はてなキーワード: 罵声とは
Cinemascapeでもみんなのシネマレビューでも酷評であったため、あまり期待はしていなかったが、割と楽しめた。
魅力的な作品であるが、酷評も納得の問題点が散見されたため、それらを論じつつ、それでもみんな『渇き。』観た方がいいよ!!ということを論じたい。
以下、ネタバレなし。
まずあらすじを書く。大まかに言うとこの映画は、主人公の娘加奈子に魅入られた2人の男が、その魅力と狂気に狂わされていく過程を描いた話である。
1人目の男、藤島(役所広司)は、加奈子の父親である。藤島は勤めていた警察を辞めた上、加奈子の母親と離婚し、自堕落な生活を送っている。ある日別れた妻桐子から連絡があり、曰く加奈子が覚せい剤を部屋に遺して失踪したという。藤島は加奈子の行方を追う過程で、加奈子が周囲の人間を魅了し、売春グループに引きずり込んでいたことを知り、闇社会の抗争に巻き込まれていく。
2人目の男、「ボク」は、加奈子のクラスメイトである。学校でいじめられている自分を影で救ってくれる加奈子に想いを寄せており、加奈子はこの想いを利用して「ボク」を売春グループに引きずり込んでしまう。心身ともにボロボロとなった「ボク」は、加奈子への変わらぬ想いを抱きながら、加奈子に復讐を果たそうとする。
この映画は、この2人の男の視点を通して、加奈子は今どこにいるのか、加奈子はなぜ闇社会の抗争の中心となっているのか、売春グループの目的は何か、といった謎を解明していくものである。
演出で特徴的なのが、上映時間のほとんどが、藤島が暴力を振るうシーンと、加奈子がその魅力を振りまくシーンで占められている点である。藤島は関係者に暴力を振るい、罵声を浴びせ、時にはレイプしながら謎を解き明かしていく。一方加奈子は周囲の人間をその美貌と言動で魅了し、闇の社会に引きずり込んでいく。
その上で、この映画が酷評されている点をまとめると、以下のようになる。
(1) 結末まで観ても話がよく分からない
この批判は非常にもっともな指摘で、この映画は全部が万事、藤島の暴力と加奈子の魅力だけで語られるものであるから、言葉による説明がほとんどなされない。そのため、加奈子、ヤクザ、不良グループのそれぞれの狙いがどう交錯しているのか非常に分かりにくくなっている。おそらく監督の狙いとしても、この辺は説明する気がなさそうな感じ。
ただまぁこの点はネットで解説記事がいくらでも上がっているので、そこを読んでいただければ解決できるのでご容赦いただきたい。筆者は映画の途中、暴力シーンの連続に飽きてきたところで解説記事を読んで大体の構造を把握してしまった。結果的にそれで良かったと思う。
この批判もごもっともなところで、観客は2時間ずっと登場人物各人の暴力を見せ付けられることになる。殴る蹴る、ナイフで刺す、銃を撃つ、車で轢く、レイプする、建物の屋上から突き落とす、プールに沈めて出てこれないようにする、耳を切り取る、顔に傷を付ける、腹をかっさばいて内臓を踏みつける等々等々、さまざまな趣向を凝らしてくるが、その都度緊張を強いられるため、観てる側はひどく疲れてしまう。
観客は、よく分からん話を2時間も見せ付けられた挙句、暴力シーンの連続に散々痛い思いまですることになる。そうしてほうほうの体で家に帰った(またはDVDを取り出した)後、考える。「一体あの映画は何を言いたかったんだろう?」と。観客としては大変な思いをさせられたのだから、観終わったあとに心に残る、人生の糧になるような教訓を得たいと感じるものである。
しかしこの映画に主題なんてない。監督は、徹底した暴力シーンと加奈子の魅力を描きたかっただけで、そんなものクソ喰らえと思っているに違いないのである(断定)。映画に主題を求める人は、ここで躓いてしまうかもしれない。
(4) 結末(加奈子の在り処)に納得がいかない
この映画では、加奈子の居場所がきちんと明確に示される。しかしそれが、なんというか、えー、そんな端役に、えー?という感じなのだ(ネタバレに配慮した表現)。これはもう上記瑕疵が許せる筆者でもあまり納得がいかなかった、というかもうちょいふさわしい結末があったような・・・。
