はてなキーワード: 釣りとは
この前、「すぐ打ち切る出版社はクソ。作品を想うならもっと続けてから判断しろ」というような意見をツイッターで見かけた。
流行りのWEB小説→書籍化という流れで、1巻の売上が芳しくなく続刊が打ち切られたパターンだったと記憶している。
別に打ち切り作家の八つ当たりはよくある話なのだが、俺が暇なので分析する。ブログでやってもいいんだけど、割とテキトーだからここでいいや。あとなげーし。
なお、打ち切りにも数種類の理由があるが……作家が女子高生に手を出したとか、レ〇プ描写で連載が続けられなくなったとか、そういうのは排除。
「売れなかったから打ち切り」という場合についてだけピックアップする。
あと、ジャンプみたいに「人気がないと打ち切り」ってのも除外。アンケ至上主義は実は特殊で、ほとんどの出版社は売上で打ち切るか判断している。
人気があるから売れるというナイーブな考えは捨てろ。最近はジャンプですら懐疑的になってきたのがアンケ至上主義ってやつだ。
さてさて、「すぐに打ち切る」というものは悪なのか、という問題だ。ここからは真面目に書く。
仮に悪だったとして、打ち切りは、「誰に対する悪なのか」という部分を考える。
「会社員は作品を打ち切っても給料が出る、直接的に生活に響くわけではない。不公平だ」という論法をよく聞く。
これはかなり偏った見方だ。まるで出版社は冷血な売上主義者で、作家を駒のようにしか考えていなくて、創作者を鵜飼いの鵜に過ぎないと小馬鹿にしているようにすら聞こえる。
だが仮にそうだとしても、だ。打ち切りは出版社にとっても手痛い。
ある程度売れる見込みがあったからわざわざ編集が作家とコミュニケーションを取り、内容を読み、校正部によって校正がなされ、デザイナーがパッケージを作り、印刷所が刷り、取次が配本し、書店が売るのだ。
そんな初期投資が「売れなかった」という理由で全部おじゃんになるのだから、当然「打ち切り」とは即ち「損」となる。
よって、冷血なる出版社様にとって打ち切りは悪だ。「損」は「企業」にとっての絶対悪だからだ。
だが悪ではない面もある。
初期投資が回収できなかったとしても、売れない作品を続けて赤字を垂れ流すよりはずっとマシだからだ。
「作品を打ち切れる自由」は出版社側に担保されているべきものだ。
多用なジャンルの本を作るのも、出版物を多くだすのも、返本制度を利用するのも、立派なリスクヘッジだ。
「打ち切りが可能」というのも、そのリスクヘッジの重要な一角である。
あらゆる点で、出版社というのは「作品が売れない」ことでダメージが受けないように工夫をしているのである。そうじゃなかったら怖くて誰も本なんか出せない。
「多くの作品が売れないのは問題だが、1本の作品が売れなかった程度で揺らぐ」ということはない。それを支えているのは「打ち切り」だ。
「売れない作品を、作家がNOと言えばコストを支払ってでも続けなければならない」という慣習が基本的にないことは、実はものすごく健全なことなのだ。
付記:上の文章、作品を完全に商品としてとらえていて、作品に対しての情や尊敬が全くないように見えるが、
そもそも「情」や「尊敬」なんてのはあるのが前提のもので、「特定作品が特別好き」でなければ仕事をしない編集など出版人失格だということは抑えておいてほしい。
面白いと思ったから出版するのだ。売れると思ったから出版するのだ。社会人として可能な限りの努力をした上で売れなかったから、打ち切るのだ。
次に「打ち切り」が「読者に対する悪」かというとNOだ。
何故なら売れていない作品というのは、それを商品として欲しがる人間が少ないということ。
だったらその作品を続ける労力を売れる作品=読者が欲しい作品に回した方が多くの人を幸せにできる。
正直、続きが見たかった作品が打ち切られたら出版社を恨む。キャラクター達の行く末をずっと見ていたかったのに!と怒り狂う。
だが、そこはその分の労力を作家も編集も「よりレベルの高い好みの作品」を提供するための準備であると割り切るのが互いにとって一番いいと思う。
とはいえ権利だけ抑えてWEBから作品削除させて続き打ち切るようなのはマジ許せんがな!うおお!
