はてなキーワード: 所得再分配とは
それは健康保険を例にして考えてみればいいのでは。国民皆保険制度で、患者の医療費の自己負担率は年齢(6歳未満・70歳未満・75歳未満・それ以上)だけで区切られてて、「年収1200万円以上のひとは自由診療になります」みたいなことはしないじゃん? それは、国が提供する社会保障制度の水準は、対象者の所得によらず一定に保つのが公平だという社会的合意があるからだと思うんだよね。あと、再分配の局面で年収とか資力の制限をつけると、制度や運用が複雑になって、行政処理のコストが跳ね上がっちゃうから、というのもある。
根本から考えてみると、政府がもつ重要な機能のひとつとして、租税制度と社会保障制度の組み合わせによる所得再分配があるわけだよね。お金持ちから取って、貧しい人に(手当や保障や行政サービスとして)配ることで、格差を是正して、社会的な公平性と活力を維持するということになっている。ここまではいいよね?
そんで、ここが重要なんだけど、もともと「収入のレベルに応じて多く取って貧富の差を緩和する」という仕組みは、租税制度(=徴収の側)に組み込まれている。だから、再分配の大枠はこの時点で調整するのが好ましい。租税でやれる調整を社会保障でもやるのは二重処理で無駄が多いし、全体として貧富の差がどの程度緩和されたかを定量的に把握・調整するのも難しくなるから(一応、再分配所得ジニ係数という指標では手当・給付系も算入されているけどね)。
再分配の程度を強めたい時には、高額所得者への課税強化で対応して、社会保障制度のほうはなるべくシンプルで一律な仕組みのままにするのが筋が良い。増田が例に出している児童手当も社会保障制度=分配の側での所得再分配なので、ここには収入制限を設けないで一律に15000円にしてしまい、原資は高額所得者への課税強化で賄うほうが良い制度設計といえる(だから児童手当についての「960万以上は5000円」という減額枠も、高校教育無償化にある所得制限も、自分はなくしたほうがいいと思ってる。ちなみに幼児教育・保育の無償化には所得制限はない)。
「所得での調整だけだと子あり高所得者世帯と子なし高所得者世帯に不当な差が付くのでは」という反論もあるだろうけど、そこは子供の数による非課税限度額という項目でも調整できると思う。といっても自分は、子供を1人生み育てることによる社会全体への効用(貢献)は、世帯収入によらず同じだと考えてよいと思うので、子供を持つ高所得者世帯にも所得が低い世帯と同じように再分配することには何の問題もない気がするけどね。
まぁ参院比例だし、サポーターになる程ではないが一番支持できるのは立憲だったから、須藤に入れなければ他の立憲候補か政党名を書いただけだが。
当選してからしばらくしてMMTにかぶれているツイートは見ていたんだが、昨年末からこんな調子である。
これから帰りの新幹線で「MMT現代貨幣理論入門/L・ランダル レイ」を読みます。僕はMMTが日本経済を救うものだと感じているのでもっと理解を深めたいと思います。#今日の読書
消費税を5%に減税し、10兆~15兆円規模の補正予算をすればデフレ脱却できるんだそうです。とにかく生活困窮者を早く救わなければいけませんね。
「通貨発行権を有する政府は財政破綻に陥らない。ということは税によって財源を確保する必要はない。したがって税は財源確保の手段ではなく物価調整や所得再分配などの経済全体を調整するための手段」と中野剛志先生が「奇跡の経済教室」で書かれています。目から鱗です。
素朴な印象で庶民の味方をしてくれそうだったから期待していたのだが、この調子では次入れる事はない。読書報告も半分くらいはMMTの本だ。自分はMMTに詳しい訳ではないが、"通貨発行権を持っていれば財政破綻しないので、税で財源確保の必要が無い"というのを鵜呑みにされてしまうともうついていけない。ここまで極端な事をすれば円は大暴落し、生活困窮者の生活はさらに困窮すると思うからだ。大阪都構想、消費税減税もしくは撤廃、MMTによる極端な財政論のような一発逆転これさえすればすべてうまくいくみたいな事は起きえないと思ってる。消費税の多寡にかかわらず、適切な再分配がされていれば生活困窮者も救われるはずだ。北欧のような福祉国家でも消費税は0どころか、20%以上である。消費が低調なのは、所得が上がらないことと将来不安からだ。安易な一発逆転策に溺れるようでは全く支持できない。
