「情報量」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 情報量とは

2016-02-22

スマホゲームリアル付き合いの促進ツールである、と気づいた

http://anond.hatelabo.jp/20160222000455

まったく同感。自分(ちなみに高橋名人世代w)もやり始めの頃は同じ印象を覚えたよ。

そして気づいたのは、パズドラって狭義のソシャゲーではないけど、

ゲーム画面の向こう側にリアルな交友関係を前提にしたゲームなんだなってこと。

友人や知人、家族なんかに攻略法を教えてもらいながら先に進む。

から、あえて「この先何をしたら良いか?」を明示していないし、

明示していないことがゲームを通してのリアルの人付き合いを促進する。

(これは黎明期コンソールゲームにも通じるけどね)

現在コンソールゲームだったら、プレイヤーゲーム内で適切なタイミング

かつ適度な情報量で何をすべきかが指示されている。その適切さがゲーム評価にすら繋がる。

(その全く逆で世界的にバズった『P.T.』もあるけど、あれは例外中の例外

パズドラCMなんか見ても、もはやゲームとしての楽しさより

パズドラを通してのリアル交流が主眼になってるのがよく分かる。

また、リアル交流が豊かであればあるほど、ゲームの進行も円滑になるように設計されている。

パズドラじゃなくてツムツムなんかも、一人でプレイしてると「ハート(残機ポイント)」の関係上、

一度にせいぜい15分くらいしか遊べないけど、リア友からハートを送って貰えば、いくらでも遊び続けられる。

オレは娘との会話のネタにツムツムを始めたけど、

娘がツムツムを1時間近く遊び続けているのを見て、初めてそんなゲーム設計になっていることを知った。

(これは教えてもらうまでは意外に気づかない要素だ)

ちなみに、娘はツムツムでオレとフレンドになるのが嫌だとさ(泣)

2016-02-18

クロエ流儀って言う漫画話題らしいからちょろっと読んだんだけど

スッカスカで話にならん

背景真っ白のギャグ漫画4コママンガのほうが情報量があるレベル

みつおの詩と並ぶレベルの薄さだった

2016-02-15

人類が『鉄雄』になる

ヒトをヒトたらしめているのはその “脳の大きさ” に他ならないが、その肥大化した脳は大きくなればなるほど「情報を求め、常にインプットされる情報が多くなるように行動する」というロジックを脳の基本的機能として組み込んでいった。

そのロジックに従い情報を吸収し続けた結果として脳が肥大化したのか、大きくなったからこそより情報を欲するようになったのかはニワトリタマゴと同種の話であろうが、いつのからかヒトはこの巨大な脳のために常に情報インプットし続けるよう行動するという習性が備わった。

そう考えると今、皆がひたすらにスマートホンに顔をうずめている光景も納得がいく。現時点で最も効率良く、場所時間に縛られずに情報を得られる “窓” がスマートホンだからだ。

コミュニケーション欲求も、とどのつまり自分社会的位置情報の取得、あるいは周囲の “ノード” との相関関係確認作業である他者との “共感” のやりとりにしても、「分かり合う、分かり合えるかどうか」というのはつまり情報通信プロトコルの動作確認的な意味合いが強い。相手と“会話”という名の情報通信が可能かどうか。他者との関係性は情報流入のためのインフラのものであり、インフラの出来によって得られる情報量に大きく差がでるのだ。

ここにおいて情報の中身や質は関係がない。常にインプットし続けることこそが目的であり、それこそが脳の “要求なのだ。脳への情報インプット効率を高めるためにヒトは “インターネット” を構築しそこを覗くための窓であるスマートホン” を作った。すべてはヒトの脳が欲したものだ。

スマートホンに顔をうずめ常に何かしらの情報を追っている方が、よりヒトの脳が求める要求に忠実なのであり、“より人間らしい” のだ。スマートホンなどに抵抗を感じ「おかしい」と声高に叫んでいるような人間は、古い習慣に囚われ脳の要求無視する「人間らしくない」生き物だ。ヒトであるならば素直に脳の要求に従い、貪欲に情報を貪り続けなければならない。

ヒトはもうスマートホンを捨てられない。情報によって強化された脳がより強く情報を求め、もうそれを抑制することはできない。まるでクスリによって手に入れたチカラに依存し飲み込まれていった鉄雄のように、ヒトも制御できない情報流入で溺れ壊れていく。その過程の真っ只中に我々はいる。mn3