ここを書きだすと原稿用紙100枚くらいになるからやめることにする。
実はこれ、明確にNOと言いたい。
「売れないものしか作れないのに人生を浪費するな」という言葉だ。
実は本が売れないと、作家は生活できないのだ。「知っとるわ」と言われるかもしれない。
だが、原稿料は、安い。本当に安い。原稿料だけでは食っていけない。
なろうのようなWEB小説をまとめて単行本化するものに関しては、そもそも原稿料というものすらない。
だからこそ印税がある。印税があるから作家は食っていける。いや、大体の作家が食っていけない。だから兼業だったりバイトをしていたりする。
根本的に、
なのだ。実は、金額という意味だと作家と出版社の最低目標は釣り合っていない。
初版2万部の本を1000円で刷るとする。これ、今の大抵の出版社にとっては悪くない話である。全然採算がとれる。(初歩の話をすると、出版は「刷った段階で」、その分の「刷った部数だけ」売上と印税が出版社と作家に発生する)
だが、作家はそうも言えない。印税は10%だとして、200万円しか収入がないことになる。(かなり単純な計算だが論点がズレるのでカットする。そもそもみんな10%印税もらえてるんですかね……)
だからこそ作家業というのは割に合わない。ものすごく残酷なことを言うと、打ち切りレベル作家、そして打ち切りラインとまではいかないまでも、
なんとか食らいついていけるレベルの作家は、早めに諦めた方が人生を有益にする可能性が高い。価値観は人それぞれだが……
暖かい言葉は、「次の執筆のために早めに損切ができたね」という言葉だ。
実はダラダラ続けた場合の方が、作家にとってダメージはデカいのだ。
大きな前提がある。
『ありとあらゆる作品は、同じタイトルである限り1巻が一番売れる』
これは絶対だ。例外はない。あったとしても、マジで例外中の例外でサンプルにするべきではない。
作品の売上は、どんなに売れる作品でも絶対に1巻を先に逓減していく。
だから「1巻2巻が全然売れなくても、打ち切らないでくれ。続ければ売れるかもしれないだろ」という話は、まず破綻している。
もちろん、例えば続けているうちに時事ネタと噛み合ったとか、SNSでバズったとか、そういう意味で続けている途中で「1巻から」売れることはある。
だが、そんな「続けているうちに売れた」とか言える程度の時間が確保できている時点で、速攻打ち切られる作品よりずっと多くの売上は叩きだしていたということは覚えておいてほしい。
要するに、「続けたら売れる可能性がある」なんてのは初めから全ての作品の前提に入っていて、その上で見込みなしだという最低ラインを割ったと判断されたから打ち切るのだ。
加える。
「初版を決める上で重要なのは出版社ではなく数字しか判断材料にしない取次」
「取次と出版社はほぼ全ての出版社の出す本の売上を共有している」
これは、まあ最近は知れ渡っている話なので別に細かく説明することはないだろう。
だが、もう一つの事実がある。それは「取次は最新刊のデータを元に交渉をする」ということである。
上の二つを組み合わせて、「最初の方売れなかったけど打ち切らず続けた場合」どうなるか、ということを考えてみる。
『2万部の本を刷った。だが20%しか売れなかった。よって取次と出版社の会議の結果、2巻は刷り部数を減らし6000部で出すことにした。
2巻、6000部のうち10%しか売れなかった。しかし、打ち切らずに3巻は3000部で出すことにした。
3000部のうち、8%しか売れなかった。しかし、打ち切らずに4巻を出すことにした。部数は1000部……3%しか売れなかった』
上の流れを経た後、例えば別の出版社で企画をやろうとするとしよう。すると、取次的に見るデータはこうなる。
『1000部刷って、売上率は3%』
散々な数字だ。ちなみに上の数字はかなり極端に書いている。1000部の本とか紙代や印刷代すらペイできないから、まず刷ることはないし、%もかなり適当だ。
さて、話は戻るが売上率というのは、刷り部数が少ないと減るのだ。
上の事例を経た作家が次の作品を出す、となった時起こる事態はこうだ。
『出版社的にも、次の作品を出すとき、企画を立案する時、「でも1000部刷って3%の売上しか出てないけど今度は売れるの?」という追求を躱さなければならない』
『そして、取次はもっとシビアに、最新の数字だけを見て、そもそも初版を刷ることを許してくれない』
長くなったが、要するに「残念な数字を残すくらいなら傷が浅いうちに撤退した方が次に繋がる」構造なのだ。
おっと、賢明な人なら気づくだろう。「でもそれって電子書籍版の売上が入らないよね?」と。
「8割方、電子版の売上は打ち切り判断のプラス材料にならない。何故ならほとんどの出版社には、各ストアの電子売上を合算しデータとして参照できる能力がないから」
