はてなキーワード: 気象予報士とは
気象予報士の小学生いいなって言うだけの俺の書き込みで不快になったなんてことはとてもとても考えにくい。
おそらくその書き込みから派生していったツリーにおいてお前の方が先に俺に対して攻撃的なことを書いて、俺がそれに気分を害してやり返そうという態度になった。おそらくその俺の反撃に関して「お前の方が先に不快にした」と言ってるんだろうから、認識が間違っているんだよね。
知恵袋もそうなんだが増田は性質上、不特定多数に発しているような文体になりがちな元増田よりもその元増田を直接対象にするトラバの方が圧倒的に最初に喧嘩を仕掛ける立場になりやすいから、喧嘩を仕掛けたのはそっちだとか言われたくないなら、トラバすることは慎んで元増田として書き込むことに徹するべきだ。
まあ別に中卒を雇っちゃいけないわけじゃないじゃん。
勉強時間としては半分以下の基本情報技術者とかでも中卒でも一応零細でもITの会社に勤められてる人もいるのに(でなければプログラミング系のポリテクは存在意義がない)気象予報士が中卒は絶対無理なんてありえない
大学院・大学を卒業済みの方、もしくはそれらと同等以上の基礎学力を持つ方。 もしくは気象の観測、解析予測、調査研究の実務経験を持つ方、もしくは気象予報士資格を持つ方。
気象予報士
参考程度に。
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親父・・・俺の親父。教師と剣道一筋の人生を送る。昨年還暦を迎えたため自由な時間ができ、いろいろやっている。剣道が強い。
俺・・・親父の息子。親父のことが苦手。わけあって一年時間ができたため地元に帰省し、いろいろやっている。剣道のセンスは普通になかった。残念。
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GW真っただ中の5月3日。晴天だが風が強く吹いている。雲の動きも速い。時計の針は二時少しを指している。大気が不安定な一日になるそうです、と気象予報士はニュースで述べていた。焼肉を想定している夕方には天気も崩れるだろう。どうせやらないことになると高を括り、曖昧な返事をした後に自室にこもる。
適当に動画を見ているうちに眠っていたらしい。電気がついていない部屋は薄暗い。目をこすって携帯で時間を確認すると、午後5時過ぎ。軽く飯でも食べて筋トレに向かうか、少し寝ぼけながら階段を下る。少し煙臭い。マジか。外に出ると風が少しあるものの、空の青と日の赤さが入り混じる、気持ちのいい夕暮れ時だった。
親父は木炭をくべていた。ちらりと俺に目を向け、すぐに火に目をうつす。俺は観念して焼肉の準備をする。台所には分厚い肉が大量に用意されていた。筋トレ行きたいのに胸焼けしそうだなと思う。野菜は玉ねぎともやしのみ。もやしどうやって焼くんだろう。あと大ぶりのエビ。それらをまとめて庭へ運ぶ。
「父さん、飲み物なんか飲む?」
「いや、いらない」
会話が終わる。適当に飲み物を飲みながら、2人で火を囲む。木炭に火が付くのをじっと待つ。手持ち無沙汰が極まり親父の姿に目を向ける。大学の四年間会わなかっただけで、随分昔とは雰囲気が変わったように思える。
親父、白髪だらけだけど案外髪の毛は残ってるんだな。猫背なのは相変わらず。案外身長低いんだよな。そういえば結構やせたよな。高校の時は全然俺より大きかったのにな。いつから俺のほうが身体大きくなったんだろう。色々、想う。けど言葉には出さない。言葉が心の中で反響し、消えていく。
BBQってこんなに会話が無いもんだっけ?と自嘲気味に笑う。正直気まずい。そもそも親父とあんま面と向かって会話したことなかったな。子どもの時の思い出を振り返る。
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とにかく厳しい人だった。高校で指導教員として、入学したての浮ついた学生を「君たちはもう子供じゃない」とか言って震え上がらせるタイプの人。夏休み前の全校集会で薬物の危険性とかを語る人。お前の父ちゃんって武士みたいだよなとか言われる人。
「子供を預かる教師として、自分の子どもがだらしなかったら生徒の親に顔向けができない」という信念を抱いていたため、自分の子どもに厳しいのは大変理にかなっていた。
小学校の俺はいつもおばあちゃんが作った野菜炒めを残していた。これでもかというくらい大きいぶなしめじが大量に入り、ピーマンを筆頭ににんじんやら白菜やらパプリカやら、とにかく子供が嫌いがちな野菜一色で作られていた。当然、食べることができない。
豆電球の下で親父が無言で腕を組んでこっちを見ている。食べきるまで席を立つことは許されない。泣きながらきのこを咀嚼せず飲み込む。きのこを食べているという事実だけで吐きそうになる。嗚咽が止まらない。思わずもどしてしまう。
「洗って食え」
絶望する。台所に向かい、泣きながらきのこを洗う。親父はじっとこっちを見ている。それが怖くてもう一度、泣く。
