はてなキーワード: プラカードとは
午後4時すぎ、千駄ヶ谷区民会館を出発したデモ隊は叫びまくる。
「戦争に動員されないぞ! 」「仕事がないからって軍隊に入らないぞ!」「俺たちは人間だぞ!」
「奴隷じゃないぞ!」「モノじゃないぞ! 」「我々はワーキングプアだぞ!」「年収200万以下だぞ!」
「住むとこないぞ! 」「食うものないぞ! 」「着るものないぞ! 」「金寄越せ!」「メシ食わせろ!」
「着るもの寄越せ!」「住むとこ寄越せ!」。
デモコールを私が叫ぶと、みんなが大声で叫んでくれる。そうしてこの日のために用意したアシスタントデモコーラー、
ニート・初男(年収ゼロ円)がいきなり自作のラップを歌い出す。
「SAY-HO(生保)? 生活保護! SAY-HO(生保)? 生活保護! 同情するなら金をくれ! SAY-HO(生保)? 生活保護! 」。
みんなが手にするプラカード・横断幕には「貧者に対する攻撃を許すな!」
「だれのいうこともきかないよ」「怒」「貧」「好きな場所で寝させろ!」
「もう働かないぞ!」「反戦」「死刑執行するな!」「貧富拡大NO!」「LOHAS?糞食らえ!」
「命を商品化するな!」「YOUがCANしたいならDOしちゃいなYO」
「いらないものが多すぎる!」「米軍出ていけ!」「はたらかないぞ!」「働かせろ!」「政権交替」「戦争より恋がしたい」。
そうしてデモ隊にはためく
「フリーター全般労組」の旗や「氷河期世代ユニオン」ののぼり。赤や黒の大きな旗。
ハーゲンダッツ前では「ハーゲンダッツはガリガリ君と同じ値段にしろ!」と団交。
表参道のきらびやかさにいい加減うんざりしてくると「ルイ・ヴィトンは出ていけ! 」
もちろん「戦争反対」も随所にちりばめる。
今回デモに参加または好意的な人々の大多数が嫌韓傾向にあるだろうということは否定しないけど
でもそれだけでデモが起こってるわけじゃない
(他国に対する嫌悪感という答えで100点近くとれるのはフリーチベットのデモの時くらいじゃないか)
韓国が嫌いだからではなくて、嫌いな韓国の物がTVでごり押しされてるからデモしたんでしょ
それと
デモに賛同する人は、一度胸に手を当てて冷静に考えて欲しい
ってどういうことを言ってるの?いい表現ではないよね。
デモやネットで騒いでるやつらが、韓国に対する嫌悪感を元から無いように振る舞い、かつそれに無自覚であると言ってるように聞こえるけど
馬鹿な思い込みでしょ
デモでもネットでも韓国が嫌いっていうのはビンビン伝わってくるし平気で朝鮮人は半島に帰れとかプラカードに掲げてたじゃん。
の方が、少なくともネットにいるような連中を表すのに適している気がするよ
デモは若干その感情が表に出てないけどそれは戦略的な意味とか建前ってやつで
デモに賛同する人は、一度胸に手を当てて冷静に考えて欲しい。
なんてしたり顔で書いてるけどそんなの皆最初っから分かってやってるんだよ。
とか質問して
「いや、韓国は全然嫌いじゃないけどフジテレビのごり押しが嫌なんだ。」
なんて答えが返ってくると思うか?
大体は「チョンとウジテレビが大嫌いなんだよ」
とかだろ。
お前がデモで綺麗な建前掲げて、それを建前だと認識してない奴のことを嫌いなのは分かったけど
今回大多数はそういうやつらだよ。それに建前っていっても、「コンテンツをゴリ押すな」とかいうのは
表向きが綺麗だから掲げてるだけであって、それが本心ではないとは言い切れないからな?
もしかしたら単純にごり押しが嫌でデモに参加した人もいるかもしれない。まぁそういう人はAKBに対するデモが起こっても参加するだろう。
人数としてはごく一部だろうけど。
2011年、夏。
未曾有の災害と共に発生した史上最悪と言われる原子力発電所事故により関東以北では電力危機が生じていた。あらゆる場所で電気が足りないため、経済は縮退し失業率は上昇、被災地復興すらもままならない状況に人々は疲弊し、絶望していた。日本はもう終わコンだ、と誰もが思っていた。
E官房長官は滝のように流れる汗をぬぐいながら、よりいっそうの節電の協力を求める会見を行っていた。
飛んでくる野次。頭を下げるたびにたかれるフラッシュのせいで会見会場には熱がこもり(もちろんクーラーなど不謹慎なのでご法度である)、うだるような暑さに拍車をかけている。
彼とてこれ以上の節電が無理だということは分かっていた。停電が頻繁に発生するせいで製造業は壊滅的なダメージを受け、GDPは10%はおちこんでいた。失業率に至っては15%以上の上昇だ。物価の上昇率も著しい。
「節電してればどうにかなるのかよ! お前がどうにかしろよ!」
Eは汗を拭った。マスコミの記者の態度は日に日に悪化している。それにともなって世論も完全な逆風となり、いまや政府は転覆寸前だった。震災の直前に外務省を辞任したMの運の良さには驚きを通り越して腹立ちさえ覚える。しかもこんな時に限ってHが「放射能はシュレーディンガーの猫のようなもの、見てみるまでは存在しているかどうか分からない」などという素人にも間違いだとわかる迷言をのこしたりなどしている。後ろから味方に撃たれるとはこのことだ。
「まず一点は、首都圏における新規発電方式の、採用で、えー、ございます。本日より、首都圏の主要駅を中心に新方式の発電装置を稼働しております……」
手始めに政府はラッシュ時の駅及び電車に床発電装置を埋め込んだ。発電量は微量で実用的ではないと言われていた床発電だったが、殺人的なラッシュ時の発熱量は彼らの予想を優に越え、鉄道への電力供給を賄うことができたのだった。
人が活動するだけで電力が発生するのだ。しかもこの発電による排出物はせいぜいうんこである。なんというクリーンな発電方法だろう。
はじめは懐疑的な主張が主だった世論はこの実験によって一変し、一挙に床発電装置が首都圏一帯にばらまかれた。道路は瞬く間に敷き替えられ人が歩くだけで発電が行われるようになり、なんと10万キロワットの発電を可能にしたのである。歩くだけで発電ができるという手軽さのためかあるいは通勤ラッシュの激化に嫌気がさしている人が多かったためか、またたくまに通勤、通学は徒歩もしくは自転車に変わった。政府の発表によれば、このことによって肥満人口は27%も減少したという。
この他にも、各産業は人の活動――正確に言えば活動による圧力変化が起こりうる場所を血眼になって探し、研究開発に人材を突っ込んだ。圧、とにかく圧力変化を探せ、何でもいい。特に大きかったのは繊維から電気が取れるようになったことだ。服の伸び縮みだけでなく、その繊維を使った布で作った服を着た人が押されたり押し返したり――要するにまたラッシュである――すると発電が起きる。充電程度の電力なら服からまかなえるようになったことで、電力所からの配分は若干減少した。
この発電方式が予想外の供給を可能にしたことを受け、すべての原発は停止した。原発が停止したことにより25%程供給率が下がったが、人々は不足分を補うために一心に発電に励んだ。停電は頻発したが、それでも原発を使わないことを人々は選択したのだ。原子力発電所をすべて停止するというのはKの思いつきだった。世論もそれを求めていた。一部の識者がわかったような顔で発電所を止めると云々と述べたが、そんな言説は一捻りで闇の中に葬り去られた。
人々は自分たちの使う電力を作るために仕事をし、あえてラッシュの電車に乗り、あるいは車を捨て街を歩き回った。人の活動によって作られる電気は微々たるものではあったが、それでも彼らが活動をやめればとたんに電力不足が発生する。
だから電力を作らない人々は糾弾され、あるいは疎ましがられるのは当然の流れだった。
電気を使う一方の病人、活動量が少ない老人に対する風当たりは日に日に強くなっていたし、さらには引きこもりに対して課税処置――のちに「動かざるもの食うべからず法」として後世に名を残す悪法が満場一致で可決されて以来、彼らはただ風の前の塵の如き存在と成り下がっていった。
そして二年が過ぎた。
