はてなキーワード: わがままとは
子どもや赤ん坊に対する慈しみってやつ。時に成人男性に対しても。
母性本能をくすぐるなんて言ったら、男のわがままや甘えがなんでも許されちゃうんだよね。
対して、母性本能をもたない女性は男からも女からも非難される。
なのにさ、みんな男も女も母親に夢みすぎなんだよね。
まぁ、これはいいとして、女は本能に束縛され、男は本能に甘えすぎ。
浮気したいのは多数の種をまきちらしたい本能だから仕方がない?
理性で考えようよ。とにかく。
子どもを愛せなくてもいいじゃん。
産まなきゃいいし、養子って手もあるし。
処女じゃなくてもいいじゃん。※
避妊があるし。
多数の女とセックスしなくてもいいじゃん。
どうせしたところで生ませないじゃん。
人間はそろそろ本能の呪縛から離脱して性別を超え個として生きるべきじゃないの?
※処女うんぬんに関しては
初投稿です。
みなさんとは人生経験の違いで未熟な私は罵倒されるような内容でしょうが、人生観を広げようと思い投稿しました。
失恋という綺麗な言葉で表していいのかと思うが、とりあえず大切な人を失った。
幸い?にも公欠で10日間学校に行かなくて済んだから幾分気持ちの整理ができた。
正直こんなに辛いとは思っていなかった。
でも私の今の辛さ、今までの彼に比べたらちっぽけなんだろうと思う。
友達として楽しく過ごしたかったけど、彼は私のことを好きだという。
恋愛感情を持ってしまったならしょうがないけれど、そうなるならいつか終わりが来るのを知っていた。
もうずっと友達でいるのは無理なのか、と私は悲しくなって泣いた。
私は悲しくなったから、私を好きになった罰として、彼を浮気相手として、私の気が向くままに振り回したしひどいこともした。
それでも私を好きだといってくれた。でも若気の至りだと名前を付けて道徳心を忘れた私の心には届かなかった。
もう彼と一緒にいても楽しくなくて笑わなくなったし、演技ばかりするようになった。
そうしていくうちに、ある日彼の心は離れた。
彼は、2人の思い出話をして、別れよう、といった。
いつかこの日が来ると思っていたけれど、私は人に見せられないほど号泣した。
涙の訳は、ほんとうは好きだったのか、それとも男女の友情が脆かったことの絶望なのか分からない。
彼は、お前には笑顔でいてほしい、といった。
同期がウザい。本当に申し訳ないけど、心の底からウザい。
いや、全然悪い子ではないのはわかってるけど、私とは全く反りが合わない…
私はあの子と違って浮いた話もひとつもないし、パチンコとか嫌いだし、面白い話ができるわけでもないし、話題も全く合わないのになんで向こうはつまらないとか思わないのだろう…
そもそもベタベタするのって好きじゃないし、彼氏に依存しすぎな所も嫌だし、何よりも本人はちょっとからかってるつもりなんだろうけど、時々ものっすごい失礼な物言いになるのが本気でイラッとくる…
何なの?こっちがいじられキャラで何も言わないからって何言っても許されるとか思ってんの??
時々本気で喧嘩売られてるのかな今?^^て思うよ?
あとごはんの食べ方汚いのも嫌です、なんでもかんでも混ぜて食うの本気でやめてください
お金のためにたくさん働くのは立派だと思うけど、それだったら私なら外食とパチンコをやめます
つーか米ぐらい自分で炊けばいいだろ…
多分近くにいすぎるし、いつも一緒にいるから余計腹が立つんだろうと思うので私は距離を置きたい
頼む!優しくしたいんだ!仲良く穏便にやっていきたいとも思ってる!!だから距離を置いてくれ!!
こんな事考えるのわがままなんだろうなあ…
贅沢を言っている自覚はあるけど、だからってイライラするのがなくなるわけじゃないし…困る…
職場では穏便にいたいから何も言えないでいるけど…そろそろ本当に限界だよ?
