はてなキーワード: 結婚式とは
夫曰く、「友達と言える人が人生で一人もいたことがない」らしい。
夫と出会ったのは婚活サービスで、わりと早いうちからそう漏らしていたんだけど、話半分に流してしまっていた。
私だって友達が多い方ではないけれど、友達の支えみたいなのを一切なく生きてきた人がいるなんて信じられなかった。
でも結婚式のときに「家族と親戚以外に呼べる人が一人もいない」と言って、ご両親と祖父母、弟さん、叔父さん夫婦の7名が最大人数だった。
私は地元の友達も呼びたかったし、夫も別にいいよと言っていたけど、流石にバランスが悪すぎるので結局うちの方も親戚だけを呼んだ。
私は他県から大学進学を機に定住したけれど、夫は地元生まれ地元育ち。結婚してから夫の実家から数キロ程度の場所でアパート暮らし。
地元の友達がいてもよさそうなものだけど、少なくとも自分と出会ってから以降の6~7年で、夫が友達と出かけたり食事に行ったりすることは一度もなさそうだった。
休みの日に出かけることや家に連れてくることはもちろん、飲みに行ったことも一度もない。
夫曰く「うちは飲み会とかやらない職場だから」というが、仕事の飲み会すら行ったことがない。
趣味は読書と映画鑑賞。私が仕事で夫が休みの日は、私の出勤に合わせて起きてから私が帰宅するまで食事も取らずに延々とアマプラで映画を観ていたこともあった。
ただ内向的でインドアな人ではあるが、別に人当たりが悪いわけでもコミュニケーションに極端な難があるわけでもない。
飲食店員、宅配業者、不動産屋等々との応対も腰低めに丁寧な対応だけど、質問とかはちゃんとするし言われるがままって感じではない。
商業施設で夫の職場の同僚に出くわしたことが数回あるのだけど、そのときもわりと明るい感じで挨拶と会話を少ししていたので、別に嫌われたり無視されたりしているわけでもなさそうな印象。
たぶん会社でも当たり障りないのない付き合いはしてるんじゃないかな。
もしかするとネット上に友達がいるのかも、とも思ったけれど、ソシャゲもオンラインゲームもSNSもやってる様子はない。(もちろん増田も)
絶対にいないとは言い切れないけれど、そうだとしたら彼の性格上、「友達がいない」じゃなくて「ネットにいる」って言いそうだなとは思う。
きっと、友達ができないんじゃなくて、意図的に人との関わり合いを避けているんだと思う。
結婚式のときだって、会社の偉い人や上司に頼み込めば誰かしらは呼ぶことができたんじゃないかな。
でもそうしないのは、他人と関わりを持つことを極力避けているんじゃないか。
屋外レジャーとか、食にも興味が薄い。自分の好きなものだけあればいいってタイプだ。
まあそういう人もいると思うけど、不思議なのが婚活サイトに登録してまで結婚しようとしてたこと。
どうして結婚したのか、なんだか怖くて聞けないでいる。
娘には「お友達と仲良くね」なんて言っている。
夫も別に自分のスタンスを強要するつもりはなく、一般的っぽいことを口走っているんだろうけど、空虚に聞こえる。
別に離婚したいとか、いまからでも友達を作ってほしいとかは一切ない。彼の持つ不思議な雰囲気も魅力だと思ってる。
ただ繋がりをほとんど持たない人だから、ある日ふっ、といなくなってしまうんじゃないかって無性に怖くなることがある。
これ。
今度結婚式を挙げることになった。
中高の友人のAに久々にラインで連絡して参加の了承を得た。
Aは中高一貫校で中学3年,高校1年と同じクラスで仲良く、お互い大学に進学した後も、5年ほど前までは遊んでいた。
Aに招待状を送るため住所を聞くと苗字が変わっている(ラインの名前はHanako Y.みたいな感じで苗字のイニシャル変わってないから気づかなかった)。
びっくりして同じく結婚式に招待する友人B(私,A,Bで高1の時は仲が良く、私とBは同じ大学に進学)に話を聞くと一昨年結婚していたらしい。
友人Bは友人Aのインスタを見て知っていたらしい。
友人Bは招待されてないものの、同じ中高の友人も呼ばれていたことも聞いた。
