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2018-12-31

anond:20181231112332

そうしたけりゃ寒空の中クライアント待たせればええやん?

あるいは打ち合わせ前に、寒空の中、鼻を赤くさせときゃええやん?

まぁ現実には仕事趣味ならフォローしたげるけどな

プライベートお断り

2018-10-22

ドリフェス!ファンになれなかったオタクの話

 10/21、日本武道館

 ドリフェスが終わってしまった。

 私がドリフェスを知ったのはアニメからだ。そのあと、これが「若手俳優を使ったアイドルコンテンツであることを認識した瞬間、「あ、近寄らんとこ」と思った。

 私は特撮が好きで、でも俳優のものは好きにはなれないタイプオタクだった。漫画も好きだけど、2.5次元舞台ミュージカル的なものもどうしても好きになれなかった。そしてもうひとつ、私はとあるジャニーズアイドルの、Jrからファンだった。男アイドルを下積み時代から追っかけていた。

 これらの経験が、私にとって「どうしても5次元(2.5次元)アイドルコンテンツであるドリフェスを好きになれない理由」だった。そしては私は、それは好みだからしょうがない、と、ドリフェスを好きになれないことを自分に許した。だからドリフェスファンの仲間入りが出来なくて、すぐにドリフェスから距離を置こうとした。

 そんな時に、TwitterAGFでのドリフェスツイートがいくつかRTされてきた。どれも楽しそうで、でも私はもうドリフェスから離れる覚悟を決めていたので、他人事のようにそれを眺めていられた。2016年秋、ドリフェス出会ってたった数週間目のことだった。

 その時に流れてきたRTひとつで、私は石原くんに興味を持った。俳優活動まで追いかける気はさらさらなかったけれど、それでも、三次元ドリフェスまでなら応援してもいいかな、と思えるくらいには彼はアイドルとして魅力的だった。

 それからはずっと葛藤しかなかった。

 二次元三次元は別物として好きで、俳優(ここでは敢えて俳優と言おう)をキャラとしては見れなかった。TwitterのTLで「三次元みてないファン嫌い」とか「五次元分かってない」とか「三次元二次元で見れないひと可哀想」って言われる度に自分のことだと感じてしまって、ドリフェスのこと呟くのやめた。確かに私はドリフェスを好きだったのに、そういう目線で、他の人と同じように好きにはなれなくて、他の人と同じ好きではないことを非難されるのが辛くて、結局は逃げた。それでも私は確かにドリフェスが好きだった。人とは違う好きかもしれない。そういうファンは受け入れられない、認められないかもしれない。それでも私はドリフェスが好きで、公式の言う「ドリフェスファンの皆様」になりたかった。いつか、なれるんじゃないかって希望と夢をもって、円盤買ったり、アプリ課金したり、グッズ買ったりした。1人でライブ行って、1人でコラボカフェ通って、1人でシーパラダイスに行った。(1人で水族館行ったwww)

 武道館2days、本当は1人で行く気だった。

 仲間にされたくなかった。誰かに勝手に、私の想いを、キラキラした綺麗事で飾り立てて欲しくなかった。

 20日

 私は二次元は主に慎くんのファンで、でも三次元は慎くんに見れないから、たったの一度も慎くんのドリカ飛ばしたことは無かった。でも最後からと思って、青いパンツに青いアクセサリーつけて、慎くんのドリカを用意した。一番好きなURホーリーナイトと、SRシュガーリーカルーセル三次元匂いがしないものを選んだ。

 ライブに、慎くんはいたのか、と言われればやっぱり居なかったと思う。溝口くんは溝口くんで、及川慎くんを演じた素晴らしいキャストさんだった。慎くんそのものは、やっぱり私には見えなかった。

 三次元が嫌いなわけじゃない。大好きなキャラクターを真剣に演じてくれて感謝しかない。それでも、私はアイドル及川慎のステージを見ることなく終わった。別に後悔はなかった。楽しかった。そして、それでいいと思っていた。

 この日のラスト石原くんは「ドリフェスはまだ終わらない」と言った。言い回しは明確には覚えてないけど、たしかに終わらないと言った。

 私は嬉しくなってしまって、その日その足でレターセットを買って、次の夢を書いた。中国アプリが出るから、次は中国ツアー行きたいです。その次はヨーロッパ、そして全米デビューだ!その時わたしは本気でそう思っていたし、ドリフェスというものそれから先も続いていくのだと思っていた。そういう意味でその言葉を受け取ってしまった。

 翌朝、恥ずかしくなってホテル手紙を置いたまま九段下の駅へ向かった。その手紙未来永劫、私の本棚眠ることになるだろう。

 21日、アリーナ

 一日目のような驚きは無かったけど、やっぱり楽しかった。ペンラを振るのも、ドリカを選ぶのも、昨日見演出も、見なかった演出も、すべて楽しかった。でも、時間が経つにつれて、この次がこの曲で、これがあって、そしたらアンコールがあって、終わる。そういう気持ち強迫観念のようにのしかかってきて、上手くペンラを振れなくなっていった。それでもアンコールが終わるまで、全力で楽しんだと思う。ファンになりきれなかった残念な私は、その時必死ファンを取り繕っていた。

 最後挨拶石原くんは、ドリフェスが終わると言った。昨日は終わらない、と言ったのに、今日は終わる、と言った。

 そして、ライブ楽しい100%だと言った。わかる。私もそう思う。ライブはいつも楽しいアプリも楽しかったし、アニメも大好きだ。グッズも沢山買って家に置いてある。楽しかったし、大好きだった。

 ドリフェスという作品が、こんなに大きな舞台気持ちよく終わる。それはすごいことだと思う。でも、それでも、私はその時まだドリフェスファンになっていなくて、ファンを名乗る自信もなくて、そして同時に私はドリフェスファンになることが夢で、明日にはドリフェスファンなれるかもしれないって思っていて、素直にすべてを受け入れて好きだ!って叫べるようになるまでドリフェスに終わってもらうわけにはいかなくて、最後を受け入れられなくて、挨拶の間ずっと唇かんで俯いてた。

 昨日、「まだ終わらない」と言った石原くんは、今度は「明日も(ドリフェスなくても)いけるっしょ!」って言った。

 感情的には「無理っしょ!」って感じだった。絶対むり。無理っしょ!

 それから直ぐに、一話の奏と純哉くんのシーンを思い出した。

 無理っしょ!無理っしょ!言ってた純哉くんが、奏に「無理っしょ」って言われて、「イケるっしょ」って返したあのシーン。無理だった。どうしても無理だった。でも私は、全力で「いけるっしょ!」って叫んでいた。

 叫んだあと、ショックで椅子に座った。

 言ってしまった、ドリフェスがない明日を「いけるっしょ!」って言ってしまった。まだドリフェスファンになってないのに。まだ何にも始まってない、まだ何にもなれてない、何も出来てない、なれなかった、辿り着けなかった、ドリフェスは勝ったかもしれないけど、私は負けた。1度も勝てずに負けた。ドリフェスファンの皆様にも、ライバルにもおじいちゃんおばあちゃんにもなれずに、負けた。無力感でいっぱいだった。

 そのあと、2度目のアンコールが起こった。

 私はもう言えなかった。「明日も(ドリフェスなくても)いけるっしょ!」って言ったのに、ここでもう一度ドリフェスを見たいなんて言えなかった。2度目のアンコール、1度も「いけるっしょ!」って言えなかった。何がいけるのか、分かんなかった。7色に変化するドリカペンライトを見つめて、座ってることしか出来なかった。

 石原くんが、あの時、いろんな感情渦巻いた武道館ファンを、問答無用で、終わらせた。しかも、ファン自らの手でドリフェスを終わらせるように、させた。

 あの時、いけるっしょ!って言えなかった人も、きっといるんだと思う。そういう人は強いなと思う。私は、無理だった。「いけるっしょ!」って言われたら、「いけるっしょ!」って返すファンになりたくて自分を取り繕っていたから、本音を叫べなかった。だから、私はその時、自分意思で、声で、ドリフェスを終わらせた。ドリフェスを好きになって初めて、自分感情に嘘をついた。私は自分感情に反した意思で、本当に、ドリフェスを終わらせてしまった。ファンにもなれず、夢も希望も何もかもあの瞬間に自分で終わらせた。



 私、別に珍しいタイプオタクじゃないと思うんですよ。

 私みたいに、三次元から二次元を感じ取れない、取りたいとも思わない人っていたと思う。キャラが好きだからこそ、キャストに対してどうしても厳しくなってしまう人も、当然いたと思う。

 ドリフェス追っかけている過程で、私はそれがすごくしんどかった。三次元ライブ行ったあと、二次元キャラクターが「ライブに来てくれてありがとう」と呟くのが、耐えられなかった。私はどう頑張っても二次元ライブに行くことは出来ないことを実感した。他にも色んなことがあった。他の人たちにもあっただろうし、お互い理解できないところで苦しんでいたこともあっただろう。

 その声はどんなに隠しても確実にキャストスタッフに届いてしまっていたと思う。それが嫌で、Twitterつぶやくことをやめた。不満怨み恨み、そんなものを感じるのも、口に出すのも嫌だった。それでも、確実に、キャスト達は知っていた。

 ドリフェス完璧コンテンツじゃなかった。人にすすめるのを躊躇うくらい、不完全で不愉快コンテンツだった。少なくとも、私にとってはそうだった。これを読んでいる人達の中にも、いるかも知れない。凡そ、少なくない人数がドリフェスに複雑な感情を抱いていたことだろう。

 ドリフェスに関わった人達すべての心に感情があって、それはドリフェスが嫌い、憎い、というのも含まれてて、それ含めドリフェスだった。

 そうキャストに言われた瞬間、本当に無力感が私を襲った。

 こんな言葉を言わせてしまった、こんな言葉を言わせるまで追いかけなきゃ良かった。不満があるなら離れれば良かった。バレていた。こういうのがあるから相手認知されるのは苦手なんだ。