2016-02-14

最近はてブコメントを見るのが億劫

以前は特に何も考えず漫然とコメントを眺めてそれなりに楽しんでいた。

アイコンを見かけるだけでテンション下がるユーザーが現れるまでは。

そいつは、俺の書いたコメント過剰反応して俺のはてブ誹謗中傷タグを付けた。

まあ、そこまではいい。ただのバカなら相手にする必要もない。

だが気色が悪いことに、そいつは今ものうのうとそれっぽいコメントを残しては、

それなりに大量のスターを稼いでコメントの上位でうろうろしていやがる。

非表示にすればいい、とも思うが、それはそれで情報量が減るしなんとなく気持ちが悪い。

はいえ、そいつコメントを読むとテンションが下がる。

そのコメントがそれっぽいことを言っていれば言っているほど。

お前、俺に誹謗中傷タグつけといて、よく平然とそれっぽいこと書けるな。

なんだか、むなしい。

2016-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20160206210147

ネットだと馬鹿にされてるけど新聞読むのが一番だよ。

情報量とその見やすさが圧倒的に違う。

2016-01-24

コインパーキングに書いてある「100円」って何だよ

外の看板にはそれしか書いてない。

何分100円なのかは、駐車場内の表示を見ないとわからない。

それって情報量ゼロじゃね?そういう表示は法律禁止すれば?

2016-01-22

今をときめく時代最先端IT業界にあって

SI屋の現場コミュニケーションはほぼ長文メール設計書(文書)です。

隣にいても会話はありません。

うちのプロジェクトメンバー間の情報量は50年前の通信レベルなんじゃないでしょうか。

2016-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20160121170515

超わかる。

あいつら「いかにイケてる(と俺らが思う)論文タイトルをつけるか」に命掛けてるから

タイトルに何の情報量も無くて科学論文としての体裁保ってねーだろって論文いっぱいある。

競争が激化しすぎて一発芸の世界みたいになっちゃってるんだよね。とにかく初見インパクト与えた奴が勝ち、みたいな。

査読システムもなんか大学受験ゲームみたいな感じになってきちゃって、ルールブック丸暗記してきましたか?みたいな評価になってる。

とにかくなんでもいいからstate-of-the-art出せばオッケーだしstate-of-the-artじゃなかったらクソだよね、学問的に意味のある積み上げ?そんなもんはstate-of-the-art出してから言えよカスwwwwwって感じになってる。

そんでサクっと一発インパクト出して(情報系なら)GoogleとかFacebookとかMicrosoftあたりに就職すればOKっていう。

結局のところ、工学科学じゃないし、プレイヤーほとんどが今のルールで勝つことしか考えてないんだなって思う。

2016-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20160119151515

社会価値観内面化できないっていうのは、人間(じんかん)で生きていけてないという意味で、

正直、うすら気持ち悪い奴だなぁという感じはある。

「痛さ」を強固な価値判断基準として重きをおいてるみたいだけど、言い換えれば「痛い」とは「社会の標準に沿ってない」ということとほぼ同義だよね。

社会価値観内面化できない」ということを言ってるんだから定義から「痛い」のは当たり前であって、「痛い」と指摘することは何も情報量を増やしてないと思うぞ。

ん?敢えて痛いことをしている人と天然さんとでは、改善の見込みがまるで違うと思うんだが?

http://anond.hatelabo.jp/20160119151041

あとたぶん君が思ってるよりもさらに歳いってる。

狙ってやったことなんて全然無いのに、物心ついた頃から何十年もずっとこの調子からな。

そりゃ「価値とは何か」とか考えざるを得なくなるってもんなんだよ。

「痛さ」を強固な価値判断基準として重きをおいてるみたいだけど、言い換えれば「痛い」とは「社会の標準に沿ってない」ということとほぼ同義だよね。

社会価値観内面化できない」ということを言ってるんだから定義から「痛い」のは当たり前であって、「痛い」と指摘することは何も情報量を増やしてないと思うぞ。

2016-01-18

スマホフォントがでかすぎてうざい

文字サイズもっと劇的変えられるようにしてほしい

スマホでまで年寄り優遇かよ

スクロールめんどいんだよ

位置画面の情報量もっと増やしたいんだよ

画面がでかくなって文字もでかくなったら意味ねーんだよ

2016-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20160114231352

なんにもやる気が出ないときはもっぱらWiki推敲やってる

ジャニーズとかは粗が目立つ上に情報量多かったりで結構やり甲斐ある

2016-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20160114102731

出たよ、時間稼ぎに使ってくるお得意の「教えて君

何か言ってるようで何も情報量が無い文章書くのやめたらどうか。

責任を担うべき自らの仕事」とはなにか?何を持って「責任を果たした」ことになると思ってるの


てめえの読解力のなさを棚に上げて人の文体攻撃揚げ足取りシフトするのはみっともないからやめたらどうか。

引用記法まで持ち出して大得意のようだけど、お前のしている質問の答えはその引用中にすらでかでかと書いてある事くらい、岡目八目じゃなくてもわかるレベルもっと周囲の目とか気にしたら?

