はてなキーワード: 詰め将棋とは
仮に作者をAさんとする。
何十周とは言わないが、合計20本くらいあるAさんのそのシリーズの動画を5、6回は見てきたと思う。
動画はシンプルで過度な編集はなく、作中入れられる解説の文体も端的でわかりやすい。派手さはないが落ち着いていて、本当に気に入っていた。
このシリーズは仲間の名前をプレイヤーが決められるのだが、ネーミングセンスも知的さとユーモアに溢れていて、動画のどこを拾い上げても作者の知性の高さを感じられた。
Aさんは私が未プレイのゲームの制限動画も投稿していたが、「Aさんだから」と視聴しにいくくらいには、自分はAさんという投稿者が好きだった。
思いだしたので最近またAさんの動画を見返していたところ《同じジャンルの別シリーズを、同じ制限プレイでクリアする》という動画がおすすめで出てきた。
あの作者だろうかと期待してリンクを開いたら、どうやら別人のようだ。
仮にBさんとする。
どうやらBさんは先発のAさんを知っていて、その上で同じコンセプトで挑戦をしているようだ。
キャプションや動画内で明文化されてはいなかったが、動画タイトルはAさんのものに寄せられていたし、制限する内容のリストについてもやはり先発のものを引き継いでいたところから、言うまでもないですよね、といった感じだろうか。
当然期待した。
あの動画を見て、いざ我もと挑戦したのだろう動画だ。気合も入っているだろう。わくわくと再生アイコンを押した。何本か視聴して思う。あまり面白くない。どうして。
理由を探しに。正直に言えば口直しの気分で、一旦止めていたAさんの動画に戻る。
・制限内容はほぼ同じ
・ちゃんとどちらも完走している
こういった部分は同じなのだが、どうしても違う。
例えば解説文の文体。これは感覚の話だが、どこか角の強いというか「初カキコ…ども」的なBさん自身の性質が滲んでみえるというか。
本人が面白いと思って載せたのであろう文中の冗談的表現も、ドヤりを感じて笑いづらい。連れ歩く仲間のネーミングセンスも、意外性や驚きがあんまりなかった。
Aさんは制限プレイの他、動画内で展開が間延びしてしまうときの穴埋めとしてシリーズの歴史を語っていたりして、それをBさんは(私が視聴した数本の動画内では)行っていなかったが、これだけが理由ではないように思う。
制限プレイ動画のメインディッシュは当然、制限を守ってクリアできているかどうかである。そこはしっかり押さえられている。
ハンバーグ頼んでつけものが出てきたとか、そういうアレじゃない。どちらも完走している。ハンバーグを頼んでしっかりハンバーグが出されている。
ゲームの色んな仕様を頭に叩き込んで、詰め将棋のような緻密さがあって尚、運を掴まなければ完走できない制限だ。
AさんBさんともに、頭だっていいはずなんだ。
なのにどうしても、あらゆるエッセンスにおいて、Bさんシリーズの視聴が増えるたびに、Aさんとの差を如実に感じてしまう。
動画のシーンの切り替えのタイミング、言葉選び、加速開始のタイミングや加速終了のタイミング、そういう様々な、感覚のセンスだ。あまりに、Aさんシリーズの完成度が良すぎた。
BさんはきっとAさんシリーズを受けて、自分なりに出来る工夫を盛り込んだのだろう。
同じレベルの、匹敵するような動画を作るぞと、Bさんなりの編集を行って投稿してくれたのだと思う。そこも感じられてよりしんどい。
似た構成だからこそシンプルに浮かび上がる随所のセンスのレベルの差があまりに分厚い。
同じ台本でも演出の差で陳腐扱いされるか王道扱いされるか分かれてしまうものだが、力量の差とは恐ろしい。
動画のメインでないはずの随所でAさんを思いだすのが辛くなって、Bさんシリーズの視聴ウィンドウをそっと閉じた。
たぶん、続きは見ない。
金銭は発生しない自己満足による創作だが、趣味として楽しんでいる。
誰かと同じテーマで──といった創作をしたことはないが、ああいう創作が出来ればと憧れを持っている人は何人かいる。
なんなら、自分の得意なこの部分だけなら憧れのあの人にも届くのではないかと思ったりしたこともある。
過去の自分のこういった思考も、全部いたたまれなくなってしまった。
Bさんの動画のもどかしいポイントが、全部自分にブーメランになって刺さってくる。
もしかせずともこれまで「うわ、あいつあの完成度で出来てるつもりかよw」みたいなこと、思われてたりしたのかな。
あ゛ーーーーーーーー!!!!!!!! やだよーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!
出来てないのに出来てるつもりで振る舞ってたかもしれないと思うだけで顔真っ赤だわ。
それを人様が作った動画で感じてしまったということが更に失礼でダメージ二倍だよ。ファッキンガム。
どっかで聞いた、自分が同じレベルだと思ってる人は本当はもっとレベルたけーんだよとかいうの本当だった。
さて、私も将棋ウォーズ初段程度(道場では3段)なのだが、みなさんに将棋、それも見る将でなく指す将という趣味の素晴らしい所を語りたい。
老人になっても変わらずにできるゲーム。一度ルールを覚えれば誰でもできる。 子供とお爺さんが戦って、「どちらが勝つかわからない」勝負になるゲームってなかなかないと思う。囲碁将棋くらいでは?