そんな感じで、酷評ポイントの多い本作であるが、それでも筆者がこの映画を愛してやまないのは以下の理由による。
これである。監督の前作『告白』もそうであるが、監督は謎めいた女の子を撮らせるとめちゃくちゃうまい。周囲を魅了して悪の道に引きずり込む女性といえば東野圭吾の『白夜行』が想起されるが、映画版でこれを演じた堀北真希は、「かわいいけど、そこまで魅了されるほどではないよな」、という感じであった。しかし本作では加奈子を演じた小松菜奈の美貌を監督の映像技術でさらにパワーアップし、そのミステリアスな振る舞い、言動により聖少女っぷりを炸裂させている。これだけで名作ポイントはうなぎのぼりである。
(2) 暴力シーンが痛快
批判の対象にもなっている暴力シーン。観てて疲れるのは確かなのであるが、非常に痛快である。やはり人間、緊張と緩和により快楽を得る生き物であると桂枝雀師匠もおっしゃっておりますし、突き抜けた暴力シーンの連続はこれを得られる点で非常に快楽的なものなのです。
どうでもいいけど耳を切り取るのは『レザボアドッグス』で、オダギリジョーとの決闘は『太陽を盗んだ男』のオマージュなのか?と思っておるのですがどうなんでしょう、詳しい人教えてください。
よく分からん話というのは考察する楽しみがあるわけで、本作の場合原作を読めばこれが解明できるという点で、考察の楽しみを手軽に味わえるものとなっております。ネットには丁寧に原作をまとめた記事もあるしね。
そんなわけで、女子高生だいすき!暴力シーン最高!考察たのしい!という方は楽しめるんじゃないかと思いますので、ぜひご覧になるといいと思います。そしてできたら感想とか増田に書いて欲しいな!読むよ!
罵声を発した本人に,自分が「ネガティブ幸せブス」なのか相談も交えつつ理由を話した.
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自分の生産性について考えたところ,何も生み出していないことに絶望している
人の為にもなってない,社会においてもいてもいなくとも変わらない
人に感動を与える?なにそれおいしいの?
ゆえに自分の存在を肯定できない.自分に関わる事全てが好転すると思えない.
なんか結婚出来そうな気がする事があった
しょうがない.
君たちに見せる顔なんてこんなもんで十分だ
私自身このままじゃいけないと思っている
「現状を変えるにはどうすればいいか」
と相談したところ
解答は
「そんなめんどくさいこと考えなければいいよ」
考えることをやめることが正しいのか?
直感だけで生きてけと?それはあまりに野生的だなwwwと苦笑してしまう
革新的な答えに会えず
表題の炎上事件について→http://matome.naver.jp/odai/2141693171094339801
この件についてはいろいろなサイトでまとめられているのでここで特筆すべき点はない。
ただ、未だにTwitterなんかでこの件の発言している同業者が、作品の好き嫌いくらいある、仕事の愚痴言って何が悪いんだとか、同人くらい許してやれなど、なんとも的外れな発言をしている輩がいるのが大変趣深いと感じている次第である。
はっきり言ってそんなこと言っている阿呆はネットなんてやめてしまえと罵声を浴びせたいくらいではあるが、ではそもそも何がおかしいのかをここで吐き散らしたいと思う。
今回、黒岩氏の問題行動のとされているものが、【仕事のネガティブ発言】【きわどい同人作品の公開】である。
仕事上の愚痴や文句なんて、アニメーター関係なしに誰でもつぶやいているし、ちょっとやる気のでないことなんで誰でもあるのでさして問題ではない。
同人活動についても、アニメーター本なんて世の中にいくらでもあるし、Twitter上なんかでもよくアニメーターが書いた絵がアップされているのでこれも目くじらを立てるものではない。
(同人活動については北久保弘之氏の発言が詳しい→http://ask.fm/LawofGreen/answer/117998437839)
では、これらの行動は何が問題あったのだろうか?