こういう中低所得層あるいは自称高所得層が思考停止で自民党に投票するのは破滅的だと思う。あるいは富裕層の自民支持も含めて。なぜなら現政権による貧富の差の拡大は、中低所得層に直接不利なだけではなく、資本主義市場経済の維持を危うくするという点で、そこから利益を得る富裕層にも歓迎すべきものではないからだ。
37歳男性、既婚子持ち、夫婦フルタイム、年収2000万円超、自己認識は中産階級上位層の一般労働者(労基法的意味で)
所得再分配を軽視しすぎている。逆進的な消費税を増税しつつ所得税法人税を据え置く、日銀マネーを野放図に相場に投入して投資家を優遇する、その割には経済的弱者への財政支出に消極的、など。
貧富の差の拡大がこうした税財政政策の影響だと論証するのは難しいけれど(グローバルな人や資本の移動は一国主義的介入を難しくするので。cf.国際金融のトリレンマ)、少なくとも貧富の差拡大の流れに抗い、弱者を救済しようとする意思が見られないのは大きなマイナス。
なぜ貧富の差が拡大すると困るのか
中低所得層にとって貧富の差が拡大し、自身の購買力が下がることをネガティブなものだと捉えることにあまり異論はないと思う。ではなぜ自称を含む富裕層にとっても貧富の差の拡大は避けるべきものなのか。
第一に、資本主義市場経済から最も利益を得る層として、それを弱体化するような行動をとるべきではないから。このまま貧富の差が拡大し、人口的には圧倒的多数を占める層の購買力が下がれば下がるほど、経済活動が縮小し、富裕層の取り分も減っていくのは当然だろう。
次に、そもそも資本主義市場経済が維持可能なのか、という論点がある。市民の遵法意識が高く、良くも悪くも飼いならされている日本ではあまり心配ないかもしれないが、このまま少数の富裕層が富の大部分を握る構造が強化され続ければ、人口で多数を占める層が現状破壊的政策を志向するようになるかもしれない。共産主義の恐怖は終わったと言われているが、サンダースやコービンは一部で熱狂的な支持を獲得。日本でもれいわ「新選組」が奨学金「徳政令」を掲げた。いずれ令和の「打ちこわし」を扇動する可能性も想定しておいた方がよい。万一そうなる前に、現状を壊さない程度の再分配を進めておいた方が安全。
最後に、治安的な意味での安全のため貧富の差は避けた方がよい。この点も日本人の遵法意識からか路上のひったくりなどはあまり心配ではないけれど、巻き込み型の自滅的加害、流行りの言葉でいえば「無敵の人の自爆テロ」(私はテロという呼称に反対だが)は本当に恐ろしい。
個人的にはこうした犯罪は自己承認の低さや社会的排除がもたらすものだと考えており、経済的支援で直接なんとかなるものではないと思うが、お金で得られる承認や人間関係もあると思っていて、再分配政策とそれに伴う社会的包摂(どちらも自民は弱い、というか伝統的家族観に寄りすぎ)の強化で間接的に抑止していけるものと考えている。
以上、富裕層にとっても貧富の差の拡大は厄介であるとの私見。本邦の自称富裕層やノブレスオブリージュを解さない成金が、現政権による弱者切り捨て政治をごく短期の利得から肯定するのは本当にアホ丸出しだと思う。
日本の貯蓄率が高いと言われていたのは過去の話で先進国内では減っていっており、所得再分配しようにも元がない。
日本全体のパイ拡大をしないといけないのに、自動車、工作機械、機能材料はまだ競争力があるが、自動車が直接投資による海外生産で食っている。
AmazonのようなECも日本にあったし、Facebookの前にmixiもあった。Googleのような検索エンジンもNTTが作っていた。
GoogleやAmazonのような企業は生まれていたが規模が足りなかった。
中国を見てると規模が足りなかったんだなと思う。
海外の方が良いものがあるのでいち早く導入する国民性からなのか。
本来なら国内で生産できるようになるまでの繋ぎの時間として技術の輸入ならいいのだけど、国内で作れるようにならない。