はてなキーワード: 背中とは
「シェア」とか「繋がり」とかが、時代のトレンド、テーマのように考えてたけど、なんか違和感が芽生えてきた。
何をもってシェアや繋がりが大事なのか。今まで、若い世代は近所付き合いなどの繋がりが薄く、それを円滑にするためにシェアが大事だ!って言ってると思ってたけど、今の世代はメディアが言うほど繋がりに植えていないし、自己中心的な人や空気を読めない人は排除されるコミュニティに成り立ってて、繋がりに飢えているはずがない。(あるのは、自分が誰かを演じてる違和感の方だ。)
人付き合いが薄くなってるっていうのは、単純にコミュニティの形成、形式が変わってきただけなんじゃないか。
その中でも、若い世代はコミュニティをきちんと生きてるように俺には感じる。「人間観察が趣味です。」とか意味不明なこと言いながら、必死に空気を読みながら生きているじゃないか。
それでもなお、やれ「シェア」やれ「繋がり」などと、背中を押されているように見えてきたのだ。
では、何故シェアや繋がりをテーマにもってきたのか、それは時代や世代がそうさせたんじゃなく、社会や企業がそうさせたに過ぎなかったと思ってきた。
仮定する筋書きは以下。
→若い世代の消費行動とか、もう全然わかんない、全然予想できない。困った。てわけで、シェアさせよう。ネットに赤裸裸に書いてもらおう。
→メディアでまず、「若い世代は人間付き合いが下手。」「昔みたいな人情も無い。」レッテルをはろう。
→レッテルを貼ったら、あとは若い世代向けトレンド(ケータイなど)から「シェアせよ!繋がりが大事!」と号令をかける。
→流れに敏感な若い世代は、自分を”ウィキリーク”させていき、消費行動や世代性を惜しみなく公開。
→ああね、なるほどね。新しい消費行動もだいたいわかったから、もう号令かけなくていいよ。 ←今ココ
シェアって、そもそも何を指してたのか。
みんな情報は金になるのを知ってるくせに。海外にどんどん負けながらも、国内での生き残りも大変な企業。畳み掛けるように現れた、「スーパーコンペティション」の現象で、有益な情報はもっとシェアされなくなっていく。
政府や東電が情報を公開しない事を全面的に否定できないのは、自分たちだって重要な事はシェアしないからじゃないのか。
日本国民がもってる問題は、ほんっとうに根が深い気がした。
インターネット上でのシェアなんて、まだ「エンターテインのシェア」と「自分ウィキリーク」どまりなんだと思う。
自己啓発セミナーを主催してる人に悩み相談をしたらだいたいこういう答えが返ってきた。
→誰か自分のモチベーションを上げてくれないかなあ」と待っていてもダメ。他人のモチベーションを高める存在になるべし
もう少しポシティブになりたいです
→ポジティブな考え方の人にはポジティブな出来事ばかりが起こり、ネガティブな考え方の人にはネガティブな出来事ばかりが起こる。
→スピードを出すほど世の中の流れにスムーズに乗れる。スピードを出すのを躊躇する人ほど、流れに乗るタイミングがつかめなくて立ち往生する。
わぁい。
でも、これってすごく誠実な答えだと思う。
「仕事が出来る人はどういう人間で、できない人はどういう人間である」と言うことはわかっているのだから、
なりたいものになるための努力もできない奴が、何者かになれるわけがないってちゃんと突き放してくれてるんだよね。
胃が痛い。今また、あの頃のことを思い出すような状況で胃が痛い。
新卒で正社員として就職した会社は中小だったけど、ひょんなことから経営陣との距離がとても近い部署に配属された。
お偉い上司と二人きり、ほぼマンツーマンのような状態で仕事を行なう。まさにバディ状態。
新入社員が突然お偉方を相手にする訳だから縮み上がった。やっていけるのか自信もなかった。不安で一杯だった。
でもマンツーマンだからこそなのか、上司の人柄か仕事への姿勢の所為か、
何をするにしても報・連・相、それに確認から細かい指示に至るまで、
あれやれこれやれと口頭でギャーギャー言われる。それに答える形で自然とこちらの口数も多くなる。
気付けば上司とは密にコミュニケーションするようになっていた。
上司とはお互いそれなりに心を開けていたのではないか、と思う。
そのうち偉い立場だからこそ苦労している上司の素顔も知った。懐の深い人だった。
上司は何とか改善しようと思いつきで新しい要求を押し付けてくる。
誰も使い方のわからない、機能しない新しい提出書類の種類だけが増えていく。
そんなその場凌ぎの思いつきに応えられるほどこちらの余裕もスキルもなく、
軽口のつもりかもしれないが、上司が自分の同期のことを悪く言うのも許せなかった。
今にして思えば、この時一度きちんと話し合うか、他の部署の上司にでもいいから相談するべきだった。
結局堪忍袋の緒(とはちょっと違うけれど)が音を立てて切れ、
誰にも相談せずに一人会社を離れる決心をして、飛び出すようにして転職した。
でも後悔先に立たず。この会社での仕事の仕方は自分に合っていたのか、染み付いているのか
結局この会社、この上司が自分にとって一番だったのだと後々思うことになった。
