はてなキーワード: 遺言書とは
敵「かぐや様、あなたがした行為は遺言書の隠匿なので民法891条の規定により相続欠格事由に該当します」
敵「つまり、そもそも相続人でなくなるという事なのだよ…ハッハッハッハ!」
敵「なんだと…?だったら一体なにを…」
かぐや様「私が相続欠格になっても代襲相続は起こる、という事です。民法887条2項をご存じないのでしょうか」
敵「そんな事は知っている!それがどうしたと言っているのだ!」
かぐや様「まだ分かりませんか?私のおなかには会長の子供がいます」
敵「そんな事は関係ない!胎児に権利能力はなく、出生する事により人は権利を獲得する!民法3条だぞ!」
かぐや様「相続においては既に胎児は生まれたものとみなされるのですよ?民法886条」
かぐや様「つまり、遺言書の中身は誰も分からず私は相続欠格となりますが、私のおなかの中の子が代わりに父の相続人となる、という事です」
美味しい話の裏には苦労もあるかもしれませんが、あなたが全てを背負う覚悟があれば養女になってもいいかと。
身寄りがないと言われても、実際亡くなれば遺産分配問題で親戚と名乗る人も出てきますし。
何故身寄りが欲しいのか?ですね。
遺産の相続問題であれば生前に遺言書でも作成していただければいいこと。
お金があれば確かにいろんな意味で助かりますが大金は人間関係狂わせます。
もし私があなたの立場なら、利用者が本当に孤独で遺産額も多いなら、個人間でのやりとりより市町村が管理してる後見人制度を利用していただき、その上で籍を動かさず利用者との関係を保つかもしれません。
初増田です。
今かなり悩んでいるので、もしよかったらアドバイスいただけないでしょうか。
もう2年くらいその方のお世話をさせていただいています。
個人情報なのであまり細かくは書けないのですが、要介護度はある程度ついています。
その方の性格は…良くも悪くも好き嫌いがはっきりしているというのでしょうか…。
嫌いなヘルパーさんだと、露骨に嫌がってケア中も嫌味を言ったりしてきます。
ケアマネも苦労されたみたいで、その方が気に入るヘルパーがなかなか見つからなかったんですね。
私も最初は嫌われていました。
でも毎回笑顔で挨拶して、なるべく丁寧に気持ちを込めてケアしていたら、段々とその方の態度が変わってきたんですね。
今は「私に身寄りはいないが、あんたの事は実の娘のように思っている。」とまでおっしゃってくださっています。
それからは私も楽しんでケアをすることが出来るようになりました。
その方のお住まいは、ある高級と言ってもよい住宅街にある一軒家なんですね。
旦那さん(もう亡くなってしまっています。)が会社の元社長で、資産はかなりある方なんです。
お子さんはいらっしゃいません。
身寄りもなく、介護度も上がってきたので、ケアマネが有料老人ホームをすすめていたのですが、集団生活が嫌いで頑として断っていたんです。
ヘルパーの利用もかなり渋々と認めたくらいなんですね。
1か月くらい前からでしょうか…私がケアに入っている最中にその方が「養女になって欲しい」と言うようになってきました。
「私には身寄りがいない。でも集団生活なんて大嫌いだから老人ホームになんて入りたくない。夫も亡くなったし、私もこのまま野垂れ死のうかと思っていた。でもあんたが世話しに来てくれるようになってから、生活が少しずつ楽しくなってきた。できれば一緒に住んでほしい。」という感じだったんですね。
そして「この際だから養女になることも検討してもらえないか。もし養女になってくれるのなら、遺産としてこの家を含む財産を全て相続できるようになる。おそらく軽く一億は超えるだろう。私には身寄りがいないから、うるさく言ってくる親戚連中もいない。悪いようにはしないから、どうか検討してくれないか。」とすがるような顔つきでお願いされたんです。