 私はただの一度も胸を張ってファンです、と言えたことは無い。終わってしまった今、未来永劫言える機会を失してしまった。しかも、自ら終わらせてしまった。

 ドリフェスを好きなフォロワーさんも居たけど、ただの一度も会えなかった。

 行ってない、会えない、現場はいない、と嘘をついた。現場で知り合ったファンの人からTwitterアカウントを聞かれても、一度も教えることは出来なかった。いつきのぬいぐるみを抱えたお姉さん、1月空の中上着ロッカーに入れた私を心配してくれた純哉推しのお姉さん、推し被りして慎様の方ですと訳の分からない言い訳をしてしまった溝口くん推しのお姉さん、クロスエコーを模したドレスお召になられたプリンセス、他にもお話してくれた色んな人。twitterで楽しそうにドリフェスを楽しんでいた皆さん。ごめんなさい、私は仲間にはなれなかった。それでもご一緒させてもらった時間は楽しかったように思う。それも多分、ドリフェスだったのだろう。私は負けた。ドリフェスに負けた。ドリフェスの求めるファンになりきれないまま、終わってしまった。終わらせてしまった。

 これからドリフェスにハマる人もいるかもしれない。それだけのコンテンツ力を持ってると、私は思う。アニメ見て、ライブDVD見て、楽しんで欲しい。

 それで、武道館DVD石原くんが言った「渦巻いてるいろんな感情」には、私みたいな薄暗い、苦しい、醜い感情も含まれていること、ドリフェスキレイなだけのコンテンツじゃなかったこと、それでも一切の妥協をせずに走り抜いたこと、知って欲しいな、と、少しだけ思った。

 消えるべき存在だった私が、自分ファンと名乗ることを許せなかった私が、どうしようもなく、ドリフェスの一部になってしまっていたこと、知って欲しいような、絶対にバレたくないような、複雑な気持ちで今、あの日々の明日にいる。

2018-02-15

SCP風のやつ 書き掛け

極部不可侵地域略称極侵帯は通常いしと呼ばれ太陽系外縁部より飛来したとされる相互環境改変機構の影響下にある区域であり

その一帯はいしの構成要素と成り自己確変因子へ組み込まれ著しい変質が進んでいる

地球上でいしの存在確認された地域は3箇所である

1919年2月某日にいしが飛来したことによりパッシェンデール近郊に異変が生じた

偶然、飛来の瞬間をを天体観測趣味としていたアーダルベルト・ゼールバッハが目撃していた

証言によればいしは赤々と燃えながら速い速度で落下していたその物体は奇妙なことに小刻みに振動しているように見えたそうだ

そして調度、物体が地上と空の中ごろに差し掛かったところで急停止し針路を大きく変え南方へ方向転換し徐々に速度を落としながらパッシェンデール方面へ落ちたということであった

パッシェンデール近郊は第一次世界大戦の激戦地であり長らく無人であったまた惨禍によって大量の有害物質が残っており特異な環境存在していた

2月中旬人も生物も寄り付かないこの地にに突如として生物の大移動が始まる周辺住民野生動物の移動を訝しがっていたが3月初旬にはその列に彼らも加わった

この時点でパッシェンデール近郊において何らかの異変が生じたことが公のものとになる

地元警察と行動心理学生物学など様々な分野の研究者らが協力しパッシェンデールへ調査へ向かう

その日のうちに様々な報告が入る……

翌朝、音信は途絶し彼らは2度と帰ることはなかった

2017-12-14

平成の終わり


青白く冴え渡った寒空の中を、ただ”それ”だけが神々しく閃光を放ちながら駆け抜けていった。

大地を裂くような破裂音が町中に響く。平成が終わった今日は朝からサイレンが鳴りやまない。

救いの時が来たのだ。僕はその時、美しい賛美歌でも聞いているような気持ちに包まれた。神は居たのだ。

2017-05-13

かえるの夢

ある日かえるがいつものように田んぼにたぴおかをうみつける作業をしていると、ちょうちょがとんでいました。

いいなあ、ちょうちょは空をふわふわして、楽しそう。

家に帰ったかえるはうたた寝をしました。

夢の中でかえるはなぜかちょうちょでした。

やった!空とべるのだ!ふわりふわり。空の中を泳いで、花から花へ、ふわりふわり。

下を見ると、いつもの田んぼ

いいなあ、かえる田んぼをすいすいして、楽しそう。

そう思ったら、目が覚めました。

寝ぼけた頭で考えました。

あれ、あたしがちょうちょの夢をみてたのかな。

それとも、ちょうちょかえるの夢をみてるのかな。

かえるはどっちがどっちかわからなくなって、どっちでもいいやって思いました。

2016-12-14

正社員になれなければ手を動かしても意味がない

正社員になれなければいくら資格を取ろうが技術を学ぼうが独立を試そうが企業正社員にかける機会や教育コストに敵うはずがない。諦観して生き地獄の中で生きるしかない。仏教は救いではなく地獄健康寿命は短く、老後はこの寒空の中孤独に死んでいくのだな。

2016-08-24

新月のはじまり

町内放送が、「今夜は星が降りているので係の人はよろしくお願いします。」と言っていたので、私は脚立と虫取り網を持って外へ出た。

空を見上げると、いくつかの星がすぐ目の前まで降りてきているのが分かった。

ある星は私のすぐ上を仄かに光りながら漂っていた。家の屋根に引っかかって動けなくなっている星もあった。

私はそれらの星たちをひとつずつ網で掬っていった。一番難しかったのは庭の木の枝に挟まっている星だったが、木に登って枝を揺らすことでなんとか取ることができた。

周りにあった星を全て取り終え、一か所に集めて待っていると、しばらくして荷台に装置を乗せた一台のトラックが現れた。

私が運転手に星を渡すと、運転手は星を装置にセットした。装置は勢いよく回転すると、星を上空に投げ上げていった。

私が集めた星が全て打ち上げられると、トラックはまた次の場所へ移動していった。

周りを見渡すと、町のあちこちで星が打ち上がっているのが分かった。

しばらくすると、また町内放送で「星が元の位置に戻りました。係の人はお疲れ様でした。」とアナウンスがあった。

少し疲れたので、早く家に帰って寝ようと思った。

家に戻ると、玄関が開けっぱなしになっていた。部屋の中に入ると、居間で大きな星がゆらゆらと漂っていた。

その日本刀のように細い姿は、どう見ても今夜の三日月だった。回収し忘れたことに気がついたが、もう後の祭りだった。

窓を開けて外を見てみると、満天の星空の中で、確かに月だけが見当たらなかった。

困ったことになったと思ったが、私にはどうすることもできないので、三日月はこのまま部屋に置いておこうと思った。

三日月は部屋の中をゆっくりと移動していた。家具にぶつかったり物を壊したりしたら困るので、ビニール紐でぐるぐると縛り、居間テーブルの下に置くと、ようやく動かなくなった。

明日役所電話して聞いてみよう、そしたら多分なんとかなるだろう。

これが新月のはじまりになるとは知らないまま、私は再びベッドに潜り込んだ。

2015-10-06

http://anond.hatelabo.jp/20151005170358

子供の頃、一人の時に時々同じことを感じて、広大な宇宙の時空の中で何故この星のこの時代のこの国の(要するに地球外生命でも地球動物でも虫でもなく人間の)この俺なのか?と考えるとむしろ恐怖を感じた…

2015-08-18

人生について真剣に考えた結果自殺しか思いつかなかった初稿

から5年ほど前、大学受験を1年半後に控えた頃、高校2年生夏、自分人生について真剣に考えた。

その時期自分の成績はかなり悪かった。

中学受験でそこそこのレベル中高一貫校に入り込んだこともあって、周りは受験一択で皆熱心に勉強していた。

対して自分勉強に身が入らなかった。

小学校時代友達との遊びを何度も断っては半ば親に監視されながら勉強を続けていたストレスから中学時代はひたすら遊び呆けていて、その時期の積み重ねが全くない状態で高校数学高校英語を前にして何も出来ずにいた。

手も足も出ないという状態は心に強い負荷をかける。

その上、まだ高校生ということもあり余計なプライドの高さからか、いまさら中学時代勉強必死になって取り返そうという気にもならないでいた。

そしてその苛立ちをオナニーインターネットで解消していた。

周りがやる気を見せる中で着実に勉強から遠のいていく、その温度差が少しずつ自分集団から引き剥がしていった。

温度の高い空気は上に行き、温度の低い空気は下に行く。

そうして自分の心は社会の外側へ少しずつ漂っていくのである

気づけば自分は疎外感に包まれていた。

それでも体は周囲の人間と同じ場所にあるので同じように生活をしていく。

彼らがどの大学を受けるのか、自らの将来をどうしたいのかを決める時が来て、自分も同じようにその未来想像していった。

しか無かった。

もともと自分は周りから浮いていた。

勉強が出来なくなって急に周囲と離れ始めたのではなく、もっとから周囲に溶け込めずに居た。

異物であった。

そんな自分社会に馴染む方法有用性を証明し続けることだけだったのに。

その頃の自分学生の本分を全うすることも出来ず、本分から離れた学生同士でつるむ仲間も居なかった。

虚無。

何も無かった。

密度の高い物質は沈み、密度の低い物質は浮き上がる。

自分が今何者であるのか自覚する内に、自分存在が少しずつ地面から離れていくのを感じた。

空っぽ存在はこの世界を包む空気より軽いらしい。

ゆっくり宇宙の向こう側へと流れていき、虚空の中へと消えた。

そんな自分がこれからどう生きればいいのだろうか。

何も思いつかなかった。

何を想像しても異分子である自分がそこにいる姿は薄らぼけた影にしかならない。

どう生きていけばいいのか思いつかない者に残された手段死ぬことだけ。

そうして自分真剣自分の将来を考えた結果として、死ぬことを選んだ。

だけど今ここにいる自分否定することは出来ないでいた。

から待つことにした。

自分死ぬ時を、命を絶つにふさわしい状況を。

そうして歩き始めた。

死ぬにふさわしいだけの惨めさを求めて人生分岐路を何度も誤った方向に曲がり続けた。

あの頃自分真剣人生を考えてそう行動してきた。

それが愚かだったのはよく分かっている。

だけど考えて道を選べば更にドツボにハマることも知っていた。

からそのまま進み続けた。

そして今ここにいる。

どうすればいいのだろうか。

誰かに救って欲しい。

2014-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20140616005514

よし分かった、人間関係が主じゃない女性作家作品を挙げたらいいんだな。

とりあえずマンガを列挙するぞ。

大島司シュート!

ダブルヒールリフト!幻の左!トリプルカウンターアタック

必殺技ありのサッカー漫画なんて男子大好物だろ?

