「地名」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 地名とは

2019-05-16

これは大変そうだなーと思った苗字

1.本名さん

本名 ゆうじです」とかなるのかややこしー!

2.浮気さん

浮気町って地名もやだなーとおもった

2019-05-11

地名が出てくる歌、神奈川県が一番多い説

歌詞タイトルに正確な地名が入っていること。

(〇〇を舞台にした歌はノーカン


横浜たそがれ

江ノ島が見えてきた

桜木町でこんなとこに

等々圧倒的多数


東京大阪も多いだろうが、弱い

2019-05-08

業務スーパーに行ったらもう入ってすぐの所にかき氷用のシロップが陳列されていた

早いな

しかしあのブルーハワイというシロップはいったい何味なんだ

ブルーハワイ=色+地名=いったい+何味

好きだけど

2019-05-06

Google日本語入力大嘘

特長 2

常にアップデートされる豊富な語彙

Web で使われている膨大な用語から辞書作成しました。珍しい人名地名

難しい専門用語から流行顔文字やお店の名前まで。辞書は定期的に自動更新され、常に最新の語彙を利用できます

https://www.google.co.jp/ime/

堂々と嘘書いて黙認されている。今となっては「定期的に自動更新」ってのはなんのことだかさっぱりわからない。

anond:20190505235452

嫌いってか「聞いたことある地名だね。中国のどのへんだっけ?」くらいの認識な気がする

特に若い人は

2019-04-26

anond:20190426153218

ちっちゃくてきいろい酸っぱい飲み物商品名だろ

ところで深センっていう中国地名のほうが今は有名だとおもってたんだがな・・

2019-04-09

セレブ妻たちとヒルナンデスで紹介されたお店巡りに行く

年収4桁万円の男と結婚したけど、マジで結婚生活が辛い。100%、私が悪い。

私はお嬢様ブランドはあるけど三流の女子大歴史があるだけでお嬢様しかいないわけではない)を卒業して、なんとなーく契約で働いて、収入は低い分婚活を頑張った。顔はよく褒められるし、愛嬌もあるっぽいから、それだけでハイスペを捕まえることが出来た。

でも旦那と本当に話が合わない。旦那常識みたいに会話で出す歴史とか地名とかを本当に知らない。単語も分からない。旦那が観てる映画も難しい。セブンって結局どういうオチ?可愛く「ねぇねぇ、誰が悪者だったの?」って聞いてみたけど、マジで呆れられてるっぽかった。

今は「バカだけど可愛い女」で何とかなってるけど、旦那ちょっと違和感感じてるっぽいし、そのうち離婚切り出されても文句言えないかも。離婚しないまま外で不倫してくれないかな…。

結婚ほやほやの時は「今日LINEポコポコで何点出せた」とかドラマの話振ってたけど、どうも旦那が引いてるっぽいから止めた。でも専業だし趣味ないし他に放すことないよ!

旦那に付き添ってパーティーみたいなのに顔出さなきゃ行けない事がちょくちょくあってそれもめんどい。でも最近ちょっと良いことがあった。

どの夫婦旦那同士が挨拶して嫁は横でニコニコしてるんだけど、夫の話が長引いてて暇だったから、隅っこでLINEポコポコやってたんだわ。そしたら「私もLINEポコポコやってるよ」って話しかけてくれた人(Aさんにするね)がいて、ちょっと話してるうちにLINE交換してクローバー交換し合うようになったのね。そしているうちにちょっと仲良くなって、Aさんも私と似たような立場って事が分かった。バカ女子大ラウンジで働いてる時に旦那さんに口説かれたんだってあんなに上品そうな人なのにw

Aさんと一緒に夫とは見れないようなイケメンたくさん出てくる映画見に行ったりして友達出来て楽しい

パーティで嫁同士が仲良くしてるのって珍しいみたいだから、他の奥さんからも話しかけられるようになった。で、今度はBさんって人と3人で遊びに行く。Bさんは地方から上京してきたか東京のオシャレなお店よく知らないんだって。Bさんの旦那さんは隠れ家っぽいお店とか会員制の店とか色々連れてってくれるけど、オシャレすぎて自分にはピンとこない。もうちょっとヒルナンデスに出てるくらいの有名店の方が嬉しいって言ってた。自分雑誌から抜け出して来たみたいな雰囲気なのにw

3人で今度表参道ヒルナンデスに出てきたお店巡りするんだー。アラサーだけどタピオカも買っちゃおうかなwっていう自慢。

anond:20190409111535

古い京都人は上・中・下京区以外は「京都」と思ってないからな。

京都山科区とかは「京都」じゃないから、絶対に「山科」とか地名で呼ぶ。

あと、これは今の京都人もそうだけど丹波京都府の真ん中あたり・山)・丹後北側・海)は京都と思ってない。


古い京都人マジで性格悪い(ところがある)

たとえば。古い京都人は毎朝家の前を掃き清めるが、隣の家の前は一ミリもはかない。

そして埃が残ってる家の住人をみんなで蔑むのだ。これをマンションとか公営団地でもやる。

都じゃなくなってもう100年以上たつのに、いまだに何を考えてるんだろうな

2019-04-02

地名人名の読み方に無頓着な人

って何なの?

