はてなキーワード: ジェンダーとは
ジェンダーやルッキズムとかの観点で言えば、「彼は私の夫だ」という発言と、女性キャラと胸のカップ数をセットで反復的に提示する行為を同じように「性的に見る」とまとめていいのかはやや疑問だ。
性自認は男。恋愛対象は男。女という存在に憧れがあると言っていた。
出会ってすぐにその話をされたが、幸運にも恋人は細身で顔もかわいい感じで、女性用の服も似合っていたから気にならなかった。
何より憧れが女であるということで女友達みたいに話せるところがよかった。
でも時々その全てが悲しくなってくる。
人間として好きだったはずで、普通から外れたとされるアイデンティティを受容できていると思っていたのに、彼女が私が経験しているジェンダー的な女の甘い汁だけを吸っているように見える。
男の人が怖いと泣く。
膝が見えるくらいの短いワンピースを着た彼女が深夜の路上にしゃがみ込んでいた。
女に嫉妬する。
そのくせ当然男にも嫉妬する。
家事の手伝いをしない。
手伝えといっても「彼女だから姫扱いしろ」と笑って言う。冗談なのはわかっているけどそれでも心にくるものがある。
結局、ジェンダー的な男性として女を支配できる強い力を持ったままジェンダー的な女性として守られる、与えられるという経験がしたいだけなんじゃないかと思う日が増えた。
性行為の主導権を握りたがらないのも、自分の手間だからじゃないのかと勘繰ってしまうようになった。
「周りが自分を男だと言ってきて、それが正しいと自分でもわかっているのにどうしてもそれが嫌で、だけど自分は女にはなれないことが決まっているのが一番つらい」と泣いていた彼女のことは真っ当に可哀想だと思う。
それでも、私が自分の苦労を押し付ける女としての老害なのかもしれないが、ジェンダー的な女として扱われることを望むなら、私がしてきた気遣いも苦労も学ぼうとしてほしくなる。
彼女のように「男でありながら女を望むこと」みたいな良くも悪くも逸脱した思想こそがセクシャルマイノリティの本質なのかもしれないとは思う。
私が「女になりたいなら男を捨てろ」と思うのはあくまで性別の二元論に囚われていて、昔の価値観に引きずり戻そうとしているだけなのかもしれない。
でも、どうしても、性別の二元論に染まりきった人間への救いがほしい。
そう、彼女をどうにかしたいのではなく、私をどうにかしてほしい。
身体の出来の差に基づいた男女の区別を是として生きてきた人間が、それから解放された楽しそうな人間を見て、それを羨んだり恨んだりすることを差別だと言い切らないでほしい。
ただそれだけで救われるのだから。
ジェンダー云々以前に、未成年に部活感覚で戦争させてたり、戦闘で多くの死傷者が出たことを追求するマスメディアをヒステリックなクレーマーのように描く一方で、徹底した秘密主義で世論操作までしてる(おまけに大資本との癒着までしてる)ボーダーは肯定的に描いてたりとか。
でも少年漫画を読んでる少女は無視できるほど少ないなら、ジェンダーステロタイプ気にせず少年漫画のままでいいのではないか。
男の子はロボが好きでサッカーとかして遊び、女の子は自然にままごとを選択するって傾向はあるらしい。
社会のジェンダーとは無関係に、自然発生的に冒険・恋愛に別れてしまうんだったら広告とかをどうするか気にするだけ損なのでは?
ジェンダーフリーのご時世でも、古くに確立されたマーケットにリーチさせる目的があるから良い。
書店を訪れた少年にとって自分がターゲットにされていると感じるから買いやすい。
分別が未熟な子どもが対象でもジェンダーステレオタイプを助長する可能性など誰も気にしない。少女読者のことも誰も気にしない。
少年マンガ編集に男がいないとかいう指摘には ❝少年の心がわかることが大切でしょう❞ と広報も真っ当な回答をしてる。怒るやつは読解力がない。編集者はメイン読者層の気持ちを理解することが肝要だろう。男女雇用機会均等法?… 知らん。
新発売の「男」ミシン。
アファーマティブアクション的な新規市場開拓だからといって、このご時世にわざわざこんな名前で出す理由はない。
「ミシンは女性が使うもの、楽しむものという文化がありました。これまでは、女性に偏り過ぎていたと感じたんです」
紹介記事で、はっきり宣言したからって認められない。カッコいい名前をつければいいのに。変なのじゃなく。
分別の確立した大人の男性が対象でも、ちょっとアレなネーミングはジェンダーステレオタイプを助長する面がある。
議論を呼びそうな発言 ❝男性って、料理もですが、素材からこだわったりしますよね。❞ もしなければいいのに。広報で損してる。
ネーミングで損してる。
正義を主張してるのに、一貫したモラルを確立させようとはしない
みんな違って、みんな言いたい放題
逃げてー
逃げてー
別にフェミでも反フェミでもないけど、グラビアでも風俗でも働けない弱者女性の存在を無視してない?承認欲求も満たせて、女性として愛された上で稼げるのだから、自分たち弱者女性からしたら死ぬほど羨ましいけどね。弱者女性は愛されも金も何もないんだよ。現実って知ってるかな?
もっと早くハマりたかった!!今年に入って初めて偶然にTHE ORIGIN見たらめっちゃ面白くてシャアってこんなサイコパスみたいな面白イカレ野郎なのかよと興奮して
ファーストの劇場版やZのTVアニメ版と劇場版、ZZと立て続けに見た。逆シャアやハサウェイも見てアナザーガンダムも追い始めた。
面白い。
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ガンダムは初見ではなく、俺がリアタイでも見始めたのはSEED以降だけ
Zガンダムを見たことでもしかして酷評されてるSEED DESTINYってZを少しオマージュしてた?っていうのにも気づけて感動した。
シンは最初こそカミーユっぽいけど結局ジェリドだったなと感じている。これは当時も言われてたんだろうか?