中村光聖☆お兄さん」、江口夏美鬼灯の冷徹

キャラクター造形としては女性漫画家くささも強めだが、

キモはこれでもかと詰め込まれる神話伝説歴史エピソードとそのパロディ

薀蓄詰め込んで嬉しいのって男性的だろ?

森薫乙嫁語り」、伊藤悠シュトヘル

どちらもマイナー地域時代歴史漫画

最近は「歴女」なんて言葉もあるが、敢えて「女」とつけるとおり、もともと歴史趣味は男の世界だった。

とりのなん子「とりぱん

主に自宅の庭に来る野鳥を観察する、エッセイ的なマンガ

野鳥の行動にやや擬人化がすぎるかもしれないが、擬人化なんて男も大好きだろ?

あと、小説

有川浩塩の街」「海の底」「空の中

自衛隊三部作」とも呼ばれる、ミリオタ御用達の「大人のライトノベル」。

二作目と三作目は怪獣映画テイストも満載で、これまた男子大好物

さあどうだ。(何が

2014-04-16

最近転職した会社事務員がわりとみんなかわいいんだけど。

今日は雨か。

から雨とか普通に憂鬱だ。

電車の中は蒸してるし、おろしたてのスーツはびしょ濡れだし。

ほのか「せんぱーい!」

駅の階段下りとき、後輩の子が話しかけてきた。

入社2年目の事務員

僕とは直接部署が違うけど、社員食堂とかで同席することがしばしばあった。

僕「あぁ。おはよう。

雨のせいなのか、会社に嫌気がさしてるからなのか、どことなく冷たい感じで返事をしてしまった。

ほのか「どうしたんですかぁ?元気ないですよぉ?」

こいつは嫌なことがないのか?と思うくらい天真爛漫。

まぁ、この子いるから営業成績が毎回ワースト3位内でも会社に行くのだが。

僕「いや。雨降ってるしさ、会社いくの憂鬱だしさ。」

ほのか「成績悪いからですかぁ?」

僕「ソレもあるけどね。まぁ事情があってね。。。」

ほのか「あたしには教えてくれないんですかぁ?」

僕「そのうちね。。。」

会社まで徒歩5分。

ろくに会話するネタもないし、気分的に憂鬱なのだが、ほのかはそんなことはお構いなく話し続けてくる。

好きなジャニーズの話、テレビ番組の話。

本当に話題の尽きない人だ。

こんな僕に比べたら。。。

ほのか「今日もがんばろうねっ!」

僕「あぁ。。」

会社に着く。

PCを立ち上げ、メールチェックと同時に、僕宛のFAX郵便物の確認。

まぁ、成績も良くないし、当然それに比例して仕事の依頼とか、そんなモノは他の同僚に比べたら少ない。

仕方がないか。。。

缶コーヒーを飲みながら、一通り目を通していると、課長から呼ばれる。

岸田課長「僕くん。ちょっとこっちに来てくれ。」

うわぁ。。やな予感。

岸田課長「これはなんだね。」

それはクレームFAXだった。

送信元:柳産業株式会社 加藤

送信先:株式会社NCサービス 営業課 僕様

件名:打ち合わせの件について

前略

昨日のお約束の件、時間までお待ちしていたのにもかかわらず、一向にお見えにならないので、今回の契約の件は破棄とさせていただきます

また、今後も御社との取引は中止とさせていただきます

何卒、ご了承の程よろしくお願いいたします。

岸田課長「君、昨日そういえば15:00に先方と打ち合わせだったね。」

僕「はい。。。」

岸田課長「君は何をしていた?その時。」

僕「別の件の見積もりを作成しておりました。」

岸田課長「君はコレで何度目だね。だからいつも成績が悪いんだよ。どうお詫びするんだね。。。」

僕「・・・・・」

岸田課長「今後の取引も無くなってしまったではないか!!!!!大きい損害だよこれは!!!

僕「・・・申し訳ございません。」

岸田課長「もういい。上の方に報告させてもらう。これだけ大きくなると私では対処ができない。お詫びに行くときは同行することだ!」

僕「はい。。。」

すっかり忘れてた。

いや、忘れてたのだろうか。そんなことはもはやどうでも良くなってきた。

机に戻る。

大きなため息をついたときコーヒーを渡された。

ほのか「どうしたんですかぁ?」

僕「大きな失敗をしちゃってね。。。」

ほのか「そうですかぁ。。。元気出してって言ってもだめかなぁ。。」

僕「うん。。。かなり凹んだなぁ。。」

ほのか「本当に大丈夫ですかぁ?何か心配ですけどぉ。」

僕「いやいつものことだ。大丈夫だよ。外回り行ってくるわ。」

ほのか「あ。いってらっしゃぁ~い。」

当然外回りする気力なんかない。

生憎というか何というか、今日アポもない。

この先を考えるには絶好の日だった。

考えるも何も、もう僕の中では答えは出てる。

僕「実家に、帰ろう。もう無理だろう。。ここでは。。」

気がかりなことはある。それは、ほのか。。。

正直うざい時もあったけど、彼女いるから今まで叩かれてもがんばってこれた。

でも、もうソレも終わりだな。。。と空を見ながら考えていた。

親父に電話する。

僕「あの、、俺だけど、、、」

親父「おー僕くんか。どうした?」

僕「俺、、会社辞めるよ。」

親父「何だ何かあったのか。」

僕「でかい取引パーにしちゃってさ、、、もう精神的にも無理だから、帰ろうかと思ってる。」

親父「そうか。。。まぁ決めるのはお前だが、帰ってきて欲しいと思ってる。」

親父は体が半分麻痺していて、生活するのにはちょっと一人では難しくなってきていた。

それを母親が何とか支えてる感じだ。

僕「また帰る日が決まったら連絡するよ。」

そういって電話を切った。

タイムカードを押して帰る。

時刻は18時。長い1日の終わり。

翌日、退職届を持って出社。

駅の階段で、やっぱりほのかが声をかける。

ほのか「おはよぉございま~す。せんぱいっ」

僕「あぁ・・・

ほのか「今日もっと元気がないですねー。」

僕「あーもううるさいなぁ!ほっといてくれよ!」

しまった・・・・よりによってほのかに。。。

ほのか「あ・・・・・ご・・・ごめんなさい。。」

珍しくほのかが悲しい顔をした。

そしてそのまま立ちすくんだまま、動かなかった。

そりゃそうだ。ここまで怒鳴った事はもちろんない。

何てことをしてしまったんだ。。。

まぁでも彼女とは今日で終わりだ。

最悪な最後だけどね。。。

出社。

メールのチェックとかもうする気も起きない。

どうでもいいことなんだ。もはや僕には。

課長が来た。あとはコレを渡して終わりだ。すべて。。。。

僕「課長。あの、、、お話があります。」

岸田課長「なんだ?昨日の件はもう上に報告したぞ。」

僕「いや、、、コレを。。」

岸田課長「ん?退職??」

僕「はい。」

岸田課長しか・・・・コレでいいのかね。」

僕「実家事情もあるので、すみませんが。。。」

岸田課長「わかった。。。じゃあ君の担当案件の引き継ぎは、、、そうだな。石井君にしてもらおう。」

僕「申し訳ございません。」

引き継ぎと言っても、担当案件なんて一番少ないし、今日だけでクライアントには回れるさ。

そして、一日石井君と同行。。。。ほとんど会話することはなかった。

18時帰社。そして最後タイムカード打刻。

すべてが終わった。

身分証明名刺課長の机に置いた。

帰り道、普段は飲まない酒を飲んでいた。

周りは新年会?なのか?

にぎやかな店の片隅で、携帯をいじっていた。

ほのかからの応援メール、慰めメール

何だかんだ言ってこいつと一番メールしてたな。

言わなくていいのか?辞めること。帰省すること。

今朝、あんなこと言っちゃったしな。。。

いやもういいんだ。東京のことはもう終わりにしよう。

電車もなくなりそうなので、帰ることにした。

肩の荷が下りたはずなのに、何か切ない。

明日から楽なはずなのに、何か重苦しい。

仕事できる男それが彼女の好み 気合い入れて勤めたのだが 忙しいわ つまんないわ』

あぁまさに僕の会社生活象徴する歌だ。

そんなことを思いながら、自宅に着く。

廊下蛍光灯が切れてる中、転ばないように歩く。

玄関の前に何かあるな?

