はてなキーワード: リラックスとは
http://anond.hatelabo.jp/20111110111334
これの従弟だけど補足してみるよ
元増田の記事を読んで心配してくれた人のために現在の状況を書くと、従姉は退院して仕事復帰、従姪は平日は俺の家で預かり週末は従姉の家に戻る形で生活することになっている
生活費についてはこちらから特に援助はしていないが、従姪が俺の家にいる間にかかる費用を請求してないので、その分は浮いているはず
一緒に暮らしていない元増田が把握していなかったことを補足する
従姉のところの問題の源は元夫のDVと虐待
娘が気に入らないことをしたら「母親なんだから躾けろ」と妻に命じて体罰を強要
号泣したところで慰めて自作自演で娘の好感度稼ぐというのが従姉の元夫の手口
これを人間関係全方位で展開して孤立した相手を自分に依存させて支配していたわけだ
従姉は自分が子供に手を上げたことをとても悔いていて罪悪感をもって娘に接している、従姪は虐待された記憶を打ち破って何とか母親を愛そうと頑張っている状況
従姪は幼い頃母親が身体に触れようとするとビクッとなって目を瞑るような状態で、心や体が弱っている時にはその傾向が特に強かった
病気になった時など、母親が側にいるとリラックスできないので看病は他人に頼まざるをえない状況だった
親戚とはいえ恋人でも夫でもない独身一人暮らしの男性に娘の身の回りの世話を頼んだり、契約社員が正社員に仕事休んで自分の子の看病してくれと頼んだり、そういう選択をせざるをえない時点で崖っぷちなのは子育て経験がある人は想像できると思う
この手の話で従姉が凹んでいたのは母親スキルの低さを実感してよりも、虐待の結果を再認識してしまうからという理由が強い
時間の経過と共に母子関係も少しずつ回復していき、最近ではお互いうまくやっていけてるんじゃないかと思っていた従姉と従姪だが、そこで従姉の入院事件が起きた
距離をおいた途端に従姪の体調が良くなったことから、従姪にとって母親と一緒に暮らしていることがストレスだったことが浮き彫りになってしまった
それに従姉が気が付いてショックを受けたところに元増田が居合わせたわけだ
後に従姪もそのことに気がついて精神的にずいぶん荒れた
本人の認識では、拒絶意識は過去のもので今は母親のことを好きでいるつもりだったので精神的ダメージが強かった
その後話し合った結果、少し距離を置きながらゆっくり母子関係を回復させた方がいいだろいうということになり、現在の週末のみ母娘で暮らすという方法いこうということになった
あれは目の前で母親が倒れてショックを受けている従姪を元気付けるため無理してやっていた時期の話なので、365日継続できるものじゃない
1月だったのは確かだけど、第3週じゃなかったっけ。
私は10年前にセンター試験を受けた。英語の試験にリスニングは無かった。
8割以上得点でき、国立大学に現役合格できた。4年で卒業して就職して今に至る。
こうして書いてみると、就職まではレールの上を走るように順調にやってきた。
高校の先生はまずそんなことは言わないけれど、
社会に出ると(いや正確には学生時代も)、「浪人経験のある人はメンタルが強い」と言う人がよくいる。
浪人して大学に入るということは、若いうちに失敗して、乗り越えたということだから、と。
私が現役だと知っていてそれを言うということは、
「現役合格で苦労知らずのお前はちょっとメンタル不安だよね」という意味だと理解していた。
私は、ずっと腑に落ちなかった。失敗を回避する能力、努力よりも、失敗することの方がそんなに良いことなのか?と。
両親は、私は受験勉強中スランプに陥るたびに、「浪人してもいいんだから、リラックスしなさい」と励ましてくれたけれど、
本当は浪人させるほどのお金なんてなかったはずだ。やっとの思いで大学を卒業させてくれたし、私も奨学金を借りた。
高校生の頃にもそれを分かっていたから、何が何でも現役で合格するつもりだった。
あの努力、プレッシャー、親に余計な負担をかけさせたくないという気持ちが全部無になって、苦労をしらない人間になってしまうの?
若い頃に失敗する方がいいの?親のお金を使ってする、失敗体験が?
そりゃあ、社会に出て会社に損失を与えるような失敗をするよりはマシかもしれない。
なら尚更、いずれ失敗の許されない世界に出て行くために、失敗しないことを考える人間である方が良いのではないか、と。
お察しの通り、私はそういう下らないことで嫌味を言われる程度の人間で、また下らないことに頭を悩ませる程度の人間だった。
まさか毎日そんなことを考えていたわけではないけれど、最近やっと気づいた。
確かに私は、18、19歳で失敗を経験し乗り越えられる人間ではなかったな、と。
大学受験で不合格になるという、今思えば何でもないと思えるようなことでも、きっと乗り越えられなかったと思う。
という風に。
そう思うと、すっと楽になって、
「私はあの時は確かに弱かった。けど、今は違う。」と、堂々と言えるだろうと思った。
そして、もうそんなことを言われないくらいには、ちゃんと社会人をやっていると思う。
今日の試験がうまくいった人もそうじゃない人も、道は長いから、明日ものんびり頑張ってください。
おわり。
