はてなキーワード: 恋愛依存症とは
30代男
「30代の女はろくなの残ってねー!」
30代女
「30代の男はろくなの残ってねー!」
ってお互い思ってるんだろうなと思う。
実際、質は下がるよ。
向こうもそう思ってるんだろうけど。
学生時代ならさ、まあ同じような偏差値、同じような志向性で輪切り、入社時点だってそうだ。
会話だって、デートの場所だって、自然に選んでおけばだいたい正解。
ファッション誌通りの格好をして、ファーストフード、テーマパーク、カラオケ、チェーンの居酒屋でよかったもん。
それが、30代にもなると、お互いの住む世界や価値観のボラティリティーが大きくて、やれやれってなる。
(相手にとって)安すぎる場所に連れて行っても、(相手にとって)高すぎる場所に連れて行っても、コレジャナイ感漂う。
靴や時計で値踏みしやがる。
安い靴だと馬鹿にされるし、高い靴でも引かれる。
高い靴で引く女は、高い靴を見分けらんないから、値段言わなきゃ大丈夫だけど。
時計はしなきゃいいし。
20代前半のセンスをずっとひきずってる女か、現在進行形で流行を追ってる女かで、180度ウケる服は違う。
高そうな服、金のかかる趣味を持ってるから、さぞ金持ちかと思ったら、低収入の派遣の女、ちょっと付き合うのは無理だなと。
「30歳までに結婚できないと生きてる意味がない」とか本気で考えてる女は、子育てをしないでほしい。
こーゆー女の子どもは、娘だったら「女の子なんだから…」と言って育てるので、外見を磨く以外のことが何もできなくなる。
すると、確実にその娘は「男にチヤホヤされてないと女の価値ない」って考えるようになる。
こんな風に男のことしか頭にない女は、学校に入ったら同性からものすごく嫌われる。
もちろん、男漁りの能力と、一人の男に一生愛される能力があればいい。
ただ、結婚するまでは何年か学生時代を送るのに、友達が一人もできない女はヤバイ。
社会性が身に付かない。
社会に適合できない。
もちろん、男好き女の子どもが男の子でも、男尊女卑で苦労する。
その息子は「家事は女の仕事」と言って、家のことが何もできない大人になるのだ。
子どもがロクな大人にならない。
確かに、外見にお金を使えば男は寄ってくるだろう。
子どもを不幸にする。
メンヘラおじさんが女子高生に執着するように、メンヘラおばさんが執着してるのも実際は学生っぽさが残る男子ですよ。
メンヘラは学生時代はなんとか周りを頼って生きていけても、大人になると詰むから、若かった頃の自分と若い異性に執着するんだと思う。
っていうか数人知ってるからそういうインテリブサイクおばさん。金だけは持っているが性格がモンスター。被害報告を聞いた。
(若いほど対人スキルが未発達で、ヤバイキモイと思いながらもバッサリ切れず、勘違いされて状況悪化させやすいというのもありそう)
空っぽな人が恋愛依存症になるんだと思うし、恋愛依存症になりたくない&仕事や趣味にもハマれないなら、芸能人がいいんじゃない?って話。
オフ会、コンパ、街コンなどなんでも良いので、出会いの場所に行って
1回目のお誘いまたは2回目のお誘いで、興味のない人にはどのようにお断りしたら良いのでしょうか?
お誘いの連絡があったときに、今ちょっと忙しくてスケジュール確認したらまた連絡するね!
⇒結果
お誘いの連絡を既読スルー
⇒結果
怒りの連絡あり。社会人として返信ぐらいするのがあたり前の説教付き
結果⇒
勝手な人ですねと怒りの連絡がある。
結果⇒
友人経由で連絡先が回ってきて、友人に連絡がないと相手が愚痴っている。
その他にも、説明しても諦めませんの宣言や、気を持たすようなことをするなとの怒りをかうことが多い。
自分は完全にお断りのお作法をわかっていないんだなと思っています。
というか、なぜ自分に興味を持ってくれる男性は私に気があると勝手に判断する人が多いのだろうか?
メールの返信が遅い、ないことで気がないと遠まわしのお断りに気づかないのだろうか?不思議でたまらない。
どうしたら、スッキリ諦めてくれるの?
ケースバイケースだと思うけど、気も何もないのに断るのに力を使わないことに疲れる。
やっぱり最強は恋愛依存症女のふり?
重い女の演出なのかな?
私って重い女だと思われること多くって、えへっ☆
日本人女性には、「趣味が恋愛」→「結婚」→「趣味が育児」になってしまう女性が多い。
(喪女オタクでリアル恋愛に疎い女性でも、イケメンキャラ萌えやBLには耽溺していたりする。
そういう人は恋愛という人間関係を描いたコンテンツに依存しているので「趣味が恋愛」の亜種と言えると思う)
そのため、子供が育つことを心の奥底では望んでいない。
無能で可愛い赤ちゃんのまま、わたしに依存し続けて欲しい、という母親が多いのだ。
夫や子供に依存されることで、自分の価値を自分で認めようとする心理的なはたらきなのだと思う。
我が子を能力の低い、向上心の無い、漠然と不安でさびしい大人に育ててしまう。
さっさと育って、なんでも一人で出来るようになれよ、と思っている。
だから子供は育たざるを得ない。有能な子は同級生に尊敬される。尊敬を得た子の心は健全に育つ。
(ただし萌えオタクの男性は「趣味が恋愛」だ。美少女に愛される感覚に依存しているので恋愛依存症の亜種。
性的魅力に難があって現実の女性と恋愛できないだけで、求めているものやメンタリティはヤリチンと同じ。
日本の子育てが失敗するのは、母子が密着しすぎているからだと思う。
子育てをするのは母親の仕事という意識があるせいで、母子の共依存関係が全く改善されない。
共依存は両方を不幸にする。「趣味が恋愛」な女性は子供を育てるべきじゃない。
好きな人のことあんなに考えて
やっと付き合えても結局は別れが来るし、
よく見せようとしたら冷められ、
ありのままは相手にされず、
顔が好きだといわれてそれだけかよ、本当かよと落ち込んで、
性格が好きだと言われて、じゃあ見た目は好きじゃないのと凹み、
相手のこともどこが好きなのかわからないでいる、
恋愛を抜いたら抜け殻のようになり、
また次に、心の中の寂しさや虚しさを恋愛によって埋めようとする馬鹿には、
別れや裏切り、冷めることや冷められることは付いて回る
一人が確立できていない奴には二人でやっていく事なんて到底無理だったのだ
それを繰り返した頃いつのまにか愛は冷め、
相手との信頼関係ができたと思えば「他に愛する人ができたの/他に好きな人ができたんだ」
もうこの繰り返しは、こりごりだよ
http://anond.hatelabo.jp/20130510010751
脳内には「ドーパミン」という向精神剤に似た成分が自然分泌されます。
しかしドーパミンに依存してしまい、ドーパミンを大量分泌させるために一生懸命になり、
日常生活にまで支障が出るようになると、もう立派な依存症です。
アルコール、タバコ、コカイン、大麻、その他のドラッグ類への依存状態とあまり変わりません。
以下の項目に当てはまるものが多いほど、恋愛依存症の危険性が高いです。
恋人にあうために、仕事・学校・人と会う約束などのスケジュールを反故にしたことがある