これは怠慢というよりも、現状の電子書籍ストアと出版社の、さらに言うなら業界全体のシステマチックな問題で、解決するには多大なコストがかかる。言いたいことはあるだろうが、すぐには是正できなさそうだ。
長文になってしまったが、「打ち切り」には多くの事情が絡んでいることが分かったと思う。
「打ち切り」そのものは、残念なものだ。できれば、そうならないでほしい。
出版社の努力不足、作家の努力不足、書店の努力不足。言い始めたらキリがない。
でも、過去に打ち切られた作品のケアよりも、未来を見据えて新しい作品を創る方が、現環境には見合っているように思える。
作品にとっては悲しいことだが、逆に言うと売れない作品のキャラクターと話に縋らないといけないのなら、それは商業作家ではない。残酷ながら。
書きたいものだけ書いていたいなら、同人誌でやるなり、それこそなろうにでも再び投稿して、自分を満たしていけばいいと考えている。
(本当、権利だけ持っていくのやめてほしいんだけどね)
denpa0604という人物。名前からして釣りっぽいが、釣りとしても限度を越えており、『狂人の真似とて(以下略)』である。具体的には。
・宇崎ちゃん作者が献血した件について汚れた血。今からでも遅くない、受血者はボイコットを。などと発言する。
・大坂なおみ選手が日本国籍を選んだ件についてうわぁ…失望…こいつもネトウヨ、愛国者、ヘイターのお仲間かよ…くろんぼのくせに。などと明らかな差別発言(原文ママ)。
・石川優実氏が『ハイヒールもパンプスも選ぶことができる社会』と発言したことに対してあーあ、若いとはいえ色々残念、ちょっと失望。こういう娘はレイプされなきゃわからないのかな…(娘を持つ母かつ性犯罪サバイバーの一人としての意見です)などと言い放つ(原文ママ)。
いつか子供はほしいけど、それは好きな人の子供がほしいんであって俺の子供が欲しいわけじゃない気がする。
好きな人ができたとして、子供を作るとなれば当然自分の遺伝子が必要になる。
でもどうして一番いいと思った人の遺伝子に自分の血を注がないといけないのか分からない。
どうして好きな人に、自分の遺伝子の不出来の後始末を手伝ってもらわなきゃいけないんだろう。
この場合、ほしい子供は好きな人の子であって自分の子ではない。
でも、他の男の種ならいいのかって言われるとかなり嫌だ。
それはこの人との子が欲しいっていうのが別にあるっていうことで。
書いてて思ったけど、俺は好きな相手の子供が欲しいけど相手が同じことを望んじゃダメだって言ってることになるな。
じゃあそもそも好きな人と何かしら関係が発展するってことはまったくないな。
相手の好きを受け入れないけど自分の好きは受け入れてって人はそもそも恋愛できないな。
ただ育てる覚悟がないだけなのか。
そういうことをはじめから考えてる人は人は結婚どころかだれかと付き合うっていうことができるほど成熟してないってことだな。
自分より優れた人の血が欲しい。
でもそれって相手の子孫のレベルを、発展の可能性を下げるってことじゃないか。
ていうか自分より下の血が欲しいって人はどっか生きるのが怖いんだろうな。健全じゃない。
そうか。釣り合うってそういうことか。
https://anond.hatelabo.jp/20191024140445に関して、週末、彼女と話した内容や反応などを、要点のみ、思いつくまま、かいつまんで書き残しておく。
・最初の話題は、「君」という呼び方は世間的におかしいのか、ということ。
→「あと、君のはてなでの登録名を教えろ。」は、元の話とは全く関係ない私信で、残す必要ないのに、残しているあたりが、「はてなで何をすればウケる」かを知っているやり口だ。
→「のろけるつもりは全くなかった」も、釣り師が書きそうな一文だ。
→(追記)「おっぱいの大きな彼女」というタイトルも気に入らないと言われたことを忘れていた…。こっちのタイトルは変える。
・はてなのidを教えた。で、このごろブックマークしか使っておらず、完全に失念していたが、絶賛放置中のブログがあって、それもバレた…。
ブックマークはバレて仕方がないものと想定していたが、「へー、ブログやっていたんだ」と言われて、本当に心臓が飛び上がり、めまいがした。
・会っている最中は、その場でブックマークやブログをまじまじと見られたわけでもなく、「変なことを書いてはいないはずだから大丈夫」と開き直れていたが、昨夜、デートを終えて一人になった瞬間から「やっぱり教えずにしらばっくれておけばよかった…」「まずそうなブックマークは削除しておけばよかった…(ブログを失念していたので、そんな小細工はどうせ無意味だが)」と猛烈な後悔が襲ってきた。
・昨日はなかなか寝付けなかった。
・今朝、「案外まともなことを書いていて驚いた」と、変な褒められ方をした。読まれたか…(そりゃそうだ)。
(彼女は、はてなという場所に対して、あまりいい印象を持っていなかったっぽい)
