はてなキーワード: 虚弱とは
障害者雇用?精神障害とかいう頭のおかしい欠陥品を取るアホなんてどこにもいないよ その辺のマイナスを覆すようなずば抜けた有能でもない限りはね
医者はまだ若いから~って言うけど、無理無理 そういう都合のいい楽観や妄想を信じられるぐらいバカだったらもっと幸せだったかもね
地方在住だから地元じゃアルバイトすら肉体労働・接客・飲食のフルコンボしかない 虚弱だしコミュ障で頭のガイジだから無理です
都市部へ通勤しようにもパニック発作出るから混んでるとこ無理 一人暮らしできるほどの収入得るのもまず無理 壁の薄いとこや寮はうるさいと発狂するので無理(大学行ってた頃にトラブル起こし済)
今は母親の温情で実家でニート5年目 でも父親の目が厳しくなってきてそろそろおしまいの予感
追い出されたらガソリンで無敵マンするか、あえてトラックに引かれて異世界転生を夢見て死ぬか 悩み中
さてお前らならどうする? 最後に試してみたくなった
男らしさから降りるだの何だの言われてるけど、そもそも自分を男らしいと思ったことがない。だから今のフェミの言ってること聞いても他人事としか思えない。
子どもの頃から運動嫌いだし、ずっと身体には贅肉がついていて見た目がシュッとしていたり筋肉質だったりしたことなんて一度もない。文系科目が好きで数学や物理は苦手、大学でも金にならない人文系の学問を専攻して経済的に安定しない職に就いてる。中高時代には萌えオタは気持ち悪い趣味であって男らしい趣味という扱いではなかった。当然彼女とかいたことがないし、素人童貞とかではなく普通に童貞。幼児時代には恐竜が好きだったから、それが男らしいと言われたらまあそうかも。でもそれぐらい。
だから、男らしさから降りろとか言われる度に、「??? 俺はまったく男らしくないけど何から降りればいいの???」って感じ。「いや、別にお前には言ってない」っていうなら、あっそう、で終わりなんだけど、男全体に向けて呼びかけてるってことは俺も入ってるってことだよね。なのでこう、降りるだの何だのという抽象的なお念仏ではなく、生活実感に即した主張をしてほしいというか……
当然、フェミの人たちが「男らしさ」や「女らしさ」を前提にして主張していることにも納得がいかないことが多いんだよね。
トランス女性の問題とかで「男の方が力が強いのだから」云々という理屈を聞かされる度に、子どもの頃に年下の女との力比べで負け、成人してからも同じ相手に普通に負けた身としては「いやいやどう考えても俺みたいな腕立てもできない運動不足マンよりその辺の部活帰りの女子高生の方が力強いだろ」って思っちゃう。男女入り混じったグループで旅行したとき、最初に音を上げて「ごめん疲れたからちょっと待って」って言ったの男の俺だしな。もちろん平均の話をしてるのはわかってるんだけど、外れ値の人間としては白けちゃうよね。虚弱な男からすると「肉体的に男だからって女より強いとは限らないんだからトランス女性も普通に女性競技に参加すればいいじゃん、反対してるのはただの差別主義者でしょ」って感じ。
STEM系に女子が少ないとかの話を聞く度に「いやいや性別にとらわれず好きな学問をやりなさいよ」って思っちゃう。俺は人文系科目が大好きだから人文系を選んだのであって、性別とかを気にして選んだのではない。物理が好きな子は男女問わず理系学部に進めばいいし、文学が好きな子は男女問わず文系学部に来ればいいじゃん。理系学部に女子を増やそうとか余計なお世話すぎる。子どもの進路選択はまずその子がどんな教科が好きかを基準にするべきで、物理が好きな女子や文学が好きな男子の進路が性別を理由に諦めさせられるようなことはもちろん防止されるべきだけど、そういう消極的な予防措置以上の措置は必要ない。どんな教科を好きになるかはその子の自由であって、そこに介入しようとするのは間違ってる(どの教科を好きになってもいいように選択肢を増やすのには賛成)。
他にもいろいろ言いたいことはあるけど、この2点に関しては「男は力が強い」とか「男は理数系」みたいなド直球のジェンダー・ステレオタイプに基づいてるから、虚弱な文系の男としてはどうしたって反発が先立つんだよな……
こないだ書いたBL感想文についた id:anmin7さんのブコメで小池定路先生を知った。支部で読めるだけしか読んでいない。けどこれ結構好み。4コマ漫画と思ったらちがうんだなあ。
これもほのぼの日常系BL。シーモアで分冊版一冊無料だったので。
以前、試し読みでお花見回を読んだ時に、なんかあんまり好きになれなさそうな気がするなと思ったのだが、やっぱり微妙だ。日常系BLは好きだけど、何かが違う気がする。ほのぼのの内側に、男に対する怨念を感ずる。
朝田ねむい先生がこの本の続刊発売のお知らせツイートをRTしておられたのを見て知った。シーモアで期間限定一巻まるごと無料で読めた。
すごいハチャメチャだ! アメリカのスクカー最上位のアルファ男(オメガバースじゃないよ!)と、スクカー最底辺のオタクっぽい虚弱男子が付き合う話。果てしなくセックスしてる漫画だなぁ、という印象。座裏屋蘭丸先生のBLを愛読する身で言うのもなんだけど、想像を上回るほどにセックスしまくりな漫画で、若干引いた。自分、セックスばかりしてる漫画ってあまり好きではないんだよね……。いや本当に。
