はてなキーワード: 格差社会とは
「機会平等」と「結果平等」という言葉があるが、日本人(特に教師)は「子供のうちなら結果平等が実現するはず」という幻想を持っている。
しかし子供こそ「むきだしにされた素養の塊」であり、大人同様に平等とはほど遠い。
子供の結果平等に夢を見ている教師や社会は、出来過ぎてクラスで浮いてしまう「浮きこぼれ」の存在を憎む。
浮きこぼれそうな子供たちは、その憎しみを受けないために、"普通の子"のふりをして埋没しながら義務教育期間を過ごす。
今の世の中で力を握っているのは元浮きこぼれや、普通の子に擬態していた子供が成長した大人たちだ。
能力主義、成果主義、見える化、リストラといった流れは、子供時代に不遇だった元浮きこぼれたちの「無能な多数派への復讐」なのではないか。
彼らはおのれの能力によって勝ち取ったものを絶対に他人にシェアしない。「天賦の才」を、自分のためにしか使わないのだ。
なぜ自分が選ばれ、才を与えられたのか、彼らは考えず、感謝も求めず、ただただ人生というゲームで無双プレイを楽しみ、憂さ晴らしをし続ける。
彼らが大衆を憎むのは、子供の頃に教師や社会によってされたことへの復讐だ。
ほかに気になるのがあったら、追加していただきたく思います。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1679541.html
http://sinseihikikomori.blogspot.com/2011/11/google.html
Sexy Zoneも、Not yetも流行ってないし、会話ですらその単語を聞いたことがない。
多分、会話にそれらの単語を出すときには説明が必要となるだろう。
それは別に流行ってない訳じゃなくて、そういったのに興味がある奴が俺の周りにいないだけだ。知り合いのツイッターで話題になってないだけだ。
結局流行ってるもの、常識とされてるもの、普通とされてるものが、それぞれのクラスターで違うってだけの話だ。
俺は去年帰郷して兄弟と会話したときにRadioheadとか宇多丸とかいう単語自体が通じないことに軽く衝撃を受けたが
そういったことはありふれてる。ちょっとくらい前に話題になった「サイコ2割問題」とそう変わらない話だ。
だから、テレビで「~が流行ってるんですよ」とか聞いても、そりゃどっかで流行ってるのかもしんないなと毎回思う。
ほんとに流行ってんのか知りたくなったら、データをどっかからググって調べるくらいすればいい。
思ったより流行ってたり、流行ってなかったり、意外な層に流行ってたり、やっぱり流行ってなかったりする。
ここ最近、韓国関連のことが流行ってますよとテレビで流れると、脊髄反射のかのように毎回ネットでは反発が起きる。
「そんなの流行ってない!」だとか「そんなの普通じゃない!」とか「そんなの常識ってことにするな!」とか。
で、これはマスコミに対するネットからの批判意識として、3%くらいは評価・共感できるものかもしれないが、97%くらいはうんざりする。
「流行ってますよなんてそもそも謳うからいけないんだ!」なんて言うのかもしれないけど
逆に、結局この人達はマスコミが担っていた「普通」や「流行」や「常識」に対する信頼を持っていた人たちなのかもしれないという気がする。
オーソリティに対する信頼とでもいうべきだろうか。
「普通」も「流行」も「常識」も、クラスターによって違うということがもはや「常識」だってことはちょっとネットを眺めれば分かるだろう。
それに従って、「普通」も「流行」も「常識」も壊れてしまった。
マスコミ、メディアが担保していた共同体幻想みたいなもの、一億総クラスター幻想がそれらを作り上げていたし、それが崩壊してしまったのだから。
じゃあ何がマスコミを殺したのだろう。
一億総中流的なものから格差社会という流れもあるが、当然ネットがマスコミを殺した。
つながりあえる環境、「真実」を知れる環境、簡単に島宇宙を形成できる環境、それが可視化される環境がマスコミを殺した。
かくして、「普通」も「流行」も「常識」も「真実」も、クラスター別に存在することになった。
それに人間は耐えられるだろうか。
「ほんとう」の「普通」も「流行」も「常識」も「真実」も存在しないことに耐えられるだろうか。
だから、クラスター別に存在する「普通」や「流行」や「常識」や「真実」を「ほんとう」のことと信じて生きることになる。
ニーチェは「神は死んだ」といった。
「お前たちに言ってやろう。我々が神を殺したのだ─お前たちと俺が。我々はみんな神の殺害者だ」と。
「我々が信じていた真・善・美なる価値基準や権威を根底において担保していたものは、滅びてしまったのだ」と。
日本人からしたら、「で?www最初から死んでるしwwwつか日本には八百万いるしねwww」ぐらいのもんで
なんで、そんなことに大騒ぎしたのか分からないところがある。
だけど、「メディア・マスコミが死んだ」というのはそれくらいの衝撃が日本人にとってはある。
その影響がじわじわと色んなところで見える。
「みんな」が思ってる一つだけ存在する「普通」や「流行」や「常識」が死んだ。
