はてなキーワード: ラーメン屋とは
https://anond.hatelabo.jp/20190801112313
全体の流れを読むと上手くいかない原因は
何にもまして、女性にとって年上の男性で頼りがいがないのは致命的。
けど、安心しろ。可愛いが作れるように、頼りがいのある男性像もすぐに作れる。
「頼りがいがない」と「自信がない」は共通する部分もあるが、
無意味に自信満々で女性の意思に関係なく押し付けがましい奴がいるだろ?
そういう奴はもてる。ただ万人受けするわけではない。
頼りがいがあるやつというのは、女性が苦手なところをさりげなくサポートできる男だ。
基本的に女性は決断するのが苦手だから、出先で次の予定などを決めたりするときに
どうしようか長考するとマイナスだ。次の予定は30秒で決めろ。
そういうのは付き合ってお互いの嗜好がわかってからだ。
もちろん、第一は相手の意見を最初に聞くが、もし決めかねているなら
この3つ案を提案する。ここでもたもたとスマホ弄っているとマイナスポイントだからな。
下調べは重要だぞ。
特にパン屋はおすすめだ。女性でパンの嫌いな人に会ったことはない。
難しいように思えるが、所詮食べログで調べるだけだから手間はかからん。
そのちょっとした手間をさけるかどうかだ。
どうせ違う女性ならわからないだろうから、自信をもって案内できるお約束の場所を自分で作れ。
3回もこなせば、自然と人の流れやデート先の場所にも詳しくなるから自信満々になる。
頼りなく見えてしまうのは、自分の知らない場所だと十分な知識がないためというのが大きい。
語りだすと長くなるので次で最後にする。
元増田は都内在住ということで車とは縁の遠い生活を送っていると想像する。
これも上段で述べた「女性の苦手なところをサポートする」に繋がるが、
車の運転が苦手な女性は多い(トヨタがこれをツイートして炎上していたな)。
このため、車を運転できるというだけで頼りがいがある男を演出できる。
俺は車をもってないぞ!というかもしれないが、レンタカーを使え。
レンタカーを使って電車ではいきづらいところでデートをすれば、
それだけで女性にとってはすごく頼りがいがある男に見えてくる。
そうこうして自宅まで送迎してあげれば、自然と距離も近くなって
自宅に招待してくれたりする。真っ当な女性は、付き合う対象ではない男性を家に上げたりしないので
そこまでいければ、どうやら自分は相手のお眼鏡にかなったということで告白することになる。
告白して失敗したみたいなことが書いてあったが、告白して爆死するのは高校生までだぞ。
ある程度仲良くなって、私達付き合ってるよね。ぐらいに女性が思ったときに
いろいろと述べて来たが、結婚相談所も合コンもナンパも出会いの場が違うだけで
その後の展開は同じだ。今までの失敗の原因がわからんと結婚相談所でも失敗するからな。
まぁ、頑張ってくれ。
ラーメンだったら豚骨派とか醤油派とかどごぞのラーメン屋が一番だとか下手すると戦争になりそうな勢いなのに
パスタだとカルボナーラ以外認めない!とかここのパスタ食べてないやつはニワカ!とかなくて平和で良い
とかメニューにあったら若干カルボナーラに偏るだろうけどかなりバランスとれて選ばれるんじゃないかね
そして互いの好みを尊重し合う
なんでかね
オシャレ飯だとそうなるのかしら
私が生まれる以前の話だ。
居酒屋、ラーメン屋などを数軒経営していた料理人の父が起こした失火によって、隣家の定食屋が燃えてしまい隣家のご家族に多大なる迷惑をかけたことがあった。
家と店が半焼しただけでなく、ご子息が大やけどを負ってしまい彼の人生に大きすぎる影を落としてしまった事で父は母が死ぬのではないかと思うほど憔悴していたらしい。それというのも、いつものように新製品開発の仕込みで寸胴に火をかけたまま外出をした結果おこった油断が招いた不幸な事故で、言い訳などしようもなく、父としては出来る限りの事をしたいと申し出たそうだ。父の言葉としては、こうなる結果はわかっていたはずなのに大丈夫だろうと油断をした。過失というにはあまりに重い、放火の様なものだというものであり、その気持ちは当然であると思う。火を放ったのだ。
昔の事でおおらかな時代だったこともあり、隣家のご主人は火災保険にも入っておらず傷害保険などにも入ってなかったそうで、父の希望は家の再建から、事業再建、ご子息の人生の節目節目など、折に触れて責任をもって補償をさせて欲しいという事だった。しかしながら、隣家のご主人には個人的な借金もあったらしく、一度にまとまった金額をと希望なさったそうだ。そこで弁護士を介して交渉し、法的拘束力をもつ証書を残す形で「実家と事業の再建、家財の損害賠償、負傷した子息への教育補助など込み」で、一軒の店の経営権と店舗家屋及び、半焼した家屋の建築費、当時の平均的な会社員の障害年収の半額を支払う事にしたそうだ。父が生涯かけて蓄えた資金の4割を手放したということだった。これで法的には、完全かつ最終的に決着したはずであった。
