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はてなキーワード: 広告批評とは

2024-01-26

anond:20240126183251

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

 〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法である。これは、山口和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。

 私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法からの流れの中で位置づけるべきだと考える。

 同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊合憲化(57)、③日本経済的地位に見合った国際貢献必要性、④国連軍国連警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリスト武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から護憲立場から改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである

 同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲である。同提言軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから北朝鮮中国軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラル過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである

 佐藤が語る、愛国心必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである佐藤饒舌から私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。

 馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事平和維持活動において殉死殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊追悼施設必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。

 ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツ独自イラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたかである。翻って日本場合多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国国際社会理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。

 元国連職員吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍軍事活動積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである

 なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実国際政治の中で、山川ソ連侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。

10.おわりに

 これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮アルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略植民地支配反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的保障する国家先進国主導の戦争積極的に参加し、南北格差固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である

 大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派大国路線に対抗して、日本経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪補償必要とした路線が、東アジア諸国民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合破綻といった状況に規定された、リベラル左派危機意識から生じている。九〇年代東アジア諸国民衆から謝罪補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本私たちが、進んで過ちを正しみずから正義回復する、即ち日本利益のために」(69)(傍点ママ歴史清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争植民地支配可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立リベラル左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である改憲後、蛹は蛾となる。

 ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル左派意図的計画したものと捉えているわけではない。むしろ無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力からあいもつあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治立場から期待されている人物統合象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴人物の未分性という日本政治特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディア追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリスト発言力を確保しようとする学者、無様な醜態晒す本質的には落ち目思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからあいもつれあって」、集団転向は進行している。

 ところで、佐藤は、「仮に日本国家国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家同胞日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまたからには、自国国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間異端者扱いするのが目に見えている。

 この佐藤発言は、安倍晋三首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族配慮するという意図からだろうが、アメリカ一丸となって事件対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである国益からむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)

 文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ総連弾圧をめぐる日本言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したこと物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本リベラル左派安倍政権ときに敗北したのである

 〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである侵略植民地支配過去清算在日朝鮮人人権擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア世界平和にとって大きな災厄である(73)。

改憲戦争国家体制拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア知識人等を徹底的に批判すべきである

(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。

(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。

(3)ただし、編集者佐藤右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。

(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。

(5)インターネットサイトフジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37

2023-05-10

広告批評みたいな名前画像ブログ

20年ぐらい前にあったんだけど、そんな雰囲気画像ピックアップしてくれるところを探してる。

pya関連だったかも。。

2023-03-05

まともな広告に接する機会が無くなった

はてなはもちろんネット上でも忌み嫌われる「広告」だけど、私は昔から広告が好きでYouTubeなどで昔の広告を見て回ったり、コピー年鑑を読んだりしている。けど最近「まともな広告」に接する機会がとんと無くなったなと感じている。テレビを見る機会はそもそもかなり減ったけど、少ない視聴機会で出会広告は皆芸能人が”これはこんな機能があるから買ってね!”をただ訴えているだけのつまらないものだらけ。新聞そもそも読まなくなったので新聞広告出会うこともないし、電車も乗る機会が減ったので車内広告を見ることも少なくなった。電車広告もまともな企業広告が減り、山手線ですら整形と借金返済に関する広告ばかりになったように思う。そしてネット広告はいわずもがな目を覆いたくなるようなものだらけ。一見素敵そうに見えるキャンペーンも、裏側のマーケ人間ドヤ顔が透けて見えるようなものも多くて、純粋に「この広告素敵だな」と思うことが本当に少なくなった。

広告なんてそもそもくだらないものだよ」と言う人もいるだろうけど、昔の広告社会を鮮やかに切り取ったり、社会に新たな視点を与えたり、下手な芸術作品より美しかったりと素晴らしいものも多く存在していたように思う。それによって商品企業ブランディングも今よりもっと次元で成り立っていたように感じる。雑誌広告批評」が無くなって14年経つけど、今の時代広告ではこの雑誌そもそも成り立たないのだろう。日本経済が衰退したからなのか、日本の文化が衰退したからなのか、作り手や受け手感性劣化たからなのか。昭和から平成にかけて確かに存在していた「まともな広告」の消滅が寂しい。

2021-11-26

anond:20211126160910

大学ゼミフェミニズム広告批評をやる時は、いちいち乳首が透けて見えてるかどうかも含めて、些末と思われがちなところまで全部検討するよ。

法律系のゼミ論理の穴がないか舐め回すように判例や条文を読んで議論するけど、負けず劣らず広告批評も根気のいる作業だ。

はてなTwitter検討結果だけ整理されてピックアップされたものを見ると、簡単なことをやってるように見えるかもしれないけどね。

2018-09-14

ラジオCMコピー大会 朝日新聞非難作品リスナー大賞受賞

文化放送広告批評 共同主催 | 100万円大賞ラジオCMコピー大会

http://www.joqr.co.jp/copy/sakunen.html

リスナー大賞受賞

朝日新聞

(千葉県/叶 昌彦)

SE (雑踏)

女 すみませ~ん。街頭アンケートなんですけど、

お好きな新聞はなんですか?

男A 新聞別にないけど。

女 では、嫌いな新聞は?

男A う~ん、朝日新聞

すみません。お好きな新聞は?

男B いや、別に

女 じゃ、嫌いな新聞は?

男B 朝日かな。

N 圧倒的な存在感朝日新聞


古い話題なんだけど。このコピーよく掲載されましたね。朝日新聞が嫌いな人は多いだろうけど、この大会でやることですか?

このコピーが載ってから朝日新聞に関わる問題は相変わらず無くならないので、圧倒的な存在感があるのは今も同じですね。悪い意味で。

2010-01-03

広告批評No.333 2009.1月号 特集「テレビのこれから」より一部転載  安部龍二郎(TBS)

広告批評No.333 2009.1月号 特集「テレビのこれから」

テレビ関係者に聞くTVアンケート

より一部転載

Q1 いまのテレビの姿(状況)をどう感じていらっしゃいますか。

Q2 日本テレビ放送史上で、「これが私のベスト3」と思われるものを「報道系」と「バラエティ系」「ドラマ(映画)・アニメ系」のそれぞれについてあげてください。

Q3 デジタル化やウェブの連動によって、テレビに可能性が生まれるとすればそれは具体的にはどういうものでしょう?

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P66

安部龍二郎(TBS)

あべ・りゅうじろう○編成制作本部編成局担当部長

64年生まれ。「ぴったんこカン・カン」「うたばん」をはじめ、数々のヒット番組プロデゥース。現在は「NoTV?ButTBSキャンペーンなども手がける。

1

テレビの可能性を語る事がそもそも時代遅れになっている。テレビを観なくなったと語る事で時代に敏感な人間であるかのような優位を感じてしまってるのではないか。しかし、テレビを創ってきたのはテレビ制作者だけだろうか? それはちょっと議論の余地がある。テレビを観る人々の思いも確実にのっている。それぞれの時代の空気テレビが吸収して、成長してきたのだ。そこに限界が来ているとは思わない。ズレが出ているだけだと思う。制作者達は必死にそのズレを修正すべきだと思う。まだまだ可能性のあるメディアだと確信している。

2

報道系】

報道特集」(TBS/80年)

ニュースステーション」 (テレビ朝日/85年)

NHKスペシャル」(NHK/89年)

バラエティ系】

「8時だヨ!全員集合」(TBS/69年)

ザ・ベストテン」(TBS/78年)

天才・たけしの元気が出るテレビ=」(日本テレビ/85年)

ドラマアニメ系】

「ありがとう」TBS/70年)

ウルトラマン」(TBS/66年)

北の国から」(フジテレビ/81年)

 テレビの前に釘付けになった番組テレビの前で熟狂した番組、そんな番組を選びました。そういう意味ジャンルは関係ないと思います。

3

 そもそもテレビの可能性を語るよりソフト番組)をどれだけ豊かなものにしてゆくかが大切です。ソフトをどこに出そうが、良いソフト永遠に観てもらえるはずです。番組ソフト)とはそんなに容易いものではない。それは通信の側の人々こそが、知っているはずです。ただ、デジタル化やウェブとの連動で観る人の求める空気制作者が感じ取れるようになれば、より良いソフトを創ってゆける助けになるとは思います。

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2009-05-19

リーマン・ブラザーズを「見切る力」

日経ビジネスアソなんとかは何考えてんだ…

(日経広告批評)

2009-05-15

日経広告批評

20代で日経読んでる人って

お金」についてそれなりに考えてると思うんだけど…

2009-03-08

お久しぶりの日経広告批評

アマゾン丸善普通書評とダブるから

日曜に載せずに金曜日土曜日に載せて欲しい。

…でも平日に比べ日曜と月曜は載せる記事が少なく

(前日のニュースを載せるから)

広告値段安そうだしなー

2008-09-09

広告批評」最新刊

今回はマンガ特集です。

表紙は水着で胸の大きな女の人です。たのしいな。

2008-05-20

はてなのトップの広告

「緊・急・告・知」ってやつ。

いやがおうにも目を引くんですが、うざいです。

ストレスです。

もっと和む広告にしていただけると嬉しいです。

ネコとか使うべきです。

あと、はてなアンテナも使っているんですが、最近広告にやる気が感じられませんね。

ずーっと下記の文言から変わっていない。

[PR]アルバイトなら[en]本気のアルバイト(マジバイト)

昔はもっと誘導的だった気がしました。

(IT業界求人しても集まらないのは分かりますが・・・)

広告批評休刊したことですし、もっとセンスのあるWeb広告を見たいものですよ。

 
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