転職先は大きな会社の子会社だったが、前の会社に比べるとかなり堅い会社だった。
制服有り、5分前着席。始業時と終業時、休憩時にチャイムがなる。
インターネットも閲覧規制がされていた。トイレ休憩すら気軽に行き辛い雰囲気だった。
そして自分はかつて学校が苦手な、いつも学校から浮いているような生徒だった。
派遣の社員が多かったこともあり、正社員ということも大きな足枷となった。
○○さんは正社員なんだから頑張ってもらわないと、この仕事もやってもらわないと、
引き継ぎは直に辞める派遣社員からだったが、その人から教えてもらった仕事の細かいノウハウは
「貴方は派遣ではなく正社員なのだから」ということで通じないことが多かった。
配属された班はあまり口数が少なく、そもそもこの子会社そのものが親会社に引け目を感じて
小さく小さくなって仕事をしている感じだった。
無論、社内(社内は親会社と繋がっている)での自分の立場も小さくなって過ごさなければならなかった。
上司や周囲からの指示はポストイットでの伝言や、メールで行なわれることも多く
無駄口や世間話一つするのも妙にこそこそとしてしまい、周りの目が気になった。
総じて会話が少ない職場だった。生のコミュニケーションの不足を感じた。
取引先に配布するカレンダーを巻く向きが表裏逆になっていたのだった。
そもそもカレンダーを巻いて取引先に配布すること自体、自分には初めての経験だったので
何度も周りの人にやり方を確認して注意を払ったつもりだった。
でも、何故か表裏の向きを間違えたまま自分一人で山のようなカレンダーを次々に白い筒状に巻いて行った。
「やっと全部巻き終えた!」一仕事終えた次の日、机にメモが載っていた。
隣りの席の営業から、「カレンダーの向きが違うから全部巻き直してほしい」との伝言が書かれていた。
隣りの席の営業とは、それなりに親しくしているつもりだった。
カレンダーの配布も既に始まっていた。
ならば何故、もっと早くに、直接口頭で言ってくれないのだろう。
そう思うと何とか堪えようとしても、どうしても涙が止まらなかった。
途方に暮れながらも、半分泣きながらも、全部のカレンダーを正しい向きに巻き直して行った。
心の中にぽっかり穴が空いたような気がした。
それから。
会社にいても、始終極度の緊張状態にいた。
緊張し過ぎておしっこが近かった。行ってもまたすぐ行きたくなる。
誰かに監視されているような気がして、常に気が抜けなかった。
常に息苦しく、ゼエゼエハアハアと呼吸をしていた。
毎日なんとか耐えて、8時間座りっぱなしの時間をやり過ごした。
そのうち胃にポリープが出来て、身体は極度の緊張状態が毎日続くものだから
背中の筋肉が肉離れを起こしたり、座骨神経痛で夕方まで座っているのが難しくなった。
腰が痛くて、ただベッドから動けず横になっていることしか出来なかった。
もうこの会社にいても自分が出来ることは何もないだろうと思い、結局会社を辞めた。
今。フルタイムでの勤務はもう自分には体力的に出来ないだろうと思い、
けれど、この会社もポストイットやメールでの指示や伝言が多い。
それはそう教わったのだけれど、とかそもそも違う人が作業した部分なのだけれど、と心の中で思う。
そして、何故目の前の席にいるのに面と向かって話をすることが出来ないのだろうか、と思う。
小さなことでも声を掛け合い、コミュニケーションの積み重ねで互いをより理解し、円滑な作業に生かす。
それはそんなに難しいことなんだろうか。嫌がる人の方が多いのだろうか。
いつも賑やかで活気のある職場は夢やフィクションの世界だけなんだろうか。
今は頑張り所なんだろうか、それとも早めに見切りをつけるべきなんだろうか。
いまを遡ること20年ほど前、私がおむつを履いていたくらい幼かったころの話、
おじさんと私との関係はまあいろいろあって、ここで説明するのは割愛しますが
とにかくおじさんは、とある事情から一時的にうちに身を寄せていた人で、我が家の誰とも血縁関係はなく、全くの他人でした。
私が長じてから親に聞いた話では、当時おじさんは居候の費用を払う余裕がなかったため
家事をしたり私の面倒をみたりすることでその対価としていたそうです。
当時我が家は父だけでなく母も外で働いていたので、保育園で補うことができない時間はおじさんが格好のベビーシッターだったのでしょう。
私にもおぼろげながらおじさんと一緒に幼児番組をみたり公園に連れていってもらったりした記憶があります。
しかし如何せん遠い昔の話なので、印象的な出来事以外のことはあまり覚えていません。
長じてからの私は、赤の他人のおじさんとの共同生活、というぼんやりとした記憶を、なんとなく面白く感じていました。
話はがらりと変わりますが、私は中学校に上がる前からパソコンを買い与えられ、ネットサーフィンのうまみにどっぷりハマりました。
その年齢の子供の興味のあることといったらもちろん性に関することです。私も多分に漏れずネットに性教育を施されたようなものです。
2chような、男性の(あるいは露悪的になりすぎているほどの)本音が聞ける場所にも頻繁に入り浸っていたので、