結論から言うと、黒岩氏の行動によって【Production I.G及び作品のブランドイメージの低下】をもたらしたことに問題がある。
まず、この発言をした黒岩氏が、ハイキューやげんしけん二代目など、有名作品の作画監督経験がある有力アニメーターであることを特筆したい。(http://www7.atwiki.jp/anime_wiki/pages/1572.html)
作画監督とは、担当話数の絵の品質を保ついわば管理者であり、何十人という人によって描かれた絵を統一させる、重要なポジションである。
そんなポジションに居る人物が、【仕事のネガティブ発言】をするとどうなるのか。
ファンからすればやる気出せとか本気出せとか憎悪の感情がこみ上げてくるが、最も懸念されるのが、作品の品質の低下である。
こんな発言をしていれば、ちゃんとしたアニメが作られるだろうか?と誰しも不安になるだろう。
当然、黒岩氏に発注したProduction I.G側の信頼も低下するであろう。
ハイキューはスポーツアニメであり、断じて男同士が肌を密着しあう作品などではないだろう。
それを有名な黒岩氏の名前で公開すると、作中のシーンなのかと勘違いも生まれる。すると当然、作品に対するイメージも悪くなる。
(この点は、スマイルプリキュアの大塚監督がコラ画像の禁止を訴えたのと近いと思う→http://matome.naver.jp/odai/2133688607261002601)
以上のことから、影響力の高い人物にもかかわらず、会社及び作品のブランドイメージ低下のをもたらす行為をした黒岩氏に対し、厳正な処置が取られたものと考えられる。
会社側からすれば、自社のブランドイメージを傷つけた社員に対して処分をするのは当然の行為である。
なお、
(出展:http://www.production-ig.co.jp/hotnews/2014/112601)
とあるように、SNSの利用規約が存在することが明記されているため、単なる規約違反であるともいえる。
おそらく規約には、不適切な利用をしたものには作画発注の停止等相応の処置が取られるように明記されていたのだろう。
【匿名で行うこと】に尽きる。
個人が特定されなければいくらでも愚痴を吐いてもよいだろう。同人活動もこっそり(広報活動をしない、別名義で描くなど)行えば良いだろう。
Twitterの鍵付き機能など、プライベートアカウントでは無駄だ。1人でも発言を見ていたら、いくらでも転載される可能性がある。
Twitterを始め、SNSは昨今身近なツールになり、いつでもどこでも投稿や閲覧が可能になった。
だからこそ、すべての発言がネットに繋がったすべての人に閲覧される可能性があることを十分認識しよう。
影響力のある人は、自分の立場を考え、自分の発言・行動がどの様な影響をもたらすのか、どの様な解釈をされるのかを良く考え、軽率な行動を取らぬようよく考えていただきたいものである。
犯罪心理学の書物をみると、「謝ればいいんでしょ」「弁償すればいいんでしょ」みたいな考えの人は再犯率が高いと当たり前のことが書いてある。
しかし、これは結構核心をついた考えと思われる。私は子供の頃から「やたら申し訳なさそうに謝る人」に違和感を感じてきた。
なるほど申し訳なさそうに謝れば許して貰える確率は高い。だからといってやたら申し訳なさそうにするのが礼儀みたいになってて、みんなわざとらしく申し訳なさそうに謝ってる。
罪悪感という言葉があるが、本心から自分の行為を悪いと思っていて、罪悪を感じているなら、
・今回のことをどう償うか
・今後どう改めるか
をはっきり言うものだろう。「仲間に謝る時はルールがある。次どうするかそいつと約束する。そしてそれを絶対守ることだ!!」(ジン=フリークス)
罪悪感ばかり強くて罪悪への理解と対策案がないのでは困る。なぜこんなことが起きるかといえば、そう、罪悪感から謝罪する慣習がそうさせているのではあるまいか?