責任を担うべき自らの仕事」がわからないなら社会人やめたら? 何を持って「責任を果たした」ことになるのかすらわからないなら社会に出て役割果たすのやめたら?

http://anond.hatelabo.jp/20160114110353

昔より情報量は多いと思うが。

もちろん、それでも結婚する人は結婚するが(多くの人はそうしている)、育児の苦労をまったく知らなかった!って人は少ないのではなかろうか。

思った以上だった!とかはありそうだが。

http://anond.hatelabo.jp/20160114100755

組織ルールマナーが厳然と存在する中で、それを超えてなお振られる仕事がままあるという現実理解した上で、「できないものはできない」と言う事は、要は自分の都合が最優先で、得られる給与代替責任を担うべき自らの仕事二の次という事だからだ。

何か言ってるようで何も情報量が無い文章書くのやめたらどうか。

責任を担うべき自らの仕事」とはなにか?何を持って「責任を果たした」ことになると思ってるの?

2016-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20160106191326

実家レコードがあるので聞いてみましたが、レコードレコードらしい音がします。

レコードらしい音が良い音かどうかは別問題かなって思います

アナログ方式ですから、そりゃデジタルよりも滑らかで情報量も多い?のかもしれませんが、

劣化宿命からは逃れられませんし、一長一短でしょう。

2016-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20160101202037

地元氏神がどこにあるかってのと、で、そこは大抵分社だから本社はどことか

そこで行われる祭礼はいつ、どんな形でやってるのかってのはその地方で暮らすには必要一般教養

調べてみると、神道なんか元は土人のまじないで、仏教儒教悪魔合体してようやく宗教の体を成して

まともに整ったのは政治的要請のあった明治以降だし、地元の祭礼なんかほとんど戦後に始まったような

さして由緒正しくもない、まず集まり(講)があった上でこじつけで由来を作っていったものも多い

そうして本気で調べてまとめてみればA4 1枚に収まるくらいの情報量だが

そういうペラ紙1枚で収まる程度の情報の蓄積が教養というものだと思うよ

2016-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20160103120716

「質感」や「デコボコ」というのは話を分かりやすくする一例で、意外と人間、トータルな情報量を受け止めて読解してますよ、という例えです。

ここらへんの細かいお話しは「ノンバーバルコミュニケーション」とか調べてくださいな。

◇◇◇

多分美術展を楽しむ素養自体は俺より遥かにあると思うので、何かのはずみでここらへんの機微が、ぽこっと納得できたりするかもしれません。

実のところ「そんなのは例外ニッチな遊びだ」という意見は、メチャメチャよく分かるんですよ。俺もそこで10年以上は足踏みした。

ただ、世の中には言語的なアプローチ以外もあるんだと丸呑みすると、色々いい加減に楽しめてチョロいんですわ。

◇◇◇

まぁこなのはただの言葉遊びなんでクソの役にも立たないんですが、もしかしたら10年分の近道になるかもしれんので、頭の片隅にでも放り込んどいてくれると嬉しいス。

http://anond.hatelabo.jp/20160103012627

展示物にもよりますが、絵画といえど完全な二次元ではなく、厚みと質量を伴った造形物なので、その質感を観察するには実物を見るしかないと思います

写真になった時点で、色も絵具の厚みも光の反射も情報量が減ってしまます

対象物の立体としての凄みを写真という二次元に変換するのが難しいから21世紀の今もプロ写真家、というのが存在しています。逆にいうと、プロですら再現が難しいくらい、物質のものもつ情報量というのは多種多様で膨大です。

