はてなキーワード: お供えとは
俺が働いてる現場の近くで昔死亡事故があったらしくて、割とお供えもの置いてあんのよ
台車で通る時に邪魔だからちょっと退かしたんだけど、間違えてそのままお供えもの捨てちゃったんだよね
写真には写らないけど、鏡見るとハッキリ俺の肩に手をかけてんのがわかる
背中を鏡で確認しても引っ付いてなくて、肩に手のひらだけしがみついてる感じ
自称霊感のある友達にそれとなく話したけど、特に何も感じないとは言われた
鏡みるとずっと居るから、かなり不気味ではあるんだけど、正直しばらくこのままでお願いしたいんだよね
この幽霊?が便利でさ
目覚ましかけ忘れた時に、めっちゃ耳鳴り使って起こしてくれたり
夜中にスマホやめられないでいると、3G入るくらい回線悪くなってスマホ使えなくしてくれたり
1番有り難かったのは、この間俺の運転してる車の前に、猫が飛び出してきてさ
ブレーキ踏んでついハンドル切ろうとしたら、すんげぇ力でハンドル押さえつけてくれたんだよ
ちょうど俺が車のハンドル切ろうとしてたとこに歩行者あるいてたから、幽霊が押さえつけてくれなかったらひいてた
猫はシッポ踏んじゃったみたいでめちゃくちゃ悲鳴あげてた、猫ごめん
あと猫好きの人ごめん
幽霊的には取り憑いてる状態というのはしんどいのだろうか?無理して取り憑いてるなら解放したい
何か目的があるなら聞きたい
欲を言えばこのまま長居してくれると非常に有難い
霊感ないからわかんないんだけど、肩にかかってる手を見た感じ、全く善玉って気はしない
取り憑いてやろうという執念めいたものは感じる
かなり疲れやすくはなったしな
命まで捧げる気はないが、簡単な祭壇作るくらいならやるつもりでいる
幽霊に取り憑かれるのとか初めてだから、何したら喜ぶとかなんもわからない
祓った方が本人的にもありがたいのかな?どう思う?
それだけなのに。
祖母「あらわざわざお土産買ってきてくれたの増田は気が利くね。
拝んでくれておじいちゃんもお父さんも喜んでるね。
でもあんだのお母さんは一度も拝んだことがないんだよ。一度もだよ。
なんで罰当たりなバカなんだろね。
あんだもお母さんがすることいいことだと思って育ってきたからみっともないところがある、お母さんはお父さんのことを雅昭雅昭呼び捨てにして怒鳴ってなっても良くしねがったからこんなことになってしまった(父親は20年前自死している)、あんだもそういうところがあるから気をつけねばいけねよ」
この時21時だった。
移動に12時間かかって途中途中で寝たのと興奮しているのとで子どもたちが起きていた。
「あんだの住んでる地域の子どもだちはいっつもこんなに遅く寝るんだが?先生やってる〇〇ちゃんの息子さんだば20時にはもう寝るってよ。
子どもの頭の良さは母親次第だがらあんだががんばねといげないよ。」
母と子どもたちの為に毎年帰るようにしているけれど辛い。
辛すぎる。
その羽目を広げて役所に急ぐところよ。
今ここでえいや!って増田を書くのよ。
こないだ激寒いの極まった寒さの中の空調のエアコンシステムが低温で稼働していたので
ある程度の免疫つーかそういうのは睡眠の質の良し悪しでも多少向上するのかしらね?
なにしろやばいと思っていた風邪の引き始めが結局引き始めなかったからよかったわ。
大概さ、
それに気付き飲んだ時にはもうすでに風邪引いている状態の方のことが多いくて、
いまいち葛根湯の効果を最大限に引き出す風邪の引き始めの予兆は
すでに風邪ひいていることの方が多く、
その引き始めといえども判定的には気持ち的には風邪を引いていないので、
これが厄介なことにまたそれで飲むタイミングをうまく逃してしまうのよ。
早めのパブロンのいいタイミングの飲むチャンスをずーっと見逃し続けているのよ。
食べる前に飲むでお馴染みの胃腸薬も、
どのタイミングで飲めば正解なの?って
きっと信じること!