と、、、、

そこにいたのはほのかだった。

僕「ほ・・・ほのかちゃん?」

ほのか「せんぱい・・・・」

僕「ちょっと何してるの。。。風邪ひくよ?」

ほのか「今朝のこと謝ろうと思って、、、、」

僕「そんなのメールでも電話でもいいじゃんか!何時間待ってたのさ・・・

ほのか「4時間ぐらい。。だってメールとか電話で謝るなんて卑怯者のすることだもん!」

いつもの天真爛漫なほのかじゃない。珍しく感情を顕わにしてる。

僕「っていうか、もう電車もないし、どうするのさ。。。」

ほのかは黙ってる。。。

この寒空の中に放り出すわけにも行かないし、駅まで距離あるし、駅前ビジネスホテルがあるわけでもないし。。。

ほのか「帰ります。。。ごめんなさいね。。。突然来てしまって。。」

僕「・・・・・・。」

そういって、ほのかは歩き出した。

僕はどうすることもできず、階段下りていくほのかを見ていた。

どこまで僕は情けない男なんだ。。

玄関を開けて電気をつける。

頭の中にはさっきのほのかの顔が浮かんでは消え、浮かんでは消え。

僕「ああああああああああもう!」

玄関を飛び出し、ほのかの後を追いかける。

どこだ?そう遠くにはいってないはずだ。

10分ぐらい走っただろうか。

駅までの道のりにはいない。

タクシーでも捕まえて帰ったのかな。。それが一番なんだが。。。

とぼとぼと引き返す僕。

通りの公園コーヒーを買い、ベンチに座る。

星がきれいだ。いつもよりもきれいだ。

と、その時、突然視界が閉じられた、と同時に、冷たい感触が目のあたりを覆った。

ほのか「せーんぱいっ!」

ほのかだった。

この公園にいたのだ。

僕「お前ってやつは。。。」

怒りたい気持ちよりも、無事だったということ、そして会えた喜びの方が大きかった。

ほのか「せんぱいなら来てくれると思いましたぁ。でもここにいるとは思わないだろうなーっておもってましたぁ。」

僕「心配させやがって。。。とりあえず、、、その。。。帰れないんだったら、、、、家に来ない??」

ほのか「え・・・いいんですかぁ?ヘンなことしませんかぁ?」

僕「できるはずがないよ。。。」

ほのか「ごめんなさい。。めいわくかけちゃって。。。」

家までの道、お互い無口。

何を考えてるんだこの人は。

4時間も待ってたり、突然目隠ししたり、よくわかんない人だ。

でもそんなほのかが好きなんだろうな。。。僕は。。

僕「ただいまっと。。」

ほのか「お帰りなさい^^」

びっくりした。そういえばおかえりなさいとかずいぶんと言われてなかった。

とりあえず、寝間着の代わりになるモノを貸してあげる。と言っても、ジャージだが。。。

僕「僕は居間で寝るから、君は僕の布団を使うといいよ。」

ほのか「いいんですか?」

僕「外で4時間も待ってたうえに、風邪なんか引かれたらたまらない。。」

ほのか「せんぱいだって風邪引いたら仕事できないじゃないですかぁ。」

仕事。。。そうだった。今日で辞めたんだった。。。

伝えてないんだっけ。。。

今言うべきか。どうするか。

しかないよな。。。

僕「仕事は。。。もういいんだ。今日で辞めたから。。」

ほのか「え・・・本当ですか?」

僕「本当だ。」

ほのかの顔がだんだん泣き顔になってくる。

ほのか「どうして!どうして私に相談してくれなかったんですかっ!どうして突然辞めちゃうんですかっ!うわあああああん!」

大声を出して泣き出すほのか。

化粧なんか落とさなくていいんじゃないかって位に涙がこぼれ落ちる。

僕「ごめんな。。。黙って去りたかったんだ。。それと、僕今週いっぱいで東京出るから。。実家に帰るんだ。。」

ほのか「うわああああん!せんぱいがいなくなっちゃうよぉぉおおお!」

火に油とはこの事だ。

泣き止む様子もない。

僕はただ、ごめんとしか言えなかった。。

ほのかは泣きながら布団のある部屋に入っていった。

壁越しにでも聞こえる嗚咽。

僕はその嗚咽が聞こえなくなるまで、黙って起きていた。。

翌朝、起きるともう10時過ぎだ。

台所からいい匂いがする。

ほのかが朝ご飯を作ってくれたみたいだ。

と、その横に手紙があった。

せんぱいへ

夕べはありがとうございました。

お礼に朝ご飯作っていきますね!

では行ってきます

P.S

あたしだってやるときはやりますから

やるとき?この朝ご飯のことかな?

まぁそう思いながら食べた。

あぁ。。。。。うまいわこれ。。。

食べ終わった後、引っ越しの準備に取りかかる。

まぁ、幸いにして荷物があまりないからすぐに終わりそうだ。が。。。。

こういうときに限って、懐かしいモノが出てきて、それに浸っているうちに夕方になってしまうとか、よくある話だ。

そのよくある話に陥ってしまった僕。

社員旅行写真をみながら、今までの8年間を思い出していた。

あぁ、ほのかと初めて話したのはこの旅行か。。。

と、余韻に浸っていたとき、ほのかから電話があった。

ほのか「もしもーし。せんぱいですかぁ?今夜もおじゃましていいですかぁ?」

僕「は?どしてさ。」

ほのか「引っ越しのおてつだいしますぅ~」

僕「あー・・・今日は泊めないぞ?」

ほのか「いいですよぉ~」

電話を切ってからちょっとうれしさを隠せない僕がいた。

せめて昨日よりはきれいにしておかないと。

引っ越しの準備よりもソレの方がどうやら「今」は大事らしい。

ぴんぽーん

ほのかが来た。

ほのか「ただいまぁ~」

僕「おかえりなさい。」

何か僕がお帰りなさいって言うのもヘンな話だ。ちょっと照れくさい。

ほのか「今日はせんぱいにビッグニュースが有ります!」

僕「何???

ほのか「あたし、会社辞めてきましたー!」

僕「は?」

ほのか「辞めてきたんですよぉ。会社。」

僕「どして???????」

ほのか「せんぱいがいない会社なんてつまらないんだもん。だからやめてきたの。だめ?」

僕「だめって・・・・で、どうするのさ、僕は実家に帰るんだよ?」

ほのか「あたしも一緒に帰っちゃだめ????」

僕「あのねぇ。。。旅行じゃないんだよ?わかる?向こうに住むんだよ?」

ほのか「うん。せんぱいと一緒に住むの!」

ちょっと押され気味だ。

僕「どういうつもりで言ってるんだ?君は。。」

ほのか「あたしね。せんぱいが好きなの!すごく好きなの!」

僕「・・・・・・・・・。」

ほのか「だからね、せんぱいが会社辞めるって聞いて、居ても立ってもいられなくなって、辞めてきたの。賭けだよね。。。コレで振られたらあたし最悪だよね。。。せんぱいはあたしが嫌い?」

僕「嫌いとかそういうんじゃなくて、その、、、あー、、、んーと、、、」

ほのか「はっきりしてください!」

僕「好きだよ!くっそーもう!好きだよ好きだよ!」

ほのか「だと思った^^」

僕「は???????」

ほのか「せんぱいはあたしのことが好きになる!ってずっと考えてたの。信じてたの。願いが叶っちゃった^^」

僕「・・・・・・

開いた口がふさがらないとはこの事だ。

何か振り回された気分。

でも、何かうれしい。

すごくヘンな感情が心を巡る。

僕「で、どうするの?」

ほのか「何回も聞かないでください。あたしも一緒に行くの!」

僕「それでいいのね?」

ほのか「後悔してませんよ^^」

晩ご飯はほのかが作ってくれた。

今度はできたてだ。

ほのか「おいしいですかぁ?」

僕「うん。朝ご飯もおいしかったけどね。」

ほのか「2日ぐらいでおわるかなぁ。。。」

僕「ん?何が?」

ほのか「引っ越しの準備。」

僕「ほのかの引っ越し準備もしないとだめなのか、、そういえば。。」

ほのか「あたしは明日明後日で片付けちゃうから、せんぱいもそれまでに終わらしてね!」

僕「あぁそうだな。。でもその前に。。。。電話しないと。」

ほのか「誰に?」

僕「親父にさ。。。。もう一人、連れて帰るわ、ってね。。。」

ほのか「。。。。うん。そうだね。。。」

テーブルの上には、社員旅行で撮った2ショット写真があった。

ぷるるるるるるるるるるるる ぷるるるるるるるるるるるる

がちゃ・・・

親父「もしもし僕ですが?」

僕「あー俺だよ。来週には帰れそうだ。」

親父「そうか。。。急がんでもいいぞ。」

僕「いや、ちょっと急ぎたくなったんでね。。。」

親父「なんでだ?」

「もう一人、彼女を連れて帰るよ。。。」

そう親父に言ったとき、ほのかが後ろから抱きしめてきて、こういった。


ありがとう。大好き。」


っていう恋愛話がないかわりと毎日妄想してる。

2013-12-07

国会議事堂周辺に配備された警察官の方へ贈る手紙

おまわりさん、この寒空の中、立ちっぱなしで、お疲れ様です。

たくさんの人の叫び声を受けながらお仕事するのは、大変なことと思います

いま、デモ隊を通さないために、あなたが同僚の方々とバリケードを組んで立つときあなたはどんなことを考えているのでしょうか。

あなたを取り囲む人があびせてくる罵詈雑言を心に入れないように、きっとあなたは心を意図的に硬くして、閉ざしていることでしょう。

あなたがいまやっていることはあなた仕事なのだから感情を入れずにやりきれば、この瞬間は過ぎ去るのだし、あなたはこのあともまた仕事を続けていけると思っていることでしょう。

しかし、あなたは、いま、どのような歴史の瞬間に、自分がどのような役割果たしているか、お気づきでしょうか。

それがあなた自身の人生にどのような意味を持っているか、お気づきでしょうか。

人の流れをせき止めて、荒々しい人たちの行動を止めることで、あなた市民安全を守っているのだと、上司の方から聞かされているし、きっとあなたもそう思っていることでしょう。

あなたは大義を果たし、自分良心にやましいところなど、かけらもないと思っているかもしれません。

でもそれは、残念ながら、今回に限っては、間違いです。

あなたはいま、この瞬間に、自由を求めている人たちを、抑圧しています

あなたはいま、この国がファシズムにまた戻ろうという歴史的な瞬間に、ファシズムに加担しています

いったい、あなたはそんなことをするために生まれてきて、警察官になったのでしょうか。

あなた人生はいったいなんだったのでしょうか。

あなたがまったく気づいていないとは、どうしても思えないのです。

あなたの前に立ちふさがる人たちの身なりや、その本気さが、いつものプロ市民」たちによるデモとは違っていることを、あなたは敏感に感じ取っているはずです。

からこそ、あなたの前に立ちふさがる人たちに、あなたがかけた言葉は、いつもよりも丁寧なものだったのではありませんか。

きょう、あすは、あなた自分の職務を果たしたと感じて、安らかな心持ちで眠ることができるかもしれません。

しかし10年後は、20年後はどうでしょうか。

いま国会で行われていることは、1世代の間に、かならず厳しい歴史の裁きを受けます

そのときあなたは、自分のやっていたことをどのように思い出すのでしょうか。

あなたがご家庭を持ち、小さなお子さんがいらっしゃる場合、大きくなったお子さんに、あなた仕事をどのように説明するのでしょうか。

あなたはご自身の職務を果たし、市民安全を守ったのだと、胸を張って説明するのでしょうか。

いま、あなたが通せんぼしている人たちや、あなたが取り押さえた人たちは、あなたのその顔を無数のカメラ撮影し、ネット上にアップロードしています

それはいつまでも残るでしょう。

それを何年も後に見つけたお子さんは、あなたがどのようなことをしていたと思うのでしょうか。

これからあなたを裁く人たちの評価を前にして、あなた自殺せずにいられるでしょうか。

あなたはいま、いったいなにをしているのでしょうか。

あなた人生は一体なんだったのでしょうか。

きょう、あなたにあらっぽいことばをかけてくる人がいるでしょう。あなたは腹が立つでしょう。

しかし、それは理由があることなのです。

あなたの前に立っている人は、あなた体現しているものに対して、怒っているのです。

その中にはあなたも含まれているのです。

からあなたがいまやっていることは、仕事だと割りきってごまかすことは、絶対にできないのです。

しかし、役割を離れれば、あなたもわたしも、同じ人間であるはずだと、わたしは確信しています

どうか、ご自身のやっていることを、もういちど振り返ってみてください。

いま、命令に逆らうことはできないかもしれません。

しかし、あなたのいまやっていることが、ほんとうにあなた良心にてらしてやましいところがないかどうかは、あなたにはかならずわかるはずです。

なぜなら、あなたは自由だからです。

自由を求める人たちの気持ちに寄り添い、あなたがご自身の人生をほんとうに大切にしてほしいと、わたしは願っています

2013-01-22

うーむ、完成度いまいちだけど

ある日の事でございます教授様は大学教授室を、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。右手に持つティーカップは、玉のようにまっ白で、その中の紅茶からは、何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります教授室は丁度お茶時間なのでございましょう。やがて教授様は窓際に御佇みになって、窓を蔽っている木々の葉の間から、ふと下の容子を御覧になりました。この教授室の窓の下は、丁度大学実験室に当って居りますから水晶のような窓ガラスを透き徹して、実験室の景色が、丁度覗き眼鏡を見るように、はっきりと見えるのでございます