私はシングルマザーで、今小学校低学年の子を1人で育てています。
今はどこにいるのかすら分かりません。
カツカツというのでしょうか…、子供と2人で日々生きるのに精いっぱいです。
なのでこの方のご提案は、ある面では私にとってとてもありがたかったです。
でも、でも、「本当にOKしてしまって良いのだろうか?」という心の中のひっかかりが取れません。
もしここで養女になってしまったら、「越えてはいけない一線」を越えてしまうと言うというのでしょうか、倫理的に問題があるというのでしょうか、そういう否定的な感覚が私の中にずっと残っていて、「はい、お受けします。」とどうしても言えないんです。
私は元々ホームヘルパーとして、この方のお世話をするために「仕事」として来ているんですよね。
そしてヘルパー講習の時にも講師の方から「ケア中に利用者さんからお茶やお菓子などをすすめられるかもしれませんが、一切いただいてはいけません。」とも習ってきました。
そういうもんだと思いながら仕事してきました。
なので「お茶やお菓子」どころか「養女になって遺産」をいただくというのがどうしてもひっかかるんです。
何でも良いので、もし良かったらアドバイスいただけないでしょうか。
長文申し訳ありませんでした。
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追記です。
見ず知らずの私のために、こんなに助言をいただけるなんて思ってもいなかったので、読んでて涙がでてきました。
まずはAさん(利用者さん)を私が敬愛しているかについてですが、これは敬愛と言えるのかどうか分かりませんが、実際今ホームヘルパーとしてケアに入っている最中は、楽しく穏やかにケアできていると思います。
Aさんも私の事を信頼してくださり、落ち着いた状態で私に任せてくださっているような感じです。
またAさんご自身は「身寄りはいない。」とおっしゃっていますが、遠い親戚がいるのかどうかは分かりません。
ただケアマネによると、今のところ連絡のとれる親族はいないそうです。
遺言書の件についてですが、これについては書くのを忘れていました。
Aさんから「もし養女になれば、ちゃんと遺言書として相続の事を文書に残す。」と言われています。
ライン仲間からもメッセージでアドバイスをいただいたのですが、とりあえず養女ということは置いておいて、お試しに(息子を含めて)同居から始めてみたらどうかなと考えています。
同居になれば、また様々な問題が出てくるかもしれません。
もしかしたら「同居でこんなに大変なんだから、養女なんて無理無理!」となってしまうかもしれません。
その判断をした14人は既に最高裁判所裁判官ではない(もちろん今回の国民審査対象ではない)だろ。
おかしい判断をしたと思う組織に所属する人に思考停止でxをつけて何の意味がある?
そもそも婚外子の相続違憲問題は、例えば戸籍上の妻子はとうの昔に出て行って離婚できず、長年支えてくれた内縁の妻や子供がいるような場合に
「婚外子は婚内子に対して法定相続分をその1/2とする」という民法を盾にされるとどうしようもできない、みたいなケースに対応したりするためのものだと思っている。
じゃあ家族が死んだらいきなり見たこともないやつが現れて「俺の父親はこいつだから遺産よこせ」って言われたら均等にして渡すのか?
と言われたらまあ仕方ないんじゃないの?と思う。それは何もしてこなかった父親が悪いでしょ。
あらかじめ家族に婚外子がいることを伝えず、遺言書も書かず(生活を共にしていない婚外子には遺留分のみ渡す、と書けばいいだけ)に死んだ奴が悪いでしょ。
後ろ暗い過去があるのならせめてそれくらいはやっておけよと思う。
どっちのケースが多いかとかそういう問題じゃなく、あくまでいかなる場合であっても婚外子は婚内子の半分しか認められない、というのがおかしいという判断じゃないの?
そもそも今まで見たこともなかったやつが死んだことをどうやってかぎつけてくるのか気になった(請求できるのは死んでから3年以内だけど)。
グイチャルディきましたか。1802年にピアノソナタ14番《月光》を献呈された女性。ベートーヴェン死後遺言書に書かれた有価証券と共に見つかったミニチュアの細密画に描かれていた人物。1803年に結婚してベートーヴェンとの関係は切れたと思うけど、ここも少しずらしたか。
ふむ話の流れからしてやはり初演だったっぽいけど、初演時点ではもうナポレオンへの献呈はやめてたはず。これは、ベートーヴェン→ナポレオン終始尊敬説を取ってるのか、時間軸を変えてるのか。
そしてウィーンの王侯貴族との会話の中でナポレオンを礼讃するアグレッシブな自由主義者ベートーヴェン(第3番はナポレオンへの献呈をやめるまえの題名は『ボナパルト』だったけどこれは『英雄』になってる。ボナパルトは英雄だよ、という表現か)。
ナポレオンて、いい人?ナポレオン掘り下げの予習はやや足りなかったか。
かつらをかぶらない"芸術家"爆誕。宮廷や教会に雇われずに自立して生きた最初の作曲家ベートーヴェン。
難聴。クララ・シューマンの映画『愛の調べ』(『翼ある人びと』きっかけで鑑賞)でのシューマンの病気の表現もこんな感じだった。実際にベートーヴェンの難聴が始まったのは1796年ごろ、かな。
きましたな。
ゲーテ 「不幸な人間たちが、重荷を背負って喘ぎ喘ぎ世間を渡っていき、それでも例外なく、この世の太陽の光を1分でも長く見たいと願っている」
ああ!月光がウェルテルにつけた音楽になっとる。ピアノソナタ8番《悲愴》は出てこないんか、望海氏2楽章練習してたし弾くと思ってたんだけども。
きた、なんか美しい、構図、なんたってBGMが美しいのもある。
!うつく、し、おんがく。幻想的シーン。でもこれむつかしそうだ。ごめんウェルテルたち全然見てなかった。
シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)。感情の自由と人間性の解放。ロマン主義の先触れ。小説の出版は1774年(ベートーヴェン4歳)。フランス革命より前。
謎の女=死
第2楽章もきたー、はぁ、好き。美しすぎる。
ロールヘン「美しい曲、月の光みたい」
月光ソナタの呼称はベートーヴェンの死後、ドイツの評論家、詩人のコメントに由来。
実際は先に触れたとおりちゃんと献呈している。
映画『不滅の恋/ベートーヴェン』には、難聴のベートーヴェンがピアノに耳をつけて《月光》を弾く非常に美しいシーンがある。グイチャルディとその父親がその姿を覗き見て、その後グイチャルディはベートーヴェンに近づき肩に手を置く。気が付いたベートーヴェンは怒り狂って飛び出す。ベートーヴェンの耳が聞こえていないことがわかったグイチャルディは、翌日ガレンベルク家に嫁ぐ(実際は本作で描かれた通り身分違いのためとされている)。
手塚治虫『ルードウィヒ・B』は、グイチャルディに捧げるために月光ソナタを作曲しているところで、手塚氏が絶筆(実際は曲は先にあり、献呈は後付けだったとのこと)。
ふむ。ハイリゲンシュタットの遺書(1802)くるか。でももう《英雄》の初演終わってるけど。
ハイリゲンシュタットの遺書は難聴とグイチャルディとの恋愛の破綻に苦しんでる時期に書かれたらしいけど、青木やよひ氏の著書では、失恋しても特にそんなに凹んでなかったとも書かれていた。
王侯貴族の使用人にはならない、と言いつつ貴族の娘ばかり好きになるベートーヴェンね。出会いがないのか、ジュリアン・ソレル的な感じなのか、障害があると燃えるタイプなのか、潜在的に結婚すると創作の妨げになると思っていたのか。
耳が聞こえないって、この静寂か、恐ろしい、と思ったのはここだったかなあ。
【回想】
ベートーヴェンがウィーンへ出るのは1792年。ヴェーゲラーとロールヘンが結婚するのは1802年、ロールヘン30歳のころ。この時代にしては晩婚のロールヘン、実はベートーヴェンが帰ってくるのを待っていたのではないかと青木やよひ氏は推測しているらしい。
ああー、ウェルテルがピックアップされてたのは、、自殺もキーワードだったか…。
ウェルテルと同じ。
無いよなぶっちゃけ。
「初めは女が姓を変えるのにこだわってたけど良い人と出会ってそんなのどうでも良くなった」
入会のときとかに相談したら、絶対「姓を変えたくないとのことですが、何か事情がおありなんですか?」とか聞かれるやつだもんなこれ。
ねーーーーよ事情なんて。強いて言えば改姓にデメリットがアホほど多いからだよ。
手続きがクソめんどくさい上にアイデンティティ喪失感半端ないという罰ゲームでしかないからだよ。
逆に姓変えてまで婚姻関係になる理由って深刻なの子ども絡みくらいでは?
二馬力で働かなきゃロクな生活できん昨今、わざわざ100万ちょいに収入落としてまで得られる税控除ってそんなデカいか???つーか今の仕事辞める気ないんですが???
相続税は確かにちょっとイタイけど、お互いに贈与関係の遺言書とか生前贈与とかきっちりやっとくんじゃダメ??
子どもはネックだよな…どっちの姓にするか…
例えば事実婚だと母親の姓になると聞くが、なんかそれってフェアじゃないよな…
しかしでは男女どっちか姓を変えて婚姻したとして、2人以上産んで将来子どもの一人に改姓させるってのもな…そもそも2人以上産めるかも不明だし…
「そういったお話は実際にお相手ができてから、そのお相手にご相談して決めればいいじゃないですか♪」
とか言われてとりあえず入会して普通に姓を変える覚悟のある女であるかのように婚活する羽目になるのは目に見えているんだよな…
「そういう話は好いた惚れたの関係になってから、惚れた弱みを使って丸めこめ」的なアレにされそうというか…
好いた惚れたになってからそんな話持ち出して、無駄に相手苦しめたくないやん。
だいたい私はそもそも自分も変えたくないが相手にも変えさせたくないねん。何が悲しくて惚れた相手にデメリットしかない罰ゲーム科したらなアカンのや。胃が痛なるわ。
いやんなってきたわーーーー。
どんな形でもいいから、フレディの声が聴きたいんだよ。ボヘミアン・ラプソディでガチ泣きしたよ。
嫌だ、冒涜だ、って言ってる人達は何が嫌なんだろうなって思って、思いつく限りの理由をあげてみた。
同じように亡くなってる方の合成音声って、知ってる限り、植木等さんと三波春夫さんとhideさん、後は淀川長治さんがいたはず。
多分今回のパターンと近いのは三波さんかな。
hideさんの「子 ギャル」の時も騒がれたような気がするけど、生前の声との合わせ技だったからまだ良かったの?
三波さんのは娘さんがGOサイン出した上、合成音声は3DCGも含めて無料配布だったはずだよ?
もしかしたら、ここなのかな?
hideさん以外のふたりは、植木ロイドとかハルオロイド・ミナミとか、機械ですよ、別物ですよ感を出してる。
淀川さんはポリゴンみたいなCGで「蘇る」って煽りだったから、hideさんはそのまま「hideさんの新曲です!」ってリリースしたからか、今回みたいに騒がれてたね。
三波さんは音声データが無料配布されてるから、新曲を出す人は出すし、カバー曲を歌わせる人は歌わせるよね。それも嫌なの?
…まあ、新曲が出るなら、生きてる本人に歌って貰いたかったのは分かる。
ちゃんと三十年の歳を重ねた本人だったら、どう歌ったんだろうね。
亡くなった人に「私も歳をとりました」って歌わせるセンスは、個人的には凄いと思うし、本人に歌って欲しかったなあって気持ちにさせるのはさすがだと思う。
本人亡くなってるからなあ。
息子さんがGOと言ったら仕方ないのでは。
声を仕事にしている人は、これからは遺言書に「声を合成しないで」と書かないと駄目なのかもしれない。
物真似の人はいいのかな?
ふざけた、もしくは似てない物真似をした時と、今回のパターンと、拒否反応は同じになるのかな?
本人と変わらないような歌わせ方したら、今以上の拒否反応が起きると思うんだけどな。不気味の谷現象だっけ?
初音ミクが出た時に、そのまま歌わせたら不自然だ、上手く歌わせたら気持ち悪い、って嫌悪感バリバリの反応が凄かったの覚えてるよ。
ここなのかな?
淀川さんでよく叩かれてたのはここだった気がする。
本人が亡くなった後の映画を褒めさせた、とかで。
本人が言わないことを言わせるのは嫌悪感が出るのかも。
声だけの出演だったら許された?
三波さんと淀川さんはロボです感を前面に出してたよね。
ひばりさんに良く似た物真似の人を連れてきていたら、話はまた変わったんだろうか。
ここかな?
声を切り刻んで合成して、勝手に歌わせて喋らせた。
着るはずのない服を着せて、体を人形のように動かした。
ここまでしか思いつかなかった。
以上。
この設定があったの知らなかった。
これが悪いんじゃないの?
「生きている元気なひばりさんを、そのまま連れてくる」レベルになってたのでは。
その不可能なレベルをどこまで再現したのか、って見て、「機械」「偽物」だと感じてショックだったのかもしれない。
でも歌声担当さんとCG担当さんは、だいぶ頑張ったと思うんだ…不自然にならないようにって。
この発想、全くなかった。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつか。
小椋佳さんとか。
阿久悠さんの遺品の中から、ひばりさん用の歌詞が出てきた!とかだったら。
(阿久さんってひばりさんの歌詞書いたことなかったんですね…)
そもそもボーカロイド技術が嫌い、とか、 CGが嫌い、とか、そういう人も居たりするのかな…
やっぱりこれなのかな。
森進一さんの「おふくろさん騒動」を見て、そう思っただけなんだけど。
作詞家の川内康範さんが怒った理由は「台詞を無許可で足したから」だった。
…歌の中の語り部分を、歌詞だと思う人の方が少ないんだろうか。
現段階では以上。
昭和天皇の写真が燃やされて「日本国民が傷つく」とか思ってる人、実際よくわからんのだけど。
昭和天皇の写真燃やされてウケる〜とか思っちゃいかんのだろうか、そのひとたちにとっては。
少なくとも私は昭和天皇の写真が燃えてるのを間近で見ると興奮すると思うので、「傷ついた日本国民」に勝手にカウントしないでほしい。T田さんとかH田さんとかK村さんのことね。
私のそういう発想が不愉快なら私のことをべつに「非国民」とか呼んでくれてもいいけど、私にとって昭和天皇の写真が燃えるのは、後醍醐天皇の肖像画が燃えるのとあんまり大差ないよ(ウケるのは昭和天皇の写真が燃える方だけど)。
なんにせよ、自分の所属するカルトを飛び越えて主語を大きくするのはよくないよね。ここに存分に罵倒ツリーをぶら下げてもいいから、「昭和天皇の写真燃やされても別に不愉快でなくむしろウケる」と思うやつが標本1個ぶんいることは、その罵倒の中でさらに明らかにしていってほしい。ついでに言えば伊藤真美&大塚英志『JAPAN』(全3巻)とか読んでラストの昭和天皇クローンで憤死しておいてほしい。
昭和天皇燃やす上でそれをアートとするかどうかは、見た上で判断したかったのだけど、その楽しみは現場で享受できなかったなあ。再開しても抽選ならしょうがないもんね。まあ、最初にガソリン脅迫した奴がクソクソクソ悪いんだから、私はあくまでガソリン脅迫したやつにピンポイントでF**kと言っておくよ。
ちなみにあいトリ2019でよかったのを書いとくね。トヨタ美術館の方は行けなかったので他の人に任せた。
:マジかっこいい。かっこいいから見にいってくれ。これだけで名古屋市美に行く元は取れる。茶碗展と動物園の両方好きなやつはいっとけ。両方が入ってるから。私はメロンとカジキマグロが好き〜。
:うさんくさーい、けどこれIbとかラヴクラフトとかSCP好きな人にはたまらない空間だと思うよ。会場に手紙の抜粋があるから受け取っていくといいよ。
:これ、本来なら科学技術未来館とかにあってもおかしくない展示なんだけど、そういうものも「情(報)」ということでアート展示に収められるのはこの展示会のコンセプトのいい部分だなと思います。人間の下半身を模した機械がなめらかに動いているのを注視させてもらうだけでコーフンしちゃう。
:自殺する直前に書かれた遺言書をタイプする映像を暗闇の中に陳列した部屋。血と肉を人体から剥ぎ取った後もなお残る死の匂いって、もしかしたらこういうものかなと思った。
:行った時には表現の不自由展中止にあわせて展示自体が止まっていたモニカ・メイヤーの作品は、 「女性差別の経験」を来場者に書かせるという非常に生-政治的なコンセプトなのだけど、展示が止まってしまったことによってそれらのピンクのメモ自体が封殺されてしまったかような風景になっていた。これについてはむしろ展示中止中もまたひとつの芸術になっていたと思う。あと、モニカ・メイヤーのこの手法を借用して、表現の不自由展前のブースで行われていた #YOurfreedom も、女性に限らない不自由や差別的待遇について来場者の一人ひとりが強烈なメモを書き残していて、重苦しい気持ちになった。我々が取り除くべき不自由はまだあるんだという決意が漲った。ただ、それを「表現の不自由展」中止の再開にむけたメッセージのようにも取れるような物理的配置はちょっと狙いすぎであざといなと、(再開を期待しており、不自由展批判論者をわりとバカにしている私ですら)萎えるところはあったけれど。