レイプやロリコンなどといった一般的にはよろしくない性的嗜好も、ある種の冗談として何の抵抗もなく受け流すことができます。
彼等は、YesロリコンNoタッチ(YesレイプNo実行という文句があるかどうか知りませんが)を尊守する愉快な紳士だということを、私は知っています。
数年前、「おむつかぶれ」で検索すると幼児の陰部の画像が大量にヒットするという事実がVIPかどこかで面白おかしく紹介されていて、
これはやばいだろwwアグネス来るぞwwと私も草を生やして喜んでみたのですが
その、おむつにかぶれた幼児たちの尻や、小さな小さな局部の写真を見ているうち、
なにか今まで忘れていたものがいっぺんに頭の中に思い出されるような、思い出してはいけないような、思い当たってはいけないような、そんな恐ろしい気持ちに襲われました。
今まで海馬のどこに刻み込まれていたのか不思議なくらい膨大な量の記憶が、いっぺんに頭の中で再現されました。
父も母もいないとき、おむつを変えてくれるのはおじさんの役目でした。
おじさんはいつも、「カユイカユイになったら困るからね」と、私の陰部をおしりふきシートで拭いてくれました。
おじさんは指をつかって、私の陰部のすみずみまでシートをさすり込みながらマッサージしてくれました。
おじさんは「ここにアカが溜まると病気になるから」といって、ある決まった場所を特に念入りにさすりました。
それがどこなのかはよくわかりませんでしたが、おじさんの暖かくて太い指でそこをさすられると、
なんだか居心地が悪いような、でもなぜか落ち着くような、奇妙な感じがありました。
その感覚が不思議で、なんとなく面白かったので、私はおじさんの手がそのあたりにゆくと大人しくさすられるのを待つようになったようです。
「そんなに触られたいんか。ほんまはあかんねんけどな。ここはママやパパにはナイショのところやで。触り過ぎたら病気になるから、ママに言うたら怒られるからな」
そういってひとしきり秘密のマッサージを続け、最後はおじさんが「もうおしまい」と言って、おむつをペリペリと閉じて終わります。
あの感覚が終わってホッとするような、でも名残惜しいような、もやもやする感じが残ったことを覚えています。
一連の記憶を一気に思い出した私は、ドラマのようにすぐさま洗面所に駆け込んで吐くというようなことはしませんでした。
ただうっすらと体温が下がったような、背中に寒気が這い上がってくるような、不快な感じがしただけでした。
私はそれまで、フィクション上のレイプやロリコンといった嗜好は、「実際の被害者がいないから、悲しむ人が居ないから」よしと考えていました。
おじさんのしたことは、客観的に見ればペドフィリアに類されるような、幼児に対する性的いたずらでしたが、
実際の被害者であった当時の私は全く悲しんではいませんでしたし、拒否もしていませんでした。
おじさんの指の動きがなにを意図しているのか知る由もなかったからです。
即時的には悲しむ被害者がいない性的虐待というのもあるのですね。
不発弾のような性的虐待、あるいは地雷のような性的虐待というものがありうるなら、おじさんの所業はまさにそれだったと思います。
おむつかぶれの一件が刺激となって、それまで眠っていた爆弾が起爆し、おじさんとのナイショの記憶の破片が私の脳内に突き刺さりました。
やりどころのない、そして消えることのない、熾火のような静かな怒りと悲しみが、あの時以来私に刻み込まれているようです。
もし私が一生あの記憶を甦らせることがなければ、私は傷つかずに済み、おじさんのしたことも永遠にナイショのままだったのに。
おじさんがいまどこで何をしているのか私は知りません。
両親に聞けばわかるかもしれませんが、聞きたくありません。
いくら居候で家族同然とはいえ、父親でない男性に愛娘のおむつを変えさせて何の警戒もしていなかった両親に恨みも覚えています。
とりとめもないですが、以上吐き出しでした
昔からおっぱいが大きかった。体重の減増で多少変わるけど大体G65~F70くらい。別に自慢したいわけではない。
よく人から「肩凝るでしょ」と言われてきたけど、肩こりってのがどんなものなのかわからなかった。
ずっと私の体にくっついてるんだし、肩こりしてても慣れて気づかないのかも……。と楽観してた。
だけど最近、とっても肩が痛い。夜寝て朝起きると、肩が疲れている。背中のほうから肩の前面までひきっつてるかんじ。
理由を考えてみると、そういえば最近運動しなくなった。中学から大学卒業までずっと剣道をしていて毎日竹刀を振り回していた。肩にももっと筋肉がむきむきしてた。その腕の上下運動をここ一年まったくしていない。
肩こりは血流如何だと聞いたことがあるけど、ここまで露骨に表れるとは。
あともうひとつの理由として考えられるのは、おっぱいが垂れはじめているかもということ。下に引っ張られるから、肩が疲れてるんじゃなかろうか。
まだ23なんだけど、18のころに比べたら「ぷりん」ではなく「たゆん」になってきた気がする。昔の写真があるわけではないので、その差は定かじゃない。
いまはアンダーバストのところに指を当てると、下乳がそっと当たるかどうかという微妙な感じ。まだ垂れてはいないけど、すごくこわい。それなら体系がきれいなうちに、好きな人と結ばれたい。