お前が言ってる「みんな」って「普通」って「流行」って「常識」って何だよってことになる。
それこそ一神教から八百万の神への改宗という衝撃が実は起こったんだということがじわじわとわかってくるだろうと思う。
その過程では、クラスター別に存在する「普通」や「流行」や「常識」や「真実」を「ほんとう」のことと信じることにしたり、
そのクラスターにおける「真実」を盲信して他のクラスターを攻撃したり、クラスター別に違うモードを使い分けたり、
クラスターの中で、あるいは他クラスター同士で「ほんとう」を定めるために対話したり、クラスターを彷徨ったり、
反動として、確固としたオーソリティや序列や権威を求めて、何かに忠誠的になったり、他者に攻撃的になったり
すべてのクラスターに通じるものとして「ほんとう」のことを提唱したりすることが、日常的なこととなるだろうし、すでになりつつある。
表面上は、まとめブログによって、youtubeの再生回数によって、徐々に「大衆」における「普通」や「流行」は担保されていくことになる気はするが
その根底では、価値観を担保していたものの崩壊が徐々に起こっている。
スピリチュアルでも、自己啓発でも、ノマドでも、愛国心でも、ライフハックでも人生の指針となってくれるものを求めている。
これらの価値観でも、宗教でもなんでもそうだが、人生の指針となってくれる価値観を求める欲望は消せないし、否定すべきでない。
すべての価値観をクールじゃないと否定したあとに待っているのは、ニヒリズムか退廃と決まっている。
「ほんとう」の価値観を求めて、匿名のコメントで殴りあうことがこれからもネット上では続くだろう。
それは価値観の衝突とも呼べるかもしれないし、対話とも呼べるのかもしれない。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111116dde012040015000c.html
西尾維新の「難民探偵」思い出したわ。「下流志向」とか「下流社会」でもいいけど私は内田樹も三浦展も嫌いなのでこっちは取り上げない。
職もなく、その日暮らしの生活のはずが、ネットカフェで結構贅沢な環境を享受し、明日のモチベーションをスポイルされている人達を見て主人公二人が交わす会話の部分。
泥のように甘やかされるその場所で、危機感を持ち、立ち上がらなければ・・・堕ちていくばかりなのだ。
「格差社会なんて言って、上流であればもちろん、下流でも、そこそこセレブな生活を送るっつーか・・・・危機感を抱きにくい。
生きて暮らせる。
だけどそれは錯覚で、本当は坂道を転げ落ちるように追い詰められれているにもかかわらず、
飢え死にするその直前まで、討ち死にするその直前まで、自分だけは大丈夫だって思えるシステムが組みあがっちゃってるのさ」
「いいこと・・・なんですよね?弱者にやさしい社会なんですから」
「程度によるよ。甘やかしは、自立心を損なうだろ?」
「まぁ。そりゃ、わたしも経験しましたが・・・でも、それを理由に放り出されても敵いません」
「そうだね。だけど、保護が行き過ぎると、過保護になって、弱者に甘い社会となって・・・頑張る気をなくしちゃう。」
考えてみればお恐ろしい話だ。政府が、労働を国民の義務に位置づける理由も、わからないじゃあなかった。・・・人間の欲望の中にはそもそも労働欲なんかないのである。
「認知不協和を起こしますよね・・・・明日の稼ぎも明日の暮らしも分からないという現実と、ネットし放題マンガ読み放題、ドリンク飲み放題という現実。
すれ違うどころか、衝突するでしょう。どんな折り合いをつければいいのやら」
「ソレでいいという妥協もあり得るだろうけれどねぇ
十年後、同じように暮らしていられるかが分からないという漠然とした不安だけは、拭いようはないさ・・・って他人ごとのように言ってるけど、これは俺本人の話だな」
(私は多分・・・おじさまだけじゃなく、いろんな人達から甘やかされていて、
そして生かされている
生きているのではなく、生かされて・・・・否。
難民探偵は、ミステリーとして読むと不満な人が多いらしい。Amazonの評価は激低い。しかし、殺人事件以外の部分はすごく面白いと思うよ。
ミステリーは謎を解決するもの、じゃなくて、謎を解決する際に、あるいは謎を解決した後に残る解決不能な問題を提示するもの、って発想で書かれているから。
さあ、皆様、謎は全て解いて差し上げました。後は問題に、如何様な解決をお与えになりますか? (「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん5 欲望の主柱は絆」 P162)
殺人事件は解決しました。でもその途中で見た様々な問題は解決されません。
そもそも殺人事件は私の問題ではありません。
私の問題は一歩も進んでいません。
物語は終わっても、問題は終わりません。
そもそも、現実にはドラマティックなことなんて何もありません。
地道な現実しかありません。ドラマを求めてもいいことなんてありません。
さあここまでわかった上で、どうしますか?
