はてなキーワード: 津田大介とは
アングラ系の記事はペンネーム使うことも考えたけどそれも卑怯な気がしたから本名でクレジットしてた。だから別にそのあたりは隠してるわけでもない。ただ「だからWinMXはやめられない」は本当にモデルの子がいて俺はあくまで話を再構成しただけなんだけど俺の実話と思ってる人結構多いんだよね。
https://twitter.com/tsuda/status/2603242684
実際にいたユーザーに取材したドキュメント本ですね。僕はNapsterの共有精神が好きだったのでMXの交換文化は好きじゃなかったです。RT @runderscoren: 今日古本屋で昔読んだ「だからWINMXはやめられない」を発見、なにげに手に取ると著者に津田大介、ちょっとびっくり
放送中にベロンベロンに酔っ払って、思いつきで深夜に喧嘩中の友人に出演を求めて、
これの東浩紀的な言葉とかの部分を津田大介的なものに変えたが適当だと思う
政治的な立ち位置が違うだけで政治への悪影響という点では似たようなものと考えている
この部分への自戒が足りなさすぎる
よく小池百合子や橋下徹を批判しているが、おまえら一緒じゃないかと思っている
いや小池百合子や橋下徹は、まだ政治家になった分だけマシと言える
政治家になるわけでもないのに大衆扇動の技術ばかりを磨いている
一中小企業経営者でとどまっている東浩紀と比べ、津田大介は政治的影響力を大きく行使したいというのが見えるからその分だけは質が悪い
自分たちの界隈だけで勝手にやるのなら構わないが、宗教みたいなやり方をするのなら社会にちょっかいを掛けてくるなと言いたい
今の世の中は創価公明を批判しまくってるやつや大嫌いないやつが、それと似たようなことをして政治参加を歪ませてるように見える
これはその通り。
もう一つ踏み込むなら、大野先生の言う「性的」は、単に不快だからダメなのか、
それとも「女性」なる集団の、何某かの権利を侵害するからダメなのか、
大野先生に限らず、◯◯差別の存在を訴える側が、不快感と差別の境界についての言語化を怠っている。
フェミニズムの詭弁の一つに、「その表現は◯◯差別を助長する可能性がある」がある。
・その表現の、何がどうしてどういうメカニズムで◯◯差別を助長するのか
・その表現が人々の意識を変え、◯◯差別を助長したというエビデンスはあるのか
こうした問いに、アカデミズムですら答えようとしない。
「バイデンが福島の井戸に毒を入れているのを見ました」という書き込みについて、「差別を煽動している」と断言した津田大介が、何がどのようにどうやって差別が煽動されるのか、そのメカニズムを一切語れないのと同様に。
https://twitter.com/tsuda/status/1373539886146326528
白饅頭みたいな確信犯が凍結もされずに有料noteで小銭稼げるのが今の残念なインターネットであり、それがボーイズクラブ化して一部アカデミズムにも影響を与え、数年がかりで醸成されていたものが一気に噴き出たのが今回の騒動という話でしょう。
BLクラブ作ってキャッキャしてたのは、そもそもが2000年代はじめに、あずまんに群がった彼ら、というのが自分の認識。
リベラル叩きの萌芽も、「99%運動」を「貧困層に弁当を作らせて運ばせてやってる金持ちの遊び」と揶揄した海外言説を輸入した
彼の元同僚からとかでしょ。
https://note.com/terrakei07/n/n693f5db793b8
白饅頭
今はもう2000人近くいっているんじゃないの?
月額1,000円のマガジンで2,000人だから、月200万、年2,400万。
noteの手数料は定期マガジン20%とユーザーの決済手数料5%と15%なので、ざっくり30%(すげぇ取ってるな)として、
ほぼ経費ってこれだけでしょ。
2,400☓0.7=1,680万
もちろん、ここから税金・公的保険税が引かれるけど、それでも手取りで1千万やぞ。
https://twitter.com/tsuda/status/1373539886146326528
白饅頭みたいな確信犯が凍結もされずに有料noteで小銭稼げるのが今の残念なインターネットであり、それがボーイズクラブ化して一部アカデミズムにも影響を与え、数年がかりで醸成されていたものが一気に噴き出たのが今回の騒動という話でしょう。
小銭?
はたしてこれが「小銭」なのか?
文章で単に食いつなぐだけでなく、十分な資産を築いている白饅頭さんをもっと敬うべき
kotobuki_84 異常者に狙われるとか、精神的に病みそうとかで物凄くリスキーに感じるし、そのリスクに対して(会社員のじゃなく、自営業の)年収2000万って特に高収入って事は無くない? 本業ある上での副収入なら分かるけど。
「普通」にしているから自分は狙われないとか、自分はリスクが低いとか、そんなわけ無いじゃん。
異常者に狙われるなんて、リスク計算できないよ。青葉がまさか京アニに来るとかわからんだろ。
それがほんとなら、ブクマで目立ってるだけで十分リスク高いぞ。
普通に仕事してたって、別に仕事して無くたって、なんなら生きているだけで、精神的に病むことはいくらでもある。
精神病は脳の病気なんだから、ストレスが少なくても、なるときはなるんだよ。
精神だけじゃなく、健康リスクは加齢が主原因で、誰も逃れられない。
健康リスクを考えると、ある程度のまとまったカネを持っていない人間の末路がどうなるか。
まさか、白饅頭さんを叩いている人たちが現首相みたいに「生活保護があるから大丈夫」なんて言わないよね?