「実は厳しいトレーニングはしていません。太らないメカニズムを知って生活するだけで、体は自然とやせていくんです」と語るのは、2012ミス・ユニバース・ジャパンを指導するアスレチック・トレーナーの金塚陽一さん。ひたすらゆるくて楽チンな方法でみるみる変われるという金塚陽一式ダイエットの入浴に関するメソッドを紹介しよう。
金塚式メソッドの要となる自律神経。それを整えるのに欠かせないのが入浴だ。
「自律神経には体の働きを活発にする交感神経と、体を休める副交感神経の2種類があります。このバランスがうまく保たれていると、健康でやせやすくなります。湯船につかると副交感神経が優位になり、リラックスして精神状態もよくなるので、免疫力もアップ。入眠しやすい状態にもなるので、どんなに疲れていても、夜は湯船につかることをおすすめします」と金塚さん。
また自律神経を整える効果だけでなく、入浴時は、直接的に“やせる”テクニックも駆使すべき。
「風呂上がりには、一度冷やすことで体温を上昇させる褐色脂肪細胞を冷水で刺激することも忘れずに。このひと手間で、エネルギー燃焼率のいい、やせやすい体を作ることができます」(金塚さん)
脂肪には、エネルギーを蓄える「白色脂肪細胞」と、エネルギーを燃やす「褐色脂肪細胞」の2種類がある。「体が寒さを感じると褐色脂肪細胞が活発化し、体温が上昇。エネルギーを燃やす代謝のいい体になります」。ダイエット効果の高い金塚式入浴法を、順を追って紹介しよう。
【1】水は入浴前に飲む
入浴前にコップ1杯、入浴中は500mlのペットボトル1本、入浴後もコップ1杯の水を飲むのが理想。常温か白湯が◎。
【2】体温にも近いぬるま湯に
37~39℃の体温に近いお湯のほうが発汗しやすい。湯船には10~30分、トータルでも30分~1時間はいるとよい。
【3】上がるときは冷水を
わき、股間、背中、ひざの裏部分が、エネルギーを燃やす褐色脂肪細胞の多い箇所。心臓に遠い部分から少しずつ冷水をかけて。
【4】1時間以内に寝る
23歳のとき、幼稚園年少の男の子を持つ10歳上の男性と交際。
奥さんは出産の時に亡くなった。彼は跡継ぎ田舎の長男で、周囲は親戚だらけ、
私は心の中で、結婚までいったら大変だな、応援したくないような複雑な気持ちだった。
まあでも友人も獣医になったばかりだったし、仕事もこれからっていうときだから結婚どころじゃないだろうと思っていた。
がしかし、交際10ヶ月であっさり結婚し仕事も辞めて同居もした。まだ24歳。
結婚後、どうしてそんなに急いだの?と聞いたら
「毎週日曜日にデートするんだけど、彼は子供をつれてこない。お父さんが毎週日曜日に出かけて
子供はそぞ寂しいだろうと毎回気になってた。
それである日、今日は3人で遊ぼうと誘って家まで迎えに行ったら、庭の砂場で一人でつまらなさそうに遊んでいたの。
その小さい背中を見たら、今すぐ結婚しようって。私からその日の帰りにプロポーズした。」って。
今、友人は42歳で、友人もそれから女の子を2人産んだ。幼稚園だった息子さんも今は社会人で同居。
思春期で同居の親戚や父親に歯向かっていた時期も、友人には優しくいろいろ相談していたらしい。
とても優しくていい子に育ち、並んで談笑している姿を見ても本当に自然。
親父、茶碗ぐらい下げろよ!と言ったり、重い買い物が率先して連れて行ってくれたりするそう。
今でも思い出すんだけど、友人に2番目の娘が生まれたときにお祝いを渡したとき、
「もう3人目なんだからそんなお祝いなんていいのよー。」って言っていて、
友人にはとっくに連れ子なんていう意識はなくなってるんだなってびっくりした。
強くて優しくて、誰に対しても同じ態度を取る自慢の友人です。
友人自慢の長文ですみません。
第1条
ひとりでいられる能力を意識して開発する。親は子供が十分に安心してひとり遊びに励めるよう、ついつい過干渉になりがちな自分を抑えつつ、子供とはいつも一緒にいて心地よい環境作りと十分な保護に努める。子供にテレビやビデオを見せる時間はなるべく短くしたい。
第2条
親は、子供が病気の時こそ、何が何でも子供のそばに居てやるようにし、子供を十分に甘えさせてやる。
第3条
子供をきちんと叱る。そして何故叱られたのか理由を十分説明する。叱った後は、子供にいらぬ不安を抱かせないように十分なケアをする。
第4条
自立した家族として日々の生活を重ねて行くことこそ人の幸せであるということを、言葉でなくて毎日の静かな生活そのものによって子供に伝えて行きたい。そのために親自身が毎日を楽しんで暮らせるようになる。見せるべき親の背中とは、楽しんで生きている親の日常だと思う。仕事の愚痴などは子供の現実逃避を助長するだけなので決して家庭に持ち込まない。
第5条
家庭の中で、どんどん子供に仕事と責任を与えて行く。また、子供をボランティアなどに参加させることで、実社会の中でも、徐々に仕事と責任を得る体験をさせて行く。
第6条
独立自尊の精神を養うため、子供には、自らの限界を推し進める喜び、成長を実感する喜びを出来るだけ沢山経験させる。
第7条
家に本棚を作り、広い分野の本を集め、図鑑など気軽に親子で本を手に取ることで、子供が読書に親しめるような環境作りに配慮する。子供が自主的に一人で本を読めるようになるまでは、意図的に読書をしている親の姿を子供に見せるようにし、読書は生涯続けて行くべき大切な習慣であるということを、身を持って伝える。子供が小さい頃は、子供が読書に慣れ親しめるよう、絵本の読み聞かせを日課とする。
第8条
現実として人間社会の厳しい競争に打ち勝つという視点を大切にしつつも、相対的な問題として、物事に対して「楽しみながら自発的に」チャレンジして行くという姿勢に価値を置いた教育をして行きたい。そのために、子供の内発的な好奇心を刺激することに努め、いわゆるアメとムチによる脅迫を前提としたコントロールをなんとか最小限としたい。
第9条
人生の本質である「退屈」と向き合い、自ら「楽しさ」を発見して行く機会を子供から奪わない。子供が何かへの熱中を示したとき、それが中毒ではないかを気にかける。子供がある程度の年齢になったら、刺激との付き合い方に関して、きちんと親子で話せるようになりたい。
第10条
教師と生徒の間に生まれるピグマリオン効果を利用するために、積極的に多くの教師と子供を出会わせる。子供には自分を「ひいき」してくれる先生をたくさん発見してもらいたい。また、こうした家庭の外にある社会とのポジティブな接触の体験を増やすことで、子供の自立を促して行きたい。
第11条
子供が親に反抗したときには、子供に「今、自分はどんな価値を守ろうとしているのか」を意識させる。それがテレビを見たいだとか、おもちゃやお菓子が欲しいといった自分勝手な価値であれば、親としてはそれに厳しく当たり、リスクを取った結果としての罰を慎重に判断して与えたい。子供が守ろうとしている価値がそれなりに意味があるものである場合、子供に親を説得する機会を与え、ときには十分に子供に反抗をさせてから、折れてやるようにする。いかに子供に説得力があっても、人間社会はロジックばかりではなく情緒によっても運営されているのだから、ロジックだけでは折れないように注意したい。
第12条
子供がケガをしたときは、焦ったり泣いたりしてもどうにもならないことを伝え、出来る限り子供自身にケガを観察させる(もちろんケガの程度にもよるが)。
第13条
きちんと自分の意見を持ち、衝突を恐れずにそれを主張することを奨励しつつ、同時にその怖さも伝えていきたい。何かを得るということは、多くの場合、何かを失うことでもある。
第14条
笑う側ではなく、笑わせる側にあることの重要性を伝えたい。誰かに「明るくしてもらう」のを待つのではなく、積極的に「明るくある」こと、そして誰かを「明るくさせる」ことに喜びを感じてもらいたい。
第15条
すでに「ぼんやり」と認知しているであろう「システム」という概念を固め、レバレッジ・ポイントとボトルネックの存在を感じさせつつ、あらゆるシステムの構造(機械論的世界観)への好奇心を刺激したい。
ttp://nedwlt.exblog.jp/i13/ カテゴリ:我が家の教育論 ( 20 )
まだ途中らしい。これが完成する日が来るのだろうか。興味深い。書籍になったらまた読み返したい。
見たというか、知らされたのは、死んでからでした。いきなり知らない人が、虐待の事を書いたら、mixiで人が死んだ話をメッセージで送りつけてきました。
その人のマイミクの一人が亡くなった日の日記には、ドラえもんについて書かれていて、全くそんな話は出てませんでした。
それまで何のやり取りもしてないので、いたずらかなと思いました。言い方が、いきなりですみません、驚かれるかもしれませんが、聞いて下さい、というふうに始まるのでもなく、いきなり書いてありました。
京都の人で、殺人事件で有名な勝田清孝さんと同じ高校出身なのかその高校のコミュに参加されてました。 それを知ったのは検索したからでしたが。
嘘か釣りかもという思いと、この人派こういう言い方で嘘だと思われると思わないのだろうか?という思いがしました。
その時点で返信したかどうか忘れましたが、2chのsns板を見てみたら、mixiで自殺!!というスレが立ってたので、気になってみてしまいました。
それによると、亡くなった方は、mixiで元2chでコテもやってて、NHKのしゃべり場を首になった人で、専用のヲチスレまである強烈な人でした。虐待された人のコミュに行って乗っ取って管理人になって、人を叩いてたそうでした。いかにもな叩きもあったかもしれませんが、やってはいけない励ましや責めたりなど、最近偶然違うところでみたら、その強烈な人は何かの政治家の孫らしかったです。
その人に攻撃されたのも原因の一つのようにスレには書かれていて、確認のためmixiを見たら、どうも話は違うようで、叩いてたけどそれが原因というよリ、失恋が直接の原因のようでした。背中を押す効果はあったかもしれません。叩かれていたというより、彼女は良い人で、その管理人が人を叩いたりするのをおかしいと言ったりしてたみたいでした。頭も悪くなさそうで美術系?か文系の4年制大学を出て、その時の専門を活かした仕事にもついているようなのに、新聞記者だった父親と専業主婦だった母親、どちらからも虐虐待を受け、父と別れるように母に言って離婚させたら、父が自殺したとかで、悩んでたみたいでした。兄もいて、mixiにいましたが、その管理人に対しても怒ってましたが、この兄も虐待してた事もあったらしいので、何とも言えない状況だったと思います。