あなたがやめたら同期誰もいなくなっちゃうし一人にするなんて許されないよ?とか言われたけど
こんな将来性もないバイトで一生やってけるわけねーだろこちとらとっととまともに就職してーんだよ
あー辞める時なんて言おう…そう遠い日じゃないんだけどな…
個人特定されるかも知れないけど、構うものかと
学科選択の際にはそれなりの理由があったりする
両親の離婚や自身の障害、友人・恋人とのいざこざといった、ありきたりなものだ
「自分と似たような境遇の人を救えたら」が出発点なのも、ありきたりだ
多くの心理学科の学生がそうであるように、大学院進学を経て臨床心理士の資格を取得を目標としていた
そのために勉強を重ねてきた
3年次の学期末である最近、将来就こうとしている職業に疑問符が付くようになった
1時間数千円のカウンセリングや心理療法を行なって、それがどうなるというのだろう
何をもって治ったとして、何をもってクライアントがよしとするだろうか
それは、心理学を学んだ人間がやらなければならない問題なのだろうか
自殺者数は上昇傾向にあるという調査結果がある
仕事や学校においてストレスを感じ、何らかの病気や障害に悩まされる国民も増えてきている
だけどその人達に何が出来るというのだろう
医者が薬を出す以上のことは、本当は何もできないのではないだろうか
結局は本人は自ら血を吐くような努力をして克服することでしか、解決しない問題だと思う
だから、最近は自分が目標とする職業の必要性が分からなくなってきた
生活が成り立たない事も不安だ
この国においては、心理職はそこまで安定した職業ではない
職の数自体が少なく、非正規が多く、給料も平均して低い
それに比して学ばなければならない事は非常に多く、一生涯にわたって研究と学習に追われる
にもかかわらず非常に狭き門であり、途中で失敗したならば取り返しのつかない事態となる
「自分と似たような境遇の人を救えたら」という程度の、自分のわがままで進めるような道ではない
小学生が持つような、弱く曖昧で現実を見ていない願望なんて捨てなければならない
第一、そこまで他人を救いたいわけでないだろうに
自分と似た境遇の他人を救うことで、自分が救われた気持ちになるからか
それとも、誰かを救うことで自尊心を高めたいのか
そうであることを否定出来ない自分は、どれほど人間を侮辱しているのだろうか
しかし、一般企業に就職するという道を選ぶというのも逃げなのだろう
ただ単純に、院試勉強や将来の安定がないから嫌だということから逃げている
「あれだけ院に行くと行ってたのに今更進路を変えたら」のような
他人から見損なわれたくないという下らない自尊心が生まれて、嫌になる
これが、何処にでもいるような心理系学科の学生の考えてることだ
どうしたらいいんだろうか
2010年になった。
彼を亡くして半年近くが経っていたものの、もちろん彼の事を考えない日など1日もなかった。
その時の私は、大きな問題を抱えていた。
私は心臓病で、ペースメーカーを入れていた。その電池が既に切れている状態だった。
電池が切れてもバックアップで3ヶ月は動き続けることができるものの、
設定は初期値にリセットされるため体調は悪く、また、完全に電池がなくなってしまえば突然死の危険もあった。
電池が切れていることは、もちろん知っていた。
でもその時の私は、とにかく目の前の面倒な事や嫌な事から逃げようとしていた。
だから電池の問題も後回しにして、考えないようにしていた。
しかしいよいよ電池が完全になくなろうとしていた。
私の心臓の状態から言えば、電池が完全になくなるということは死を意味していた。
でも、電池を交換する手術を受ける気にはならなかった。
死にたい、と思っていたわけではない。彼を亡くしてからも、後を追おうとは考えなかった。
でも、積極的に生きたいとは全く思っていなかった。
通っていた病院の、循環器の師長が私に言った。
このままだと、本当に危険なのよ?どうなるか分かってるでしょ?
ねぇ、お付き合いしてる人とかいないの?その人も、悲しむ事になるのよ?
どんな言葉も響かなかった。悲しむ人は、もういなくなってしまった。
それから数日後、彼が夢に出てきた。亡くなってから一度も出てきた事はなかった。
彼は、ただ微笑んでいた。何も話さなかった。手を伸ばして、追いかけようとして、目が覚めた。
結局その後、私は手術を受けるために入院した。
しかし入院したその日、主治医から思ってもいなかったことを告げられた。
ペースメーカーと心臓を繋いでいるリードがだめになっている可能性があるけど、開けてみないとわからない。
だめになっていた場合、今入っているリードはそのままにして、新しいものを新たに入れる。
そんな話は全く聞いていなかった。外来で検査を受けた時にも言われなかった。
リードはずっと使えるものではなく、いつかだめになるかもしれないのは知っていた。
でも、使えるかどうか、開けてみないと分からないというのは知らなかった。
ペースメーカーを入れたその日から、体内に異物が入っているという違和感を、
ずっと抱えて生きていた。自分の胸部XPを直視することもできなかった。
仕事で行った病院で、たまたまペースメーカーを入れた人の胸部XPを見てしまい、ひどい吐き気に襲われたこともあった。
私は手術を拒否して、同意書を書かなかった。
このまま退院させて欲しいと言った。もちろんだめだと言われた。
そんなわがままな患者に、ついに循環器科の一番偉い先生まで出てきた。
