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はてなキーワード: tVとは

2024-01-31

anond:20240131095242

TV局は「使ってやってる」感覚だろうな

今回の件もドラマ化されて嬉しいハズなのに文句言ってくるわ最後自殺するわでメンドクサ程度にしか思ってない

anond:20240130160759

TV局側からすれば素材はいくつでもこれからも湧いて出てくるわけで

から多少の無理や失礼はあっても別に構わんみたいな尊大な部分があるんかなと

出版社が作者守るべきなんだろうがこいつらちゃん仕事してんのかねって感想

anond:20240131063130

でもそれで出してくるオリジナルが『不適切にもほどがある!』みてーなトンデモから

平成少年ダン以上の無茶苦茶昭和差別オンパレード

  

 

おしん』や『世界名作劇場』みたいな作品作れなくなったの、利益度外視して後世に良い作品をというスポンサーを得られなくなった以前に

TV権力になってしまって一般人感覚とかけ離れてしまったのが問題の根幹だと思います

 

もう情弱と一緒に心中するしかないと思う

anond:20240131010848

ワイは差別的時代考証メチャクチャTVマンの亡霊ともいうべきクドカンの「不適切にもほどがある!」が悪い意味話題になっていないことに驚いてるよ 

 

もう10年以上TV観てないが、それ書くとTV大好きっ子に『TV観てないアピールガー』とか言われるが

やっぱもうみんな配信サービスTV観てねーじゃんよってな

再放送

今どきTV観てるのなんて極めてネット親和性低い(ネットやっててもろくに検索出来ない人たち)

 

TV情弱向けサービスなので謝らない&放置有効打だぞ

そうすりゃナチス大学教授レベルでもしれっと復活できる

anond:20240131005849

今どきTV観てるのなんて極めてネット親和性低い(ネットやっててもろくに検索出来ない人たち)だと思うので

2ヶ月も経ったら何ごともなかったことになるんじゃない?

 

ナチス大学教授フツーにTVに復活したらしいで

そこに検索バーがあるじゃろ?脚本家がなんて書いてるのか魚拓で見れます

魚拓より

最後脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、

過去にも経験したことのない事態困惑しましたが、残念な

がら急きょ協力という形で関わることになりました

魚拓より

最終回についてコメントDMをたくさんいただきました。まず繰り返しになりますが、私が脚本を書いたのは1〜8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします。

 

(中略・気になるなら魚拓見て)

 

脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています

 

どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように。

魚拓より

(『個人的にはあり得ないと思っています。どんな経緯があろうとです』という同業者のリプに対して)

はい脚本家として生きるすべての人に関わることだと思います

 

原作者(と原作者ファン)にではなく、指揮権のあるュー困惑や苦い気持ちを伝えたら?ドラマ制作のあり方をもっと批判したら?ってフツーは思うと思います

それしたら仕事無くなる!!!!!!!と思うならSNSではなく居酒屋愚痴るべきですわね

一般人仕事内容が第三者にわか状態SNS関係者攻撃したり愚痴ったりしない

 

しか日テレ公式垢は最終回批判コメントに『いいね』付けて回ってたみたいだし、TV屋はぜんぶまとめて一般人感覚とかけ離れすぎですのよ。だからTVは終わったのだ

(なんらかの対応する気あったならSNS運用チームに今ゴタついてるからって伝達出しとくべきでしたね)

anond:20240130232508

いくら批判しても あんたたちTV屋は原作漫画を拾った小石くらいにしか考えてないんでしょう

2024-01-30

から一般人仕事内容が第三者にわか状態SNS関係者攻撃したり愚痴ったりしないんだ 大問題になるし、場合よっちゃクビや損害賠償から

ここまでが増田(anond:20240130231331 anond:20240130231726 anond:20240130231514 anond:20240130232502 anond:20240130225849 anond:20240131152930)以外の人が

当たり前に理解できていること

 

増田が考えるべきなのは、なんで、2次創作をやってる立場で、

指揮権のあるューではなく、

原作者に対して攻撃愚痴ろうと思ったのか?ってこと

 

