はてなキーワード: いつまでもとは
わかる。ほんとにそうなんだよ。元増田だけど。
世の中が保守一辺倒というのもそれはそれでどうしようもない社会だ。伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとをどうすんのと。
さすがに、公平性については、国の制度が、最低ラインとして補助線というか設計図を引かないと、いつまでも伝統的な価値とかいっててもしょうがない。
ポリコレというのは、反省せよといって圧力かけるような動きよりは、むしろ制度としての公平性、機会としての公平性という観点に話を限定しておくのがいいってことかなと思っている。ジェンダーの問題もそうだ。もちろん、制度機会平等を「合理的に」「理性的に」討議したとしても偏見がなくなるわけじゃない。
偏見はなくならないけど、近代が補助線として引いた制度の普及・概念の進歩に伴い、ひとの意識は変わっていくだろうと期待する。
実際、それだけでよく、それ以上のことはあえてしないほうがいいのじゃないか。
俺のほうがより反省してるぜ、なんならブラックフライデーだってキャンセルするぜ、とか、そういうポリコレ合戦は不毛にみえる。
普遍的な価値を錦の御旗に、ひとはすべて進歩した価値観にもとづいて幸福を追求しなければならない、みたいなのは押しつけがましい傲慢と思う。
だけど、繰り返すけど、合理的にアウトなラインを引いておくということは大切と思うよ。
その合理的なラインはあくまで政府の制度という視点で限定しておかないと、市民社会の人々がお互いに印象だけでこれはセーフアウトということになると、声デカな奴の言ったもの勝ちになって暴走する、と。
以上は補足・蛇足だけど、前2件の記事を書いた意図は、そういう意図。
プルーデンス(深慮)による対話と調整を訴えたエドモンド・バークの和解演説(1775年3月22日;イギリス議会下院)は彼の保守の出発点なんだけど、
バークの和解演説は英語なら簡単に読めるし、増田が読んだ論文の背景にあるものだから、もし興味があるならprudentというキーワードあたりを検索で拾って軽く流してみるのもお勧めします。
/usrの話、何の略かも分からなくなったようなのをいつまでも残してないで、
プログラミング言語みたいに新しい方法を用意していってほしい。
古いのはしばらくdeprecated扱いにしていずれ完全に廃止…みたいにして、
都民が奴隷に期待する奴隷二世の教育「とりあえず中卒、できれば高卒、将来は工場や物流とかで肉体労働して欲しい」
追記部分が割と致命的と言うかなんでキャンセルカルチャーがはびこるのかそして単にダメと言えないかポイントなんじゃない?
何でかって法的制裁が遡及に著しく弱くて要はやったもん勝ち、逃げ切りOKな制度なのおかしくね?って表れ
>「今日からこの決まりのもとでみんな生活することになったから、この決まりを5年前に破ったお前を制裁する」
こう書くと遡及はクソだなと思うけど
5年前は社会的風潮として言い出せなかったから泣き寝入りしてたけど風潮の変化や自身の行動限界の広がりから言えるように行動できるってなったときに
例えば同窓会で過去の恨みから暴行・殺人になるみたいなこと実際あるわけだけど
事実を言うだけ言ったろって告発するのもキャンセルカルチャーではあるわけでしょ
前者は論外だけど後者を否定される筋合いないんでね? 後者だって結果としてキャンセルされるかはわからなくて徒労に終わることも余計傷つくこともあるだろう
でもそれを過去のことなんだから自主的にやめろって言う権利あるか?
なんとなーくだけど学生時代は学校と言う異常なルールで法を捻じ曲げられたルールで運用で生きさせられるからこの言い出せなかったってめちゃくちゃあるでしょ
(韓国では芸能人の学生時代のいじめを告発されてキャンセルされるのが流行った話もあった気がする)
学生時代に理不尽な思いしても、告発することすら禁じられてそんな学生時代のいじりいつまでも引きづってんだwっていう論理を
キャンセルカルチャーを否定するってことは肯定する話になっちゃうんじゃない? そういう世の中がいいか?