先生、というより、威勢のいいおばあちゃんだった。
旦那さんと離婚して、女手ひとつで医師を続けながら娘を育てた事。
その娘も今は医師をしているということ。高速道路で事故を起こし、死にかけた事。
それを聞いて私も、少し自分の話をした。
大学2年になる直前に意識消失発作で倒れ、ペースメーカーを入れた事。
大学を休学しなければいけなくなったこと。手術の後遺症の事。両親に理解されなかったこと。
その事を、人に話したのは初めてだった。
一通り自分の身の上話をして、私の話を聞いて、先生は病室を出て行った。
もしもリードが使えなくなっていたら、古いリードを抜去できる病院に転院する。
その病院には既に受け入れの体制を整えておいてもらっている。
自宅からは遠かったものの、循環器が有名だったその病院は良いはずだと思っていた。
でも、検査の度に嫌な思いをさせられていた。患者の事なんて全く考えていない対応だった。
そんな話を彼にしたら、こんな事を言われた。
嫌な思いをして通い続ける事ないよ。別の病院探そ。
その後、彼を助手席に乗せて家の近所を走っている時、ある病院を見つけた。
最近の病院って、スタバとかタリーズとか入ってるよね。仕事中の息抜きにいいよねw
あの病院、いいんじゃない?綺麗だし、確かあそこはウチの電子カルテ入ってないよw
その後彼はその病院の事について調べてくれた。
神奈川県内では一番ペースメーカーの症例数も多く、評判のいい病院だった。
その後、私はその病院に通うようになった。
そしてその2日後、私は手術を受けた。
結局リードはそのまま使える事が分かり、3時間程度で無事手術は終わった。
手術が終わった後、あのおばあちゃん先生が私に言った。
あんた、よく頑張ったよ。頑張ったから、神様が味方してくれたんだよ。
先生は「神様」と言ったけど、私は彼が助けてくれたんだと思った。
入社当初は会社を辞めたいばかり言っていたが、彼のあの言葉によって
この仕事を続けられるところまで続けてみようという気持ちになった。
嫌になって途中で諦めて投げ出すのだけはやめようと思った。
ただ、入社して5年目という区切りの年に、これから先どんな仕事をしていきたいか
ちゃんと考えようと思った。このまま電子カルテを作りたいかどうか。
これからの1年、どんなに辛くても全力で仕事をしよう、と決めた。
全力でやって、そのまま続けたいと思ったら残る。思えなかったら、別の道を探す。
復帰後すぐに、かなり大きな仕事が入ってきた。
当時27歳のひよっこSEには重すぎた。
でも、これだけはやり遂げないといけないと自分に言い聞かせた。
そのプロジェクトの定例の会議は福岡で行われたため、毎週金曜日に福岡に行っていた。
でもあの時のように、彼との事を思い出して押し潰されそうになることはなかった。
1年前のように現実逃避から仕事に打ち込むのではなく、自分の目標のために仕事をした。
研修を終えて、いまの営業部に配属されて3ヶ月が過ぎた。
営業現場のビジネスモデルは研修現場で学んだものとは全く関係がなく、
営業現場のルールは採用現場が唱えているグローバルとかダイバーシティとかにも全く関係がない。
他の会社にも当てはまると信じているが、修正点があれば指摘して欲しい。
社長:株主に対する責任があり、会社を守るために、数々の「言い訳」を作る。
(それが本当であっても、嘘であってもよい。)
事業部長:社長の方針に近い形で事業部方針を作り、数字目標をたてる。
(たいてい方針も数字も前年を踏まえた形で作られる。社内の部長報告や社外の重役との会食が仕事。)
部長:営業部毎に数字が与えられており、その数字の責任者となる。
(上とは調整、下には強制である。ただし、下のトラブルには部長が対処する。)
課長・係長:上の立てた方針は営業現場に適用できないので、目先の計画をたてる。
(上から「宿題」を与えられたら、それに答える。雑用は末端にどんどんやらせる。)
係長・末端:タスクがどんどん降ってくるので、残業してでも終わらせる。
(課長・係長は指示をするのを嫌がるので、末端は課長・係長の指示を予め予測する。)
つまり、現場は現場で動いており、会社全体と現場は別物、という印象である。
入社前は上述した日本企業的ルールに従う全てを「社畜」と言っていたが、
こうしたルールから逸脱した途端、会社からパージされる。ルールに従わなければ会社にいる意味がない。
知り合いは、「海外に行きたい」と言ってドメスティックな部署に配属されたり、
「上司が無能力」と言って閑散とした新設部署に配属されたりしている。
奴隷になりえない「わがままなやつ」は扱いにくいからパージする。
ただし、こうしたルールのもとで前例踏襲が横行し、社内変化がなく、景気変動に一喜一憂しているように見える。
現場は現場で動いており、会社内が縦割り、サイロ化しているようにも見える。
ここで、クエスチョン。
採用現場でいう「グローバル」や「クリエイティビティ」など含む「異色の人材」はどこで活かされるか。
学歴採用、リクルータ採用や推薦採用では「一色の人材」になってしまうため、オープン採用に変化したはずだ。
ところが、現場では「一色の人材」が求められているような気がする。
異色の人材はどこに消えたのか。あるいは、どこに生きているのか。
スラックティビズム(英: slacktivism)は、「怠け者(slacker)」と「社会運動(activism)」とを掛け合わせた合成語である。努力や負担を負わずに、社会運動めいたことをする行為を指す。