いわゆる「健常なキミはいつまでもドラマに浸ってないで現実に帰れよ君」的な嫌がらせのようなお話なわけで。
まぁ「西尾維新にはこんなこと言われたくない」という人には何を言っても気に入らないのだろうけれど。
西尾維新はもともと、普通な人やら、青春を過ぎた大学生に優しくするつもりなんて微塵もないということをわかってない読者が悪い。
ちなみに私が内田樹が嫌いなのは、安楽椅子探偵気取りで冤罪事件をしょっちゅう起こして問題を有耶無耶にし、そのことに自覚がないから。
下流社会での主張は「学ばないのも、働かないのも、自分を「消費者」と位置づけているからだ、という主張」ということであり、それに対して嘆くだけ。
一昔前にテレビで「今の格差社会をぶちこわすために一度戦争になってリセットしてほしい」とか言っていた若者が話題になったが、TPPってそういう既存のものをぶちこわす意味では戦争的なわけで、ネットで反対の声が多いのに違和感。
深くチェックしてないのでなんともいえないけど、いわれている「TPPは日本を壊す」というのが事実でも、このままでは日本は閉塞状態になっていつかビックバンが起こるかもしれない訳で、それなら体力が残っているうちに一気にぶちこわして復活した方がよいと思うけどね。
あと「米国が日本を食い物に」……とか言われてるけど、今の日本に食うべき価値なんてあるの? 内需狙うなら中国インドあたりをターゲットにするだろう。日本はそこら辺を引き込むための踏み台にはなるかもしれないけどね。
大阪駅の一風堂当りで演説してる人からただでもらったので読んでみた。
ひとことで言うと「大人のためのセカイ系中二病のススメ」という感じ。
誤解がないよう、本の内容の前にwikipediaを引用しておく。
設立当初は霊言集の刊行などによる「霊知識」の普及を中心とした啓蒙活動が展開され、信仰に関することが説かれることはあまりなかった。後に、教団内で組織ができるようになるが、多くの会員は入会する前に持っていた信仰に従い、会を指導(支援)しているとされた「高級霊」(例:日蓮宗系の人は日蓮、浄土真宗系の人は親鸞)を信仰していた。1989年からは、「三宝帰依」など信仰心について説かれるようになり、1990年「信仰と伝道」の法話が説かれ、1990年からは組織的な伝道活動が開始されるようになった。また、宗教法人となった1991年には、『月刊Asahi』4月号で幸福の科学の紹介記事が掲載されたほか、東京大学での野外講演「黎明の時代」(5月)、東京ドームでの「御生誕祭」(7月)、講談社フライデーへの抗議行動(9月)などで世間の耳目を引いた。1992年12月には、会員でも代理本尊の一つである「家庭御本尊」を安置することが可能となった。1994年4月10日には、主宰により「方便の時代は終わった」と宣言され、根本経典や基本書の『太陽の法』が改訂され、教団の運営体制の整備が進むとともに、三宝帰依を中心とする信仰へと移行し、1994年6月からは三帰誓願式が始まっている。
現状は、仏教の中でもとくに浄土真宗をベースとした教義を説いている印象を受けた。
他力信仰、来世での救済をベースとした互助組織のようなカタチをとっている。
言ってみれば戦国時代における石山本願寺から、武力的要素を引いたようなものである。ってそれ引いたらもう別物か?