前に「チャットAIは常識(検索のマジョリティ)を踏まえて答える分、バカの浅い独自研究より参考になる」というようなことを書いたら、「AIはこんなに間違ってる!!!!!」と発狂する奴が大量に絡んできたことを思い出す。
あれも、同じことのような気がする。
バカにはマジで、「正しい」と「常識」の意味の違いがわからないのかも知れない。
というか、対話する相手が「正しい」必要なんかないということすらわかってないのか。
相手に「正しさ」を求めたいという時点で、それは自分の考えがなく口開けて餌運んで欲しいと言ってるのと同じこと。
「正しさ」は結局自分で決めるしかないのだから、相手に求めるのは「自分にない視点でヒントを出すこと」以上のものではない、というのが普通に知的訓練を受けた人の考え方だと思うけど、偽物のインテリは「答」を覚えれば良いという義務教育時代の気分のままでいつまでもいるのかも知れない。
というか、義務教育でも「答を自分で決める」訓練を少なからずする欧米がやっぱり正しいんだよな。
日本人は大学に入るまで自分の意見を言う訓練を全くしないので、「高学歴でござい」という自覚の奴らが現実問題に「正しい答」があると本気で思ってバカなことを平気で言う国になっている。
参ったものだね。
20年前のネットは、社会の負け組も多かったが、有名大学のオタク学生みたいなのも精力的に活動してた。
そいつらは?卒業して、大企業に入って、コンプラでネットなんかとうにやめている。
お骨、亡き人への愛着だったり尊敬だったりで、お墓に納めずに一部持っておく、みたいな人いるよね
でも、お骨が手元にある事で、亡くなった人と過去に囚われて前に進めない、ということはあるのだと思う
自分は父親がなくなった時に、納骨するのが嫌だと思ったんだよね
冷たいお墓に入れるなんてと
けど叔母さんに諭された
一周忌を過ぎたらちゃんと納骨すべき、ずっと置いておくと気持ちがいつまでも亡くなった悲しい気持ちに引きずられる、残った家族が生きていくために区切りをつけるのが良いと
遺骨を手元に起き持ち続けることで、亡くなった奥さんの死から立ち直れないのなら、今からでもきちんと納骨するのが良いのではないかな
お寺などでやってくれるのでは
5年前に亡くなった妻の骨の一欠けらを財布に入れている。
彼女が亡くなった時、俺は激しく取り乱していてずっと泣いてたと思う。
情けないことに自分は夫な癖に妻の葬式の手配すらままならなかったのだ。
ほんと、情けない話だよ。
骨上げの際、俺は妻の骨をくすねた。
周りから気付かれないようにしたつもりだがバレバレだったと思う。
それでも誰も、なにも言ってこなかった。
何処の部位の何かも分からない小さな骨の欠片。それを今も財布に入れている。
あんなに好きな人はもう二度と現れないだろうと、本気でそう思っていたのだ。
少しずつ、ようやく妻がなくなったという事実を受け止められるようになってきたのは最近のことだ。
増田もそろそろ前を向いてもいいんじゃないか?そう声をかけてくれたのは友人だった。
俺はもう妻を悲しませたくない。そうした思いもあって、俺は婚活を始めた。
自分のためでもあった。どんどん腐っていく自分がいて、このままでは駄目になるのは分かり切っていた。
感じのいい人で話題も豊富、気遣いもできる人で俺のことをいつも気遣ってくれた。
食事の回数を重ねることでお互いの気心も知れるようになった時、彼女がそれは?と財布を指してきたことがあった。
俺は悩んだ末にすべてを話した。妻のことを。そして遺骨のことを。
「「気持ち悪い」
家に帰ると一人で号泣した。気持ち悪い。その一言が、本当に悲しかった。
大人になるというのは殻を作ることだ。だから何を言われても心の底から本気で傷つくことはない。
傷がつくのは殻で、でもその時の俺は殻の中身の俺が、」俺自身が本当に傷つき、まるで時が止まったかのように俺の耳には彼女の声がこだまし続けていた。
俺は30過ぎにも関わらずわんわん泣いた。相手の女性からは何度も電話がかかってきたが、とることはできなかった。
