はてなキーワード: 遺言書とは
「年上の男性にそんな愚痴を吐かれるシチュエーション」が思い浮かばないという指摘に
「だよねー」と思いつつ想像してみたらすぐ思い当たった。うちの父だ。
影が薄いけど、ひょうきんな恐妻家って感じでみんなに好かれてた。
でも娘の前では弱音とか愚痴とか吐き出したい秘密とかを口にする人だった。
「墓まで持ってってくれ」と言いたくなるような話も聞いた。
私が本を読んでいると「読むばっかりじゃなくてそろそろ自分で書いてみたらどうか」と言われた。
(私が読むのが小説以外の本だったことに気づいてなかった。でも本を読む楽しさを最初に教えてくれたのは父だった)
病気で死ぬ直前に妙にかっこつけはじめて色々面倒臭かった。医者に喧嘩売ったり自殺してみせようとしたり。
(↑病気を受け入れられなかった)
「葬式ではブルースを流してくれ。遺灰は海にまいてくれ」と言い残して死んだ。
生前ブルースなんて聞いてなかったし、そもそも音楽CD1枚も持ってないし、
海に行って何かしたこともないし、どこの海の話をしてんのかも分からなかった。沖?磯?
なのでどちらも実行してあげられませんでした。
遺産の管理までそのおじさんやってるのか。それあかんパターンだな。ほっといたら全部持っていかれる。むしろ、はじめっから親父さんの遺産狙いで近づいてきたんじゃないか?その男。
ただ、見る限り遺産分割協議もまだしていないというのは幸いだ。
上の兄さん巻き込んで、遺産だけ弁護士通じてきちんと母親半分、兄弟分割の枠組みできちんとするようにせよ。マンション、土地持ちなら、弁護士もそれなりの金払ったら真剣にやってくるだろう。
金だけ割り切って自分の分(最低遺留分といって最低限取れる分)だけでも自分の手元に取って、卒業だけして就職したほうがいい。
そう考えると、金目じゃない不動産系のものは母親に残して、生活費と学費に充てる金や換金できる有価証券を額が少なくてもとったほうがいいかもしれない。
まあ、その辺は多少の財産もちで弁護士に出す金も出せるだろうから、俺みたいな増田の素人より、上の兄さんと一緒に弁護士と話すべきだろうが。
ただ、相手詐欺師だから、ひょっとしたら偽造遺言書作るとかするパターンかもしれない。
兄弟、親については上の兄以外あきらめるパターンで行ったほうがいい気がする。もう連絡もしない方向で。脱霊感商法のNPOもあるにはあるけど、兄弟一致団結できないような状況では難しいだろう。
脅して、和らげるって手口を見たら、あなたも落とそうとしているパターンに見える。しかも、泣き出したりとかその男に知られてる時点で、これ強くいったら落とせるんじゃないかと思われてる気がする。
ほかの霊感商法に入っていたことを見たら、上の兄さんももう見捨ててるのかもね。とにかく、上の兄さんと話して、遺産について弁護士巻き込んで話をしようというぐらいですかね。
法テラス経由で弁護士に相談して、あなた一人でも戦えるのなら戦ったほうがいいかもしれませんが。ただし、霊感商法ではありません。あなた分の遺産を取って学費と生活費を賄うためです。
一年留年しても、事情が事情だけに企業は汲んでくれる可能性があると思います。ある程度選べる企業は減るかもしれませんが。もっとも、弁護士、上のお兄さんがどれぐらい頼りになるか次第ですが。
彼とは結婚するかまだ分からないが、「女は男の姓を名乗るもの」的な考えが強い田舎出身の人だ。
でも私は、自分の価値観だけが理由なら、自分の姓を大事にしたいなと思っているんだけど、どう伝えたらいいのか分からない。
祖父がお金持ちだったのもあり、父親をはじめ、父親の兄弟はみんなそれぞれ土地を相続している。
下の叔母(独身・私の今の姓と同じ)が結構な土地を持っているのだけど、
それを上の叔母(既婚・結婚先の姓を名乗る)がめちゃくちゃ狙っている。
上の叔母は、祖父母の介護もぜんぶうちの家におしつけて、遺産ぶんどっていったような人で、
生きてるだけで遺産相続権を持つ私や妹に対するイヤミも昔からひどく、私の母親の生まれ土地をばかにしたり、
姓も違うのに「生まれ育った家だから」と本家を相続し、その家を結局壊してマンションを建てたりと、とても嫌いだ。
(私たちになんの連絡もなく決め、おもちゃなど思い出の品などもすべて突然なくなった。)
この人に下の叔母のモノをすべて持っていかれるなら、守りたいというか、下の叔母の介護や供養に使いたいと思っている。
下の叔母は独身なので、今後介護などするとしたら、娘のようにかわいがってくれた私かなと思っている。(多分みんなそう思っている)
※祖父母の遺産問題を機にちょっと疎遠だけど、それでも幼少期の思い出がそう思わせる。
まぁ、いろいろあるんだけど、多分私が結婚して別の姓を名乗っていたら、
なんか上の叔母がいろいろ言ってその土地ぜんぶ上の叔母の息子に持って行かれそうだなと思っている。
(なんか、下の叔母に「あなたが死んだら息子に土地をあげるって遺言書いてよ」とか言ったらしいし)
あと父親も、死ぬときまでに残っているか分からないけど小さいながら土地を持っているので、
そのへんのことを考えると自分の今の姓を名乗っておきたいなという気持ちがなきにしもあらずなのだ。
でも、そういうのは本来「ないもの」として考えるべきだと思っているので、彼には土地の話とかは言っていない。
相続できるかどうかもわからないものだし、あぶく銭は人を狂わせるから。
こうやって別の姓を名乗りたいと思っている時点で、私も狂っているのかもしれない。
でも、単に「男の姓を名乗るべきだろ」みたいな昔の考えを守りたいだけなら、
彼とは結婚するかまだ分からないが、「女は男の姓を名乗る者」的な考えが強い田舎出身の人だ。
でも私は、自分の価値観だけが理由なら、自分の姓を大事にしたいなと思っているんだけど、どう伝えたらいいのか分からない。
祖父がお金持ちだったのもあり、父親をはじめ、父親の兄弟はみんなそれぞれ土地を相続している。
下の叔母(独身・私の今の姓と同じ)が結構な土地を持っているのだけど、
それを上の叔母(既婚・結婚先の姓を名乗る)がめちゃくちゃ狙っている。
上の叔母は、祖父母の介護もぜんぶうちの家におしつけて、遺産ぶんどっていったような人で、
生きてるだけで遺産相続権を持つ私や妹に対するイヤミも昔からひどく、私の母親の生まれ土地をばかにしたり、
姓も違うのに「生まれ育った家だから」と本家を相続し、その家を結局壊してマンションを建てたりと、とても嫌いだ。
(私たちになんの連絡もなく決め、おもちゃなど思い出の品などもすべて突然なくなった。)
この人に下の叔母のモノをすべて持っていかれるなら、守りたいというか、下の叔母の介護や供養に使いたいと思っている。
下の叔母は独身なので、今後介護などするとしたら、娘のようにかわいがってくれた私かなと思っている。(多分みんなそう思っている)
※祖父母の遺産問題を機にちょっと疎遠だけど、それでも幼少期の思い出がそう思わせる。
