はてなキーワード: 文化資本とは
わかり手こと小山晃弘も、白饅頭も、弱者男性のことを収入・容姿・コミュ力・モテなどが不足した社会的弱者ととらえてきた。
そしてその層の生きづらさと鬱屈の責任を、弱者男性と対をなす「強者男性」ではなく、「弱者男性を相手にしない女性」に結びつけてきた。
声なきマイノリティのあり方に耳を傾けるテイを取りつつ、彼らの声を聞き届けないのはあくまで「女」だということにしていた。
こういう風に「女性」に矛先を向ける議論は、多くの弱者男性当事者にとって心地よい、受け入れやすい議論だった。
自分を弱者男性だと考える人が「強者男性」の格差について正面から向かい合ったら、そこには自責の余地が生まれる。
自分は「彼らより」収入が少ない。容姿が劣る。コミュ力がない。なぜそうなのか。どうすればいいのか。
考えても解決するわけではない「劣り」について考え続けるのは、緩慢な自傷行為だ。
それとは真逆に、「女性」に矛先を向ける議論は、他責の矛先を提供してくれる。
弱者男性が救われないのは、彼らの弱さに配慮しない社会、彼らの弱さを受け入れない女が悪いから。
そこでは「弱さ」は所与の前提になり、ことさらに「なぜ」を問われるべき課題ではなくなる。
ところが去年、白饅頭が医療従事者を社会的強者として叩いて炎上した。
https://togetter.com/li/1926636
今回、わかり手が大谷の容姿をネオテニーだ中性的だとdisり、白饅頭がそれを擁護して炎上した。
https://togetter.com/li/2098940
どちらも、これまで彼らがあえて焦点化してこなかった「強者男性」自体を直接射程に入れた議論だ。
「医者はもっと強者であることを自覚して(医療負荷について悲鳴を上げたりせず)わきまえろ」「大谷の顔は小綺麗で知的でブルジョワっぽいからキモい」「SAPIXっぽい」「高学歴エリート層と同じ」「実家が経済的に豊かであり、幼いころから潤沢な英才教育を受けていたアマチュア・エリート出身者」「メス化」…。
ここで語られていることが事実かどうかはさておき(たぶんだいぶ事実と違う)、
それも、「強者男性にはもっと旧来のマスキュリニティを発揮してほしい」という、倒錯した批判だ。
(「白饅頭の言う「かわいそうランキング」で下位に位置する強者=医療従事者の訴えが世間に聞き届けられるのはおかしい」と言いかえてもいい)
彼らがこれまで語ってきた世界観と、世間で活躍する「強者男性」たちの実像のズレが露呈しつつある。
だから彼らは、そうした現実をファンタジーの方に合わせようとして、
彼らの先入観と違う振る舞いをする「強者男性」を批判している。
彼らは強者男性にいつまでも「古き良き強者男性」らしくしていてほしい。
雄々しく、力強く、堂々としていて、だからこそ思うままに「メス」を手に入れられる、
そうした軸において弱者男性がかなわない「アルファオス」であってほしいのだ。
この数年プチバズり続けているタワマン文学(窓際三等兵など)は、
こういう「おとぎ話のような強者男性」像に対するアンチテーゼにもなっている。
そこで語られるのは、端的に言えば、教育・就職先・文化資本・社会階級をめぐる堂々巡りの自意識だ。
そこでの「成功者」は、マッチョでもないしモテるわけでもないしコミュ力が高いわけでもない。
単純に「親が金持ちで人脈があってSAPIXや鉄緑会に入って良い大学を出て良い会社に入って
高収入を得て美しい妻を娶って生まれた自分より目鼻立ちの整った子を自分以上のレールに乗せられる男」が
人生の勝ち組であり、その中でも新参者や中途半端な位置づけの人間は「さらに上」への嫉妬に身を灼かれる。
この世界観の中でも女性は相変わらず「トロフィー」ではあるが、
トロフィーを手に入れられる人間とそうでない人間の差はほとんど宿命的な筆致で描かれ、
そこにはもはや「女性は弱者男性に目を向けるべき」などという主張が介在する余地は全くない。
一億総中流と言われた社会が解体しきって、日本でもペアレントクラシーによる
階級再生産のサイクルが強固に確立したことを苦々しく再確認する物語だとも言える。
わかり手や白饅頭らは大谷批判の中でこうした論点を取り込もうとして、失敗してしまった。
その白饅頭自身が今やnoteで稼いだ金で買ったタワマンに住んでる勝ち組だから、という皮肉な現実はさておいても、
そもそもこうした露骨な階級社会論は、これまでの「女性が悪い」系の弱者男性論とすこぶる相性が悪いからだ。
タワマン文学時代の強者男性とは、すなわち階級的強者であり、自らがずっと勝ち続けるための盤石の基盤を整えた勝ち組たちだ。
そうしたペアレントクラシーによる階級の固定化を緩和するなら、再分配すべきは、女ではなくカネと教育だ。
でも、こんな野党みたいな話をして、弱者男性を自認する当事者が「そうだそうだ」と溜飲を下げるだろうか。
そんなわけがない。「いま」弱者男性である当事者が、カネと教育の再分配によって階層を浮かび上がれるはずがない。
語ってはいけない真実、語れば絶望しかもたらさない真実というものがある。
あ、文化資本ガーさんだ
無理無理
日本がいつまでも政治無関心、汚職だらけ、女性蔑視外国人差別で人権後進国という地獄をやってたせいで、今の日本は水面下で大きく変貌してる
令和世代は、中流家庭はあまり子供を産まなくなった。一方で田舎のDQNやヤンキーは勉強もしないでポコポコ子供を産んでるから、ヤンキーとDQNの割合がどんどん高くなって文化資本が失われてる
それに拍車をかけるように優秀な女性や研究者は続々と海外に移住しており、海外の優秀な研究者は旅行にはきても定住はしない。賃金が低すぎるしブラックな上に女性蔑視も酷くて、とても家族で住めないから
多分20〜30年もしたら日本の人工分布は、大量の何もできないけど年功序列の結果偉くなっただけのおじさん、大量のご老人、大量のヤンキーとDQN、元ニート子供部屋老人、少ない上流家庭、少ない中流家庭、
ということになる
長く外貨獲得に貢献してきた自動車産業は30年もあれば他国に追いつけなくなる。
長年の乱獲の結果、漁獲量減少があらゆる魚種で進み、漁業・農業・畜産も大打撃を受ける。
外貨がないため輸入もままならず、食糧生産・畜産業はほぼ瀕死になり、外食産業も共倒れ
まあ、もう見る影もないだろうね。
まず、妻の学力の低さが子供に遺伝することは無いと言って良いと思う。
子供の学力は遺伝ではなく、生活環境による影響が大きいのを理解してほしい。
そして、その生活環境を整えられるかが難しいのだが、
18世紀にフランスの社会学者ブルデューが提唱した「文化資本」を意識してほしい。
例えば小学生の子供が夕方学校から帰ってきて、宿題を終わらせたとしよう。
晩御飯を食べ、お風呂へ入り、寝るまで1〜2時間の時間が空いた時、何をするだろうか。
クソみたいなテレビ番組を見るのか、クソみたいなYoutuberの動画を見るのか。
そうではなく、本を読んだり、楽器を演奏することを子供が選択できる家庭環境を作ってほしい。
「テレビなんか見てないで本を読め」、「Switchやってないでピアノの練習しろ」
なんて言っても、もちろんなんの意味もない。
母親がアパレルに興味があるんだったら、図書館で借りてきた世界のファッションのビジュアルブックなんかを一緒にパラパラ見るだけで子供は本好きになる。
文化資本があったとして医学部常連みたいな中高一貫校に入れるか?って話なんだよな
高校受験みたいなちょっと頭よければ誰でも偏差値70くらい取れる、猿でもどうにかなる試験じゃなくて本物の高IQの殴り合いやぞ
前にも文化資本があれば俺も有名大学に行ってどうこうの似たような増田があって、同じように「前から分かってれば・・・・・」とか書いてたけど
結局そういう人が文化資本のある家に生まれたところで親のスネをかじってコネ入社するプーにしかなれんやろと思った
まぁ一般的な家庭に生まれるよりだいぶ簡単に稼げたり要職につけたりはするだろうけどな
大学卒業後の進路に必要なものを卒業1~2年前に初めて調べるような人間が裁判官になれると思う?っていう話 なめすぎだし自分の能力を過信しすぎ
もうほんと釣り乙
文化資本がなくて、それの影響が出るってわかったのが立教に行った今だったんだね可哀想に
「国立医学部はほとんど中高一貫校出身者で占められます」なんて書いてなかったんだ。もっとそういう「書いてないし先生も言わないけど当たり前の現実」を知りたかったって話。
非中高一貫からの受験の厳しさが云々ってのは高校入ってから先生に教わったよ
こんな高校からじゃ中高一貫に勝つのは現実的に厳しいって話は何度もされた
まあ中学の時に知っておきたかったって話だろうから手遅れではあるんだろうけど、別に特別な文化資本が無いと知れない情報って感じではなかったなあ
まあそれもあるだろうけどさ、俺は小中学校の図書館にある職業辞典見て、「国家公務員1種試験(総合職試験)に受かれば官僚になれるのか」、「国立医学部に行けば金持ちじゃ無くても医者になれるのか」とか純粋に信じてたんだよ。
職業辞典には「ただし国家公務員試験に受かっても東大法学部じゃないなら採用されません」とか「国立医学部はほとんど中高一貫校出身者で占められます」なんて書いてなかったんだ。もっとそういう「書いてないし先生も言わないけど当たり前の現実」を知りたかったって話。文化資本の高い家の子供とか有名中高一貫校の生徒なら親とか友達とかからそういう話聞けるんだろうけど、俺みたいな両親高卒でMARCH受かって大喜びするような家庭の子供はそういうことすら知らないんだよ。インターネットもほとんど見てなかったし
文化資本のある家に生まれたかった。文化資本はなくても、ママ友同士のマウントのためでもいいから有名中高一貫校に進ませてくれるような家に生まれたかった。
何が「お金が無くても家族揃って夜ご飯食べるのが幸せよ」だボケ。そんなこと言ってるからお前らは貧乏なんだよ。そんでお前らの子供である俺も貧乏。
小学校も中学も高校もほどほどに勉強して立教行って満足してた。3年の終わりに検察官か裁判官になりたいって思った。東大、京大、一橋、早慶、最低でも中央のどれかに行けばよかった。気づいた時には既に大学四年。もっと早くそういう「学校で教えてくれない現実」を知りたかった。官僚も東大法学部に現役で入らなきゃ行けないとか知らなかった。ただ単に国家公務員試験受ければ良いだけだと思ってたからな。それだけ文化資本がなかった。
全然煽りとかじゃなく、仕事の関係で近々住むことになったから、折角ならならではのモノを知って楽しみたいので教えてくれると大変助かる。
(つまり先のバズり話題と同じく、"※ただし仕事は既に確保できているものとする" の注釈付きになっちゃう。ごめん。)
田舎でそこそこ快適に育ったから過去の経験からのバイアスがデカすぎるのはあると思うが、
趣味はほんとに趣味によって都会が良かったり田舎が良かったりでマチマチで、かつ都会メインの趣味でも地方公演だとよく当たって人多すぎなくて快適とか、田舎メインの趣味でも東京からだと多方面にアクセス良かったりでまた色んな要素があるし、
子供の教育って言っても、ガキの頃は田んぼとか海に近い場所で友達と毎日遊んではしゃいでたのはそれなりにいい経験だった気がするし、勉学でも公文とかで高校行って周りは頭良くて人も良いみたいな奴ばっかだったし、定番参考書とか通信の予備校講座とかでそこそこの大学行けたし、周りの友人も多少の差はあれどだいたい似たような感じだからあんまり実感が湧かないんよな。