そこに検索バーがあるじゃろ?脚本家がなんて書いてるのか魚拓で見れます

魚拓より

最後脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、

過去にも経験したことのない事態困惑しましたが、残念な

がら急きょ協力という形で関わることになりました

魚拓より

最終回についてコメントDMをたくさんいただきました。まず繰り返しになりますが、私が脚本を書いたのは1〜8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします。

 

(中略・気になるなら魚拓見て)

 

脚本家存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています

 

どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように。

魚拓より

(『個人的にはあり得ないと思っています。どんな経緯があろうとです』という同業者のリプに対して)

はい脚本家として生きるすべての人に関わることだと思います

 

原作者(と原作者ファン)にではなく、指揮権のあるュー困惑や苦い気持ちを伝えたら?ドラマ制作のあり方をもっと批判したら?ってフツーは思うと思います

それしたら仕事無くなる!!!!!!!と思うならSNSではなく居酒屋愚痴るべきですわね

一般人仕事内容が第三者にわか状態SNS関係者攻撃したり愚痴ったりしない

 

しか日テレ公式垢は最終回批判コメントに『いいね』付けて回ってたみたいだし、TV屋はぜんぶまとめて一般人感覚かけ離れすぎですのよ。だからTVは終わったのだ

(放置して鎮火を待つではなく、なんらかの対応する気あったならSNS運用チームに今ゴタついてるからって伝達出しとくべきでしたね)

anond:20240130223747

無いと思うわ。TV屋は異常

まともなだけで賞賛されるレベルで異常

anond:20240130221805

これ言ってるやつ正直バカなのだと思ってるよ

どこぞのアニメ監督も同じこと言ってたな

TV屋はどいつもこいつも一般人感覚とかけ離れている

 

いかい?一般人仕事内容が第三者にわか状態SNS関係者攻撃したり愚痴ったりしないんだ

問題になるし、場合よっちゃクビや損害賠償だよ

 

ゲーム屋も幼稚なのばっかで役員自身コンプラリスクだったりするけど

TV屋にくらべりゃ多少マシなのかもな

anond:20240130220343

俺もほとんどTV見てないし好きでもないけど、「TV見てない」って言うやつみかけたら「お、テレビ見てないオレカコイイアピールですか」って言うようにしてる

anond:20240130215856

TVが嫌いだからだと思う

ワイ的には差別的時代考証メチャクチャTVマンの亡霊ともいうべきクドカンの「不適切にもほどがある!」が悪い意味話題になっていないことに驚いてるよ

 

もう10年以上TV観てないが、それ書くとTV大好きっ子に『TV観てないアピールガー』とか言われるが

やっぱもうみんな配信サービスTV観てねーじゃんよってな

anond:20240130215200

極端でも無いと思うわ

クドカンの「不適切にもほどがある!」観たか平成少年ダン以上にメチャクチャ昭和

 

TVマンっての自体がなんかフツーと違うのだと思います

anond:20240130182029

いやあれは「自分が降ろされたのは原作者のせいだ=ドラマがつまらなくなったのは原作者が悪い」って愚痴だよ間違いなく

ただ、間に入ったTV局が原作者姿勢を歪めて伝えてる可能性がかなりあるから、今の時点で脚本家を叩くのは間違いだと思ってるけどね

anond:20240130195908

演出家だか脚本家だかごちゃごちゃ

しかも間に入ったTV局が正しい情報を伝えていなかった可能性を全く考慮してない

加害者が一番守られるのはどうなのか

犯人を決めつけて誹謗中傷するのは良くない、わかる。

でも原作を改変され約束反故にされ、当人に訴えても聞き入れられなかった被害者世間に「約束反故にされた。原作者であり自分作品ではあるが本意の形ではない」と声を上げ

ファン視聴者TVを見る潜在顧客番組を成り立たせるテレビCMを打つスポンサーの潜在顧客)が「それはおかしい」「いじめを見ているようで不快である」「弱いものが守られる社会であるべき」と意思表明することは自由ではないか

大きな騒ぎにしたのは外野、騒ぎすぎ、というが、TVが成り立っているのはスポンサーがあるからであり、スポンサーCMを打ってテレビの前の顧客商品を買わせることで益を得ているわけだ。

ならば出資者問題視するように「弱いものが守られる作品でなければCM番組も見ない」「弱いものいじめするキャスト作家を使わないで欲しい」と表明するのは正しい抗議ではないか

原作者さんは誰にも守られなかったからもう声すら上げられないのに、追い詰めた発端を作った人々は守られて「環境から変えるべき、誰かを非難すべきではない」と言われるのか?

