まれつつ小中学校を過ごした」なんて子供は、話の間の取り方も、話す内容も
どこか狂っていておかしいのだ。
こういう学校に居た子供は、学力がどうとかに関わらず変人として一生扱われる。