あと一応性別関係なく、なのだが、女性が少ない界隈なので、「教え魔おじさん」とか女性蔑視、女性狙いのおっさんなんかも大きな道場にはたまにいるときく。その面で女性はいやな思いをする人がいるかも。
とはいえ昨今は「女性限定教室」とか本当にたくさんあるので、その面では(沼に落ちるまでは)心配しなくていいと思う。
2)ボケ防止によい。
滅茶苦茶に頭使うからね。だから手を読んでいるときは、脳内で滅茶苦茶濃密な時間をすごしている。ちょっとこの「濃密さ」は他では味わえないと思う。
秒読みの中妙手が浮かんだ時は、本当に脳汁がドバドバ出るのがわかるもん。
あと、将棋をちゃんとやってて痴ほう症になった人は、自分は知らない。(いないわけではないと思うが…)
将棋は対面ゲームなので、コミュニケーションのゲームである。なのでいきつけの将棋道場や将棋カフェいけば、自然と友人になる。ネット将棋しかやらない人も、今はSNSに将棋コミュニティが多いのでそのどれかに所属すればネット友人に自然になる。私もラインの将棋系OCに所属していて、そこでネット友人ができた。
ただし、当然ながら最低限のコミュニケーション能力は必要。将棋道場では、それをわきまえない「迷惑な頑迷老人」がたまに来て、迷惑や問題を起こすこともある。
ネットでは「無趣味で孤独なおじさんの末路」的な記事が定期的にバズるが、将棋を趣味にすればそんなのは無縁だろう。将棋道場に来るお爺さんやおじさんたちは本当に幸せそうだもの。
ただ、将棋を「本格的に」やろうとすると、実は敷居が若干高い。正直言って、低くはないと思う。
その理由も言いたい
初めのうちは適当に、弱いぴよ将棋相手とやるだけでも楽しいと思う。そのうち対人戦をしてみたくなるかもしれない。対人のゲーム(ウォーズとか)をすると気づくだろう。
「将棋、対人で勝つと滅茶苦茶うれしい…」と。そして将棋にはまったところで、もう一つのことにも気づく。
「将棋、負けると滅茶苦茶に悔しいじゃん…」。
将棋は、運の要素が皆無なので、要は「どちらの頭脳が上なのか」を測るゲームといっても過言ではない。勝った方が賢い、負けた方が馬鹿、を決めるゲームである。
負けたあなたはきっと悔しいだろう。この悔しい思いをしないために、強くなりたい。どうしたらいいのか…。
漫画「3月のライオン」で、島田八段の「将棋は正直だ。勉強した分しか強くならない」という台詞があるが、マジで強くなるには将棋の勉強するしかない。
詰め将棋をやるなり、手筋本を読むなり、戦法の本を読むなり、上級者の将棋動画を見たり、棋譜並べをしたり、指した将棋の振り返りをしたりと、そうしたものの積み上げでしか強くなれない。
たまにそこをすっとばしてソフト指しをやる奴がいるのだが、そういうのはネットゲームからBANされるので考慮しない。とにかく勉強するしかない。
なので、将棋は「できるだけ負けたくない」と思うならば、「その分勉強するしかない」競技だと言うことをわかってほしい。
だから将棋を「本格的に」やろうとするなら、どうしても「時間を食う」ことからは避けられないと思う。
ただ、将棋の勉強自体が苦痛、なのかというとそんなことはなく、自分が楽しめてやれることを楽しみながらやればいいと思う。
私はプロの将棋の棋譜並べが楽しいので、毎日やっている。あと、詰将棋もできるかぎり毎日やってる。
2)初心者が、ルールを覚えた次に何をすればいいのかわからない問題
多くの初心者が直面するだろう問題。今はネットで色々あるのだが、たくさんありすぎてよくわからない、という人。
とりあえず将棋のルールは覚えたけど… という人は、次に、将棋の「手筋」(小ワザのこと)を本やサイトで学んでほしい。個人的には、「手筋」を知ってるかどうかで将棋の面白さ(手の見え方)がグンと変わってくると思っている。
次に、1手詰めと、簡単な3手詰めを10問ほどやって、「将棋の終盤は、こうやって王を詰ませるのかー」ということを体感してほしい。
そこまでできたら実戦あるのみ! 「ぴよ将棋」というアプリ(ウェブからもできる)の、弱いレベルから順番に倒していこう。
間違ってもまったくの初心者が将棋ウォーズなどの対人戦から始めてはいけない。瞬殺されて、将棋の面白さがわからないままおわってしまうだろうから。
将棋界隈(ツイッターとか)で必ず上がる話題として、初心者や女性にマウントをとるおじさん客というのがある。
将棋は高齢者でもできる趣味なので、マナーの悪い老人(老人でなくてもマナーの悪い人はもちろんいるが、圧倒的に老人の方が多い)は一定の割合で、少数ながら存在するといってもいい。残念ながら。
将棋をやっていると、ネットだけでなくリアルで指したいと思うかもしれない。そして将棋はやはり、対人ゲームなのでリアルで指した方が楽しいと個人的には思っている。
ただ、初心者はいきなり将棋道場にいくのは敷居が高いだろうから、まずは初心者向けの将棋教室をさがして行くのがいいかもしれない。
都心部なら、若者向けの将棋サークルや、若者むけに将棋カフェというのもある。有名なところなら高田馬場の将棋カフェCOBINとか。
