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はてなキーワード: 選挙とは

2012-02-14

政治家に実績が必要とされなくなったのはいからなのか?

ここ最近大阪の橋下市長が何かと話題にのぼることが多いのですね。

その中でも特にびっくりしたのが、世論調査で「大阪維新の会に国政への進出を望む」っていう声が60%を超えているという話。


え?まだ何の実績も上げてない人たちに国政進出を望むの?


というのが、感想です。

選挙圧勝したのは凄いことですが、それはあくまで過程であって結果ではありません。

下市長率いる大阪維新の会が輝かしい実績を積み上げていくのか、それとも最近槍玉に上がることが多い

何処かの政権与党のような醜態を晒すのかはまだわかりません。

からこそ、国政に話を持って行く前にまず話題にすべきことがたくさんあるように思うんです。


マスコミの役目って何でしょうね?

掴んだネタ面白おかしネタにして遊ぶのは2chアフィブログで間に合ってるので

もう少しちゃんと考えて記事書いて欲しいですね。

2012-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20120207132249


kenokabeはしばらく前に超笑える電波ばかり発信してたバカww

kenokabeだけは、残念ながらリスペクト出来ない。だって馬鹿なんだものwww

えっと・・・

まず、本当にどうしようもなく頭が悪くくだらない人を相手にしてはいけない。

そして、どちらも相手こそが全くのバカだと思ってるとき、議論はどうやっても成立しない。

最大限の歩み寄りなんて、すでに終わってる。ヒズボラとかシーシェパード相手に、話し合いなんて絶対無理。

増田だって、いまプロレスやらアイドルやらに関して不毛すぎる口論してるひといるじゃん。

下市長も、「話し合いはやってる。でも話にならないか最後は決めなきゃいけない。」みたいなことばっかり言うでしょ?

から見たら、ただの独善と区別がつかないけど、それでも議論を放棄しなきゃいけないときというのが、たくさんあると思う。

政治経済は元官僚が正しい、みたいな話を借りてたとえると、官僚じゃなくて、政治家あるいは国民が決定権を持っているものもある。

ここで、賢い官僚意見は、難しすぎてそのままではバカな国民どもには届かない。それに正しくても都合が悪い圧力団体もいる。

そのため、「国民の支持集めゲーム」をプレイする、政治家が必要じゃん。

国民による選挙で選んだ政治家が決める。」という意思決定構造ではないものの、出版だの言論だのも、こういうよその都合とか、バカの無理解とかの影響はあるんじゃないの?

佐々木さんは、誠実に議論する段階の専門家じゃなくて、それらを活用して口喧嘩的に決定に影響する段階の専門家というわけではないの?