それが一番大事だってまるでそうよ大事MANブラザーズバンドの人たちが言ってそうなそれが一番大事ってことで、
あ!私それで思い出したけど、
その風邪の引き始めチャンスの時に葛根湯!ストック!と思って3本組のものを買って備えておいたんだけど、
そうよ!
そういう時に限ってそんなことは訪れる気配が全くなくて
そして季節も移り変わっていって、
さらに時はすぎ
そして棚の中には消費期限の切れた葛根湯が神々しくも棚に鎮座しているのよ。
逆に言えば
飲まないけれどそこにお供えしておけば
その発想はなかったわ風邪の大明神に向かって効果テキメンってやつよね!
葛根湯とパブロンはあってもいいかも知れない委員会の会長に三大候補の一つとしてあと1つあげるものを考えて三つにして、
増田でよくある、
もう3つ言ってるのにあと1つは?って聞くパターンやりたいじゃない。
それかーって思ったわ。
その最後のなかなか1つが今ここで思い浮かばないのが残念でならないわ。
そしてまた季節は移り変わるの。
そしてまた私に棚に鎮座した葛根湯を見付けるのよ。
そんな効果がないと思えるほど
あれって置いたら置いたで飲むのをタイミング失うのよね。
そしてまた季節は移ろうのよ。
いつもそばにある!みたいな。
総じて一言で言えばエアコン寒くて風邪引くんじゃね?って思ったけどセーフ!ってことが言いたかったのよ。
この季節の試運転エアコンして冷房のつもりが全シーズンの運転モードのそのままの記憶が残されているメモリー。
そこも要注意だわ。
大自慢していいと思うし。
うふふ。
みかんの花咲く丘公園前駅の商店街のモーニング喫茶店でいただいたわ。
喫茶店だけど
圧倒的に鯖率高しで、
今日こそは鮭なベイビー!って賭けて気持ちの心の中で思って唱えていたけれど、
やっぱり鯖だったわ。
振り向けばマジで鯖!
鯖しかないのかしら?って言うぐらい脂の良く乗った美味しい焼き鯖。
提供された瞬間もその鯖の皮めは脂がじゅくじゅくとパチパチ弾いて
美味しいを演出するのよ
鮭ではできない芸当よね。
まあ鯖も美味しいので見逃せないのは確かなんだけど、
たまには本当に鮭でありたいときもあるわ。
冷やし忘れのないようにね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
普段は晩飯の時に炊き立てご飯をお供えして線香をあげてる程度のことしかしてないが、仏様の命日や生前の誕生日、記念日には仏花を仏壇に飾るようにしている
その割にお彼岸とかはやってないなー
ちなみにお花を上げる初日はオハギやコーヒー、焼酎の水割りなんかもお供えする
墓参り行けよって気もするがお墓の近くに住んでいる親戚とは不義理してて、さりとて挨拶も抜きに墓参りするのもなんだかなーと思ってたから全然墓参りしてない
法要も任せっきりだ、わはは
それはそれとして
いつも、お花は萎れるまでお供えしている
毎日水を取り替えてるけど、それでも下の方から腐っていくんであるな
そういや、ここ数年は発根させたことないな
茎の細い真っ赤な花が真っ先に腐るから、アレを別の花瓶に挿すようにすればまた発根するまでもたせられるようになるかも
それはそれとして
花びらが散っちゃったりして見栄えが悪くなっても、気にしなければお花は20日間とか平気で持ってしまうから、最近はあげてから一週間とかキリの良い所で片づけてしまうようにしている
どうしたものかなーと
大学から東京に出て、今は妻と中学高校の2人の子供とさいたま市のマンション住まい。
恐らく一生ここに住むと思う。
さいたま市は良い街だ。
自分が都会に出てきた頃に比べれば道も広くなったし、交通も良くなったし、大きなお店も増えて生活も快適。