環境ってなんだ?個々の認識集合体こそが環境ではないのか?

その集合体の中で強い権力を持つ個体認識が偏って、誤っていればこのような事態が起きるのは必然ではないか

誹謗中傷(「殺人鬼」と呼んでみたり「お前が殺した」と責めること)は良くないが、過ちを過ちだと問題にすること(本人に向けてではなく本件の問題点をつぶやくことやSNSトレンドにして社会問題にすること、スポンサー業界に伝わるように抗議すること)は過ちではないのではないか

誰をも責めてはならないと言う話になってしまえば、力の弱いものは抗議する力を持てない。

ストだって誰かの不便を強いたり、誰かを傷つける。交通のストのせいで死に目に会えず人生が変わる人もいるかもしれない。でも誰かを傷つけるならやらないべきだと言うのか?そうじゃないと思う。

難しい境界線だが過ちに口をつぐんで、定義もできてない「環境」のせいだ「業界」のせいだと、対象をふんわり濁してしまうのは良くないのではないか

anond:20240130182859

結ばされた、ということは、原作者TV局の意向無視した形での契約強制した、という主張でよろしいか

[]現代音楽も聴こう 2024.1.30

https://www.youtube.com/watch?v=ckZBkz_XC6E

Peter Eötvös : Concerto pour harpe

以下概要

Cette oeuvre (création mondiale) est une commande de Radio France - Rundfunkorchester und Chöre GmbH Berlin - Orchestre de la Suisse Romande - Musikverein de Vienne - Casa dasica de Porto - Orchestre Symphonique de la NHK de Tokyo, dédiée au harpiste Xavier de Maistre.


Seven, premier concerto pour violon, rendait hommage aux cosmonautes de la navette Columbia ; DoReMi, le deuxième, était un retour à l’enfance et aux premiers apprentissages musicaux ; Alhambra, le troisième, une promenade architecturale en compagnie de ses interprètes : chaque concerto de Peter Eötvös possède son monde propre. Certains titres annoncent une réinvention du dialogue entre le soliste et l’orchestre : Replica pour alto, le bartokien CAP-KO, acronyme de Concerto for Acoustic Piano, Keyboard and Orchestra, Focus pour saxophone suggérant l’usage d’une caméra sonore et une mise au point entre différents plans. De fait, le genre est appropraux plus folles explorations dans le théâtre instrumental. C’est ainsi que la pièce de jeunesse Kosmos a 9 offert à un cymbalum très hongrois de jouer un nouveaule en compagnie de l’orchestre dans Psychokosmos. En 2023, le compositeur renoue avec l’essence même du genre en proposant à Xavier de Maistre un simple Concerto pour harpe.


En trois mouvements vif-lent-vif, ce concerto s’inscrirait dans le schéma le plus classique, si seulement la harpe bénéficiait d’un répertoire symphonique aussi riche que les autres instruments solistes. Si Haendel lui a offert quelques pages, Mozart a senti le besoin de lui adjoindre la flûte pour l’associer à l’orchestre. Et les efforts des Krumpholz, Boieldieu, Pierné et Glière n’y ont rien changé : les concertos pour harpe ont le privilège de la rareté. « Allegro e felice », indique Péter Eötvös en tête du premier mouvement. Seraitce là une joie inspirée par son interprète Xavier de Maistre ? « Xavier est sportif et sait danser, voilà un aspect du portrait que j’ai fait de lui », confie Péter Eötvös, avant de préciser : « Je trouve la plupart des concertos existants très bien écrits pour harpe, mais ils ne s’aventurent guère dans les modernités des dernières décennies. C’est pourquoi j’ai essayé de nourrir l’écriture de harpe d’éléments plus actuels, et de l’associer à un petit orchestre. » Sur plusieurs cordes, les glissandos de harpe influencent ainsi l’écriture orchestrale.