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まじで怖かったなあ。当時を思い出して苦笑する。今でこそ面と向かって食事を一緒に囲めるけど、俺が高校生になるまで食事の時間は緊張しっぱなしだった。食事中のテレビは厳禁だったから、もう黙々とご飯を食べるほかなかった。ご飯を速く食べる癖は案外ここから来ているのかもしれないな、と気付く。
親父はずっと剣道をしているせいかとにかく体がでかくて、何をしても抵抗できない雰囲気を身にまとっていた。よく食べ、よく呑み、よく眠る。毎晩22時前には寝て、朝は5時に起きる。町内を何キロも走って、庭で素振りをする。当時50歳過ぎでそれだもん、中坊のガキが勝てるわけねえよな。
でも、高校生になって直後くらいに親父に反旗を翻したことがある。コテンパンにやられたわけなんだけど。今思うとだいぶささやかだけど、でも当時16の俺にとっては十分すぎる抵抗だった。
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高校生くらいの時に「親父」とか「おふくろ」って呼び方にあこがれる時期あるよね。もれなく俺もそうだった。高校生になり、「父さん」「母さん」呼びは少し恥ずかしいと感じるようになった。同級生が「親父がさ~」と喋るのを羨ましく思ったし、なんだかイケてるようにさえ感じた。
思うに「親父」という言葉には、青年期を迎える僕たちにとっていつまでも親の庇護下ではない、甘えていた関係から自立した存在になる、みたいな印象があった。言い方自体はぶっきらぼうに聞こえるけど、青年期に正しい親子らしい関係性を、親に対して人間としての尊敬を含んだ、そんな印象を「親父」という言葉に抱いていた。
高校生になって数か月たったある日、夜22時を大幅に超えて帰宅してしまった。明確に門限というのは定まっていなかったが、遅くても21時台に帰宅することが暗黙の了解としてあった。仲の良かった先輩が、「もう高校生だぞ?少しくらい大丈夫だって。」というのを真に受けてしまった。
事実、周りの友達や先輩は門限なんて存在しないどころか、よく互いの家に泊まり合っていた。「今日お前ん家泊まるわ」とか「今日疲れたし、このまま朝までいていい?」とか、そんなことがうちは許されるわけがない。もし泊まるにしても、数週間前には事前に泊まるという報告をし、親から親に連絡を行い、「泊まりに行ってきます」の掛け声とともに家をでなければならない。
そんなのおかしい、俺だってもっともっと友達と遊んでいたい。そうした思いが積もり積もって、禁忌「門限破り」を犯す。
先ほどまでの気の大きさはなんのその、家に着いたころにはビビりまくっていた。しかし家の中の電気が付いていたのもあってか、もう高校生だし大丈夫か、と妙に安心する。ドアを開けようとする。鍵が閉まっていて開かない。庭に回る。リビングにいた妹に開けるように頼む。すると妹が「お兄ちゃん帰ってきたよ」と大きな影に向かって言った。
いつもだったら21時過ぎに寝ている父さんが起きていた。どすどすどすと大きな足音を立て玄関に向かう。俺は庭で恐怖に震えていた。
「何時だと思ってるんだぁぁぁぁぁ」
ドアを開けるとともに区域全体、少なくとも両隣三軒には響くくらいの声で突進してきた。そのままの勢いで俺を思い切りぶん殴る。庭にたたきつけられる俺。その上に馬乗りになって殴り続ける。
「どんだけっ!心配したとっ!思ってるんだっ!」
単語の区切り、呼吸の合間に殴ってくる。俺はどっかのボクサーばりに顔面を守ることしか出来なかった。躾の一環として色々殴られたことはあった。でもまるで昭和の家族ドラマみたいに殴られたことはなかった。俺は怖くて少し泣きながら、これから親父と呼ぼう、となぜか思った。
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この反抗?を経て、面と向かって「親父」とはさすがに言えないけど、俺も友達の前では「親父」呼びをするようになった。すると少しずつ親への恐怖感みたいのは薄れていった。家で極力顔を合わせないようにした。塾に通い、意図的に家に遅く帰るようになった。「塾で勉強してるし、遅くなっちゃうのはしょうがないよね」みたいな。すると自然と会話が無くなる。そもそものコミュニケーション自体が無いため、ごく自然な流れでそうなった。
もちろん色々お世話になった。高校最後の大会の前は、親父直々に稽古をつけてくれた。ライバル校の先生である親父が、ライバル校の生徒である俺を教えることはどうなんだとは思うけど、とにかくお世話になったのは事実だ。結果東北大会に出場できた。ポンコツ剣道野郎にとっては十分すぎる結果だ。
俺もさすがに知ってる。親父が不器用だってことは。俺ももちろん不器用だけど、俺も親父も素直に想いを伝えられない。家では全く会話のない俺たちも、どっちも家以外ではお喋りなのが笑っちゃうよな。
大学の同期が実家に泊まりに来てビックリしてた。「お前マジで親の前では性格変わっておとなしいよな」って。母親もよく言う。「父さんはほんとはお喋り好きで、飲み会ではみんなを盛り上げてるんだからね」って。
親父は俺に対して、何かを介さないとコミュニケーションを取れない。
俺も親父に対して、素直に想いをぶちまけることができない。
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俺もう成長期じゃないし、こんなに肉食えないよ。しかもこれから筋トレ行きたいし、あんま胃がもたれるようなの食いたくないんだよね。親父も連日肉ばっか食ってない?もう年なんだしお酒も控えて、少しは健康を意識してくれよな。
ちょっと暗くなってきたね。電気つけよっか。目が悪いっぽいね。そういえば車運転するときもっと気を付けて。車間距離近すぎ、あとよそ見しすぎ。前の車が急ブレーキしても止まれるくらいじゃないとだめだよ。
これ肉焦げてない?いいよ俺食うよ。マジで美味しいよ、親父ありがとう。
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「旨いか?」
「うん」
その昔、天気予報が、気象庁が送ってきた天気予報を読むだけだった頃=気象予報士制度ができる前までも、「お天気お姉さん」だけでなく「お天気おじさん」「お天気おばさん」「お天気お兄さん」もいたんだよ。ブコメでも「お天気おじさんもいくらでもおるやろ」とさんざんツッコまれているが、昔から今までずっと老若男女が天気予報を読んできたんだよね。増田の間違いの一つ目がこれ。
「気象予報士」という資格があるでしょう。1994年に出来たんだそうで、天気予報は災害被害予防のために大事だからというお題目と、気象予報事業の民営化という目論見もあって、「気象予報士」という国家資格を作って、国家資格がある人しか予報業務はできない、という風に仕切った。これによって、TVなどの天気予報コーナーはそれぞれ多様化し、変化していった。
それまでお天気担当のキャスターだった人たちの中から、気象予報士の資格を取得して「有資格者のお天気キャスター」として独立的な立場を取るようになる人たちが現れた。もともとキャラ立ちしていた森田さんや木原さんなどが最初期の気象予報士持ちのお天気キャスターだ。確か森田さんも木原さんも、一回目の試験には落ちてた記憶がある。
まぁそういう向学心や先見の明にあふれた先人たちがいて、今は主要メディアにおけるメインニュースの天気予報キャスターは、気象予報士の資格を持っている方が務めるケースが多くなっていて、それぞれ個性を出して予報を伝えている。NHKニュースや在京キー局の夕方ニュースのお天気キャスターは現在、男性が多数派になっている(私は東京在住なので地方局の状況が分からない。ごめんね)。ちなみに、wikipediaによると気象予報士の男女比は圧倒的に男性が多い(男性 88%、女性12%:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97%E8%B1%A1%E4%BA%88%E5%A0%B1%E5%A3%AB)ので、そういうところをほじくり返して、理系に進む女性の少なさとかメインメディアのお天気キャスターは男性が多い状況に対して、「女性差別だ」と言うのは、ひょっとしたらあり得るのかもしれない。個人的には詮無いことだなと思う。
要するに、増田の間違いの二つ目がこれ。現状、TV局中心で考える限りではお天気キャスター(類似的に気象予報士)は男性が中心だが、気象予報士の男女差を考えたらごくまっとうな比率だ、と言えると思う。
一方で、気象予報士制度の制定後でも、天気予報のニュースを読むだけなら別に資格は不要なので、「有資格者が行った予報を読むだけの人」という方向に分派していくコンテンツも現れる。「かわいい女の子にかわいく天気を伝えてほしい」というニーズを汲んだ気象予報コンテンツがそれ。めざましテレビとかね。民間に門戸を開放したことによって天気予報が多様化し市場が作られた。とても豊かなことだと思う。
増田があげているニコニコの天気chは私は見たことがないが、ニコニコの媒体特性などを鑑みると、「かわいい女の子に天気を教えてもらいたい」ニーズを汲んだコンセプトの番組なのかなと邪推する。多様化の結果の企業努力であり単なる市場競争でしかないから、いちいち批判する暇なフェミニストがいたならそいつはアホだと思う。いやー多様性って素敵だね。
増田はTVを見ないのかなと思うのだが、旧メディアでは男性が多数派ながら女性も頑張っている、そしてそのメディアの特性に合わせて「かわいい女の子推し」が売りのコンテンツも供給されている。お天気キャスター市場は、ある程度は健全な、成熟した市場を形成していると推察できる。
増田がもし「お天気おねえさんが天気予報読まされてるだけ!性差別!」と思ったのなら、それは増田が「かわいい女の子がお天気を教えてくれるのが好き」で、そういうのばっかり見ているから、だと思うよ。