今までの宗教は、仏教しかりイスラムしかり、発祥した地域の束縛を受けているとし、
それゆえに争いが絶えない。特に旧いものを新しいものが倒そうとしてしまう傾向があるとして諫め、
そういったものを、より広い視野から、至高存在「エル・カンターレ」によって調和・調停させる。
これによって未来の最終戦争を防ぎ、地球平和を実現しようというのが最上の目的。
要するにセカイ系。
ただし、普通のラノベと違って、そこそこ現実感覚があるため主人公一人だけというのは無理があると理解している。
また、大人は若者と違って基本的に殺し合いや戦争といったものに憧れよりも嫌悪を抱く。
そのために補足が行われている。
・その一は「一人で戦わない」こと
「大勢の人間が一つに集まって、セカイ系の主人公の役割を一緒に果たそう。みんなでセカイの敵と戦おう」と促す。
・そのニは「武力を持って戦わない」こと。
平和を目的とし、手段にしても「争いの調停者」という形を取る。武力介入しないソレスタル・ビーイング?・・・うーん。
・その三は「支配するのではなく模範となる」ことを目的とする。
世界宗教によって世界を統合し、争いをなくすことが目的なのだが、自らが世界に広がろうとはしない。
あくまで日本に理想の宗教国家をたて、モデルケースとして運営することで、世界がソレに倣うように仕向ける。
なぜ日本にモデル国家を建国するかというと、日本は未熟ながら、最も理想を実現するのに適した下地だから、だそうです。
こうやって中途半端に自分のコトを賢いと思っている大人の心をくすぐるのが上手だな、と感じた。
何事も斜めに構えてケチを付けるけれど、ちょっと合理的な説明を返されるところっと信じてしまうタイプの人ははまっちゃうんだろうな。
成り立ちからして明確な教義を持ってスタートしたわけではないことから、信仰によって他者を排斥するということはあまりない。
唯一のルールは教祖である大川隆法を信仰することであり、ソレ以外を強要されることはない。かなり自由。
(逆に言えば、他の「個人崇拝」型の宗教や論理的に厳密な人間を極端に嫌う)
「幸福の科学」という言葉にあるように科学についても寛容、というより手段や戒律に厳格な要素は少ない
あくまでも幸福を実現することが目的であり、その目的にかなうのであればそれは全てエル・カンターレの意に沿うものである。
それは他者への愛(作中では「慈悲」)と大いなる存在への感謝(作中では「信仰」)によって成し遂げられる。
要するに目的が正しいならなんでもありってこと。
大事なのは「信仰心=大いなる存在を信じ、その愛に感謝すること」をもって生きることだけであり、
その基礎さえできていれば他の宗教についても非常に寛容。
社会全体の幸福を増大させる限りにおいて自由を尊重し、格差社会も肯定する。
彼らは「みんなで不幸になりましょう」という教義を持った異端なんだそうです。詳しい説明はなし。
セカイ系の文脈で見れば、明確に戦うべき敵が存在する。それは「世界の幸福量を減らす存在」である。
非常に漠然としているが、それだけ個人によって想像力を働かせる余地があるということでもある。
幸福実現党の人たちが、実にいろんなバラエティに富む政策提言をしているのはこのあたりのユルさがポイントか。
人間を霊的な存在と捉え、より高次な視点から世界全体を把握する
あくまで天上界から見ての善悪を重視する。一番大事なのは信仰を持つことであるとする。
ちなみに、人間が霊的な存在であるということを認識し、ソレを極めると過去の偉大な霊との交信なども可能になるらしいです。
世間一般では「幸福の科学=大川隆法が○○の霊との対話をしてなんかテキトウなこと言ってる」というイメージがあると思うが
あの対話はこの「人間は霊的な存在」=「霊的な存在には制約がない」=「現世と来世の境界も超えられる」という教義によるらしい。
現代の日本や世界情勢の分析について、中途半端に現実的で、そこからはじまる怒涛のオカルト臭い説明がなんとも言えない。
同級生の持ってる時計の高さに引いた
時計の金額を見ていると婚期逃すよ、と2ちゃんで揶揄されてたけど
同姓の俺が見てもそうなのかなあ
それに比べ俺は給料も増えず、彼女も大学卒業後0、家は無く、車のローンで四苦八苦
ほんのちょっとの差がここまで差がつくかー
どんだけ薄給でも都会にしがみついていたらチャンスが広がっていたのかな?
