相手は引きこもってつぶれてしまった。
まあそれ以外にもいろいろあったみたいだけど。
年周視差がわかるほどの観測技術なかったから宗教抜きに学者からも天動説のほうが正確だと思われてたというのが真相
生まれつきの性質かもしれないし、家庭や学校での教育が原因かもしれない。でも、就職するような年齢になってしまうともう手遅れだ。メンヘラは薬を飲みながら承認を求めて喘ぎ続けるし、コミュ障は他者のいない狭い場所で孤独に震え続けるしかない。努力や治療ではどうしようもないのだ。
わたしの職場は、そういった人たちの巣窟になっている。たぶん人事の方針なのだろう、能力を最優先に評価して採用した結果、おのずと人格に問題を抱えた人たちが集まったのだと思う。おかげさまで優秀な人たちに囲まれ、わたしは日々刺激を受けながら働いている。プライベートで関わるのは勘弁してほしいけれど、仕事だけのつきあいなら許容できると思っていた。
しかし、そんな悠長なことは言っていられなくなってきた。会社の人間関係の軋みが、少しずつ大きくなり、無視を決めこむのも難しくなりつつある。
発端は、隣の部署の女の人が自殺したことだった。わたしは彼女とは二言三言話したことがある程度で、知り合いとも呼べないくらいの仲だったから、そのこと自体に大きなショックを受けることはなかった。彼女はいわゆるメンヘラで、恋人とうまくいっていなかったことを気に病み、耐えきれなくなって首を吊ったらしい。
可哀想だとは思うけれど、今までお疲れさまでしたと労る気持ちのほうが強い。生まれつき抱えていた時限爆弾が、偶然このタイミングで爆発したみたいなものなのだ。ずっと爆発する不安に怯えて生きるのは、あまりに疲れる。生きているだけで辛いのだから、死ぬのが悪いことだとも限らない。生きていればいいことだってあるかもしれない。でも、それ以上に辛いことがたくさんある。
しばらくオフィスは追悼ムードに包まれた。みんな何となく遠慮がちに笑うようになり、会議で交わされる声もほんの少し小さくなった。
しばらく経って、しんみりした空気も元通りになりかけていたとき、上司が部署の人たち全員を誘って飲みに連れて行ってくれた。元気をだせ、ということらしい。普段なら絶対に参加しないような人も、珍しくその日は揃っていた。
その席で同期のコミュ障にとつぜん口説かれたのだった。コミュ障だから、口説くと言ってもひどいもので、何を言っているのかよくわからない。初対面のときはまったく聞きとれなかった言葉も、数年のうちにある程度聞きとれるようになってしまった。そのせいで口説かれていると気づいてしまったのだ。
コミュ障はコミュ障なりに考えた結果、わたしと彼がつきあうべきだという結論になったらしい。わけがわからなかった。ありえないし気持ち悪いし、全身全霊でお断りの気持ちを表現したのだけれど、コミュ障だからそれも伝わらない。
せめて彼がメンヘラだったらよかったのに、と思った。メンヘラなら、死んでくださいと伝えればちゃんと伝わって、死んでくれる。それでみんな幸せになれる。でも、コミュ障だとそうはいかない。死んでくださいと言っても伝わらないし、気持ち悪いし、どうしようもない。
http://anond.hatelabo.jp/20140228224140
リンクの増田を読んで思ったけど、発達障害、特にアスペの場合、一番大変なのは当事者の苦労、当事者に関わる人間の苦労、それぞれをお互いに分かり合うことが非常に難しい上に、当事者に関わったことのない人間には両方まとめて理解しにくいことだろう。
アスペには色々問題があるけど、一言でまとめるなら社会性の発達の問題で、「人間に対する興味が非常に希薄という性質上、周囲との関係性から今置かれている状況や、或いはこれから起きそうな事象を推測できない」障害と言える。
…こう書いただけでも、関わったことがない人間にはチンプンカンプンだろう。
そう、手や足がないとか、そういう目に見える障害に比べて、当事者が何に苦労しているか、或いは当事者がどういうことで周囲にコストを掛けさせているかが非常に見えにくいのだ。
当事者からしたら「普通にしているだけなのに叱られたり、いつの間にかいじめられている、どこに行ってもそうで生きにくいことこの上ない」という気持ちしかなく、「コミュニケーションのあるべき姿は周囲の非言語メッセージを汲み取ることも含まれる」ことを理解し、迷惑をかけないように工夫する所まで行く当事者はあんまりいない。