自分が漁村出身だから分かるが、ここ25年位で埼玉や東京のスーパーで買える魚は圧倒的に品質が良くなった。
大学に出てきてはじめて近所のスーパーで鮮魚を見た時に「こんな腐った色の魚本当に食べるのだろうか?」と思った頃に比べるとだいぶ進化した。
スマホばかり見てる息子達を見ているとあんなに嫌だった海での暮らしが、最近ふと懐かしいと感じるようになった。
ずっと聞こえる波の音とウミネコの鳴き声。
真っ黒な満点の星空から水平線の向こうが段々とオレンジに染まっていく。
あのグラデーションより綺麗な色を知らない。
古くからその土地に住み、大きな家と田地を持ち、しかし戦後の農地改革でほとんどの財産を失い、裕福だった証拠はやたらと広い一族の墓地くらいのもの。田舎にはこういう家が溢れている。僕の家はそんな所だった。戦国時代から続いていて僕で 17 代目だとか?それを証明する家系図はもう火事で焼けてしまったみたいだが。
少し古い映画だが、「サマーウォーズ」で主人公が訪問する田舎の一族、イメージとしてはアレに近い。正月は一族で集まり、当主から順にズラリと並び、その当主がくれるお屠蘇を漆塗りの器におしいただいて、一族の健康と繁栄を願うのだ。僕は当主からすると直系の最初の孫に当たり、父に続いてお屠蘇をいただくのを誇らしく思ったものだ。
しかし当時から不思議に思っていたのだが、父を含む僕の家族はこの家に住んでいなかった。父は長男、つまり次期当主だったのにも関わらずだ。家業は稲作なのに農作業を手伝うことは無く、そもそも他県に住み教師をして生計を立てていた。自然と僕もこの大きな家を他人行儀に感じ、普段は公営住宅の狭い家に住んでいることから、この家のことを盆と正月にだけ滞在する言葉の通じない外国の別荘のように考えていた。「外国」と言うのは、県も違うので僕の方言が通じなかったのだ。
父が家を出た理由は本人からは結局聞けず仕舞いだったが、叔父などから断片的に聞く限りではかなり複雑な家庭環境だったようだ。確かに、僕の知るお婆ちゃんは本当の祖母では無いとか、床の間に知らない男性の遺影が飾ってあるとか、そんなミステリアスな所も「外国の別荘」のような連想を助長していた。これらについては、故人の尊厳のためにも深く穿鑿すべきではないと、当時も今も考えている。
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そんな父は、人の親としてはかなり優秀だった。それまでの経緯から実家の支援は受けられなかっただろうに、独り立ちできるよう手に職を付け、教師としては結構な金を稼ぎ、できるだけ教育に投資して僕を大学に入れたと思ったら、力尽きたようにポックリ逝ってしまった。それでいてそんなに禁欲的だった訳ではなく、夏休みには家族旅行もし、仕事の研修で何度か海外に行き、長期の休みを取っては毎年一人でスキーや釣りを楽しんでいた。
僕自身が興味を持ったことは何でもやらせてくれる父で、書道とピアノは幼児の頃から大学に入るまで続けさせてくれた。サッカーがやりたいと言えばボールを買い、野球に興味を持てばユニフォームを揃え、夜に星空を見たいと言えば立派な天体望遠鏡を買ってくれた。これらはほとんどモノになることはなく、ただ一つ、当時流行り始めていた 8bit マイコンを買ってくれたことが、僕が今でも IT エンジニアとして生きて行くきっかけとなった。
