はてなキーワード: えんじとは
俺はここ1年で何度か出かけている。飲みにも行った。
俺自身は買い物やコンビニに行く、通勤するなども含めて全ての外出前後は2週間以上空けているし、
会食、家族と同居する、通勤するなどの高リスク行動を2週間以上していない人間とだけ会っている。
(家の近所の自販機に行くだのの低リスクな外出からは2週間以上開けていない人とも会っている。)
で、飲みに行ってる奴はすんげー馬鹿!みたいな風潮ばっかりだけども、俺は自分の行動がかなりリスキーで社会悪だとは認識できないんだよな。
(当然俺自身が感染する可能性は多少あるとは認識しているが割と低い確率だし、もし感染したとしても無闇矢鱈に広めることにはならないんじゃないかなと思っている。)
むしろ独身でパートナーもいない人間が一生引きこもり続けていることの方が人生や社会に対する悪影響が大きいんじゃないかなとも思ってしまう。(これは自分の行動の正当化なだけかもしれない。)
今普通に受け入れられている、頻繁に通勤しないと行けない構成員、頻繁に通学しないといけない小学生、そこそこ頻繁に買い物に行ってる構成員で構成されている家族が同居し続けている状況とリスクは大差ねえだろって思っちゃうんだよな。他にも一人暮らしでも毎日コンビニに行ったり、一人でランチに行ったりする状況とか、より効果の高いマスクが今や普通に売ってるのに布マスク使ってるのと大差ねえんじゃねえのとも思っちゃう。
実際はてなで叩かれまくってるように俺ってすんげ〜馬鹿で、社会の邪魔で、とっとと消えるか一生引きこもっとけってぐらい社会に悪いことしてんのか?
えんじーにゃ かと思ってた🐈
俺さ、口の中クラウンばっかなのよ。
んでさ、クラウンって、結局歯はスッカスカだからそのうち割れて抜歯になんのな。
俺の歯も何本かブリッジなんだわ。
でもさ、ここ5年ぐらい新しい虫歯ねえんだわ。
ちゃんとブラッシング習って、年に1度歯石取ってるだけなんだけどな。
何なんだろうな。
もし、俺が最初からブラッシングと歯石取るのをメインにした歯医者に行ってればな。
ガキの頃行ってた歯医者は削ることしか考えてなくてさ、ハブラシの指導なんて就職して地元離れてから初めて受けたよ。
何もかも間違ってたんだと、力任せにゴシゴシするからエナメル削れるばっかで隙間磨けてなかったんだと。
そんなの歯科衛生士が口見りゃ一発で分かるようなもんだったらしい。
マジでさ、最初に通った歯医者でブラッシング教わってたら、俺の口の中って被せものまではなくとも、全部の歯が残ってたのは間違いねえんじゃねえかな。
マジでな、なんなんだろうな。
でもこういうのムズいよな。
まあ、親にちゃんとそういう意識があって、子供にブラッシングを教えるために歯医者に行かせる発送とかあったらな。
つうか、多分ウチの親のブラッシングが普通に間違ってたんだよな。
ゴシゴシやってたもん。
親子揃ってガチャ外した結果かあ……
辛え……
こうやってわざわざ文章に取り上げている時点で自分の負けをさらに引き寄せるようなものだと思うんだけど、こりゃあ敵わねえな、と思ったから書いておく。
いま話題のプペルじゃなくって、西野氏がある大学の卒業式講演に来たときの話。俺も現場ではもちろん、動画を視聴したわけでもないんだけど、twitterのキャプチャで見たのね。
それで、たぶん最初に登壇したときの学生たちの反応が、そこまで芳しくなかったんでしょう。西野氏がこんなことを言う(経緯は俺の推測です。念のため)。
「今みたいなバラバラの拍手で西野を迎え入れるのか、それとも全員立ち上がって、西野をあらためて迎え入れるのか」
「僕自身はどっちでもいいんです」
ってやつです。
…
俺はこの画像を見たとき、これは敵わねえな、と思ったよ。というか、なんだろうな、この世界で「西野氏的なもの」にしてやられないように、こいつを回避し続けるのは、相当至難の業だな、と思った。