この用語は、社会に意味のある影響を与えていないのに、社会にとって良い活動をしたつもりになる自己満足的行為について、軽蔑を込めて使われている。こうしたスラックティビスト(スラックティビズムにあたる行為をする人)たちの行為は、多くの場合、個人の努力や負担を必要としない。
勝間さんの「まじめの罠」よりこのキーワード1つのほうがインパクトもあるしわかりやすいな。
「まじめの罠」は今年の買って後悔した本ベスト3。勝間さんどうしちゃったんやろうなぁ・・・。
これ、大人向けの本なんですか。
「まじめの罠」というキーフレーズの下、世の中のさまざまな失敗例が語られます。ですが、その「まじめ」が定義されていません。
最初にユダヤ人を大量に処刑したアイヒマンの例が出てきます。アイヒマンはまじめだから残虐な行為を行った、と著者は思いたいようです。ですが、違います。ミルグラムの本を著者は紹介していますが、ミルグラムは誰もが簡単に他人に「服従」することを心理学の実験で示しました。アイヒマンがまじめだったとしても、それが原因ではありません。二つのことが同時に起こったり、一つのものの中にあっりしても、一方が原因で一方が結果とは言えません。「まじめの罠」という著者の結論は著者が紹介したミルグラムの実験結果と矛盾します。読まずに想像で判断したのか。ネットの安直な解説を真に受けたのか。読んだけど理解できなかったのか。とにかく、自分で紹介した本の中身を理解していません。これはかなり恥ずかしいと思います。
クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』も「まじめの罠」の例に紹介されています。クリステンセンの主張はまじめにやると失敗する、ではありません。長くなるので詳細は省きますが、その産業に属する企業群を支配する経済的な力学が働き、まじめに努力したとしても、やがて新興のベンチャーに負けてしまうというのがクリステンセンの考えです。まじめに努力しなかったらもっと早く負けてしまうのは言うまでもありません。ラーメン店の競争が激しい中、自分の味を求め新規開業する。これはまじめですか。いいえ、「わがまま」です。自分の好きなことをして儲けたい。そんなに世の中は甘くありません。意図的か無意識か、「まじめ」の定義が変わります。このやり方ならどんなものでも「まじめ」と言えてしまいます。
著者は「まじめの罠」というキーフレーズで、あれも説明できるよ、これも説明できるよ、と言いたいのですが、現実は著者の考えるほど単純ではありません。テレビの水戸黄門のファンは多いと思います。代官と越後屋は徹底して悪い人、搾取される百姓や町人は徹底して良い人。単純だから良いのです。仕事で疲れて帰ってきて、複雑な心理ドラマを観たいと思いますか。この本は普段活字を読まない人には読みやすいと思います。論理が単純だからです。ですが、現実の世界は水戸黄門とは異なります。単純で分かりやすいことと、正確であるということが一致することは稀です。だからこそ、物事を複雑なまま捉えて分析しないといけないのです。でなければ、どんな難しい理論もたとえ話で説明できてしまいます。著者に望むことは引用する文献をしっかり読むこと。著者にオリジナリティがなかったとしても、忙しくて専門書を読む時間がない人のために、原著を原語で(経営学や心理学の本は誤訳が非常に多い)精読して、読者に噛み砕いて説明してくれるなら価値はあると思います。逆に、いい加減な理解で読者に間違った知識を与えてしまうなら、読者は修正に時間が掛かります。その意味でこの本は星一つにせざるを得ません。買うお金、読む時間、間違いを修正する更に長い時間。大変な出費です。
この本には「私(著者)を嫌う人」の紹介とその批判がありますが、その定義も著者に都合の良い、やたら感情的で、論理性に欠如するような議論をする人たちに描かれています。自分が論破しやすい「私を嫌う人」像を作り、それを批判し、結果として自分の正当性を主張する。読者はその定義がそもそも正しいかを自分で検証してほしいと思います。
この本でたった一つ良かった点。自分の間違いを認めるのに躊躇してはいけないということ。人間は自分の間違いを認めたくありません。とくに高いお金を出した場合は価値があると思いたいものです。今までの投資が無駄になりますから。ですが、例えば今まで毒を薬だと信じて高いお金を出して買って飲んでいた人たちも、毒だと知ったらすぐに飲むのを止めるでしょう。正しいことを知ろうと思っても、間違ったことを覚えるなら、毒と変わりません。
確かにお互い様かもしれない。
でも、私も悪いかもしれないけど、あんたも○○してないから悪い。というか話ししてきたらムカムカしてきた、やっぱりあんたが悪い。あんただけが悪い。
あんたさえ○○してくれたら私だってちゃんとするのにあんたが○○しないから。だからあんたが悪い。男なんだからもっと器のデカさを見せなさいよ。
あんたが○○したとしても、あんたは△△ができてないからやっぱりあんたが悪い。
あんたが△△できたとしても、あなたは□□ほど格好良くないからあんたが悪い。
あんたが□□だったら・・・私がすべて悪いの。何でもするから捨てないで。
ということなので、結局細かい所で女の言うとおりにするよりも、□□目指して格好良くなるのが一番いい。