まぁ、いろいろあるんだけど、多分私が結婚して別の姓を名乗っていたら、
なんか上の叔母がいろいろ言ってその土地ぜんぶ上の叔母の息子に持って行かれそうだなと思っている。
(なんか、下の叔母に「あなたが死んだら息子に土地をあげるって遺言書いてよ」とか言ったらしいし)
あと父親も、死ぬときまでに残っているか分からないけど小さいながら土地を持っているので、
そのへんのことを考えると自分の今の姓を名乗っておきたいなという気持ちがなきにしもあらずなのだ。
でも、そういうのは本来「ないもの」として考えるべきだと思っているので、彼には土地の話とかは言っていない。
相続できるかどうかもわからないものだし、あぶく銭は人を狂わせるから。
こうやって別の姓を名乗りたいと思っている時点で、私も狂っているのかもしれない。
でも、単に「男の姓を名乗るべきだろ」みたいな昔の考えを守りたいだけなら、
じいちゃんが死んだ。90近くまで生きて、死ぬ時もぽっくりの大往生で、ここまでは良かった。
大変だったのはそこから。火種なんて全く見えなかった我が一族にも相続問題が勃発した。
長男夫婦は、「長男として家を継いで欲しいと、昔からずっと父から言われていた。」と主張し、次男夫婦は「長男夫婦はたまに来てご飯を食べたり掃除したりするだけで、毎日世話をしてたのは近くに住んでいた私たち。それに実は死ぬ少し前に父から『やっぱり家はお前に頼む』と言われていた」と主張している。
それに対し長男夫婦は「そんな話は聞いてないし、そんな話があれば父が自分たちに言わない筈がない。次男夫婦は嘘つきだ。」と(心の中で)反論。(弱いww)
大した家柄じゃないので、家を継ぐ継がないっていうのはどうでもいいっていうのは分かりきってて、要は遺産の話。
じいちゃん普通のリーマンだったけど、先祖から継いだ土地が少しあるのと預貯金が数千万ある。(本当老人は金持ちでいいよね。じいちゃん戦争に行ってたし、公務員だったから年金40万近く貰ってた。)
まだ預貯金と、家以外の土地をどうするかの話し合いはしてないみたいだけど、葬式の喪主は押し切って次男が務めたし、じいちゃんの家も次男夫婦が継ぐことで確定してるみたい。
このまま行くときっと預貯金も次男夫婦が多くを持っていきそうな感じ。
結構すげーな、と思ったのがじいちゃんの葬式も長男が受取人になってたじいちゃんの生命保険金で挙げた
んだって。次男は「父にやっぱりこれはお前にやるって言われたからこれを使わせて貰う」って言ってたけど、それは流石に嘘っぽいかな。
自分としては自分が貰える訳でもないからあんまお金の行き先に興味もないし、兄弟で何やってんだよくだらねーなと思うけど、一つ言えるのはこんなんで兄弟の縁切れたらじいちゃんまじ悲しいだろうなー。草葉の陰で泣いちゃうよ、じいちゃん。
なんかこれを契機に出るわ出るわお互いの愚痴って感じでそれを聞くのも結構エグい。自分は長男夫婦の子供なんだけど、叔父さんも叔母さんもすっごくお世話になったし、大好きだし、いい思い出しかなかったから。
従兄弟の結婚とか将来お祝いしたかったけどなー。もうなんか笑顔で一同会することはないかもなって感がムンムン。
「近くに住んでて、どれだけ金持ってるかを肌で感じてたら人間何でもするかもね」って言ったのはまた別の親戚の人。「えっ、次男夫婦が金目当てでじいちゃんに良くしてたって言いたいの?」って聞いたら「悲しいけどね」って言ってた。
そんなことー、切なすぎるー、知りたくなかったー。
「じいちゃん、遺言書書いとけば?」って一言じいちゃんにやっとけばよかったな。
はてなーのみなさん、一回ちゃんと話し合いの場を設けとくといいよ!本当に。うちだってすっごくすっごく(表面上は)ずっと仲良し一家で、まさかうちが!ですよー!
例えば、マンションの一部屋にカップルが住んでいて、所有者のほうが死んだとき、夫婦ならそのまま相続でき(最近は事実婚でもある程度の権利が認められることもある)るけど、同性同士だと追い出される。
賃貸という前提で、例え貸主に無断で住んでいて更に家賃が払える財力もない、という最悪の条件だとしても
居住権があるのでそう簡単に追い出されるわけないんだが。
(そして家賃払える財力がなければ夫婦だろうといずれは追い出されるだろうし)
分譲なら遺言書いて相続出来るようにしておけば良い。遺言無ければ法定相続人に取られて追い出されるだろうけどね(それでも居住権があるので以下同文だけど)。
http://anond.hatelabo.jp/20150628084321からのツリーでもあるけど、そんなの実際は法律ではなくその場の空気で決まるもんだから
子どもがいようが他の身内よりその場の力関係が弱ければ追い出されるだろ。
そもそも「子どもがいれば結婚の意味があまりない」のが本当なら、
♯今日は4回目の命日。虚無感は未だになくなりません。
平成23年5月22日、午前8時30分(推定死亡時刻)、あの子は逝った。
2人と猫2匹で同棲していた分譲物件でタオルをドアノブにかけた非定型の首吊りによる縊死だった。
前日に喧嘩をした。予感はあった。
しかし、その前にサイズを測っておらず、違ったベッドマットを持ってきてしまい、
どうしよ~と彼女に報告した事。
要領が悪いと指摘され、いじける僕にあの子はキレた。
最後まで最低な人だったね。飼ってる猫2匹連れて1晩でいいからこの家出て行って。さよなら」
僕の中で、ベッドマットを交換してあげる事が好意で、
その好意は結果が伴っていないため、また押し付けがましいものを提案してきたのに、結果が失敗していた。
と、いうやり取りが面倒で面倒で仕方がないみたい。
僕は誠意のない謝罪を繰り返すばかりで、あの子の心を動かす事はできなかった。
僕は一泊分の簡単な荷物をまとめ、翌日に戻ってくるつもりで家を出た。
だけど、出掛けの「さよなら」がとても気がかって、
車をなかなか発車させることができなかった。
その後、実家に戻り、1晩を明け、朝一で彼女と住んでいる家に向かった。
家や携帯はかけてもやはりでない。
家の覗き穴から見るも、部屋の様子は伺えない。
よかった生きている。
僕は安心してその日予定されていた自治会の行事、マンション前の草むしりに参加した。
▼あの子が逝ってしまい、中身が入っていない器を見つけた時の話。
11時頃に草むしりを終え、帰宅し、彼女に精一杯謝って誠意を伝えよう。
意気揚々と家のドアを開けた。
距離は遠いが、明らかにあの子が不自然な体制でドアに寄りかかっているのが見えた。
見た瞬間にすべてを悟った。
2年経った今でもずっと脳裏どころか、記憶のとっても浅い所に焼き付いている。
ショックだった。これほど衝撃的な場面に僕は出くわしたことはない。
首吊りの縊死といっても、キャベツ太郎の景品で送られてきた景品ハンドタオルをロープのように使って首に巻きつけ、ドアノブでしばっているだけ。