「どっちでもいいんです」と言いつつ、西野氏の希望は当然、万雷の拍手でみんなが自分を迎え入れてくれることなんだけど、西野氏はたぶん、仕切り直すことで学生たちが自身を全霊で歓迎してくれることを確信していたと思うんだ。なんでかというと、それは別に西野氏がスーパーな人物だからでも、彼へのはちきれそうな期待を学生たちから感じたからでもなくて、むしろ反対に、学生たちにとって西野氏なんて、特に興味もない、当初はそれこそどっちでもいい相手だったからで、西野氏もそれをよく理解していたからだと思うんだ。
たぶん、学生たちにとって西野氏なんてマジでどうでもよかった。だから、最初登場してくる西野氏に拍手していたときも、自分がどんなテンションで手を叩いてるかなんて意識しないで、漠然と手を叩いていただろう。「空っぽ」だったんだ。
それが、登壇した直後の西野氏のひと言で、まず自分たちに思わぬ選択肢が与えられていることに気付かされた。西野氏をもっと歓迎してあらためて迎えるかどうか、という選択肢だ。
そして、みんなで一体になって西野氏を歓迎した方が、どっちかと言えば雰囲気的にハッピーだな、ということを、ここではじめて「想像させられた」。
悪い言い方をすれば、それまでがらんどうのまま椅子にぼんやり座ってたところに、気持ちの部分で血肉が入ったんだ。
俺はその後のことを知らないけど(動画を観たくないから)、たぶん、二度目は割れんばかりの喝采で迎え入れられたんだろう。まるで魔法のように大勢の人を操ってみせた話だけど、こんなの良くも悪くも人間を冷静に観察し続け、相手をナメてかかることができる人物なら手のひらの上の話だ。たぶん、西野氏にしてみれば楽勝だっただろう。
「どっちでもいいんです」という登壇直後の発言も上手い。これが例えば、自分から拍手を強いるような言動があれば、学生の方にも抵抗感がある。歓迎するかどうか、あくまで学生の側に選ばせることで、かつ、自分たちでこの場をハッピーな雰囲気で満たすことができると想像させた時点で、西野氏の勝ち確だったのだ。
そこには「ほとんどの人間は通常何も考えないで生きているし、何にも興味を持たずに生きている。だからこそ、自分たちが主役として何かを選び、決定することができる機会を与えられたとき…自分たちこそこの場を盛り上げられると確信したとき、その魅力から逃れられない」という冷静な人間観がある。これは敵わねえよ。俺もその場にいたら拍手してると思う。きっとね。
…
そういう西野氏が『えんとつ町のプペル』をひっさげてエンターテインメント業界で数字を出せるか…はまた別の話なんだけど、それは西野氏が卒業式で見せたような手法が通じないからじゃなくて、反対に、エンターテインメントの世界こそ、西野氏的な方法が跋扈する世界だからだと思うんだ。西野氏の特異性って、そういう技法を非演芸的な空間で一般ピーポーに容赦なく使用したところにあるんであって、業界としてはありふれた手法、人間観だと思うんだよな。
こういっちゃなんだけど、どの作品のブームを仕掛けるのも、「人間ってやつは99%空っぽで、何も考えていなくて、でも自分には特別な見識や機会が与えられていると信じていて、自分で何かを決めることができるという幻想があって、人生を楽しむ権利があると思い込んでいて、できればそれを周りの人たちと共有できたら最高!」的な人間観で消費者を見てないと、市場になんて参戦できないんじゃねえかな。
具体的な作品名とブーム出したら不快にさせるだけだろうけど、例えば『ジョーカー』みたいなダークで暴力的な作品も、文芸的な邦画作品も、屈折はしてるけど、結局はそういう手法で仕掛けられてると思うんだ。俺には『えんとつ町のプペル』をめぐるプロモーションと、他のエンターテインメントの仕掛け方の本質的な違いって正直わかんねえんだよな。