それはあなたの意思と努力と能力の無いせいだよと言われたら何も言えない
でもそんな強くないよ
今はそんな事する余裕全く無いや
日々の仕事に追われ、日々のストレスに苛まれ、日々ただ過ごすだけ。
年に一度、毎回同期と会うけど、その度にボロボロにされる
昔はそんな俺を弄ってくれて、お前努力家だし、すぐにこっちのステータスに来れる来れる!、とか言ってくれたけど
最近はもう腫れ物に触るかの扱い
大体、会話のレベルについていけない
俺はそんな大層な仕事がある職場でないから、自分を道化にしてなんとか笑いを取っている
いいやつらだし、この縁はずっと続けたいと思っているけど
社会通念上、学校教育なんてとうの昔に崩壊していて、教育は事実上予備校任せと受験テクニックの横行、偏差値競争、社会は民主的でもなんでもなく阿鼻叫喚の権力、金銭競争の格差社会なんだが(現時点ではどうか知らんが少なくとも80年代以降の教育は明らかにそういう社会を目指していた)、この社会の水準でまだ法律の良識が通用すると思ってる霞ヶ関や司法ってのはただの馬鹿だよ。今の若者の生活環境考えると、健全な社会通念ってのはほぼ不可逆的に崩壊してる(20代以下が上から押し付けられてきた経験の核が戦争だから人権保障とか無理なのも仕方がない)。それでも官界や法曹界に行く奴はただの馬鹿か、嘘つきに成り下がったけど勢力的には絶対最強の国にすがりついて利益を漁ろうというヤクザ以上の犯罪者かのどっちか。まあともかく今の日本には国を仮装した絶対的ヤクザと、相対的ヤクザという普通のヤクザの小競り合いと共存共栄しかない。社会ってのは終わった年寄りよりも活発な若者が中心となって形成すべきものとすると、これが真の社会通念だよ。間違った社会通念で書類書いたりしてる行政や司法は考え方が間違ってるから訂正したほうがよい。とにかく80年代以降とりわけ90年以後の教育が終了してるから、手遅れ。テオクレティアヌス。これは休憩とかいうレベルではなくて、ただの崩壊。80年代以降の教育を受けた若者に今の民主国家を引き継ぐのは不可能。今後の日本はコンピュータグラフィックスみたいな空疎な虚構民主主義社会となっていくだろうし、実質的にはクズの競り合いと共栄しかないし、昔と違って年取ればとるほど不幸な国になるよ。勝ったか負けたか以外に生き甲斐がないんだから。まあとにかくすでに悪党支配の虚構民主主義社会だから正義もクソもないし、どんなひどいことでもやっていいんじゃないのという感じ。日本はあらゆる意味で終わっている。昭和世代の努力は水泡に帰した。
「6.11新宿・原発やめろデモ」において発生した、20歳学生に対する集団リンチ
「6.11新宿・原発やめろデモ(http://611shinjuku.tumblr.com/)」において、20歳の学生に対する、集団リンチ事件。
「ヘイトスピーチに反対する会」有志
柏崎正憲 栗原学 常野雄次郎(@toled) ほくしゅ(@hokusyu82) 山口素明 ほか2人
してないよ。生産に寄与していない層を保護するには限界がある。という話だろ。
もともと、働きたくても働けない。 という おかしな言葉。 まるで、働きたいと思ったら、働けるのが当たり前であるかのような言葉がまかり通っているが、理想であって現実ではないという話だろ。
そもそも論として、単純労働は出来る人が多く、仕事の量はそれにたいして少ない。そして、そういう仕事はどんどん安い地域に持って行かれる。
だから、そういう仕事を国内で増やすためには、非単純労働が出来る人を増やさないと、単純労働の総数が増えない。したがって、単純労働の数を増やすために、非単純労働を優遇して伸ばさないといけない。という話だろ。
そのなかのサンプルとして、都市一極集中が出てきているが、それは現象であって、議論ではないと思うよ。
もっといえば、同時並行に話をしているんだから。
『所得移転』といわれているが、地方に所得と呼べるものがあるのか?という話だったはずだ。
地方に所得と呼べるものがあって、それを中央が奪っているのか?
それをやると、非単純労働が競合国際社会に負けて、競争力が無くなり輸出が減少するから、結果として、単純労働も減ってしまうから不可能。というのは、歴史の流れだと思うが?