Jeu près de la table, frappe sur le bois, arrachés et harmoniques dressent un inventaire quasi illimité des possibilités techniques et timbres de l’instrument. De l’usage de la scordatura sur une partie du registre naissent des couleurs inédites : abaissées d’un quart de ton, certaines cordes produisent de délicieux frottements lorsqu’elles sonnent en mouvements parallèles avec les cordes à « hauteur normale ». Au centre de la pièce, un « hommage à Ravel » rappelle que le compositeur français a magnifié l’écriture de la harpe. Non seulement avec son Introduction et Allegro, qui a inspiré Péter Eötvös, mais aussi avec laerie de Ma mère l’Oye ou encore le premier mouvement du Concerto en sol et son extraordinaire solo d’harmoniques et de glissandos. Peut-être Péter Eötvös, dans sa propre pensée concertante, se souvient-il aussi comment Ravel distribuait les soli au sein de son orchestre, capable d’offrir un magnifique contrepoint de bois à la partie du piano.


Au côté d’un instrument comme la harpe, l’orchestre doit se réinventer. Il n’en demeure pas moins que le soliste joue encore le premierle. Dès l’introduction, Péter Eötvös l’invite à se livrer au cours d’une grande cadence dont les courbes de plus en plus amples se transformeront dans l’Allegro en lignes tournoyantes. Il lui offrira une autre cadence à l’issue du troisième mouvement, requérant l’improvisation sans vraiment suivre les vieux préceptes du genre. En effet, l’interprète ne devra y recourir à aucune mélodie, aucun accord ni motif antérieur. Le va-et-vient plus ou moins vif et large des mains sur les cordes dessinera des formes fascinantes. Des mouvements browniens imprévisibles et pourtant mystérieusement ordonnés, comparables au ballet des oiseaux se resserrant et se dispersant dans les nuées d’étourneaux.


Pensez à vous abonner pour découvrir d’autres vidéos France Musique !

概要欄にあるとおり、NHK交響楽団も共同委嘱してるぞ

日本初演5月28日(火)のMusic Tomorrow2024だ

映像化作トラブル事件簿

いいひと。 :フジテレビ(修正しました)

原作者主人公ヒロインキャラを変えるなと念を押していたが改変しまくり。

原作者ブチ切れで原作クレジットから原案クレジットへ変更。

いいひと。」を守れなかった責任は作者にあると連載終了を決意。

 

おせん :日本テレビ

原作を大きく改変し主演男優(ジャ◯ニーズ)の演技もひどく炎上状態に。

ドラマを見た原作者がが原作と違いすぎてショック。もうやってられんと連載休止に。

最終的に原作クレジット原案に変更されてしまう。

 

八神くんの家庭の事情 :テレビ朝日

作品キモである高校生主人公が若く見えすぎてしま母親女性として意識してしまう」という設定に

どう見てもババアしか見えない女優をあて、ストーリーや設定を改変しまくり。

原作者がやっぱりブチ切れて、最終的に原作クレジット原案クレジットに変更されてしまう。

 

ハガネの女s2 :テレビ朝日

シーズン2は原作にない完全オリジナル脚本で行われたが

第2話で転校してくるアスペ学校で受け入れるか特別支援学校にぶち込むかを生徒が選挙する展開に。

テレビ局だけでなく原作者にまで非難殺到し、原作者はこの展開を支持しないとして原作から降りることに。

 

海猿 :フジテレビ

原作者に対する無許可突撃取材原作者激怒プロデューサーに二度とさせないと約束させるも再突撃される。

その後、海猿関連書籍契約書なしで勝手販売されていたとして原作者が絶縁宣言を行う。

 

テルマエ・ロマエ :フジテレビ……というかエンターブレイン

映画化に際して原作使用料が100万円という宣告され、

事前相談もなければ根拠説明もなかったとTVぶっちゃける。

しか契約出版社が行っており、フジテレビ側が契約押し付けものではなかったとのこと。

 

ゲド戦記 :スタジオジブリ日本テレビ

原作者は「宮崎駿が監修する」「原作を変更しない」という条件で映像化を許可したはずが

なぜか宮崎駿ノータッチ原作を改変しまくった作品が出来上がってしまう。

原作者から「私だけではなくファンバカにしている」と痛烈に批判された。

 

