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はてなキーワード: ソーシャルとは

2020-04-15

喋らない

って対策ほとんど耳にしないのは何故だろう。

咳やくしゃみには敏感なくせにスーパーとか行くと相変わらずガヤガヤしてるし。

ソーシャルディスタンスだの例によって年寄りに伝わるわけのないワード垂れ流すより、

無駄口叩くなって言った方がよっぽど効果あるとおもうんだけどな。

公の場はどこも図書館くらいの静けさになればいいのにと割とマジで願う。

筆談とか流行ってくれてもいい。そして今回の騒ぎが収束してもそのまま続いて欲しい。

ぼくのかんがえたコロナたいさく

まず国民をチームAとチームBに2分割する。

同居する者はなるべく同じチームに入れる。

AとB、2週間ずつ交代で社会活動を行う。

たとえばAが家から出て仕事学校に行く2週間の間、Bは家にこもる。

こうすると、チーム内で感染し、拡散しそうになったところで他のチームに入れ替わるので、蔓延は防げる。

免疫獲得した人はチームCに入る。彼らはいつでも活動できるので、窓口等、感染リスクの高い業務担当する。

所属チームの身分証明は、免許証など既存写真入り身分証明書にパンチ穴をあけたりして流用するか、

RFID入りの身分証明書撃を秒速で発行できる機械を作り、ドライブスルーで発行できるようにする。

専用カード通用ゲートにも使用できるかもしれない。

ABチーム同士に互いの「成績」を競わせる。NHKで成績リアルタイム表示。

たぶん8割感染注射を打つまでソーシャルディスタンス戦略が続くので、これくらいやらないと持たないと思う。

俺はチームAがいいな。BっていうとB層っぽいし。

バイトしてると

マジで客来るしコロナ対策のためにレジ待ちの列に白線引いたのに全然守らないの見ると小池百合子みたいに「密です!密です密です…ソーシャルディスタンス!」って言いたくなるな、できないけど

2020-04-14

ソーシャル ディスタンス

ここ最近、急にソーシャルディスタンス、という言葉流行って、そんな意味だっけ?と思ったら、

やはり社会学用語ソーシャルディスタンス言葉があった。

紛らわしいなあ。

https://www.itmedia.co.jp/news/spv/2004/06/news055.html

 social distancingは公衆衛生戦略を表す用語で、疾病の感染拡大を防ぐため、意図的に人と人との物理距離を保つこと。ちなみに、特定個人グループ排除するという社会学用語の「social distance」とは区別する必要があるという(Dictionary.com)。

疫学の方は、フィジカルディスタンス言葉の方が良くない?

ソーシャルディスタンスって本当に有効なの?

地方ニュースを見ていると、コロナウイルス感染したと思われる場所が報じられているんだけど、それを見てると喋り声など大きく発声する場所特に屋内はまずいんだなぁというのがよくわかる。