恥や罪の意識はあくまで内省のきっかけに過ぎない。死刑制度など刑罰の議論においても、罪の重みを思い知らせるという言い方がされる。
ハンムラビ法典でも目には目を口には口をと言われる。確かにそうやって罪の意識を持たせることは大切だろう。特に罪の意識が皆無な人間には有効である。
しかしだな。恥や罪の強さと再犯率は本当に反比例しているのか?そこをよく考えてもらいたい。ここが犯罪心理学の神髄とも言える部分でもある。
再犯を防ぐには、ただ罪の意識があるだけでは駄目。不倫や近親相姦や露出プレイなどに背徳心から興奮する人も少なくないのは分かるだろう?
それと同じで、悪いことだ改めようと思いながらも止められない快楽殺人者がいることを我々はそろそろ理解しないといけない。
どうも人は殺人事件のような話になると感情的になって、犯罪心理を理解しようとしない。また理解をうながしても「理解したくもねえよ何眠たいこと言ってんねやヴォケ」と罵声を浴びてくる。
あのね。目の前の事件に感情をぶつけるだけでなくて、冷静に再発を防ぎましょうよ。再発を防ぐには理解が必要なことくらい分かりますよね。
そう、犯罪を防ぐには、周囲から憎悪をぶつけられて罪の意識を持つだけでは駄目。現実的な対策も必要なのだ。
でまあ、それは社会の側が用意するとして、犯罪者の側はどうすればいいのか?いや犯罪者なんて言うと「私には関係ないわ」って言われるので、
「悪いことをした人」でどうだろうか?何も人がごめんなさいするのは法令上アウトな場合だけではない。
ちょっとうるさい演奏しちゃって隣の人に 「クォラ!」と怒られたとか、友人にしつこく音楽勧めて嫌がられたとか、そんなことで謝ることもあるはずだ。
そんなとき、再発を防ぐためにはどうすればいいのか?罪悪感を持てばいいのか?違うでしょと。繰り返しになるが、罪悪感は反省のきっかけに過ぎない。
罪悪感がいくら強くてもそれは必ずしも自分の悪かったところの反省を意味しない。「謝罪を丁寧にして沢山弁償すればいいんでしょ」と思ってるだけかもしれない。
それなのに、色んな人の相談を聞いてると、どうも直したいと本気で思ってるのに、罪悪感を自らに強く植え付ける作業ばかりしている人がじつに多い。
そのことにずっとずっと常日頃から疑問を覚えるんだよな。真面目に反省する気はありそうなのに真面目に反省してない。
それとも表面は真面目に反省してるフリして「真面目に反省してる私正しい」と酔ってるだけなのか。いや、どうなんだろうか?
それは本人にしか分からないことであるが、少なくともそんなことして何の得にもならないのは確かだ。
本当に自分が哲学的な意味で善い生き方をしたいと望むなら、恥や罪の意識に酔うのはもう辞めにして、「自分を直す良い機会だ」とでも思ったらどうなんだろう?
そのほうが潔く「うん、俺は確かに悪かった!」と思えて清々しいのに。そのほうが俺の人生経験から言っても再犯を防げると思うんだが。
本当に直したいと思ってる人は、これからはそういう反省の仕方をし、罪悪感が先行した謝罪の仕方は辞めるようにしてみてはいかが?