トラブルまでは行ってないけど高橋留美子ビューティフルドリーマーあんま好きじゃないらしい。

anond:20240130153027

それならそれで原作者をきっちり説得しとけって話よ

原作者が納得してない時点でそれはTV局側から見方しかないし、立場割れてたら原作ファン原作者の肩持つよ

anond:20240130134151

満額回答しとった癖にめちゃめちゃ改変されて少しでも原作イメージを守るために奔走して疲弊してなあ

先っちょだけ!先っちょだけだから!に騙されて結局原作レイプされちゃって本当に同情するよ

TV局は締め切りが迫ればなし崩し的に押し切れるだろって腹積もりだったんやろなあ

漫画家芦原妃名子さん死亡の報を受けて「脚本家のせい」がトレンド入りするのは最悪の流れ(篠原修司) - エキスパート - Yahoo!ニュース

https://l.pg1x.com/bicy1dabR4VrDiAf9

芦原妃名子さん訃報めぐり放送作家私見脚本家への誹謗中傷絶対にやめてください」(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース

https://l.pg1x.com/JqS7JZGDVKk1cyBf7

漫画家参院議員赤松健氏 「セクシー田中さん芦原妃名子さん訃報受け「脚本家を責める流れになってはならない」(よろず~ニュース) - Yahoo!ニュース

https://l.pg1x.com/HXfrcG5gk3p8LeGS8


いや。おかしいやろ。

脚本家が酷いものを納品したのが原因やぞ。

監督プロデューサーの言い分が「大正義」だったとしても「原作というもう一段上の大正義」があるんだからな、表立っている。

制作契約ことなんぞ視聴者スポンサーもしらんわ、マジで(笑)

スポンサーは「放送される」っていう契約だし、視聴者は「TVを見るだけ」っていう緩い契約しかない。


心配するのは連鎖やろ。だが、連鎖でも起こらん限り、というか「TV屋の畑に流れ弾で人死が出る」ことでも無い限り絶対に改めんのがTV屋や。

まぁ、死んでも気にしないけどなアイツラ。だって制作なんてのはトカゲのしっぽ以下」なんだもの

バイルパートは「スポンサーと仲良くやっていつもどおり、いつも以上に金を引っ張れるプロデューサー」と「スポンサー趣味と、プロデューサー性癖をしっかり理解して制作会社含めキャスティングするディレクター」だけだからね。

後は全員ただの兵隊。なんぼでも取り替えが利くし、取り替えられないディレクターは取り替えられるだけ。


じゃあ、どうすりゃ良かったんだよ脚本家はよ!?

ってのは簡単

原作を読み込んで、原作の芯を捉えて、その芯をベース再構成して、DやPの趣味性癖スポンサーが望ましいと思われるもの統合して入れること。

こんなもん「ゲームノベライズ作家」なら全員普通にやってるぞ。できない奴はいなくなるだけ。


あんだけ作品をやってるのに、それができていない脚本家排除できていない、あるいは脚本家オリジナリティウケるDやPとのツルみが問題になるかな。

ガンダムSEED』や『サイバーフォーミュラ』の監督と嫁脚本が、当時のオタクにぼっこんぼっこんにされていたんだけど、当時小学生中学生平成キッズウォッシュされて「傑作!名作!」って扱いになってるのを苦々しく思ってる古参オタク大勢いいるだろ。

まぁ、嫁が死んだのは可哀想だとは思うけど、今の映画の出来が良くなっているという話もあるので、嫁がキラやハヤトを偏愛しすぎていたのではないか、というのは今更だが、ちゃんと指摘していいでしょ。


名前出して、ソイツの文章検収するのがDだけ環境なら「悪いのは腕の悪い脚本家」っていう指摘はちゃんとしておくべき。

恥を知れ。名前出して金もらってるんだ、覚悟しろ。でなきゃ恥知らず鉄面皮になれ。

原作売るためにCMのためのドラマ漫画使うのやめたら

結局出版社側とTVサイド側だけが儲かる感じになっていて原作者還元がうまくされてない感じが見て取れる

あとしっかりとこういうことは契約書書かないと行った言わないの押し付け合いになるから日本の商慣習を改めたほうが良いよ

そうすると大手契約できないとか仕事貰えないとか言うけどそもそも契約ごとを曖昧にする大手仕事しても良い事ないんじゃね

anond:20240130091531

1話ずつの尺の関係で話の順番を変えるとか削るとか人気やら役者関係キャラ性別変えるとかの話を原作者確認して決めたなら問題無い

だけど間に入ってる編集者が「もう(変える事が)決まっちゃってる」って事で内緒にしたり「今更変えたら時間予算も足りなくなるけどアナタ補償します?」とか原作者を脅したりしてるのが現状で