するとその実験室の底に、陀多と云う男が一人、ほかのポスドクと一しょに蠢いている姿が、御眼に止まりました。この陀多と云う男は、データ捏造したりフォトショップで加工したり、いろいろ悪事を働いた万年ポスドクでございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が動物実験室を通りますと、小さなマウスが一匹、廊下を這って行くのが見えました。そこで陀多は早速捕まえて、解剖しようと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗にとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、こう急に思い返して、とうとうそマウスを殺さずに助けてやったからでございます

教授様は実験室の容子を御覧になりながら、この陀多にはマウスを助けた事があるのを御思い出しになりました。そうしてそれだけの善い事をした報には、出来るなら、この男をポスドク境遇から救い出してやろうと御考えになりました。幸い、側を見ますと、翡翠のような色をしたカゴの中に、教授様のマウスが一匹、美しい銀色の尾を垂れて居ります教授様はそのマウスの尾をそっと御手に御取りになって、玉のような窓の隙間から、遥か下にある実験室の底へ、まっすぐにそれを御下しなさいました。

こちらは実験室の暗室で、ほかのポスドクと一しょに、浮いたり沈んだりしていた陀多でございます。何しろどちらを見ても、まっ暗で、たまにそのくら暗からぼんやり浮き上っているものがあると思いますと、それは恐しいウェスタンロットメンブレンバンドが光るのでございますから、その心細さと云ったらございません。その上あたりは墓の中のようにしんと静まり返って、たまに聞えるものと云っては、ただポスドクがつく微な嘆息ばかりでございます。これはここへ落ちて来るほどの人間は、もうさまざまなアカハラの責苦に疲れはてて、泣声を出す力さえなくなっているのでございましょう。ですからさすが万年ポスドクの陀多も、やはりトランスファーバッファーに咽びながら、まるで死にかかった蛙のように、ただもがいてばかり居りました。

ところがある時の事でございます何気なく陀多が頭を挙げて、暗室天井を眺めますと、そのひっそりとした暗の中を、遠い遠い天上から銀色マウスの尾が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて参るのではございませんか。陀多はこれを見ると、思わず手を拍って喜びました。この尾に縋りついて、どこまでものぼって行けば、きっと万年ポスドク境遇からぬけ出せるのに相違ございません。いや、うまく行くと、アカポスに就く事さえも出来ましょう。そうすれば、もう実験室へ追い上げられる事もなくなれば、暗室に篭る事もある筈はございません。

こう思いましたから陀多は、早速そのマウスの尾を両手でしっかりとつかみながら、一生懸命に上へ上へとたぐりのぼり始めました。

しか実験室と教授室との間は、何万里となくございますから、いくら焦って見た所で、容易に上へは出られません。ややしばらくのぼる中に、とうとう陀多もくたびれて、もう一たぐりも上の方へはのぼれなくなってしまいました。そこで仕方がございませんから、まず一休み休むつもりで、尾の中途にぶら下りながら、遥かに目の下を見下しました。

すると、一生懸命にのぼった甲斐があって、さっきまで自分がいた実験室は、今ではもう暗の底にいつの間にかかくれて居りますそれからあのぼんやり光っている恐しいウェスタンロットメンブレンも、足の下になってしまいました。この分でのぼって行けば、万年ポスドク境遇からぬけ出すのも、存外わけがいかも知れません。陀多は両手をマウスの尾にからみながら、ここへ来てから何年にも出した事のない声で、「しめた。しめた。」と笑いました。ところがふと気がつきますと、マウスの尾の下の方には、数限もないポスドクたちが、自分ののぼった後をつけて、まるで蟻の行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。陀多はこれを見ると、驚いたのと恐しいのとで、しばらくはただ、莫迦のように大きな口を開いたまま、眼ばかり動かして居りました。自分一人でさえ断れそうな、この細いマウスの尾が、どうしてあれだけの人数の重みに堪える事が出来ましょう。もし万一途中で断れたと致しましたら、折角ここへまでのぼって来たこの肝腎な自分までも、元の万年ポスドクへ逆落しに落ちてしまわなければなりません。そんな事があったら、大変でございます。が、そう云う中にも、ポスドクたちは何百となく何千となく、まっ暗な暗室の底から、うようよと這い上って、細く光っているマウスの尾を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今の中にどうかしなければ、尾はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。

そこで陀多は大きな声を出して、「こら、ポスドクども。このマウスの尾は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚きました。

その途端でございます。今まで何ともなかったマウスの尾が、急に陀多のぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて断れました。ですから陀多もたまりません。あっと云う間もなく風を切って、独楽のようにくるくるまわりながら、見る見る中に暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。

後にはただ教授室のマウスの尾が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます

教授様は教授室の窓際に立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、やがて陀多が実験室の暗室の底へ石のように沈んでしまますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかり万年ポスドクからぬけ出そうとする、陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の万年ポスドクへ落ちてしまったのが、教授様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。

しか教授様のティーカップは、少しもそんな事には頓着致しません。その玉のような白いティーカップは、教授様の右手で、ゆらゆら水面を動かして、その中にある紅茶からは、何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります教授室ももう午に近くなったのでございましょう。

2011-12-27

31歳になって鼻水かんだはずみで盛大にうんこもらした

どうも、先日バリウムを飲んだ後に飲み会に行って帰りに盛大にうんこもらした者です。

当時の模様は以下をご参照下さい。

http://anond.hatelabo.jp/20111212011721

先日は皆様から暖かいご声援を賜り誠にありがとうございました。

真摯にこれをうけとめ、来年はしっかりフタをして生きていこうと誓ったところです。

男としておぎゃーとこの世に生を受けて31年。

物心ついた頃から何があっても我慢の子で通してきたので、

人としての尊厳は保ってきたわけですが、生を受けて31歳と6ヶ月。

たぶん31年と6ヶ月の人生のうちの31年が無くなってしまってるんじゃないかと思うほどの連発ですよええ。

このクリスマスの3連休風邪を引きました。

奥さんとは結婚してから初めてのクリスマスだったのですが、39度を超える高熱を出してしまい、最悪なことに上からも下からもなんとかトイレで用を足セルかどうかの状態でした。

先日あんなことがあったので、お詫びのためにいろいろプランを練っていたリア充になるはずのクリスマスが病床で嘔吐下痢ですよ。もう、ホント奥さんに申し訳ない申し訳ない・・・

そして、昨日の夜。

世の中はクリスマスの日も終わり、年末に向けて最後仕事にかかる月曜日の準備をしていたことでしょう。

それは私も同じです。

今日は絶対に休めない仕事があったので、コルゲンコーワIB透明カプセルを2錠飲んで、熱を抑え、鼻水を抑え、なんとかがんばろうとして風呂にも入ってヒゲも剃りました。

でも、皆さんご存じかと思いますが、風邪薬って効き目が強いモノほど症状を抑えてるだけで、治ってるわけではないんですよね。

そんなときの鼻水って水っぽくなくて粘っこい緑色っぽいですよね。

勢いつけないとなかなか鼻をかみきれませんよね。

薬が効いてるおかげか、風呂上がり、少し湯冷めしながらも鼻水が出そうで、出ないそんな状況でした。

奥さんが明日の出勤のために私に代わって用意をしてくれていました。

嫁「明日どのワイシャツ着ていくのー?」

俺「ちょっとまってー」

そう聞かれた私は明日着ていくワイシャツを選ぼうと手元の鼻セレブを2枚出して、鼻をかみつつ立ち上がろうとしました。

俺「ちょっとまってー」 シュッシュッ(ティッシュを出す音)

よっこいしょ フンッ! チーン! ブバッ!!

えっ?(;^ω^)

なんですか?中腰状態って肛門ふさがっていないんですか?

鼻水は勢いよく出ましたが、違う穴からも勢いよく出たような気がしました。

気のせいではありませんけどね。

どどどどどうしよう!!