複数人で盛り上がって大きな声を出したり、酔って声が大きくなったり、そんな行動をする場所

で、ソーシャルディスタンスとか言ってテレビでも出演者距離をとっているけど、距離をとることで声が大きくなったら意味ないんじゃ?と思ってしまう。

欧米握手やほっぺたくっつけるのを控えるのは意味あるだろうけど、日本人握手はたまにあるけど日常的にはしないし。

欧米で使われるソーシャルディスタンスは単に物理的な距離を取るという意味だけではないのかもしれないけど、片仮名でググってみると離れろということばかり書かれている。

生活では距離を保つよりも大きな声を出す状況を避けた方がいい気がしてならない。

2020-04-13

anond:20200413190011

ソーシャルパワーを用いたWebページ発見装置としてはtwitterFacebook成功してるんじゃないか

ブックマークとしての後からの参照可能性には欠けるけど、逆にそれが健全性の担保寄与しているからあの方式が正しいんだろう

情報は完全に「流れていくもの」になった

コロナ離婚を防ぐには家を大きくするしかないのではないか

ソーシャルディスタンスという奴で

どんなに好きでも四六時中は無理っしょ。

引き篭もれるATフィールド的ななにかは互いに必要なはず。

世帯住宅はいかないまでも、1.5世帯住宅くらいには相互独立感が得られるようなそんな家が必要とされているのではないだろうか。

シェアハウスなんかも今ごろどうなってるんだろう。

あれも人口密度時間帯で変わるからこそ維持されてたのであって、24時間みんな一緒状態だと戦争になってるんではないだろうか。

アルフィーは既にこの状態予測していた

ほっしっぞらっの ソーシャルディースターン

ソーシャルディスタンス

(感染してるのか)気になるのに聞けない

(買い占めの人混みに)泳ぎつかれて君まで無口になる

マスクに)会いたいのに見えない(人)波に押されてまた少し遠くなる

(咳が)途切れないように keep it going,baby

同じ気持ちじゃないなら tell me

無理はしない主義でも少しならしてみてもいいよ

I wanna be with corona

2020-04-12

ガイジの群れめ

ソーシャルディスタンスを保って行動してくださいって

お前たちはそこまでどうやって来たんだバカどもが

4月10日、全世界で53万人以上の信仰者がおこなった祈り断食効果があったのか?

新型コロナ感染症世界を分断し、不確実な情報デマの横行による人種差別が引き起こされる最中アメリカ西部総本山を構えるキリスト教リーダーが1つの提案をおこなった、イエスキリストの復活を祝う復活祭の前の金曜日、すなわち、イエス十字架で命を失った受難日を思い起こす「聖金曜日」にあたる4月10日に、「新型コロナ感染症世界蔓延さらなる爆発を防ぐこと」のために「祈り断食」をすることを提案したのだ。これに対し、同教会の人々が早々に動きだし、Facebookに「Worldwide Fast April10」というコミュニティをつくりあげ、同じ教会の人のみならず、世界中の人たちにこの招きに答えるように呼びかけた。その結果、前述の宗派に加え、プロテスタントカトリックといったその他のキリスト教派のひとたち イスラム教ユダヤ教、 サイエントロジーヒンドゥー教シク教、ウイッカ、仏教ペイガニズム、そして無神論者など多数の宗教信仰している人、総勢53万人がこのコミュニティに参加した。もちろんこれはFacebookコミュニティへの登録者のみのカウントだけあり、登録者家族も多数断食に参加しているため、実際に断食をした人たちは登録者数を上回ると考えられる。参加者には緊急対策チームで参加している医療関係者ニューオリンズで、新型コロナ対応のためにボランティアとして参加している看護師、このために家族とともにはじめて断食をした子供たち(親とともに親のアカウントからアクセス)など様々な人たち、以前、集団祈り断食をしていた際に、新型コロナと闘病中で参加出来なかったものの、今回、回復し、感謝の意を込めて参加表明した人、タイの自宅で家族とともに自身礼拝についてリポートするひと、この期間中に、無事出産を終え、その報告をする家族など様々な人たちの模様が伝えられている。

現段階でこの世界規模、多数の宗派が参加した「祈り断食」が本当に功を奏したか

示すのは難しい。だが、そこが論点ではないようだ。

この経験を経て宗派人種を超えた一体感精神的な安寧を感じたとのコメントが多数あったことを踏まえると、全世界的な外出自粛とソーシャル・ディスタンシングにともなう精神的な苦痛を救うムーブメントであったことは間違いないだろう。日本では「ZOOM飲み会」といった新たな取り組みが行われているが、キリスト教や、イスラム教、そしてユダヤ教といった宗派のように、特別な機会に祈りの一環(行ではない)として断食をする習慣があるひとたちにとっては、これは新たな「交流」の手法であるとも言える。いずれにしても、分断されつつある社会を改めて統合するきっかけとなるものは歓迎するべきだろう。

2020-04-11

コロナ社会に不可逆な変化をもたらした

お前もしかしてまだコロナ収束するとでも思っているんじゃないかね。

今の日本人に足りないものがある。絶望だ。

数週間、数ヶ月だけ耐えればきっと収束すると思っていたら収束しなかったとき反動心が折れる

もうコロナ収束しないと最初から絶望しよう。震災耐震基準更新されたのと同じでコロナ以前には戻れない。

COVID-19のワクチンの開発には1年以上かかるが、ワクチンの開発に成功するとは限らない。

そしてその間にもCOVID-20, COVID-21, ..., COVID-Nが現れて人類を苦しめるだろう。

そうすると人々が最近意識的に心がけているマスクの着用やうがい手洗い消毒やソーシャルディスタンスの確保が当たり前の日常になる。

仕事テレワーク中心になって満員電車オフィスに出勤することが常識でなくなる。

店のレジセルフレジ化が進む。それができない場合アクリル板がカウンターに設置される。マスクアルコール紙類は、幸運と暇と根性がなければ店では手に入らない。それ以外の商品も常に品薄で商品棚が空なのが当たり前になる。そうすると店舗の面積が縮小できそう。