「実は厳しいトレーニングはしていません。太らないメカニズムを知って生活するだけで、体は自然とやせていくんです」と語るのは、2012ミス・ユニバース・ジャパンを指導するアスレチック・トレーナーの金塚陽一さん。ひたすらゆるくて楽チンな方法でみるみる変われるという金塚陽一式ダイエットの入浴に関するメソッドを紹介しよう。
金塚式メソッドの要となる自律神経。それを整えるのに欠かせないのが入浴だ。
「自律神経には体の働きを活発にする交感神経と、体を休める副交感神経の2種類があります。このバランスがうまく保たれていると、健康でやせやすくなります。湯船につかると副交感神経が優位になり、リラックスして精神状態もよくなるので、免疫力もアップ。入眠しやすい状態にもなるので、どんなに疲れていても、夜は湯船につかることをおすすめします」と金塚さん。
また自律神経を整える効果だけでなく、入浴時は、直接的に“やせる”テクニックも駆使すべき。
「風呂上がりには、一度冷やすことで体温を上昇させる褐色脂肪細胞を冷水で刺激することも忘れずに。このひと手間で、エネルギー燃焼率のいい、やせやすい体を作ることができます」(金塚さん)
脂肪には、エネルギーを蓄える「白色脂肪細胞」と、エネルギーを燃やす「褐色脂肪細胞」の2種類がある。「体が寒さを感じると褐色脂肪細胞が活発化し、体温が上昇。エネルギーを燃やす代謝のいい体になります」。ダイエット効果の高い金塚式入浴法を、順を追って紹介しよう。
【1】水は入浴前に飲む
入浴前にコップ1杯、入浴中は500mlのペットボトル1本、入浴後もコップ1杯の水を飲むのが理想。常温か白湯が◎。
【2】体温にも近いぬるま湯に
37~39℃の体温に近いお湯のほうが発汗しやすい。湯船には10~30分、トータルでも30分~1時間はいるとよい。
【3】上がるときは冷水を
わき、股間、背中、ひざの裏部分が、エネルギーを燃やす褐色脂肪細胞の多い箇所。心臓に遠い部分から少しずつ冷水をかけて。
【4】1時間以内に寝る
素直だなー。
いやいや、その素直さって貴重なんだけど、頓珍漢な人間にはなかなか通じない場合があるから、ある程度のスルー力って必要になってくるよ。
まずは、息抜きする時間を確保して、友達と会ったり、好きなことしたり、自分がリラックスできる時間を大事にしていったらいいよ。
そこから、「お前が言うな」な奴をどうあしらうのか、またそいつとの対決時間は自分にとって有益かどうか見定めて、何かの役に立つならその攻略方法を真剣に考え、「人生のムダかもしれない…」と思うなら適当にスルーして、自分の目の前の仕事をこなしていくほうがいいだろうな。
何事もほどほどに頑張れ。
射精前後で男性は豹変します。射精後の男性は、それまでとはうってかわってダルく眠くなります。どうして賢者タイムが起きるのでしょうか。
射精した男性の脳内では、ノルエピネフリン・セロトニン・オキシトシン・バゾプレシン・NO・プロラクチンなどの物質が放出されます。
プロラクチンが放出されると性的満足が得られ、また「二回戦」をはじめるまでのラグを生じさせます。
このことは研究でも分かっていて、プロラクチンを欠く男性はより早く復活します。
プロラクチン濃度は睡眠中では高いです。プロラクチンを注射された動物はすぐに疲れた状態に入ります。
余談ですが、セックスのほうがオナニーより眠くなるのもプロラクチン説で説明できます。
理由は分かりませんが、セックスのほうがオナニーより4倍プロラクチン放出されることが研究で分かっています。
オキシトシンとバゾプレシンが放出されるのに伴いメラトニンが放出されることが多いです。
メラトニンは睡眠に関連するホルモンで、体内時計を調節します。
オキシトシンはストレスレベルを軽減させるとも考えられていて、これもまたリラックスと睡眠を引き起こすと考えることができます。
進化論的には、オキシトシンとバゾプレシンはパートナーとの感情的結びつきを高める作用もあるので、子孫を残すのに有利に作用します。
賢者タイムが存在する正確な理由を説明できた人はまだいませんが、以上に述べたような生化学的・進化論的解釈が存在します。
詳しくはhttp://scienceline.org/2006/09/ask-wenner-sex/をみてください。
http://anond.hatelabo.jp/20110918100006
「ある体操法と出会って1年で人生が変わった」話を頼むから拡散してくれ」を書いたものです。
前の記事に関して「結局こういったいろんな健康法があっても答えがいつまで経っても出ないねえ」というコメントがあった。
体操法を調べている時に、感じたことと凄く似ている。1年以上前から(ゆるに出会う前から)
つまり筋力増やしても、力みがあったら、その力は使えないし、ボディビルダーみたいに見せる筋肉にならない限りは無意味。
加圧なんかは、一般レベルがやるには、その域から脱せない気がする。
古武術系から何から、リラックスという言葉がたくさん溢れている。とにかくリラックス大事
背骨とか肋骨とか、胴体が力の出力源。
鞭の末端(腕とか脚とか)ばかりを鍛えるんじゃなくて、そもそも腕とか脚とかは力抜いておくことが大事だと。
鞭の途中に重りをつけたらそれを支えるための筋肉がまた必要で力みが出来てしまう。
じゃあ根元は力強くするのかといえば、そうでもないらしく、胴体の筋肉というのは想像以上に固まっているから、適度に力は抜いた方が良い。
胴体にも表層深層があって、深層にだけ力が入っていればいい。スポーツやっている人なら腸腰筋というのは有名じゃないだろうか?
