はてなキーワード: エビデンスとは
医学的エビデンスに乏しく感染症予防への効果が不明瞭なうがいを、手洗いと同列に並べるな。
そもそも、うがいが必要な人なんてごく限られてるだろ。粉塵や煤煙で汚染された場所で働いているならうがいの必要もあるだろうが、そうでなければうがいなんて不要だ。
喉を乾燥から守って潤したいのなら、水をわざわざ吐き出さずに飲み込んだほうがいい。口腔だけでなく喉の奥や食道までを潤すことができるし、水分補給にもなる。
厚生労働省はインフルエンザや新型コロナウイルスなどの感染症予防として手洗いやマスクの必要性を啓蒙しているが、そこにうがいは含まれてない。確かな医学的エビデンスが無いんだから当然だ。もしも厚生労働省がうがいの有用性を主張しているっていうなら論文なりURLを示してくれ。全力で謝罪文を書いたうえで土下座させてもらうからな。
医師によってはポビドンヨードの含まれたうがい薬を害悪であると主張する人もいる。喉は繊細な粘膜なので、皮膚と同様に消毒液を用いたら粘膜が荒れてしまうからだ。粘膜に対する消毒は基本的には厳禁だ。肛門も口腔と同じく粘膜の入口(出口?)だが、石鹸などで必要以上に洗いすぎたら肛門が荒れてしまうのは常識だ。うんこを頻繁に漏らしたり肛門臭ケア😡を心がけたりしている諸君らにとっては釈迦に説法だろう。
国民の公衆衛生向上を目的として組織された厚生労働省とは違い、薬を売って金儲けをしたい製薬会社は、「手洗い・うがい」という言葉を使ってうがい薬を宣伝してやがる。国民の健康を阻害させるうがい薬を「手洗い」と同列に扱うな。宗教儀式にすぎない「うがい」を衛生行動として喧伝するな。
ある
2007年のコクランレビューでは、200 mg/日以上のビタミンCを予防的治療として継続して、または風邪症状が発現した後に使用したプラセボ対照試験について検討した [83]。ビタミンCの予防的使用によって、一般集団における風邪の発症リスクの有意な減少はみとめられなかった。しかし、マラソンランナー、スキーヤーおよび兵士を極度の運動および寒冷環境、またはそのいずれかに曝露した試験では、用量250 mg/日~1g/日のビタミンCの予防的使用によって、風邪の発症率が50%低下した。また、一般集団では、ビタミンCの予防的使用によって、風邪の罹病期間が成人で8%、小児で14%短縮した。風邪症状の発現後に摂取した場合、ビタミンCは風邪の罹病期間や症状の重症度に影響を及ぼさなかった。
全体として、これまでのエビデンスからは、200 mg/日以上のビタミンCの定期的な摂取によって一般集団における風邪の発症率が減少することは示唆されていない。しかし、こうしたビタミンC摂取は、極度の運動や寒冷環境に曝される人々や、高齢者や喫煙常習者のようにビタミンCの摂取状況が最低限である人々にとっては助けになるかもしれない[83-85]。また、ビタミンCサプリメントの使用は、おそらくは高用量ビタミンCの抗ヒスタミン作用により[82,85]、一般集団における風邪の罹病期間を短縮し、症状の重症度を改善する可能性がある [86]。しかし、風邪症状の発現後にビタミンCを摂取しても、効果はないようである[83]。
効果なし!