ちょっと暴れたらすぐ取れるじゃん。こんなの。
でも、足掻いた形跡はない。彼女の中身が入っていない器は、口は半開きで眼の部分は半開きで、眼球はすでに乾いていた。
飼っている猫2匹があの子に寄り添って寝ている。
それまでは日常的な光景だったのに、この瞬間だけはあまりにも非日常的な光景すぎた。
そばには流れっぱなしのiPod。今も曲が流れている。
また、そばの椅子の上にはdocomoからの請求書に殴り書きしたような番号が書かれていた。
それはあの子が持っていたメインバンクの口座番号と暗証番号だった。
ここからは気が動転していたので、思い出せることを書くが、
「呼吸はありますか」
「脈ははかれますか」
「心臓マッサージを隊員が駆けつけるまで続けてください。」
あの子があの子であったなら、何も考えずに言われたことをやっていただろう。
でも、もうあの子は逝ってしまい、ここにいるのはあの子の器なだけなんだ。
足には縊死でなくなった方の特徴の斑ができていて、手もギュッとこぶしを握っていて開かない。
死後硬直まで起きている。
生きている人間ならば、押すと跳ね返りがあり、多少の息の返りがわかるはず。
彼女は穴のあいた風船のように押せばしぼむ、押せばしぼむの繰り返しだった。
まったく入っていく気配はない。
と、いうか口の中が乾きすぎている。
もう、誰がどう見てもあの子は器だけ残して中身がどこかへ飛んでいってしまったんだ。
救急隊員が到着し、人工呼吸を代わってもらい、その光景を見つめながら僕は天を仰いだ。
まだその辺にいるのか?いるのなら最後に話したい。
そんな馬鹿げた事を考えていた。
救急隊員があの子をストレッチャーに乗せ、マンションを出る時も心臓マッサージをした。
野次馬(失礼な言い方かもしれません)が集まっていました。
あの子に白い布が体にかぶせられていたのですが、顔はそのまま出ていた状態でした。
僕はあの子はもう、死んでしまっていて、そんな死に顔を野次馬に見せたくない、との一心で
白い布を顔までずらしました。
しかし、救急隊員は「まだあきらめちゃだめです!」とか感情論で
白い布を体にずらし、再び彼女の顔はあらわになった。
中には小さい子供や、親しくしていただいた近所の住人がいたので、
彼らはあの子を助けるつもりでいてくれた事には感謝しています。
しかし、どう見てもあの子はもう、あの子が入っていた器だったんです。
もう2年以上経って、もうすぐ3年目を迎えるのか。
そんな気は全然しないな。
命日が怖い。3周忌の予定も立てれる自信がない。
あの日以来、いっぱい泣いたけれど、四十九日を境に泣くのをやめた。
でも、本気で笑う日は少ない。
すべてあの子がいたら、の仮定でしか話を考えられなくなってしまっている。
だけど、こんな悲嘆すること言いながら、
都合いいよね。
嫁さんには大方の話はしたけれど、こんな詳細までは話していません。
でも、気落ちした私を心底支えてくれました。
大切な人が命を断つ。
あまりにも彼女の入った器を見つけたときのショックが大きすぎて、
いろいろな自死遺族の会に参加させてもらったけれども、
皆さんこもごもにケースが違う。
似たようなケースの人なんているようでいないと思っている。
また、社会に出ると毎日のように人身事故、自殺のニュースが目に入ってきます。
その遺族の方達に自分と同じような感情を持っている人はいるのだろうか。
自分の価値観が大きく崩れて、自分も首吊りで死ぬことが一番最良の方法なんではないかと
感じてきてしまっている。
後を追いたいわけじゃない。疲れたんだ。
あの子に会いたいけど、もう二度とあの子に会えないのはわかっている。
でも、少しでも、あの子が逝くその時にどんな感情だったかを知りたい。
少しでも死にたくないという気持ち、があったのか。
きっとなかったんだろうなとは思う。
hideさんが亡くなった方法もあの子と似たようなものでしたが、
それを真似したわけではなさそうです。
とりわけYOSHIKIさんが好きだったから、あの子に一度会わせてあげたかったな。
実行の際にはオムツも履いていましたし。
それほどまでに死に執着していたのか。
話代わって、死後の世界なんて、本当にないと思っている。
昔は怖い話系のシリーズを読むと、怖くて一人でトイレも行けない僕だったけれど、
あの子が逝ってから、その類への恐怖というか、関心が一切消えた。
人の死というのは、電気のスイッチと同じで、OFFになると消える。
今にも起きてきそうなほど、綺麗だったけれど、
何より、火葬場での変わり果てた姿を見たとき、あの子はもう、あの子の器すらも失ったんだと確信した。
あの子に会えるならどんな形であれ、出てきてほしいけれど、
僕の夢にも一度も出てこない。
そんなあの子が例えば幽霊とかで出てくる要素がなくなってしまった。
事情を知らない火葬場の人から「とてもお強い綺麗なお骨です。どこかを病んでいたようには思えません」と、
あの子の器だったものの骨壷を持ったときの違和感が今でも手に残っている。
しかし、そんな僕だからこそ、葬儀に至るまでの間、本当に僕の周りに迷惑をかけた。
僕の両親・友達・近所の親しい方々が心配し、泊り込みで支えてくれた。
葬儀屋の方々も感謝してもしつくせないくらい、落ち込んでいる僕を支えてくれた。
あの時の恩を返そうと、今では笑顔を作って「僕は大丈夫。幸せに過ごしている」を見せている。
葬儀の際はその遠い親戚から相続はどうするんだと搔き立てられました。
これまで大変お世話になりました。
と、言われました。
正直、あまりに辛い出来事から逃れたいが為に、すべてその遠い親戚に渡したかったのですが、
遺言書の通りにするのが一番だ、という周りの方の勧めであの子のすべてを僕が相続しました。
そのすべて、には今僕が住んでいる分譲マンション並びに預金口座も含まれています。
また、その中にはあの子が僕と出会う前にあった出来事のすべてを遺しています。
これまで育った経緯の写真。
その中でも一番心に響くのが、幼少の頃のあの子の親に大切そうに抱きかかえられている写真、
何も捨てられません。
また、この遺産を見るにあたり、ますます自分があの子を殺してしまったんだ、という気持ちが強くなりました。
今の妻に、もしこの遺産を見つかったならどう説明すればいいかもわかりません。
再度似たようなことを書きますが、世の中、毎日のように自殺のニュースを目にします。
見る分にはいいんです。社会は広いし、いろいろな人がいますから。
身の回りの日常会話の中でも「○○さんが自殺したの知ってる?」なんて話題を振られたりする。
でも、今はこんな会話を自分に振られると、一気にあの子の事がフラッシュバックして、
いてもたってもいられなくなる。
でも、社会とはそういうものなのかもしれないけれど、死こういった会話をする事がとても辛い。
けれど、その社会から逃れた生活をすることなんか出来ないし、仕方ない事なのかな。