:今回見たあらゆる展示の中でもっとも純粋に“何がどうなってるのかわけわかんない凄み”があった。生きてる時代が同じなのに、存在自体オーパーツ、みたいなのを作るのに挑戦してくれてありがとうってかんじ。今後いろんな展覧会でもういちど見られるといいな。
:ロープに逆らわないとバンド演奏もできない男たち。ウケる。でも弾いている曲だったり場所だったりの文脈によって政治風刺として立ち上がる、という作品。愛知芸術文化センターの地下の端っこにひっそりとあるので余計じわじわ来た。
:合計10の架空音楽ジャンルが、PowerPointとちょっとしたオリジナルサウンドと共に表示される。一番ウケたのが「Neo liberal Adult Contemporary」と共に表示される$¥£などの通貨表示。「ネオリベを表すパワポ芸wwwwwwww」ってなっちゃった。他のジャンルも「言われてみればありそう」という気もしないでもなかった。近過去&近未来SFアートの一種としてこういうやり方はもっと聴いてみたい。
:クレーン車で事故死した6人のこどもの人生を追跡しながら狭い回廊を逆時計回りにめぐらせると、うざったい現代車の垂れ幕に遭遇させられ、それをくぐっている間にいつのまにかくり抜かれた穴が右側に出現し、鑑賞している自分の側が「子供を轢きうる運転手の視界」に組み込まれる……という仕掛けになっている。前半の子供の記憶を掘り起こす温かみとはまた別の角度から刺してくる、順路コミのアート展示だった。円頓寺商店街をめぐるなら優先的に行っておいたほうがいい候補の一つ。ただ、並んで歩いてたひとの多くがその車の穴に着目していたかと言うと、よくわからん。誘導ないほうが嬉しいけど伝わってない可能性も高いかもね。
:蔵の中に展示された圧迫感ある古物ガラクタアート感が一方の魅力でありつつ、正直言って円頓寺商店街中屈指の瞬間的デートスポットである(作者の狙いは知らんよ)。カップルは並んでいっとけ。できれば内部に明かりのある夕方がいい。
あと名古屋は新幹線も在来線も駅構内のきしめんを食べてから行くべし。駅出てからきしめん屋探すくらいなら松坂屋南館10階のあつた蓬莱軒でひつまぶし食っとけ。
死ぬしかないと視野狭窄に陥っていることを認識していながらも、それを回避するすべもわからなくなってしまった
客観的に見れば、ほんのあとしばらく耐えれば変われるんだろうけど、結局自分に絶望しているからその先は何もない
自分が嫌になってしまったけれども、老いた母親のことを考えると迷惑もかけられない
生きなきゃいけないのに、誰にも苦労を吐露できない
心療内科もいのちの電話も、何もかもつながらない。世の中、死にたい人でいっぱいみたいだ
何も楽しくない
つらい
君の名はも、すごく面白く楽しんだはずなのに、まったく物語を追えなかった
40歳になり頭が悪くなってきていることを実感している
PDCAを回してくださいと言われても、工数を考えてくださいと言われても、完成形が全く見えない
頑張って彼女も作ったけど、こんな欠陥人間が彼氏だなんで彼女に失礼だ
会社にも行けない、足が震えて動悸が激しくなっているし、頭も痛い、両手もしびれている
この文章も何度も間違えながら打っている
元配偶者が苦労しているので、少しでも遺産が残せればいいのだろうか
いや既に迷惑だろうから、自分なんかと縁は一切ないほうがいいだろう
もう全く消えてしまいたい
もしくは、ここまでくる間のどこかでもっと早く決断するべきだった
思えば長く行き過ぎた
もう明日になる、
ダメすぎる、もうどうにもならない
最期に思っていることをかけてよかった
死ぬべきだという整理がついた