私は近所の将棋道場の常連なのだけど、4年ほど通って、マナーの悪い老人に当たって嫌な思いをしたことが2回だけある。まあ、2回だけなら少ないと思うけど。個人的には、マナーの悪い客は出禁にしてほしいが、なかなかね…。
これを読んで、元増田や皆さんに、ぜひ将棋を楽しんでもらいたいと願っている。見る将でもいいので、とりあえず将棋にふれてみてほしい。
そして、私はだいたい埼玉の春日部の将棋道場で指してるので、これを読んだ方と機会があればぜひ対局してみたい、と思っている。 おわり
中学生のとき、ふいにもよおし、盛大にスプラッシュしたことがあった。
あれ以来、もよおしたときは駆け込む、ストッパを常備するなど、工夫をしてきた。
それでもなお、今まで、もよおしたとき、ギリギリちびり程度なら、それはあった。
入浴中にもよおしたのである。
若干、「湯温が低いな、冷たいかな~」と思っていたのだが、スマホで将棋をたしなんでいた。
序盤戦から中盤戦にさしかかり、駒が乱れ飛び始めたときに、腹が急降下したのである。
「これは、スプラッシュ状態になる」と瞬時に脳が察知し、スマホの駒を進めた。
トイレでの排便は、勝利なき将棋。「詰め将棋」ならぬいかに逃げるのか「逃げ将棋」である。
「詰ませない」ことが「勝ち」なのである。
これを私は分かっていなかったのだろう。
素早く風呂からあがり、身体を拭き、パンツを履き、トイレへ駆け込んだ。
序盤から中盤、一気に終盤まで手が進む。
パンツを下ろし、いよいよ着座!
その瞬間!!
万事休すである。
「詰み」を悟るのは、0.1秒程度だっただろうか。
完敗である。
便座に座りながら、また、一部ぶちまけられた駒を見つつ、感想戦に入る。
ポイントは、中盤戦、終盤戦にある。
なぜ、風呂上がりに丁寧に身体を拭き上げ、パンツを履いたのか。
後手ながら、8割は便器に差し込んだ。2割は周辺に散ってしまっている。
身体を拭き上げるのは後で濡れた廊下の処理を考えれば悪手とも言えなくもないが、パンツを履く手は悪手であった。
持ち時間を20秒は失っていることを考えれば、パンツを履かなければ、攻めに耐えられた。
教訓:風呂でもよおした場合、なりふり構わずトイレへ直行せよ。水を拭くのと、便を拭くのでは、戦後処理が大きく異なることを理解せよ。
思い込み次第でなんとかなる → じゃあ死んでもよくね → 指針がないとこうなる
始祖は オファーがくること オファーがこなきゃ 何も考えないことになる
常に欲求が満たされればオファーはこないだろうな 感想だけになる あーりんごうまかったなとか
何も考えないのなら 赤ちゃん 幼稚園 小学生のような生き方になるな
欲求がない 天秤が傾いたほうにいくだけ
欲求持ってもさ 眠い時に起きれない 詰め将棋した結果こうなった
ファイナルファンタジーの世界に行きたいって思ってたけどやっぱどっちでもいいかなって思うようになった
オファーがこない世界戦を考えたけど 普通に生きて普通に死ぬんだろうな
ワイドナの松本でいう レジュラーじゃない たまたま毎週きてる純レギュラーだと 別に強制ではない
4つくらい世界戦つくろうかな 洗脳されたままの世界 洗脳を解いて本能 性欲食欲睡眠欲マズロー忠実にの世界 なにもないその場のノリのオファーの世界 正解不正解がない世界
私は地味な囲いが好きで、穴熊には勿論囲わない。飛車を振らないし力戦も最低限しか指してない。戦法も地味めの相矢倉ばっかり。
そんな女なのでVS相手もおらず、師匠に言われて研究会に参加することになった。
すると不思議なことに、私は研究会だと何故かモテた。何人もの振り飛車党にアピールされ、中でも一番積極的だった人とVSすることになった。
せっかく自分を選んでくれたのだから、相手の期待に応えたいとも思ったし、上手くやっていければと思っていた。
甘かった。
初めてのVSが、持ち時間3時間の長期戦だった。当日いきなり知らされた。マジか。
対局では彼は少ししかガジガジしてくれなかったので、受けるのが苦手な私がひたすら頑張って攻めていた。
そして終盤になると、ひたすら玉を攻められて敵陣をさまよった。トライルールなしで、こちらの持将棋の提案は全く聞かれなかった。
私は初めてのVSということで、頑張って少し厚みのある座布団を持って行った。足は大丈夫だった。
そして玉は盤上を一周してすぐ自陣に戻り、VSはそのまま終わった。マジか。
二回目のVSは、いきなり藤井システムだった。前回無口だった彼は、システムで端攻めの準備をして、穴熊に入って欲しいと言い、第54期B級2組順位戦の話をした。
無理だ。
私は彼と別れた。
その後もVSや研究会で何人かと付き合ったのだが、全員三回以内のVSで別れを告げるか会うのを止めた。
道場に行っても道場の感想の話をしなかった。VSで局面が盛り上がりそうな場面ほど無言の人ばかりだった。
とにかく誰もが、飛車を振る話や最新型の話ばかりをする。あとは詰め将棋。他には会話のバリエーションがほとんど無い。相矢倉の話を振っても全く盛り上がらない。
しかもこちらの気持ちを聞いてこない。伝えても自分のVSプランを優先する。
何故か端攻めをしたがるが、こちらのペースには合わせてくれず、どんどん勝手に指していく。
普通に無理だ。