まさかまさか、「自分は (リベラル|フェミニズム | ゴザ | 中立) だから、きっと助けがあるはず」なんて
甘いこと考えてないよね?
【定期post】①慰安婦像の作者の主題は戦時性暴力の否定で日本を侮辱するヘイトではありません
②大浦作品は自己の中に昭和天皇が内面化されていることを表現したところ右翼の抗議で作品が燃やされたことをきっかけとする作品で日本侮辱の要素はないです
とりあえず①についてのみ。
それを自国内ならともかく、普遍的な戦時性暴力がテーマだと偽装して、世界各地に建てまくっている。
だが、もし普遍的な戦時性暴力に反対する像なら、なぜそこに日本の蛮行に加え、各国の戦時性犯罪が列挙されてないの?
日本以外の国は、韓国にせよドイツにせよ、ビタイチ自国の戦時性暴力を認めていないよね?
NJやNYの碑文に至っては「日本帝国政府軍により誘拐された」で始まるなど、明らかな虚偽を含むものがある。
そんなものを韓国人が世界中に建てまくることに日本政府が抗議することと、日本政府が慰安婦制度の構築者であった責任を認め、元慰安婦に心からのお詫びと反省を示すことには、何の矛盾もない。
・韓国が被害者である以上「日本を侮辱するヘイト」とは言えない。
・しかし日本の慰安婦問題だけをピンポイントで指摘し、他国の戦時性犯罪については無視する極めて民族主義的性格の強いものであり、普遍的な戦時性暴力に反対するための像というには程遠い。
汚い連中は、何とかして「日本政府は慰安婦制度そのものを否定している」とミスリードしようとするが、それネトウヨ並みの雑な主張だよ。
慰安婦の真実を追い求めて https://www.newyorker.com/culture/annals-of-inquiry/seeking-the-true-story-of-the-comfort-women-j-mark-ramseyer-japanese-translation
「バイデンが井戸に毒を入れた」という冗談が、一部の人には「朝鮮人に対する」差別煽動投稿に見えるらしい。驚いた。
これが「朝鮮人に対する」差別だと主張する模範的文書を、藤崎剛人がコラムとして公開している。(差別煽動投稿だと最初に断じた津田大介が、これが「朝鮮人に対する」差別煽動と述べているかどうかは確認していない。)
https://www.newsweekjapan.jp/fujisaki/2021/02/post-3_1.php]
「井戸に毒」というのは藤崎も指摘するとおり「1923年関東大震災での流言飛語を連想させる」フレーズとして選択されている。つまり、ここで連想されるのは、井戸に毒を入れる行為ではなく、「流言飛語」つまりデマという評価である。
「井戸に毒」から朝鮮人を連想できる人は、必ず、それがデマであることをセットで連想する。藤崎がそうであるように。
もし関東大震災時のデマを知らずに「井戸に毒を入れた」を真に受ける人間がいたならば、彼は毒を入れたのはバイデンだと考える他なく、「井戸に毒」が朝鮮人と結びつくことはない。(そして、バイデンは日本に居らずテロリストでも無いのだから、殆どは「井戸に毒」が嘘であることに気付くだろう。加えて、バイデン大統領なら、「バイデンが井戸に毒を入れた」と信じる狂人が居たとしても危険は及ばない。)
朝鮮人の連想は、デマによる虐殺というエピソードを前提にして初めてもたらされる。
もし朝鮮人を差別する意図があるならば、デマに踊らされたという愚かな過去を引き合いに出すことはあり得ない。
したがって、「バイデンが井戸に毒を入れた」という文字列は、流言飛語が朝鮮人虐殺を招いた歴史を想起させ悪質なデマに惑わされないための注意喚起を諧謔とともに表現したものと読むほか無い。朝鮮人に対する差別煽動と読む余地は無い。
ところが藤崎はなぜか、「バイデンが井戸に毒を入れた」という文字列から、流言飛語が朝鮮人虐殺を招いた歴史を想起し、悪質なデマに惑わされないための注意喚起をしようと考えたようだ。
藤崎は、「バイデンが井戸に毒を入れた」が「井戸に毒」をネタ化したものであるとした上で、次のように述べる。
我々は、我々の社会がかつて行ってしまった民族ジェノサイドに対してどのように向き合うのかについて改めて問われている。こうした状況のもとで、「井戸に毒」をネタとして消費してしまうことは、ジェノサイドという事象の軽視であり、それは論理必然的に差別扇動となるのだ。
しかし、ここでネタ化されているのは「井戸に毒」ではなく「「井戸に毒」というデマ」である。
ここで揶揄されているのは、荒唐無稽なデマに惑わされて愚かな行動に出たかつての日本人に他ならない。