人が集まる娯楽のリアルイベントは開催できないから、イベントで食ってきた業者ビジネス形態を変えることになる。バーチャルとか? スポーツ大会を無観客で開催してギャンブルの賭け金を収益にするとか?

会食や結婚式葬式はできない。しないのが当たり前になる。

人と会うことができないから今特定恋人がいない人は残念でした。コロナ世代結婚できず少子化が加速する。会わない出会いって何だ? 旧人類だからからないがバーチャルとか? 逆に戻って平安貴族のように和歌のやり取りで?

医療職も患者との濃厚接触を避けるため滅多なことでは病院で診てもらうことができない。診てもらえるとしたら遠隔医療が中心になっていくだろう。

人々はウイルス汚染されたこんなつまらない現実世界を捨ててバーチャル生活の場を移す。そうすると犯罪警察もまたそちらにシフトする。

社会的距離とかソーシャルディスタンスだとわかりにくいので

「新型コロナの間合いに入ったやつは助からない」みたいな中二病フレーズに替えるべき。

緊急事態宣言やのに

うちの親はソーシャルディスタンス保てば大丈夫や!って事でずっと外出てる。

そういう人多いやろし、しばらく収束無理やな

スーパーレジソーシャルディスタンステープが貼られていた

工夫して頑張って貼ったのだろうとは思った。

しかしスキャニングと支払いするときレジで隣のレーンとかち合うわ、レジ店員とも距離が近いわで形だけのものになってた

ソーシャルディスタンス

会社では、「会議は少人数にして席間を空ける」「他のフロアには行かない」とか徹底しているのに、昼になるとサラリーマンOLたちはぞろぞろ連れ立ってランチに行き、ボックス席に4人みっしり座っておしゃべりしながら食べている。

(店側でもカウンター席は席間を空けてるけど、ボックス席はそのままなので…)

全然危機感持ってない。ダメじゃん。

2020-04-10

通勤してても、この春は確かに幸せ

二番煎じです。

「在宅勤務が始まり、いまが人生で1番幸せな春」

https://anond.hatelabo.jp/20200404142511

この話を読んで、筆を取りたくなりました。

とはいえ、私は前述の増田とは大違い。

共に過ごす家族などいないし、なにより職場への通勤は逃れられなかった人間

3月から時短営業はしているけれども、緊急事態宣言前後特に何かが変わることはなかった、そんな都内職場で働くテレオペです。

対面での接客の機会が失われた今、私たち仕事は大忙し。

ネットカフェのような仕切りだけがソーシャルディスタンスな、そんなオフィスに何十人も詰められて今日電話に出ています私たちクラスターとなる日は遠くない。たぶんきっと。