とりあえず、奥さんをごまかさなければ次は殺されてしまう。

嫁「で、ワイシャツどうするの?」

俺「うん、まぁワイシャツは後で俺が選ぶから、先寝てていいよ。 あ、もう一回お風呂はいっていいかな?」

嫁「なんd・・・くっさ!」

ええ、ごまかす間もなくバレましたよ、さすが室内。

嫁「はよ風呂いってこいこのアホー!」

そのまま風呂に逆戻りで、また改めて全身洗い直し、パジャマ自分で洗浄して速効洗濯機で寒空の中物干しですよ。

そのショックなのかそれで湯冷めしたのか結局熱も下がらず38度超えたまま出勤でしたよ(`;ω;´)

結婚して半年半年の間に2回もうんこ盛大に漏らす男とは奥さんも思わなかったろうに。

本当にいたたまれなくて申し訳ない。

性の6時間と呼ばれる時間キンタマ袋が熱でビローンとなって病床にあえいで

トドメが鼻水かんでうんこ爆発ですよ。

2chまとめサイト見てて性の6時間に正拳突きをしていたVIPの皆さんがまぶしく思えましたよ。

来年はいいことがありますように、夫婦円満でいられますように。

2011-04-13

東日本大震災から一ヶ月 過ちを繰り返さない為に。

まず最初に、今回の地震と津波に際して早くから支援体制を敷いていただいた

食品メーカーの方々

それを高速も動かない間にも届けてくれた運送関連の方々

販売をしていただいたスーパーの方々

本当にありがとうございました

現在も被災地への物資提供・医療支援・ボランティアを続けて頂いている

企業や個人の方には感謝してもしきれません。

未だ満足にインターネットや連絡手段が取れない被災地の方に代わりまして

御礼を申し上げます。

また、地震発生時から燃料不足など困難な状況でありながら

昼夜問わずインフラ復旧の為に当たっていただいた電力水道ガス道路関連の方、

市ガスに関しては現在も名古屋ナンバーや大阪ナンバーなど遠方からも

現在も支援を頂いている状態です。

余震による新たな再点検を求められるといった苦境が続いておりますが

自身の安全も含めて無理を成されないように。

市ガスに関しては仙台の天然ガス施設が被害を受け、新潟からのパイプラインで提供されています。

下水についても今回の津波で破壊されたり電子系統がやられた関係で2~3年は簡易処理しか出来ない状態です。

宮城県に限らず被災地を抱える県の方で処理場が機能してない地域の人は

自分たちは水が使えるからと今までのような使い方をしてしまいますと

疫病が発生する可能性も否定できませんので節水に努めましょう。

津波で下水処理場、ゴミ焼却施設に大きな被害、想像を超える宮城県内各施設の被災状況(2)

http://www.toyokeizai.net/business/regional_economy/detail/AC/6cce509478eb9164e8311792de9d52d3/page/2/

下水道復旧は数年かかる見通し 沿岸部に集中、被害深刻

http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104020353.html

>下水管や処理場が復旧しないと、汚水が路上にあふれ疫病を引き起こす恐れすらある。このため新潟、札幌、大阪など自治体下水道事業者からのべ2600人が応援に駆けつけ、被災状況の調査や簡易処理での復旧の手助けをしている。

過ちを繰り返さない為に。

私が住んでいた地域は幸いにも地震から2日後という

早期に電気の復旧が行われた為、

手元にあったIS01ワンセグテレビと充電池でギリギリ間に合わない程度で

情報難民にならずに済んだという綱渡り的状態だった。

その間もワンセグで見ていた、地震だ!津波だ!何人が死んだ!

在京キー局主体報道が並ぶ。

そして思った。

それを今、報道してどうなるのだ、人一人も助けられないじゃないか。

家族や親戚が居ても津波の被災地に行く手段は無いのだ。

津波による第一報の大切さはわかる。

でも、それが終わったら次の事を考えなきゃいけない。

死ななかった人の命を如何に助けるかだ。

まずは

車での移動はしないでください、

ガソリンスタンドも人工呼吸器で発電機が必要な人など

不要不急な人には売らないでくださいとマスメディアは伝えるべきだった。

緊急車両だけに、と。

実際、兄は帰宅困難者自動車で幹線道路が大渋滞する中で

進まない自動車を置いて3時間歩いて我が家に立ち寄り、

更に30分歩いて帰宅していった。

自宅の電気が13日夜に復旧した翌日の14日、

電気が復旧したテレビで見た情報が計画停電発表による東京での買い占め、

ガソリンスタンドへの行列との報道である

計画停電の影響で弁当やパンなどがいつも以上に売れる事は別におかしくないと

最初、連日の報道に何やってんだかという呆れがあったが

次の瞬間、恐ろしさに気づいた。

そのガソリンや軽油が届かない事で間接的に救える人を殺しているのではないかと。

共に千葉のコンビナートが被害を受けたことによる需給バランスが崩れた為だ、

それにすぐ届く訳じゃないと思いながら軽い怒りと

コンビナートがやられたという事による燃料不足の長期化と

地震が起きる前に石油精製の設備が余ってるという情報を報道で知っていたから

どちらなんだろうという不安が感じた事を憶えている。

後に撮影した写真を確認しながらに

仙台でも地震発生後に冷静さを失い

自分が良ければ、家族は大丈夫だろうかという感覚で

多くの自動車ガソリンスタンドに並んでいた事を思い出すと

間接的に人を殺したかもしれないという意味では

仙台も同じだなと人の事言えないじゃないか思い直した。

仙台港石油コンビナート鎮火 「在庫配分、被災地優先」宮城知事

http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110316_39.htm

この15日緊急車両優先と宮城県知事が指示するまで

仙台で起きた事は地震発生翌日後ガソリンスタンドが自主的に行なった

一般車ガソリン5L10L規制+

整理券受け取りまで朝方から4時間待ちで受け取り午後3時といった

自主規制だった。

次に重要なのが生活情報だ。

給水車は何処に出てますと行った情報もテレビのL字に載り始めたのが13日か14日

スーパーマーケットの営業情報については17日である

後に知ったがラジオの方が生活情報を流すまで早かったとの事。

震災時に必要なのは発生時のみ映像で確認が必要なテレビ

後は生活情報を放送しているラジオの方が重要だ。

そして情報を得る為に重要な電池。

準備はしていたつもりが充電池の自己放電で3セットの内1セット、

しかも半分程度しか残量が残っていなかった。

これが今回の最大の危機であり、認識の甘さが露呈した格好となった。

頑張れ日本、がんばろう日本、日本の力を信じてるへの違和感

日本テレビ系の3秒キャッチCMで

頑張れ日本、がんばろう日本と言い出したのは3月20日

http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/story.html?q=20110320hochi169

http://mainichi.jp/select/biz/bizbuz/news/20110320dog00m020025000c.html

ACジャパンサッカー編はYoutubeの日付を見ると22日

http://www.youtube.com/watch?v=Pre2YcOROnk

サンスポによるとSMAP編が23日サッカー編が24日

ACが新CM制作!SMAP、長友ら出演 

http://www.sanspo.com/geino/news/110324/gnj1103240505012-n2.htm

その頃の仙台のガソリン事情 ブログ報知

http://weblog.hochi.co.jp/tajihouronn/2011/03/post-8942.html

青葉区北仙台のあるスタンドで前日の夜9時から並んだ男性は、

>翌朝7時半の開店と同時に10リットル制限の給油に成功。

>しかし、11時前には完売となりました

>この日給油ができたのは約300台。

>後続の200台以上の人々は徒労に終わりました

その頃の仙台のスーパードラッグストアの様子

仙台の物資状況 3月21日

http://ffxi.no-blog.jp/2008/2011/03/post_d3bf.html

仙台の物資状況(震災から2週間 

http://ffxi.no-blog.jp/2008/2011/03/15_d5e5.html

>昨日3/26のスーパー (市中心部からバスで20分ほどの周辺部)

POPからみるにミヤギ生協です。

ミヤギ生協はそれでも全国から商品をかき集めていて商品が充実してる方でした。

高速が一般開放された3月24日がターニングポイントで3月26日から商品が徐々に入ってきました

それまでは大根一本300円、キャベツ600円、タマゴ400円といった状態です。

それでも商品が買えた仙台はまだ良い方です。

この頃、津波の被害を受けた被災地は悲惨です、

一日1食や2食、一日おにぎり一個コッペパン一個の世界です。

仮にお金があっても禄に買う所も水も電気もガスもありません。

それで計画停電したから東京目線でがんばろう日本、頑張れ日本なんて言ったら

被災地は見捨てられたと思うでしょう。

それ以前にがんばろう日本、頑張れ日本って誰に言ってるの?

食事も無く、ろくに暖房もなく、薬もガソリンが無く届かなくて

避難所だけで30人以上亡くなってるのに。

被災者に頑張れって言うの?命を繋ぐ事に精一杯なのに

頑張れる人はもう限界まで頑張ってのに。

意味が分からないよ。といった状態でした。

そんな状態で頑張れなんて言われたら鬱状態になり、

下のような言葉が被災者から出てくるのは仕方がないじゃないですか

それなのに

>何でこんな態度でかいの?鬱病つーかただのクズ

とか、他にも叩くような事がはてブに書かれています。

はてブで書けるなって、

人として本当のクズをはてブでこれだけの数同時に見るとは思いませんでした、

ただただ怒りしか湧いてきません。

「『頑張って』と言わないで…」被災地からの悲痛な声。

http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20110320/Techinsight_20110320_50513.html

3月19日の『ニュース 深読み』(NHK総合)では、被災者から次のようなコメントが寄せられた。

>「電気が復旧し、避難所から自宅を片付けるため家に戻った。あまりの惨状に呆然としていると

テレビから、“頑張ってください。”との声がしてきた。何度も何度も。

>“これ以上、どうやって頑張るの?”と悲しくなった。」

>「“頑張ってください。”って言葉を聞くたびに、落ち込んでしまいます。」

頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。

http://anond.hatelabo.jp/20110407001402

>すげぇ言われてるんだけど、CMとかで、頑張れ頑張れとか。

>ちょっと気を許すと、「一緒に頑張ろう!1人じゃない!」とか言うわけ。

>いや、おまえら家あるじゃん?そのCM撮ったら家帰ってるじゃんって。

>仕事もあるじゃんって。

>「正直、不幸になってくれたら嬉しい」

>と言われた。

CMについて思っていた気持ちを書いてくれたID:nakamurabashiさんの記事です、

これを読んで今回の事を書く気になりました

[雑文]なんかいろいろおかしいなーと思った話

http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20110410/1302373143

>なんていうのか「だれが」「だれに向けて」「なんのために」言ってのかまったくわからなかった。

>あれ、サッカーの日本代表応援してても同じじゃねえかな、って。

>で、さっき不意に気づいた。まず、被災地の人たちはがんばれない。がんばれるわけない。

だって、家とかなくなって、体育館とかで暮らしてて、がんばれるはずないじゃん。

>じゃあ「がんばれ」のメッセージはそれ以外の人たちに向けられている、と考えられるんだけど、

>じゃあ、あの大量のがんばれ日本とか強いぞ日本とか団結は日本の力って、いったいなんなんだろう。

ふつうの人たちのがんばりの許容量を超えたがんばれメッセージけが大量に出回ってる。

>善意搾り出さなきゃいけないってことか。そうやって搾り出された善意どこ行くん。千羽鶴作ればいいん?