なので、そうした質感や物質としての強さを手掛かりに、展示物の文脈を読み解いていくことが、美術を鑑賞するいちばん醍醐味なのではないでしょうか。

つーか、まぁ、俺もほとんど美術館行かねぇんだけどな。

2015-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20151215232026

場の情報量一切増やしてないのに「俺は頭がいいんだぜ」ってアピールするのは間違いなく馬鹿だな

2015-12-13

情報ダイエットで簡単に幸福感が得られるという話

面倒だから詳しくは書かないけど、自分が受け取る情報量幸福感の度合いは反比例するみたいだね。ここ半年生活感の変化に非常に感動したので、この場でシェアしたいと思う。

これは厳密な心理学研究結果なんかでは全くなくて、単に半年間(無理のない範囲で)ネットテレビから離れた自分の実感だから効果には個人差があるのかもしれない。とはいえ、少なくとも長年悩まされてきた抑うつ感、不安感、焦燥感のようなネガティブ感覚日常から消え去ってしまったし、以前はリアルでの人付き合いが嫌いで仕方なかったけど、最近はわりと楽しめるようになってきた。あと、何かをやる前から怖気づくことも少なくなったし、そもそも何かをしようとする気持ち自体が増してきた印象すらある。

その代わり、当然、世の中の動きとか政治問題には疎くなってしまう。しばらくぶりに増田をのぞいたらどこか遠い国の出来事に感じてしまうくらい、かつての情報に対する感度、皮膚感覚はなくなってしまったようだ。むしろ最近は人に何かを話すよりも、人の話を聞きたいという気持ちの方が強くなってきた。

たった半年でこれほど精神面での違いを実感できるとは意外だった。この実感から自然と思いついたのは、自分を苦しめ続けてきたのは、世間を騒がせる問題自分の不甲斐なさ、能力不足ではなくて、単純に多すぎる情報だったのではないか、ということ。

ただ、これは「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い」という価値観を真っ向から否定する生き方なので、知的で思慮深い増田ユーザーの多くに反感を買う考え方かもしれない。

また、これはSNSで見られるような「リア充」とは何か違う感じがする。肩の力が抜けて毎日を楽しめるものの、他人に自慢できるほどのことは何もしてない。自慢するために何か変わったことをしたい、という気持ちもあまりなくなってしまった。楽しければベタでも別にいいじゃん、ってノリで満足できる。

はいえ、日常が満ち足りていて、朝起きることが楽しみで仕方ないという生活は、現代的な情報収集情報発信に余念のない生活と比べても、それほど悪いものではないと思う。日常に何か変化を起こしたいな、と思う人がいたら、暇つぶしに試してみる、実験してみるくらいの気持ちが試してみて。経験上、3週間くらいで変化が出てくるはず。効果が出るまでは禁断症状がやばいけどね(笑)

食品だって食べ過ぎても、食べなすぎても健康を害すように、情報も不足すれば生活に支障をきたすけど、過剰でも(特にそれを処理する脳、ひいては精神機能に)問題が起きるのかもしれないね

2015-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20151208210111

ドキュメンタリー番組を見よう。

映像や音があるから内容が頭に入りやすいよ。

時間も1時間とか2時間とかって区切られてるから読書よりもお手軽。

見終わったらなにかしら知識を得られたという気分になれる。

デメリットとしては深く理解しようと思うと書物の情報量にはかなわないというところ。

そこを気にしなければお手軽に知識欲が満たされるよ。

2015-12-04

男根直喩とは

きっか

先に男根メタファーなるもの話題になったが、それでは男根直喩とはなんだろうか、という疑問が呈された。

考えてみると、画像映像で「メタファー(隠喩)」という表現は使われるのに直喩はみない。それはどうしてだろうか? また男根直喩はありうるのか? その場合はどういうものがそれに相当するのか?

それを考えるにはまず、比喩とは何かを考える必要がある

比喩要件

比喩とは、異なる2つのもの性質共通性によって連想(類推)させ、結びつけるものである

それゆえ比喩比喩対象(=比喩されるもの。「被比喩物」)、比喩しているもの(比喩対象以外のものであることを要する。「比喩物」)、両者の性質の共通の3点を満たす必要がある(以上を「比喩要件」と呼ぶことにする)。

(なおこの比喩要件インド哲学によっているようである)

比喩の種類とそれぞれの定義

分類と定義

比喩には大きく分けて直喩暗喩がある。

直喩とは、比喩であることを明示したものをいう。

隠喩はそうでないものをいう。

してみると、隠喩比喩要件を最小限に満たしたもの直喩はそれに加えて比喩性を明示したことをいう、と考えられる。

直喩についての検討

ところで比喩であることを明らかにするには「ようだ」など、比喩性を直接に明示する文言を使うことが一般的である

辞書定義には「ようだ」「ごとし」「似たり」などの比喩を表す文言を用いたもの、とまで書くものもある(広辞苑など)。

しかしそれ以外の方法比喩性を明らかにすることが妨げられないのではないか。比喩であることが明らかなもの、という定義存在する。大体にして「などの比喩を表す文言」という定義自体曖昧であり却って議論を混乱させる。本質としては比喩であることが明示されているか否かが重要だろう。