恋愛に多くの時間を費やしすぎて睡眠不足になることが、何日も連続してしまう
向かい会わなければいけない嫌な問題から逃げるために、恋人に連絡することが習慣化している
会社や学校のパソコンなど、禁止されている場所でも我慢出来ずに恋人に連絡てしまう
恋愛的なイメージが考えを支配して勉強や仕事が進まないことが頻発し、職場での評価や学業成績などが危機的状況に陥っている
恋愛を得られるコンテンツを見ること以外に、これといって趣味・ストレス解消の手段が無い
恋愛産業が広がる前の恋愛は、探してお金を支払うことをしなければ入手できないものでした。
そのハードルの高さが、多くの人の依存症化を防いでいたと考えられます。
をあえて探さなくても、一般サイトに恋愛産業による恋愛的な広告バナーが貼られていたりもします。
普通にインターネットをしているだけで、私たちは繰り返し連足のイメージを喚起させられます。
たまたま嫌なことが起こったときに、気軽に連足に逃げさせ、ついには依存させる仕組みになっています。
この依存症の正式名称は「連足依存症」です。恋愛が一つのくくりで語られています。
恋愛為依存は、タイガー・ウッズの多重不倫の例などが有名です。
恋愛依存の結果として、不倫以外にも性病、望まぬ妊娠、売買春、痴漢、強姦、性的虐待など数多くの問題が起こります。
よって、精神医学会でも問題にされがちなのはこの恋愛行為依存のほうです。
恋愛によるドーパミン依存の場合、人と関わらずとも依存対象を得られます。
よって、ドラッグの治療施設のように依存対象からの完全隔離を行うことが出来ません。
ユタ州にある施設では恋愛依存症患者の治療が行われていますが、
そこで得られた結論は、恋愛依存の治療はコカイン依存の治療よりも難しいというものでした。
恋愛コンテンツは、コカインのように身体から完全に出し切ることができません。
人と関わらずに依存物質を自力で生成できることは、依存の発覚の遅れにも繋がります。
「なぜか人付き合いを絶ち、ネットばかりするようになった」
こうした「理由のわからない引きこもり化」で、混乱している家族が居ます。
それらの原因のうちのいくらかは、恋愛依存であることが考えられます。
日本では「非モテ」という流行があったようです。恋愛行為を自主的に一定期間禁じるというものです。
「非モテ」の効果として「頭がすっきりする」「やる気が出る」「集中力がアップする」等がよく挙げられますが、
これは実際には「非モテ」の効果ではなく、「恋愛依存状態から脱却できている状態」…
…つまりそれが本人の「普通の状態」であることが考えられます。
「非モテ」をしても、何も変わらないという報告もあります。その方は、元々依存状態では無かったのでしょう。
だから、恋愛観を語るには社会からどのような影響を受けて意思決定したのか話さないといけないんですが
元増田は「男性の恋愛観」を語っているんです。その論拠が無茶苦茶です。ざっくり説明しますね。
元増田の主張。
・元増田はまず、ホモソーシャルはホモセクシャルに由来する言葉だと説明。
「男は本来、同性愛である。同性愛を回避するために、女とは体目的で付きあう。女を愛さない。これが男の恋愛観である」と主張
・男は皆、アッー!だけど、そうならないために女と付きあう。
→フォモフォビアとミソジニーを、文字訳通りに受け取り、ホモソーシャルとホモセクシャルを混同している。
実は、ホモソーシャルの説明のなかに「女性を貨幣と同じように交換する」という一文があるんですが
これは、社会や組織を継続する目的で、女性の存在が手段として扱われていることを説明したものなんですよ。
具体的には家父長制や政略婚で、女性が使い駒にされてきたことを話しているんですが、元増田はこれを「体目的」だと解釈して誤った主張を繰り返しています。
ホモソーシャルの概念が、観念に置き換わっているし、なぜ性愛の話にすり替わるのかも意味不明。
また、ホモフォビアやミソジニーを単語レベルで解釈していて、概念中の意味を無視している。
私の主張は、
・ホモソーシャルは、男性の同胞社会や男性権力社会のことを言う。ホモは「同一」という意味の接頭語であり、ホモセクシャルと混同すべきではない。
・ホモソーシャルの成立要件に、ホモフォビア(同性愛嫌悪)とミソジニー(女性蔑視)とあるが
社会化していること(性愛とは別ですよ)をホモフォビアとし「社会を維持継続させる目的の中で、女性を手段として扱うこと」がミソジニーである。
・ホモソーシャルの概念を「ホモソーシャルだから、男はこんな恋愛観だ」などと、心理学の原型のように使うものではない。
・「◯◯観」は個人的なものの見方である。「ホモソーシャル」で語れるのは関係性まで。概念を観念的に使えない。
あ、追加でレスがついてた。
それこそこの増田は作用と反作用しか論点にしていないし、「社会からどのような影響を受けて意思決定したのか話さないといけない」は蛇足にしか見えないのだが。
元増田は、ジェンダー用語を用いながらも、生物学的な話をミックスした持論を展開しているんですね。
にも関わらず「こうではないか?」「僕はこう思う」という話ではなく「男性はこういうものです(キリッ」と断言しています。
ジェンダー用語を用いるなら、社会学的に(近代化で恋愛を啓蒙した流れなど)語らなければおかしいでしょ…という話です。
いえ、階層にすらなっていない話です。元増田の話はトンデモです。
生物学的には男性は体目的であり、女性は恋愛依存症であるとされています
ただ、恋愛依存症の女性は男性にモテないので、体目的になります
これが社会学です
他人に馬鹿という言葉を使うのは好きじゃないけど、本当に馬鹿だと思うわ。まだ気づかない。
それは私が説明してあげた説明でしょう。ホモソーシャルから女性が「性」をに価値のあるもの(商品化)だと自覚した話でしょう。
で、この説明は「性の個人売買」について書かれたもので、恋愛欲求が絡む話ではありません。
では従来の男女の恋愛観はどうだったのか、という話をしなければいけない。
「愛される」から「モテ」に移ったのはなぜなのかという話をしなければならないので、http://anond.hatelabo.jp/20130424015252 で、説明しました。
一方、あなたは「同性愛回避のために男は体目的。それにあわせて女性は媚びる」と説明してるんです。さも連動現象であるかのように。
そして「食料(お金)を渡したがる」と、こじつけをしてるんですよw
「目的」や「モテるため」や「思う」という意志的な動きに対して、作用反作用で「男がこうだから女はこうする」と決めつけている。
ホモソーシャルの話をするなら、もっと社会全体を俯瞰した話になるべきです。都合良く言葉を拝借してるからおかしいんですよ。
ホモソーシャル云々と言って、社会学的なものの見方をしたいなら、背景に社会のどんな動きがあって個人の意志選択に影響を与えたか書かなければいけない。
あなたは「男はホモソーシャルだから、女はこうする」という二者間の話しかしてないんですよ。概念を観念的に用いるのは危険な考え方です。
どうして恋愛依存症なのよ?