ぶっちゃけ、女のわがままに付き合う必要は全くない。 女を無視して格好良くなることに全力を費やそう。
逆に言うと、最初の段階から普通に「お互い様」が普通に通じる女性相手だと、いくら格好良くなっても細かいところで気が利かないとダメだろうな。
最低でも安めぐみレベルの乳と顔は欲しい。年は26前後、定年まで共働きで手取り25万は取れて(もっと多くてもいいし俺より多くてもイイ)
手抜きせず家事は全てこなし、子供は男女ひとりずつは産めて(障害あるのは当然NG)、俺の両親の介護してくれて
性格は控えめで夫の一歩うしろ歩くやまとなでしこで、実家が中流以上で、当然処女で、でもセックス好きで、敏感で、恥じらいのある女がいい。陰毛は薄いのがいい。
あと俺の趣味に口出さないのがいい。わがまま言えば、俺の趣味(ツーリングとゴルフ)に付き合ってくれるとなおいい。
どんくらいの確率だろうかね
1ヶ月前にFacebookやってるでしょ?と聞いたら、普通にやってると答えた。
僕がmixiを始めたとき、ものすごく文句をいったくせに、と内心思ったけど、そのときは我慢した。
受験間近になって、いろいろ思いつめて、それが気になり始めた。
彼女の日記の中に、「●●君に褒められるとうれしいわ」と書かれていた。
●●君のページに飛べば、飲みにいこうとのコメントが書いてあった。
その直後には、アクセス制限がかかっていた。
彼女は自由がないといった。
束縛されているといった。
喧嘩になった。
普段なら気にならないことかもしれないけど、今受験でせっぱつまっている。
仕事も3月にやめる。貯金だって十分にあるわけではない。家もなくなる。
彼女が必要だと思った。
だから謝った。
あとから聞けば、その彼もいるという。
昨日の喧嘩はなんだったんだろうっていうぐらい、普通に言った。
僕の中で何かがくずれた。
今は大事な時期だから、不安になったり気が散るから、あまりそういうことをしてほしくなかった。
それはわかってもらえるものだと思っていた。
結局2回目の喧嘩で別れた。
別れた後に、やりなおしたいと連絡が来たけど、無理だと思った。
そんなことアクセス制限された時点で、信じることできるわけないでしょ。
っていうか、そんなこと聞きたくなかった。
別に遊びにいったことは正直、今となってはどうでもよくて、喧嘩した直後にそういうことをいう無神経さが許せなかった。
受験終わるまで遊びにいくの控えるよって一言言ってもらえれば、やりなおせたと思う。
そういってくれれば、素直に彼女を遊びに送り出せたのに、こっちの感情を理解するともなく、当然の権利として主張する彼女が許せなかった。
理解してほしいと思うことはわがままだったのだろうか?
気が利かないと責めるけど安心がないと他人に気を遣う余裕が無いので難しい。
自分が相手に対して余計なプレッシャーをかけてないか、安心を保証できてないのではないか、と確認するようにしたい。
というか、ある意味ではとても気を遣っている。
基本的に、過干渉が最初にあって、それに対する過剰防衛という問題であって
「だれそれが気が利くきかない」の問題ではなく、「気を通わすことが難しい関係性である」として問題を捉えるべき。
自分が上の立場だとこのことをすぐに忘れて、目下の者だけを責めるようになってしまうので注意するに越したことはない。
あと相手の志向のようなものが怒ることメイン(減点方式というかなんというか)だと、
喜ばせるための行動も自ずと自重される。
自然と気を遣って貰える人は、その気遣いによく気づき感謝する人だったりするので、見習いたい。
というか、気遣いというのを「こちらの要求が、言わなくても叶えられて然るべし」というような発想は
単なるコミュニケーションの怠惰であり、傲慢である。礼儀知らずであり、相手の意思を無視している。
目上になると、すぐにこうやって目下に対して礼儀知らずになってしまって、相手を不安に陥れ、
本当は気遣いのよく出来る良い人であっても、できなくしてしまうキケンが大きい。気を付けたい。
基本的に、人が人を嫌うのは、相手が自分というものを侵害したり、抑圧したりするからであって、防衛意識によると思う。
生理的に嫌いってのも、相手が自分の許可したラインを越えて侵入してくるということだろう。
嫌悪を乗り越えるために、自分はどれだけ頭を使って工夫できるかが大事。
こういう、完全な他人の間では誰もが理解していることなのに、
「親子」とか「恋人」とか「上司部下」といった関係になるととたんに甘えてしまうことが多い。
私はこういう関係が全く理解出来ない。
私にとってはどれも他人であり、他人である以上一定の線以上はどうしても相手を立ち入らせることが出来なかった。
で、相手はそこのラインを平気で侵害するので、しょっちゅう喧嘩になってうまく行った試しがない。
相手からしたら、私が自分のラインを押し付けたように見えただろうな。私のほうが加害者だったんだろうと思う。
親子関係にも恋人関係にも恵まれなかったと言い訳したいけれど多分、自分がそれらのメリットを全く受け取れないほど、人格的にどこか欠陥があるのかもしれない。
鬼灯さんちのアネキというマンガに出てくるワカメ髪の女の子を読んでそんなことを思った。
私はこの子にやたらと共感してしまう。私の友達はこの子のような人が多い。
お互いが合意のもとで許可したライン以上は絶対に越えないという関係。そういうのがとても落ち着く。
友達というか、関係のある他人。 必要なときだけ、壁越しにお互いの持ち物を投げ合う関係。