ドアを開けて一目でわかったあの子の変わり果てた姿。
その直前までは生活音を聞いていて、生きていたであろうあの子の物音。
皆、こういう感じなのかな。
だとしたら、少しホッとする。
(追記 1/18)
多くの方に読んでいただいたようで、ありがとうございます。
あの子の事を書くにあたり、自己陶酔は確かにしているかもしれません。
僕がきっかけではなく、あの子はいずれ死を決めていただろう、とも心のどこかで思ってはいます。
でも、思うところは僕が殺してしまったに変わりありません。
しかし、時は最良の薬なのですね。
この文はあの子が逝った翌月あたりにEvernoteに書き殴っていたものに
そんな事ばかりしか書いていませんでした。
それは自分の希望であって、多くのコメントでいただいているように、
結婚し、子供を授かり、育てている以上、妻と子に人生を捧げるつもりで生きます。
上記では死んでしまいたい旨、書いてしまいましたが訂正します。
僕が一番わかっていたはずの事を忘れていました。
あの子の納骨が終わった日の夜、
15年前に付き合っていた人から10年ぶりくらいで連絡があり、それが今の妻になります。
地震発生後しばらく電話をかけていたのですが、繋がらず、心配していました。
妻曰く、当時はバタバタとしていて自分の着信に気づいたのですが、後でかけよう、と
思ったタイミングが約4ヵ月後、あの子の納骨の日だったらしいのです。
また、あの子とは話し合いの下、結婚も考えていて子作りもしておりました。
期間にすると約3年くらい。
あの子とは付き合いが長かった為、次のステップへの良いきっかけになると思っていました。
しかし、あまりにできなかった事から、あの子は産婦人科で不妊の検査、
自分の精子が極端に少なく、子供は望めないかもしれない。と、いう話をされていた。
とりあえず、僕は僕を捨て、あの子になったつもりで精一杯、死ぬまでこの世を生きてみせます。
ありがとうございました。
伝聞であるのは、その自殺を知ったのは、葬儀が終わってしばらく経っているこらだ。
生命保険の受取人を僕にして欲しいと遺言書に書いてあったと弁護士から連絡が来て知った。
友人(Kとしよう)は、最近まで鬱で苦しんでいたのは、これも伝聞で知っていた。連絡を取ろうとしたが、Kの体調が悪く会えなかった。
一度目の鬱の発症は、営業のノルマに苦しんでだった。これは知ってる。Kは研究肌だったのに、就職した大手メーカーで、営業と研究の融合だかで実験的に配置転換され、高卒叩き上げの多い営業の環境に慣れず、鬱になった。
一時休職していたが、飲酒量が増えた。そして、復帰したと思ったら、半年で二度目の鬱の発症。同じタイミングで、奥さんとは離婚。Kが可愛がっていた一人娘の親権は奥さんに移り、奥さんは実家のある北陸に帰ったらしい。
みんな心配して会おうとしたが、本人がドタキャン続きで、次第に気を使うのが嫌になって離れていった。
そして、僕に弁護士から連絡があったのが昨日。生命保険の受取人は彼の母であったが、遺書に従って、生命保険金は僕に受け取って欲しいと弁護士から聞いた。
遺言では「有意義に使ってほしい」と書いてあったという。三千万円。大金だ。今まで持ったことがないので、全く実感が湧かない。
これをどう使えばいいのだろうか。
別れよう。10年後。
それまでにいろいろと、オレもやることがあるわ。
子供が成人する時期にあわせているから、1人で過ごして寂しくないように友達をつくれるように頑張ってみる。いまは1人も友達いないんだ。
そのころには経済的には少しは余裕あるとおもうけど、お前には一銭もやる気はないから。そのための準備をしておくよ。
戸籍上離婚するといろいろ請求されると損するので、籍は抜かないで置くことも考えるよ。
もしオレが死んでもお前に一銭も残さないように遺言書を書いて役所に出しておくよ。遺産はそのときの彼女にでも全額くれてやるわ。
俺の20年をムダにした罪は大きいよ。
だからタダでは済まさない。
おれは10年後に自由になることにした。
これでもすでに15年をムダにしたよ。
おれはいい人すぎたんだよ。
そして、そのことに何の有り難みも感じないお前を大事にし過ぎたよ。
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おれも自由にさせてもらうわ。
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あばよ、10年後に。
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忘れもしない今年の5月18日。武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。普段から心底思ってはいた。「いつ死んでも仕方ない」とはいえあまりに突然だった。
確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。
宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。それこそ必死だ。頼もしい友人や強力この上ない方の支援も得てきた。抗ガン剤は拒否し、世間一般とは少々異なる世界観を信じて生きようとした。「普通」を拒否するあたりが私らしくていいような気がした。どうせいつだって多数派に身の置き所なんかなかったように思う。医療についてだって同じだ。現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかもあれこれ思い知った。「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。病状は確実に進行する日々だった。
一方私だって一社会人として世間一般の世界観も、半分くらいは受け入れて生きている。ちゃんと税金だって払ってるんだから。立派には縁遠いが歴とした日本社会のフルメンバーの1人だ。だから生き延びるための私的世界観の準備とは別に、「ちゃんと死ぬための用意」にも手を回してきたつもりだ。全然ちゃんと出来なかったけど。その一つが、信頼のおける二人の友人に協力してもらい、今 敏の持つ儚いとはいえ著作権などの管理を任せる会社を作ること。もう一つは、たくさんはないが財産を円滑に家内に譲り渡せるように遺言書を作ることだった。無論遺産争いがこじれるようなことはないが、この世に残る妻の不安を一つでも取り除いてやりたいし、それがちょいと向こうに旅立つ私の安心に繋がるというもの。
手続きにまつわる、私や家内の苦手な事務処理や、下調べなどは素晴らしき友人の手によってスピーディに進めてもらった。後日、肺炎による危篤状態の中で、朦朧としつつ遺言書に最後のサインをしたときは、とりあえず、これで死ぬのも仕方ないと思ったくらいだった。「はぁ…やっと死ねる」なにしろ、その二日前に救急で武蔵野赤十字に運ばれ、一日おいてまた救急で同じ病院へ運ばれた。さすがにここで入院して細かい検査となったわけだ。結果は肺炎の併発、胸水も相当溜まっている。医師にはっきり聞いたところ、答えは大変事務的で、ある意味ありがたかった。「持って…一日二日……これを越えても今月いっぱいくらいでしょう」聞きながら「天気予報みたいだな」と思ったが事態は切迫していた。それが7月7日のこと。なかなか過酷な七夕だったことだよ。
ということで早速腹はきまった。私は自宅で死にたい。周囲の人間に対して最後の大迷惑になるかもしれないが、なんとしてでも自宅へ脱出する方法をあたってもらった。妻の頑張りと、病院のあきらめたかのような態度でありつつも実は実に助かる協力、外部医院の甚大な支援、そして多くの天恵としか思えぬ偶然の数々。あんなに上手く偶然や必然が隙間なくはまった様が現実にあるとは信じられないくらいだ。「東京ゴッドファーザーズ」じゃあるまいし。
妻が脱出の段取りに走り回る一方、私はと言えば、医師に対して「半日でも一日でも家にいられればまだ出来ることがあるんです!」と訴えた後は、陰気な病室で一人死を待ち受けていた。寂しくはあったが考えていたのはこんなこと。「死ぬってのも悪くないかもな」理由が特にあるわけもなく、そうとでも思わないといられなかったのかもしれないが、気持ちは自分でもびっくりするほど穏やかだった。ただ、一つだけどうしても気に入らない。「この場所で死ぬのだけは嫌だなぁ…」と、見ると壁のカレンダーから何か動き出して部屋に広がり始めるし。「やれやれ…カレンダーから行列とはな。私の幻覚はちっとも個性的じゃないなぁ」こんな時だって職業意識が働くものだと微笑ましく感じたが、全くこの時が一番死の世界に近寄っていたのかもしれない。本当に死を間近に感じた。死の世界とシーツにくるまれながら、多くの人の尽力のおかげで奇跡的に武蔵野赤十字を脱出して、自宅に辿り付いた。死ぬのもツライよ。断っておくが、別に武蔵野赤十字への批判や嫌悪はないので、誤解なきよう。ただ、私は自分の家に帰りたかっただけなのだ。私が暮らしているあの家へ。
少しばかり驚いたのは、自宅の茶の間に運びこまれるとき、臨死体験でおなじみの「高所から自分が部屋に運ばれる姿を見る」なんていうオマケがついたことだった。自分と自分を含む風景を、地上数メートルくらいからだろうか、ワイド気味のレンズで真俯瞰で見ていた。部屋中央のベッドの四角がやけに大きく印象的で、シーツにくるまれた自分がその四角に下ろされる。あんまり丁寧な感じじゃなかったが、文句は言うまい。
さて、あとは自宅で死を待つばかりのはずだった。ところが。肺炎の山を難なく越えてしまったらしい。ありゃ?ある意味、こう思った。「死にそびれたか(笑)」その後、死のことしか考えられなかった私は一度たしかに死んだように思う。朦朧とした意識の奥の方で「reborn」という言葉が何度か揺れた。不思議なことに、その翌日再び気力が再起動した。妻を始め、見舞いに来て気力を分け与えてくれた方々、応援してくれた友人、医師や看護師、ケアマネージャなど携わってくれている人すべてのおかげだと思う。本当に素直に心の底から。
生きる気力が再起動したからには、ぼんやりしているわけにはいかない。エクストラで与えられたような命だと肝に命じて、大事に使わねばならない。そこで現世に残した不義理を一つでも減らしたいと思った。実はガンのことはごくごく身の回りの人間にしか伝えていなかった。両親にも知らせていなかったくらいだ。特に仕事上においては色々なしがらみがあり、言うに言えなかった。インターネット上でガンの宣言をして、残りの人生を日々報告したい気持ちもあったのだが、今 敏の死が予定されることは、小さいとはいえ諸々影響が懸念されると思えたし、それがゆえに身近な知り合いにも不義理を重ねてしまっていた。まことに申し訳ない。
死ぬ前にせめて一度会って、一言でも挨拶したい人はたくさんいる。家族や親戚、古くは小中学校からの友人や高校の同級生、大学で知り合った仲間、漫画の世界で出会い多くの刺激を交換した人たち、アニメの世界で机を並べ、一緒に酒を飲み、同じ作品で腕前を刺激しあい、楽しみも苦しみも分け合った多くの仲間たち、監督という立場のおかげで知り会えた数知れないほどたくさんの人びと、日本のみならず世界各地でファンだといってくれる人たちにも出会うことが出来た。ウェブを通じて知り合った友人もいる。
出来れば一目会いたい人はたくさんいるが(会いたくないのもいるけれど)、会えば「この人ともう会えなくなるんだな」という思いばかりが溜まっていきそうで、上手く死を迎えられなくなってしまいそうな気がした。回復されたとはいえ私に残る気力はわずかで、会うにはよほどの覚悟がいる。会いたい人ほど会うのがつらい。皮肉な話だ。それに、骨への転移への影響で下半身が麻痺してほぼ寝たきりになり、痩せ細った姿を見られたくもなかった。多くの知り合いの中で元気な頃の今 敏を覚えていて欲しいと思った。病状を知らせなかった親戚、あらゆる友人、すべての知人の皆さん、この場を借りて不義理をお詫びします。でも、今 敏のわがままも理解してやっていただきたい。だって、「そういうやつ」だったでしょ、今 敏って。顔を思い出せば、いい思い出と笑顔が思い起こされます。みんな、本当にいい思い出をたくさんありがとう。自分の生きた世界を愛している。そう思えることそのものが幸せだ。
私の人生で出会った少なからぬ人たちは、肯定的否定的どちらであっても、やっぱり今 敏という人間の形成にはどこか必要だっただろうし、全ての出会いに感謝している。その結果が四十代半ばの早い死であったとしても、これはこれとして他ならぬ私の運命と受け止めている。いい思いだって随分させてもらったのだ。いま死について思うのはこういうこと。「残念としかいいようがないな」本当に。
しかし、多くの不義理は仕方ないと諦めるにせよ、私がどうしても気に病んで仕方なかったことがある。両親とマッドハウス丸山さんだ。今 敏の本当の親と、アニメ監督の親。遅くなったとはいえ、洗いざらい本当のことを告げる以外にない。許しを乞いたいような気持ちだった。
自宅に見舞いに来てくれた丸山さんの顔を見た途端、流れ出る涙と情けない気持ちが止めどなかった。「すいません、こんな姿になってしまいました…」丸山さんは何も言わず、顔を振り両手を握ってくれた。感謝の気持ちでいっぱいになった。怒涛のように、この人と仕事が出来たことへの感謝なんて言葉ではいえないほどの歓喜が押し寄せた。大袈裟な表現に聞こえるかもしれないが、そうとしか言いようがない。勝手かもしれないが一挙に赦された思いがした。
一番の心残りは映画「夢みる機械」のことだ。映画そのものも勿論、参加してくれているスタッフのことも気がかりで仕方ない。だって、下手をすればこれまでに血道をあげて描いて来たカットたちが誰の目にも触れない可能性が十分以上にあるのだ。何せ今 敏が原作、脚本、キャラクターと世界観設定、絵コンテ、音楽イメージ…ありとあらゆるイメージソースを抱え込んでいるのだ。もちろん、作画監督、美術監督はじめ、多くのスタッフと共有していることもたくさんあるが、基本的には今 敏でなければ分からない、作れないことばかりの内容だ。そう仕向けたのは私の責任と言われればそれまでだが、私の方から世界観を共有するために少なからぬ努力はして来たつもりだ。だが、こうとなっては不徳のいたすところだけが骨に響いて軋んだ痛みを上げる。スタッフのみんなにはまことに申し訳ないと思う。けれど少しは理解もしてやって欲しい。だって、今 敏って「そういうやつ」で、だからこそ多少なりとも他とはちょっと違うヘンナモノを凝縮したアニメを作り得てきたとも言えるんだから。かなり傲慢な物言いかもしれないが、ガンに免じて許してやってくれ。
私も漫然と死を待っていたわけでなく、今 敏亡き後も何とか作品が存続するべく、ない頭を捻って来た。しかしそれも浅知恵。丸山さんに「夢みる機械」の懸念を伝えると、「大丈夫。なんとでもするから心配ない」とのこと。泣けた。もう号泣。これまでの映画制作においても予算においても不義理ばかり重ねて来て、でも結局はいつだって丸山さんに何とかしてもらって来た。今回も同じだ。私も進歩がない。丸山さんとはたっぷり話をする時間が持てた。おかげで、今 敏の才能や技術がいまの業界においてかなり貴重なものであることを少しだけ実感させてもらった。才能が惜しい。何とかおいていってもらいたい。何しろザ・マッドハウス丸山さんが仰るのだから多少の自信を土産に冥途に行けるというものだ。確かに他人に言われるまでもなく、変な発想や細かい描写の技術がこのまま失われるのは単純に勿体ないと思うが、いた仕方ない。それらを世間に出す機会を与えてくれた丸山さんには心から感謝している。本当ににありがとうございました。今 敏はアニメーション監督としても幸せ者でした。
両親に告げるのは本当に切なかった。本当なら、まだ身体の自由がきくうちに札幌に住む両親にガンの報告に行くつもりだったが、病気の進行は悔しいほど韋駄天で、結局、死に一番近づいた病室から唐突極まりない電話をすることになってしまった。「オレ、膵臓ガン末期でもうすぐ死ぬから。お父さんとお母さんの子供に生まれて来て本当に良かった。ありがとう」突然聞かされた方は溜まったものではないだろうが、何せその時はもう死ぬという予感に包まれていたのだ。
それが自宅に帰り、肺炎の危篤を何とか越えて来た頃。一大決心をして親に会うことにした。両親だって会いたがっていた。しかし会えば辛いし、会う気力もなかったのだが、どうしても一目親の顔を見たくなった。直接、この世に産んでもらった感謝を伝えたかった。私は本当に幸せだった。ちょっと他の人より生き急いでしまったのは、妻にも両親にも、私が好きな人たちみんなに申し訳ないけれど。私のわがままにすぐ対応してくれて、翌日には札幌から両親が自宅についた。寝たきりとなった私を一目見るなり母が言った言葉が忘れられない。「ごめんねぇ!丈夫に産んでやれなくて!」何も言えなかった。
両親とは短い間しか過ごさなかったが、それで十分だった。顔を見れば、それですべてわかるような気がしたし、実際そうだった。
ありがとう、お父さん、お母さん。二人の間の子供としてこの世に生を受けたことが何よりの幸せでした。数えきれないほどの思い出と感謝で胸がいっぱいになります。幸せそのものも大事だけれど、幸せを感じる力を育ててもらったことに感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。
親に先立つのはあまりに親不孝だが、この十数年の間、アニメーション監督として自分の好きに腕を振るい、目標を達成し、評価もそれなりに得た。あまり売れなかったのはちょいと残念だが、分相応だと思っている。特にこの十数年、他人の何倍かの密度で生きていたように思うし、両親も私の胸のうちを分かってくれていたことだろう。
両親と丸山さんに直接話が出来たことで、肩の荷が下りたように思う。
最後に、誰よりも気がかりで、けれど最後まで頼りになってくれた妻へ。あの余命宣告以来何度も二人で涙にくれた。お互い、身体的にも精神的にも過酷な毎日だった。言葉にすることなんて出来ないくらい。でも、そんなしんどくも切ない日々を何とか越えて来られたのは、あの宣告後すぐに言ってくれた力強い言葉のおかげだと私は思っている。「私、最後までちゃんと伴走するからね」その言葉の通り、私の心配など追い越すかのように、怒濤のごとく押し寄せるあちらこちらからの要求や請求を交通整理し、亭主の介護を見よう見まねですぐに覚え、テキパキとこなす姿に私は感動を覚えた。「私の妻はすごいぞ」今さらながら言うな?って。いやいや、今まで思っていた以上なんだと実感した次第だ。私が死んだ後も、きっと上手いこと今 敏を送り出してくれると信じている。思い起こせば、結婚以来「仕事仕事」の毎日で、自宅でゆっくり出来る時間が出来たと思えばガンだった、ではあんまりだ。けれど、仕事に没頭する人であること、そこに才能があることを間近にいてよく理解してくれていたね。私は幸せだったよ、本当に。生きることについても死を迎えるにあたっても、どれほど感謝してもしきれない。ありがとう。
気がかりなことはもちろんまだまだあるが、数え上げればキリがない。物事にも終わりが必要だ。最後に、今どきはなかなか受け入れてもらいにくいであろう、自宅での終末ケアを引き受けてくれた主治医のH先生、そしてその奥様で看護師のKさんに深い感謝の気持ちをお伝えしたい。自宅という医療には不便きわまりない状況のなか、ガンの疼痛をあれやこれやの方法で粘り強く取り除いていただき、死というゴールまでの間を少しでも快適に過ごせるようご尽力いただき、どれほど助けられたことでしょう。しかも、ただでさえ面倒くさく図体と態度の大きな患者に、単なる仕事の枠組みをはるかに越え、何より人間的に接していただいたことにどれほど私たち夫婦が支えられ、救われたか分かりません。先生方御夫婦のお人柄にも励まされることも多々ありました。深く深く感謝いたしております。
そして、いよいよ最後になりますが、5月半ばに余命宣告を受けてすぐの頃から、公私に渡って尋常ではないほどの協力と尽力、精神的な支えにもなってくれた二人の友人。株式会社KON’STONEのメンバーでもある高校時代からの友人Tと、プロデューサーHに心からの感謝を送ります。本当にありがとう。私の貧相なボキャブラリーから、適切な感謝の言葉を探すのも難しいほど、夫婦揃って世話になった。 2人がいなければ死はもっとつらい形で私や、そばで看取る家内を呑み込んでいたことでしょう。何から何まで、本当に世話になった。で。世話になりついでですまんのだが、死んだあとの送り出しまで、家内に協力してやってくれぬか。そうすりゃ、私も安心してフライトに乗れる。心から頼む。
さて、ここまで長々とこの文章におつき合いしてくれた皆さん、どうもありがとう。世界中に存する善きものすべてに感謝したい気持ちと共に、筆をおくことにしよう。
じゃ、お先に。
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http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/archives/565
無断転載しました。ごめんなさい。
明日は誕生日なんだが、人生でもっとも不安を抱えながらの誕生日になりそうだ。
検診の医師には1年に1回検査を受ければいいと言われたが、不安なので後日、
病院にいこうと思う。
いろいろ調べてみたら、卵巣の腫瘍は9割が良性で、1割が悪性。
その1割に入っているかどうかは手術をして摘出してみないとわからないようだ。
その1割に入っていたらと思うと……。
仕事のことも旦那のことも割とどうでもよく、気がかりなのは子どものことだけだ。
子どもが大人になるまで生きていられるだろうかということ
ばかり考えている。
そして、もうこの世にはいない父のことを思い出した。
私の父は母と離婚した。当時の私は5歳。両親の離婚後、私は父と会うことはなかった。
父は数年後再婚し、2人の子どもをもうけたが、胃がんにかかり45歳でこの世を去った。
父が死んだ時、一人は3歳、一人はまだお腹の中にいた。
つまり、3人も子どもがいながら、誰一人と成長した姿を見ることなく
死んだのだ。
そんな父のことが頭をよぎっている。
もし私の残り時間が少なかったとしたら、今からでも毎日を大事に
すごさなければならない。
肉がお好きで、卒寿を超えてもステーキとフォアグラを一度に頼んでいたという。脚本家の倉本聰さんが「存在そのものがすでに演技」と惜しむ森繁久弥さん、96歳。後輩のために弔辞を読む役回りを退き、いよいよ聞く番となった▼人も芸も軽妙だった。TBSの生放送ドラマ「七人の孫」で、お手伝いさん役の新人女優をいたく気に入った森繁さん、放送当日、急坂のラーメン屋台という妙な場面を注文する。台本なしの本番。屋台の丸いすに座ったご隠居は、即興で横のお手伝いにすり寄った▼新人がうぶに押しのける。屋台は坂をずり始め、2人は抱き合って倒れ込んだ。このわるさ、配役を任された久世光彦(くぜ・てるひこ)さんが『今さらながら大遺言書』(新潮社)で明かしている。相手は後の樹木希林さんだ▼女性を愛し、映画でも尻や胸によく手が伸びた。パシッとやられて退散する流れがおちゃめで、いやらしさはない。座談の色話には軽(かろ)みが漂い、エロというより、小さな字で助平と書きたいおかしみがあった▼大阪人のサービス精神に、大御所の威厳がいい案配で重なる。銀幕の盛りはチョビひげ、晩年は白いあごひげの相を大衆の記憶に刻んだ。お座敷でのドジョウすくいと文化勲章。どちらもはまる自在の人だった▼勝新太郎さんや芦田伸介さんら、仲間に先立たれる思いを「朝寝坊でロケバスに乗り遅れた私だけがまごまごしている」と記している。「生きているやつはみんな哀れなんだ」と。久世さんも、最愛の妻子も待つ次の現場に向かって、悠然とバスに消えた。
口うるさい夫の姉に辟易してます。
夫の姉、つまり小姑についての相談です。
現在は、親子4人+夫の父親である舅と同居してます。
舅とお姑さんは私たちが結婚する前から別居していて、最近離婚しました。
それで、舅が再婚して新たに家を構えるってことになったんです。
そしたら、夫の姉がしゃしゃり出てきて、猛烈に怒ってるらしいんです。
・いつまで義父にたかるのか?
・義父が再婚したら、マンションの権利の半分は新しい奥さんのものになる
・義父が新しい奥さんと離婚して慰謝料とられたらお前らに面倒みる力はあ るのか 等々
はぁ?って感じです。言ってる意味がさっぱりわかりません。
そもそも、マンションは私たちが結婚する前に夫が義父に買おうと言って購入したし、名義は義父ですけど世帯主は夫です。
最初はローンは半分づつ払うってことだったらしいけど、でき婚だし、夫の手取りは20万くらいだし、車のローンだってあるから、払うのはムリです。
だから、定年した義父は再就職して一人でローン払ってます。
私達だって、駐車代や電気代は払ってます。
でも、義姉は遠くで暮らしてるくせに、ここぞとばかりに夫を責め立てるらしいです。
一番むかつくのは、義父の退職金を食いつぶした・・といわれることです。
結婚式の費用とマンションの購入資金で1千万位使ったとか言われるんですが、それは義父が出すと言ってくれたら甘えただけです。
しかも、義父の老後の面倒を私たちに押しつける気です。
せっかく義父が再婚するのに、再婚相手が×3で子供の親権を放棄してる人だから、義父の面倒を見るとは考えられないとか言ってます。
私は、結婚当初から義姉に不信感がありました。
結婚式には仕事が忙しいから出席できないといわれ、新婚旅行の帰りに
義姉の住む都市へ寄って食事を一緒にしたのですが、お祝い金をくれませんでした。単に一人5千円分くらいのお寿司をおごってくれただけです。
夫もガッカリしていました。
しかも、私が臨月なのに買ったばかりのマンションに遊びに来たいとか言ったそうです。さすがに夫が断りました。
子供が生まれたことも義父から連絡したはずなのに何のお祝いもくれません。
一緒に食事した時には可愛い洋服を送るからねって言ってたのに。
そのあとずっと音沙汰なしだったのに、今回の義父の再婚話が出たとたんに
夫に電話してきました。
義父の再婚に反対してるような口ぶりだったり、今度は義父と新しい奥さんがマンションに住むべきで、お前らが出ていくべきたとか・・
あと、私たちが住民税を払ってないから、例え名義を夫のものにしても差し押さえられるとか。(そんなことあるわけないですよね。)
夫は義姉は単に私達に嫉妬しているだけだろうと言ってます。
義姉は高校と大学費用は奨学金で賄ったし、結婚式もあげてないそうです。
夫は高校の時の奨学金は義父が返済してくれていますが、義姉は今でも自分で返済してるらしいのです。
だから、私達の生活が羨ましいんだと思います。
今回義父が再婚して、マンションを出て行ってくれればやっと親子水入らずで生活できますし、義父も新しい奥さんと2人で仲良く生活すればいいと思います。
ローンは義父が払ってくれる予定ですが、義姉はそれが一番気に食わないらしいのです。
筋が通らないだろうといいますが、義父が払ってくれると言ってるんですよ。
別に無理やり払わせてるわけではありませんし。
義姉の最初の口ぶりでは、新しい奥さんの悪口を言ってたくせに、今度は義父と新しい奥さんがマンションに住むべきだなんて、意見をコロコロ変えるのも、許せません。
頭がおかしいのでしょうか?
皆さんはどう思われますか?