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個人的にはZガンダムが一番好きで、ZZは対象年齢を少し下げたのか子供っぽいというか、コメディタッチな要素が多いなと思った。
カミーユやアムロが割と鬱屈しているのに対してジュドーがあっけらかんとしているというか。
ただ、アムロやカミーユは家庭こそ機能不全でネグレクトに近い状態ではあるが教育は施されているし食べるものには困っていない。フラウ・ボゥやファが面倒見てくれてるし。
対してジュドーって貧困層の子どもで親は出稼ぎ行ってて明日を生きるのにも精一杯、閃光のハサウェイで現地の運転手がマフティーが1000年先の話してたってこっちは今日や明日で精一杯、みたいなこと言ってたけど、
ジュドーはまさしくその運転手側の立場の子どもで、それが戦闘に巻き込まれていく中で最終的にちゃんと自分や周囲の未来を考えられるように成長していて嬉しくなった。
アムロに関しても親と決別した後に自分の居場所を見つけて生きがいや目的を逆シャアまでにきちんと確立していくところが描かれていて良いなあと思うので、カミーユのそういう姿も見たかった。
Z劇場版はある意味そういう成長したカミーユを見せてもらえたのかもしれないということで思うところは色々あるが受け入れている。
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この作品を見て、改めて富野由悠季監督の描くガンダムでの女性の描き方について考えるところもあったんだけど、
ファやフラウ・ボゥが男の子をケアする側として描かれているものの(30年以上前の作品にそんなことでケチ付けるつもりはない)、Zでは女性パイロットもたくさんいる。
最初見た時にほんとレコアさんの考えが理解できなかったんだが、
戦争で家族を亡くして行き当たりばったりな生き方をしてきて、ジャブロー降下作戦でもひどい目(おそらく性的被害)にあって、女性性というものにとらわれざるを得なかったのか、
男性社会で求められる女性のあり方を内面化して生き抜こうとしたものの、やっぱり女をモノとしてしか扱わないシロッコや他の男達に傷ついてしまったんだろうなと考えるに至った。
エマ中尉は男性社会での現行ルールに則ったまま自力でガラスの天井を爆破する的なあの時代に求められる”強い女性"を描いてる部分があるのかなあとも思った。
富野監督のインタビューもいくつか読んだけど作品をつくる上でその社会がどんな歴史、文化を形成してきたかというのがちゃんと練られていて、その上でこの社会の中のこの時代に生まれた人がこういう経験をしたらどう人格が形成されるかも考えているんだなぁと感じたから俺ももっと早くガンダムを好きになって富野由悠季の世界展に行きたかった。
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女性の描き方だと、カミーユの母親とかF91のシーブックの母親とかも仕事をバリバリこなす女性だけどどちらも家庭を顧みてない状態で、
仕事で成果をあげるには男性と同様に家庭を放り出して仕事をこなさないといけないまだまだ自力でのガラスの天井爆破型女性が求められる、という作品外での社会問題を感じたし、
逆シャアではチェーンが技術者としてバリバリ仕事していたけど彼女は独身だからやれてるだけで仮にアムロと結婚とかなってたらどうなっていたのか、とも思うし、
そう思うとアストナージとケーラの関係はあの時代にあってすごく先進的というか、男性であるアストナージから「サラダを作って食べよう」みたいな提案してるのはかなり新鮮で結構驚いた。
ジェンダー的な部分だと∀でもさらに踏み込もうとしている感はあったし、Gレコではノレドが乱暴な喋り方なのが新鮮だった。
けっこう「~だわ」みたいな「女言葉」っていわれるような言葉遣いがZとか昔は多かったのがノレドは「~だろ!」みたいな荒っぽい言葉遣いしていて、思えば中高生のときの同級生の女子も結構そんな感じだったなと思うし、
そうした描写の変化を追っていくのも楽しい(まだ∀もGレコも途中までしか見れてない)
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こうした点も踏まえて富野監督作品じゃないけど「水星の魔女」ってすごく踏み込んだ作品だと感じた。
まず女性キャラクターを主人公にした上でさらに家父長制的なあり方を初っ端から批判的に描いている。
鉄血のオルフェンズで同性愛キャラクターがいたり、最終話でアトラとクーデリアがおそらくパートナー関係?(恋愛ではなさそう)になっていたりとアナザーガンダムでもじわじわ踏み込んできていたのが
いつだったか韓国のエンタメか映画「パラサイト」のポン・ジュノ監督の特集だったか忘れたけど、
韓国では人口が少ないし少子化でもあるから映画や音楽は最初から海外で利益を上げることを視野に入れていて、そのために世界に通用するやり方が必須と言ってて、
働き方はもちろん、作品の制作でもいろんな人(国籍、人種などなど)が見ることを前提にしているとかで、BTSも曲の歌詞は自分たちの表現が差別的でないか専門家のチェックを仰ぐとやっていた。
ガンダムはすでに世界で人気だけどより本気で世界で儲けるために社会問題とかフェミニズムを積極的に取り入れ始めたのかなぁとちょっと思ったし、
さらにはもとからいるファン(ガノタと呼ばれる人たち?と美少女好きそうなオタクとか?)も突き放さないために美少女キャラを入れてウテナっぽくして百合アニメと受け取れるような演出してて”うまい”なぁと思った。
まだプロローグと1話だけだしどうなるかなんて分かんないけどさ、とりあえずまだ見れていないガンダム作品があって水星の魔女もあって楽しみがたくさんで幸せだ。
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