個人的には地名人名例外オンパレードな上に間違えるのは(特に)失礼だからっていう認識で、少なくとも自分仕事生活に関わる範囲では、読みや表記を間違えないように気をつけてきた。

普通の読みで合っていると思っていたもの全然違っていた経験もあるので、読めそうでも初見では必ず確認し、ふりがながなければ振ってメモるようにしている。

その一方で、土地勘のないところに来たくせに、何となくで読んだ自分勝手な地名の読みをそのまま使い続ける人がいて、驚いている。

何度か指摘しても、その時は言い直すけど、しばらく経つとまた戻ってる。

「まぁ、伝わってるんだからいいじゃん。書類かにちゃんと書くしー」とは本人の談だが、どうにも理解できない。

2019-03-29

anond:20190328133339

Java ってのはねぇ、地名じゃなくてね、、、、、

2019-03-24

お前らがブラウザに固定してるサイト教えてくれ

ワイは日本地図世界地図サイト

地名国名覚えたり

そこへの行き方料金調べたりして、旅した気分になってる

なお、まだ一度も旅したことはない

2019-03-23

本を読めなくなった

加齢なのかストレスなのか、まったく内容が頭に入ってこない

何度も同じ行を読み返していたかと思えば、目は次のページへ進んでいるのに頭の中ではまったく別のことを考えていたり

登場人物地名はもちろん覚えられず、数行おきに確認するから一向に進まない

買っても積ん読するだけなので、期限を決めては?と図書館で借りてみたが、変わらないどころか「早く読まないと…」というプレッシャーますます悪化したので諦めて途中で返した

最近積ん読されてる本を手に取る気も起きず、ダラダラネットばかりしてる

帯や書評を見れば面白そうと思うし、読みたい気持ちは変わらずあるんだけど

こういうのはどうしたら回復するもんだろうか

2019-03-20

破産者マップ問題点

破産者マップ問題点って、自己破産という情報地名と氏名を紐づけて公開していることだと思うんだよね。

大島てるや、部〇地名総鑑を氏名付きで公開していると書けばその深刻さは分かるよね?

2019-03-16

ChristchurchとMosqueの謎

アホだからなぜ教会モスクがあるのか分からず混乱したけれど、キリスト教会じゃなくてクライストチャーチという地名があるのか

2019-03-14

anond:20190313123636

北大東北大、東大名古屋大、京大大阪大、九州大という旧帝国大学英語名

東大以外は地名+ University のかたちだね。

東大のみ the University of Tokyo「東京」にあるんだぜって感じで場所を強調した英語名になっている。

やっぱ、東大って嫌味だなっと思うのはネタミかな?

anond:20190314211036

山口東京理科大なんて根本から矛盾してるよな

もちろん本家東京理科大にも長万部キャンパスとかあるわけだが

拡大路線になったら矛盾だらけになるので、大学名には地名を入れるのには禁欲的にならなきゃ

その点、立命館滋賀にできても大阪にできても立命館

糟屋郡粕屋町とか

葦北郡芦北町とか

地名で、同じ読みの漢字が揃ってないのムズムズする!

2019-03-10

三河国額田(ぬかた)郡 難読地名

百々 どうど

通津 わつづ

蔵次 くらなみ

深溝 ふこうず

木下 きくだし

千万町 ぜまんじょう

冨尾 とんびゅう

保久 ほっきゅう

下衣文 しもそぶみ

上衣文 かみそぶみ

鶇巣 とうのす

2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士あいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

勢州桑名に過ぎたるものが二つあり 銅の鳥居に二朱女郎

勢州伊勢のことで、つまり現在三重県桑名市のこと。

「銅の鳥居」は桑名宗社の青銅製の鳥居のこと。

「二朱女郎」は二朱銀で買える安い遊女のこと。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

2019-03-03

anond:20190303122702

ああごめん「どの辺が便利」を「どういったことが便利か」と誤読した。地名が知りたいのか。匿名ダイアリーって質問してるのに妙に偉そうな人多いなあ。

どうせその調子否定されるのに教えたくないよ、、不動産屋行って自分基準話せば提案してくれるよ、、

出て行きたいのにどこが便利か知りたいのかー、難儀な人だな

2019-03-01

anond:20190301203408

いうて大半の日本人ヤン・ヨーステン知らんやろ。

地名になったからって知名度が高いとは限らんで。地名だけに。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん