はてなキーワード: 教養とは
普段バラエティ番組は見ないが、ふと目についた「バチェロレッテ」という番組。冷やかし気分で見たら一気に引き込まれたしまった。
美しい美貌と教養溢れる立ち居振舞い。小さなことに感動し、子どものように笑い、自身を見つめ高めていく。芯のある行動。とても魅力的に見えた。こうありたいという私の理想像があった。
萌子さんは常に自分とは何なのかを見つめ続けているのだろう。「自分とは何であるか」という問いに答えられない男性は落ちていった。
萌子さんは結婚をし子供が欲しかった。だから自分を愛さない男性は落ちていった。
萌子さんは言葉を大切にする。人が口にした言葉は真実であると信じる。自分も、ネガティブな言葉は決して口にしない。そして口にした言葉は真実であると信じるのだろう。
最終回まで見て感動と違和感を感じ、「理想の女性」の決断についてずっと考えていた。
黄コウさんが選ばれなかったのは分かる。彼はおそらく萌子さんを心から愛していなかった。
なぜ永遠の愛を示した杉ちゃんは選ばれなかったのか。ローズは?
萌子さんの世界は美しく、愛に溢れているんだろう。自身の醜い感情を知る機会が無くても生きてこれたし、これからも生きていけるんだろう。
杉ちゃんは人格も申し分ないし波長も合う。収入も充分あるのでこれまで通り生活できるし、それを理解してくれる。なぜ選べない?
「男として見られない」の一点だったんだろう。
途中で萌子の弟というイケメン男性が現れる。幼なじみだが恋愛感情を持ったことは一度もないという。萌子さんは、美しい男性が当たり前にいる世界に住んでいると知った。
だからきっと「愛に外見は関係ない」なんて言っていたと思う。でも杉ちゃんの存在が人生で初めてそれを崩した。
アフターローズでの「本当に好き」は本当なんだと思う。
そう生きてこれたのは一般人とは違う環境、価値観で生きてこれたからだ。それは地上ではなく神の世界に住むかの様に。
それを考えるとローズが選ばれなかった理由は、きっと女神は人を引き上げる事はあっても自分が降りる事はない、ということなんだと思う。
地上で神の精神を持って生きることは大変で、自分の心を守る為にアフターローズの男性達のように攻撃的になったりもする。
ドイツの地元当局の発表では、この像は「戦時下の女性への性暴力に抗議の意思を示す芸術作品」という説明があり、設置を許可したとのことだ。
問題について不案内なドイツの人たちにはすんなり受け入れられたのかもしれないが、私は設置者側のこの説明に、強い違和感を覚えずにはいられない。
あの慰安婦像は、旧日本軍の慰安婦問題に関して日本を抗議・糾弾する運動のために作られ、実際に9年にわたって、その役割を存分に担ってきた。その結果、「平和の少女像」というタイトルとは逆に、この像ができて以来、日韓で人々の反感や不信、憎悪はむしろ膨らんでいる。原因は慰安婦問題だけでないが、それによる両国の感情的なぎくしゃくや対立は根深い。原作者の意図はどうあれ、この像はもはや日韓対立のシンボルでさえある。
特定の役割を担い、平和ではなく不和の象徴となっている像が、「戦時下の女性への性暴力」という普遍的なテーマを扱うのにふさわしいのだろうか。
何やら記事の後半では日本の極右の動きが悪い、どうたらこうたら書いてあるが前半部分で台無し。
像を撤去するという考え方の時点で江川さんも既に極右の連中と同様に誤っているんだよ。
不快感を覚える日本人がいたところで、それはお門違い、逆切れなんだよ。
このまま世界中に建てたらいい。
もしかしてなんだけどアンタ
さっきから感じられないのよね
無神経というか
無頼というか
無精というか
無頓着というか
無様というか
無粋というか
無作法というか
無骨というか
無道というか
節々に滲み出てるのよ
そういうものが
足りてないんじゃない?
学校の在り方だとか
必要性だとかそーいうの
言うつもりはないんだけど
何事も勉強はしなさいよ
その点だけは確かでしょ
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」
なんていうけど
聞く前に恥を知りなさい
あれって昔のことわざじゃない?
恥をかかなくても知れる世の中よ
人に尋ねる前に
他に出来ることもあるでしょ
煩わせないで他人を
アンタのママでもないわ
認知なんてゴメンよ
こんな大きい赤ちゃん
せめて予習くらいはしてほしいわね
せ・め・て!