もちろん、作品としての評価は別かもしれない。でも、俺たちが感じるような「ああ、いい作品だった!」「うーん、クソだった!」が、はたして、俺たちを無意識にがんじがらめる商業的な網から、いったいどこまで自由なもんだろうな? って気もする。
…
商業的なアプローチから自由って話のひとつの余談として、俺が浪人のとき、気まぐれで古本屋に入ったことがあった。11月ぐらいのことだ。街も全体的に灰色だったし、俺の心も灰色だった。俺はこの受験に失敗したら死のうかな、と思っていた。
たまたま、カフカの『審判』という本が目に入った。新潮版だ。レア(たぶん)。
俺はカフカなんて『変身』しか知らなかったので、興味と呼ぶにも希薄な感情のまま、本当にたまたま、それをレジに持ってった。200円ぐらいだったと思う。
『審判』は俺の人生を完全に変えた。どちらかと言うと悪い方にだけど、とにかく、他のどんな作品とどんなかたちで出会ってもあり得ないくらい、深く俺をゆさぶった。
あれこそ、商業の魔の手から完全に自由な体験だった。そして、ああいう運命と呼べる体験しか、人と作品の出会いは本当には成立しねえんじゃねえかな…というのはロマンチックすぎるかもしれないけど、俺は割と本気でそう思ってる。
…
ところで、あのとき『審判』を手に取る代わりに、西野氏のオンラインサロンに参加していたらどうなっただろう?
それでも俺の人生はきっと「完全に変わった」だろうな、と思う。むしろ『審判』で三日間くらい飯の味がしなくなるような体験よりよっぽどハッピーだろう。
結局、そんなもんなんだ。キングコング西野氏的なものはこの世界の至るところに、程度の差こそあるけどあふれているし、おおよそ感動はオンラインサロンの充実感で代替される。だから、俺たちはたぶん、キングコング西野氏的なものに永遠に勝てないだろうと思う。
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追記。
トラバで、「『審判』のくだりでお前が言ってる、商業的に自由っていうのは、仕掛けられたマーケティング接点では無い出会いだった(古本屋の偶然)という意味か、『審判』の中身・題材に関連したことか?」という質問をいただいて、これは前者のつもりで書きました。
ただ、カフカという作家についても、おそらく、「再発見された天才・カフカ」「俺たちの代弁者・カフカ」「いま、イケてるやつはカフカを読む! カフカで他のみんなと差をつけちゃえ!」的なかたちで仕掛けられたムーブメントがきっとあだたんだと思います。
『審判』もきっと、その延長上で古本屋の棚に並んでいたわけで、そう考えると消費者を小馬鹿にしつつも心理の隙間に入ってこようとする商業ってやつからは、千切っても千切っても完全に自由にはなれないのかな、と思いました。
…
ところで、上記の「『審判』の中身・題材に関連したこと」という部分で思いついたことがあるので、それを付記しておきます。
『審判』のネタバレになること、作品の解釈はあくまで俺によることをことわっておくのですが、『審判』は、「自分という存在について徹底的に考え続けた者は、必ず破滅する」という話です。
カフカにはたぶん、いわゆる「自分探し」を揶揄するつもりはまったくなかったことをふまえて考察するんですが、物語の冒頭でなんの脈絡もなく訴えられた結果(罪状も明かされない)、
を考え、自分の無罪を信じぬいた結果、得体の知れない訴訟にハマりこんでいき、破綻する話です。
自分を「信じ抜いた」結果、破滅を迎える。俺が増田に『審判』の話を書いたのは本当にたまたまですが、『プペル』のキャッチコピーを考えたとき、ああ、この対比は面白いな、と思いました。
…
俺は上で、あえて「自分探し」という表現をしました。なんでかというと、こう思ったからです。
『審判』の「自分という存在について徹底的に考え続けた者は、必ず破滅する」という一つの解釈について、次のように補足・換言してみる。