そのコミュニティは、自分とは考え方が違いましたが、その管理人をみんながあんまりマトモに相手にして気の毒だったので、副アカを取り、その人がどういう人かわかるまとめサイトやスレを投稿したら、他の反論や煽り派、別に削除にしないのに、私のだけ削除になってました。
そんな事もありました。
その管理人より普通に仲良くしてたはずのマイミクさんたちの方怖かったです。
そのコミュと関係なく、何かの会か何かの集まり、虐待とは関係ない趣味の会のようなもので、受付をやったりしてたから、顔は割と知られていたらしく、この間あった時には元気そうだったのに、と書いていた人もいました。その会の会長がまた、よくわからない人で、死ぬ前に連絡くれとか言ってたらしく、その約束を守ってメールか電話したのに、見ないか出ないして、中卯にうどんを食いに出かけたら、その間に亡くなったらしいですが、それを延々と後悔したような書き方で書いてました。書いて慰められていました。
mixiだからなのか、死ぬと、追い詰めた方が責められる(マイミクさんの事じゃなくて)
例え勘違いでも
関わってた人は、色々言われる。
中1のとき、同じクラスの中に自分に色々おせっかいを焼いてくれる女の子(以後A子とする)がいた。明るくて運動ができて
勉強ができる子だった。彼女の背中には太陽がある気がした。すごくいい子で尊敬しているし、当時のことは感謝してる。
中2に入ったか入らないときに、友達から「A子はおまえのことが好きだ」と何度も囃された。彼女が自分に声を
かける様子を見て、そう推測したんだろう。自分はそれは違うと思った。
実は自分は障害持ちで授業中など何かと困ることがあり、そういう立場だから色々世話をしてくれたと思うのだ。
「あいつは好きだからとかそういうんじゃなくて、目の届く親切な人だからそうするんであって、恋愛とかそういんじゃないよ」
そんなニュアンスで返事した。
ある日、土曜日の授業の終わった午後、弁当を食べて廊下に出て窓を見て「さぁ部活に行くか」と頭で一人心地もの思いに耽ってたら
開口一番、
廊下の向こう側にA子が自分に好意を持ってるって囃したてた当の友達がいた。後から考えるとどうも友達がA子に「○○はA子が好き」というのを
話して、話した直後、A子が自分にそれを直接確認しにきたらしい。
「ち、ちがうよ。周りがそう囃したててるだけだよ!」
あわててそう返事した。自分は運動音痴で当時いじめられていたし、彼女と釣り合いが取れないと感じていた。
とにかくA子が自分を好きなはずがない。
潔癖な人ナイーブな人ほど怖い
自分達がいい人だと思っていて、そう思えなくなる事実を否定したり排除したりするから。
名古屋のある医療生協の病院の如何にもいい人そうに見える健気な車椅子のケースワーカーに、婦人相談所に半ば怒るように行かされ、区役所からの連絡には、こちらの紹介じゃありません、と言われているのを(目の前で電話した)聞いたという事を経験した時そう思った。
この時区役所に行ってどうなったか、このN里に聞かせて下さい!と自分の胸を叩くというパフォーマンスまでされた。
私が名古屋じゃない街で婦人相談所もだめだった事があると言ったら、怒ってきて「ここ(名古屋)でですか?」「この前パラノイアの患者さんを夫の暴力から守るためこちらの紹介で入所させました」「あなたが行かないから」など言われ、前述のパフォーマンスになったのだった。
区役所から(この時はM区役所、イニシャルだと今も同じだけど)生協の病院に電話したら、N里先生は帰られました、と言われた。
インフォームドコンセントが聞いて呆れる。ここの病院にはエレベータの中にも、患者の権利章典がデカデカと貼ってあった。
これは仮説だけど、なんでこんな事されるのかなあ~と考えたら
日本が民主的な法治国家と信じたい人にとっては、聞かされたくない話だったからなのか、精神病院については矛盾多い世界と言うのを知ってる人は知っているので、関わらないようにしようとしたのか、わからないが、病院の体面を守りつつ、健常者に対する悪意を吐き出す事を生業にしているからなのか、その中のどれかか、複合的なものなのか、仮説さえちゃんと立てられないが
この人も他では評判が良くて、家の前に○○党相談とか出ている家に言ってみたが、その人がそんな事言うわけないとか言われた。
あぁ、この時に、他にも言われていた。
親が当時住んでいたところにいきなり来て、隣の部屋の人に、実は精神病院に入れてまして、と言って行った、何をされるか分からないと怯えてパニくっていた私だったが、この車椅子のケースワーカーは
と言ったのだ。
関西の子供なら、聞いたこと言ったことがある言葉で、「ごめんで済んだら警察いらん」というのがあるが、そんなんで済んだら誰も困らんやろ!!!