中高6年間で一番仲が良かったと思っていた友人Aにとって自分は仲の良い友人ではなかったんだなと辛くなった。
グループ内で早めに結婚して子供を産んだ子も出たが特に疎遠になったりせず月2くらいはその時集まれる人間で集まる仲
その中の一人に彼氏が出来た。
そいつがとにかく気持ち悪い、自分とタイプが違うってのもあるのだろうが、会話の内容がもう全て彼氏との話しかしない。
違う話を振っても結局は、そういえば彼氏がね、
付き合って日も浅いうちから結婚するかも、同棲するかもと、こっちがまだもうちょっと付き合ってからでいいんじゃないか?と言えば納得したような振りはするが次には同じ話をしてくる。
月2の集まりにも他の友達が許可したのもありほぼ女しかいない中に連れて来ては、仲良くない相手には気をつかうだろうからと言ってずっと横にいる。
だったら連れてこなければ良かったじゃないかと私は思う。
友達の方から彼氏の肩や足を触ってるのを見ていると、友達の雌としての部分を大全開で見せつけられているようで気分が悪くなる。
10代ならまだ可愛い、ただこっちは30代、恋愛にのぼせあがって正直痛々しいんだ。
羨ましいや妬ましいと言った感情は本当にない(と言っても言われるんだろうが)
二人で喋りたければわざわざ私たちの前でやらずとも二人で会えばいいじゃないか。
立て続けに呼ばれたりするときつすぎる
3ヶ月先の予定なんてだいたい決まってないし断る理由も見つからないし断ったら申し訳ないしで局行くんだけど…
友達のことは好きだし結婚とはめでたいことだろうからお祝いしたい気持ちはとてもある
でも結婚式やドレスに全く興味がないから、行っても特になんの感情もわかずに帰る
おめでとうとは思うのだが、結婚や結婚式という儀式にとにかく関心がないんだと思う
ご飯は美味しい
そして、ご飯とかもろもろで実際ご祝儀3万でも足りないのはわかっている
わかってるんだけどさあ…
あと結婚する予定ないから返ってこないんだよなあと思う浅ましい自分もいる
別途お祝いはするから
私のおば(私の実母の姉)は
私の母の結婚式のとき、おばは母に「まあ~ブサイクな花嫁さんwww」と言っておじ(おばの夫)にビンタされたらしい
おばは子供の人数で私の母に負けて(昔の人なので子供の数がステイタスになる年代なんです)
母は私の父と仲良く旅行三昧
おばは孫がいなくて、私の母にマウンティングされて孫自慢されてる(孫がいることがステイタスになる価値観なんです)
おばのことを考えると人を見下してバカにするとろくなことにならんな~と思う
おばは多分私の母のことを今も見下してるけど
誰からも求められないのは本人のせいで、いつも自分が求めるだけで人に何も与えてこなかった。その点は散々指摘したが全く理解が及ばないようで改める気配なし。よって現在に至っている。それはいい。
ただそんな自分を受け入れるわけでもなく、いつも人にチヤホヤされている人を羨ましそうに眺めては涙を流し、自分は不幸そうにしている。人が祝われていたり、慕われている様子を見るのが耐え難いそうで、結婚式などに呼ばれても来なくなった。
きっと人と比べてしまうのだろう。あの人に比べて自分は、誰からも求められていない、不幸だ、そんな自分に向き合えない、耐え難いのだと思う。
でもそういう自分でいるのは自分の責任であり、仕方がない。だったらそういう自分を受け入れることはできないのだろうか?世の中に未婚の人はいくらでもいる、子供がいない人だっていくらでもいる、モテない人も容姿が人気じゃない人だって、むしろマジョリティな方だろう。そんな人たちも、不幸そうにしている人ばかりではない。
自分なりの人生を満喫して、幸せに暮らしている人だってたくさんいる。彼女にはその視点が全く欠けている。人に求められることでしか、幸せを感じられないらしい。
自分の人生は自分のものではないのだろうか?そういう意識を全く持てない人というのは、今後もずっと不幸そうにしているしかないのだろうか?
学生時代に数ヶ月だけ一緒だった人から「結婚式きて」って連絡が来て「何で私ぐらいの関係性呼ぶんだよ」と思ったけど向こうからしたら親友らしくて現に他の招待客の方から「高校時代からの親友の方ですね」と言われたがそんな関係性じゃないと思うんだよなーと思いつつ、結婚式に参加した。これがそもそも間違い。
行ったら友人が私ぐらいで殆ど同僚でびっくりした。
友人のスピーチも引き受けて遠方から向かったがスピーチのお礼代もお車代もなく、貰ったものはゲームセンターで取れた私の好きなキャラのぬいぐるみとスタバのギフト券1400円分(これ誕生日プレゼントという名目で貰ったが)。
えーと?スピーチ文書いて推敲して練習してと時間費やしてるんだけどな…お祝いの心すら消え失せて結婚式から帰った。撮影した写真もなんだかな…という気分になり、全部消した。
ドレス3回も変るぐらいならお車代とか出そうねと思った。彼女は「私が結婚したときに返そう」とでも思ってるのかもしれないが残念ながら呼ばないし何なら連絡先消しても困らないことに気づいたのでそうさせてもらう。
結婚式の意味について「双方の友人たちを呼ぶことで出会いを提供する」っていうのを「二人の結婚を祝う」と同じぐらい重要だと思ってて、それが無い結婚式が開催されることが不思議だ、と言いたいのではなかろうか
Domino-R 今日び結婚式に呼ぶ友達がいないなんて新郎新婦はいくらでもいるだろう。そのくらいわかってやれよ。まあ自分はレンタル友達として雇われたんだカネよこせ、って気持ちもわかるがね。
お見合い結婚ばかりだったって言ってるような時代はお互い写真と簡単な経歴だけみて決定して
ジャニーズの報道を見ると動悸が早くなって胃の中が全部逆流しそうになる。
その理由は単純で、自分の性的被害と人にしてしまった加害を同時に思い出して心臓が締め付けられるように痛くなるからだ。
被害者面だけしたいわけではないので、先に言ってしまうが、自分は性的加害者でもある。
相手は妹みたいにかわいがっていた2つ年下のいとこで、親戚同士のお泊まり会のときに寝ているところを触りに行った。
生々しい描画がしたいわけではないので詳細は省くが、直接触ろうとして下着を少し下げたところで目が覚めそうになったので、慌てて部屋から出ていった。
その時は自分の兄弟含め何人もの親戚が泊まる会だったのでおそらくは特定されることはなかったと思う。
その後もたまにあったりしたときはやはり兄妹みたいな関係でいられたので、そんなことを少しずつ忘れつつあった。
それから20年ほど会わない時間があったのだが、その子の父親が亡くなったという話を聞いて、葬儀に参加することになった。
その時自分はすでに結婚していて子供も二人生まれていた。結婚式はやらなかったので親戚にはハガキで報告を送った程度だった。
葬儀が終わってからも母と妹の話は終わらず、しんみりとした雰囲気の中でうちの子供達だけが騒いでいた。
すると、妹みたいだったいとこが子どもたちと遊びながらふとした瞬間に手を止めて泣き出してしまった。
どうしたのか聞いてみると、父親に自分の子供を見せられなかったことが悲しくなってしまったのだという。
その子の母親も、亡くなった夫に孫を見せてやれなかったことが本当に悔しいと一緒に泣き出した。
少し落ち着いてそういえば結婚はどうしたのか聞いてみたところ、「じつは、〇〇ちゃん(増田の名前)は大丈夫なんだけど、、、」という枕詞とともに自分が男性恐怖症であることをこちらに告げてきた。
はっきりとした理由は言わなかったけど、親戚を含めて自分以外の男性が怖いのだという。
今回の葬儀についても遠回りに自分以外の男のいとこは参列を断っていたという。
その瞬間、それまで忘れていた自分がしてしまったことがフラッシュバックのように思い出された。
それはつまり、自分が性的加害をその子にしてしまったことが原因で男性恐怖症になり、今日の今日まで苦しみ続けていたということではないか。
いとこが泣いているのも、母親が泣いているのも、全部自分のせいではないか。
それなのに加害者である自分だけが許されているとはなんておかしな状況なのか。
今頃あの世ですべてを知ったこの子の父親が、どんな形相でこちらを見ているのかを想像しただけで背筋が凍る思いだった。
すべてを白状して懺悔したい気持ちが、自分だけは信じつづけてきたこの子に真実を突きつけてしまう残酷さに負けてしまった。
保身と言われればそれまでだが、真実を知ってしまうことが今更傷を深くえぐり返してしまうことのように思えてできなかった。
自分が性的被害にあったのは小学校5年生のときに、民間のキャンプ体験合宿に参加したときのことだった。
インドアな自分に対して、仕事で忙しかった親が夏休みに無理やり参加させたもので、同年代の子供10人くらいが、30歳くらいの優しい男性インストラクターに色々と教わりながら自然を体感する教室だった。
悪いことをしなければ怒らることもなく、みんなで料理を作ったり自然に囲まれたテントで眠るということ自体が新鮮で楽しい経験だった。