でも主人公(受けの虚弱男子)の自己肯定感の低さが突き抜けているあまりに攻めをジャイアントスイングで振り回す様が面白くて良かった。恋心が極まるあまりに攻めに銃口を突きつける(←そのままの意味。アメリカだから。)受けとは。
『日々、君』と『スイートハート・トリガー』は、単行本買いだなぁ。しかし、Canna十周年記念冊子の電子版が出たし、小説『天官賜福』の日本発売が決まったらしいので、お小遣いが追いつかない。いつか買うけど、いつになることやら。
シーモア期間限定無料が出てるので良いBL本は、のばらあいこ先生の『秋山くん』(分冊一巻が無料なのかな?)と、浅井西先生の『あなたを殺す旅』(試し読み増量だったかも)
設計職を辞めた。
無職になってからはずっと、よく言えばのんびり、悪く言えば怠惰に過ごしている。
失礼なのは承知だが、何もスキルが無くてコミュ力も無いから事務職を考えている。
それでも、前職の内容から自動的に設計職が「おすすめ」に表示される。
今後何十年のことを考えると……設計職に復帰した方がいいかもしれない。
資格とって、手に職つけて。
「おすすめ」の企業名で検索をかけ、在職者のコメントをチェックしてみる。
「忙しいがやりがいがある」「残業は多いがその分稼げる」「自ら学ぶ姿勢が必要」「女性でも仕事についていける体力があればやっていける」「やる気のない人は脱落する」
前職の記憶が蘇る。
いつもいつも締切に追われて、ただでさえ厳しいスケジュールなのに分からないことが多くてなかなか進まず、質問すれば面倒くさがれ、一つ一つ調べれば時間が足りず、虚弱体質故に体調を崩しやすく、精神的にも体力的にも強い女達に囲まれて肩身が狭くて、精神的にすり減って仕事のペースが落ちてしまったところで「やる気がない」と蔑まれて。
設計は好きなはずだった。
でももう、本屋で建築雑誌を手に取っても、何も感じるものがない。
ずっとその価値観で生きてきた。
てっきり平安時代あたりの宮殿を守る兵士とかから生まれたとか妄想してたわw
あ~しらなんだ♪しらなんだ♪
柔道創始
1874年(明治7年)、育英義塾(後の育英高校)に入塾。その後、官立東京開成学校(後の東京大学)に進学。1877年(明治10年)に東京大学に入学した。東京大学時代には中村正直や三島中洲に漢文学を学び、渋沢栄一の経済学の講義を受け、またアーネスト・フェノロサの薫陶を受けその指導の下、政治学、理財学(経済学)、哲学、道義学(倫理学)、審美学を学ぶ[3]。また1878年(明治11年)には漢学塾二松學舍(後の二松學舍大学)の塾生となる[4]。しかし育英義塾・開成学校時代から自身の虚弱な体質から強力の者に負けていたことを悔しく思い非力な者でも強力なものに勝てるという柔術を学びたいと考えていたが、親の反対により許されなかった。当時は文明開化の時で柔術は軽視され、師匠を探すのにも苦労し、柳生心眼流の大島一学に短期間入門するなどした後、天神真楊流柔術の福田八之助に念願の柔術入門を果たす。この時期の話として、「先生(福田)から投げられた際に、『これはどうやって投げるのですか』と聞いたところ、先生は『数さえこなせば解るようになる』と答えられた」という話がある。
1879年(明治12年)7月、渋沢栄一の依頼で渋沢の飛鳥山別荘にて7月3日から来日中のユリシーズ・グラント前アメリカ合衆国大統領に柔術を演武した。8月、福田が52歳で死んだ後は天神真楊流の家元である磯正智に学ぶ。
1881年(明治14年)、東京大学文学部哲学政治学理財学科卒業。磯の死後、起倒流の飯久保恒年に学ぶようになる。柔術二流派の乱捕技術を取捨選択し、崩しの理論などを確立して独自の「柔道」を作る。
1882年(明治15年)、下谷北稲荷町16(のちの台東区東上野5丁目)にある永昌寺の12畳の居間と7畳の書院を道場とし囲碁・将棋から段位制を取り入れ講道館を設立した。
ご飯は残しちゃいけないと言われて育ってきた。
そういう訳で子供の頃から出されたものは出来るだけ残さず平らげてきたし、残したり捨ててしまう事になるとものすごく罪悪感がある。
フードロス時代ではある。食べ物系のバイトをしている時山のように食べられるものを捨てた時も辛かった。出来るだけこっそり持ち帰って食べ続けた。
でも何というか大人になって・・・いや本当は子供の頃からそうだったんだけど、無理やりものを食べるのにしんどさが出て来た。
長年自分の身体と暮らしているとはいえ、用意する量を失敗したり、お店で食べ物を食べきれなかったりすることはまぁある。
しかしそういう時、自分は罪悪感やもったいないという感情から無理やりおなかに詰め込み、毎度泣くほど辛い思いをしてしまう。胃も虚弱で病院通いである。
周囲の友人と食事に行くと、たまに頼んだ食事を3分の2ぐらい残して帰る人がいる。
最初はびっくりした。ずっとご飯は残してはいけないものと信じて生きてきたので、理解できなかった。
でも本当は、残していく人の方が正解なんじゃないだろうか?お腹がいっぱいになったら食べるのをやめる、それでいいのでは?
薄々感じてはいるものの、染み付いた習慣というのか、意識というのは簡単には治らず、出て来たものを青ざめた顔で全部胃に詰めてしまう。
そろそろ年だし、自分の身体のことを考えても、食べ物を捨てられるようになりたい。しかしやり方がどうにもわからない。どうすれば食べ物を捨てられるのか。