感染対策はしているものの、業務遂行されます自分社会歯車しかないのだと、改めて気付かされる日々。

お金を稼ぐため、生きるために、命を危険晒すという矛盾の中を泳ぐ春。

けれど、歯車にも心はあったのだと気付かされたのも事実

時短営業なので、早番だと夕方の日のあるうちには帰れます

7時に家を出て、15時には仕事が終わる、このサイクルに何か見覚えがあるなと思ったら、ああ、これ、10年前に体験した高校生時代と同じサイクルなんですね。

健やかに眠りにつき、体を養うことのできる日々。

日の出る前に家を出て、ビルの中で日が傾くのを見つめつつ、日が沈む頃に帰路に着く今までの生活が嘘のよう。

時短営業とは言いつつ、人が本来、1日に活動をする量というのは、この程度が適切なんじゃないかと思ってしまう。

忙しさに擦り切れていた去年までの春と違って、今年の春は、皮肉にも心に余裕があります。まだ日のある仕事からの帰り道に、ふと見上げると、いろんなことに気づくのです。

桜の花びらのその薄さ。

アブラナの花が放つ甘い香りの重み。

肌を撫でる風の暖かさ。

そして、柔らかく包み込むような春の夕方日差し


何年もオフィスの中から小さく見つめるだけだった春の風景たち。

その春の風景の中に、今年は私も紛れている。

ただそれだけで、どうしようもなく嬉しくて悲しくなるのです。

もう何年も忘れていたような感覚を、この時短生活の中で取り戻しています

学生時代最後に、私が失っていた、春を愛でる感受性

こういう感覚を、また取り戻せる日が来るとは思わなくて。

まだ私にも人の心が残っていたことを知って、なんだか訳もわからず涙が出てきてしまう。

校則を破ってブレザーの下にパーカーを着込んだかつての春の日を、ここ数日ずっと思い出しています




大きな危機がやってきているのだとはわかっているのだけれども、眼前に広がる春の日は嘘偽りなく麗らかで、こんな日がいつまでも続けばいいのにと思ってしまう。

この世界恐慌は早く鎮まってほしい。死者も苦しむ人もこれ以上は増えずにいてほしい。そんな気持ちはもちろん私の中にある。

けれども私個人というミクロ視点で今の生活を見つめると、人生で一番穏やかな日々を送れているのは今なのではないかと思う。



春の夕方日差しの中で、ふと、思ってしまったんです。

「ああ、ここで終わってしまってもいいな」と。

死が明確に、近くまで迫っているこのご時世に、そんなことを言うのは本当に不謹慎なのだけれども。

ただ、こんなに心穏やかな春を、もう人生では得ることができないのだ、という事実が頭をよぎるたび、どうしようもなく、本当にどうしようもなく、悲しくてたまらない。

こんなに春の日は美しくて、幸せに満ち溢れたような姿をしているのに。



毎日、混雑する東京電車に乗り込んでいます。もうもはや、生きるために乗るのか死ぬために乗るのかわからない。

明日私も感染者となるかもしれない。

しかすると、5月を迎えられずに亡くなる可能だってある、危うい日々が続きます

けれど私も、はっきりと思うんです。

この春がきっと、人生で一番幸せな春です。

ソーシャルディスタンス

人が少ないか距離を取ってれば安心だなという時に限って近寄ってくる奴

なに勝手に隣に座ってんだよ蹴るぞ

日本において、コロナウィルスによる被害他国より少ない理由を、お寿司パワーと言いたい!

BCGのおかげかも?という可能性もあるが今回それは割愛

理由

海外では、ソーシャルディスタンス(2mの社会的距離)という一言意味が伝わるパワーワードが生まれてうらやましい。

日本には清潔をもとめる習慣が昔からある。それを一言キーワードで表したい。

食文化日本はお寿司を楽しむ食文化があるが、これは菌の繁殖により食中毒を起こす可能性もあるため、衛生には特に気を付けてきたという歴史がある。(食文化と衛生はセット)

環境日本では公衆衛生概念が浸透していて、こまめ手を洗う習慣があり、手洗いができる場所がいたるところにある(公園や川)

教育学校では子供たちによる学校掃除があり幼いころから掃除が身近な行為海外では生徒に学校清掃をさせることは多くない)

他にもいろいろあると思うけど

日本他国からみると潔癖も見える行為が今回のコロナ被害他国より少ない理由として考えられるが

これらの清潔を好む文化をいちいち説明するのが面倒だし、インパクトも小さい。わかりやすくしたい!

一言「お寿司パワー」と言いたい!


次点は、お寿司バリア

日本人が昔からいかにきれい好きで清潔を好む文化であったかについて知りたい場合は、渡辺 京二 逝きし世の面影という本おすすめ

江戸末期・明治にかけて、日本に来た外人日本の印象を記した手記を集めた本。

2020-04-09

anond:20200409144446

知らんけど、増田のお口の中とおしり付近とでどっちのほうが清潔か? って話やろ。

増田個人に限っては両方同じかもしれんけど、ウイルスが増え続けていくならウイルス自体ソーシャルディスタンスを保つために移動を余儀なくされるじゃん。その時、ウイルス繁殖しづらいロケーションだったらウイルスは増殖せずに寿命死ぬんじゃね。

んで、元の増殖できた地域ウイルスは徐々に寿命とかで死んで死体が残ってるので他のウイルス繁殖できないので最終的にはウイルスが全滅するとか。

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