あなたの説明では、女性は全員が恋愛依存している話になってしまっています。
依存症という言葉をどういう意味で使ってますか?恋愛をしない女性をどう説明しますか?
「思う」の部分に関して、信頼性のあるソースを持ってきてもらえますか。
絵本やアニメなどは、ホモソーシャルを刷り込むためにそういうストーリーになっている訳ではなく、現在の社会がホモソーシャルだからそういうストーリーになっているのです
誤読しないでください。これはすでに説明した通りです。近代化で小説などによって恋愛観の刷り込みが行われたのは事実です。
社会維持のためにホモソーシャルの刷り込みがなされた。この流れは今も続いていて、個人の意思決定にも影響を与えているという話をしています。
いいえ、違います
あなたは作用反作用の話をしているのに「意思決定」を決めつけているんです。そこがおかしいと指摘しているんです。
「男性側が(伝統的に)こうだから」「それにあわせて女性はこうだ」って二者間の話しかしてないのに、普遍なものとして語るのがおかしい。
社会がどういう風に変化していて、個人の意思決定に影響を与えたかはまったく説明していない。
まるでユング心理学の「原型」のように、ホモソーシャルを理解している。これ、間違ってますから。
それまでの江戸時代では、男性同士の同性愛というのはかなり多かったようです
恋愛未文化だった頃の話を飛躍させて、あなたは恋愛観を語っているわけです。
江戸時代の同性愛は、一部にはそういう人もいたって話で、恋愛なのかと言うと疑問符がつく話なんですよ。
その話をするには、前近代の性の在り方がどうだったか説明しなければいけないし「性愛」と「恋愛」を分けるべきです。
あなたはその恋愛未文化時代の性愛の話とホモソーシャルをごちゃ混ぜにしてますが
それまで男性が性の商品化をしていたという事は、男性は性を商品化する女性を求めているという事になります
なので、妻や恋人であっても体目的の交際であっても基本的には変わらないのです
どうして恋愛依存症なのよ?
生物学的には、原始時代には男性は狩りをして、女性は家庭を守っていました
そのため、女性は家庭に入りたいと思うため、女性は男性と交際したいと思うわけです
姫を助けだすのも、彼女のために戦いに勝利するなどと意気込むのも、社会維持のためにホモソーシャルの刷り込みがなされているんですよ。
絵本やアニメなどは、ホモソーシャルを刷り込むためにそういうストーリーになっている訳ではなく、現在の社会がホモソーシャルだからそういうストーリーになっているのです
たとえば、お金でお菓子を買える社会でお金でお菓子を買うストーリーがあった場合、お金でお菓子を買うという価値観を植え付けるためにそういうストーリーにしている訳ではなく、現在の社会がお金でお菓子を買えるからそういうストーリーになっている訳です
いいえ、違います
女性が肉食化したのは、女性が男性の真似をしているからではなく、女性が男性にモテるためです
基本的に体目的の女性は男性にモテるので、男性にモテたくて体目的になっているだけです
http://anond.hatelabo.jp/20130424232947
それまでの江戸時代では、男性同士の同性愛というのはかなり多かったようです
「基本的にどちらも正しいです」じゃねーわw
意味がわからない。社会現象から関係を物理的に分析するなら話はわかります。男女の関係性の変化や在り方を語るならわかりますが
あなたはホモソーシャルを「同性愛回避」以外に説明していないし、原型と言わんばかりに「同性愛回避」一択で恋愛観を説明しています。
社会学で人間を見るのは、人生ゲームを上から眺めてあーだこーだ言うようなもので、プレーヤー視点で何を考えているかを断言できません。
恋愛に限らず「◯◯観」というのはものの見方で、幼少期に教育を通じて刷り込まれ経験によって培われるものです。
そのホモソーシャルがどのように刷り込まれたか、全然説明していない。原型のごとく「ホモソーシャルがあった」という話しかしていませんよ。
ひとつずつ取り上げると埒が明かないのでスルーしてたんですが、話が通じないのでおかしなところをあげていきますね。
具体的にはギャルになったりして自分が体目的であることをアピールしたり、男性におごってもらったりして、男性にモテようとします
生物学的には、原始時代には男性は狩りをして、女性は家庭を守っていました
特にここが支離滅裂だった。ホモソーシャルとミソジニーの解説から、狩猟と採集の話が出てきて、突然ギャルがモテる話になるってイミフw
ホモソーシャルからミソジニーの話へ移行して「体アピールでおごり目的のギャル」を説明するならば、女性の社会化に伴う説明が必要で、
これまで男権の元で行われていた性の商品化を、女性が自主的に商品化し始めたのか云々…という話を書かなければ意味不明です。
文献までは覚えていませんが、その手の話は援助交際が盛んだった頃に出ていましたよ。
あと、
とかさ、どういう理屈で「渡したがる」と言えるのか、意味がわからないし説明もされていない。
むしろこの一文からは、ホモソーシャルの最小単位である家の正妻、もしくは従属するパートナーに渡すと考えるのが自然でしょ。
肉体だけが目的でお金を渡す、おごられたくてギャルが媚びると言うなら、それは性売買の話になりませんか?