一番思い出に残っているのは、二回VSしてから一年ほど音沙汰がなく、自然消滅したと思っていたら、ある日突然メールしてきた人だ。
内容は
「今度またVSしましょう。師匠があなたに会いたがっています。」
というものだった。
自分がそんな感じの振り飛車党ホイホイだと気付いた私は、しばらくして研究会を止めた。
私は研究家でもないし気も強い女で、地味な矢倉はただ自分の好みでやっているだけなのだが、一部の振り飛車党からは「振り飛車のため」「純文学」だと思われてしまうようだ。
今回の穴熊話を見かけて、私もビッグフォーに囲ってVSを指せば良かったと思っている。
強い女に見られるためには、強い囲いをしなければいけないらしい。
確かに穴熊に囲う女は研究会でモテないと思うが、モテる必要は全くない。研究会でモテる女は弱そうに見える女だ。そして弱そうな女が好きな振り飛車党が集まる。クソだ。
穴熊に囲えば「振り飛車に好かれない」と言われ、穴熊に囲わなければ「藤井システムが怖いため」と思われる。
普通にキレそう。
ゲームの面白さについて、「過程」と「結果」の2つに分けられると考えたことがある。前者はプレイ中の経験やストーリーであり、後者は大会で優勝したとかキャラを手に入れたとか、実績解除やトロフィーにあたるものである。
「過程」にはパーティ構築や育成、周回も含まれるため、近年のソシャゲはここを飛ばしてすぐに「結果」を得られるようになっている。また、いわゆるガチャはレアキャラという「結果」を得るための課金したりガチャ石配布に歓喜する「過程」も娯楽の一種であると考えられる。
「結果」が魅力的でないのであれば、「過程」重視でテトリスや数独に打ち込むのは理に適っている。私からは詰め将棋をお勧めしておこう。
と初心者にいわれると、
「まあとにかく色々記録を作りまくっててすごいんだ」
くらいしか言えないんだが、驚くべきことに今年で現役5年目、確かにガチの将棋初心者にそのすごさを一言で伝えるにはキャリアが長くなってきている気もする。
そして、羽生先生のコピペやら、米長邦雄先生の打線コピペやらで育った身からすれば、あのへんがにわかにもわかりやすい限界だよなあとも思ってるのでかなり評価してるのだが、調べても藤井聡太のコピペみたいのは存在しないわけだ。
と言うわけで、仕方ないから書くことにする。
ただ、何せご本人がまだまだ未成年でありこれからバリバリ記録を作ることがほぼ確定。つまりこのコピペ擬きはあっという間に劣化すると思われるので、気が向いた人が語呂よく改善・改造していくようおねがいします。
・一年目の棋戦でいきなり名人・竜王を倒して優勝。ちなみに竜王はあの羽生さん。
・もちろん新人戦も優勝。
・あまりに勝ちすぎて5段昇段パーティーが7段昇段パーティーになる。
・なお5段だった期間は16日間。6段であった期間もわずか三カ月。
・あまりに勝つので将棋のフィクション作家がノンフィクションを名乗り始めた。
本気で信じられないと思ったので愚痴りたい
付き合ってた彼女が投了間際になって、居飛穴党であることを告白して、ムカついたからその場で穴熊から追い出した
だってさ、端歩も突き合った彼女が投了間際になってそれとか、普通に考えて詐欺やろ
俺は学生時代を藤井システム並の悲しき努力に費やし、大学で詰め将棋を頑張り、奨励会で年齢制限をストレスに耐えながら頑張り、勇気をもって昇段をして、ようやく26歳でフリークラスとして年収400万とかまで上り詰めたわけで
それを後から何の努力もしてない癖に俺の稼ぎや研究にタダ乗りしようだなんて、おこがましいにもほどがあるんだよ、これだからこういう奴は始末に負えない
別に俺は振り飛車党だから怒ってるわけじゃない、まぁマンモスみたいな挙動をしているのを見ていると薄々とは感じてはいたが、ずっと正直に何もかも包み隠さず言わずに俺と付き合っていたという、
その性根そのものがダメだという話だ、だからこういうポンコツとはかかわりたくねえんだよ
実家が千駄ヶ谷ってわけでもなけりゃあ、俺に見合う何か一つの特技や、愛想や性格がいい訳でもないし、将棋だって受け100%でいつまでたってもヘタクソな癖に、才能もないくせに努力もせずに穴熊で受け潰しを狙おうだなんて、そっちの方が極悪人だろ
20代も真ん中で若いわけでもないから、さらに子供が棋士になる確率倍率ドンなんだから、もっと若い女と結婚した方がいいに決まっとるわ
なんか向こうは師匠含めてゴチャゴチャいっててウゼエんですけど、今日も朝から着信30件くらい入ってるしよ
入玉するということは持ち駒含めた点数にまで責任を持たなきゃならないわけで、そんな大事なことを隠していたということは本局の勝敗に対してよりも、叡王戦第10局くらいまでいったら盛り上がるかもなんてゲスな願望のために、
千日手も一切辞さないという歪んだエゴイズムがあるということだろ?そんなもんもはや棋士と言わんし俺は認めん、ハッキリ言えば人の形をした畜生、ケダモノだ、人の形した畜生と深夜1時過ぎから先後入れ替えて指し直し局とか罰ゲームだろオイ
ハリルホジッチ解任でサッカークラスタが発狂している理由を読んで「アホか」と思ったのでここに書く。