電力供給量改善の成果が評価されたのか、あるいは非常時に国のトップがすげ替わることを世間が求めなかったせいなのか、幸いなことにK政権は低空飛行を続ける支持率を保ったまま存続していた。その間に首脳陣が国民を「発電装置」と呼んで批判を受けたり、病床者を「発電能力を失っても生きているってのは無駄で罪です」と発言して集中砲火を浴びていたりなどしたが概ねしばらくすれば収束する程度の騒ぎだった。
それよりもっと大きな問題が立ちふさがっていた。
「自殺者十万人、過労死が二十万人を超えたことについてどうお考えですかぁ」
頭の中がさぞかし軽そうな女が無表情に近い薄ら笑いを浮かべて彼にマイクを向ける。
Eは汗を拭った。
日本経済は回復している、していたはずだった。だが、圧電装置の運用が開始して以来、過労死の件数は増える一方だった。従来の経済活動を維持しながら、圧倒的に不足している電力供給を補うための活動が必要なのだから過労死もむべなるかなである。加えて効率的な発電を行うために電車の運行時間が制限されたことにより、通勤ラッシュが激化し、三日に一度は圧死者が出ているという報告も受けている。どうって、なにがどうだと言うんだ、と腹の中で毒づきながらEは原稿の文章を噛み砕き、どうとでも取れる無難な回答を続けた。
俺だってこんなことやりたくてやっているわけじゃない、とEは思った。会見中もひっきりなしに足踏みをして会場設備のために発電をする。記者が必死でキーボードを叩いているのだって、キーボードの打鍵で発電をしているからだ。そうでもしないと電力の供給が追いつかないのだから。
新しい代替発電方式を……と頭を抱えながらEは報告資料を読んでいた。震災から二年がたつというのに眠っている時間のほうが少ないのはどういうわけだろう。すっかり頬はこけ、目は落ち窪み、このままではEも過労死するに違いない。そして足元でひっきりなしに点滅するいまいましい電力不足のパネル。
Kがあのとき原子力発電を廃止すると言いさえしなければ! あの男なやることなすことただ人気を取りたいだけなのだ。長期的な視野などあるわけがない。
くそっと彼が声を漏らしたちょうどその時、ふっとすべての電気が消えた。鼻先も見えない暗闇がEを包みこむ。
Eはあたりを見回した。停電だ。停電予報が放送される程度には停電はよくあることだが、議員宿舎での停電は初めてだった。よっぽど電力供給が足りないのだろうか。夜間だから工場の発電がないとしても10%程度の余裕があったはずではないのか。そういえば近々ストライキが起こるう可能性が高まっているという報告はうけていたが、ついに来たのだろうか。ストライキをするのはとても簡単なことだ。活動をやめればいいのだから。プラカードを持って大声を出すよりもずっと簡単にできる、消極的ストライキ。静かな抵抗。それこそがEの最も恐れている事態に他ならない。
Eの考えがまとまる前に、携帯電話が振動を始めた。きっちり五回分のコールを待って――コール五回分の振動で約一分間話すことができる――電話を取る。声を聞いてすぐに分かった。官房副長官のSだ。
「おい、停電しているぞ! 一体これはどういう事なんだ、T社から事前に周知もなかったじゃないか」
ちっと舌を打ちたいのをこらえてEは瞼を押さえた。いくらEの方が年下だとは言っても、長官はEだ。つまり彼はSの上長だ。なぜこの男はせめて丁寧語で話さないのだろうか。苛立たしい。
「いえ、私の方にも報告は――」
「どういう事なんだ!」
「T社に問い合わせてください……」
「なんだと! 俺を誰だと――!」
思わずかちんと来てしまったことは否めない。だがEも限界だったのだ。
「それがあなたの仕事でしょう! 私はT社のスポークスマンでもなければ、カスタマーセンターでもないんだ! 電力不足は官邸で起きてるんじゃない! T社で起きてるんだ!」
怒声が耳に届く前に彼は通話を終了した。携帯電話を机の上に放り出し、ベッドに潜り込む。腹の底からくつくつと笑いが漏れてくる。
彼は笑った。笑いながら眠りに落ちていった。夢は深い眠りの中に現れなかった。
初めまして。
政治学や経済学を学んだ事がない一市民からですが、昨今の政治のについて思う所がありまして。
無学ながらも書き込みをさせていただきます。
*
つまりは「政治に対する評価の作法を知りたい」と言うお話です。
物事の見方は常に多角的な側面があり、解釈も様々ならば、今の政治に対する好意的な解釈、或いは選挙結果を信じる方向の内容もあるはずですが、そちらに話が全く向かない。
私も民主党政権がろくな事をやっていない、と言う意見に賛同しますが、しかし政治家と市民というのはここまで意見が乖離する物なのか。構造的に市民と政治家の間は(語られることのない)壁があるのではないか、とも思う次第です。
政治家を批判するな、と言うわけではありません。実際に政治家は国を担保に「自分のやりたい方向のギャンブルに賽を振り続けているような」ニュースばかり。もっと見通しのある具体案が欲しい、何より具体的でなければならない。
言い換えれば国民に対するプレぜーテーションがなっていない。これは事実かと思います。
しかし私は政治家ではないので、そう思い至ってもどうしようもない。
私の勝手な思いこみですが、政治家がプレゼンテーション不足なのと同様、国民も政治家に対するプレゼンテーションが巧くいっていないとおもうのです。
双方のコミュニケーションの絶無っぷり。互いに互いを見下しているディスコミュニケーションの連鎖。
某都知事が市民のマイノリティに対して常識というマジョリティを(暴力的に)問いた時のように、「頭がおかしい」と言う一言に全てを任せるその無責任さは、双方の胸の内にあるのではないか。
というのも。
日本の政治は何故痛々しいのか?:http://www.tachibana-akira.com/2011/03/2321
エントリー中にあるブードゥー社会と言う単語。災厄が起きる度に首が据え帰られる人柱制度。と聴いて何となく思い至ったのですが。
失笑を買うであろうな、と思いながらも「今、この国は現状クーデターの真っ最中なのではないかな」と思う訳です。
国会議事堂の前には人が集まらないし、プラカードは白紙どころか存在していない。
熱狂的なクーデターとは真逆の、主張が無ければ暴力も無く、冷笑的な圧力がかかるクーデター。
まあクーデターの語彙に反すると失笑を買うかもわかりませんが。事実失政を侵した、潔白ではない権力者達は例外なく首を取られています。そんな潔白な政治がどこにあるのか、という疑問を秘めながら。
そのような、権力者達が次々と処刑されていく現状に対して、せめて何をすれば彼らは処刑されずに住んだか。
政治家に対する適切な評価軸とは何で、政治家に意見をするにふさわしい場はどこなのか。
政治の現状を知るにふさわしい場所はどこで、政治を収める場からの意見はどこにあるのか。
相手とマトモに会話する為には「相手の立ち位置」「置かれている環境」「相手自身の言葉」という三つのことが最低限必要なはずです。
せめてその三つを知りうる環境と、市民が政治家に対してプレゼンを仕掛けられる場はどこにあるのか。
そして、具体的に社会がどうなった時に政治家に感謝の意を述べるべきなのか
具体的にどういう方向を向いた時に政治家に批判の声を向けるべきか
感情的に侮蔑するのではなく、より具体的に何を、どうすればよいのか。
国民も政治家も多数の意見から成り立っているので、全て理性的にと言うわけにも行きません、決して同意できない内容もある。
しかしせめて、感情的ではない具体的な評価軸ぐらいは決めたい。
つまり
「どういう方向に向かったら私は喜んで良い」のか。
楽観視は油断と腐敗に繋がる事は重々承知した上で
状況に対する対処に「夢や希望」はなく、機械的に分析し対応し続けるのがよしとされるのも承知した上で。
どうなれば、喜ぶべきなのか。どういう局面になれば政治家を褒めるべきなのか。