どうして恋愛依存症なのよ?
ってさ、まったく説明になってないじゃん。
何度も「恋愛は近代化の産物です」とヒントを書きましたが、現在に通じる恋愛観は、近代化により啓蒙され広まったものです。
この恋愛観は幼い頃から、絵本や児童書やアニメなどで「男らしさ」「女らしさ」とともに刷り込まれています。
女子は赤ずきんで貞操観念を、シンデレラや白雪姫で、愛されて幸せになる女性の恋愛観を刷り込まれています。
(セーラームーンやプリキュア等の戦う女子集団は、女子のホモソーシャル化と言える)
一方の男子は、冒険物語やスポ根漫画などで支配構造や仲間達との友情を刷り込まれています。そして、ヒロインの存在はいつも戦利品として描かれています。
姫を助けだすのも、彼女のために戦いに勝利するなどと意気込むのも、社会維持のためにホモソーシャルの刷り込みがなされているんですよ。
どのように恋愛観が培われるのか、そのメカニズムを書かないで「ホモソーシャルだから同性愛を避けるために体目的です」とは言い切れません。
「恋愛したがる」について答えると、昔は恋愛しなくても結婚出来ました。
女性には選択の余地がないし「恋愛できる」という発想もなかった。そこで一般市民が恋愛する小説や芝居を作って啓蒙しました。
そうして「恋愛→結婚」が刷り込まれ、婚姻関係を結ぶには恋愛せざるを得ない状況が出来上がりました。
従来通り、家に入りたい女性にとっては恋愛が死活問題に直結するので必死にならざるを得ない。だから恋愛するんです。そう刷り込まれているから。
社会に適応した女性にとっては、結婚は人生を左右するものではなくなってきました。
しかし「モテ」の社会評価には依存しています。「愛される」じゃなくなったのはホモソーシャル化です。
(社会的自己と性的自己に矛盾を感じて、どちらにも上手く適応できていない→こじらせ女子)
男性が体だけの関係を求める理由は、男性社会の中で優位に立つためですが、その方法の1つに同性愛にならないというのがあります
どうして同性愛になっちゃいけないんですか?アッー!を避けるためですか?
ホモソーシャルは「同性愛的」であって、アッー!そのものじゃないでしょう。
あなたは「体目的の男性にモテようとする女性」をとても気にしていますが、女性の肉食化の話ですよね?
これは女性が社会進出し、男権社会に押し付けられた「女性らしさ」から脱却した結果だと考えられています。
ビッチと言われてもおかしくない男の数自慢(権化)したり、女子会を開き情報交換(相互評価)を行うのは、
ホモソーシャルの真似事をしていると見ることができます。なお、女性のホモソーシャル化=レズビアンではありません。
女性の社会進出がホモソーシャルにどんな影響を及ぼしたのか、その結果、従来の「男性らしさ」がどう変化したのか、
これは生物学で散々言い尽くされてるじゃないですか。種の保存のためだと。
基本的にどちらも正しいです
人間が恋をする理由が生物学であり、社会の影響により恋愛観が変わるのが社会学です
生物学的には男性は体目的であり、女性は恋愛依存症であるとされています
ただ、恋愛依存症の女性は男性にモテないので、体目的になります
これが社会学です
ヤリチンを説明するとしても「支配構造の中で優位に立つために」「女性を付属品として見なす」という話になりますが、権化のためであり「同性愛回避」ではありません。
これもどちらも正しいです
男性が体だけの関係を求める理由は、男性社会の中で優位に立つためですが、その方法の1つに同性愛にならないというのがあります
残っていますよ。男性支配構造はまだまだ残っています。日本の象徴がそうですし、政治家の大半も企業の上層部の大半もそうです。
企業や政治家のトップに男性が多いのは、男性の方が能力があるからです
日本の象徴は紀元前660年に誕生したものであり、これは当時の社会が家父長制だったからです
生物学的には、原始時代には男性は狩りをして、女性は家庭を守っていたため、男性の方が仕事の能力が高く、女性の方が子育てや家事の能力が高いようにできています
ナヨナヨしてる自信のなさからも感じ取れるんだけど、「構ってくん」だとか「構ってちゃん」だとかって要するに依存症タイプの人間なんだろ。
対象を彼女にしているから諦められないし、離れたくない。
それって恋愛を履き違えていないか?
恋愛依存症者は自分に自信がなく、能力もないと感じているので、それを持っている自立した異性に魅力を感じ、交際が始まります。
しかし、恋愛依存症者は自分に自信がない(自己評価が低い)ために、すぐに相手を失う恐怖(見捨てられ不安)が湧き上がってきて、嫉妬深くなり相手を束縛しようとしたりコントロールしようとします。
男の子を守ってあげたいってタイプでもなければ、自信のない男なんて魅力的には映らないだろ。
自信がないから不安になり、自己陶酔して、依存症になる。そしてネガティブな考えに辿り着き、さらに悪循環。
現実にシンジくんやのび太くんがいたところで注目されるわけでも、ハッピーエンドに向かう主人公でもないんだ。
それを容認するということが、構ってくんなわけだし、変にプライドを持ちたがる。
30才を目前にして、初めて好きな人とつきあっている。
ただの男とデートするのと、好きな人とデートするのは、全く根本から全然違うものなんですね!!