ちなみに海外厨ってのは、サッカーに関するあらゆることで『海外(≒欧州)は何でも正しい。日本はダメ』を過剰に言いたがる人であり、海外サッカー見ている人の全てが海外厨ではない。
・1つの生き物のようにというのを簡単に説明する。フォワードは攻撃の選手で、ディフェンスは守備の選手という認識があるが、これは古き時代の認識。
・現代では、ディフェンスはフォワードから始まるし、フォワードが最前線で守ってくれないと、しわ寄せが守備の最終ラインに来る。
・ボールに行くのか、行かないで下がるのか。縦パスのコースを切るのか、敢えて縦に出させて味方で囲むのか、などなど。
・では、ディフェンスは守っていればいいのかというと、そういうことでもなくて、今は攻撃の組み立てはセンターバックやサイドバック、場合によってはゴールキーパーから始めることが多い。
・攻撃の選手が攻撃を始めるのではなく、攻撃の選手は詰め将棋でいう最後の一手。
・攻撃の選手が守備をして、守備の選手が攻撃の組み立てをして、真ん中の選手はバランスを取ったり、守備を重視したり、攻撃のコンビネーションに参加したり、あるいは意表を突いて攻撃の最後の一手になったりする。
ここまではある程度同意する。が、そこから先はあまりにもサッカーの本質を無視した議論。
・現代のサッカー監督は、緻密で複雑な詰め将棋を解ける人。感覚的に処理する野球の元巨人監督の長嶋茂雄みたいな人は少なくなっていて、野村ID野球的になっている。
・もともとサッカーは偶然に左右される神頼みなスポーツであったのだが、現代では偶然に起こるすべての事象を理論的に支配しようとする試みで満ちている。神への挑戦であり、神への挑戦者同士の対決なのだ。
・だから、勝敗が付いたときは偶然ではなく、何らかの理由がある。選手が頑張ったからというのもあるにせよ、選手が活躍できるように監督が何らかの細工を行っていると考えるのが普通で、そのへんの謎を読み解いて楽しむがサッカークラスタの流儀でもある。
へぇ、2015-16,2016-17にチャンピオンズリーグを連覇したジダン監督 (註1)や、2015-16シーズンにプレミアリーグで奇跡のジャイアントキリングを起こしてレスターを優勝させたラニエリ監督は『緻密で複雑な詰め将棋を解ける人』なんですか~(棒)
サッカーはボールを足(+時々頭&胸)で扱う関係上、不確定要素が非常に多く、結局のところ良い選手というのは『戦術理解が高い』だけではなく、『イレギュラーな事態にも強い』選手である。
加えてサッカーは他競技と比べて、点の入ることが著しく少ない競技だ。
だから試合レベルでは、『敗因は、たまたまこちらのシュートが全部止められた上で、たまたま相手の1本だけのシュートが決まったことです』としか言いようのないことも多い。
もちろん、これも長丁場のリーグ戦ならばある程度は収束する。だが、トーナメントや、W杯の3試合しかないグループリーグではそのような確率の偶然と向き合わずにはいられない。まったく、たまたまネスタとマルディーニとジダがミスして逆転されなければ、03-04シーズンは普通にミランがCL優勝していたはずで、そうすればモウリーニョにでかい顔させずに済んだんだよ(究極のタラレバ)。
その辺の『偶然といかに付き合うか』がサッカーの戦術ではあるが、試合を見てもインタビューを聞いても、名監督と言われる人たちが全員『確率を支配しようとするような、神への挑戦』をしているとは思えない。『神の気まぐれと上手く付き合おう』派も多いように感じる。
2.ザッケローニとハリルについて
・もちろん監督の良し悪しというものはあるが、日本代表の場合チェスがうまいという理由でザッケローニ監督を呼んできている。
・一方で、ザッケローニ監督は、強力な戦術の骨組みを持つ強力なチームを作ることには長けていたが、相手の出方に応じて、こちらのやり方を修正することが得意な監督ではないことが、ブラジルでの敗戦からわかった。
・なので、ロシアワールドカップに向けて、最先端の戦術に通じている上、相手の出方に応じて作戦を変えられる監督を探してこようということになった。
ここはある程度正しいが、次の部分で少なくとも書き手がザッケローニすらまともに見ることが出来ていなかったことも分かる。
・そんな中でブラジルワールドカップでは、選手の一部が「自分たちらしいサッカー」(用語が違うかも)を言い出して言うことをなかなか聞かなくなったと言われている。
・仮に選手の意見が正しかったとしても、監督のプランは狂うので、次善策を持って対応するしかなくなる
・もし、選手達がアルベルト・ザッケローニの思い描く戦術を再現するために必死になっていたら、結果は違ったかもしれない。という思いが、サッカークラスタにはある。
・なぜならブラジルワールドカップでは、日本がどういう戦術を使うか、どんな選手を使ってくるかが相手にチームにバレていて、丸裸の状態で惨敗したからだ。
『もし、選手達がアルベルト・ザッケローニの思い描く戦術を再現するために必死になっていたら、結果は違ったかもしれない。という思いが、サッカークラスタには』ありません。遠藤と前田遼一の調子が良ければ、という思いならばある。
