2020-02-26

京大のおふざけのあれ

あれが嫌いって言う人も、好きだっていう人も、たぶん根源に感じている感情は一緒で

あの若さ特有自己顕示欲と、傲慢さに魅力を感じているんだと思う。

一種の「規範的で無い自由学生」という『規範』に「だが頭は良く常識がある」という『ズレ』によって、面白みを生み出しているという。

ある意味権威に対する賞賛みたいな構造を持ってる。

あれとよく似た構造を僕は知っていて、もう20年前にもなるが自分国立の小中学校に行っていた。

小学生の時は普通小学生だが、中学生になると異常な「学力至上主義」になる。

そこで何が起こるか、というと、「面白い事やくだらない事をするのは(変わってる事をしていいのは)頭のいい人だけ」になるのだ。

要は「変人は頭のいい人しか許されない」社会

授業の途中にちょっと遊んでみたり、そういう事を頭の悪い奴(要するに自分みたいな人)がすると白ける。

なので、みんなに笑ってほしかったりするときは、不意打ちでボソッとギャグを言ったりしなきゃいけなかったし、

なんか規範が重苦しく感じて、ちょっと人とは違う事をすると「馬鹿なのに……」みたいな目線で見られたりした。

頭のいい人は何をしても許されていた感じがあった。

まぁこの話にはオチがあって、常識規範なんてものは人それぞれで

国立教授先生に囲まれつつ小中学校を過ごした」なんて子供は、話の間の取り方も、話す内容も

どこか狂っていておかしいのだ。

こういう学校に居た子供は、学力がどうとかに関わらず変人として一生扱われる。

昔心のどこかで憧れていた「変人」も、場所を変えるだけですぐに達成できてしまったのだ。

そんな事を京大のおふざけのあれを見た時に思い出し、ちょっと切なくなると同時に懐かしいとも思う。

  • 反権威が一周回って別の権威と化すのは京大に限った話でもない

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