それが全く見えてこない。国という物が巨大な組織である以上、政策が効力を表すには最低限一年以上が必要な筈ですが、残念なことに今が惜しい。だが民主党には変わって貰わなければならない。時間が惜しいのにまた政局が混乱する。
じゃあ、次の選挙と言うことになった時。
同じ事を繰り返さないために市民の側からできることは何なのか。
書き上がってから、随分まとまってない文章だなあと見返しながらも
Re:http://anond.hatelabo.jp/20100902013402
何となくたどり着いた先はジャスコだった。クリスマスの近いジャスコは家族連れでごった返しているが、カップルは比較的少ないように思う。カップルはもっと雑誌に載っているようなこぎれいな場所に出かけてしまうに違いない、と僕は思う。高校生のカップルが目に余るほどいちゃいちゃして通り過ぎていくのは特に気にならない。若さは取り返せないから、あちらの世界は違う世界だと認識できるのだ。同年代のつつましいカップルが一番心をかき乱す。なぜ僕ではないんだろう。なぜ、僕にはないんだろう。そういう考えが頭に浮かぶのはあまり幸せなことではない。
ぶらぶらと歩きながら適当に服を見繕う。別にどこに行く当てもないけれど、良さそうな服があったら買っておくのだ。特に趣味のない僕にとってそれはささやかな散財だった。たまには甘いものとお酒でも買おうか、ということを僕は頭の片隅で考える。
クリスマスソングが流れる店内も、店内のきらきらとした飾り付けも、売り子が張り上げる声もすべて予定調和で心地よくすらある。エスカレーターのそばには大きなツリーが飾られていて、子供がその下を走り回っている。僕は肩からずり落ちてきたマフラーを外しながらぼんやりと巨大なツリーを見上げる。
けえきいかがですかぁという間延びした声に僕はなぜかびくりとして振り返った。売り子の女の子がプラカードのようなものを持って呼び込みをしている。この時期にしかみられないサンタクロースのコスプレをした、きれいな黒い髪の毛の女の子。高校生か大学生か、多分バイトなんだろうと僕は思いながら女の子を視線から外す。別に珍しくも何ともない光景だし、あんまりじろじろ見るのもなんだか変な気がしたのだ。
「けえき」
僕が横を通り過ぎるその瞬間に彼女はすぅ、と息をすってそういった。舌足らずな甲高い、売り子特有の耳障りな声の合間に人間らしい呼吸音が聞こえたことに僕は少し驚いた。思わず振り返ってしまって、彼女と目が合う。
言葉を言いかけたところで目が合ってしまった彼女は、その先の言葉を忘れてしまったみたいに目をしばたたかせた。そして、ちょっと照れくさそうにいかがですか、と小さな声で言う。
思わず振り返ってしまった僕も照れくさくなってちょっと笑う。
あまりの決まりが悪さに僕は、ください、と小声で言った。女の子はぱぁっと誰がどう見ても作り物ではない笑顔になってありがとうございます!と元気よくいう。僕は頭の中でちらりと一人で過ごすのにケーキを買ってるなんて寂しいやつだな、と思われたらどうしようと考える。
ご家族用ですか?と彼女はいった。僕は首を振ってこっちのを二つ、とショートケーキを指して嘘をつく。長年一緒に暮らしている彼女か、もしくは結婚してしばらくたってるけどまだ子供のいない夫婦のふりをして、彼女は忙しくているからささやかなお祝いでもするんだという顔をして、僕は嘘をつく。堂々としていればそういうものは相手に伝わらないんだ、と僕は思い込むことにしている。女の子は透き通った黒い目で僕を見て、にっこりと笑った。
この子は、と僕は頭の片隅で下世話なことを考える。彼氏とかいないんだろうか。カップルであるている同年代をどう思いながらケーキを売っているんだろうか。案外気にしていないのか、気にしないようにつとめているのか。それとも単にサンタのコスプレがしたかっただけなんだろうか。思い出の一つとして。
女の子は何も言わずにフォークを二つつけてケーキをひどく大事そうに箱の中にいれた。少しでも雑に扱うと爆発でもしてしまうのではないかと危ぶむほど丁寧な動作だった。なんてことはない、明日になったらたたき売られるだけのケーキだというのに、その動作は不自然にすら思える。僕はもう一度彼女をみる。
ただ僕が消費するだけのケーキをなんでこの子はこんなに丁寧に、大事そうに扱うんだろう。テレビを見ながら感慨もなく食べるだけなのに。
お持ち帰り時間はどれくらいですかぁと相変わらずの舌足らずな口調で彼女はマニュアル通り言った。僕は何となく30分くらいです、と答えた。30分もかからずに家には着くけれど、これだけごった返していると駐車場から出るので一苦労だろう。子供たちに配るためのプレゼントをたくさん載せた車が、さながらどこかの国から出発するサンタ便のように、たくさんたくさん行列をなして出口へと向かう。その中で、僕は待つ人のいない家へ食べる人のいないケーキを運搬する一人のトナカイなのだ。プレゼントを贈る相手がいないから、サンタクロースもいらない。トナカイのえさがありさえすればいい。でもたまにはトナカイだってケーキが食べたくなったり、その贈り物を自分のものにしたくなることだってある。僕はそういう不届きなトナカイでかまわない。そんなことを考えて僕は誰にもわからないように唇を緩める。
女の子はケーキと同じように釣り銭を丁寧に数えて、その硬貨が実は純金やダイヤなのではないかと錯覚するほどそうっと僕の掌の上にお釣りをのせた。そしてぴょこりと頭を下げてありがとうございましたぁ!とやたら元気のいい声で言う。その動きがあまりにも厳かだったものだから、僕は神聖な儀式に立ち会ってしまったようなある種の居心地の悪さを感じてもぞもぞとする。腕の中のケーキも何かとても特別なもののように思えてくる。僕は何事も起きないように大事に腕の中に抱えこんで、どうもと口の中で言った。箱はたった二つの小さなケーキしか入っていないはずなのにいやに重く感じられた。役目のないトナカイになぜかとても重大なミッションが課せられたような、そんな気がしたのだ。
ひっきりなしに開閉する自動扉のむこうにはちらちらと白い雪が降り始めていた。ぼんやりと口をあけて僕は空を仰いでいたけれど、忍び込んできた冷気に思わず身を縮める。白い息が鼻からゆらゆらと立ち昇っていく。ジャスコの中のざわめきは自動扉がしまると遠くなり、再びあくとまた耳に飛び込んできて、なぜかひどくさびしい気持ちになるから僕は片手をポケットに突っ込んで、もう片方の手で大事にケーキを抱えて、歩き出そうとした。また自動扉が開いて、そしてあの女の子の声が聞こえる。振り返った僕の目に、あの女の子は映らなかった。かわりにたくさんのトナカイが子供を追いかけたり、疲れた顔をしてベンチに座り込んでいたり、なぜかピリピリとした顔をして怒っているのが見えた。僕は少し笑った。クリスマスのジャスコにはトナカイがたくさんいる。そして、贈り物を待つ子供のために疲れたり悩んだり怒ったりしている。時間も体力もないトナカイのためにジャスコは今日も開いている。
雪はもう静かに積もり始めている。
※この話はフィクションです。実在の人物、団体、企業とは一切関係ありません。
※くそあついのに冬の話かよという苦情は受け付けておりません。
現時点において処女厨に相手が見つかるのかって話だと思うけどな。
女性観だからそれはそれでいいと思うんだよ。
で、今ここで社会的な制度がどうのとか意識改革がどうのとか色々言ったところで、所詮妄想でしかない。
もしそれが実現できたとして、それが成る頃の年を考えれば結局現時点の処女厨の相手は見つからないだろうし。
今何ができて、何か変えることができるのか、処女厨に相手が見つかるのかってことだよな。
「処女募集。結婚前提にお付き合いお願いします。結婚前に膜破ったら絶対に責任とります」
それとも好みの女の子見つけたら
「処女ですか? もしそうなら結婚前提にお付き合いしてもらえませんか? 結婚前に膜破ったら絶対に責任とりますから」
って声かけまくる?