ザックジャパンは非常に左右非対称なチームで、左には長友、遠藤、香川と比較的テクニックのある選手がいて、そちらのサイドで崩して、当たりの強さのある前田遼一と本田、あるいはダイアゴナルに走り込んでくる岡崎が決めるという戦術を取っていた。
これが遠藤が(オーバーワークで?)調子を落とし、香川がマンUで試合に出られなくて試合勘を失い、前田遼一が(体調の問題なのか)Jリーグでゴールを決められなくなったため、本番ではコートジボワール戦で上手く行かず、本田をトップで使ったり岡崎を左に回したりせざるを得なかった。そしてそれが上手く行かなかったというのが直接的な敗因だ。
もちろん、相手も日本代表の基本システムには対策をしていたし、逆にザックもそれを分かっていて何度も何度も得意の3-4-3を親善試合で試してはいた(が、3-4-3は最後まで上手く行っていなかった)。
・ハリルホジッチ監督は、当然のことながら、相手のスカウティングを警戒して手の内を隠していた。試合に勝って渋い表情をしたり、負けたときに敢えてにやりとしたり、あるいは絶望的な顔をしたりするのも、作戦の1つではないかと予想していた。
・ワールドカップの本番になれば、あの時のあの顔にはどういう意味があったのかとか、あの試合では実はこれをテストしていたんだとか、ハリルホジッチの仕込んでいた作戦がようやく明らかになると思っていた。
・稀代の策士がロシアでどう戦うのか。もし全然通用しなかったということになれば、それを踏まえて新しい一歩を踏んでいけばいい。逆に、うまくいった部分があるならば、そこを日本の長所として伸ばしていけばいい。
・サッカークラスタで、ハリルホジッチのやりたいことがすべてわかっていた人など誰もいない。一般人にわかるようなものであれば相手にも当然バレる。メディアの人間にもわからない。
・すべてはワールドカップの本戦での戦いぶりを見た上でないと判断できなかった。だって、3年も準備させてきたわけだし、我々サッカークラスタは3年もハリルホジッチのサッカーを見てきたわけだ。
この辺はある程度は同意する。確かに、少なくともザッケローニよりは、あるいはジーコよりは相手に合わせるサッカーが上手い監督ではある。
・そして、ハリルホジッチが解任される可能性はほとんどなくなっていた。なぜなら、宿敵オーストラリアを完封するという離れ業を見せ、ワールドカップへの出場を決めていたからだ。
・ワールドカップへの出場を決めるというのは、決して当たり前のことではなく、大きな功績の1つだ。予選を勝ち抜いているのに解任されるとしたら、過去の犯罪がばれるなどの大きなスキャンダルでもない限りはあり得ない。
だが、この部分は同意できない。少なくとも今のアジアは4.5枠あり、日本韓国オーストラリアあたりは出場を決めて当然レベル(サウジアラビアもかつてはそういう国だったんだけど、2010,2014と連続で逃した。2018は予選突破した)。しかも韓国にしても調子は落ち気味だし、オーストラリアは何を思ったかこれまで得意としてきたパワープレー中心のサッカーではなく真逆のパスサッカーを導入しようとしてあまり上手く行っていない。
ハリルがオーストラリアを完封したのも半分はオーストラリア側の自滅でしかない。
・そして、ハリルホジッチは、相手に勝つ確率を少しでも高めるためには、選手の人気にはこだわらず、対戦相手との戦いが有利になるような選手を選出しようとしたはずだ。
・ハリルホジッチ監督が選手をえらび、ハリルホジッチ監督のプランで、ハリルホジッチ監督の作戦でワールドカップを戦うのが当たり前だ。
・しかし、もっと忖度してくれという。人気がある選手が出場していないと困るという大人の事情があったりする。
・サッカークラスタも大人なので、大人の事情があることはわかっている。しかし、ワールドカップという大舞台では忖度していては勝てない。
・ワールドカップで勝利する確率を1%でも2%でも高めるためには、監督の意志を尊重し、代表を外れた選手には納得してもらうように話をし、目当てにしていたスポンサーには、「勝利すれば新しい英雄が生まれます、その選手を待って下さい」と説得すればいい。
・そういうコミュニケーションこそが、サッカー協会の最大のミッションであった。
・しかし、サッカー協会は、コミュニケーションがうまくとれないことを理由にハリルホジッチ監督を解任した。
スポンサー陰謀論や、一部選手の反旗のせいにしたいようだが本当にその見方は正しいのか。
ハリルジャパンが続いていたら『外れるのはホンダ。ホンダケイスケ』になったかは、最終的にはハリル本人に聞くしかないが、(一部のアンチが言うほど)明確でもない。結局はW杯予選でも最後まで使っているし(註3)、最近はメキシコで試合に出て調子を取り戻している。
香川に関しても今回の遠征では吉田、酒井宏などと共に名指しで『怪我明けだし、まずはクラブで試合に出てコンディションを戻してくれ』と言っているから『本戦で試合に出られたか』は別として『本戦に呼ばれない』ことは恐らくない。
それ以外で、本当にハリルが外している選手というのは誰だ。岡崎か。だが、そもそも岡崎本人や彼を起用したがるスポンサーにそんな発言力があるのか。だいたい、岡崎を名指しで使ってほしいと思うスポンサーがいるほど岡崎は人気選手か。