でも、ああいう子がどうやって、どういう時にラインを越えていくのか、そういうのを描いて欲しい。
文学少女シリーズの竹田さんしかりであるが、トラウマとかなんだとかわかりやすい傷を抱えている人よりも、
生まれて最初から、絶対的に変わらないラインがある人って、そもそも他人と深い関係を結ぶべきじゃないと思う。
そういう人が、落ち着いて存在できる。物語にはならないけれど、隅っこでただそこにある。そういう存在として生きたい。
ごちゃごちゃ理屈をこねたけど、結局、自分はこういう人間だから、こうしたいって言ってるだけだな。格好悪いな
他の人は自衛のために仲間づくりとか頑張ってるのに、それをサボってぼおっとしていたいって言ってるようなもんだ。
これだと相手に踏みにじらても文句は言えないと思う。
だから、自分なりに自衛の努力はしつつ、いざ踏まれても文句は言わないようにするしかない。
でもこれって、なんか政治とか軍事面から見た日本って感じだな。
誰かに頼って運良く生きているけど自覚しないで俺は一人でいたいんだーほうっておいてくれー、てな。
格好悪いうえにわがままカー救いようがないなー。
言いたかないけど男の種にも鮮度ってもんがあるから。タイムリミット持ちなのは一緒だよ。
わがままからぐずぐずさぼりたがるのはむしろ男のような気がする。
「ついに俺も所帯もちかー」的な自由への郷愁みたいなわけわからん感慨が怖くてズルズル結婚延ばして挙げ句お別れ、とかね。
今の女はむしろ危機感持ってるし。
事実として
女は若い方が価値が高い
この事実から見て元増田の言っていることは間違ってないというか至言なのだよ。
と捉えたのだろう
いかにも女が一人で出来ることをわがままからぐずぐずサボっているかのような物言いだけど、
女がさっさと結婚するためには男が必要だっていう当然の発想がなさすぎて引く。
この国同性婚認められてねーし。
追記:
個例しか無いんでアレなんだけど、やっぱ知り合いカップルとか大学入学くらいから続いてるんだけど
収入と時間の兼ね合いがアレすぎて結婚できねーみたいなの多いよー。
「子供はしっかり育てたい、けどそのためにはキャリアは間違いなくブッツリ行く。旦那? 激務過ぎてむしろ支えてあげないと…」
みたいなね。
激務って端的に結婚厳しいんだけど男はそこんとこ認識してないってのが鮮やかに言動に出るよね、例えばこの元増田みたいに。
客だから無下にはできないし、どれだけかわすのに苦労しているか。
店外デートに付き合わされるというのは私たちにとっては「給料を盗まれる」ということに他ならないのだ。
60分なら60分拘束されると、店に来てくれたら受け取るであろう1万円なら1万円の給料を奪われるということなのだ。
なら個人的にお金を時間分渡す、店の取り分までもらえるからその方がいいだろう、と言う人も多いが、これも浅慮過ぎ。
私たちは本指名を取らなければいけない。
ノルマがあって、到達できないと降格や最悪クビにされる。
店の外で会うということは、時間分の給料を奪われること以上に、「指名を失い店での評価を下げる」ことにつながるから、いけないのだ。
いくら一人の客から店の取り分まで取れたとしても、店での評価を下げたら全体としての自分の収入は減るんだよ。
クビにされたらその客以外からの収入はなくなるんだよ。死活問題だよ。
あんたたちだって、お得意のお客さんにはへこへこ媚を売るでしょう?
でもその人が「商品が欲しい、サービスを受けたい、でも代金は払わない」って言ってきたら、何バカなこと言ってんだ、
金払わないならもう来るな、って思うでしょう?
婚姻届を持って来て、収入証明を見せて「僕にはこれだけの収入があるので、君を一生養っていける。今すぐこの仕事を辞めて僕と結婚してくれ」
とプロポーズしてください。
大体何であんたたち彼女を作らず、あるいはいても、風俗に来てるの?
魅力がなくて彼女を作れない、または責任を取らずセックスだけしたいからでしょ?
言いかえれば男の人の「怠惰さ」「わがまま」を受け入れることが私たちの仕事なのだ。
それを金で補わず無料で受け入れろ、ってどんだけあんた神なの?
何も言わず、ただひたすら自分の魅力を磨いて、その女の子に通って下さい。
その女の子があなたに恋をしたら、自分から「付き合いましょう。お店を通じないで会いましょう」って言います。
そういわれない限りは、人間ではないただの金ヅルと思われている、自分の待遇のために仕方なく会っているだけとみなして間違いはありません。
故に、勉強以外については親に理解されなくて当たり前だ,くらいに考えていたほうがいい。
「親に自分のことを理解してもらいたい」という希望は、日本に限って言えば、子供は持たないほうがいい。そうしないと、辛い。
うちの親は収入面では中流の上の方だったと思うけれど、いろんな意味で教育は中流どまんなかって感じだったかな。
いざ勉強シーズンが始まると、どんだけ抵抗しても「勉強のために」という理由だけでやめさせられた。
その時から分かってはイタけれど、親は社会的に認知されたもの以外の価値を認識すること自体ができない。
これ自体を責めてみたところで意味が無い。親はそういう時代に生まれてきたのだから。
「子供にいろいろ習い事させるのは良い親」という社会的な尺度があったからだろう。
ところが、習い事に関しては、小学校高学年くらいからそういう社会的な尺度が消失する。