あのとき以降、俺は連絡を取っていない。
こんなことを言えるのも書けるのもここだけなので俺はこれを書いている。
俺は今でもあの一言に怯えている。
元増です
コメントありがとう、世の弱者男性に対する扱いはひどいと思うよ。てか弱者男性って言葉が広まりすぎて、定義がガバガバだよね。
君ほんとに弱者男性?上でへんに噛みついてくる人はそうなんだろうなと匂うけど…
コメもらって気づいたんだけど、
もしかしたら彼女達って女性の中でも弱者男性より、弱者女性なのかもね。弱男ほどひどい扱われ方をしてないだけで…だからこそキモいのが増長するんだろうけど。
書いてくれた通り、ネットでうるさいのは弱者女性側なので、私とか昔ながらのフツーの結婚をした人らの声はあんまりデカくないと思うよ。騒ぐメリットないから
彼女らにしてみれば自慢話だし、女子会でも幸せ自慢話なんかしないからね…男女共にだろうけど。
だから私がイライラするんだと思う。自分の選択の結果に過ぎないのに、ピーピーうるさいんだよね。人生で何も頑張ってこなかった女が頑張ってきた男に相手にされるわけないのにいつまでも被害者ヅラしてさ…
ggってみたらマチアプ婚って1割くらいみたい。充分増えたとはいえ、サイレントマジョリティはふつーに結婚してる人達だと思うよ。
いや俺も招待制のときからニコ動は見てたから(といっても2007年くらいで飽きて離れたが)弾幕とか一部のコメントが流れを作る特異性はわかってるが
それを意義と呼ぶよりも、冷静になって他サービスがなぜ追随してないのか考えると、負の側面の方が多いからなんだよ
ああいうオタクノリな場所ではいいかもしれないが、視聴者側が悪目立ちしようとする自己顕示欲ツールとして使えてしまう
それの気持ち悪さ、異常さにニコ厨はあまりにも無自覚だから、自分たちがとんでもなく煮詰まった蛸壺にいることを恥じることができない
目立ちたい、寂しく感じたくない、連帯感を感じたい、そういう幼稚な衝動をいつまでも抱えてる精神的未熟な人間の自我を肥え太らせるのがニコ動のコメントシステムだ
違うか?
俺は投稿者もやっていて、あのコメントシステムを中傷や冷やかしに使われたこともある
華やかな人気の動画ではそんな負の側面を見ることはないかもしれないが、普通のコメントシステムならもっと目立たず無視できるようなものでも、
そのフェーズは当然あるだろう
だが人類はそれを乗り越えることができる
なぜなら、物質にしばられなくなることで寿命からも解放されるからだ
今のネットは自分が成長してくだらない煽りあいをしなくなったとしても
次から次へと未熟なリテラシーの人間が参入してくるから、いつまでも地獄絵図に見える
小さな作業がたくさん積み重なって面倒だ……ちょうど今がそんな気分。なぜ面倒なのか。それは一個やったところでさらなる一個、また一個と芋づる式に作業が出てくるからだ。
目に付く作業に振り回される。つまり作業に主導権を握られている。そりゃしんどい。いつまでも心が休まらない。じゃ、どうする。主導権を握り返す。その意気だ。
主導権を握るとはどういうことか。それは終わりを決めることだ。たとえば15分だけやるとか、〇回やるというのがそれだ。決めたら動かさない。仕事じゃ難しいけれども、家事や勉強ならこの方法を使える。
やってみると分かるが、楽しい作業もある。やっている内に気分が乗ってくる作業もある。15分と決めたのに、10分経ったあたりから楽しくなってきて、「これは30分いける」と思い始めたりする。でも止める。
そう、本当に主導権を奪いに来るのは作業ではなく自分自身なのだ。己がだらしなくて時間を侵す。そして楽しくなってついついやり過ぎると、時間と体力を浪費していて疲れ切っている。ろくなことがない。
止めるべき時に止めることだけを考えると、毎日がもどかしい。そこに満足はない。しかし活発な自分が現れてくる。そのためには満足することや没頭することをしばし手放す必要がある。
あまり没頭することから離れすぎるのも健康に良くないので、たまにはチートデイとしてめちゃくちゃにやり込む日があってもいい。