そこで、凡そ一般に比喩性を明らかにすれば、直喩が成立すると考える。

比喩

では比喩性を明示するとはどういう意味内容を持つか。

比喩性は比喩要件を満たせば認められるが、同時に我々は比喩要件を満たした表現を見ると、それを比喩である認識する。

まり比喩性と比喩要件充足は等価である

換言すれば、比喩性の明示は同時に比喩要件充足の明示である

この観点に立つと「ようだ」「ごとし」「似たり」などの文言を使う方法は、比喩要件充足を包括的に示す方法と言える。

明示

それでは「明示」とは何を意味するのか。

これは、受け手に高い蓋然性を以って<上記の比喩性=比喩要件充足を伝えようとしていること>が理解されるものと考える。

比喩性の明示の方法

では文言によらない方法には何があるか。以下検討する。

各個の明示

まず比喩要件を各個に検討摘示するような表現が考えられる。比喩要件を各個に検討摘示する表現はかなり不自然表現であるから、<上記の比喩性=比喩要件充足を伝えようとしていること>が理解される。すなわち、比喩要件充足が明示された、と言える。拙い例で申し訳ないが「あの子は虎だね。強くて大きくて五月蠅いが、それでいて可愛げがある」などの言い方を例にしたい。最初の文単独で見れば隠喩のように見えるが、しかしこの文章全体からしてこの言い回し直喩である、ということになる。本来受け手の側で「発見」される(後述)性質共通性をわざわざ述べる不自然さが比喩性を明示するのである

その他の方法

しか方法はそれだけか。私はほかに「比喩するもの存在の明示すること、及び比喩対象(被比喩物)の存在特定できるほどに明確に共通の性質を示す」という方法でも可能ではないかと考える。何故ならそれにより結局比喩物、被比喩物、共通の性質が明示され、比喩要件充足及び比喩要件充足を示そうとしていることが高度の蓋然性を以って理解される、と思うからである

(またこのほかに、そもそも被比喩物を模したことが公知の事実となっている比喩物というものもある。男根と張型の関係はこれに当たろう)

画像映像表現比喩について

さて後者の「その他の方法」をわざわざ提示するにはそれなりの理由がある。これは、言語表現以外で比喩性という一種関係を伝えることには困難が伴うと考えるからである

詳述するとこういうことである画像映像における「メタファー(隠喩)」は言語表現とは異なる。言語表現においてメタファー比喩物と被比喩物を示し、共通性は読者が発見するという形を採る。なぜ読者がわざわざ発見するのかと言うと、それは比喩物と被比喩物がズレているのにも拘らず、同一性を示す言い回し(AはBだ、が典型)が使われるからである

では画像映像ではどうか。

映像では被比喩物が示されず、ただ比喩物のみが存在するという場合がある。その代わり、比喩物と被比喩物の関係共通性見出しやすものとなっている。それは同一性に気付く手がかりがないからそのように設定して用いざるを得ないところもあるが、画像映像情報量が多いため、共通の性質を見出すことが容易であることも大きな理由であろう。

こういう性質を持つがゆえに、画像映像において「~のメタファー」なるものは見いだせるのに、直喩は見いだせないのであるしかし、先に示した直喩の考え方によるならば、画像映像においても辛うじて直喩は認め得るのではないか。映像画像であれば、似たものを並べれば、それは比喩物、被比喩物、共通の性質を同時に示したことになり、これは「各個の明示」に近い。

またそうでなくとも「その他の方法」によることも可能である。例えば動作を含めれば、共通の性質がより鮮明に打ち出され、それにより被比喩物が特定されるだろう。画像映像表現ではこちらが使いやすいのではないかとも思われる。

結論

以上より、画像映像における直喩は成立しうる。そして如上の直喩概念によるならば、男根直喩とは、例えば次のようなものが考えられる。

トランペット局部に挿入している画像映像(その他の方法)

男根トランペットが並べられている画像映像(各個の明示)

男根トランペット順次写される映像(各個の明示)

張型(物自体)

バイブレーター(物自体)

かなまら祭りの様子(物自体)

リンガ(物自体)

今後このようなものを見かけた場合には「男根直喩」と呼ぶことを推奨し、駄文を締めくくりたい。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん