はてなキーワード: タイムマシンとは
女の子と部屋でだるだるしてるときに、「まんこ見たいです」「誰の?」「けーこさんの」
「んー、別にー、いいけどー、増田さんのも見せて。ちんこ」「わかりました」「先に」。
ジーンズは脱げるけど、トランクスは躊躇した。けど頭では躊躇してるけど、
手でトランクスを下げた。「毛でよく見えない。つまんで前に出してください。
え、今は大きくない状態なんですよね。でもこんなに小さいんですか?」
女の子の前でちんこを出してる状況なのに、ちんこは大きくならない。
なりそうな気配もない。「緊張して縮こまってるのかな」「ほら、大きくなって!」
「けーこさんのまんこ見たら大きくなるかも」「まあエロいですからねえ。。」
と座ったままズボンを脱いで、ショーツも脱いだ。立膝の向こうにけーこさんのまんこが見えた。
僕も座ってじっと見た。毛が生えたまんこがあった。「そんなに見ないでくださいよ」。
びらびらがあって、その割れ目の中に赤いピンク色が見えた。トイレットペーパーのカスも見えた。
見ても全然エロくなかった。だけどちんこを弄って勃たせようと思った。
「いま、私のまんこ見てオナニーしてるんですか?あ、なんかさっきより大きい」「3割勃ちくらい」。
「他の、自分じゃない人に触られるのは、変な感じ」。そうこうしてたらフル勃起になった。
「あ、全然大きくなった。ネットでよく見るやつ。よく見せてくださいよ。
うわあ、なんか、絵に描いたような『ペニス』って形ですね。ちょっと。。
あっ、硬ーい。それに大きい。こんなの絶対入らないって。先からなんか出てますよ」
二人で寒いベランダに出て、駅前を見下ろした。もち下半身は裸で。
「何人かは気付いてそう」「横にじゃなくて前後に立ってますもんね」「股を開くと、股ががすーすーする」
部屋に戻ってけーこさんは床に手をついて、「わたしのまんこ、自由に使ってもいいですよ」
「つ、使い方は?」「。。被写体にして絵を描いたり、あ、おかずにしたり」
「ちんこを挿れるためだけにあるわけじゃないですからね」「僕のちんこはけーこさんのまんこに挿れるためにありますよ」
「おしっこは!?」。ボインの話を思いついたけど言わなかった。
デロリアンって補修用のパーツのストックが新車を組み立てられる位あるから、
いまでも新車を売ってるんだよね。商品を土に埋めたNeXTとは違うな。
でもBTTF様様だな。最初はタイムマシンは冷蔵庫だったらしいぞ。
吹き替えは三ツ矢雄二に穂積隆信だな。映画館で見たときは、クララがえらいおばさんに見えたけど、
ちょうどいいな。リー・トンプソン可愛かったな。
https://anond.hatelabo.jp/20211003134639
児童は小、生徒は中高、学生は大学だがまとめて生徒と呼ぶことにする
ギャルゲエロゲは「ゲームとしてはアニメや漫画に近い」に入ると思う
https://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/sai_arts
https://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/IkaMaru
ぷよぷよ通と書くつもりだった。以降のシリーズはすまん知らなかった
通のストーリーの簡素さは初代〜64のマリオシリーズに近いと感じる
通より後からは急にストーリー濃度が上がるのはサンシャインに近そう
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/tsz
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/miruna
学校通ってたら旅できないじゃん
主要キャラが生徒という描写が少しでもあれば生徒主題と認定している
学校「や生徒」が主題と書いたのはここをはっきりさせるためだったが
さすがにさりげなさすぎて伝えられなかったようだ。申し訳ないと思う
生徒が主要キャラでも学校シーンはあまり描かないアニメや漫画は多く
例えばドラえもんやセラムンは学校の話は少なくコナンにはほぼ出ない
むしろ授業シーンに力が入っているハリポタなどの作品のほうが珍しい
だから生徒が主要キャラでも旅できるのは多くの作品で証明されている
ジョジョ三部など生徒でありながら数々の国を巡る大冒険を繰り広げた
お遍路の区切り打ちのように旅の途中で家に帰る変則的方法も行われる
光の石の伝説や日帰りクエストなどローファンタジーではよくあること
有名なのはソードアートオンラインのアルヴヘイム編とガンゲイル編か
劇場版ドラえもんもどこでもドアやタイムマシンで一旦帰ることがある
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/aa_R_waiwai
妙に多いといえば現代日本の子供が学校に通っている割合こそ妙に多い
現代の文明社会に生きる子供キャラを描いたらほとんど100%生徒だ
ttps://anond.hatelabo.jp/20211004124738
ゲームもオブジェクトを用意する手間が割としんどいのかもしれない
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/gabill
漫画の場合は授業時間などをスキップして学校行事や放課後だけをつまみ食いできるけど、ゲームだと省略し過ぎると没入感が削がれる。
納得がいくようでもありいかないようでもある。識者の登場が待たれる
しかし例えばドラクエ2の勇者は王子らしい生活がほぼ描かれてないが
そのせいでプレイヤーが没入しにくいという話を聞いたことはないから
生徒の生徒らしい生活描写もほんの数カット程度で足りたかもしれない
一揆をする農民や色を揃える医者もゲームの中ではただ戦ってるだけだ
初めはアキネイターぽちぽちしながら適当にぶちあげた理論だったけど
ブコメ見ながら考えてたり返信書いたりしていたら頭が整理されてきた
またブコメやトラバで学校が舞台のゲームとしてあげられているものが
想定となんか違ったので自分の立てた疑問がずれていることに気づいた
そうして浮かんできた思いつきとこのブコメが符合したので貼っておく
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/AKIYOSHI
ゲームはプレイアブルコンテンツだから、物語のベースにいわゆる「学園的共通体験」がなくとも自分ごとになるからでは。だから最初から世界で戦える。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/cotbormi
言われてみればゲームに少ないのは学校のような特定のものというより
平凡だった人間がある日突然変わった出来事に巻き込まれる物語構造だ
生徒が主要キャラになりにくいのはこの傾向が生む結果の一つのようだ
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/nakex1
マンガ等なら学生が思いがけないことから冒険や戦いにってするところを,ゲームだと最初から戦士や兵士ってことは多いかもしれないな。
https://anond.hatelabo.jp/20211003134639
児童は小、生徒は中高、学生は大学だがまとめて生徒と呼ぶことにする
ギャルゲエロゲは「ゲームとしてはアニメや漫画に近い」に入ると思う
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https://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/IkaMaru
ぷよぷよ通と書くつもりだった。以降のシリーズはすまん知らなかった
通のストーリーの簡素さは初代〜64のマリオシリーズに近いと感じる
通より後からは急にストーリー濃度が上がるのはサンシャインに近そう
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学校通ってたら旅できないじゃん
主要キャラが生徒という描写が少しでもあれば生徒主題と認定している
学校「や生徒」が主題と書いたのはここをはっきりさせるためだったが
さすがにさりげなさすぎて伝えられなかったようだ。申し訳ないと思う
生徒が主要キャラでも学校シーンはあまり描かないアニメや漫画は多く
例えばドラえもんやセラムンは学校の話は少なくコナンにはほぼ出ない
むしろ授業シーンに力が入っているハリポタなどの作品のほうが珍しい
だから生徒が主要キャラでも旅できるのは多くの作品で証明されている
ジョジョ三部など生徒でありながら数々の国を巡る大冒険を繰り広げた
お遍路の区切り打ちのように旅の途中で家に帰る変則的方法も行われる
光の石の伝説や日帰りクエストなどローファンタジーではよくあること
有名なのはソードアートオンラインのアルヴヘイム編とガンゲイル編か
劇場版ドラえもんもどこでもドアやタイムマシンで一旦帰ることがある
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妙に多いといえば現代日本の子供が学校に通っている割合こそ妙に多い
現代の文明社会に生きる子供キャラを描いたらほとんど100%生徒だ
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ゲームもオブジェクトを用意する手間が割としんどいのかもしれない
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漫画の場合は授業時間などをスキップして学校行事や放課後だけをつまみ食いできるけど、ゲームだと省略し過ぎると没入感が削がれる。
納得がいくようでもありいかないようでもある。識者の登場が待たれる
しかし例えばドラクエ2の勇者は王子らしい生活がほぼ描かれてないが
そのせいでプレイヤーが没入しにくいという話を聞いたことはないから
生徒の生徒らしい生活描写もほんの数カット程度で足りたかもしれない
一揆をする農民や色を揃える医者もゲームの中ではただ戦ってるだけだ
初めはアキネイターぽちぽちしながら適当にぶちあげた理論だったけど
ブコメ見ながら考えてたり返信書いたりしていたら頭が整理されてきた
またブコメやトラバで学校が舞台のゲームとしてあげられているものが
想定となんか違ったので自分の立てた疑問がずれていることに気づいた
そうして浮かんできた思いつきとこのブコメが符合したので貼っておく
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/AKIYOSHI
ゲームはプレイアブルコンテンツだから、物語のベースにいわゆる「学園的共通体験」がなくとも自分ごとになるからでは。だから最初から世界で戦える。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/cotbormi
言われてみればゲームに少ないのは学校のような特定のものというより
平凡だった人間がある日突然変わった出来事に巻き込まれる物語構造だ
生徒が主要キャラになりにくいのはこの傾向が生む結果の一つのようだ
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4709197893321561378/comment/nakex1
マンガ等なら学生が思いがけないことから冒険や戦いにってするところを,ゲームだと最初から戦士や兵士ってことは多いかもしれないな。
戻るってどうやって?タイムマシン?
思いつきで書いた文章をがっつり言語化してもらってタダ乗りまでさせてもらうけど、
・「たとえどんな存在であろうとも対象が世界から消失することを願ってはならない」
と
だったら、前者の方が強いな。
でも、後者もいい視点だよね。たぶん、1~2割くらいは後者もある気がしてる。
何かのシチュエーションとか災害とか、そういうものを人為的に操作することにはなんの抵抗も感じないけど、どういう経緯にしても生命として生じたものに、種丸ごと影響を及ぼすってのが、かなりビビるよね。それが大きな害悪を備えていようがなかろうが。
>「新型コロナだけを選択的に不活化する地球全体を容易に覆える他の生命に無害なガス」だったらノータイムで撒くし
>「タイムマシンでウイルス拡散を阻止してコロナ流行がないように現実改変する」も多分ちょっと悩んでから肯定するが、
>「時間移動や並行世界論を前提しない存在の全否定」には忌避感あるので巻物は投げない、と、思う。
ここもいいよね。
上で書いたことにつながるけど、「新型コロナだけを選択的に不活化する地球全体を容易に覆える他の生命に無害なガス」は、俺はちょっと悩むと思うんだよな。
俺の道徳が欠如してるっていうか、この世界の惨状どの目で見てきてんだ、って感じだけど、「そう機能するように運命づけられた生命のあり方」を人の手でノータイムで勝手にいじくっちゃっていいのかね?
って言ったら、コロナ云々おいといて作物野菜とか経済動物とか人間はガンガン操作していじくってるからウィルスもOKでしょ、ってなるしかないんだけど、俺自身もここに抵抗感あるのは意外だったわ。
禁忌、タブーの意識がどこに掛かっているのかもう少し深堀りしてほしいところ。
例えば「たとえどんな存在であろうとも対象が世界から消失することを願ってはならない」なら倫理の話で、これはこれである種の哲学とも言えるが
「世界のあり方を自分の利害による判断で変更したくない」だと、これは解釈によっては「責任を取りたくない」に親しい意識だという可能性がなくもない。
コロナを根絶やしにしたとして「その行為自体」、「不可逆に変化する世界」、「予測できない影響がある可能性」、「抹消の意志、または殺意」、等々
自分が厳密には何に忌避感を抱いているのかは他人が指摘することはできんので。
ちなみに俺は「新型コロナだけを選択的に不活化する地球全体を容易に覆える他の生命に無害なガス」だったらノータイムで撒くし
VSCodeとLanguageServerProtocolによって、人類は多様なプログラミング言語に対して安価でお手軽なIDE機能を手に入れた。
このような富豪的プログラミング環境において、「一つのファイルは最大400行!」がオールドファッションセオリーと化したことは明らかである。
そも、IDEとは何か。
人類は脳領域をテキストファイルに拡張することに成功したが、その頂きは未だ遠い。
ただ思い出す、と、テキストファイル群中から期待する箇所を装置に出力する、の間の容赦ない時間スケールの隔絶。
IDEはこの隔絶を埋めることができる。
思い出したい、と念じると同時に人はgdとキーを叩き、定義ジャンプする。
この時、人がジャンプしているのはファイルシステムのインデックスではない。
時間だ。
時間を跳躍したのだ。
言語は抽象化されたデジタルな概念だけど、それを出力するのに発生器官を用いるとアナログな情報が出力されることが辛い。
でも最終的にはそれをデジタルな情報に直していかないと会話は成立しない。
「浜田さん」と口にしたいとき、発音が悪いと「アマダさん」になり、さらに電話や相手の耳が悪いとそれが「ヤマダさん」に変化する。
もしもメールでやりとりしていればこれは起こらないし、もし起こっても「あなたは確かに「アマダ」と書いてますよね?」と聞き返すことが出来る。
音声はそれがない。
音は出した瞬間に消えるし、もしも記録されていても記録機器の性能によって劣化する。
人間の耳が持つカクテルパーティー能力のせいで除去されていたノイズがモロに乗ってくる。
だが恐ろしいことに発生した本人はその音から「ハマダ」を確かに拾ってくる。
いやそもそも、生まれてきた地区や育ってきた環境によって同じ音でも発生方法が違ったりする。
日本人はRとLを区別できずにすべて「ら行」にすることで知られているが、それは日本人の発音する「ら」がRとLの中間で行われるからであるが、これは外人からすれば理解不能の子音である。
標準語と呼ばれる実質的な東京弁は存在するにはするが、それだって完全に全国で同じ発音が用いられているかは怪しいものだ。
つまり、文字として思い浮かべた言葉を口を使って出力するというD⇔A変換が行われた時点で、その正確性はまずもって失われるのである。
これが本当に辛い。
なぜ、わざわざ正確性を下げてる必要があるのか?
人間はもっとデジタルなものをデジタルなままで出力することに対して拘るべきじゃないのか?
むしろアナログで出力することを有難がる節さえあるのは理解に苦しむ。
それは音楽データをコピーする際にCDのデータを直接パソコンに取り込む代わりに、スピーカーで再生したものをマイクで保存するようなものだ。
狂っているとは思わないのか?
私は思う。