こうした分野で子供が成功したり、社会的に評価されることは稀である。
そう考えると、別に習い事をさせていても誰も褒めてくれないし、そのための負担は小さくないので続けるメリットが親にはない。
親自身も元から対して情熱を注いでいない。勉強の妨げになるのであればあっさりと切り捨てられる。
いや、実際には勉強の妨げになっていなくても、「自分がそう感じた」というだけで辞める理由になるのだ。
少なくとも、私は、姉が無条件でピアノをやめさせられたことに危機感を感じ、
折につけて「ピアノやってても勉強も頑張れるよ」とアピールをしていたがその時が来たらあっさりとやめさせられた。
最初から最後まで、そこに子供の都合は存在しない。交渉の余地すら無い。
(子供過ぎて、勉強も頑張る、程度しか交渉の手段を知らなかったということもあるが、外をまきこまない限りおそらく無理だっただろう。
そして外を巻き込んだら、多分親に恥をかかせたという罰で殴る蹴るの暴行を受けていたと思う。そうでなくてもよく殴られたしね)
子供は圧倒的な才能や成果を示さない限り、そこで潰される。
そして、これ自体も悪いことではないと思う。
実際、才能がないのに、変にしがみついていても、あんまりいいこと無い。
はやめに見切りをつけて、そのぶん自分にとってたのしいことややりたいことに力を向けるのはむしろ好ましいとさえ言えるかもしれない。
(まぁこれにしても、子供にそういう話をした上で判断させるべきところだとは思うのだが・・・難しいか)
よろしく無いのは、全部親の都合で、親が勝手に決めたことであり、親のわがままにすぎないのに、
なぜか親自身がそれを認識していないか、認めようとしないことである。
親は子供に何の説明もしない。謝罪とまではいわずとも、メカニズムを説明すべきなのにそうしない。
結果として、子供は「自分の意志でやりたいことを選べない」ということを学習する。
「がんばろうががんばるまいが、親が認めなければ自分の大切な物は維持できない」と学んでしまう。
高校生ぐらいのときにこういう仕打ちを受けたなら、まぁ自力救済の道を探っていただろうが
無力な小学生時代にこれをやられると、自分の無力をしみじみと受け入れるしか無い。
しかも、当時は今この記事で書いてるように、明確に親から受けた抑圧を言語化して把握できたわけではない。
無意識に刷り込まれるようにして教訓を植えつけられるので、抵抗しようもない。
むしろ、当時を振り返ると、1ヶ月ほど落ち込んだ後
「親は自分の為を思って勉強に集中させてくれたんだ」「私にピアノは無用だったのだ」と本気で思い込んでいたような記憶がある。
つまり「親の言ってることは自分のためであり、絶対的に正しい」という刷り込みが成立していたということになる。
実際小学校4年でピアノをやめさせられた後は、2年間ひたすら勉強ばかりしていた。
そんでちゃんと進学校に入って、それはそれで誇らしい気持ちになった。親には心から感謝したと思う。
実際にこの辺りまでは、親の言うことは間違いというわけじゃないのだ。ただ私の心を全く無視してるというだけであり、実際この当時の私は自分で考えて自分で決めるということがあまりできる子ではなかった。親が決めてくれたことに従うほうが楽だったし、必要だったと思う。
ただ、中学校に入ると、もうこれは露骨に問題にすれ違いが生じる。
私のような知恵遅れでも、このころになると自分の意思でいろいろ考えるようになる。
でも、まぁ上のような感じで、自分の意思でヤリたいと思ってもやれないという思い込みがあるから
もやもやしつつも勉強以外のことはあんまりできなかった。勉強か、漫画か、小説か、そんくらい。
親のほうでも、もう社会的に認められている価値尺度が勉強くらいしかない。
親はいつだって「社会的には親はどんな感じか」ってことだけ気を使っていて、一度も自分の頭を使って考えたことがない。
子供が何を望んでいるかに興味を持ち、それにどう答えるか、という形で考える訓練をしたことがない。
私が何の部活に入っているかも、私にはどういう友だちがいるのかも、
結局高校卒業するまで全然知らなかったくらいだから本当に我が子には全く興味がなかったのだと思う。
(ちなみにバスケ部な)
そういえば、友達は小学校4年の時に親に強制的に絶交させられてから作ったことがない。
中学2年の時にU君という友達がひとりいたけれど、遊びに行ったことも家に招いたこともなかったので
その内に、Uくんも、もっと親密に付き合ってくれる奴のグループに行ってしまった。
多分、自分がもうちょっと勇気を出して親に何か訴えれば事態は変わったのかもしれないが、
結局そのまま6年間過ごして、まぁそれなりにいいところの大学に受かったので、東京に逃げた。
欝で寝込んでるなう。コミュ力ゼロの私には、東京で友だちを作ることもできなかった。
多分もうチョットしたら冷静になれて自分の側にも問題があって、過去を嘆いてもしょうがないから
今からでも努力して何とかすべきって思えるようになるんだろうけれど、どうしても今の時点では親を恨む気持ちが強すぎて動けない。
ともだち地獄云々の記事を読んだけれど、
要するにこれは友達が云々というよりは「普通」の枠がどんどん狭く、ハードルが高くなってしまって
その気持ちはよく分かるし大変やなー、と思うんやけれど、この部分気になる。
別に俺はドMだからハードモードでやりたいんだって人はそうしたらいいけれど、ちょっと荷物下ろして道端で休んでる人を鞭打つ必要もないでしょう。「死のロングウォーク」(スティーブン・キングの超絶傑作)はフィクションとしては死ぬほど面白いけど、現実では一番やっちゃだめなフィクションだってのに、なんで好んであのゲームをやりたがるのか
こいつ「死のロングウォーク」ちゃんと読んだんか、と思ってしまう。あと進学校とか友達多いやつは別にドMじゃねー。
ネットでの受験や勉強に対するイメージというのはいろいろとおかしい。
例えば東大合格するには1日10時間勉強しろだとか、訳の解らんことを言ってる奴を見かけるし、
そもそも受験勉強をバトルロワイヤルのような蹴落とし合いだと勘違いしてることがまず変だ。
(これはあほな親の影響かもしれん。低学歴の親ほどこのイメージを持っている。受験とか勉強にネガティブイメージ持ちすぎ)
上のような理屈で言えば、進学校では弱肉強食の世界が繰り広げられる。プレイヤーは生き残るために
いじめが多発しているように思われるかもしれないが、そんなことは一切ない。むしろいじめは極端に少ないだろう。
なぜなら、進学校における受験勉強は、バトルロワイヤルではなく、ロングウォークだからだ。
ゆったりとペースを守って歩き続ければいい競技だ。しかも休憩ありだし特定の地点までいけばゴールさせてもらえるヌルい仕様になっている。
ロングウォークを知らない人に一応説明しておく。詳しくはWikipediaよめ。というか原作読め。
100人の少年が、時速4マイルをキープして休みなく歩き続けるだけの競技。
時速4マイルを下回ると警告が発せられ、警告の累積が4回になると射殺される。一定時間警告を受けなければ、その累積は消滅する。
またこの競技は強制的に徴収されるものではなく、志願者が審査の上選ばれるものであり、その点でもバトルロワイヤルと全然違う。全く違う。
ロングウォークにおいて、参加者は、ゲームで勝つという絶対的な目標がある、
ゴールという絶対的な存在に対して、にわかな友達関係や、友達どうしの上下関係などゴミのようなものである。
つまり参加者はその絶対的な対してどこまでも対等であり、孤独である。
友達が多いことには価値がなく、友だちが少ないことはマイナスでもない。競技上はそこに意味はない。
周囲の人間を殺すことは許されていないし、周囲の人間を殺すことに何のメリットもない。
殺すような奴は即刻警告を受けて退場させられるだけだ。
大事なことは「退場させられない」ことであり、「余計なことをして自分の速度を落とさないこと」である。
これが守れる範囲で自由にすることはできる。
しかし、この条件が厳しいので、いじめなどというくだらないことをやっている隙がない。
競技のルールを守る以上は、同じ競技者としてリスペクトされ、競技のルールを破る奴は、違反者として相手にされない。ただそれだけだ。
しかも、厳密かつ明確なルールと厳しいゴール条件があるとき、人は攻撃しあうのではなく、助けあう。
シビアな状況では、本来的同士のものであっても、時に助け合い、支え合うのだ。本当に争うのはゴール手前くらいである。
お互いルールを共有し、リスペクトしあっている場合、仲間でなくても人は助けあうのだ。ソッチの方が強いのだ。
もちろんロングウォークでは脱落者は出るけれど、別の受験では実際に死ぬわけじゃない。でも脱落するのは苦しいから皆頑張る。
イジメなんざ結局、明確なルールや、高めのゴールを持たない、暇を持て余したやつらの破滅願望みたいなものだろう。
イジメ以外に序列をつけるものがないんだろ? 原始人でもできるからな。力で序列決めるとか。
ようするに、イジメやってますって時点で、それは自分たちはサルと同程度の社会能力しかありませんって言ってるのと同じなんだよ。
何ひとつ明確なルールがないから、ともだちみたいな曖昧なものを無理やり旗印に掲げてしまう。
ともだちなんかマイルールの典型みたいなものだから、ともだち集団ごとのマイルールの押し付け合戦になってバトルロワイヤルになる。
子供らが考えるともだちなんて完成度が低くて脆弱な仕組みだと、クラス全体を支え切れないから、常に外部に怯えないといけないから
自分から敵を作って攻撃的になる。 なんか本当に話を聞いてても馬鹿馬鹿しい。
サルですら、序列さえ決めてしまったらあとは安定する。戦いはボスを巡る争いに限る。それすらもできない。サル以下だ。
無駄にプライドばっかり高くて、やってることはサル以下。イジメをやるってのはそういうことだ、と教師は子供に教えるべき。
まぁ教師もストレス多いのか、職場内いじめとか多そうだけどなー。派閥争いとか無駄なことやってそうだけどなー。
はい、どう考えても少しの人間だけが救われて外部の人間は救われてないですね。傲慢と卑屈が合わさって最悪ですね。
子供の浅はかな知恵で、わがままを制御して十分に機能する社会が作れるならSFはいらねーての。私にだってよく分かんねーよ。
まーでも真面目な話、進学校になればなるほど、共同体の一員であることの価値が大きくて、イジメごときでそれを台無しに仕様とは思わないし、
いじめというものが実に非生産的であることが分かるからあんまりいじめってやらないと思うんだ。
あとそもそも、ロングウォークもそうだけど、こういう「競技」に参加する人間ってたいていイジメ被経験者だから、いじめに強い嫌悪感あることが多いね。
高校に通ってもいじめやったりいじめられてるやつらってさすがにちょっと甘いんじゃないか?
タイトルと違うけど、