それに、起用されていない選手が不満を持つのはある意味仕方ない。それでキャバクラで騒ぐのはダメだけど(註4)。だが、サッカー協会の聞き取り調査で長谷部なども不満を言っていたそうだし、大迫や昌子も試合後コメントで不満を顕にしていた。それはもはや、ハリルが選手を掌握できていない証であり、部下を管理できない上司が無能扱いされるのはどの世界でも同じ事だ。
結局のところ、『相手に合わせたサッカー』をするにせよ、『相手に合わせたら逆算してこうなるケースとこうなるケースが考えられるから~』程度の予測は立てて準備をするはずであり、ハリルジャパンはその準備すら上手く行っているようには見えなかった。だから解任された。それだけに過ぎない。
もちろん、ハリルは『相手に合わせたサッカー』をする人だからという言い訳はあるのだが、それにしても直近の試合、特にウクライナ&マリ戦は酷すぎた。
兎にも角にも、(ハリルだったら上位に行けたかは別として)西野監督がGLで敗退したらその時点で猛烈な批判を浴びるのは間違いない。最終的に結果がどうなるかは、3ヶ月後に判明する。
(註1:ジダンに戦術が無いというつもりはないが、ジダンの戦術は最終的に『1対1ならば勝てる』という極めてレアル・マドリッドらしい前提に立っており、選手が調子を落とした今シーズンはそれに代わる戦術をとうとう用意できずにいる。)
(註2:イタリアの名将だが、基本的に守備的な戦術を取る監督であるためにしばしば攻撃の選手と対立を起こし、ミランでもユヴェントスでもレアル・マドリッドでも選手や会長と対立して辞任するはめになった)
(註3:トルシエが親善試合などで小野伸二&中村俊輔、市川大祐&波戸康広を試合に出して何度も天秤にかけ、最終的に中村&波戸は代表そのものから落選したという事例もあるので試合に出ている=本大会に呼ばれるとは限らないが)
将棋ファンとしては各サイトで見かける将棋盤・駒の写真が軒並み数百円で買える安物の書き駒だったりして、いつもゲンナリするんですよ。いや、それが「初心者にもわかりやすい将棋のルール」みたいな記事のイメージ画像ならいいんだけど、格調高いプロ棋士同士のタイトル戦を紹介する記事にまでそういう安物の画像を使わないでいただきたい。
将棋のドラマや映画の監修でプロ棋士が一番気を使うのが演者の駒の持ち方であるように、何気なく見ていても、例えそれが将棋の本質には関係ないと理解していたとしても、ファンの目には相当な違和感をもたらしてしまうのです。
というわけなので、ピクスタで生計立ててるようなカメラマン様におかれましては、将棋道場にでもお願いして高級な盤駒を借りて、立派な素材をストックしておけば、いまなら高い需要が見込めると思うのです。ざっと見たところ、まだまだ質・量共に不足しています。これは将棋ファンからのお願いでもあります。
(追記)
将棋に詳しいカメラマンなら、各種代表的な戦型、頭金や底歩など格言通りのシーン、囲い、有名な局面、千日手、持将棋、「その駒」がよく働いている局面での駒のアップ、振り駒でバラ撒かれた駒、初型、駒落ち、詰め将棋、有名な詰め将棋、王手飛車、次の一手、必至、などなど、山ほど撮っておくとライバルを蹴散らせるかも。これ自分で撮りたくもなってきたな…。
そんな事言われてもどうやって教えたらいいんだ。
私は一応碁が打てるんだが(囲碁クエストの9路でレーティング1400~1500台を行きつ戻りつしている。)、打てるといってもパソコンやスマホのアプリなどでしかやったことがなくて、リアルの碁石や碁盤は持っていないし触った事すらない。なのでまずは囲碁セットを購入する事から始めないといけないのか。
碁盤のアプリで教えるのは子供にはわかりづらくて厳しいと感じる。将棋を教えた時も本物の将棋セットで教えた。
将棋を教えるのは案外簡単だった。将棋は駒の役割とルールがはっきりしているからだ。娘は駒の動きを頭に入れて、基本的なルールを覚えただけで、あとは勝手にめきめきと強くなっていった。
しかし囲碁はどうだ。基本ルールはとてもシンプルなのに、自由度が高いが故に大人が見ても訳のわからないこのゲーム。子供に教えるなんて大変過ぎるだろうと、やってみる前から私は挫けている。
子供向けの教本を見ながらやっていきたいところだけれど、将棋を教えた時、教本を出した途端に娘の目が死んだ魚の目みたいになったのを思えば、それはきっと無理だ。
棋譜並べ、やりたくなーい。
詰め将棋、やりたくなーい。
と将棋を教わった時に言い張っていた娘である。思えば娘は教わっていたというより、ルール説明だけを受けてあとは好きなようにやっているだけだった。
囲碁も基本ルールだけ覚えさせてあとはほっとけばいいのだろうか?あとは「銀星囲碁」にでもお委せする事にして。挫折したらそれはそれで別にいいかな、みたいな。
ところで、先日地域の文化祭てきな催しがあって、そこで地元の将棋クラブが教室を開いていたので、娘を連れていった。
将棋教室といっても、いきなり娘と私とで指させられて、それをクラブの人達が取り囲んで観戦し、軽く感想を言ったり指導したり、というものだった。特に上達の助けになるというほどでもない。しかし収穫はあった。
教室には娘と同い年の女の子が来ており、それが娘には大変良い刺激になった様だ。初めて一緒に将棋を指せるおともだちが出来る予感で娘はわくわくしている(ただし、その女の子自身は家族ぐるみでガチで将棋をやっている子なので、あまり将棋で「遊ぶ」というテンションではないのだが)。
そして、将棋クラブの人が、毎週開かれている将棋教室の場所と日時を教えてくれた。私の住んでいる市には将棋教室は一つもないものとばかり思っていたが、ネットや広告等で宣伝していないだけでずっと存在していたらしい。次回の教室を見学させて貰える事になった。
娘の前にはこうして新たな世界が開かれようとしている。
今回は少年ジャンプ+
お、久々にワクワクする展開になってきた。
いまアグニ自身が突き当たっている問題は、このファイアパンチ時代のケジメ。
ファイアパンチは当然アグニのことなんだけれども、そのファイアパンチを介したアグニってのは偶像だった。
偶像ってことは、アグニ本人がいなくなればそれで綺麗さっぱりとはいかないってことを今回は別角度から見せたわけか。
「ファイアパンチを殺す」ってのは数話前から提示されてきたけれども、こうなってくると話はより複雑になってくるね。
絵が上手いわけでも個性があるわけでもなく、作風がジャンプ+向けじゃないかなと思うけれども、話の見せ方が良いと思う。
無個性な絵で、途中でさらりと描写されるヒロインの言動が、かえってヒヤリとする側面はあるかもしれない。
構成自体が淡々と、坦々と進むから、余計にヒロインの描写が際立つという見せ方はよい。
ただ、それがそのまま難点になっている側面もあるといえばある。
ヒロインが実は危険人物という前提を踏まえた上で楽しむのがメインだから、それ以外の箇所が読んでてかったるいと感じるとこがあるのは否めないし。
随分かけ足気味に畳んだなあ。
ただ、実のところ本作の全体的な難点を如実に表しているとも言えるんだよね。
以前から、プロットを垂れ流しているだけの部分が多かったから。
序盤はまだそんなことなかったんだけれども、中盤あたりから詰め将棋を見ているみたいな感じになっていた。
まあバンクもガンダム並みに多いけどガンダムよりは高速戦闘よく書いてる
惜しむらくはミサイルと普通の射撃にもっと戦術的な違いと住み分けを持たせてほしいところかな
形態変化についても割と思い出し要素なところが多くて次の回ではそんなんあったっけ的な扱いもあるからそこはきになる
マジェプリは何がよかったって味方との連携がよかった
ロボット同士が協力して作戦に当たってるっていうのをよく書けてた
ちょっとスーパーヒーロー入ってるところはあるけど共同作業としてはすごくいい戦闘が多かった
ロボット同士が個別でタイマンしてるわけじゃなくてちゃんとチームとして戦うのは好感もてるし記憶に残る
ファフナーも巨大な敵がテーマなおかげで作戦に重要性を置かれてて落ち着いて観れるしワクワクする
スーパーヒーローが嫌いってわけじゃないんだけどアクエリオンみたいなノリも好きよ
スーパー戦隊みたいに心の強さが反映されるロボットもすごく良いと思う
最後に勝つためまでの積み重ね、智謀参謀のしのぎ合いがカタルシスを産むと思っている
ガンダムも初代やZ、ZZまでは結構勝つための積み重ねを主人公チームがよくやってると思うし
冨野はそういうの守ってるけど最近のガンダムは…っていうと老害くさいな、けど言わせてもらうと強い力で殴って終わりが多くてつまらない
キャラクターの強さで勝つんじゃなくてちゃんと相手の嫌がることして自分の得意なことを理解して
その積み重ねの結果かってほしいんだけどそれを真面目にかくと時間がたりなくなってロボットの数が減ってしまう
映画部の後輩ゾンビに共感しながら「桐島、部活やめるってよ」を観た自分にとっては、高校時代に一番嫌いだったのは、部室内の人間関係の中でだけ威張ってるミソジニーの塊の先輩が話すクラスメイトの悪口を延々と聞かされていた時間だった。
タマフル放課後podcastの「桐島、部活やめるってよ」の回で、町山智浩が「顔がいい女の子4人組がぜんぜん心でつながってない感じがさー、すっげー嫌なんだけど男にはないもんね、あれ。女ってOLでもなんでもああいうの作るじゃん、グループとか作って」とか「死ねおまえら!」とか言ってるのを聴いて、お待たー野郎みたいな先輩が話すクラスメイトの悪口を部室で詰め将棋を解きながらひたすら聞かされていた時間を思い出して本当に嫌な気持ちだった。
12/09/15放課後ポッドキャストhttp://www.nicovideo.jp/watch/sm18913915
世代が違うからオタクとサブカルの対立があったとかなかったとかは知らないけど、「桐島~」を観たときに「映画部はパラダイスとしてしか描かれてないけど後輩のゾンビたちはお待たー野郎を大嫌いで、そのことをお待たー野郎は気づいてないんだろうな、本当にお待たー野郎むかつくな」と思ってたので、町山智浩が「オタクとサブカルの対立はなかった」と主張すればするほどそれを思い出す。