「敵の言うことは間違っている」「味方が言うことは正しい」
このロジックを使って、敵が真に正しいことを言うとどうなるか。
区別のために、「真に正しい」を「誰がどう思うかは関係なく正しい物事」と定義する。
敵「Xである。なぜならY」
この場合、「敵が言うことは間違っている」と思っているので、
「Xではない。仮にXだとしてもYが原因ではない。仮にYが原因と言えるとしてもエビデンスがない」
と集団が考える。ここで、
と主張すると、
と言い始める。
ここで政治が働く。相反する情報を「正しい」と言い始めたら、「どちらが真に正しいのか」をパワーで解決するしかなくなる。
「真に正しい」ことがパワーで決まると考える勢力のことを「社会構築主義者」という。
ただ「Xより重要なWが存在する」というロジックこそが、つまり社会構築主義が正当化できる理由の一つである。
というのも、XであるエビデンスZと、WであるエビデンスVがあるなら、両方とも「科学的」であり、どちらか一方が非科学であるということではない。
XとWのどちらを取りますか?という投票をやっているのである。
一度この「投票」の考えを理解したら、「どちらが正しいという話ではなく、どちらが好きかという話」でしかないという事実に気がつくので、「政治に関わりたくない」と言う人のことをもっと理解することができるようになるだろう。
「私がエビデンス」だもんな
情報理論と量子論の結びつきから現実がシミュレーションである可能性を考える人がいるとして、「そんなのはありえない!」という反応をする人もいる。この差はなんだ?
物理なんてそもそも直感じゃ理解できないわけだし、「ありえない!」は猿の本能に基づいてると思うんだよな。
自称科学通に限って、「科学=直感的に正しいと思うもの」だと無意識に仮定してる。
そんなクソ直感だけで、宇宙の始まりや宇宙の終焉や、この世の仕組みを本当に理解することにつながると?
ニック・ボストロムやマックス・テグマークは、確かに「ぶっ飛んだこと」を言わずにはいられない性格なので、その主張を疑う人もいるだろう。
だからといって、お前のクソ直感だけでは彼らの理論の間違いを証明することはできない。「多世界」「シミュレーション」といったものを証明・否定するエビデンスが存在しないのだ。
そしてそういったエビデンスが技術の発展によって発見されることもある。我々猿の直感でそんな未来を予想することなどできないだろう。
自分ならこうするかなぁをまとめてみた。
あまり小学生向けにはなってない気もするけど、これが通じるならこうありたいってパターン。
それってどれ?となるケースは、まず必ず確認する。
「経営者は見栄っ張りだから、高い車に乗っている」と言う命題なら、「経営者は見栄っ張り」か「経営者は高い車に乗っている」か「見栄っ張りだから高い車に乗っている」のどれかを確認。
エビデンスを出す。
「感想で何が悪いの?」とは言わない。悪意を感じるフレーズだろうけど、言ってないことを読み取っている。
「悪い」とは言ってない。この返しをすると泥沼化する。
「ワールドカップはすごかったね」「それあなたの感想ですよね?」「感想の話しよう」
「それひろゆき?…ダッサ!」
絶対にやるべきでない。
やるべきでない理由は、一番の理由はこう言う勝った感や負けた感を会話でやりたくないことだけど、勝負だとしても単純に負けるから。
よく誤解している人がいるけど、詭弁は「上手い返し方」じゃなくて「使ったら必ず負けるパターン」である。
詭弁を詭弁と指摘されただけで、その論理はおかしいと言う十分な指摘である。
このケースは脅迫論証で、「そんなこと言うなんてあなたはダサい人間になりますよ」と名誉の毀損を脅迫することにより意見に同意させている。
「めちゃくちゃ小学生が言ってそうなセリフだな。」も同類。人格攻撃による詭弁。
そもそも「それもあなたの感想ですよね?」で真っ当に返される。無限ループで全然上手いこと言えていない。
そもそも負けたくないが目的だったら、一番いい方法は単純に負けを認めない事である。
他人から見たらもう十分破綻しているのに、未だ勝負はついてないみたいな自己評価の人いっぱいいるでしょ。
素直に誤ちを認める。そもそも策を弄するには遅すぎる。
言われる以前に、言われるような事を言わないように気をつけましょうしかない。