この時期に必要な言葉は被災者に向けてなら

いつになったらこの状況を抜け出せるのかという希望です。

頑張ろうという言葉も最低でも食、衣食住が足りて

そして被災者被災地域の方からの声として出るべき言葉であって

その地域以外からの頑張ろうの強制ではないはずです。

被災地域以外であれば酷い被害状況ですが、

今も命の危険に晒されてながらも助けられる命があるのです、

その命を助ける為にも〇〇日まで我慢してください。というべきだったはずです。

また、どんなに平凡な表現であっても伝えるべき言葉は

頑張れ日本やがんばろう日本、日本の力を信じてるではなかったはずです。

フジテレビひとつになろうと言ったって情報共有が成されなければ

その言葉だけでは思いをひとつになんかなれないのです。

頑張れ日本やがんばろう日本といった被災者を傷つける言葉や

日本の力を信じてるという意味のない言葉より

まだテレ朝テレビで、日テレホームページで言ってるつながろう日本の方がまだ伝わります。

「被災に遭っても頑張ってる姿、助け合う姿、必死に生きようとする姿に感動しました

「過酷な状況なのに物資の奪い合いも強盗盗難の類も少ない」

何を言ってるんですか、非常に厳しい状態でこれ以上誰も死んで欲しくないと

思えば誰だって助け合い支えあうはずです。

命があるだけでいいのです。

私も今回の震災で叔父を亡くしました

今、命がある被災者を全力で支えることができるのは生きて無事な人間だけじゃないですか

被災者を頑張れる環境まで持っていく事が今できる我々の責任じゃないんですか。

死んでしまったらどうしようもないんです、取り返しは効かないんです。

また日本では同じように大震災といわれる事が起きるでしょう。

その状況の時に今回と同じ事を繰り返してはいけないのです。

備蓄について

今回の地震で分かった事は在庫を抱え込まないかんばん方式やコンビニの単品管理に代表される

在庫最小化は物流が途絶えた途端に近所のコンビニスーパー

「近隣地域お客様冷蔵庫」の機能を失うということです。

今回は地震が起きた時が午後3時に近い頃でまずはみんなが自宅に帰宅して

家族の安否確認をすることに必死で何かを買って帰ろうという余裕も無く、

停電したことから店側の準備も整ってなかったことから

翌日からコンビニスーパーガソリンスタンド

普段は賞味期限が切れた商品を売ってた個人商店でさえも

長蛇の列が出来ることになる。

イオンヨークベニマルイトーヨーカドー系列)などは2時間待ちにもなり、

開店している店の商品は一日で底を突く。

更に翌日は開くかどうかもわからない店に皆が並び店員が大慌てで

仕方ないとばかりに繰り上げ開店を行い、商品は消えていった。

まるで食欲旺盛な大蛇があるだけのエサを丸呑みして行くようだった。

この時に大切なのが

平時に普段、自分の家で消費する一ヶ月分の物を備蓄しておくこと。

そして出来るだけ買い占めなきゃ不安だという気持ちを周りに起こさせない事である

ちなみに私は自慢じゃないが貧乏だ、貧乏人には貧乏人らしい

備蓄のやり方がある。

その家によって違うと思うが

米なら楽天辺りで30kg買って米びつに一袋分(10kg)+一袋10kgで合計20kgになったら

一袋10kg買い足して20kgを割らないようにするだけでも主食は確保できる。

基本的に精米した米は賞味期限が短い、

3ヶ月も持たないというか食べられなくはないが風味は落ちる、

虫が付くかもしてないと米屋さんなら言うだろう。

また、備蓄向きと思われているインスタントラーメン賞味期限一年持たない。

特にフライ麺の賞味期限切れは食あたりの可能性があるので賞味期限は守った方がいいです。

2chのスレなどを見ると麺を茹でてお湯を捨てれば

メーカーが余裕を見て設定してるであろうマージン分3ヶ月ぐらい過ぎても食える的な話もあるが、

かやくやスープダメになるらしく

災害時で最も重要な水を捨てるという蛮行を働けば下手すりゃ死にかけます。

止めておきましょう。

日清食品 よくお寄せいただくご質問

http://www.nissinfoods.co.jp/utility/customer/faq.html

弊社で販売している製品の賞味期限は通常製造日からカップめんで5ヶ月、袋めんで6ヶ月となっています。

スパゲッティと乾燥大豆は涼しく風通しのいい所に置くと3年間持つので

スパゲッティを500g入り20袋=10kg用意しておくと飽きが起きにくい。

また乾燥大豆はどうしても起きやすい野菜不足タンパク質不足を解消できる

備蓄のマストアイテムと言ってもいい。

いっそのこと避難所に備蓄して欲しいくらいだ。

イタリア軍の逸話を知ってる人はスパゲッティは水を大量に必要になるじゃないか!

と言うかもしれない。

それはあくまで茹で汁を捨てるという事を前提にしている。

スパゲッティを茹でる時は塩を入れないで茹で汁を味付けし直せば

スープにもスープスパゲッティにもなるのだ。

乾燥大豆は30kg単位で買うのが一番安い。

楽天などのインターネットショップ

国産大豆でも1万円、アメリカ産大豆でも6000円程度であることから

お米と変わらないぐらいの安さだ。

30kgを買ってみたが二人分と考えると一合カップで量ると150g程度で二日分になる。=400日

一袋で一年程度、多すぎると感じたら知り合いと分ければいい。

大豆ダイエットで有名な大豆イソフラボンの影響か、大豆を食べて自転車で移動するようになったら

一年で100kg→70kgになった。ダイエットにもおすすめである

地震があった時点での備蓄は

米が米びつに一袋分(10kg)+一袋10kgで合計20kg

スパゲッティ500g入り25袋 12.5kg

乾燥大豆 10kg程度

中国産わかめ100g×5袋

賞味期限が切れた いりゴマ1kg5袋=5kg

賞味期限が切れた 札幌味噌ラーメンスープの素1kg7袋

賞味期限が切れた インスタント味噌汁250個(一袋100個入り)

この賞味期限が切れたものは賞味期限間近の商品を格安で売ってくれる所を

見つけたので買い貯めしていた物だ。

乾物や熟成が見込めるもの、アルミパウチな上調味料ラーメンスープなどであることから

多少、賞味期限を超えても大丈夫だと思って買った物、

どれも賞味期限が半年は過ぎているので気になる人にはオススメしかねる。

今回の震災を乗り越えられたのもこの備蓄でバリエーションが増やせたから

という気がしないでもない。

長期戦の場合に野菜+肉不足で抵抗力が落ちる可能性が高い。

ビタミンCコストを考えるとDHCなどのカプセルで、

ビタミンAはレバーを下茹でして冷凍庫に入れておこう。

レバーは5gで一日に必要なビタミンAが得られる。

災害時は水分も大切だ。

普段は飲まないがお客さんように特売日に100円で買ったジュース

備蓄してあった。

ジュースは意外と賞味期限が長く9ヶ月ぐらい持つものもある。

ただし、炭酸入りだと賞味期限近くなると微炭酸になってしまう、

その点は注意。

バヤリース1.5L×2本

伊藤園天然水ソーダ1.5L×2本

本当ならば給水所ができる3日間に必要なペットボトルの水を準備しておいたほうがいい。

一人当たり一日2Lペットボトル1本が目安だ。

備蓄ではないが他にあった水分は

ヨーグルトを作る為に買って置いた低脂肪牛乳1L×4本

電気ポット(1Lタイプ)+魔法瓶エアーポット(2.2Lタイプ

うちでは小型の電気ポットで沸かしてエアーポットに入れるようにする事で

保温時の電気を使わないようにしている。

と同時にお湯を移して空になった電気ポットに常に1Lの水を入れておく事で

断水時に最低1Lの水を確保できるようにしている。

LPガスという状況下での苦肉のエコ+災害対策という訳だ。

エアーポットのお湯が温くなれば電気ポットに戻して沸かし直したり、

もう1L沸かしたお湯を入れればいい。

エアーポットは空気が多ければ多いほど冷えやすい、

朝2L入れて徐々に使ってぬるくなったら料理に使ってもいいのだ。

 燃料や電池の備蓄について

今回、問題が出たのが電池だった。

準備していた物が単三12本。

しかし、自然放電と昇圧機能のないUSBコネクタ付きバッテリーケース

BP‐1だった為、充電が直前まで使っていた1セット分しか使えなかった。

USB出力付電池ボックス2種を試す 【起】

http://mast.cocolog-nifty.com/main/2010/03/usb-e306.html

電池の備蓄を考えた場合

エネループか普段使いの100円ショップ充電池+アルカリ乾電池の二択だろう。

電池は時間が経つほど残量が減って行く。

使用推奨年月日が製造から5年の物が多い物を考えると

一年目に5セット買って一年毎に1セットづつ買い換えるという事がよいのではないかと思う。

余震の事を考えるとロウソクよりLEDライトの方が安全だからだ、

ラジオ+LEDライトと考えるとそのくらいは必要だろう。

100円ショップアルカリ乾電池 性能評価実験

http://www.kansai-event.com/kinomayoi/battery/alkaline.html

>上位のほうが消費期限が長い = 製造から日が経っていない。

>という考察もできるのではないでしょうか。

グラフに載せている「オーム電機(参考) 消費期限04-2005」や

>「富士通7300(参考) 消費期限 08-2003」の電池はかなり性能が落ちています。

燃料の備蓄について

今回、電気が二日後に回復したという奇跡的な状況が起きた事や

地下埋設型のLPガス事で安全ピンが作動する事もなく当日から使えた事が

他の方と比べて非常に楽な展開になったは間違いない。

ガスが使えない状態であったとしたら

カセットコンロか石油ストーブ

+余裕があれば電気があれば使えるIH卓上コンロを準備する必要がある。

カセットコンロカセットガスを最低限用意する事は

必要としてカセットコンロに載る鍋やフライパンサイズは28cm、

ミニサイズカセットコンロは18cmが標準的なので注意しよう。

カセットガスは高いので電気が復旧したらIH卓上コンロに切り替えたい所だ。

両方使えるIH対応の物を普段から使っておきたい。

石油ストーブは暖房と料理両方に使える凄い奴。

しかし、備蓄の事を考えるとエアコンがある家は持っていないケースが多いかもしれない。

また、地震での転倒による火災発生などに気をつける必要がある。

灯油に限らずガソリン軽油といった石油類は使わずに一年間置いておくと

劣化してしまい煤が不完全燃焼が発生する可能性がある。

どうやら燃料劣化防止剤スタビルというものがあるらしい。

よく分からないが調べてみてはどうだろうか。

http://minkara.carview.co.jp/userid/355641/car/259411/1470407/parts.aspx

http://item.rakuten.co.jp/yusayusa/10000460/

トイレットペーパーラップフィルムの備蓄について

トイレットペーパーシングルで12コ入りのものを3セット準備しておくとよい。

これも最低2セットは維持しておくこと。

鼻紙から食器の汚れを拭き取るのにも使える。

水が重要な時に力を発揮する。(特に汁物を食べた時)

ラップフィルムは100m巻を使っていたが

備蓄としてはそんなに必要ではないかもしれない。

ダイソーイオンで売ってる40M巻を2本買って一本維持する形でいい。

水汲み道具の準備

折りたたみの水を入れるウォーターバックみたいなものもありますが

常日頃から水を貯めるということを意識して

ゴミ捨て場に捨ててある4Lの焼酎ペットか20L焼酎が入っていたキューテナーを保存しましょう。

焼酎が入っていたものなのでジュースペットボトルと違い、

衛生状態がいいので使いやすいです。

水専用のポリ管を用意してもいいです。

最高気温が20度以上(スプレーで黒く塗っておくと15度以上)

の気温になって晴れの日に4Lペットを日の当たる外に置いておくと

体を洗うのに丁度いい温度になります、一人が全身を洗うには16Lは必要です。

日頃から近くのゴミ捨て場でカンビンペットボトルの日にもらっていきましょう。

4本置いて温まったら翌日が雨でなければ新しく水を入れたペットボトルと交換して置いておきます。

一人当たり8本あるとスムーズに使えます。

これもLPガスが高いから考えついた方法ですが

夏場などで備蓄の水が多く必要になる季節にマッチしています。

今回は原発の影響で放射性ヨウ素水道に含まれていました

放射性ヨウ素131は半減期が8日ということで

テレビで学者さんが言うには一日10%ぐらい下がる的な事を言ってたので

それ対策と地震後に白濁が発生しやすいので

それを避ける為に貯め水用としても4Lペットは便利です。

ですが、大きすぎて蛇口から水を入れられない場合があります。

その場合は醤油などに使われている取っ手付き1.8Lペットに入れてから移すか

瞬間湯沸かし器の目盛を水にして入れましょう。

津波や計画避難など家を離れなければいけなくなった時に持って行けるもの

リュックサック一つ分と考えたほうがいい。

数日分の着替え、500mlペット2本、クッキーや飴玉などの最低限の食料

貴重品、モバイル機器 歯ブラシ等衛生用品 トイレットペーパー1個 ゴミ袋

赤ちゃんのおしりふき(体を拭く為) 使い捨てマスク トランプ双六ポータブル将棋

皮手袋 軍手

他にもあるかもしれないので教えて欲しい。

軽登山に必要なものを参考にするといいかもしれない。

災害に強いスーパーマーケット、災害に弱いコンビニ

今回思ったことがスーパーコンビニの差である

スーパーコンビニの一週間以上早く商品が入荷し始めたのに比べて

コンビニは遅く入荷数も少なかったのである

更にチェーン毎の復旧度合が明らかに違ったのだ。

具体的に書くと

スーパーの開店情報については河北新報で17日から掲載されるようになってきているが

26日時点で

ローソン 食品なし

ファミリーマート 山崎菓子パンコッペパンソーセージパン)、東洋水産緑のたぬき赤いきつねのみ

セブンイレブン おにぎり賞味期限が長い弁当(4日間ぐらい)業務用の牛乳、タマゴ、食パン

サンクスは閉店の所が多く比較できなかった。

同日にヨークベニマル、みやぎ生協、ウジエスーパーと回ったが

ヨークベニマルとみやぎ生協は頑張っていた記憶がある。

つまり燃料不足な状態では店舗数が多いコンビニは不利で

また最小ロットを1個からという必要な分を必要な分だけ

送る為には合同配送センターが必要となり

スーパーのように箱買いで直に送ってもらう事ができない構造が

立ち遅れを招いたと見ている。

スーパーには惣菜加工のキッチンが付いてることから

原材料が手に入れば加工出来てる違い

2011-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20110307163934

うちの親父は自転車故障して報告したとき

「俺が子供の頃は、自転車の修理なんか親に教えてもらってできるようになったけどな」

ってやっぱりドヤ顔で言ってた。そして父は私に自転車のやり方を教えず自分で作業をした

うちの親父も一緒だけど

俺は親父のやっている事を側で見ていて、

パンク修理覚えたな

文句は言うけど、「教える」のは下手な人だった

俺も「教わる」のは下手だった。

から、親父に文句言われるのが嫌で、黙って見て、覚えた。

そうはいっても、子供の腕力で(というか、テコの原理からコツなんだけど)チューブを出すのがなかなかできなくて

空の中、一人で必死にやってたら

黙って手伝いに来てくれた。

(ただし、その後文句たらたら言われた)

多分、教える方法を知らない親父さんは、そういう風に覚えていったんだと思う。

から、そういう風に学んで行く事ができない増田(や新入社員)を親父さんが理解することはできないと思う。

2010-08-14

夜 三好達治

 柝の音は街の胸壁に沿つて夜どほし規則ただしく響いてゐた。それは幾回となく人人の周囲を廻り、遠い地平に夜明けを呼びながら、ますます冴えて鳴り、さまざまの方向に谺をかへしてゐた。

 その夜、年若い邏卒は草の間に落ちて眠つてゐひとつの青い星を拾つた。それはひいやりと手のひらに沁み、あたりを蛍光に染めて闇の中に彼の姿を浮ばせた。あやしんで彼が空を仰いだとき、とある星座の鍵がひとところ青い蕾を喪つてほのかに白く霞んでゐた。そこで彼はいそいで睡つてゐる星を深い麻酔から呼びさまし、蛍を放すときのやうな軽い指さきの力でそれを空へと還してやつた。星は眩ゆい光を放ち、初めは大きく揺れながら、やがては一直線に、束の間の夢のやうにもとの座に帰つてしまつた。

 やがて百年が経ち、まもなく千年が経つだらう。そしてこの、この上もない正しい行ひのあとに、しかし、二度とは地上に下りてはこないだらうあの星へまで、彼は、悔恨にも似た一条の水脈のやうなものを、あとかたもない虚空の中に永く見まもつてゐた。

2010-05-17

外国人日本経験した心理体験

1978年、私が15歳の頃だった。親が近所の大学客員教授としてアメリカに来たという日本人の子がうちの中学校で1年過ごして、それから日本に帰ったんだけど、やっぱり無性に会いたくなって、おじいさんに夏休みの間に遊びに行かせてもらえるよう頼んだらOKしてもらえた。7月の夜に日本に到着して、ヘトヘトだったけどそれ以上に凄いテンションが高かった。友達とそのお母さんに客室へと案内してもらうと、そこは畳の床で、襖で仕切られた、その家唯一の和室だった。一室だけ和室にして残りは近代的な作りにするというのは、比較豊富日本の家では一般的なのだそうだ。友達のお母さんが部屋の押し入れから布団を出した時、押し入れの中から冷たい空気が抜けていくのを感じたけど、密閉された空間なら外気に影響される事もないだろうと、その時は特に気に留めはしなかった。その日の夜はぐっすり眠れた。

次の日の夜、目が覚めていた私は電気スイッチが消える音や二回の寝室の扉が閉まる音といった、夜が更けていく音を布団の中で耳にしていた。明日はどんな楽しい冒険が待ってるんだろうとワクワクしていると、微かに笑い声が聞こえてきた。きっと隣の家で集まりがあるんだろうと思ったけど、笑い声はどんどん大きく、そして近くなっていく。そしてやがて笑い声は・・・何というか、狂気じみたものになり、徐々に音量を上げつつ耳のすぐ側まで近づいてきた。起き上がって二回の友達の所へ逃げようと思った。目は完全に冷めていた。でも、筋肉一つ動かす事ができなかった。ここで私は子供の頃、日本へ発つまで受けていたヨガのレッスンの事を思い出した。きっと本能的に思い出せたんだろう。ヨガインストラクターは、その名前を口にするだけで負のエネルギーを浄化するという、東インド聖人マナの事を教えてくれた。もう何だろうがやってみようと思い、その聖人名前を言おうとした。しかし、言葉すら発する事ができなかった。恐怖は身を硬直させると私の本能が告げ、この恐怖の中とにかくリラックスしようと、夜の星空の中を浮遊する自分の姿を必死にイメージした。すると、やがて嵐のように乱れた私の周囲に落ち着きが戻り、今度こそ聖人名前を言おうと口を動かした。声に出す事は出来なかったけど、私の唇は微かに「ラマナ」という言葉を紡いだ。すると、あの耳に響く邪悪な笑い声はピタリと止まった。まるでスイッチを切ったかのように。体を動かすことが出来るようになった私は、二回の友達の所へ駆け込もうと思ったけど、何故かもう安全だと感じ、わざわざ起こすまいとそのまま眠りに落ちた。

翌日、友達の友達が私の歓迎会と称したお茶会に来てくれた。昨日起こった事を話すと、それは「カナシバリ」というものだと教えてくれた。霊体等が休んでいる人間にそうやっていたずらをするそうで、日本ではよくある事なのだそうだ。その他にも、子供が寝ている間に頭の向きと足の向きを変えるオバケの話など、日本幽霊の事を色々と話てくれて、私の経験も夢ではなく私が実際に起きていたという事を、特に抵抗もなく怖がりもせず信じてくれた。私の説明からして、あれは何か妖怪の類だと言い、あの笑い声を聞いたら誰だってそう思うだろうと思った。あの笑い声が、前の夜に寒気を発したあの押し入れの方角から近づいてきた事には後から気付いた。

この経験から、たとえ邪悪存在が近くにいても平常心を保つ事は大事な事である事を学んだ。その後に格闘技を学ぶ際に教えられた事も更にそれを裏付けた。かつてチベット僧侶がこのような事を言っていたのを覚えている。「怒っている時に攻撃してはいけない。外してしまうかもしれないからだ」

http://www.yourghoststories.com/ghost-stories-categories.php?category=10&page=1

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