この年になるまで知らなかった。目からウロコが落ちている。
若い頃に彼氏が欲しくて一度だけおつきあいをしてみたけど、
デートも電話もメールもセックスも車での送り迎えも何もかもが苦痛ですぐやめてしまった。
それ以降たまにデートめいたことがあっても胃がキリキリしたり乗り気じゃなかったり
あー恋愛って本当めんどくせー恋愛依存症とか意味わかんないプップクプー
結婚なんて全然したくない向いてないもんと調子こいて干物ライフを送ってきたけれど
今つきあっている人と初めてチューしたときは、一週間ぐらいずっと頭の中でリピートした。
唇の震えた感触とか、最中に手を絡めたこととか、どこまでも思い出せる。
メールも電話もうれしい。送り迎えしたいされたい。別れ際も名残惜しい。
そんでもって、この人と結婚するんじゃないかしらーとか思っている。
まるで女子のようだ。
あと友達に惚気話をしたくなる理由が、やっとわかった。
超言いたい。
つきあうことになった日、ドキドキしてレジでコーヒーの値段を間違えたことを言いたい。
初めて手をつなぐまでにめちゃくちゃ時間がかかったことを言いたい。
まだしてないけど、好きな人とセックスなんかしたらどうにかなっちゃうんじゃないか!
世の恋人たちはこんな経験を何度も積み重ねてきてるんですね。すげえや。
この人と別れることになったらそれは辛いだろうなって思う。
これが恋愛ですか。。。
◆日本でしか生きていけないと将来破滅するリスクがあるので、世界中どこでも生きていける戦略のご紹介
日本依存症は、国家依存症の一種であり、会社依存症とよく似ています。
会社依存症とは、ある特定の会社でしか通用しないスキルばかり蓄積して、他の会社では通用しない人材になってしまう病気です。
会社依存症にかかると、その会社の経営が悪化して、どんどん待遇が悪くなり、給料を下げられ、「このままここにいても、少しもいいことがないまま年を取っていくだけ」という状況になっても、ひたすらその会社にしがみつくしかなくなります。
また、会社の都合で延々とつまらない仕事をさせられたり、いまいち納得のいかない降格や減給をされても、なかなか拒否しにくくなります。
上司や同僚と相性が合わず、人間関係がこじれてギスギスした雰囲気になり、毎日会社へ行くのが憂鬱になっても、そこに居続けるしかありません。
なぜなら、その会社を辞めると、ほかに行くところがなくなり、路頭に迷ってしまうからです。
このため、このことがよく分かっているエンジニアなどは、その会社の独自製品や独自環境でしか通用しないスキルしかたまらないような仕事をできるだけ避けるようにします。
そして、「広く普及しており、かつ中長期的に需要があり、供給が不足ぎみで、かつ陳腐化しにくいスキル」を戦略的に蓄積します。
たとえば、以下のようなものが考えられます。
・要求分析、要求仕様定義、システムアーキテクチャ設計、RDBスキーマ設計、サーバの負荷分散設計、各種サーバのパフォーマンス解析・チューニング、デザインパターン、マルチスレッドプログラミング、システム管理、ネットワーク管理
・マネージメント、プロデューサ・デザイナ・経営者・営業・顧客との交渉スキルや連係プレースキル
・普遍性の高いコンピュータサイエンスの基礎
・Unix、RDB、正規表現、Java、Perl、TCP/IP、.NET、C#
日本にはたくさんの会社があり、それぞれが浮き沈みを繰り返しています。
いまいる会社が今後もずっと浮いたままだという保証はありません。
一つの会社に依存しきると、その会社が沈むとき自分まで一緒に沈んでしまい、酷い目に会います。
いまいる会社が沈みそうになったら早めに別の会社へ移れるように準備しておくべきではないでしょうか。
国家に対しても同じことが言えます。
政府は全ての国民を幸せにするような政策を実行するべきですが、必ずそれに成功するとは限りません。
ときに間違った政策を行い、多くの犠牲者を出すこともあります。しかも、その犠牲者を救済するための政策が実行されないこともあります。
もっと最悪なことに、間違った政策で、国全体が沈んでしまうようなことすらあります。
もちろん、そうならないように、われわれは選挙で正しい政策を実行してくれる政治家に投票すべきですが、常に正しい政策を実行してくれる政治家が自分の選挙区から立候補してくれるとは限らず、自分以外の人々が常に正しい政策を実行してくれる政治家に投票してくれるとも限らないというのが、世の中の現実です。
だから、どんなに自分が正しい政治行動を取っていても、おかしな政策が実行され、自分の将来が危うくなるリスクは常に存在します。
たとえば、金持ちばかりが得をし、平均的な労働者が搾取される最悪の格差社会になってしまうかもしれません。
あるいは逆に、今後スキルアップし、キャリアアップし、実力を身につけて高い年収をゲットしようと思っているのに、高額所得者の所得税が大増税されて、酷い搾取に苦しむようになるかも知れません。
あるいは、少子化対策で、実質的に独身税をかけられたのと同じような状態になり、結婚するつもりも子供を作るつもりもない人たちの生活の質がかなり落ちるかも知れません。
あるいは、国の医療システムが疲弊しまくって、まともな医療サービスを受けられなくなるかも知れません。あるいは、まともな治療を受けようとしたら、恐ろしく高い料金を徴収されるようになってしまうかもしれません。
あるいは、地方格差を埋めるため、都市部の住民を徹底的に搾取し、地方にじゃんじゃんばらまくような政治が行われるかもしれません。そうすると、田舎に住む人間の暮らしはよくなるかもしれませんが、今後も都市に住み続けるつもりの人間の暮らしの質が大きく低下するかも知れません。
あるいは、非正規雇用を減らし正社員を増やすという名目で、おかしな規制がかけられ、予期せぬ副作用が出て逆に多くの人が職を失うことになるかも知れません。余波で、自分まで失職するかもしれません。残された正社員の自分に酷いしわ寄せが来るかも知れません。
労働者保護や消費者保護という名目で、過剰に企業の手足を縛るような規制がかけられて、企業の活動が阻害されて経済が悪化したり、企業がどんどん日本から逃げ出すかも知れません。雇用が減り、治安が悪化し、日本が住みにくい国になるかも知れません。
要するに、投資において、全ての資産を一点がけするのが危険な投資戦略であるように、自分の生活基盤となる国家を一カ所だけに限定してしまうのも、極めて危険な賭なのです。
この国にずっと住み続けるのが一番賢い戦略でした。
しかし状況は変わりました。
いまや日本よりも豊かな国や都市がどんどん生まれつつあります。
日本などよりも、はるかに先行きの明るい国や都市がたくさんあります。
本来、この惑星には、たくさんの国家があり、それぞれ浮き沈みを繰り返しています。
いまいる国家が、今後もずっと浮いたままだという保証はありません。
一つの国家に依存しすぎると、その国家が沈んでいくとき、酷い目に会います。
いまいる国家が沈みそうになったら、早めに別の国家に移れるように、準備しておくべきではないでしょうか。*1
こういうことを言うと、「おまえに愛国心はないのか?」と言い出す人間が時々いますが、依存症と愛国心とは別の話です。
これは、結婚において、夫を愛していることと、夫に依存することが異なるのと同じことです。
経済的にも精神的にも自立していることと、夫を愛することは両立します。
夫婦仲は冷め切っていて、夫の暴力に怯えながら暮らしているにもかかわらず、夫に経済的に依存しているためにガマンし続けているような状態は、とても健全だとは言えません。
むしろ、特定の国にまったく依存していないにもかかわらず、その国を愛し、その国に貢献することこそ、純粋に打算抜きの愛国的な行為なのではないでしょうか。
そもそも、「いろんな異性とつきあってみて、そのなかから最高のパートナーを見つけ出して結婚する」というのは、少しもおかしなことではありません。
「1人の異性しか知らず、最初につきあった異性と一生添い遂げなければならない」というのはいかにも古めかしい道徳観念です。これは国家についても同じことです。たまたま日本に生まれたからと言って、日本と一生添い遂げなければならないということはありません。
むしろ、さまざまな国に住んでみて、そのなかから、自分にいちばんあった国に落ち着き、添い遂げる、という人生も十分にありなのではないでしょうか。
日本以外で暮らしたことのない人々の中には、日本だけが世界で唯一暮らしやすい場所で、日本以外には暮らしやすい場所などないと信じて疑わない人もときどきいるようですが、そんなことは決してありません。
むしろ、日本よりもはるかに、晴天の日が多く、気候が温暖で、からっとさわやかで、毎日気持ちよく暮らせる国や地域がたくさんあります。
食べ物も美味しく、人々も気持ちよく、街の各種施設も充実しており、遊び場所もたくさんある快適な都市は世界中にたくさんあります。
どんなところでも、けっこう住めば都なのです。
また、日本以外の国は治安が悪くて暮らしにくいという偏見を持っている人もいますが、どんな国でも、きちんとした安全対策を講じ、危険な地域に近寄らないようにすれば、それなりに安全に快適にくらせるものです。
それに、どうせネット環境さえあれば、世界中どこでも、twitterやtumblrやmixiで遊べるし、ブログのコメント欄でクネクネすることもできるし、2ちゃんでだらだら過ごすことも出来るし、エロ画像をダウンロードすることもできるし、はてブで脊髄反射的なコメントを付けることもできるし、はてなスターを連打しまくって顰蹙をかうこともできるのです。
「わたしは(この国に生まれたというより)この惑星に生まれたのだ」という感覚を持ちながら生きるというのは、広々とした感じがして、なかなか気持ちの良いものです。
せっかくこの美しい惑星に生まれたのに、日本という小さな小さな島国に引きこもったまま一生を終えるのは、じつにもったいないことではないかと思えてきます。
●依存症からの脱出は難しい
ギャンブル依存症、アルコール依存症、買い物依存症、恋愛依存症、セックス依存症、たいていの○○依存症は、そこから抜け出すのに苦労するように、日本依存症も、一度それにかかると、そこから抜け出すのにかなり苦労します。
また、タバコ依存症から抜け出すために、さまざまな方法があるように、日本依存症から抜け出すにも、さまざまな方法があります。
日本依存症から抜け出す一番効果的な方法は、実は、英語力をアップすることではなく、日本の外でも安定した収入源を得られるようにすることです。(もちろん、最低限の英語力は必要ですが)
これに一番効果的なのが、資産運用で暮らせるようにすることです。
利回りのよい債権や株式に自分の資産を分散投資し、運用することは、どこの国に居住していてもできます。
日本の国債や株式で資産を運用していたとしても、日本に住んでいなければ運用できないということはありません。世界中どこに住んでいても、日本の国債や株式で資産運用することは可能です。
それどころか、そもそも、日本の国債や日本の株式で資産を運用しなければならないということはありません。
むしろ、全資産を円ベースに一点がけしてしまうと、今後円安が進んだときに、自分の資産が大きく目減りしてしまうというリスクを抱え込むことになります。
資産は、全世界に分散投資しておいた方が安全だし、世界全体の経済は、多少の波はあるものの、中長期的にはつねに成長し続けているので、正しくポートフォリオを組んで、世界中に分散投資しておけば、それほどひどいことにはなりません。
だから、いったん資産運用で暮らせるだけの資産を蓄積してしまえば、日本依存症からの脱却はかなり容易になります。
ここで、「日本がキャピタルゲイン課税の大増税を行ったら、資産運用では暮らしていけなくなるのではないか?」という疑問がわく人もいるでしょうが、そうでもありません。
まず、税金の徴収には、属人主義と属地主義の二つの方式があります。
日本は属地主義なので、自分が居住している国や地域に税金を納めることになっています。
このため、日本でキャピタルゲイン課税の大増税が行われたとしても、海外で暮らしている限り、影響を被ることはありません。*2
現在、属人主義を採用しているのは、アメリカとフィリピンぐらいなもので、極めて例外的なケースです。
ですから、今後日本が属人主義に変更するリスクは、とても低いと思われます。
また、万一、日本が属人主義に切り換えたとしても、ある程度の資産を持つ人間に国籍を与えてくれる国は、けっこうあります。
日本が属人主義に切り換え、さらにきわめて重いキャピタルゲイン課税をかけてきたら、単に国籍を切り換えればいいことです。
ただ、問題は、資産運用で暮らせるようになるほどの資産を蓄積することが難しい、ということです。
そのため、当面は、収入の全てを資産運用だけで稼ぎ出すのではなく、収入の一部だけでも資産運用で稼ぎ出すような状態を目指してみてはどうでしょうか。
そうすると、日本がヤバくなったので、脱出して海外で職を得たのはいいが、最初のうちはまだ英語にも不慣れで、十分な収入を得られないというようなケースでも対応できます。
たとえば、前述のUnix、Web、RDB、Java、Perl、.NET、C#など、世界中に普及している技術の場合、そのスキルを身につけることで、日本依存から抜け出すことができます。
また、これらに関連する要求仕様定義、オブジェクト設計技術、デザインパターンを適切に使いこなしたクラス設計、プロジェクトマネージメント、スケジュール管理なども、特定の国家に依存しないスキルです。
これらのスキルを身につけたITエンジニアは、さまざまな国で職を得ることが出来ます。
実際、ボクの知り合いでも海外で働いているプログラマーがいます。
むしろ、日本よりも快適に働いているようです。
もちろん、これらの技術は、会社依存症から脱却するための技術としても有効で、きわめて安全性の高い技術だと言えます。
これらの標準的なITスキルは、このように、会社や国家を超越して有効ですが、それ以上に驚きなのは、かなりの長い時間をも超越する力を持っているということです。
たとえば、unixの基本アーキテクチャはボクが知っているだけでも十数年、ほとんど変わってません。マルチスレッドプログラミングやデザインパターンも十数年前に身につけたスキルは、かなりの部分、いまでもそのまま役に立ちます。はるか昔に覚えた、クロージャや再帰を使ったさまざまなプログラミングテクニックも、RDBのスキーマ設計のスキルも、ほとんどが、いまだに現役です。
TCP、UDP、IP、HTTP、SMTP、POPなどのプロトコル類もいまだに基本はほとんど変わりません。新しく登場した.NETやC#にしても、過去にマスターしたスキルにほんのちょっと上積みしたぐらいのわずかな薄皮でしかなく、いままで蓄積した基本スキルはそのまま通用します。Haskellのような関数型言語ですら、似たようなコンセプトのプログラミングアーキテクチャは昔からあり、十数年前にマスターした技術の延長線上でなんなくマスターできます。
このように、長期的に安定した技術やスキルを選んで身につけるようにすれば、会社、国家、時間を超えて、安定した収入源を確保できるのです。
ただ、注意しなければならないのは人材の需給バランスです。とくに、インドや旧共産圏からのプログラマの大量供給は要注意です。
一方で、ヨーロッパ、BRICs、VISTAなど、世界中で急速に経済が発達しており、ITエンジニアの需要が今後も全世界的に巨大化し続けるのは確実です。
ここでのポイントは、下級エンジニアや中級エンジニアは、需要はそれほど拡大しそうにないのに、供給は膨大になると思われるので、リスクが大きいということです。
つまり、下級エンジニアや中級エンジニアの場合、海外に行くと、日本にいたとき以上に悲惨になる可能性があります。安易に日本から出て行くべきではないでしょう。
一方で、上級エンジニアは技術分野にもよりますが、今後、世界中で爆発的に需要が拡大することが見込まれていますが、供給が不足する可能性は十分に考えられます。
従って、自分が今後上級エンジニアになる可能性があると考えている人たちは、この戦略に沿って日本依存症から脱却しておいたほうが良い可能性が高いです。
あと、もう一つ考慮すべき点は、上級エンジニアになるような人は生産性が高いため、今後、高額所得者になる可能性があるということです。
今後、この機運の盛り上がりに押されて、高額所得者を狙い打ちする形で大増税が行われ、酷い搾取の対象にされるリスクもあります。
このリスクに対する保険という意味でも、早めに日本依存症を治療し、いつでも仕事と生活の場を海外に移せるようにしておいた方が安全かもしれません。
日本人が海外で暮らしてみると、さまざまな小さなニッチビジネスのチャンスに気がつくことがあります。
たとえば、日本にはあって当たり前なのに、その国にはない商品やサービス。
それは、日本のやり方を現地方式にアレンジすれば、それなりに繁盛する商売ができるかもしれません。
あるいは逆に、その国のおもしろい商品やサービスで、アレンジすれば日本でもウケそうなもの。
もしくは、現地の安い人件費を利用して、何かを作らせ、日本に持ち込むというパターンもあるでしょう。
実際、ネパールに小さな工場をもっていて、そこで自分のデザインした服を作らせ、日本に輸入して販売しているという女性に会ったことがあります。
こういうビジネスのネタをみつけたとき、スモールビジネスを興すスキルを持っていると、そのチャンスを活かして、その国で商売をはじめることができたりします。
とくに、最近急速に豊かになったアジアの国々では、日本がかなりブランドになっています。
とくに富裕層は、日本のさまざまな質の高い品々やサービスを求め、日本の産物に信仰のようなものを抱いています。
これをうまく利用することで、いろいろなニッチビジネスを作り出すことができるかもしれません。
スモールビジネスのスキルとは、小さな会社向けのマーケティング、マネージメント、経理などのスキルです。
たとえば、どんな小さなビジネスでも、どんな商品を、どんな顧客に売るのか、そのために、商品にはどのような魅力がなければならないのか、顧客は、どういう理由でその商品にお金を払うのか、どのようにして利益が出る構造になっているのか、などのビジネスモデルを組み立てなければなりません。
そして、いざ、ビジネスプランが出来たら、場合によっては人を雇い、契約を結び、信頼関係を作り上げ、法律に則って取引しなければなりません。関係者全員が気分良く仕事できるように、win-winの構造を作り出す必要があります。
また、さまざまな法律を調べ、その法律に則ってビジネスを運営する必要があります。
さらに、会社を設立し、会計ソフトで帳簿を付け、経理と資金の管理をする必要があります。
また、予算計画を立て、融資なり出資なりで資金を調達する必要もあります。
こういう小さなビジネスを最小限の規模ではじめてみて、いざ、顧客の反応が上々だったら、しだいに規模を拡大していけばいいのです。
思ったより反応が悪ければ、早期に撤退するか、あるいは、やり方を変えて再度トライしてみたりすればいいでしょう。
そして、スモールビジネスの醍醐味は、たまたま大ヒットしたときのうまみです。
日本のサラリーマンの頂点とも言える、上場企業の社長の年収でも、たかだか4000万円にしかなりません。
