はてなキーワード: 女人禁制とは
「表現の自由」だなんて言ったところで、それは「しなければならない理由」じゃない。
オタクはエロポスターを張らなければならない理由を説明しない。
「張ってはならない理由こそ説明しなければならないが、張る理由を説明する義理はない」というスタンスだ。
では、その背景を説明しよう。
「女がコミュニティに混ざるとろくなことにならない」というやつだ。
心当たりがあるだろう?
「オタサーの姫」
一昔前なら「女はすっこんでろ」と言うことができた。
女人禁制の聖域を作ることができた。
女がエロポスターをなんで嫌がるかわからない?そんなわけがない。
女が嫌がることをわざとやっているのだ。
「嫌なら来るな」という状況を作り出すための。
そしてエロポスターは表現の自由だから文句を言われる筋合いはない。
そっちがポリコレ棒で叩いてくるなら、こっちにはこういうやり方があるんだ。
つまりはそういうこと。
その人自身が迷惑行為をしたわけでも何でもないのに性別で区切られて出禁になるのが性差別でなければいったい何なのか。
もう「女性客お断り」も「男性客お断り」も「女人禁制」も「女性専用車両」も「中国人お断り」も「日本人お断り」も平等に法律で禁止すべき。
子供お断りの飲食店の話題のときは子供は煩いから仕方ないと店側を擁護するじゃん。これは一部男性客が女性客に迷惑行為をするから排除仕方なしとどう違うのかね。
迷惑行為をする中国人の客が一定数いたとして、それを理由に「中国人お断り」って掲げたら人種差別じゃん……
それなら迷惑行為をする一部の男性客を理由に「男性お断り」も性差別でしょ。
迷惑行為をする個別の中国人や男を排除するのは別にいいと思うけど、行儀よくしている中国人や男が排除されなければならない理由はどこにもない。
「子連れお断り」もアウト。「騒がしい客は老若男女問わず退店していただきます」とした上で子供が騒いだら退席を求めるのはオッケーじゃないの。じっと静かに座っている子供まで排除される道理はないので。
変な絡み方をしたりする輩がいる
自分が女性とバレないように振る舞うことが安寧なインターネット生活には欠かせないという
また女性とわかるユーザーを邪険に扱い追い出す動きがインターネットの一部では存在するが
これも画面の向こう側が女性とわかると変な絡みをしたり豹変する人間が出てきて安寧をぶち壊されることを恐れているからというのが理由の一つである
昔の女人禁制って女性がいるとセクハラやらで思いっきり場をかき乱す男性が出てくるからその対策だったんじゃないのこれ
セクハラ男性の基準は個人によってバラバラだから追い出しの合意が取りにくいけど女性って基準はそれよりかはまだ分かりやすいから
って言われても、トイレや風呂ならともかく娯楽施設を性別で隔離するのは間違ってるという話なので。
女性お断りの飲み屋もあるじゃん? と言われても、その飲み屋も間違ってるとしか言いようがない。そんな業態は差別を是正するか、さもなくば潰されるべきだ。
民間企業だからそういうルールがあってもいいとか言ってる人がいるけど、正気か? じゃあ外国人お断りもオッケーだし総合職に女性を採用しなくてもオッケーだな。民業の自由だもんな。(※)
土俵の女人禁制も間違ってると思うし大峰山に登った女性も支持するけど、同じ理屈で女性専用車両や男性お断りプリクラもおかしいやろって言ってるだけ。
インテリアが女性の好みそうなもので統一されていて、商品も女性向けのものしか置いておらず、そのためほとんど男性客が入店せず、実質的に女性専用になってる店なら別に何も言わない。
(逆もまた然り。いつもおっさんが煙草ふかしてて脂っこい食い物しか置いてない店が、女性客に避けられた結果として実質的に男性専用になっているのは差別ではない。でも女性お断りというルールを定めたら差別)
理念的には差別だけど現実に性犯罪が多いし警備員をたくさん雇うとかも難しいから現時点では仕方なく差別を選んでいる、将来的にこんな差別が必要なくなることを願っている、という言い分なら聞かないこともないけど、これは差別ではない、と言われたら原理原則論で答えますよ。それは差別だ、差別はよくない、差別は撤廃されるべきだ、って。
(※) 旅館業法とか男女雇用機会均等法とかの存在は当然知ってます。ここでは合法か違法かではなく道徳的な原則として許されるか許されないかという話をしている。民間企業だから男性お断りが道徳的に許されるというなら、民間企業である以上男性のみを総合職に採用することも別に道義的には間違ってはおらず、それを規制している法律がおかしい、という結論になるよね? もちろん実際には、雇用における女性差別はたとえ民間企業であろうとも道徳的に許されるべきではないので、差別を禁じている男女雇用機会均等法は道徳的に正しいのだけれど。
おれがこの遊びを編み出したのはとある国に留学してた時。大きな湖のそばにある街で、とにかく散歩が楽しかった。
晴れた日にはポルノグラフィティの「World Saturday Graffitti」を
寒い朝のカフェではUnchainの「Until dawn」を