……まーいいんだけど
したくもないし
されたくもない
アンタをなじったのは
お駄賃よ
煩わせてることに対するね
← 横だが、俺は中高時代はそういうのはほぼ皆無だった。いや、小学校高学年くらいからだ。中学受験があったから。
読む本は勉強や教養になるモノばかりを求めた。むしろそういうのに飢えていた。歴史なら三国志よりホイジンガー、とか。小説なら漱石から始まってシェークスピアとか。音楽もクラシックが主で、ジャズやフォークが多少。
「あーーーーー知ってる知ってる知ってる!!!これキメツにでてきたやつぅぅううう!僕知ってるよねえ!僕知ってる!」みたいなこと言うじゃん。子供って。
ポプテとか全く面白くない四コマでもミームふんだんに使うことで、キモオタの支持得てたじゃん
「わかる奴にはわかる」のつもりなのかもしれないが、正直寒かったわ
いやこれなんだよ↓
何事もやりすぎはキモいしほどほどは格好良い。
やりすぎててキモいんだわ。
パロディもオマージュも嫌いじゃないよ。でも作者側も「これのパロディいれたら褒められるだろうな」みたいな意図ムクムクさせてる作品多すぎだろ。単刀直入に言うとキモイねん。隠し味をドバドバ入れたらメシマズだろうがよ。作品で勝負しろよ。他作のパロで「わかってる作者」感を出して評価されようとか洒落臭いんだよ。
オタクだって、作品自体を見ろよと。作品を噛み締めたうえで隠し味のパロディを楽しむのはいい。まずパロディ、パロディだから面白いって、消費の仕方としてくだらなすぎるんだよ。
あれもこれもパロディです、これにはギリシャ神話のオマージュのこんな裏設定が〜とかも嫌いだ。少しは作品の独自性を見せてくれよ。一から作ってくれよと思うんだ。なんでも隠喩しまくればいいってもんじゃない。12星座に準えて〜とか逆に薄っぺくてがっかりだ。
隠し味の主張が強すぎるのも、隠し味が入ってて凄い!って褒め方するのも下品だよね。
あと、
これもな。これもでかい。「知ってること」に大した価値がなくなったんだよな。ネットミームなんか知ってること何の価値もねえから。そんなのでオタク特有の選民意識とか発動されても痛いわ。アニメも映画も制作秘話も今の時代誰にでもアクセスできるんだよね。昔のオタクだったら「マイナー雑誌のために月1で隣町の本屋まで行った」とかで仲間内で尊敬されるのかもしれないけどさ。Twitterでバズってるネタを知ってる価値って限りなく低いから。
インテリの教養のある俺仕草も正直嫌いだよ。知ってるアピするためにお勉強ちたの?って聞きたくなるわ。そしてその教養が高校の教科書レベルだった時は聞いてるこっちが恥ずかしくなる。知識を振りかざすのは恥。ホンモノはアピらなくても溢れ出すもんだろ。
平安貴族の教養アピ、嫌い。和歌文化も基本嫌い。「こいつらクッソキショいな」以外の感想ないだろ。それ以外に何か感じられる奴いるの?
生まれで決定した身分でご教養を身につけて道楽に耽ってるだけのカスだぞ。超搾取上級国民が内輪のノリで教養ごっこしてるのの何がそんなに面白いんただ?日本文化史のなかで1番嫌いな時代だわ。
恋には情熱的で、些細なことで感情を揺り動かされ、悲しい時は悲嘆に暮れ、……みたいな感情を露わにした生き様は良いと思う。が、ああいうのって「めちゃくちゃ余裕のある暮らし」だから成り立ってただけだよな。没落いうても税で食ってますやんっていう。搾取の上の優雅な暮らし。
教育も教養教育と実学教育に大きく分かれ、教養教育は進歩的教養と古典的教養に分けられるだろう
ステークホルダーの立場からは、大学職員にとっては職場だし、文部科学省官僚にとっては天下り先だ、私立大学の経営者にとっては商売だ
学生にとっては就職へのパスポートを得る場だし、左翼党派や新興宗教にとってはメンバー獲得の最重要拠点だ
それぞれ同床異夢をみているのだが、現状はいささかバランスを欠いていて、学生にとっての就職へのパスポートを得る場、私立大学の経営者にとっての商売、文部科学省官僚にとっての天下り先としての側面が強くなりすぎているんだと思う
大学は教養を身に着ける所であり役に立つかどうかは関係ないという主張と、大学教育は役に立っている(例えばこんな事に)という主張が同時にされる事が多い気がする。
同時にされると両方の主張の説得力が薄れる。
悲しきかな、ガースーが代表してるのはせいぜい「教養のある労働者」で、全国民の総意でもないしとはいえちゃんと独裁できるほどのインテリでもないんだな
日経から出てた反論記事で挙がってたような、エリート集団としての政府にテクノクラシー的な知見を与える機関としての学術会議は最早機能しないし、ガースー体制では使い道がないのも事実なんかねと思う