これに比べ、スモールビジネスをヒットさせた場合、実質的に年収1億円を優に越えてしまうということは、それほど珍しくないのです。
実際、ぼくの知り合いにもそういう人がいます。
「たかが自営業」とばかにできるようなもんでもないのです。
自営業は、あたると凄いんです。
どのようなモデルで日本依存を脱却するのであれ、共通して必要な Permalink | 記事への反応(0) | 22:10
当方、20代後半の♂だけど、恋愛依存症を自覚している。
自分より3歳下の彼女と付き合っているが、とにかく向こうにかまってもらえないと不安で不安で仕方なくなる。
毎朝仕事前や昼休みに交わしてるメールが来なかったり、こちらから送ったメールの返事が来ないだけでも不安だし、夜、電話する時間がいつもより遅いのも不安。
こっちが送ったメールを既に読んでるであろう時間にmixiのログイン履歴があったりすると、「俺のメールを無視してmixi優先か!」と発狂しそうにさえなる。
職場の同僚(女性)から「君は思考が女子的だね」と言われたとき、なるほどと思ってしまった。
告白したのは向こうからだけど、付き合い始めるとこちらが強く依存してしまった。
元々、向こうの性格が超マイペースな上、こちらが年上であることもあり、振り回されたり合わせたりすることも多いのだけど、気がついたらいつの間にか間違いなく恋愛依存症と言える状態になってしまった。
前に付き合ってた彼女のときは相手に依存することもなく、適度な距離感で付き合えてたのに不思議だ。
今の彼女と付き合うまでは仕事も遊びも上手くいっていて、全てが順調な人生だったのに、今では彼女が最優先で仕事も友達付き合いも以前のような調子ではなくなってしまった。
確かに趣味や気がものすごく合うことは分かるが、いい歳したオッサンの自分がこんなことになるとは。
恋愛依存症なんて書くと、贅沢な悩みだって言われるだろう。
でも本当に辛いんだ。
だったら別れたらいいじゃない、という結論も既に分かってるんだけど、それが出来ないから恋愛依存症なんだ。
向こうにも向こうの生活や仕事があるんだから、四六時中俺にかまってくれなんて言うのは無理だっていうのも頭では分かってるし、病むたびに頭の中で整理していったんは納得するんだけど、病むたびにいつもその繰り返し。
だったら、今度はどう考えるようになるかと言うと、別れる覚悟と別れることのメリットを見出そうとするようになるんだよね。
30歳になっても独身ならお見合いでもすりゃいいやとか、独りなら独りで金も時間も好きに使えるなとか、昔ひどい別れ方をしてしまった元カノにきちんと謝りに行こうか(ヨリを戻そうとかいうつもりはない)とか、いい加減、包茎手術でもしようかとか。笑
今こうやって思ってることを素直に言えればいいんだけど、言ったところで向こうが逆ギレするのは分かってるし、結局こっちが折れることになるのが目に見えてる。
数年前に大失恋をした時にうつ病になって廃人と化してしまったトラウマがあるので、余計に恋愛に臆病になってしまってるのもあるんだと思う。
ネットで調べてたら、恋愛依存症は女性に多いって書いてるけど、いい歳した男でもかかってしまうんだね。
恋愛依存症チェックみたいなのを3つ4つやってみたら、全てで依存症判定が出てしまったし。爆
朝送ったメールの返事が来なくて、今の今まで別れる決心を固めてたのに、今頃になって返事が来て、嬉々としてその返信をしてる自分が情けない。
向こうが俺からのメールに返信しないのは「めんどくさい」の一言で済ませるのに、俺が返信しなかったら拗ねて怒るのはずるいよ!
http://www.556health.com/archives/2007/09/post_66.html
ああ、全て彼女に当てはまるな、と。笑
恋愛依存症の男と回避依存症の女の組み合わせなんて救いが無さ過ぎるよ・・・
恋愛依存症の俺が自分の要求をはっきり伝えれば回避依存症の彼女は自分から離れていくことをちゃんと理解してるから、俺がずっと本音を我慢してるんだけど、どんどん自分のキャパに余裕が無くなってるのが分かる。
今までの恋愛ではこんなことはなかったのに。
ものすごく好きなのになぁ、ものすごく好きだから辛いなぁ。
相性が相性だから、最終的にきっと結ばれることはないし、無理にいっしょになっても破滅するだろうと心のどっかでは悟ってる。
だからせめて、お互いに傷が深くならないような終わり方をその時までに模索しとかなきゃなと思う。
だけど、医者から完治宣言受けたわけでもないので、きっとどっかが壊れたままなんだろうな。
恋愛依存症からの脱却、もしくは恋愛依存症患者が勇気を振り絞って恋愛を終わらせる決心をする術をどなたかご存知ではないだろうか。
恋愛依存症で性欲を抑えられない肉食系のほうが異常だろ
シンデレラコンプレックスに取り付かれた女の子は、恋愛依存症じゃなくてただ単なる地味な女になるような気もするが、それはさておき。
非モテ(もしくは嫌モテ)は成長過程でママに甘やかされてきたので、ちょっとでも気に入らないことがあるとすねまくるってだけじゃないかと思う。現実と理想が異なるときに、現実との折り合いの付け方(単に迎合することを意味するわけではない)を知らず、ただ駄々をこねる。特にお勉強が出来ちゃったりすると、社会に出るまで、あるいは出ちゃった後もその辺の認識が修正されないのでやばい。もっと挫折と絶望を知るべき。
あとは性欲の切実さじゃね?
相手「何?声が聞きたかった?」
自分「………………………………そういうことにしておいて」
ああああああああぜんっぜん可愛くない。そこは「うん♪」とか「当たり前じゃん」とか「やーそっちが声聞きたいかなーと思って」とか、とにかく気の利いた感じの返し方があるだろ常考。いや全く仰る通りなんだ、声が聞きたくなったから電話したんだがな、それをこう先回りして言われるとどう反応していいのか(その場じゃ)分からなくなるんだ。で、今みたいに後で思い出してああっorzとなる、それのスパイラルから抜け出せない。
まず恥ずかしい。恥ずかしいしそれに加えて「声が聞きたい、とか何いってんだよー。そんなこと思うなんてあんたも彼氏ができた途端に恋愛依存症(笑)のスイーツ(笑)になっちまったか」と茶々を入れてくる自分がいる。
で、そこらへんでぐるぐる考えたあげく、変にぶっきらぼうなしゃべり方になって「素直じゃないなー」と言われる羽目になる。
…素直になんかなれるか。