この時に背中の痛みについても言ったが、本当に悪いんだったらね!と言われた。
医療生協の会員にだけならされ(後に取り消しに行ったが)お金も払わされ、病気なら診てもらえますよ、本当に悪いんだったらねと言われもした。
こんな如何にも正義派みたいな、スキャンダルを起こす前の辻本清美さん(顔も似ていた註あり)みたいに見える人が、こんなんなんて・・・!!!
と大ショックを受け
自分の方が悪い気がしたのだと思うけど、ちょっとおかしくなっていたような気もする。( これ以来全く相談に行けなくなった )
良い人の方が危ない
気をつけなくてはいけないと思った。
註
顔も似ていて美人と言って良い顔だった。
清潔感があり、洗剤の匂いと思われるものやシャンプーの匂いが入り混じったような何か微かな良い匂いを、醸し出していた。
(洗剤と言ってもダウ二ー臭ではなく、もっと控えめな。香水などのきつい匂いではなく、清潔で健全な生活を営んでいる証のような)
そういう人に、人に頼る嫌な奴のように、扱われた。
こちらは、こういうところに言うのも、違うかもしれませんが、とおずおずと言っていた。決して、何とかしろ!!とねじ込んだわけではなかった。
何もできないなら、普通にこちらではわかりかねます、とか断ればよいのに( 断るのも最近ではおかしいのではないかと思うようになったがこの時ならまあそれで仕方ないと思ったかもしれない )。
パラノイアの患者さんを紹介で婦人相談所に入れたというのだから、何もできないという事もないようなのに、一体あれは何だったのかわからない。
区役所に行った結果をこのN里に聞かせて下さいとの要望に、まだお答えしてないので、お答えした方が良いかもしれない。
(今はいないらしいのが、去年か一昨年電話した時にわかったけど。この時の病院の対応も酷かった)
N里の事は、ネット上のあちこちに私は過去に書き込んでいる。メモ程度のものでも証拠になるのであれば、それも証拠になるかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20111011084859
辻本似CWについて追記
まだあった
「いくつですか?」
と聞かれた。
相談票に記載するとかではなく、「親にはあなたが言えば済むこと」と言った時だった。
まるで、人に頼る嫌な奴のような扱いを受けた。
「いくつですか」に対し、年齢を普通に答えたら、何だか不服そうな不満そうな顔をされた。
全体的に、かなり高圧的な態度を取って当たり前と思っているようだった。
ああいう相談は、NTTの総合案内のお姉さんが案内しつつ商品やシステムを宣伝するように、生協の会員にならせる事を目的としてやっているようで、その目的だけは果たしたいのか、そこまで人の事ぼろくそに言いながら、ここは院長がいない病院で(その当時はかもしれないが。今は居るかも)なんたらの理念でやってます、とか 理念でという時に、理念だけで実際は行き届いてないかもしれないけど、堪えてね、みたいにニチャっと笑った。
声豚くんが死んだ。
なんでも、好きだった声優に彼氏がいる事が判明して発狂してしまった声豚くんは、持っていた写真集をビリビリに破いて、CDを全て叩き割ったあと、頭が爆発してしまったらしい。
声豚くんが亡くなった部屋は、CDの破片や、カピカピに乾いた黄色いティッシュ、声豚くんの脳みそなんかがそこらじゅうに飛び散っていて、それはもう凄惨な光景だったと、声豚くんのお母さんがTwitterでつぶやいていた。
「家畜が死んですっきりしたなう」とつぶやいていた声豚くんのお母さんも、式場では泣いていた。
声豚くんの遺影に使われていた写真はずいぶん昔のもので、制服を着て笑っていた。
僕は、声豚くんが大好きだった声優が声をあてているアニメキャラクターのうちわを、棺の中に入れてあげた。
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「2.5次元なんて無いんだ」
帰りに寄った喫茶店で、しばらくの沈黙の後、メイド喫茶くんが口を開いた。
「声豚くんは騙されてたんだ。きれいで楽しい上辺だけの夢を見せられて、裏切られたんだ。だいたい、年頃のかわいい女の子に彼氏が居ないなんて、おかしな話だったんだよ」
「彼氏がいるならいるって、最初から言ったらいいじゃないか! そしたら声豚くんだって、きっとこんな事にはならなかったんだ……」
たしかにそうだ。
清純な女の子が好きという男が一定層いて、そういう人はアイドルにお金をかけてくれることが多い。だからアイドルは清純を偽装する。彼氏がいても、いない事にする。その方がみんなからチヤホヤされるし、お金になる。
そして僕たちは、アイドルに恋をしてしまう。付き合うのは無理だとわかっていても、好きになってしまう。
そういう事だろうか。
「きっとクルミちゃんにも彼氏が居て、仕事が終わったらイケメン彼氏とイチャついてるに決まってるんだ……」