「自分という存在(の可能性)について徹底的に考え続けた(諦めなかった)者は、(社会的に)必ず破滅する(≒冷遇される)」
…こうしてみると、この増田でも話題にしてきた別の「作品」が見えてこねえか? ということです。
俺は何十回でも強調するつもりなんだけど、俺は『審判』と『プペル』を同列に見ているわけではなくて(『プペル』も別に、読み終わった後しばらく飯の味がわからなくなるくらい衝撃だった、って言われたくはないだろうし)、ただ、この辺ってけっこう曖昧で危ういんじゃねえか、ということです。
「自己」「孤立」「理解不能なマジョリティ」「困難な戦い」、こういった要素を含む物語は、例え真逆のメッセージを送っていたとしても、じゃあ全然違う別モンだぜ、と胸を張って主張できるかと言うと、「いや、うん、全然違うよ、違うんだけど…ちょっと小一時間整理させてくんねえか」というところがある気がして、それが面白いな、と思いました。
強いて言えば、俺は子供に『審判』は絶対読ませたくないし、『プペル』は別にいいんじゃねえの、という感じです。
それは、『審判』が俺にとってスペシャルなのと、あと単に理解できても暗い気持ちになるからで、自分の子供がそんなんなったらイヤだからです。
昔は悪だったよ。地方の公立の中学校でさ、動物園みてえなところだった。動物どもにテキトーに合わせてながら生きててさ、勉強ができるのなんてガリ勉だと馬鹿にされるだけだからずっと隠してた。悪と遊びながら隠れて勉強。タバコふかして帰ってきて、夜はハイデガーを読むとかね。で、進学校に行ったのは俺だけだったかな。それで東京の大学に合格してさ、村じゃあ天才だと崇められながら地元を離れたけど、大学に行ってみりゃ金持ちばっかりで、予備校とか行ってた奴ばっかなのな(笑)。びびったよ。俺は予備校とか行ってなかったから。でもボンボン供は俺の知らない教養を沢山知ってたよ。美術にも音楽にも造作が深くて。でもな、なんていうのか、”知らない”んだよな。公立中学校でさ、男子も女子も金持ちも貧乏にもごちゃ混ぜで過ごす生活とかさ。中卒で働く予定のヤンキーとか、高校で妊娠してそのまま結婚しちゃうような女子とか、多分会ったこともねえんじゃねえかな。悔しいけどインテリ気取りのボンボン達の方が、留学経験もあったし、あいつらは勉強以外にスポーツも楽器も英会話もなんでも出来たよ。でも、やっぱり”知らない”からかな。経済とか政治とかの話になるとダメなんだよな。理想主義者っていうか、まあ、現実知らずだよね。その点俺は”知って”いるからわかっちゃうんだよね。お坊ちゃん、いい子ちゃんのリベラルにはわかんないことがさ。リベラルは多様性なんて言うけど、俺の方がよっぽど多様性を”知って”るんだよな。
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昔は悪、今はインテリ、ただのボンボンよりも”知ってる”ぜってのがな。リベラルよりリベラルだし、保守の気持ちもわかってるぜってのがカッコいいんだよ。
それ言う前に控えろって言われたことを守ってないやつに文句言ったら?
都内の感染者増える一方じゃん。自衛している人まで感染するのは、バカみたいに集団で飲みに行ってクラスター発生させてる奴らのせいじゃん。
もともとの感染者がそこにいるのも悪いけど、1を10に増やすように集団で感染しにいくバカにも問題があるでしょ。
そいつらを徹底的に叩きなよ。国だって追いつかねえんじゃないの?何を言っても増やすバカがいるんだもの。収拾つかないよ。
収容してもあれが食いたいから飲みたいからなんて理由で非常口がしまらないように細工して外に飛び出すバカもいるわ、スパに入って風呂浴びてくる阿呆もいるんじゃ、どうしょうもないじゃん。
こいつらをなんとかしないとどうしようもないだろ。