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そんな父にも欠点はあった。とにかく迷信深く、いくつもの新興宗教にハマったのだ。父自身、また僕が病弱だったことや、ひょっとすると実家の事情も影響していたのかも知れない。今でも覚えているのは、自宅に仏壇とは別に祭壇を用意し、そこにお供え物を上げて妙な文章を読み上げる儀式を、僕が担当して毎日夕方にやっていたことだ。
他にも気功か何かで癌が治ると言う宗教に熱心で、こちらは父自身が信者同士の合宿に何度も出掛けていた。教義をまとめたノートを作り、会合で発表する様が写真にも残っている。
世紀末で世の中にはこういうインチキ宗教が沢山罷り通っていた。父の信仰心はその病状を好転させることは無く、父が死んだ後、これらの宗教団体は解散して費した金は全て無駄になってしまったようだ。
これらにどの位散財したのだろうか?僕にはもう分からない。それでいて子供二人を中高一貫校に進学させ、上に書いたように習い事もさせながら、東京の大学に入るまで面倒を見てくれたのだ。教師としての稼ぎだけでできる気がしないのだが、実家の助けがあったとも思えない。専業主婦だった母も死んでしまったので、この辺の事情を聞ける人はもう居なくなってしまった。
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十年振りに、「外国の別荘」、つまり父の実家の大きな家を訪問した。昔僕にお屠蘇を注いでくれた祖父はとうの昔に他界し、今ではそこに僕とは違う方言を話す叔母が住んでいる。彼女の息子が将来は家を継ぐという話を聞いた。
子供の頃、父が作ってくれた滑り台で遊んだ庭は潰されてアパートが立っていた。耕す者の居ない農地は全て売却したそうだ。父の遺骨はもう一族の墓地には入っていない。
タイトルは魔除け。
それはそれは昔、深夜の神社に向かう100段の階段の途中、下から12段ぐらいで私は妹を待っていた
風が、雲を押していた。月は半分だけ顔を隠しているような夜だった。
「お待たせ〜」と階段を上ってきた妹は片手にビール缶を持っていた。メーカーは覚えてない
「生憎小銭がなくて。ごめんね」と言いつつ
妹は申し訳なさそうには全くしていなかった。
だが、責めるのも私には出来ないので
おかしいじゃあないか」とめちゃめちゃな事を言ってしまった。それに対し妹は「?」といった顔をし「お供えにしたり花見で飲んだりするからでしょ。変なこと言うね〜」なんて言うもんだ
それを聞いてやっと私は妹に少し腹が立っているんだなと気づいて、顔をしかめたのだった
それにしたってビールを一缶だけ買って誰が飲むのだろう。私だけか妹しか飲めなくなるが
「で、私思ったの。このビールを半分だけ○○(私の名前)が飲んで、残りの半分を私が飲めば
酔いすぎないかなって」
ああ、そういうことだったのか。ろくでもねぇな
と思いつつ、私はビールを開けて飲んだ
「世界がぐるぐるしてこないぐらいにはあったまるでしょ。酔いすぎちゃうと久しぶりに会った記憶が消えちゃうからね」と妹
確かに次第に酔いが回ってくると、身体がなんだかあったかくなってきた。なるほど
「じゃ、次あたしが飲む〜」ぐいっと残り半分を
飲み干した妹、すぐに顔が真っ赤になった
「ひもちいい〜○○肩貸してぇ」
妹は私の肩に凭れかかった
「弱いくせに一気に飲むなよ…」私は呆れながら
妹の肩に手を回した
「ん、あるね」
「あれでひくと…二人がほひそらをみてるってことはぁ…ほしぞらが二人をみてるってなるよねぇ」
「そりゃ素敵な話だ」
二人は笑った
「なんだよ」
「酔いが醒めて、また二人が冷たくなったら冷たい互いのてをにぎってくれまへせん…か」
妹がこんな事を言う時は大抵酔っている。
私は空のビール缶で妹の頭をコツッと叩いた
「けちんぼ」