だったらトラブル回避のため最初からドラマアニメ化NGにしてる原作者も多い

なろうの作者は売れたら万歳プライドの無い人たちだから改変して人気が上がるならむしろラッキーくらいに思ってるだろ

原作がそっちに流れるのはむしろ道理というかTV局や編集側が過去原作者トラブルで学ばず意識変わることなく都合の良い原作探しにシフトしてってるだけって話

ついに原作レイプで人死にが出た

なんたることだ! 再発防止策が必要だ!

……とはいっても、『テラスハウス』で人死にが出てもリアリティショーをやめずに平気で『バチェラー』や『バチェロレッテ』を放映していた面の皮が京極夏彦の本くらい厚そうなTV業界の皆様に再発防止を求めるのは、タリバンの方々に女性尊重を求める以上の難事であることは間違いなく、今後とも安易ドラマ化による原作レイプは引き起こされ続けるだろうし、売上に目が眩んだとか最高級の桃のように押しに弱いとか赤ちゃんコウノトリが連れてくると信じているほどに純朴だとか色々な理由ドラマ化を承諾する原作者も後を絶たないだろう。この事件製作側に何がしかの変化をもたらす、ということは、明日ミナミノミナミノ』の続刊が出版されるくらいにはありえそうもないことだ。

ただし、読者の目線は、ファンの反発は、オタク実写化に対する態度は、変化するだろう。より正確に言うと、いっそう厳しく硬いものになっていくだろう。

これまでの原作レイプに対するオタクたちの反対というのは、イメージと違うとか原作ではそうじゃないとかこのキャラはこんなこと言わないとか先輩がスパゲティを食べてるなんておかしいとか、言ってしまえばお気持ち表明でしかなく、それによって引き起こされた悲劇といっても、原作者に眉を顰められたりなかったことにされたりするのがせいぜいで、最大の悲劇は裸になったアイドルがいいひとだったせいで連載が終了したことです、という、まあファンがグチグチ怨念ネットの海に垂れ流す程度のささやかものに過ぎなかった。

ところが、今回は、原作者が自ら生命を絶つという最悪の事態になってしまった。

好きなシリーズの続きが読めなくなったどころではない。もう二度と彼女の新作を読めなくなったのだ。

リアリティショーと同様に、原作レイプでも人が死ぬTV業界の人たちはそんな些事を気にも留めないのかもしれないが、業界の外にいる人間、ただ純粋作品を楽しんでいたいだけの人間からするとたまったものではないわけで、今リアリティショーに対して「なんでそんな死人が出るような番組やってんだよ」という声が徐々に高まっているように、今後、「なんでそんな死人が出るようなドラマ化やってんだよ」という批判の声はより大きくなっていくだろう。だって我々は、まさか人死にが出るなんて思ってもみなかったんだから

もちろん表現の自由というものがあり、ガイガーカウンターを使って女児を手籠めにする漫画出版自由であるべきなのと同じように、恋愛リアリティショーや原作レイプTVドラマといった類の下世話な番組を放映するのも自由であるべきで、自キャラ選挙に動員することに躊躇のない国会議員さんが「業界団体(や場合によっては議員チーム)で検討する組織体を作るべき」とか言ってたのはお前表現の自由はどこ行ったんだよという感じになってしまうのだが、原理原則論からいえばこれらの番組を法的・社会的咎め立てすることはできないだろう。

から。せめて我々は、彼らがやったことを忘れずにいよう。事あるごとに蒸し返そう。彼らが原作蔑ろにした作品を世に出す度に、「お前ら前に原作レイプ漫画家を死に追いやったよな。なんも反省してないの?」と言い続けよう。それは弔いのためではない。彼女はそれを望まないかもしれない。ただ、増田は、二度と原作が踏み躙られる光景を見たくはないし、原作者が苦悩する姿を仄聞するのは嫌なのだ

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