多額の資金と軌道に乗っていた店舗の経営権を得たことで、隣家のご主人は大きな成功をおさめ、一時は父が経営する会社に迫るほどの成長を見せたことを父は我がことのように喜んでいたし、これで自らが犯した罪の幾らかも償えたものと喜んでいた。
その後、両家が代替わりし私が経営する様になってから、少し話がおかしくなってきた。隣家のご子息は、あまり経営者としては適性がなかったようで、一時は上手くいっていた経営が傾き再び借金を抱える様になってしまった。そこでご子息は古い証文を私に持ち出してきたというわけだ。曰く「これには私に対する補助は明文化されているが、御父上の私に対する賠償は含まれていない。私には賠償を請求する権利がある」という。
しかし、私としてはかつて両家で、この話はこれで完全かつ最終的に終わりだよ、と法的に終わらせた話であり、まったく納得できる話ではない。
あまりにも強く不平をいうので、「であれば法廷で決着を」と返答期日を提案しても一向に乗ってくる事はなく、それどころか父がおかした罪について紙に書いて周辺に貼って回る状態でとても困っている。ご子息の要求は、会社が経営する一部店舗の経営権の譲渡と当時父が支払った金額に倍すると想定される賠償金の支払いで、応じることが可能な領域を大きく超えているため弁護士の先生に相談したところ
と。ひとたび交わした公的な約束を破る相手と、新たな約束を交わす意味を考えると暗澹とした思いである。隠居した父は、息子の人生を補償する道義的責任は私が持つと何度か言ったのにと言う呆れも、信頼を裏切られた怒りも手伝いなんとも言えない顔で目を白黒させているが、私は純然と頭にくるだけである。
茹だるような暑さ、積乱雲、夕焼け、屋台の熱気、盆踊り、始まりと終わりの境が判然としない花火大会。
金魚みたいにカラフルな帯をしめた浴衣姿の子を連れた女性。彼女を連れているのが、同級生であることに気づく。
突き刺すような太陽光と入れ替わりに辺りを包んだ優しい闇に誘われ、祭り気分を味わいたい人々が続々と戸外へ繰り出す。ワンマイルウェアに身を包んだ老若男女、体操服で屋台に繰り出す中学生、社命で祭りに参加した地元企業の若手社員、支持基盤のイベントは全通を旨としているのであろう市議会議員。この町のどこにこれほどの人が潜んでいたのかと驚く。
完璧。夏が始まる前から求めて止まなかったのだ。この空気感を。
あとは焼きそばだけがあればいい。夏祭りを完結させよう。地元有志が出す屋台を覗く。
ない。
枝豆、りんご飴、フライドポテトに金魚すくい、フランクフルト、ビールに白玉団子に鮎の塩焼きまであって、焼きそばがない。全ての臓器がレッドカーペットを敷いて焼きそばを迎え入れる準備を整えているのに肝心の焼きそばだけがそこにいない。もう麺ならなんでもいい。浮気を決意し、近所のラーメン屋に片っ端から電話をかけた。「貸切」「売り切れ」「食べ物がほとんどない」時刻は20時。丸見えの繁忙期を前に、どんな作戦立てて戦に臨んだらそうなるんだ。実家まで徒歩20分の距離でこんなにひもじい思いをする日が来るとは思わなかった。朝からパフェとクッキーしか食べていない上に、夕方炎天下で全力ダッシュをした後の空腹感はもう無視できない。
浮気心を捨て冷静になった頭で今夜やきそばにありつく方法を再考する。近くにコンビニがある。コンビニにはカップ焼きそばがある。見えた。願わくばゆっくり食べられる場所が欲しい。悩む我々の隣をその辺に住む知り合いが通りがかった。彼を逃す手はない。挨拶もそこそこに、「あなたの家で今からカップ焼きそばを作らせてほしい。」と頼み込んだ。暑さで頭がおかしくなった人みたいな頼みを彼は快諾してくれた。神だ。もしくは頭が暑さでやられていたのかもしれない。
神に供える焼きそばも買い込み、意気揚々と神の家へ上がりこむ。カップ焼きそば用のお湯を沸かす間に神は飢えた人間に食べ物を振舞ってくれた。
神の生活水準は高かった。
無添加の佃煮、火照った体に心地よい喉ごしのもずく酢、余りものだという炊き込みおこわのおにぎりを手際よく並べ、産直で見たことがある体に良さそうなお茶を人数分のグラスに注ぎ、遠慮せずに食べなさいと言った。歪だけどハリがあって味が濃そうなトマトを切る係を仰せつかった私は、嘘みたいに切れ味の良い包丁でトマトを切り分け、作家ものの器に不恰好に盛り付けた。この空間にカップ焼きそばを持ち込んで本当にごめんなさいとみんなで神に謝罪した。いいよいいよと神はわらった。
恥と共に飲み込んだカップ焼きそばは相変わらず駄菓子みたいでおいしかった。神に会う前だったら食事としておいしいと感じただろう。夏は人を少し大人に変えるな。と感傷に浸っていたら、神から「人生はあっという間だから、毎日ちゃんと生きなさい。」という言葉を頂いた。神は手厳しくて優しい。