結局のところ
「可愛くて性格が良くてスタイルよくて一途な処女が自分に惚れてくれる」
っていう最大の願望が前提だからなぁ。
http://www.youtube.com/v/lWa2_9kXhIE
「在日特権を許さない市民の会」の人が
とかいってる。
漢字間違いとか変なのが多いと思ったらそういうことかよ
生命保険は基本は「意図的に死ぬ」ことはしないことが前提なので、自殺で生命保険をもらおうとするのはフェアじゃない。
フェアなやり方は自分が死ぬことで誰かの役に立つことだ。
その報酬として金をもらえばよい。
(方法としてどうか、という問題はあるが)自爆テロの場合は遺族にいくらかの報酬が渡るケースもあるだろうと思う。
あるいは、なんらかの主張を表現するために公衆の面前で死ぬことが効果的である場合もあるだろう。
中国にいってチベットの独立を主張するプラカードを持って焼死するとか。
お金持っている人のために死ぬのがいい。
これから収賄がバレそうな企業に自殺役として雇ってもらうとか。
理想は自衛隊に入って、戦争で死ぬことだ。これは社会的な負い目がないどころか英雄視される。
問題は戦争がなかなか起こらない点。
YouTubeでさ、地域の設定を変えるとMostViewedの動画ももちろん変わるから、いろいろ変えて面白がってて、
あぁ色んな地域でそれぞれ話題になってるものが違うんだなって当たり前のことを思ってたわけ。
で、設定を香港にしたときの現在MostViewedのうちの一つがこれ。
http://www.youtube.com/watch?v=8NBOGpO-X6s
見てもらえれば、言葉わかんなくてもなんとなくわかるんだけど(詳しく知ってる人いたら教えて下さい)
香港の行政長官、曽蔭権(香港のトップ)の一昨日の議会での発言が話題になってて、
こいつはいつも蝶ネクタイつけてるから、「Bow-Tie」なんて言われてるみたいなんだけど
で、議会で野党が「Bow Tie Keep Your Election Promise」っていうプラカードを掲げて
要は、「公約守れ」ってアピールしてたわけ。
で、そのプラカードを見た曽蔭権が得意気に「三単元のSが付いてないよ」って檀上で指摘したのよ。
で、もちろんこれは命令形だから三単元のSなんか必要なくてさ、
香港のトップが中学生でもわかる文法もわかんないのかっていうことはもちろん
そもそもの文が正しいのかどうかみたいなことさえ議論になってる。
なんていうか、どっかの国で見たような気がする光景だよね。
政治のトップのアホらしさと、それをちまちま話題にするアホらしさ。
まぁ逆に「場所は違えど、にんげんってこんなもん」感がして楽しいんだけどね。
暇だったらそういうYouTubeの遊び方もあるよねってことで。
主催者でもあり、デモの実質的な指揮官でもあられた桜井さんの演説が印象に残つた。
「もはや外国人参政権がどれほど危険かなんて今さら説明する必要ない」とし、「このデモはもはや我々のためのデモであり、民主党政権になつたからには、このまま座して死を待つのか、或いは民主主義を放棄してでも国を守るかの二者択一しかない」と断言された。
更に日本人はおとなしいから舐められるとする常日頃の教訓から、「こちらからは手を出さないが、やられたらやり返せ!徹底的に取り囲んでボコボコせよ」と厳命された。
これに則り、私は不貞支那人・朝鮮人、もしくはサヨクだか分らぬ男が「排外主義です」がごときプラカードを掲げた後、デモ隊を襲わんとした際、乱闘に参加し、歩行補助用に持つてゐた元陸軍中尉の祖父が使つてゐた杖で体を二発叩き、更には頭を上から二発撃ちつけた。私の祖父は存命中であるが、何やら祖父による抗議も代行してゐるような錯覚に陥つた。
この殊勲は永遠に私の記憶の中に留めておく。YouTubeでも、一部杖で叩く私が杖のみで放映された。
他の人もその男を殴つてゐたが、私のダメージはかなり効果大と思はれる。
その後分かつたことだが、この男は哀れにも警官に保護された後、逃走したらしい。
さて、このデモは大きな転換点であつた。
それは、一般人に訴へかけるのではなく、我々愛国者たちによる真摯なる怒りを表すためのデモにシフトした。
マスゴミが報道しないのはもはや周知の通りだ。これだけの規模のデモを取材しないのだ。
いや、仮に取り上げたとして、どんなデモ内容をすれば外国人参政権反対デモをマスゴミが好意的に扱ふといふのだ。あらゆる印象操作をして貶めてくるのが関の山だ。
ならば、もはやこちらとしては徹底的に戦闘的になるのが最善である。
いまだに味方の中にも事なかれ主義的な連中が存在するが、気持ちは非常にわかる。だが、今はもはや戦闘的が最善であり、徹底的に抗議すること、手段を選ぶような時期ではないこと、今から一般人を取り込んでも時間がないことを考へねばならない。
この、行動する保守運動で感じたこと、それは私が前々から感じてたことが確信へと変はつた時でもあつた。
私は以前より、民主党支持に凝り固まる人間や、話を聞かずに調べもせず自分が正しいと思ひこみ民主党政権を望む連中を「愚民」と断じてきた。
本当に毎回言ふが、少し考へれば、民主党政権などあり得ないことなどすぐにわかる話だ。
それすらできずに民主党になんとなくで投票する。そしてデモで持つてもまるで事なかれ主義だ。
誰かは「このような状況下では選民意識が生まれても全く不思議ではない」と。
いや、もはや今は私は敢へて断言して言ふ。もはや御託は一切いらない。
「我々は選民である」と。衆愚政治に堕ち、あまつさへ国歌を破滅させんとする政党が政権を取るがごとき茶番劇を愛国者の誰が容認するのだ?
私の偉大なる同志である村田さんは民団新聞にて、民団が民主党政権になつた途端反狂乱状態で喜んださうだ。こんなことを指を銜へて待てとでも言ふつもりか。
桜井さんは演説中、「将来、外国人参政権法案が可決された時、我々は決戦の行動を呼びかける。そしてその時に動けるか動けないかであなた方の実績に影響する。駆け付けられるかどうかにかゝつてゐる」とも仰つた。
つまり、例へその日、嵐が来ようと槍が降らうと、会社を左右する会議があろうと、新型インフルエンザに感染しようと、家族の葬儀があらうとも駆けつけねばならないといふことを意味するのかもしれない。私も大学の講義を休むわけにはいかないが、この日だけは無理にでも予定を開けなければならないかもしれない。
つまり、議事堂前に集合し、議事堂内の乱入も含む実力行使が必要であるといふことだ。
所詮悪意でしか報道しないのだから、思いつきり暴れるべきだ。
一般人へのイメージではなく、それだけ怒つてゐる人間がゐるといふことを見せつけなければならない。
****************************************
パキスタン治安部隊は16日、スワット渓谷のタリバン指導者シェル・ムハマンド・クァサアルを拘束したと発表した。戦闘中に負傷した彼を拘束したもので、息子3人は戦闘で死亡した。クァサアルには懸賞金が12万ドルかかっていたほどの最高幹部の一人。
すでにタリバン広報担当幹部のムスリム・カーンとマームード・カーンを逮捕しており、最高幹部3人を拘束したことになる。スワット渓谷はパキスタン北方に位置し、タリバンが隠れ家として思う存分に利用してきた。パキスタンは米国の圧力に根負けしたかのようにスワット渓谷の制圧を決め、五月からの戦闘で18000名のタリバン兵士を殺害、付近への難民は180万人という。
兵力を北方に集中した結果、こんどはパキスタンの南方の治安が乱れる。カラチでは銀行強盗と財閥の誘拐が頻発、タリバンの仕業か、タリバンを語るギャングどもの仕業か、詳細は不明である。ただしカラチはもともと治安が最悪にちかく、ここから西のグァイダール港へ向かうハイウェイは路上強盗や誘拐犯が狙っている。中国人エンジニアも誘拐され、参人が殺害されたことがある。
さて米国では保守派ばかりか、民主党内部からもアフガニスタン戦争のオバマ路線に反対の声があがっている。皮肉なことに与党ではなく、野党=共和党の大半がアフガニスタンへの増派に賛成している。オバマのアフガニスタン戦争は、野党が支持し、与党がまもなく反対へまわり、政党政治の観点から言えばおかしな構造になる。
「勝利すること以外、米国の安全保障にとって破局をもたらす」とネオ・コンが叫んでいるが、共和党のジョン・マケイン、リンゼイ・グラハム、無所属のジョセフ・リーバーマンも連名で『ウォールストリート・ジャーナル』(9月14日付け)に寄稿し「勝利はあり得ない」と主張した。付帯条件は「決定的な圧勝をおさめる以外に米国の安全を確立する道はないのであり、そのために早急に増派せよ」だ。
レビン(民主党)も増派賛成派だが、訓練要員を大幅に増やしてアフガニスタン自前の軍と警察を増強せよ」という主旨である。一般世論は57%が増派に反対(CNN)、ワシントンポストとABCの世論調査(15日)は五分の一前後しか、増派に賛成していないことが分かった。
テロリスト撲滅戦争の大儀を賛成しているのは50%を切っており、下院議会の内密の事前調査では議員の13%しか賛成していないという驚くべき数字もでた。ペロシ下院議長はこの数字の公表を躊躇っているという。
流れが変わっている。オバマ政権の支持基盤の下院民主党もリベラルなマスコミも増派に反対し、「四十年前のリンドン・B・ジョンソン大統領の失敗を繰り返すのか」と詰め寄る。
オバマ支持率はマスコミの嘘放送を別にして、実際には28%前後。アフガンだけではない。「オバマケア」と俗称される健保プランに対してワシントンでは反対集会に数十万者人が集まった。アメリカ人の大半の関心はこちらの方だ。NOBAMAのプラカードも林立した。
「OBAMAのヘルスケア=ヒトラー+スターリン+カストロ+レーニン+ダースベイダー+フランケンシュタイン等々」。
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
通巻第2718号
っていうかネタバレしかありません。
いきなりラストシーンから引用したりするので未読の人は気をつけてください。
※ ※ ※
・今日の虐殺(2) - 伊藤計劃:第弐位相 http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20070710/p1
エピローグで主人公はあることについて大嘘をついているかもしれなくて、事実はどうなのか、は一応それまでに触れられているかもしれない、
わかりました。わかりましたよ。
「大嘘」というのは、
ぼくは罪を背負うことにした。ぼくは自分を罰することにした。世界にとって危険な、アメリカという火種を虐殺の坩堝に放りこむことにした。アメリカ以外のすべての国を救うために、歯を噛んで、同胞国民をホッブス的な混沌に突き落とすことにした。
とても辛い決断だ。だが、ぼくはその決断を背負おうと思う。ジョン・ポールがアメリカ以外の命を背負おうと決めたように。(p.281)
で、「事実」というのは、
「そのジョン、って人は、終末に惹かれているように聞こえるね」
ぼくは言って、ジョン・ポールの好んだ風景を想像しようとする。ひたすら屍体の山を築き上げながら世界を移動するこの男が好んだ、廃墟の物語。
ジョン・ポールが夢見ているのは、そんな廃墟と化した地球の姿なのだろうか。無人の宇宙ステーションとして太陽の周りをぐるぐる回り続ける、宇宙船地球号。異星人が立ち寄って、かつてここに文明があった痕跡を認めるも、その主人はすべて死に絶えて、ただ整然とした建築だけが地上に突き出ている。(p.99)
ジョン・ポールはサラエボのクレーターの縁に立った。そこで妻と子供を失ったこの男がどのような感情に襲われたのかは、当然ながら記録からは想像するしかない。しかし、とぼくは思った。自分が魅かれていた小説の風景が、そこに現前しているのを見たとき、人はなにを思うのだろうか。(p.108)
ぼくは、その光景を想像して、不思議な安らぎに包まれている自分に気がついた。
それは、ぼくが見る死者の国の夢と、そう変わらない風景だったからだ。(p.100)
です。たぶん。
※ ※ ※
281ページでグダグダ語っているのは“プラカード”にすぎません。
・さすらいびととして死ぬこと http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20060124/p1
最後に映し出される在りし日のWTCを以て、ブッシュ批判をすることだろうか。帝国主義を告発することだろうか。
もちろん、そうであってもいい。けれど、そういうことはラストシーンを見ればわかることだ。そういうのは、いわばプラカードみたいなもので、誰にでもわかるように大きな字で書かれているものだ。多くの人は「そうだろうな」とあらかじめ自分の中にあった同じ結論と同じテーマを再確認するだけだろうし、そうでないひとびとは、抑止力としての暴力を信奉し続けるひとびとは、まったく意見を変えることなく反発するだけだろう。
主人公クラヴィス・シェパードは、ただ夢で見た“死者の国”をアメリカに現出させたいだけなのです。
・「ゾディアック」 http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20070702/p1
ある物事を主人公たちに見せつけることそのものを目的とし、その見せ付ける過程が映画になってゆく、そんな悪役を「世界精神型」と呼ぶ。
そのわかりやすい例はというと、やはり「パトレイバー」シリーズの帆場と柘植だろう。帆場は或る「風景」を見せつけ、しかる後に別の風景を現出させる「東京に対する悪意そのもの」だ。帆場は映画における憎悪として純化された階梯へステップアップすべく、映画冒頭で自殺し、キャラクターであることすらやめてしまう。
「2」の柘植もまた、世界精神型の敵役だ。よく柘植の目的を「平和ボケした日本に『普通の国になれ』と目を覚まさせるために」なんておポンチな勘違いをしている人がいるけれども、それはぜんぜん違う(まあ、普通に映画見てればわかるようなもんだけどね)。柘植の目的は、劇中でも語られている。東京という空間に戦争という時間を現出させること。都市を舞台に戦争を演出することだ。人々の前に、日常とは異なる時間を描き出すこと。それこそが目的なのだ。それをすることで政治的にどうこう、とか国民意識を変えよう、とかヘボいレベルに柘植はコミットしない。それは演出家では無いからだ。
世界に認識の変革を迫るヴィジョンを演出することで、ある事物の本質を抉り出すことそのものを目的とし、どんな現世利益的な欲も動機や目的にはしない、そんな悪役。世界を支配するのでもなく、政治的な目標を達成するのでもなく、金をもうけるのでもなく、ただある世界観を「われわれ」の世界観に暴力的に上書きする時間を演出する、それだけを目的とした悪役たち。それが「世界精神(ヴェルト・ガイスト)型」の悪役(というか、敵役、と言ったほうがいいのかもね)だ。
・ダークナイトの奇跡 http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20080723
この映画のジョーカーは悪意そのもの、人間の心理のどぶ底を浚ってくるクズ拾いのような世界精神(ヴェルト・ガイスト)型ヴィラン、金や権力など目もくれず、ある世界に人々を誘うことそれ自体を目的とするタイプの観念型悪役、すなわち、
の系譜に連なり、その中でもジョーカーは、上記の存在がどちらかといえば「社会」そのものをターゲットにしているのに比べ、心理の集合体、個の集合体としての世界を抉り、新たな世界観を観客に見せつけるどぶ底の狂言回しとして描かれている。
シェパードの感じた安らぎは終末の安らぎです。
・宇宙戦争 http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20050701/p1
「A.I」で人類滅亡の唄を描いたスピルバーグは、この映画で再び終末を描く。通信が途絶し、軍隊は通り過ぎてゆく。外界と遮断され、地下室に閉じこもったまま、外の世界を知る術はない。見事なまでに終末SFの王道っぷりだ。世界が「寂しく」なってゆくこと。世界からさまざまな要素が抜き取られ、閑散とし、やがて風の音のみが唄う風景がやってくるだろう。そんな終末への憧れを、スピルバーグは怪獣映画として描く。
人がゴミのように死んでいくなか、世界は寂しくなっていく。怪獣が世界を蹂躙し、我々は反撃の機会すらロクに与えられず、ただただ暴力の羅列を観ているしかない。そして、世界が終わる。
終末は、個人の視線から世界の断絶として描かれる時にのみ、それ独特の感動を生み出すのだ ──「ターミネーター」で、嵐が来るというガソリンスタンドの主人の言葉に答えを返すサラ・コナーの表情を観ていてなお、反撃する人類や大統領や活躍する軍隊を、カタルシスを描け、と阿呆のように要求する者は、終末の喜びを理解せぬ者たちだ。個人の視線から世界の終りが描かれることの喜びを、冷戦が終わってから久しく忘れていたこの感動を、「宇宙戦争」はひさびさに味わわせてくれる。世界が終わることの安らぎを。
※ ※ ※
『虐殺器官』は、主人公が自分の夢を実現させる手段を手に入れて家に引き篭もるというお話なのでした。
こう書くと“ボンクラ”っぽいですが、まあ事実ボンクラですよね。作中で男友達とジャンクフード食いながら「プライベート・ライアン」をリピートして見てたりして。
あと、帆場/柘植/ジョーカーが自分のヴィジョンを実現させる手段を自力で調達していたのに対し、シェパードは他人からタナボタ式に譲り受けただけ、というのもヘタレっぽいというか。
ボンクラ少年がボーイ・ミーツ・ガールして世界に直結するセカイ系と似たようなもんで、ボンクラ特殊部隊員がボーイ・ミーツ・デウスエクスマキナで世界に直結ですよ。
※ ※ ※
ところで、ジョン・ポールを巡るドラマはいかにも“弱い”ものです。
彼の理屈は、第一部に登場した“標的A”の理屈とほとんど同じです。
「虐殺だと。われわれの平和への願いをそのような言葉で冒涜するのか。これは、われわれ政府と国民に対する卑劣なテロリズムとの戦いなのだ。」(p.43)
ようするに、“彼ら”がいると“われわれ”に危害を加えてくるかもしれないから根絶やしにしましょう、平和のために、と。テンプレート通りの虐殺指導者ということです。
補足ですが、「決断を背負おう」だの「アメリカ以外の命を背負おう」だのも含めてテンプレです。
・http://d.hatena.ne.jp/flurry/18000920
「イェルサレムのアイヒマン」においてハンナ・アーレントは、ナチスの処刑者たちが自らの恐るべき行為に耐えた方法を正確に説明した。彼らのほとんどは全然邪悪ではなかった。彼らは自らの行動が犠牲者に屈辱や苦しみや死をもたらすことを知っていた。この苦境に対する彼らの逃げ道はこうであった。
「『私は人々になんと恐ろしいことを行ったのだろう!』と言う代わりに、殺人者たちはこのように言うことが出来た。『職務を果たすときに、なんという恐るべきものを私は目撃しなければならないのだろう! 私の肩に背負われた務めの、なんと重大なことよ!』」
このようにして彼らは、誘惑に抵抗するためのロジックを反転することができた。彼らの「倫理的」な努力は「殺さず、拷問せず、恥をかかせないという誘惑」への抵抗に向けられたのだ。こうして、哀れみや同情という自然な倫理的衝動に背くという、まさしくその行為こそが、倫理的に崇高であることを証明するものとなってしまった。職務を果たすことは、誰かに危害を加えるという重荷を引き受けることを意味したのだ。
こういうテンプレ発言に対しては作中でシェパードやウィリアムズがツッコミをいれていたのですが、ジョン・ポールに対してはなんのツッコミも入りませんでした。いわばボケっぱなしの状態なわけでして、ここは読者が「おなじかよ!」と突っ込むところです。
どんな戦場でも、どんな悲惨でも、同じような人間が同じようなことを言う。コメディ番組みたいだ、とウィリアムズはぞっとするほど朗らかな声で笑った。繰り返しはギャグの基本だからな、とつけ加える。(p.209)
・ぼくとあなたはちがうということ http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20060211
要するに、人が一人一人ちがうものだということをすかっと忘れて「アメリカ人」とか「朝鮮人」とか「アラブ人」とか「中国人」という民族と国家の(が大体の場合雑にいっしょくたになった)ラベルでしか人間を観ていないからです。
小説のラストで主人公までもが繰り返しギャグに参加しやがった……と思いきやそれは“大嘘”だったというのはすごくいいですね。
作中で虐殺されていった人たちのドラマには触れず、アメリカ人の死だけに寄り添う。「被害者のなかに日本人はいませんでした」と添えるニュースのような居心地の悪さ。人は見たいものしか見ない。
そしてこのことは織り込み済みだったと思われます。
・http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20050130#c1107181793
それは私が安手のスパイ小説やアメリカ製の戦争アクション映画で思春期を過ごしたからです。私は歴史そのもの、政治そのものを扱いたいというよりは、関心のあるフィクション群を相互にリンクさせその関係性を説明するツール、としての世界や歴史に関心があるんだと思います
・プライベート・ライアン http://web.archive.org/web/20070307060600/www33.ocn.ne.jp/~projectitoh/cinematrix/roadshow_12.html
この映画の、センチメンタルな物語的部分を「この映画の弱点」だとする人がいる。
ニューズウィークや文春などの映画評をみても、この「物語的」部分には納得しかねる人は多いようだ。確かに、そのような場面で泣いている観客もいたし、そうしたセンチメンタリズムを、これまでのスピルバーグ作品の文脈で解釈しているような貧弱な感性では、確かにそうした拒否反応がでるのも当然だ。
だが、いやしくも映画を評論するものなら、その「物語」の弱さをここぞとばかりに非難するのではなく、逆に怪しむべきだ。
この映画の物語は、きちんと体裁の整った、泣こうと思えば泣けるセンチメンタリズムを内包したものだ。
しかし、あの戦闘シーンの、凄絶という言葉ではとても語り尽くせない臨場感の前には、あまりに弱い。
だが、私はふと思った……スピルバーグは、物語を「弱い」ものとしてあえて導入しなければならなかったのではないか、と。
物語がいかに「容赦のない映像」の前に無力であり、白々しいものであるか。それを指し示す為に、あえて無力な物語を導入したのではないか。スピルバーグ自身がそう考えているかどうかは知らないが、少なくとも、この映画の「物語」は、私の中で「映像」の鮮烈さを、暴力性を、補強する対比の機能を果たした。
それは私の中で「弱点」ではなかった。
オマハ・ビーチの映像を前に、物語の無力さを徹底して暴き出す、演出装置のように見えた。
あの映像の前に物語はいかにも無力だ・・・物語はなにも「語れ」はしない。ただ、見えるものの凄絶さ、映像的な描写のみが、観客に何かを「語り得る」、その事を伝える為の「無力な物語」なのではないか。
あなたはこの結末に耐えられるか?
と書いたようですが、私としてはまったく逆で、あの結末でなかったら耐えられなかったと思います。冒頭のオマハ・ビーチのない「プライベート・ライアン」みたいなものですからね(それと最後のアレがない「未来世紀ブラジル」)。
※ ※ ※
『虐殺器官』は、世界(スターバックスとドミノピザの世界)が塗り替えられはじめるところで終わります。世界が変わってしまう予感に満ちたシーン。
これに対応するのは、劇パト1の自衛隊レイバー暴走/劇パト2のベイブリッジ爆破/ダークナイトのマフィア会合にあらわれたジョーカー、といったところでしょうか。
いわば『虐殺器官』とは、帆場が飛び降りる場面/柘植が東南アジアで闘う場面/ジョーカーが銀行強盗をする場面、を延々と描写した小説なのです(編集の都合上、帆場の来歴をたどるシーンもあったりしますが)。
シートン先生があんまり行政側の人を口汚く罵るのが見ていられないくらいだったので、ひょっとしたら、保育園側を不利にするためのネガティブキャンペーンをやっているのかと思った。
もちろん、書いてある事に何一つ説得力が無いというわけではないけど、もう少し冷静に話してみてはどうか。中立派の人が引く。
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20081016/1224147448
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20081017/1224232724
http://anond.hatelabo.jp/20081017225836
こういう風に書かれるとなるほどなとも思う。
「執行停止の申し立て」というのは、手続が進行による重大な損害を避けるための緊急の必要がある場合にのみ認められる仮の救済手段である。保育園がこの決定を得ることができれば、大阪府は手続を先にすすめられない。大阪府はこの決定を待たずに代執行することで既成事実を作って、訴訟の間も先の手続を止められないようにしたのだ。手続さえ止まらなければ、大阪府は訴訟の間にすっかり道路を作ってしまうことができる。
こういう話も出てきてる。
一方、同保育園の松本剛一理事は「代執行の反対運動に園が園児を動員した事実は一切ないし、むしろ子どもにはショックを与えたくないので、畑がなくなると知らせることも避けてきた。子どもの涙を利用したと取られるのは心外だ」と話している。16日の行政代執行では、祖母に連れられて通園途中に畑に立ち寄った園児が1人いたが、5分ほどいただけで祖母がすぐに保育園に送ったという。
http://www.asahi.com/politics/update/1017/OSK200810170027.html
え、マジでそうなの?と、http://sankei.jp.msn.com/politics/local/081016/lcl0810161139000-n1.htm の写真を見直して見ると、確かに、子供は一人しかいない。プラカードは事前に園児が書かせていたのでは?という指摘もあったが、よく見てみると、大丈夫。写真で確認できる範囲には、思想がかった気持ち悪いプラカードしかない。子供は作っていなさそうだ。
だが、保育園側の頑なな姿勢も見える。
府都市整備部用地室によれば、府側は08年5月??8月にかけて行政代執行の通告書を持参して直接交渉したが、受け入れられなかったという。府側は保育園の芋掘り行事があることも認識しており、「芋を掘ってくださいと何度もお願いした」。10月11日??13日の3連休に芋掘りをしたらどうか、といった提案もしていたが、断られたという。さらに10月16日の代執行の途中で、保育園の弁護士からの「園児に芋を掘らして欲しい」という要請も受け入れたが、松本理事に最終的に拒絶された、という。
園長の言い分も興味深い。
松本理事はJ-CASTニュースに対し、
「子どもを楯にしているという批判もあるようだが、園児を動員したという事実はない。子どもにはショックだろうということで保育園にいてもらった。映像に映った子どもは(保育園に)向かっている途中に、保護者が『何事か』と立ち寄り、その保護者が子どもを連れていたということ」
と説明する。また、行政代執行の途中での芋掘りの提案を断った理由については、「他の畑が踏み荒らされ、職員が100人近くいるなかで、園児が楽しい気持ちで芋掘りできない」と説明している。
『園児が楽しい気持ちで芋掘りできない』そこまで子供の事を考える園長が、何故もっと違った形で園児に芋掘りさせてあげる方法を考えられなかったのか。それは少し気にかかるが、強制代執行を目の当たりにした園児が一人だけだったというのは少しほっとした。
裁決が今年の3月11日で、4月10日に執行停止申立で、10月16日に代執行。わたしは裁決は2007年の3月の書きまちがいかと思いました。これでは行政訴訟の制度そのものを無視している、おかみのすることには逆らうな、といっているのとおなじ、ではないでしょうか。
橋下君の掘った芋は890億円
行政側と保育園側の話はどこまでもすれ違っていて、今後もこじれていきそうだ。これだけすれ違ってるから今回のような事になったんだなと納得したので、もうこの記事を追うのは止めた。
興味深いのでもう少し追う。
「そんな問題じゃない」という人たちよ、だが待って欲しい。そんな問題じゃないかもしれないけれど気になることがあるんだ。
大阪府の目的は「道路工事をしたい」だった。だから道路を作るための手続きをひたすら取った。
工事をするために前もって回避できる障害は何か。「4月に土地は取得できたが、芋が植えられている」
だから立ち退くよう説得を続けた。説得が実らなかったので強制的に排除した。
幼稚園の目的は「子供に芋を掘らせたい」だった。だから子供に芋を掘らせるためにありとあらゆることをした。した?
芋を掘るために前もって回避できる障害は何か。「土地がすでに府の物なので収穫できる保証が無い」
だから・・・ だから幼稚園は何をしたの?
別の畑に芋を植えればよかった。
「子供に芋を掘らせたい」という目的に対する障害はそれで全部消えたはず。
なぜ収穫できる保証が無い畑に植えて抵抗する道を選んだのか。
その道は子供が芋を確実に掘れる保障がなかったのに。
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20081016/1224161426
彼らがこの記事を読んでブクマする過程で、「登園前の園児も立ち寄っていた」という記述はスルーされ、「保育園側の大人たちが子供をつれてきた」ことになってしまったらしい。まさしく、人間の認識が客観を規定したのだ。
哲学の話は興味深かった。
だけど、園児はそういう場所に幼稚園に行く前に自分では立ち寄れないだろ。どう見ても親が連れて行ってるだろ。
「人間の認識が客観を規定したのだ。」って結論は無理じゃないの?
いや、保育園側の大人たちが子供をつれてきた以外に園児がどうやって来たのか、考えを聞かせて。
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/081016/lcl0810161139000-n1.htm
マスコミが、ニュースを見る人の事実認識を最大限にゆがめようとしているように見えるよ。
マスコミは自分が見せたいものだけを見せようとする。
それだけの話だと思うけど。
元増田です。
正直言ってあの駄文が何処の誰のどんな心の琴線に触れたかわからないので、
各々の求めている内容を追記することが出来ないとだけ断っておきたい。
で。
ブコメやら周囲の反応やらを見ているとどうやら俺のクズ発言に怒りを覚えている人が居るようだ。
あえて乱暴な言い方を使ったがそこをまず最初にフォローしておこうと思う。
俺は決して肉体労働者がクズだ底辺だとは一言も言っていない。
体が健康で運動が性に合っている人間が、体を動かすことで報酬を得るのに問題があるとは思っていない。
だから大工などの例を出した。アレが正社員かどうかの個々のケースは知らないが。
俺は日雇い派遣会社に毎日入り浸り、環境のせいにして向上心を持たず、事務所の床で寝るような輩をクズだと称したのだ。
正直誰に向けて書いたわけでもないし、まともな内容の文章だと自分でもあまり思わなかったので、
そういう所まで気にかけないと増田に文章も書けないのかと若干引いた。これは別の話か。
この際なるべく詳細に思い出して書いてみる。
まだあるかどうかは知らない。興味もない。どちらも大手ではない。
色々覚えているのは片方だけなので、その片方の会社でのことを書く。
これは主にそこで親しくなった社員から聞いた話だ。
その会社は、オーナー社長が居るとだけ聞いていた。見たことはない。
ただ、「今日来るらしい」の一言が社員間で流れただけで全員が部屋の掃除を始めるほど恐れられていた。
思えば土地柄ヤクザがらみだったのかもしれない。
そして正社員は5人程度と聞いた。三ヶ月間フルでいた頃はローテーションは四人だった気がするが。
その正社員は、正社員と良いながら実質半分社員、半分派遣のようなものらしく、
たまに現場に出ないと収入が低いとぼやいていた。
つまり日勤(事務所で電話受け、新規面接など)より現場の方が給与が高かったのだろう。
女性は一人いた。高校を退学したとか言う話だったが詳しくは知らない。
実質、事務所に寝泊まりする輩の母親みたいなものだった。奇妙な共同体だと最初は思ったものだ。
その事務所には月当たりで50人から200人が登録(面接)に来ると言っていた。
大半は学生のため、月や季節でばらつきがあったようだ。
だが暇な主婦や、失業したサラリーマンなどもそれなりにいた気がする。
それらの内、最初の一週間で二度と来ないのが半分程度
半年までで辞めるのが3割程度、
半年以上続けるのが1割、
そして何があろうと居座るのが1割だと聞いた。
ちなみに会社に泊まるような奴は数ヶ月に一人くらい増える、とその社員は笑っていた。
俺が三ヶ月フルに居座っていた間、常に寝泊まりしていたのは数人だった。
週の半分くらい事務所の床で寝るのが10人はいた気がする。
その頃はネカフェ難民などという言葉はまだ発明されていなかったから
ネットカフェに常に泊まっている奴らがいたかどうかはわからない。
フラフラしているが故に
「今日はあいつはどこ泊まってるのか分からない、明日の現場に必要なのに捕まらない」
なんて事もよく聞いた。
仕事内容は前回書いたものが主だった。
真夏の道路の通行量計測、
だが比較的そういったダルくない仕事は大手(グッドウィルなど)が取っていき、
俺の属していた事務所は汚れ仕事などが多く来ているような気がした。
また、現場では「今日は○○から来たと言うことにしてくれ」という通達が出ることがあった。
足りなかった数合わせで緊急の仕事だと、そんなことも多かった。いわゆる数あわせだ。
当時そこに疑問を持つ人間は誰もいなかった。恐ろしい話だ。
勤務が終了して根城たる事務所に帰ってきた人間が、すぐに次の空いている仕事に入る言葉だ。
もちろん、普通の学生アルバイトや主婦、サラリーマンの小遣い稼ぎ目的などの人間は絶対にやらないキツい勤務だ。
彼らは金のためなら己を酷使することを厭わなかった。
彼らは金のためにキツい仕事をこなしていた。
彼らは金のために生きていた。そしてその金は浪費するためだけにあった。
色々書いてみたが、俺がクズだと言ったのは本当にごく限られた輩のことだ。
また、上の何割という数字が事実かどうかは知らないが体感では確かにそんな所だった。
そしてクズとまでは行かなくとも派遣から抜けられないで苦しんでいる輩も多かった。
目的があって短期派遣の仕事をする奴は別にクズでも何でもない。
ついでに言うと俺のことを気にする人が多少居たようだが、
彼らが俺の言うクズかどうか気になるのであれば、ともに一ヶ月でも働いてみればいい。
クズかクズでないかは結局主観の問題な気がするので、自分の目で確かめてくれ。
俺はこの目で見てクズだと思ったのだ。
環境が彼らを悪にしたのだ、と俺以上の上から目線で彼らを擁護するのもいいだろう。
彼らが無計画な理由を置かれた境遇とともに妄想してやるのも良いだろう。
確かに環境は悪かった。決して良いとは言えなかった。
仕事内容はキツいものが多かったし、給与も決して高くはなかった。
だが断わることも出来るし、都の最低賃金を割っているわけでもなかった。
そして日雇い派遣を経験した人間が皆クズで無計画かどうか想像してみればいい。
そうでない人間と、そういう人間と、それらの差はどこにあるのか。
そもそも仕事内容それ自体は日雇い派遣でなくとも見つかるものばかりだ。
土建屋、内装屋、引っ越し屋、倉庫作業、イベント設営、etc.
「君たちは何で派遣なの?ウチの会社に来れば、バイトでも給料倍なのに」と。
問題がどこにあるかなんて安易なことは言えないのは分かっているが、
だからといってクズを野放しにして良いとは思えない。
彼らに必要なのはステータスともう少しの収入だ。
仕事内容に文句を言う奴らはそもそも日雇い派遣など選択肢に入れない。
彼らは愚かだったし、悪しき環境にいるおかげで普通の人間も次第に汚染されていくのは
変えようもない事実だった。
今でさえ、あの頃自分がどれだけDQNな環境にいたのかと恐ろしくなる。
俺は幸い犯罪には手を染めなかったが、彼らが行う犯罪や非社会的行為を止めることをしなかった。
そこは等しく俺も悪い。
だからこそ、彼らがこれ以上クズにならないような社会を望んでいる。
自分がそこを経験したが故に。
俺みたいな人間からクズ呼ばわりされないだけの社会が必要なんじゃないのか。
前回最後にかすかに書いた、
・雇用の枠の流動化
・日雇い派遣の公営化
は現実的な手段として作用しないだろうか。
解雇しやすくなると言うことは、それだけ雇用されやすくなるし、
日雇い派遣の公営化がなされれば、労働者もそれだけ安心できる。
もちろん雇用側から斡旋する公営側に金が流れる事も考えられる。
俺は別に経済や雇用の専門家でも何でもないが、こんな案はどうだろうか。
正直言って前回のエントリの何がそれぞれの心に引っかかったのかは分からない。
日雇い派遣は身近な罠で、そしてその底辺には澱んだ泥沼に足を取られて死んだような輩がうようよいる。
彼らはどうしようもなくクズだし、そうさせてしまう泥沼も悪い。
だから、その沼を幸いスルーできた人間が上から目線で救ってやる案を考えるのも悪くないんじゃないか。
俺は沼から出てきた側として、問題提議できればそれで良いかと思っている。
ちなみにクズクズって単語にここまで過敏に反応されるとは思っていなかった。
聖火リレー、行ってきました。
まず皆さんにお願い。
動画3つまでしか載せれないため、
4/26日を振り返ります。
早朝、善光寺へ向かった。
Mちん、Tさん、F君、Yちゃんと5人で。
僕らがそれぞれ旗を作り、プラカードを作り、前日からカラオケボックスで寝ていたのに対し、
彼らは中国大使館から支給された巨大な旗と、チャーターバスで堂々登場した。
善光寺参拝が終わり、街中へ。
とりあえず聖火リレー出発地点へ向かった。
出発地点に、中国の旗を持った人は入場できるが、チベットの旗を持った人は入れない。
警察の言い分。
「危険だから」
じゃあ、何で中国人はいいんだ?
「......ご協力お願いします。」
は?
それやらせじゃん。
その時の抗議の様子
この後TBSの取材が来た。
「日中記者交換協定があるから映せないのか?」とアナウンサーに聞いた。
と吐き捨てて消えた。
街中に行くとどこに行ってもFREETIBETと叫んでいる。
突然Mちゃんが顔面を殴られた。
「こいつ殴ったぞ!!」
警察は何もしなかった。
ババアが俺の手を噛んだ。手から血が出た。
警察と目が合った。
警察は何もしなかった。
ババアが僕の顔面を殴ってきた。
と言ったのに、
警察は何もしなかった。
これが抗議活動中じゃなかったら、普通にブチ切れて乱闘になってる。
でも非暴力を貫く為、ひたすら耐えた。
中国人が叩き落とした。
拾おうとするMちゃん。踏みつける中国人。
「おい、てめー何やってんだよ!」と制止に入った。
2mくらいの距離に警察がいたが、何もしなかった。
街中いたるところで抗議合戦。
救急車が来たり大騒ぎ。
僕らはひたすら抗議活動をした。
(動画あり)
雨が降ってきた。
それでも誰も抗議を辞めなかった。
Tさんと旗を振りながら渡った。
沿道の中国人は蹴りを入れてくる。
とても沿道に入れず、車道を歩いていた。
警察が来て言った。
「早く沿道に入りなさい!!」
は?今入ったらボコられるじゃん。
なんで日本人の安全を守ってくれないの?
「じゃあ、あいつらに蹴りいれるの辞めさせろよ!!」と僕は叫んだ。
警察は「ご協力お願いします」と言った。
雨の中、聖火リレーのゴール地点へ向かった。
警察は、「後で聖火の方に誘導するから。」と言った。
嘘だった。
ゴールの公園の外の何も無いスペースにチベットサポーターは閉じ込められた。
聖火なんか、どこにもなかった。
目の前には警察が何十人も取り囲んでいた。
こんな場所じゃ、声すら届かない。
数百人のチベットサポーターは、泣きながら警察に向かって叫ぶだけだった。
国境無き記者団もこちら側に来させられていた。
(裏から撮影した動画あり)
聖火リレーがいつ終わったのかも分からないまま、
土砂降りの中僕らは叫び続けた。
この声を、伝えることすら出来ないのかと思ったら涙が溢れてきた。
MちゃんもF君も泣いていた。
こんなのってあんまりだ。
せめて伝えて欲しいだけなのに。
この叫びを聞いていたのは目の前に並んだ警察だけだった。
チベット人の代表が弾圧の現状を訴えた。
涙が止まらなかった。
内モンゴルの代表が弾圧の現状を訴えた。
涙がとまらなかった。
伝えたい。ただ伝えたいだけなのに、国家権力によって封殺された。
悔しい。悔しい。
日本は最低な国だ。
中国の圧力に負けて平気でこういう事をする。
警察を使って。
僕は愕然とした。
この国のマスコミは終わったと感じた。
あの怒号は、
僕らが受けた痛みは、
彼らの悲痛な叫びは、
どこに反映されたのだろう。
そこをマスコミは撮影し、
これが日本のやることか?
ここは本当に日本なのか?
中国の旗を持たないと歩けない沿道って何なんだ?
この国は最低な国です。
僕は彼らに謝りたかった。
初めて日本人であることを恥じた。
帰り道、僕らは泣いた。
これが真実です。
弾圧にNOを言えずに、言いなりになって彼らの叫びを封殺したこの国は、もう民主主義国家ではない。
4/26日長野。
そこには言論の自由はなかった。
歩行の自由すらなかった。
中国人を除いて。
追記:どなた様も、転載の許可必要ありません。
報告だけしていただけると、反応が見れて嬉しいのでお願いします。
動画が消えたりするるみたいですが、また報告していただけたら何度でも載せなおします。
マスコミの嘘つき。大嫌い。
FREE TIBET!!
新しい日記の方にお願いします。
また、コメントにあった質問等にもある程度お答えさせて頂きました。
引用元:
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=787996903&owner_id=2071143
動画:
----------------
聖火リレー、行ってきました。
まず皆さんにお願い。
動画3つまでしか載せれないため、
4/26日を振り返ります。
早朝、善光寺へ向かった。
Mちん、Tさん、F君、Yちゃんと5人で。
僕らがそれぞれ旗を作り、プラカードを作り、前日からカラオケボックスで寝ていたのに対し、
彼らは中国大使館から支給された巨大な旗と、チャーターバスで堂々登場した。
善光寺参拝が終わり、街中へ。
とりあえず聖火リレー出発地点へ向かった。
出発地点に、中国の旗を持った人は入場できるが、チベットの旗を持った人は入れない。
警察の言い分。
「危険だから」
じゃあ、何で中国人はいいんだ?
「......ご協力お願いします。」
は?
それやらせじゃん。
その時の抗議の様子
この後TBSの取材が来た。
「日中記者交換協定があるから映せないのか?」とアナウンサーに聞いた。
と吐き捨てて消えた。
街中に行くとどこに行ってもFREETIBETと叫んでいる。
突然Mちゃんが顔面を殴られた。
「こいつ殴ったぞ!!」
警察は何もしなかった。
ババアが俺の手を噛んだ。手から血が出た。
警察と目が合った。
警察は何もしなかった。
ババアが僕の顔面を殴ってきた。
と言ったのに、
警察は何もしなかった。
これが抗議活動中じゃなかったら、普通にブチ切れて乱闘になってる。
でも非暴力を貫く為、ひたすら耐えた。
中国人が叩き落とした。
拾おうとするMちゃん。踏みつける中国人。
「おい、てめー何やってんだよ!」と制止に入った。
2mくらいの距離に警察がいたが、何もしなかった。
街中いたるところで抗議合戦。
救急車が来たり大騒ぎ。
僕らはひたすら抗議活動をした。
(動画あり)
雨が降ってきた。
それでも誰も抗議を辞めなかった。
Tさんと旗を振りながら渡った。
沿道の中国人は蹴りを入れてくる。
とても沿道に入れず、車道を歩いていた。
警察が来て言った。
「早く沿道に入りなさい!!」
は?今入ったらボコられるじゃん。
なんで日本人の安全を守ってくれないの?
「じゃあ、あいつらに蹴りいれるの辞めさせろよ!!」と僕は叫んだ。
警察は「ご協力お願いします」と言った。
雨の中、聖火リレーのゴール地点へ向かった。
警察は、「後で聖火の方に誘導するから。」と言った。
嘘だった。
ゴールの公園の外の何も無いスペースにチベットサポーターは閉じ込められた。
聖火なんか、どこにもなかった。
目の前には警察が何十人も取り囲んでいた。
こんな場所じゃ、声すら届かない。
数百人のチベットサポーターは、泣きながら警察に向かって叫ぶだけだった。
国境無き記者団もこちら側に来させられていた。
(裏から撮影した動画あり)
聖火リレーがいつ終わったのかも分からないまま、
土砂降りの中僕らは叫び続けた。
この声を、伝えることすら出来ないのかと思ったら涙が溢れてきた。
MちゃんもF君も泣いていた。
こんなのってあんまりだ。
せめて伝えて欲しいだけなのに。
この叫びを聞いていたのは目の前に並んだ警察だけだった。
チベット人の代表が弾圧の現状を訴えた。
涙が止まらなかった。
内モンゴルの代表が弾圧の現状を訴えた。
涙がとまらなかった。
伝えたい。ただ伝えたいだけなのに、国家権力によって封殺された。
悔しい。悔しい。
日本は最低な国だ。
中国の圧力に負けて平気でこういう事をする。
警察を使って。
僕は愕然とした。
この国のマスコミは終わったと感じた。
あの怒号は、
僕らが受けた痛みは、
彼らの悲痛な叫びは、
どこに反映されたのだろう。
そこをマスコミは撮影し、
これが日本のやることか?
ここは本当に日本なのか?
中国の旗を持たないと歩けない沿道って何なんだ?
この国は最低な国です。
僕は彼らに謝りたかった。
初めて日本人であることを恥じた。
帰り道、僕らは泣いた。
これが真実です。
弾圧にNOを言えずに、言いなりになって彼らの叫びを封殺したこの国は、もう民主主義国家ではない。
4/26日長野。
そこには言論の自由はなかった。
歩行の自由すらなかった。
中国人を除いて。
追記:どなた様も、転載の許可必要ありません。
報告だけしていただけると、反応が見れて嬉しいのでお願いします。
動画が消えたりするるみたいですが、また報告していただけたら何度でも載せなおします。
マスコミの嘘つき。大嫌い。
FREE TIBET!!
#追記
引用元:
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=787996903&owner_id=2071143
動画:
舞台となる工事現場は曾孫会社まであるような大手ゼネコンの子会社です。
その子会社のとある道路工事で作業員は100名全員正社員の案件です。
100人も作業員がいるのですがツルハシやドリルを持って実際の作業をする人は
20名で残りの80人は現場監督です。
現場監督のうち30人は資材の調達や交通整理の手配、作業員の管理を行ってくれますが
実作業をする者に対して監督をする者が多すぎて現場は混乱しています。
残り50人の現場監督は親会社の担当者が現場を訪れる日に向けて、説明用のプラカードをせっせと作っています。
この案件の予算のうち50%は先ほどのプラカードのために費やされますので
道路のための予算は50%しかありません。残りの50%うち20%は設備費&材料費になります。
さらに残った30%を残り50人の人件費に当てたいのですが、それも叶わないのです。
現場の正社員の20人の実作業を行う作業員にはクレーンやコンクリートミキサー車などの特殊車両を
扱うことができるスキルを持った人間がいないので、外部の専門家を雇うために残り30%の予算のうち10%を使います。
そして案件の規模と予算に対して実作業を行う者が少なく工事完了の期日に間に合いません。