続き見る前にレスいただいた方が、いらっしゃいますがちゃんと続きみてからレスしてほしかったです。
義父の奥さんにマンションの権利があるとかおっしゃってますが、離婚した夫の実母は別にマンションよこせなんて言ってきませんよ。
離婚したって、慰謝料の請求はなかったって義父が言ってました。
そもそも、預金はほとんどないし、持っていかれるものは無いらしいです。
でも、なぜ私に対して否定的な意見なんですか?
他のトピでも介護を押し付けられて・・とか、夫の姉が押し掛けてくる・・みたいなので、皆さんお嫁さんの味方されてますよね?
それに、介護とか離婚するかもとか、何十年も先の事を今から言われたってピンときません。
なぜ、物事否定的に考えるのか?
万が一義父の面倒を見るとかになっても、私は他人だし、血のつながった義姉が見るべきだと思いませんか?
そもそも、依存してるとかおっしゃいますが、親が子供の為にお金使うのは当たり前だと思います。
うちの母もそういってました。
でも、別に私は自分が正しいと思ってもらうためにトピをたてたのではありません。
ただ、義姉の事がとてもむかつくだけです。
今まで、何の音沙汰もなかったのに、今更横からガンガン文句言われればだれだって頭に来ますよね。
義姉の精神はどうなっているのか、本当によく分からないいです。
何度も言いますけど、会ったこともない新しい奥さんの事悪く言ったり、化と思えば今度は義父と一緒にマンションに住むべきとか。
マンションはお前たちのものじゃないとか。
でも、義父が新しい奥さんは財産を狙うような人ではないと言ってます。
あと、義父が今年から早めに年金貰うようにしたらしいんですが、それも義姉的には気に食わないらしいです。
取り分が少なくなる・・とかなんとか言ってましたけど、私にはよくわかりません。もらえるものは別に早めにもらっても良いと思いますけど。
でも、なんで、皆さん義姉の味方ばかりされるんですか?
他のトピではお嫁さんの方の味方なのに・・
ちょっと悲しいです。
引き続きレスお願いします。
やっぱり、皆さん私達夫婦が悪いっておっしゃるんですね。
ちょっと、心外でした!
別に私達は人の生き方について、横から文句言ったりしません。
義父がやりたいようにすればよいと思ってるし、義姉だって好き勝手にやってるんだろうし。
だから、横から文句言う人の気持ちがさっぱりわからないんですよね~
あと、義姉が財産狙ってるって言うのは、そうかもしれないと思ってきました。
以前、義父が兄弟で平等に遺産相続したらいいんじゃないかといったことがあったそうですが、その時義姉は「嫁いでいる身だしお金にも特別困ってないから、財産は弟2人でわけるようにして」っ言ったらしいんですが、やっぱり嘘だったんだと思います。
でも、もう義父にはわけるようなお金はないですけどね。マンションは私たち夫婦がずっと住むつもりです。
夫がちょっと心配になって義父に新しい奥さんがマンションの権利を主張したらどうなるんだ?って聞いてみましたが、そんな人じゃない!と義父が一喝しました♪
そんなに私はダメ人間ですか?
普通に生きてるだけなんですけど。
>ひょえっ
義姉と仲良くしてアドバイスを仰いだ方が身の為ですよ
→絶対ムリですね!
>nip/tuck
トピ主の旦那さんは、お姉さんの結婚時にお祝い包んだんですよね?
→夫は学生だったから上げなかったそうです。
>あおい
弟の結婚式に仕事を理由で欠席する義姉もひどいとは思います。なにか姉 弟間であったんでしょうか?
→義父曰く、夫が大学卒業後就職しないで実家でゴロゴロしてたら、義姉が突然やってきて、色々お説教したらしいです。そしたら夫がキレテ蹴ったらアバラ骨折れてしまったそうです。流産しかけたらしくて、その後義姉夫婦と夫は全く疎遠になったみたいです。(確か8年くらい前とか・・)
>だだだ
義姉はそうなると自分の分が減るという思いからあわててトピ主さん達に 連絡がきた可能性もありますが。
→全くその通りだと思いますね。今回初めて知ったのですが、義父が定年後、義姉は毎月5万円仕送りしてたらしいんです。ローンの返済にでもあててってことで。これは将来的にマンションの権利を主張する為のものだったんでしょうね。(うちの母と話し合って結論でました。)
>世帯主
→新しい奥さんとは先日会いましたよ。綺麗な人でした。義父は自分にはお金がないってことはちゃんと伝えてるみたいですし、マンションは息子夫婦が住むからって言ってました♪
>yuki
でも介護は後妻さんに引き受けてもらえるかもしれませんよ。
→はい、これは大丈夫です。だって新しい奥さんが義父に結婚をせまったらしいのですが、義父が結婚の条件として「自分の老後の面倒はみてくれ」って約束したらしいです
そりゃ、老後の面倒みるわけないでしょ。
→マンション買ったばかりの時は義姉は義父に、マンションはそのうち手狭になるだろうから、自分の家にいつでも来ていいよって、老後の面倒は見るつもりでいたみたいですよ。だからうちの両親も義父と私が同居することに賛成してくれてんです。
でも、きっと単なるご機嫌とりだったんでしょうね。
義父に5万円仕送りしてたって知って、姉の本性がわかりました!
他の方も言ってる通り、きっとマンションの権利を主張するでしょうね。
本当に汚い人だとおもいます。
一通り、皆さんの質問に回答してみました。
なんだか、少し不安になってきました。
でも、義父も夫も何の心配もないって言ってます。
ただ、やはり義姉には増々不信感が募るばかりです。
ローン返済のために5万円仕送りしてみたいだし、でも、これからはもう仕送りはしないとか言ってるみたいです。
夫がローンの支払を一切していなかったことを知って、猛烈に怒ってるらしいです。
「いままで間接的にお前ら夫婦の面倒見てきたのと同じじゃないか!」って。
ほんと、はぁ?って感じです。
なんか、たくさんのレスでびっくりしました~
あと、昭烈帝さんの言ってることって私の味方っぽい感じなんですけど、いまいち意味がよくわかりませんでした。すみません・・
私達の結論から言うと、とりあえずそのうち遺言書いてもらおうと思います。マンションはうちの夫にって。
義父は、マンションの名義は義父が死んでも父名義にしたままで私達が住めば良いのでは・・と言ってました。そしたら相続税もかからないだろうし。
あと、義父が死んだらマンションのローンは払わなくてもよくなるそうです。なんとかかんとかっていう保険にはいってるみたいで。
でも遺言さえ書いてもらえればまるくおさまるんですよね。
それにしても、皆さんは今とても幸せな生活してるのに、わざわざランクを落とすような生活ってできるんですか?私は嫌です。
義姉ですが、昨日の夜また電話があって、「お前らがどうなっても知らないし、あとで泣きついて来ても絶対に助けないから」って捨て台詞はいたらしいです。(笑)
なきつくわけないじゃないですか?夫と二人で笑ってしまいました。
ないわぁ