メイド喫茶君が通っている喫茶店でナンバーワンの売り上げを誇るクルミちゃんは、学校のクラスで換算すると上から3番目くらいに可愛くて、その上愛嬌もあるので、きっと彼氏だって居るだろう。
仮に今現在、彼氏が居なかったとしても、絶対処女じゃないだろうし、ましてやメイド喫茶くんが付き合える可能性は限りなくゼロに近い。
二人が並んで街中を歩く姿が想像出来なかった。
「ああ、もう嫌だ。全部まやかしなんだ。こんなの……」
メイド喫茶くんは、財布からメイド喫茶のスタンプを取りだして、ビリビリに破ろうとした。
でも、出来なかった。
「ナ、ナンパでもしたら? ほら、奥の席で可愛い女の人が一人で本を読んでいるよ。話しかけてみようよ……。」
僕は言った。
「そんなの無理に決まってるよ! 冷たい顔で無視されるか、怯えて警察を呼ばれるに決まってるんだ! そんなの無理だってわかってるから、メイド喫茶に通ってるんだ……」
メイド喫茶くんの顔は真っ赤になっていた。
これ以上興奮したら、メイド喫茶くんも頭が爆発してしまうかもしれない。
それからしばらく、二人とも何も言わなかった。
でも、と僕は思った。
それはきっと、難しいだろう。
本当の意味で2次元に恋をするのは、ある種の悟りを開くようなものだ。
「俺の嫁」はコミュニケーションの手段でしかないって、メイド喫茶くんもきっとわかってる。
僕は首を横に振った。
「そっか……。じゃあ、俺はそろそろ行くよ」
メイド喫茶くんは、力なく立ち上がると、トボドボと歩き始めた。
スタンプカードを握りしめているメイド喫茶くんは、ひょっとしたらこの後、メイド喫茶に行くのかもしれない。
あの時、父さんがキレたその理由は、小学一年くらいだったかな、いつものようにお父さんと二人でお風呂に入った、背中を流し合って風呂に浸かり100数えて上がり、いつもカラスの行水だって言われてた。その日もおれは先に上がって風呂から出た、母さんは夕飯の片付け、おれは居間でテレビ番組に夢中。なにかの音が聞こえるなーって気に鳴り出した頃には、もう、その音がし始めてから、けっこうな時間が経っていたと思う
母さんが、なにか言ってる、おれはテレビに集中してたから、「なんか聞こえやしない~」、そういえば、なんか聞こえる、なんだろう?、遠くの方で、がっがっって、
その音は、お風呂の方からだった、母さんがおれに「見てきて」と言う、風呂場に着いたら、擦りガラスの向こうに、動くおおきな影、父さんが「開けろ~」というような大きな声怖々と言っている
うちの風呂は外から鍵がかけられるようになっている、おれは風呂から上がる時に、つい閉めてしまったみたいだ。小さな子供が水の溜まった危ない風呂場に間違って侵入しないように、外側に鍵がつけられていた、ごく普通の窓の鍵
すぐに急いで、おれは、その鍵を開けた、途端に父さんが、僕に乗りかかってきた、真剣に怒った顔と声、おれは恐怖に怯えた、悪さ、悪ふざけでやったんだと思われたからだと思う、その時の、力によって威圧を受けた思い出は、自分にとって初めてだったと思う
そして、すぐ遅れて母さんが来た、掴み罹られて押さえつけられる俺に母さんは、おれに聞いてくる、「なによ?どうしたの」、「わざとかい?わざとなんかやらないでしょ?どうなの?わざとやったの?」でも、僕はなんにも覚えていなかった、「閉めた」という記憶が無かった、だから「閉めてない」
「やった」とも「やってない」とも、なんとも言えなかった、謝る事よりも、どういう事でそうなったのかを、まず解ってからでなければ、謝る意味がない、という事も教わった
知らず知らずのうちにやってしまったんだろう、母さんは「わざとなんかやってないでしょ」と、おれは母さんの分析を聞きながら、そういえば何も考えずに鍵を閉めてしまったかもしれないのかなと思った
その頃、僕は鍵閉めを任命されていた、家族でどこかに出かける時は自分が家中の全ての鍵を端から、ちゃんと閉まっているかどうかを確かめる、全部、鍵を閉め終われば出発だ、全部で16ヶ所くらいの鍵がある、皆を待たせないように、急いで閉め回るから、一つの鍵を閉める瞬間には次の鍵に目が言っている、そんな体に染み付いた変な癖が、風呂場の鍵も無意識のうちに閉めちゃったんだと思う
父さんも、おれが悪さでやったんじゃないと解って、知って、その怒りを静めてくれた、原因というか、その理由を知って怒る必要がなくなったから
鍵をうっかり閉めるなんて事は普通は考えられないだろうから、父は自分が悪さでしたんだろうという予測を基に子供に対して怒るのは当然だ、もし悪さだったとしても、個々に許容範囲ってのの違いは、やっぱりあるから、怒られなければ解らない事もある
母さんは、その小学校に上がったばかりのおれが、普段やっている鍵当番の事のように、おれが癖で鍵を閉めてしまったんだろうと弁護をしてくれた
でも、もしかしたら・・・、閉じ込めようとする意志は無かったにせよ、その悪ふざけの真似事でふざけて閉めてみた鍵を、そのままにしてしまい、開けるのを忘れてしまったのかもしれない 次へ次へと目が行く子供、テレビは待ってくれない
ふと、そんなことを思い出した
@awaikumo