学校終わりに寄った昼下がりの中心街ではFozztoneの「Jaguar in the stream「を
なんでもいい。その時の気分に合う曲をかけて、まるで自分がその曲のPVを演じてるかのように、時には口パクなんかしちゃったりするのだ。その曲に対するイメージを存分に出してやるのだ。これがなかなかにハマる。浸りたい気分にズブズブにはまれる。ところがある日、そんなおれの楽しみがふっつり消える。
女人禁制の我らがホーム(当時留学生何人かと一緒にホームスティしていた)に女の子がやってきた。それも日本人の。
お互いに留学環境を楽しんでいる身ではあったが、そりゃ日本語の方が考えを素直に発信できるわけで。おれらは久しぶりに味わう自分の気持ちを存分に言葉にできる楽しみに浸り、毎夜散歩をして、語り合った。友達とバーに行かない時にPVごっこをしていた時間はすべて必然とこの”発散”に費やされた。
時に彼女の部屋の鍵をこじ開けようとする他の留学生を追い出したり、彼女に猛アピールをしかけるブラジル人をどう撒くか2人で作戦会議したり、深夜にふらりと散歩して、街道沿いのドーナツ屋でおしゃべりしたり。そんないまだになんていえばいいのかわからない日にも終わりがくる。
彼女が遠いヨーロッパに発つ前夜、おれらはリビングでひたすらコーヒーを飲んで、お絵かき大会をして、気づいたら空は明るくなっていた。昼にでかいキャリーバック抱えて出発。小さい体してるくせになんてでかいもんもってるんだか。からかいながらバスに乗る。空港までは電車とバスを乗り継いで1時間半くらい。バスから見える景色がどんどん寂しいものになってく。彼女の白いキャリーバックが夕日にすっかり染まってたのを覚えてる。お互いなんも喋らなかった。いままであんなに話題尽きなかったのに。
「やっぱずっとここにいようかなあ」
聞こえないふりをした。
ここにずっと留まってちゃだめだから、笑って送りだそうってずっと決めてた。ゲートでハグして、楽しんできてねー!なんてせっかく明るく振舞ってんのに、結局あの子は泣いた。ぐずぐずに泣いて、行きたくないとダダをこねるあの子を、行きゃ変わるからって無理やり送り出した。何度も何度もぐしゃぐしゃの顔で振り返るあの子に大きく手を振った。ゲートの係員が、本当に送り出しちまうのかい?と話しかけてきた。留学して初の苦笑いで返した。
帰ったらやることは一つだった。夜の散歩をしようと思った。いつもおしゃべりして歩いたあのコースを、あのドーナツ屋までやけに遠回りの道を、今日から1人で散歩するんだ。手が寒くて、ポッケに突っ込んだ手にイヤホンが触れた。耳に差し込んだイヤホンから曲が流れてきた。自然と口が歌詞をなぞる。
旅立つ空に出会いと別れ
青春の日々全てを描き
いつか互いに大きな花を
きれいな花を咲かせまた共に笑おう
濡れた頬に当たったあの北風のするどい痛みを、おれは忘れない。
トランスジェンダーへの差別をなくすためにも、もう究極のジェンダーフリー社会にしようぜ。性はグラデーションを念頭に。
女性専用○○は勿論風呂やトイレも更衣室も共同。宝塚も歌舞伎も相撲も女人禁制の山も女子校男子校も違法。女子会もハラミ会も禁止。スカートもズボンも好きな服装や髪型をするのが常識。入試や面接で性別を書き込むのもなし。
男を警戒しろという防犯対策も、男の家に行ったら襲われても自業自得、とかいうセカンドレイプもなし。それは黒人差別と同じだから。
妻や夫が異性の友達と二人で遊びに行こうが泊まりに行こうがそれは浮気ではない。同性の友達と同じように考えなければならない。でなきゃセクマイの立場がないから。
女らしく男らしく、女なら男ならこうしろ、と言うのもなし。ジェンダーフリーだから。たとえばトランス女性が「女性らしく化粧やおしゃれをしたい」とか言うのも糾弾の対象。女性向け男性向けも女性誌男性誌も勿論禁止。男女の差を扱ったアニメや漫画や小説やドラマ映画も全面禁止。
いや、もういっそ性別という概念もなくそう。性はグラデーションなのだから。一人一人は「こういう体をしているだけ」に過ぎず、子作りも「こういう体の人とこういう体の人が性交したらこうなってデキる」と説明される。
トランスジェンダーも「男/女になりたい」ではなく「こういう体になりたい」になる。整形と同じノリで。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180712-00265421-nksports-base
下手したらグリッドガールみたいな役職が新たに爆誕するリスクはないの?
女人禁制も時代遅れなので、女子も男子と全く同じように甲子園に参加する。
しかし(フェミニストも認めるように)平均的には肉体面で男女には埋めがたい差があるので、男女混合チームでも活躍するのは男子ばかりになってしまう。
しかし男子ばかりに活躍の場が与えられると結局元の甲子園と変わらないので、女子でもなんとか活躍できるポジションを準備する。
しかしボール拾いやチームの雑用を任せるのはあまりに選手との落差が激しいので、性役割が分かれてしまうことを覚悟で、目立つ機会の多い応援ポジションを女子に割り当てる。