当事者に関わる人間は「とにかくこっちの都合に関係なくアクションをかけてきて迷惑だし、しかもこっちの主張は基本通じない」と途方に暮れるばかりで、当事者の苦悩や孤独感なんて自業自得だと思っているし、当事者が何故そんな言動を繰り返し、またどう言えばメッセージがうまく伝わるかまで考えるのは無理というケースが多い。
そして、こうした当事者と周囲の悲劇性は、経験したことがない人間には全く伝わらない。
人間関係のトラブルなんて基本的に相互の人間理解の欠如が原因なのだが、アスペに限って言えば「じゃあどうすればいい?」がかように難しいのだ。
とある社内でホームページの作成、運用を担当してきた。綺麗な言い方をすれば全てのホームページの作成が終了したので、退社が決まった。俺の方はお金に困らない生活ができて良かった旨を知り合いに言ったら、「お前は周りに合わせないから行けない」「言われた事をやるのが態度に出るから首になる」と散々注意を頂いた。まあやる事やってりゃいいだろ、違う会社に行く為の腰掛けと言う態度が表にでるから失敗する事もある。尤も風俗でHする為等のお金が欲しいから働いてるのが現状だ。さて今日はこんなダメ人間街道まっしぐらな自分の6ヶ月間のハイライトを話していこう。
まずA部署ではwordpress系のホームページを作って来た。基本的にホームページ制作の流れは、企画を設計書に落とし込み、設計書の各パーツをPhotoshopのスライスと言う機能で切り出し、各部分にはめ込んでいく。このように仕様通りに作るというテクニックが要求される事が多い。どうしてこういう流れを踏む必要があるか?それは仕様書をあらかじめ作っておき予定立てをすることで、全体の進捗の管理をしやすくし、効率よく回しやすくするためだ。
システムの世界で言うアジャイル開発に代表されるように、昨今では状況の変化に対応しやすいようPDCAサイクル((ある事業の計画→実践→検証→改善までの))を短く回せるような開発手法が注目を浴びている。
最もこのプロジェクト程度ではそこまでやる必要も無い規模だったのもあって、
2.wordpressで実装
4.公開、運用
の流れで作業を行っていった。自分は1〜2の流れを短いスパンで繰り返し完成に持っていった。思い返せば商品を見せる?タイプのサイトだったのか、3.では画像の修正が一番多かった記憶がある。とりあえず見た目の良いページが出来上がった。このうち個人的に反省した点は1の構想の段階で、「誰にみてもらうのか?」「何の為にこのサイトを作るのか?」を明確にしなかった点だ。前の会社でもこの点はないがしろにされてしまっていたので、shit!と思った所だ。
困ったのは担当がこの手の現場作業に理解が無い面がある点だ。事ある事に「(前の会社で)仕様書通りに作る仕事をやってたんだろ?」、「一からHPを作れるようにしてやっただろ」的な態度なのは...以下業務とはやや関連する、仕様書のあり方について話していく。
まず家を建てるには設計図と言うものが存在し、図面通りに作る事で組み立て作業をやりやすくしているわけだ。設計図に不備があると欠陥住宅になったり、資材を追加発注してイニシャルコストがかかってしまうなどが考えられる。さてHP制作の場合はそこまで厳しくないものの、全体の進捗管理をやりやすくする等の目的で仕様書が存在する。ただ作るだけでなく、何の為の仕様書か?と言う部分を把握する事も仕事のうちだと思っている。
例えば一からホームページを作るんなら、ソフト使えば自分でもできる話。それではできない現場の技術を覚えたい、企業ものを手がけてみたいからみんな入社するのだ。もっとも「仕様書の作り方、仕様書通りに作る技術を覚える=現場の技術を覚える」な場合もある。以外と現場と個人との差はこういう部分で現れてくる事も多い。
次はB部署で作ったホームページの話をしよう。嬉しかった点、一緒に仕事をさせて頂いて良かった点は冒頭の打ち合わせの段階だ。特にB部署の方から「うちは別の事業がメインなので、とりあえずこんな会社があると言うのを紹介するようなページを作ってほしい。だから簡単で良いですよ」と言ってくれた点。もちろん気が楽なのが2割、結果的に作り過ぎにならないが8割だ。
その為「外回りの営業の人が○○やってると言う事が分かるように、簡単な説明を入れてほしい」「いやそこは○○と言うべき所だ」とどんどん実のある話が飛び交ってくるのが嬉しい。ともかく意見を言いやすい雰囲気で、会社側の意向に合わせてどんどん改修などもしやすい限りだ。何より会社の体面でなく、客の方を向いているのが本当に良かった。
ここで個人的に社内SEなどの部署は、基本的に社内の意見を反映しやすい物を作るために存在すると考えている。今回の案件を担当して思ったのが、営業だとか他部署の人間の仕事を円滑に進めるためのホームページがあっても良い訳だ。アクセス状況を無視して、営業の人がiPadで話すためのネタをホームページに仕込んでしまってもいい。1.で話した通り所詮はお金の為と言え、もしお金を度外視するならできる限り相手の立場で仕事をしたい所だ。
その他嬉しかった事が2つあって、1つ目は上司が業界の仕組みを教えてくれた事だ。帰り際に「○○の業態は全体の△△%のキャパシテイを埋めれば、利益が回収できるような仕組みなんだ」と業界の仕組みなどを教えてくれるのもありがたかった。2つ目は俺に合わせた冗談を言ってくれたことかな?「10分女と話して10分仕事して...」の一言には、俺のこれまで全てを言いくるめられたような気持ちとなった。加え「温泉街に風俗だのスナックだのは必要だよな」と俺の後押しをしてくれ、気を合わせてくれたのが最高だった。辞める事になったものの、こんな会社に出会えて本当によかったってものだぜ!。
場合によっては「アダルトの仕事なんて何やってるんだって気になるよね」って言う奴も居て、こういう奴のいるような会社はことごとく去って来た。こんな事を言われるたびに「うるせー。こういう男の下心で金が動いてんだよ!」と黙って反抗し続けたものだ。やっぱ女に騙されるようなバカで居たいし、それを笑ってくれるような人と働きたいものだ。ホント2週間に1回Hができれば、もうちょいクビになるタイミングをのばせたかもしれない。セックスはクビ防止に多いに役に立つに違いない(笑)。
最後にこんな文章をお読みいただきありがとうございました。社内で目立った存在なんで、協調性が無いの分かると目を付けられやすいんですよ。(違う知人から「お前がいると俺が目立たねえじゃねえかよ!」といじられましたw)。さてこんな俺の愚痴から何か得るものがあれば幸いです。俺の方はとりあえずバイトでもよいので適当に探し、大好きな食事とHをこなし続けていきたいです。
人の意見はコロコロ変わる派だけど、もしもその些細な矛盾について詰め寄られたなら、以前と意見が一貫しない(あるいは条件によってそう見える)理由を述べればそれで充分だし、人間性の表明になる。
時制も一致できる。
痛くも何ともない。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140225
http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20140225/1393341659
http://rlee1984.hatenablog.com/entry/2014/02/27/234905
上の三つが目に留まりました。
この記事を書く理由はこれらの議論を見てイライラしたからです。
学生時代は塾講師で中学生に理科国語数学を教えてました。(6年)
ということですべての意見に対して反論することはできるのが
肩書しか見ないで意見を信用するかしないか決める人にもわかると思います
結論から書くと、私はちきりんさんとコウモリさんに反対でバッタさんに賛成です。
以下の四つに関して適当に書きなぐってみました。
結論から言えば私はそこそこ良いものだと思います。よく考えられて作られたのが分かる。個人的に言いたいことは山ほどありますが。
きちんと基本について抑えられているし、応用が利くような項目について教えられているはず。
これを全員がきちんと学べばこんな議論もなくなるのではないでしょうか。
基本的な知識を学んだうえでの応用のほうが適応範囲も広がるし、柔軟な思考もできます。その柔軟な思考が空想、妄想にならないためには論理的思考能力が必要です。
ただ問題なのは、応用について十分な紙面を割いていないこと。そこに関しては確かに問題であると思います。
だから、現実世界に学んだことを応用できない人が多いのです。学んだことを生かそうとする意識を養わないといけません。
では、どう生かせばいいのか。具体的に書くと割と時間がかかるので、ある程度適当に。
・大半の人が選んでしまう住宅ローンの“元利均等払い”の恐ろしさ
数ⅡBを学んでいればわかるはず。特に指数計算と数列を学んでいれば。
保健体育でやったでしょ?セカンドオピニオンとか。そしてその治療方法の妥当性を学ぶためには生物が必要である。
同上
・副作用も指摘されてるワクチンを勧められたんだけど、摂取すべきかどうか、どう考えて決めればいいのか?
これはリスクマネジメントの話であるが、実際に病気にかかるリスクと副作用のリスクを勘案すればよし。
中学校の理科で、血液は全身を循環していると学んだはず。施術中に、脂肪細胞が血液中に入れば血管詰まるリスクがあるのはわかるよね?
高校の化学でやる酸塩基反応、酸化還元反応をしっかり理解していればわかるはず。
・ガスファンヒーターの前にヘアスプレーのカンがあったら、どれほど危ないのか
空気はあったかくなることを膨張することを知っていればいい。中学の理科で空気の力はたいていどの教科書にも写真つきで載っている。
空気は膨張すると上昇すること、冷えてくると空気より重い気体(エアロゾル?)は下がってくることが分かればいい。
・天ぷら油から火がでたら、水をかけるのとマヨネーズをかけるのはどっちがいいのか。なければケチャップでもいいのか?
油の温度と水の三態、そんで水と油どっちが上に行くかということを知っていればいい。ここから水分が多いほど危ないと分かり、できればマヨがいいとわかるはず。
まずイオンを知ろう。その後に、科学的に実証されているものかどうかを調べてみよう。ここで論理的思考能力が必要になる。
・放射能が怖いんだけど、ラジウム温泉でダイエットするのは大丈夫?
最近の高校の教科書には放射能とかも載っているので問題ない。ただ、ラジウム温泉でダイエットはできるのだろうか?
ということでちきりんさんの教えられたい項目は高校までにだいたい教えられていたのです。それをしっかり学んでいたかどうかが問題なんです。
大学へ行くと知識が力になる体験というものをする。主に研究生活でだが。
そういった実感を持つ人にとって、”「生活するために必要な科学知識」を習得する上での一番の近道は普通に理科を勉強することだと思います。”という考えを持つことは当然である。
ただ、わからない人も多くいるので最初に言ったように応用面の記載を増やしてもいいと思うが。
他の基本的な大意についても一番上に書いたことと同様なので基本的には賛成です。
さて、この人が一番問題です。ぶっちゃけて言えばこんなあほな議論を見たためこの記事を書いたといってもいいでしょう。
対象者によって教育内容を変えるという点は同意できます。ただ、それはより経済的、社会的なトレードオフの問題になりますが。
世の中にはできない子がいるという点にも同意できます。それをできるように変えていくのがすべての教育者の仕事であると思いますが。
教育論では素人がなぜか力を持つというのは教育者の間では割と昔から言われてることで、これも特に異論はありませんが、どのように破綻しているのかということを示す義務が、わかっている人にはあると思います。
さて、以下はすべて反論である。
彼らが話しているのはちきりん氏の記事には論理的破綻(つまり科学的基礎は重要である)があるということを指摘しているのである。
レベルという言葉をプログラミング言語における低級高級のような意味で使っているというのならともかく、そうとはどうしても文脈的に読み取れません。
それと、相手に対しては敬意をもった言い回しをしましょう。とてもじゃないがバイアスがかかり過ぎてて読みづらいです。
“バッタさん、やまもとさん「理数の学問的基礎は大事だよ、みんないつか使うかもしんないじゃん <`ヘ´>」”
こんなこと読み取れません。国語能力がよっぽど低いか、バイアスがかかっているのでは?
みんないつか使うから基礎を重視しているのではなく、基礎がなければ応用が成り立たないからと書いてありませんでした?
この言葉の裏にあるのは基礎を教えてそれを応用したほうが短時間でより多くの事が学べ、使えるようになるため、記事で書かれているような時間のトレードオフ的に有利だからです。
“現代では、「情報を網羅して知っていること」以上に、「知らなかった情報を使いこなすこと」こそが重要だからです。その技能を習得してもらうためにこそ、経験学習(問題解決学習)は有効だと言えそうです。”
何を言っているかわからない。系統学習の有用性は上記しました。情報の取捨選択の面からみても基礎的な情報を知っていることが大切です。
また、多くの知識を知っていればいるほど、知らなかった情報をうまく使いこなせると思いませんか?
問題解決だけしていても断片的な情報だたまるだけで、系統的な知識として身につかないので応用が利きません。
応用が利かないということはより余分に学ぶ必要があるということです。これは時間のトレードオフ的に無駄ですよね?
”台形の面積の計算方法から、数学的思考法なんか学ばねーよ。”
そうではありません。単純にあなたの考えが至ってないだけでは?
さらに、台形の面積の計算方法はは図形の面積の計算方法の一部であり、図形の面積の計算方法を見れば十分に数学的な、論理的な思考法のひな型なのではないでしょうか?
たとえば、同じ三角形を二つつなげれば平行四辺形の問題に帰着でき、それを半分にすれば三角形の面積だよね、ということ自体が数学的な思考法であり、それを証明するためには論理的な思考法が不可欠になりますよね?
台形にも同じことが言えて、上辺と底辺が並行であるならば二つつなげれば平行四辺形になる、ということに数学的で論理的な思考法が必要になることはわかっていただけると思います。
それと、塾講師をしていたという割には大枠で教科全体をとらえるという思考がないような気がします。教材の作成や、指導法について悩んでこなかったのでしょうか?
”台形公式を「知識」と捉えてしまう「さんすう苦手」層に向けては、もっと実用的な計算を教えた方が良いし、それを「理解」して使いこなせる「さんすう得意」層に向けては、もっと本質的な理数教育を施した方が良い。”
本当に塾講師をしていたのでしょうか?教えられていた生徒たちが哀れに思えて来ます。
算数苦手な生徒たちをいかに理解させるか、ということが教師としての仕事なのではないでしょうか?
彼が言っていることはバカはバカのままでいい。ということに他ならないと思うのですが。
最終的にこの記事の結論としては“経験学習vs系統学習への新しい答えの1つとして、「対象者によって分けてみたらどうだろう?」というちきりんさんの提案がある”ということを確認するために書かれたのではないかと考えています。
私は流石にそこまでは、この議論からは読み取れないのではないかと思いますが。
むしろ重要なのは現在の科学教育の妥当性という何度も提案されてきたいわば古い話であってちきりん氏を擁護するためにそこまでしなくてもいいと思います。
また、生活的知識と科学的知識は背反するようなものではないということは上に書いたのでわかっていただけると思います。
私が言いたいのはこの問題は系統学習VS経験学習という対立軸を持ち出す必要もなく、
基本的な知識をしっかりと身につけ、無理解を少なくすれば、ちきりん氏の言っているような実用的な概念を身につけることは現在の教育で十分にできている。ということです。
これはバッタさんも指摘していることですが…
一応誤解がないよう書いておくと、私は系統学習を主にしてそれを応用できるような経験学習をさせるのが最も定着力よく、応用力も利き、かける時間も少なく済むと思っています。
それは私がいろいろと教育について思考錯誤した結果であって論理的な裏付けがあるわけではありません。だからこそ、私は今回、そのことで批判していないと思います。それは教育者一人一人であっていいと思うので。
それ以前の問題、論理の破綻や無理解な部分について的を絞って話していました。それでもこんなに多くなってしまいましたが。
嘘や適当なことを言って自分の意見を補強してはいけません。それはただの害悪な文章であり、知らない人をただ煽るだけなのですから。