2日目の夜、尿意を感じて夜中にふと目が覚めると隣にインストラクターが横たわっていた。
自分が何をされていたのかの自覚はなく、なんとなく嫌だなと思いながらも「トイレに行きます」といってその場を離れた。
戻ってきたときにはすでにインストラクターはその場にはいなかった。
今にしてみれば思い出すだけで背筋がぞわっとするほどの嫌悪感がある。
ただ、そのことは自分にとって歪な形での性の目覚めとなった。
一つは尿意によるものか快感によるものかわからないながら、勃起してしまった自分への戸惑いが強く残ることになった。
同性愛者を差別するつもりはないが、自らが同性に対して性的な何かを感じることに猛烈な嫌悪感と恐怖を覚えるようになってしまった。
今に至るまで、男性恐怖症(男性過敏症)は解決されないままでいる。
もう一つは、性的欲求の解決手段として、「寝ている相手を触る」という行為が強烈に印象付けられてしまった。
あの瞬間に印象づいたわけではなく、思い返し疑問を反芻している間に塗り重ねられるように刻まれていったのだと思う。
それは自他ともに認めることで、それが恋愛感情であるのか、兄妹間による愛情であるのか、長女であるいとこにも、末っ子である自分にも分からなかった。
相手がどうかはわからないが、小学生くらいまでの間のことでありながらも自分には命と同じくらいに大切な存在だった。
それが一切の言い訳にならないどころか、それなのにどうしてそんなことをしてしまったのか自分でもわかっていないというのが正直なところだ。
全ては想像力の欠如であったのだと思う。
好奇心に負けてしまったというよりは、たまたまできる環境が揃ってしまったところに、されたことがある人間がいただけのことなのだと思うしかなかった。
ただ、本当に、本当に今では後悔しかない。
ジャニーズの報道を見るたびに、そのことが思い出されて心臓が締め付けられる思いがする。
自分への性被害がなければいとこへの性被害がなかったかどうかはわからない。
そればかりは本当にたらればで、だからそのことについて性的加害者を責めるつもりはない。
それどころか、もし自分への加害がなかったらという思いが持ち上がろうとすると同時に、そんなものが相手への加害の言い訳になるわけがないという鉄槌が下るのだ。
加害者なのだから苦しんで当然という言葉が、いつでも自分を苦しませてくる。
それを当然のことと受け入れなくてはならない苦しみから逃げることはできない。
学生時代、同級生との関係をうまく築くことができずに孤立してしまったし、未だにゲイやホモセクシャルに対する直感的な嫌悪感を払拭できないままでいる。
思春期を迎えて、されたことに対する意味が理解できるようになればなるほどその考えは強くなった。
そんなことさえ、いとこのことを男性恐怖症に陥らせておいて言えることではない。
わたしの被害は、自らの加害によって全てが甘じて受け入れざるを得ないものへと変わってしまった。
断じていうが、それ以降自らが痴漢行為に手を染めるようなことはない。
される側の辛さを知っているつもりだし、それによって人生がどのように狂ってしまうのかも知っているつもりだ。
そんなことを考えているときでさえ、狂わせた側としての責任という鉄槌が脳天に振り下ろされ続けている。
ジャニーズの報道を目にする度に、自らの責任によって脳天への鉄槌が繰り返され続けている。
報道を止めてほしいわけではない。
ただ、被害者数百人という数字を巨悪を叩くだけのエンタメで消費しないでほしい。
その上で理解してほしいことは、ジャニーズの最も醜悪な点として被害者を共犯関係にさせている点にある。
ただ単純に、一人の大人から数百人の児童が被害を受けていたと言うだけの話ではないのだ。
彼らは「アイドルとして成功したい」という正義のもとに、黙認や通過儀礼という解釈による加害の助長を担わされていた。
それが分別のつかない年端も行かぬ年齢の頃から組み込まれるように作られていたと考えれば、その仕組みのあり方がどれほどおぞましいものかわかってくると思う。
大人であれば立ち止まれたものであり、大人になれば後悔するようなことを、信じてる大人にやらされていたのだ。
そのことが今まで被害を表沙汰にしなかったし、ジャニー喜多川氏はそれを理解した上で、分別のつかない年齢の子供だけを集め続けてきたのだろう。
金に目がくらんだ親さえも巻き込んで。
それはもう端的に言って地獄だ。
どれだけ表向きに眩しいエンターテイメントを演じていても、その土台に埋もれているものが地獄すぎる。
今回の一件が巨悪を叩くエンタメで終わってしまえば、さらなる地獄が地層として積み重なるだけになってしまう。
そんな地獄が地獄を生む呪いの連鎖を断ち切るためには、一つ一つのケースと向かい合い、絡まりあった被害と加害を解いていく必要がある。
少なくとも、今のままただ単に巨悪を叩けば叩くほど、少しでも加害に手を貸してしまった被害者の心の傷さえもえぐっていくことを理解してほしい。
もちろんそれがあなたにとっての正義だというならば好きにすればいい。