ITなんかの振興産業を例にとればtwitterにしろFacebookにしろ、もっとわかり易い例で言えばお家芸のiPhoneにしろandroidにしろ 日本は全敗
なぜか? 頭が居ないからなんだよ。
なんで、頭が居ないのか? 中庸主義で、頭をたたきまくった結果、 頭は皆 渡米したから。(私の周りも結構渡米した人が多い)
だから、法人税減税にしろ、所得税の上限引き下げにしろ、優遇政策を撮り始めて
そもそも、中庸というのは、この前どこかの未開の地で、新しい部族が発見されたけど、そういうようなのも含め、インドで餓死する人が出ているようなのも含め
グローバル社会の中での 中庸であって、 今よりも だーーーーーーいぶ下の方なんだよ?日本はGDP3位の国で、平均をとっても裕福なんだよ。
それを、中庸にしようという事は、 保育園なんて、贅沢だ という話をするに等しいよ。
中庸そのものは美しいと思うけど、現実的に今の日本で中庸というのは、すんごい下の方だという事を考えると難しい。
あと、中庸がいい。じゃなくて、政治的経済的、グローバルな視点で、政策として実行可能な範囲でどの中庸なのか?どういう制作なのかを、
長文できちんと説明してくれないと、 中庸有りきでいわれても、 困るよ。 中庸と行っても 莫大な数の中庸案があるからね。
時代背景に反することを説明する場合は、きっちり、なぜ、時代背景に反したことを主張するのかを善悪ではなく、実行可能かどうかの観点から全部説明してくれないと困る。
院に進んだ人、逃げた人。
濃すぎる面々。さすがDラン。
一同やっすーい飲み屋へ。
仕事がある人ない人が入り混じる飲み会は話題を慎重に選んでいたような感じ。
ただ、仕事がある人はすごい忙しく、どちらもネットでは比較的ホワイトだという評価のある企業にもかかわらず、サビ残上等有休は指定した日に取らされるという理不尽な環境。職場では自分をよく見せるためにそんな中でもやりがいがあると嘘を付き、そのたまったストレスを飲み会で晴らす悪循環。
それを聞いていた無職ニート一年目の男は「やっぱ働いたら負けだな」と強がってみせるが、「いやホント、あんなの苦行でしかないよ」と目をがんと開いておだてる総合職女。おまえら結婚しろ。
マクロ厨な僕は「女の残業分男に行けばいいのにネ」と軽く流そうとするが「ねー!政治家にでもなって何とかしてよ」と相槌をうたれる。しまった。
教授は同大学の院に逃げた、同じ院の男と結婚予定の女と研究テーマについてうだうだ話している。別な大学にロンダリングした男はタバコを吸いに外へ。
僕はそんなゼミのかつての面々が大好きだが、やはり将来を思うと不安である。こんな空間がいつまでもできるわけじゃないよな、と。
おそらくこのゼミの同窓はもってあと二三回が限度だろう。すでに格差社会を予見させるような人が数人いる。僕はどちらかというと格差の下だろう。
ひとりに必要以上の仕事を押し付け、ひとりは仕事すら与えられない。
押し付けられた人も、押し付けられた割には合わない給与で働かされ、ひとりは給与なんて存在しない。
結婚する男も、結婚した女も、子供は資金が足りなくて創るつもりはさらさらないという。実家に戻りたくもないけど家賃を一人で負担するには辛い。消極的な同棲からカタチだけでも結婚しようかというところのようである。
歪だ。
しかし、是正はされない。
政局の前には、僕らの一票なんて大した価値はない。議員だって、党にいる以上、上の空気を読んで行動してしまう。
負け戦だ。いや、不戦敗だ。
教授を見る。
目線を戻す。
ため息が出た。
タバコを吸ったデキる院生が俺の隣に。手にはカルピスサワー。Dランのくせにポスター発表しやがって。おめでとう、そして滅びろ。
そんな僕は先月自主都合で企業を退職した。嫌気が差したのだ。入社したとたん社内政治に巻き込まれ、新人教育などあってなかった。直感が告げた。この企業は早晩潰れる、できる限り早く逃げろと。そして脱出した。まだ企業は生きている。
「あのさ」
デキ院が話しかける。
「俺、彼女ができたんだ」
お前KIRINだったはずじゃ。
ニート一年目男が総合職女と話しながらこっちを見ている。器用な真似しやがって。
実はアッーだなんて消費されつくした話はやめてくれよ。勃起するだろ//
結局遅刻予定の男はラストオーダーだけ顔を出した。きっちり金は払ってもらうぞ。メシウマ。
教授は完全にできあがって夜の東京の雑踏に消えていった。僕らも解散した。
次に一同会することはできるのだろうか。