・なお、一緒に過ごしている間も、彼女が寝ているすきなどにいくつかの記事をブックマークしていたのだが、当たり前のようにそれもバレて(そりゃそうだ)、「中毒か」という突っ込みも食らった。今後は控えたい。
まぁ最近若いのにはやってるとか言ってるけど、どうなんすかね。たぶんカジノ法案関係で裏で電通あたりが活躍してるのかも。
それはさておきテキサスホールデムのゲームがあるんでよくやっています。
このあいだとある卓に入ったんだけど、ペーターくんと自分、他3人の卓です。左の人は俺と同じでチップが少ない状態。残りの二人は1位,2位です。
最初プレイして気がつくのは飛び交うチップの多さです。ここは初心者卓なので、チップブラインド(参加手数料)数も少ないはずなのに、やたらでかいポイントが飛び交っています。
ついていけずにフォールド(勝負から降りる)ばかりしていると、毎回同じ人が強気のレイズ(掛け金釣り上げ)をしていることにに気が付きました。ペーターくんです。
ペーターくんは$700のポット(集金されたポイント)に$8000も$12000も掛けるバカタレでした。
私が卓についた頃には既にティルトモードに突入しているらしく、低額ポットに大金を叩いては小銭をかき集め、高い手札を手に入れた他プレーヤーにボコられてお金を巻き上げられる、といった様相をくり返していたのです。
私も高カードが来たらペーターくんのベットに重ねて、何回か殴って、たくさんチップを頂きました。
空き時間がなくなった事もあったので、30分ほどで私はゲームを切り上げたのですが、あの卓ではその後もペーターくんはチップを吐き出し続けたことでしょう。
まずいらじについての説明
いらじとは (イラジとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
要約すると実力不足のわりに自己評価だけは異常に高く、無知故の的外れだったり不謹慎な発言でヘイトを稼いでしまうトレパクおじさん。
ちなみに名前の由来は「地雷」のアナグラム。触るだけ怪我するってこと。
そのいらじがかつてtwitterで使っていたアカウント名「桜あかり」と同じ名前を使って暴れているAlice Sakura(桜ありす)@ePhonix899E
桜ありすが自分のツイートをセルフまとめしたtogetterの一部。棘では削除済みなのではてブで。
なぜ献血ポスターが批判されてるかわからないオタクへ。 (こんな見え見えの釣り針でも200ブクマ付けばそりゃ調子に乗るわ)
1000万人の女性を救済するには、オタク100万が消えなければいけないという話。
環境型セクハラがなぜ世間から支持されてるのかわからないオタクへ
オタクに対する暴言は「差別」には当たらないという話。 - Togetter
オタクに対する暴言は「差別」には当たらないという話。(増田なので本人かどうか分からないが名乗っているので)
現在は削除されているが京アニ放火事件の時は「放火されて当然」「オタクへの天罰」といった被害者を侮辱する発言をしている。まあ、いらじ本人も似たようなことを言っているんだけど…。
また過去にはいらじの本名を騙ってはてなブログを開設した時期もあった。DMCAを悪用したアカ凍結の方法を紹介した所、自分が凍結されるという醜態を見せてくれる。
これが原因かどうか知らないが、はてなが仕事をしてブログはBANされる。
BAN後場所を変えて懲りずにブログを作る。フォートナイト、スプラトゥーン、PUBG、若者を洗脳する戦争ゲームという記事は217のブクマが付き大漁だった。ゲームニュース系サイトから反論が出たり、まとめブログにも炎上という形で伝わりほくほくだろう。
他にnoteやtwitterに「笛木ひろふみ」「笛木浩史」名義のアカウントを見つけた。笛木ひろふみはいらじの本名。内容自体は他と被るし見る価値もないので省略。
これがいらじの名前を騙って本人へのヘイトを加速させたい粘着アンチの仕業なのか、ただ単にオタク嫌いなのか、注目を集めて承認欲求を満たしたい自分を釣り名人だと思っている異常者なのか、そもそも彼らは同一人物なのか、実はいらじ本人なのかは分かりませんが、
構うと喜ばせるだけなので見かけてもスルーし黙って通報してください。
例え「釣りだと分かったうえでの反論」も「釣りを指摘するコメント」も喜ばせるだけです。
はてな→明らかなスパムや複垢によるセルクマは規約違反でBAN対象。ただかつての低能先生やバカボットを見れば分かるように捨て垢でやりたい放題なので地道に通報するしかない。
togetter→桜ありすのセルフまとめは削除済み。恣意的なまとめやコメントデザインを続けると段階的に強制非公開→強制削除→まとめ制限→ログイン禁止→BANとされるらしい。
twitter→過去のアカウントは凍結されたらしいがすぐ復活できるからあまり意味が無い。それでも黙って通報するしかない。