でも、罪の意識を植え付けさせることばかり躍起になって「反省させない」「再発を防ごうとしない」風潮にも問題あると思うんだよな。
言い方は悪いけど、やってることはそういうことだよな。もちろん、「悪いことした人」は「社会が悪い!」なんて言っても不毛だし言ってはいけないけど。
山形サポーターによる“中指問題”は謝罪すべき『事件』か? 安易な処分はJリーグの衰退招く危険性も
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141013-00010013-footballc-socc
Jリーグサポーター応援の方法論については色々な場所で議論されていますし、
どっちが是か非かなんて正解も分かりませんのでここでは書きません。
しかし応援をする以上自分たちの行為がどのような影響を及ぼすかということは
結論を言えば「中指を立てるような挑発行為」は一般的に良いイメージは抱かれません。
現地で初めて観戦していたお客が中指を立てている様子を見て「よし、また見に来よう」と思うかどうか。
中にはそういう人もいるかもしれませんが、ごく少数派です。そこは断言しておきます。
そしてサッカーをよく知らない人がこのニュースを見聞きしてどういった感想を思い浮かべるか。
チームが、クラブが本当に好きならばそこまで考えて応援するのがコアサポーターというものでしょう。
ツイッター上では「この程度のことを問題化するな」という意見が散見されます。
でも普段スポーツをあまり見ないような人たちって皆さんが思っている以上に繊細なんですよ。
実際10年前に初めてJリーグを応援しようとスタジアムに来場した頃の自分は
ブーイング一つにしても「この人らは何をそんなに怒っているの?」というのが正直な感覚でした。
それまでスポーツ観戦自体も1年に一度くらいプロ野球を内野席でゆっくり見る程度でしたし、
スポーツを現場で見る機会が極端に少ない人種というのはそれなりに居ます。
そういう人たちが初観戦の場で大声での叱咤激励や怒声・罵声、中指を立てて罵る様子を見てどう思うのか。
(私は今では慣れてしまいましたが)
コアサポの方々はよく「これが俺らのスタイルだ、嫌なら来るな」と仰る。
まぁ、チーム成績に関わらず何もしなくても常に観客の入るようなチームならそれでもいいでしょう。
しかしほとんどのJリーグチームが毎年資金難に悩まされているのは報道の通り。
クラブにとって最も直接的で大きな資金源となるのが観客、つまりチケット代です。
一般の人たちに媚びてでもスタジアムに来場して頂かなくてはならない状況なのです。
それを自分たちの矜持の方が大事で排除すべきだというのなら、まぁ、それも一つの判断です。
しかし私はそんな人たちのことを「サポーター」と呼びたくはありません。
いわゆる「コアサポ」の方々がよくやる行為、相手チームを挑発したり、
仲間内でしか通じない言葉を使ったり、自分たちと異なる人たちを馬鹿にしたりする行為は
一つの集団がより先鋭化し、集団を形成する人たちの親密度を高めるのには効果的でしょう。
しかしそういった集団は傍から見れば異質なものにしか見えません。
また「海外ならこれくらいは普通」「いやもっと過激な所もある」という声もよく聞かれますが、
他所は他所でしょう。なぜわざわざ国民性のまったく違うリーグの真似をする必要があるのでしょうか。
Jリーグにやって来た外国人選手が日本の応援スタイルを褒め称え、
国際大会などで日本のサポーターが外国から賞賛を受けているニュースなどを見ると、
それをあえて曲げてまで外国の真似をする必要があるとは思えません。
記事には「通報が応援を萎縮させる」というような内容のことが書かれていますが、
通報されないような応援をすればいいだけなのでは。それくらいのことも出来ないのでしょうか。
Jリーグは規定に定める通りに「差別的、侮辱的もしくは公序良俗に反する発言や行為」を罰しただけです。
ルールを守れないような下手糞な応援は止めていただきたいものです。
どうせなら観客が増えるような応援をしてほしいですね。
こっそりドアを開けると(どのように鍵を開けたかは忘れた)恐ろしい光景が。
体育座りで座り込むWさんを円になって囲むようにクラスの女子全員が立っていた。
そして、Wさんに対して「豚」「焼けど野郎」などと罵声を浴びせていた。
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