腹の奥だけ力を入れて、表の方は抜くのが大事。というより表を抜かないと、深層に力が入らないという仕組みらしい。
力を抜きまくると必要なところに必然的に力が入っていく。体感的にはそういう感じになってくる。
「法則性なんて見つけても出来ないもんは出来ない。力抜けっつても、どうやって?」という話になっていた。
例えば肩こりなんかでも長い間、凝り続けていると、こっているかどうかすらわからなくなる。
なのに「リラックスが大事」って書かれても、リラックスできないだろ!というループに陥っていた。
やっている内に勝手に力が抜ける方法論が、いいと勝手に結論付けていた。というより、でなきゃ「絶対続けられない自信」があった。
だからゆる体操に出会う前は、やるのが楽な「胴体力」ばっかり一時期やっていた。
ゆる体操に出会ってからはゆる一択だったけど。めちゃくちゃ楽だから。
自己啓発書読んで結局何もしないのに、批判だけやるような馬鹿にはならないで欲しい。
慣れない人でも今回書くコツを見て、1週間続けてほしい。
あとゆる体操のコツは「擬態語を絶対につぶやく」ことです。つぶやかないより効果が数倍あるとかないとか。俺はあると思います。
拡散理由は仕事がめっちゃくっっっっちゃ辛かったところから解放されたキッカケだったから。
昔の自分みたいな人を減らしたいという思いから、思いつきで書いた。
高岡さんは色々な噂がある人です。検索するとその「色々」は出てきます。
それを先に知って「やってたまるか」で終わらすにはもったいないメソッドがゆる体操。
で
1 怪しいと思うなら、距離をおけばいいと思う。
このご時世の中辞めるなら、あなたの能力はできることは何かを具体的に意識すべき。
マネージメントとかいうなら、どんなマネージメントか、今までやってきた仕事の内容を含めて再考してください。
そして、あなたが今いる企業でどんな位置づけか考えてみてください。
10年先あなたが今の会社に居続けて、もらえる給料金額と生活費などの支出金額を考えてみてください。
次の職場が必ずしも今よりよくなるとは限りません。
ちょっとリラックスしてみてください。
そして、バーにでもいって知らない人と話してみてください。
そして、改めて考えてください。
あなたは本当に何をしたいのか。
追記 :ごめんなさい、小学校受験って書いたけど書き間違い。中学受験の話だよ!・・・いや、ほんとにごめんなさい。恥ずかしいです。
特に、友たちを敵視するような発言をしている親の子供が合格する可能性は低い。
2 「勉強のカリキュラムは塾が、精神面は友人が、身体面は親がサポートする」この基本的な役割を極端に逸脱する家庭では確実にうまくいかない。
親が最も力を発揮するのは、褒めることと、調子がわるい時にフォローすることであり、それ以外に考えなしに手を出すと大抵悪い結果になる。
3 子供が主役で親はサポートであるという原則が理解できていない家庭は確実に失敗する。
例えば親の子供の勉強のやり方に細かく口を出す家は途中で挫折しやすい。
今ひとつぴんと来なかったので、「駄目な方じゃなくて、子供を合格させるために心がけていることは何?」って聞いたら
それは「子ども自身が勉強や、塾を楽しいと思えるようにすることだ」って教えてくれた。
一言で塾に行くと行っても、
みんなが遊んでる中自分は塾のために早く帰らないといけなかったり、
行き帰りで電車に乗らないといけなかったり(車で送り迎えする人もいるが)
2時間座りっぱなしで授業を聞かないといけなかったり、
試験の成績が思うようにうまくイカなかったり、
どうしても勉強に身が入らない時もある、と。
そういう時に例えば一緒に勉強する友達やライバルがいるといないで踏ん張りが全然違うし、
自分の力で頑張っているんだという思いが強くなればなるほど勉強も楽しくなる。
親が塾の先生の信頼を失わせるような発言をしたり(複數の命令系統)
子供のコントロールを奪うようなことをすると、子供のヤル気がみるみる無くなってしまうのだ、と。
そのためにも、自分がもっとも役に立てるところはどこかを理解して欲しい、と言っていた。
ところが、何度保護者向けに説明をしても、分かってもらえないことがある。
特に、成績が悪い子供の親に限って、一から十まで全部親が口出しをしてしまう。
成績の悪さを友達や塾、さらには子ども自身が真面目にやってないからだといって敵視してしまう。
しかも、成績がどうしても上がらないとき、子供に向かって諦めの言葉を投げかけたりする。
必要以上に気負って空回りを続けた挙句、先に焦げ付いてしまう。
この人が働いている塾では、2年前から夏休み期間中、成績が悪い子供向けに合宿形式を取り入れることにしたらしい。
スパルタ形式をイメージしていたが、実は子供を親から引き離してリラックスさせ、ヤル気を取り戻させることが主眼だという。
ところが、去年、早速一人の親が、合宿所に乗り込んでくる騒ぎがあり、存続が危ぶまれているのだとか。
なんというか、子供も、それを教える人も、真面目にやればやるほど大変だなぁ、と思う。
これでも塾はまだ裁量の幅が広いほうだと思う、学校はもっと窮屈そうだ。
追記2:受験と人生とは関係ないという人がやたらと多いですね。受験に失敗したほうが人生成功するとまでおっしゃる方も。
まぁそうかもしれませんが、ここでは受験というプロジェクトの話をしているので・・・。
その感想、というか持論なんでしょうがこの記事に対して書く必要があるんですか?
受験関係の記事がホッテントリしたら自動で吐き出すBOTですか?
はてブのコメントって時々「記事読む必要あるの?」って思う結論ありき、どころか記事読んでないかのようなコメント書く人が多くてうんざり。
この話を聞いた後でも、個人的には中学受験の頃は、親はもっといろんなことをやらなければいけないと思っています。
だから、こういうところが違うのでは、って言うのは大歓迎ですよ。
追記3:「プレジデントファミリー」を読むような親は最初からこの話の対象外です。
追記4:あとね、学歴の話する人多いね。あえてそれをこの記事から切り離して書いても、その話に還元したがる人が多いのね。
確かに低学歴の親御さんは、自分の受験経験から正しいやりかたが何か分からないかもしれない。
でも、だからこそ、最低限のラインあるいは、一番大事なことは何かを聞いて、それだけは守ろうね、という話を書いてるわけです。
それを「低学歴だからしょうがない」でスルーされると、この記事全否定なわけですよ。マジで勘弁して下さい。
自分が低学歴で無知だと思うならなおさら情弱でもなんでもいいからプレジデントファミリーとか読めばいいんじゃないかな。自分より塾を信頼したらどうかな。
じゃぁ俺も便乗してみよう。
基本自炊だけど冷凍ものは味が落ちすぎて食わない&常備菜は勢いで作るけど平日はだらすぎるので食べ損ねる&整理整頓が致命的に下手な俺のずぼら術だ。
刮目してみよ!むしろ何も言わずにタブを閉じるべきかもしれん。
強迫症なところがあって、やらなきゃいけないと思うとできなくなるタイプ(だけど味が悪いものは絶対に食べれないとか、汚いトイレには入れないとか、ごみや洗濯もののにおいがすると発狂するとかそういうこだわりはある)なので主に俺のメモです。すみません。あと料理は好きだな。
これだけ。掃除機かけ忘れ安いのだけ注意だ。
でもなんとなくあいたシャンプーボトルとかが転がってたりする……
あと髪の毛困る
料理しやすいように配置すれば決まったところに戻すので特に散らからないなそういえば
とにかく場所をとらない・作業を毎日の日課してめんどくささを半減させるということを重視しているので道具はあまり買わない。
あと機械動かしている間にほかのことができるとかだとマジで忘れるので、基本的に便利道具は使わない。洗濯機と掃除機と冷蔵庫があれば俺には充分なんだ…それ以上はキャパオーバーだ(つうかやってたこと忘れる
布団乾燥機とか買ったはいいけど埃かぶったまんまになるのは目に見えているので買っていない。
食器洗い器・乾燥機・炊飯器も同様だ。洗濯機だけはないとどうしようもないので持ってるが、一時間待つのが辛い(忘れる)。
これを読んでいたらもやもやしてきたので書く。
4つだけは本当だということじゃない。
8つすべては「真実」に近いと思う。
実践できれば楽に生きれると思う。
それがいいとか悪いとかいう問題じゃない。
ただ、この理論だけでは結果的に不十分だとおもう。
いったいなにを欺いているのか?
リンク先で語られている内容よりも
語られなかった内容に注意してほしい。
1、今に生きる
過去を悔やんでたらればを繰り返したり、起きてないことをあれこれ憂いたりするのは時間と労力の無駄遣いで非生産的。
2、人や社会に期待をしない
求めたり「こうあるべき」とイメージを持ったりすれば、現実との差異にがっかりすることになる
自分が見ている他人は、他人という物質に反射して映った自分だと考える。
その出来事を通して味わいたい思いや学びたいことがあるからそれを引き付ける。
こうしなきゃ、こうでなきゃ、というのは自己満足であって、大抵の場合は不必要
6、ワクワクするものごとを選ぶ
選択の連続の人生で、自分の心がワクワクする方を正直に選ぶのが一番スムーズ。これができないと葛藤やジレンマに苦しむ
7、自分の行いは必ず帰ってくる
きちんと受け止めないでぶつかった時に、痛いと言って責任転嫁しようとしても事は進まない。
自分が受けたい言動をとればそのまま返ってくる。
8、物事は全て中立
「悪い出来事」「縁起の良い場所」なんてのは本当はなくて、全て中立な物事に自分が意味付けをしてるだけ。
たとえば同じ場に居合わせて災害にあったとしても、ある人はたまたま見舞われたと感じるし、ある人は自分の宗教の教えを遵守しなかったからと捉えるかもしれない。
ぐうの音もでない。
いろんな本を読んだり、テレビを見たり、人と話したりすれば
わりと納得できる考え方だなーと。
(というかこれがわからないとしんどい)
しかし、正しいということとそれが妥当であるということはまた別の問題だと思う。
でも、とりあえず
ということはほぼ間違いないと思う。
世界じゅうの人がみんな
この方法を身につければ
きっと生きやすい世界が目の前に広がると思う。
ちょっと想像してみよう。
(親、兄弟、親戚、同級生、上司、同僚、社会のしくみ、政府、日本、テロリスト、なんでも)が
もし、これらの特性を身につけたならと考えてみよう。
こりゃパラダイスだ!
ぼくたちはお互いがお互いを認められるような
真に寛容な社会を実現できる!
誰と遊んでいようが楽しい!
よーし!あの丘の上まで競争だ!
これらの方法に従うことで楽に生きられると思う。
でもそれは「従うことができれば」の話。
実際、どこの場でも目にする。
「人生論」でも、「大往生」でも、「論語」でも、「エセー」でも、「徒然草」でもなんでもいい
長く広く読まれている「人生の教え」的な本を読んでると
最後にはだいたい前の8つくらいに収まる
(代わりにどっかの社長の話を聞いてもいいし、テレビで美輪明宏さんの話を聞いてもいい)。
昔の人は偉いなあと思う。
そういう感じの本はいろいろ読んだ気がする。
もちろん、まだまだ読み足りない。
なにせぼくはまだ今年から活字に触れはじめたばっかりだ。
きっと死ぬまで読んでも読み足りないのだけど
個人的には、ぼくの考えを
そういう本が「間違っている」と指摘してくれることを期待して
今のところ、ぼくの考えを「否定してくれる」本は見つからない。
いや、正確に言うと、否定してくれはするけども
それが納得できないのだ。
ぼくの読解能力がないだけならそれでいいんだけど
もしヒマならちょっとぼくの考えを聞いてほしい。
まず1つめのウソ。
ぼくが言いたいのは
すべての人間がこれらの方法を実行するのは不可能だということだ。
古今東西のえらい人がみんな同じ結論にたどりつくなら
さっさとそれを実行すればいいのに
なんで同じ内容の本ばっかり書かれていくんだろう。
それが人間全体に広くみられる普遍的な問題だからじゃないかなあと思うけど
じゃあ、なんでその普遍的な問題が
大昔から今まで解決されないままなんだろう。
般若心経の新訳を読んだ。
ぼくらはなんで2000年も前の真理がいまだに実行できないの?
そりゃあれじゃないの?
大笑いしながら観ていた。
その中の一作で寅さんの「おいちゃん」が
実は若い頃は文学をやりたいと思っていたと話すシーンがある。
おいちゃんは父親にこう言われたらしい。
「団子屋に文学なんか必要ない」
団子屋が文字を読む必要がないなら、
本なんてまったく読まない人がいてもおかしくないんじゃないだろうか。
これは団子屋だけの問題か?
かなり多く存在してるんじゃないのか?
それでなんの不自由もなく生きていけたなら
感覚だけで生きていくことを恥じることもない。
それどころか、論理的なことをバカにさえするかもしれない。
難しいことはわからない。
バック・トゥ・ザ・フューチャーを何十回も観てるのに
なにがどうなっているのかいまだに理解できてない。
でもそれがどうした?
バック・トゥ・ザ・フューチャーの理屈がわからなくてもなんの不自由もない。
熱心な仏教徒や
わかりにくいな…。
その最初の救いを信じていたら
いつのまにか犯罪者の仲間入りをしていたことだってあるみたいだ
(オウム真理教の元信者のそういうエピソードを読んだことがある)。
「念仏を唱えれば救われる」って
そそのかされただけじゃないのか?
バック・トゥ・ザ・フューチャーがわからないお父ちゃん。
念仏を唱えるだけの百姓。
そういう人たちがいるかもしれないと思ったことは?
つまり、ぼくが言いたいのは
読めない人がいるかもしれないということだ。
読んだ人に待ち受けているのは
でも、読んでない人はどうすりゃいい?
で、その論理を理解できなかったら?ほったらかし?
そりゃあもう素晴らしいことになるとおもう。
でも、現実はそうじゃない。
何を語っていないかをもっとよく考えたほうがいい。
この人生訓がなぜいいのかということを
絶望的なまでに理解できない人がいる。
そういう人たちは人生訓が提示されるたびに足場が少なくなっていく。
要するに勉強ができない、感覚で生きている人たちをないがしろにしているのだ。
このたぐいの人生訓すべてが。
掛け算までしかわからない子どもに、方程式の素晴らしさを説いているようなもんだ。
上から目線で「こうしたらいいのに」と言ってしまってることになる。
いつまでも掛け算のところでつまづいて
文句ばっかり言ってる子どもはほったらかして先に授業を進めるべきなの?
掛け算のところに戻って教えなおしたほうがいいんじゃないの?
やっと言いたいことの一つが終わった。
冗長になりそうだけど
もうひとつ言いたいことがある。
更に絶望的な想定だ。
さて、こんな文句をどこかで見たことがあるだろうか。
(まちがってたら言ってください)。
なんかさぁ…
内容自体はそんなに変わらないのに
急にうっとうしくなった気がしない?
どこかで見たことあるなあ…
これどこで見たんやろう…
ああ、そうか
「これ、うちの経営理念やわ」っていう人いる?
その時どんな気分がした?
殺したくなった?
泣きたくなった?
正義づらした誰かに強制されるのだ。
それが「楽に生きる」とは真逆の事態を連れてくる。
この想定のたちの悪いところは
その大義名分が「間違ってない」というところだ。
誤解なら間違ってると指摘することはできるけど
ほぼ正しいと思う。楽に生きるためならね。
え?
間違ってないなら実行できない人が無能で怠惰なんだから仕方ないって?
wikipediaによると2009年の時点で日本のニート総数63万人
彼らがみんな死んでしまえばいいと思うの?
賢くて強い人だけ生き残ればいいと思ってるの?
ニートだけじゃない。実際働いている人でも
(実際これだけの説教レパートリーがあれば人格を破壊するには充分すぎるとおもう)。
(統計を出すつもりはないけど)。
1つめのウソで言及しているような
感覚で生きていて、なおかつこういう人生訓に苦しめられている代表選手は
2つめのウソで言及しているような
こういう人たちはまとめて死ぬべきなのか?
損する人のほうが多くないか?
そう考えたら、「人生を楽に生きる8つの方法」が最後の答えだと思えない。
この考え方を否定してもらいたくてそういう本を読んでいた。
でも納得できない。
これでは救いにならない。
でもいつまでも状況に進展がない。
だれか否定してくれよ。
「おまえ間違ってるよ!」って。
1つめのウソについては別の解決策が見当たらないし探そうともしてないけど
そして、その解決策をこの場で披露することを許していただきたい。
枠組みを作ろうと思う。
ほとんど働かなくてもいいような枠組み。
楽観的な言い方をすると、これは収益を生み出せるかもしれない。
そうして、口やかましい人たちを黙らせる
http://auauai.tumblr.com/post/9080858048
これはブログでも書いてるけど
やりたいことはphaさんのギークハウス構想に似てると思う。
優しくて閉鎖的な空間だ。
個人的にはなるべく一人でいたいんだけどそのためのコストが高い。
そういう人と連帯を組むことはしたくない。
じゃあ、ぼくが怖がらずに近づけるのは
そういう人たちととりあえずお互いを認め合う。
自信を少しずつ取り戻す。
まずはそこからだ。
誰だって生きていていいんだという相互理解をつくることだ。
心底、世の中に絶望していた。
どれも納得できなかった。
共感をもたらしてはくれたけど
やっぱり現実はしんどいままだった。
山の中に草庵でも建てて住もうと本気で思っていた
(いまでもその選択肢を考えてる)。
いくら本を読んでも
現在の恐怖と、わずか数年後の不安を解決してくれるものすらなかった。
でも最近考え方が変わった。
それもやはり本を読んで変わった
(次に挙げるだめ連の本とはまた違う本だ)。
だめ連の本によると
連帯すると分散される(当たり前か)。
家賃10万円の家を10人で借りたら一人1万円だ。そういうことだ。
近隣の人の援助もあったらしい。
それはちょっとできるかどうかわからない。
でもぼくらにはインターネットというツールがある。
レゴ作って2chにスレ立てるだけでプロビルダーになる人がいたり
自分の顔を毎日撮って繋げただけの動画がYoutubeで何万再生もされたり
「ありがとごじゃいます」って歌って動画として公開するだけでテレビに出演できたり
要するに「好き」とか「やってみた」とかの
ということは
そういうしょーもないアイディアが収益化する可能性があるのだ。
ちょっとでもおもしろそうなことはなんでもやってみりゃいいのだ。
社会不適合者が集まっているということだけでもちょっとおもしろいかもしれない。
誰が許さなくても本当は関係ないんだよね。
心苦しさを飛び越えるほどの、欲求があればぼくらは動ける。
外にある楽しいことに手を出すのは怖いしめんどくさいけど
ネトゲくらいならちょっとやってみようかなーなんて思える。
とりあえずヒマならその家に集まってみて
生きるのに向いてない人がリラックスできる場をつくる。
なんかちょっとやる気出たり、アイディアわいてきたら
そういう人たちの「好き」とか「アイディア」を片手間でネットに発信してみる
(ぼくもいくつかアイディアがある)
奇しくもこの考え方は
楽しいことだけを追い求めて生きていくことが可能かどうか確かめたいのだ。
しかし、生きるのに向いてない人がラクになれる場所
(SNSでの付き合いで世界のツラさを「ごまかす」だけじゃない場所だ)
これができるだけでも意味はあると思う。
もうだから早く家借りよう。
とりあえず、ツイッターかmixiかメールかなんでもいいから連絡をください。
http://twitter.com/yukkun1986/
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=25533767&from=navi
breed0902@gmail.com
(悪いことをまったくやってないってことじゃないけど)。
たすけてくれよ。「私も怖かった」って言ってくれよ。
怖いよねー(*´・ω・`)(´・ω・`*)ネーって慰め合おうよ。
別に住まんでもいいのよ家には
慰めとか遊びとかアイディアの拠点にするねん。
もう疲れた。
もう待てない。
もう泣きたくない。
誰かが泣くのも見たくない。
きみは死ぬな。
それでも生きれるようにしたいのよ。
ぼくもきみも。
これがぼくらの「楽に生きるための一つの方法」じゃないかと思うんだ。
コメントに返事を書く!
なげーよ。
ごめんなさい。短くしようともしてませんでした。
短く的確に書ければいいなと思います。
書いていくだけでその練習になればいいななどと虫のいいことを思ってます。
誰も強制してないし、できない奴を馬鹿にしてもいない。自意識過剰/自分以下を眺めて満足したいだけでは?/「5. 自分がいなくても世界は回る」の「自分」は語り手を選ばないからこそ「楽」につながる
日本語の曲は集中できないというか気分がのらない。英語の、好きなアーティストの曲は気分がのる。でもこれは音楽性の好みの問題だと思う。
あくまで気分が乗る、であって集中とは違う。徹夜でへたれそうなとき、好きな音楽かけると一定のテンションは取り戻して頑張れるという感じ。
趣味で絵を描いたり、プログラミングしたり、ゲームを攻略したり、本を読んだりするときの音楽はリラックスするための音楽。徹夜でへたれそうなときにかけるテンションあがる曲とは別。
そういうのは下手に音楽かけるくらいなら、無音のほうがいい。無音といっても本当の無音はだめだ。風に木がそよぐ音、雨の音、鳥の声、自分の場合こういうのが一番リラックスと集中を両立できる。だから夏はまどあけっぱなしで何も音楽かけないことが多い。
テレビの雑音は効率を滅茶苦茶落としてくれる。テレビに興味を惹かれるから効率が落ちるんじゃなくて、興味のないつまらん音が無理やり入ってくるのがストレスになって効率が落ちる。バラエティ番組がクソも面白いと思えないので、バラエティ番組を流されると全く集中できない。逆に Al Jazeera English なんかは音楽代わりにかけっぱなしで仕事できるし適度に内容も見れる。
(四六時中苦手なテレビ番組の音がするような環境にいたら、自分も「音楽かけて打ち消さないと集中できない」状態になると思う。音楽かけないと集中できないという人は、なにもしていないときの音環境にもよるのではないでしょうか。)
絵を描きたいと思ったとき、動機は何でもいい。
すばらしい絵を見て感動したとか、いつも抜いてるロリコン漫画みたいなのを描きたいとか、どんな高尚なものでも低俗なものでも良い。
とにかく理由があるなら、絵を描くのをためらわないことが大事だと思う。
はじめるのに必要なのは鉛筆と紙だけ。こんなに安上がりな趣味もない。
絵を描くことをためらってしまう人は結構多い。特に20代も過ぎて、オタク趣味が高じて絵描きに興味を持ったみたいな人に多いと思う。
今までずっと消費する側で、自分は作る側になれるんだろうか。小さい頃から描いてるわけじゃないから、もう遅いのではないか。
はっきり言うと、気持ち次第なので手遅れだとも言えるしそうでないともいえる。
なぜ子供の頃から描くと絵が上手になれるのかと言えば、子供には絵に対する偏見や抵抗が何もないからだ。
大人のように「いい年こいて幼児レベルの絵しか描けない自分が恥ずかしい」なんて思わない。
この気持ちさえ持てればいつから始めても絵はうまくなる。
焦ってしまう人は多い。
特に、絵を描く段階で何が描きたいのか決まっている人などがそうだ。
「可愛いロリ絵を描きたい」などと明確にビジョンがある場合、能力が追いついてないのに焦ってしまう。
そうすると、だんだん精神が圧迫されていき、「絵は描きたくないけどロリ絵は描きたい」という非常に複雑で矛盾した状態に陥る。
こうなってしまうと、絵を描くことが苦痛になり、理想とは程遠い現実に絶望することで「才能がない」という無意味な思い込みを抱き、
やがて心に深い傷を残したまま絵を描くという行為をやめることになる。
この状態から抜け出すのに重要なのは、「子供のように」絵を描くことを楽しむということだ。
絵を描くことは実に楽しい。自分が見たものを、そっくりそのまま平面に再現出来る。まる、しかく、さんかく、そういった図形を丁寧に描いて見たり、
簡単な立体を観察してみたり、あるいは音楽を聴いたりリラックスするのも良いだろう。
絵を描く時、とても大切になるのは「落ち着いた心」と「絵を描くのが楽しいと感じる心」だ。
ここで紹介するのは、絵を描いているのに絵を描く以外のことばかりしてしまっている人々だ。
彼らは絵が上達する見込みが低いか、全く上達しない。なぜなのか。
お絵かき講座をしている中で、特に絵がたいしてうまくないのに講座をやっている人はこのタイプだ。
なぜ彼らは絵が下手なのにお絵かき講座などということをしているのだろうか?疑問に思う人も多いことだろう。
おそらくだが、彼らは手をつかって絵を描くよりも「ノウハウ」をひたすら探し続けた人々なんだと思う。
つまり、誰かに絵を描く技術を教えられるくらい知識だけは身についたが、絵の練習はしなかった。
こういったタイプは、確実に「自分には才能がない」と思い込んでいる。思い込んでいるので手っ取り早く絵が上達するテクニックを探すが、探しているうちに絵を描く気力がなくなってしまったのだ。
稀なタイプだが、絵がうまくないにも関わらず自分のサイトをグーグルなどを利用して宣伝している人がいる。
宣伝にかかる費用は自らが出さなければならないのに、なぜそこまでして自分の絵を宣伝したいのか。
このタイプの人々はつまるところ絵を描きたいのではなく「絵がうまくてちやほやされている人」が羨ましくて彼らのようになりたいのである。
これは何も絵に限ったことではない。彼らはたまたま絵を選択しただけで、一般化すれば「才能に恵まれて人々に注目される」ことをあまりにも強く望みすぎている。
注目される人というのは別に注目されたくてそれらを続けているわけではない。(ただし、お金が絡んでいる人の中には、注目されるために何かをしている人もいる)
そのことに気づくまで、彼らは宣伝費をどぶに捨てながらサイトカウンタを気にする無駄な日々を送ることになる。
絵が上手くなりたいとき、小手先のテクニックは全くと言っていいほど必要ない。
必要ないというのは多少語弊があるが、つまりはこういうことだ。「テクニックは上達していく過程で発見するもの」
巷に溢れるテクニックというのは、無意識的な上達過程のある一部分だけを切り取って言語化したものであるに過ぎない。
だから、一定程度の真実は含まれているが、それを座学で真面目に勉強したところで、身につくのは左脳的な知識だけだ。無意識で処理できるものを意識的にやると上手くいかないことが多いのは、たとえば無意識で処理されている自転車のこぎ方などを意識的にやってみるとわかると思う。
答えは一つである。
「自然を観察しろ」
人間が絵を描くというのは、「自然を模倣する」一つの形でしかない。
だから、身の回りのものや人、あるいはテレビに映る映像や写真をよく観察し見よう見まねでそれを模写したりなどするだけで、絵は上達する。
自然や写真ではなく、他人の絵を真似たりするのももちろん有効だ。その場合、ある程度まで上達したら彼らの絵から離れる決意が必要になる。
慣れてくれば、様々なイメージがストックされ、自然を観察しなくてもイメージだけで描けるようになる。そこまでいけば、上達したと言うことは出来るだろう。
絵を描くというのはそれほど複雑な行為ではない。ものを見て、それを写し取る。それが目の前にあるものか、心の中で見えるものかの違いはあっても、基本的にはそれだけなのだ。
自然を観察といっても、何を観察するかは人によって異なる。
人それぞれだから別に書かなくてもいいことなのだが、一応アドバイス的なもの。
もし絵を描くのがほとんど初めてな人だったら、まずは単純な自然物から描くのがいい。
単純というのは、「動かない」ということも含まれる。
つまり、描く順番としては植物→動物→人間がいいのではないかと思う。
人体がこの世で最も複雑な自然物であることは疑いなく(だからと言って種として優れているというわけではないけど)、ポーズなども含めればさらに複雑になる。
客観的に考えれば、非常に非効率で誰も得しにくい考え方なんだけど、なかなか抜け出せないんだよね。
「完璧主義でもなんでもなくて怠慢なだけじゃねーか」って一蹴する人は、こういう考え方をしてしまう人を理解出来ていないんだと思う。正論だけど。
この考え方は、自分を苦しめるだけだし、結局成果が出にくくなって周りにも迷惑をかけるというLose-Loseの結果につながりやすいから、直せることなら直したい。
ということで、一年くらいかけて考え方の矯正をしてみようと思う。実験だ。
その方法をここhttp://goo.gl/oiywlとかを参考にして考えてみた。
まずは
①自分がオール・オア・ナッシングの考え方をしやすいことを認め、その考え方は非効率であることを認識する
次は、いろいろ方法があるから、並行していくつか試してみようと思う。
最近試しているのが、
で、これは瞑想とかイメージトレーニングとか、やり方はいろいろあると思う。
オール・オア・ナッシングの考え方をしやすい人ってストレス発散とか、サボり方とかが下手なんだと思うんだよね。自分はそうだ。
うまくリラックスする術を持つことで、コントロールの精度を上げたい。今ところ第二までは習得した。
他には何がいいかな。
ということがいいだろうか。完璧な状態に焦点を合わせるのではなくて、0から始めてどれほど増えたかということに合わせるよう意識しよう。
これって自分がダメな存在であることを認めるということでもあると思う。「自分は完璧な存在だと考えてみよう」とか書いている人がいたが、それは逆効果だと思う。実際オール・オア・ナッシングで成果が出にくくなっているのだから、その点を認めて、だめならだめなりに頑張るかという勢いが必要だ。
合言葉は、
だな。
おっと、でもこの方法ってあんまりダメダメ言っていると自分を責めることになるから、注意が必要だ。まだまだ、自分を責める癖は治っていないようだ。忍耐が必要らしい。
夜の反省の項目に、「今日一日で何ができたか?」を追加しよう。
あとは、
ことにしよう。評価は80%からの乖離の小ささで考えて、90%は目標設定が甘くて70%と同じ評価、さらに100%は目標設定が甘すぎて60%と同じ評価といったように。
結構頑張ってみてやっと80%達成できるような目標を立てる能力を高めることが大事。1日12時間勉強する計画を立てて、達成できないと諦めるパターンは、計画を立てる能力に問題があるはずだよね。
⑤やらないことリストも作る
⑦優先順位を「書きだす」
⑧毎朝部屋を少しだけ整理する
とかかな。
以上!
あとは適宜修正してやってみること。ダメならダメなりに努力あるのみ!
まとめ
②自律訓練法を続ける
⑤やらないことリストも作る
⑦優先順位を「書きだす」
⑧毎朝部屋を少しだけ整理する
どうも3年くらい相方と繰り返しケンカし続けて思ったことなんだけれども。
こちらの我慢の限界と、相手がこちらを気遣うかなにかをして行動し始めるまでってほんのわずかの差なんだと思う。
私たちの場合、デフォルト状態では、こちらの我慢の限界がちょっと先に来るみたい。
その結果、相手も腰をあげようとしていた瞬間に怒られるもんだからスネる。
そうするとこちらもますます腹が立ってしまい、お互いに膠着状態になる。
お互いに欲求不満を持て余して長期的にじりじりしてる間に最初のケンカの原因が薄れていく。
だんだん単純にあいつはナマケモノだ、とあいつは俺のこと何もわかってないって抽象的な争いになる。
こうなると、どちらかが歩み寄ろうと思っても解決が難しくなってしまう。
結局やれデートだやれプレゼントだやれ記念日祝いだって感じでお互いの気持に蓋をして
でもお互い何かしら抱えてるものはあって、ふとしたきっかけに爆発したりする。
お互いの生活に平安やリラックス、というか自然に笑い合えるような関係が築きたいのにどうしてこうなるのだろう。
そういうふうに思っていたとところ、先週子育て教育のビデオ見ていて
「子どもの習慣を変えようと思ったら3週間ルールを意識しましょう」みたいなのがあった。
子供向けだからそのまんま相方に使えるかどうかは微妙かもしれないけれど、試してみようと思う。
まず変化や行動を意識しすぎない。
特に自分が思ったとおりにならないからといっていらいらしない。
こちらの要望を簡潔に伝えて、それが伝わったかどうかを確認したら
それが浸透するまで3週間くらい待ちなさいってことらしい。
今まで「いつになったらこいつは動くんだ」って見通しがなくて
待ちきれずに途中でガーっと怒っちゃうと何も変わらないまま仲だけが悪くなるってことを繰り返してきてたけど
3週間と言われたらまぁ納得するかな、と。3週間っていうのも私にはよくわからないけれど経験則から来た妥当なものなのだろう。
今やってる最中だけど、たしかに期限を意識すると、そこまではあんまり焦らなくて済みそうだ。
他の注意点としては他のことで頭がいっぱいの時はなかなか変わろうとしても出来ないということだそうな。
怒ったりしてプレッシャーかけないこと以外にも、
今相手がやっていることに理解を示したりして、防衛意識みたいなのを軽くしろっていってた。
こちらが理解出来ない、やめてほしいことについてはどうなんだ、と思ったんだけど
たいていそういう場合は相手がそれにのめり込んでいて無制限であったりすることが原因であるから
その場合は「1日1時間」などの約束事を作って程度をゆるめたり、優先順位を定めてください、みたいなことをビデオで言ってた。
多分子供向けだから、タバコとかギャンブルみたいに致命的なものだったり生理的にダメなものについては考慮されてないんだと思う。
こちらが譲る形になるのかもしれないけれど、それでうまくいくなら構わない。
今まで私は「どこまで我慢すればいいのか」「どこまで譲ればいいのか」がわからないことがストレスで
もしかしたらもうちょっと我慢すればうまくいったかもしれないのに、駄目にしていたのかもしれないし、
冷静に話し合いができなかったのかもしれないから。
密かに復讐的な気持ちもある。普段プライドがとかなんだとかいってるけれども、
子供扱いした結果としてうまくいのであれば、相方のプライドは子供のそれだということになる。
そう思うと、寛大な心で接することもやぶさかではないというもの。
もっとも、何時までもそうであってもらっては困るので、もしこれでうまくいったとしたら
元同僚で、妻子ある人との子供を出産した女性(30代)がいる。
自分には「順番が違って恥ずかしいけど、今、結婚に向けてモメてる」って言ってたから
「奥さんに離婚を反対されてるんだよな、そりゃそうだよな」と思ってたら
「産まないでくれ」って懇願されてたらしくて。え、どういうこと。
結局、認知も養育費もなし。そういう話はめぐりめぐって、何らかの形で
耳に入ってくるものなのに。彼女は「見栄」を張りたい人なのかな、と、その顛末で思った。
数年後。彼女のいる部署ではツイッターのアカウントを複数名で共有して、
顧客と軽い情報交換をしている(発信者が誰かは、文末に記したアルファベットでわかる仕組み)。
ツイートを漫然と見ていたら「小さなお子さんを持つママへの××がそろうお店」や
「子供連れでもリラックスして入れる××」についての言及がおかしい。
「おいっ子に買ってあげたい」「おいっ子を連れて行こうかな」。
別の文脈で「ことしこそ、いいご縁がありますように」とか書かれているのも見て。
「こりゃー対外的には『バツなし未婚』で通してるんだろうな…」
もちろん同僚からのツッコミはツイート上には見当たらず(当たり前)。
取引先は、産休で出社が途切れたことを知らなければ、まさか彼女が子持ちとは到底思うまい、と思える。
「友人夫婦を見ていたら『やっぱり子供にはパパが必要だよね』と言っていた」という話も
聞いてたけど(その前に、よその子供からパパを奪うような真似をしちゃいけません)、
ことここに及んで「子供がいないかのように振る舞っている」彼女を知り、
・やっぱり「コブつきは敬遠される」って思ってんのかなぁ
・出産前に「その子ごと君を引き受ける」とか、つきあってもいない人からプロポーズもされてたはず
・その時、入籍だけでもしておけば、フツーの婚姻関係のもとで生まれた子、にできたのに
・実の父親から認知してもらうことを諦めきれなかった、ということか
・今の状態を「結婚してない、彼氏もいない、でも子供はいて、その子はかわいい」じゃダメなのか?
結果「彼女は自分の生んだ子や、今の状態に至ったことを恥じている」という仮説に達してしまった。
「自分で自分を貶しめているから、(一部)未婚シングルマザーは恥ずべき存在になってしまうんだ」と思った。
彼女の子供が、そのツイートを読んだら(まだ字が読めないと思うが)
「自分は『いない子』扱いされている」と思うだろう。
それは誰にも危害を加えてないけど、残酷な仕打ちに見える(直接的に、その子に対する態度で示さなくても)。
もちろん、生んで育てるだけでも偉い(周囲からのサポート&自分の経済力で自立している)、とは言えるわけだし
もっと時間が経てば、当然状況は変わるのだろうけれど。
原子力の必要性はわかっていても、
日本にこれ以上新しい原子炉を作れないことは、もう確定してしまった。
かといって石油やガス火力を増やして、
太陽光にせよ風力にせよ、たとえ将来コストが下がったとしても、
エネルギーを高密度に消費するこの国の、狭い国土にどうやって置く?
地震に頻繁に見舞われる裏返しに、日本には他国も羨む豊富な地熱源がある。
ただ温泉でリラックスして遊ぶという、非生産的な分野で大量に浪費されており、
全く有効活用されていないのが現状だ。
地熱発電所を作ろうとすると、温泉利権で不労所得を得ている利己的な集団が、
眼の色変えて反対運動を展開するのだ。
どうしようもなく利己的な集団なのだ。
もう日本人には温泉にゆっくりつかってリラックスしている余裕はないのだ。
こういう利己的な連中↓を叩き潰すことから始めなければならない。
http://blog.goo.ne.jp/kusatsu888633/e/f1e54500f754b319d68816e6dbe66282
http://blogs.yahoo.co.jp/yujiromie/7629872.html
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/report/20090224/100849/
この連中は同じ言葉が吐けるのだろうか。