無駄に足掻いて得るものはないと、損切りを決めるしかない瞬間。
そもそも、親が子供にするんだったら特に大事な瞬間で「きちんと負けること」を教えられるタイミング。
本能的に勝ち負けにこだわってしまうけど、そこからの脱却こそ自分は一番教えたい。
「きちんと負ける」ってとても難しいけど。マインドより表現の問題で。
めちゃくちゃ素直な気持ちでも「ぐぬぬ」みたいなのかなり読み取りがち。
対面でもそうなのに、文だと特に表情の余白が多くて、負けることはそもそも難しい。
本気で反省しているのに、それを表現するので困りがちな人みたいな。
言い方が良くないとか、悪い印象を持たれるとか、抱きしめるとか自由にすればいい。
でも、まずは①→②、③、⑤をやる。
前の段階で、「ダサい人間になる」と言う事を脅迫論証と呼んだけど、この段階なら目的が変わっているから大丈夫。
「私はダサい人間だと評価する」ときちんと主語をつけるなら自分の意見にもなるし特によし。
個人的には「正しく使うならどんどん使え。言い方には気をつけろ。」ぐらいにするけど。
うまいこと言おうとしたり、鮮やかな返しをしようとした時点でそのマインドを反省するべき。
「あなたの感想ですよね?」は言い方がミーム化しただけで、言っていることは仕事でも勉強でも使えるごく普通のことなんだし、奇策に走ることなく普通に返す。
ChatGPTっておもっきし知ったかかましてくるから、真偽が自分でわからないとまだ使えないね。
今年の流行語大賞に「村神様」が選ばれたことは、確かにそうです。「村神様」は、プロ野球選手の村田修一さんのことを指して、日本プロ野球が決めた「#村田修一の日」(2020年5月31日)に発生した「村田修一」のツイートが爆発的に拡散し、社会現象となりました。「村神様」は、その社会現象から生まれた言葉です。
→村田修一のことになってて草。知ったか過ぎ。どんくらい知ったかをかましてくるか知りたくなった。
ヤーコブ・ヤコビは、1782年にデンマークで生まれた数学者、物理学者、天文学者です。彼は、「ヤコビの原理」や「ヤコビの法則」などの数学的定理を発見し、物理学や天文学においても多くの貢献をしました。また、1814年にはノーベル賞創設者であるアルフレッド・ノーベルの祖父であるベルトルト・ノーベルとともに、デンマークで最初の技術大学であるコペンハーゲン技術大学を設立しました。
→ややマイナーな人名として数学者を聞いてみた。前半はともかく後半は真偽不明だった。1829設立のデンマーク技術大学は見つかるがコペンハーゲン技術大学は自分では見つけられない。この前にナポレオンについて聞いてみたけど、これはまあ当然正しく答えてきた。
エチエンヌ・マルセルは、フランスの哲学者、数学者です。1840年に生まれ、1903年に亡くなりました。彼は、現実世界を構成する素粒子や基本的な物質の単位として「アトム」を提唱し、「粒子の衝突」や「粒子の伝播」などの物理的現象を分析しました。また、「不完全性定理」や「確率的自然主義」などの哲学的概念も提唱し、現代の科学理論に多大な影響を与えました。
→全然自分ではエビデンスを見つけられなかった。マイナー人名として14世紀の100年戦争時のパリ市長を聞いてみたのだが、予想と全く違っていた。いくつかの何かが混じってる?全くのウソ?こういう人もいたの?
他人を説得して動かすにはいろんな説明とか理屈とかエビデンスが必要なんだけど
義務教育では偉い人が言えば黒も白みたいな価値観で洗脳されてしまっていて
空気とか常識を振りかざせば細かい説明は不要みたいな社会になってしまっている・・・ように思われたが
エビデンスってあるんだっけ?
正しく読むとどうなるか
これは推測ではないのか?推測とも憶測とも呼べない、何の根拠もない妄想に近いと思うが
知能が幼稚園児以下ですね。まず医療行為と医療手法を分けて考えることから理解してこうねバカちゃん。エビデンスに基づいた手法と、個別の患者に対する合意に基づいた医療行為。
エビデンスと合意に基づいてない事例の話を挙げてくださいね。あなたは憲兵団に捕まって説明なしに強制的に注射を打たれたんですか?あなたの主張は意味不明です。
外野って何ですか?
承認を受けた医療や学会のようなものを権威とは呼びません。反ワクカルトは幼稚園を出てないのでしょうか?権威ではなく有効性確保のための仕組みです。
主張も会話も成立してないです