仮にそうだとしたら、誠実に議論せよなんて無意味だ。出版業界とか佐々木さんについて詳しく知らないから、ひょっとしたら違うかもしれないけど、一般論を当てはめてみた。

最後にもう一度、kenokabeはバカ。ますだが匿名でよかったw

2012-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20120206025011

横だが。

組織票とかある」が「不利益を被る」とどのような因果関係が。

まー、一応解説すると

組織票として動員されない人(要するに、一般人浮動票と言ってもいいだろう)が投票に行かないと、

組織票がカタい組織(某学会とか)が、実際持ってる票数以上に有利になる。

それは、組織票がカタい組織(某学会とか)と利害を共有しない人にとっては、好ましくない(不利益を被る)という意味だろう。


いっきり単純化して、世の中が某学会票10%、浮動票90%だとする。

で、全員が選挙に行けば、某学会票は全体の10%取るわけだ。これは民意の正確な反映だから別にいい。

でも、浮動票の人が1/3しか選挙行かなくて、某学会の人は組織動員だから全員選挙行くとすると

学会票の得票率は25%に上昇することになる。

これは凄く単純化した例だけど、浮動票選挙行かないと、

組織カタいところばっかり現実組織の大きさ以上に有利になっていってしまう。

そのような傾向が続けば、政治家選挙落ちたらタダの人なので、組織票のあるところばかりを見て

政治をするようになるだろう(あるいはもうなってるか)。

そういう状況は、一般の人にとって不利益だと、まぁそんな感じ。


一応解説してみただけで、俺は別にから選挙行けとか言うつもりは無いけど。

http://anond.hatelabo.jp/20120206025727

じゃあ、組織票してるところに投票するわ

って言ったらギリギリと歯軋りするんだろうな

少なくとも選挙に行ってくれてありがとうとは言わなさそう。

http://anond.hatelabo.jp/20120206021043

あの党に投票してくださいとかいうお願いの電話なら目的が分かるが

選挙に行きましょうというだけの啓蒙活動をしている奴は謎だよな

そんなこと投票用紙に書いてあるのに

http://anond.hatelabo.jp/20120206025727

元増田だが。

意味不明

組織票浮動票のことを知らない場合には選挙行かなければならない」という主張に根拠がない。

そして「単なる連帯責任」とやらは選挙に行こうが行くまいが発生する。

http://anond.hatelabo.jp/20120206025011

組織票浮動票のことも知らずに、選挙行きたくないとか言うな。

わかった上で、いかない権利を行使するならともかく

何も勉強して無くて、わからない事だらけで、行かないとかさすがに勘弁。

あと、増田投票行動『だけ』じゃなくて、単なる連帯責任な。

http://anond.hatelabo.jp/20120206021043

選挙いかないのは権利だけど、どちらかと言えば行ったほうがいいし、とくに選挙いかない主義ですと宣言してない限り、「行けっていうのがうるさい」ってのは過剰反応なんじゃないの。

http://anond.hatelabo.jp/20120206023656

元増田だが。

どこに「選挙行け行け厨」が潜んでいるかからないので、

迂闊にリアルでそのような発言をすることはない。

http://anond.hatelabo.jp/20120206021043

いや、普通に組織票とかあるんで、選挙に行って欲しいんだが。

投票しない権利は認めるが、貴方が投票しないことによって不利益を被るんだが、選挙行ってくれってのも当然だろ。

組織票みたいに連行されるわけじゃないんだし。

選挙行け行けうるさいな。

京都に住む友人から「ちゃんと選挙に行きましょうね」なんて唐突に言われた。

ええまあ、とか何とか言いながらお茶を濁してその場を凌いだわけだが、

先刻、全く別の知人から「今だからこそ選挙に行くべきです」などというメールが届いた。

何?他人に選挙行くよう勧めるのが流行ってるの?

それとも選挙行け行け詐欺

はっきり言って余計なお世話である

選挙行くのも行かないのも個人の自由なのだ

国民意思表示から、だと?

ちゃんちゃらおかしい。

よく考えて見るとよい。

果たしてこの国は選挙に行かなければ意思表示もできないような国なのか。

選挙というのは意思表示の「ひとつ」であって「すべて」ではない。

まるで選挙に行かない人間は何ら意思表示をしていないかのようである

選挙に行かない奴らは意思表示ひとつできない腰抜けのファッキン野郎だ!それにひきかえ選挙に行く俺たちは自分たちの意思を示すことができる最高にイカしたナイスガイだ!」とでも言いたいのであろう。

実にくだらない。

それでいて選挙行け行け連呼していれば社会貢献になるとでも思っているかお気楽なもんだ。

そんな社会、はっきり言って嫌である

「俺たちは社会貢献人生を捧げる最高にヒップボーイズエンガールズだ!今日も50人の友人に選挙に行くようメールしたぜ!この社会から選挙行かないヴァンパイアを退治するためになっ!」とでも言いたいのであろう。

盲目的過ぎる。


はっきり言おう。

選挙は行きたい奴だけが行け。

そして行かない人間に干渉するな。


その後、その友人と知人を着信拒否にしたのは言うまでもない。

2012-02-05

ルーピー改名するらしいが

選挙って確か通称で活動できて、通称が書かれた投票も有効とみなされるんだよね?

たとえばビートたけし立候補したら、本名の「北野武」はもちろん「ビートたけし」でも有効票になるはず。


となると、仮にルーピー改名したとして、次の選挙ルーピーと同じ選挙区に「鳩山紀夫」という「通称」で別の誰かが立候補したら、「鳩山紀夫」と書かれた票はどっちが獲得するんだろう?

そもそも申請が認められないかな?

2012-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20120201235946

香山リカ選挙期間中に平松陣営の応援演説をやってるくらい平松サイドの人間から

ペプシ社員が「コカコーラは不味い」って言うのと同じようなもん。

橋下がどんな善政を敷こうが絶対に認めたりはしないよ。

2012-01-30

ハシシタ君の許せない所

1. テレビで見当違いのアジテーションをしたこと (90%)

犯罪弁護人は、世界で全員を敵に回そうとも被告人の味方であることを求められる。こんな厳しい仕事を進んでやる人が一人でもいるから、裁判正当性が担保されるのだ。それを理解していない筈はない。単純にポピュリズムというか、衆愚主義にのっかって(群集の快感原理に訴えかけて) 弁護士会への懲戒請求を煽る。

こんな人権意識人間首長なんかやらせられるか馬鹿もの

2. 思い込みで教育を左右できると思っているところ (10%)

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/01/28/kiji/K20120128002522420.html にもあるが、結局の所教育問題ってのは誰でも口をはさみたくなるが故に、しばしば間違っていることであっても「正しい」という信念のもとに正当化される。しかし、教育を左右するというのは国の基礎を左右している、という責任感はあるのだろうか(私には全く感じられない)。建っている建物の基礎を変更するんだからドラスティックに変更したら、いくら設計図が正しくても工程管理ミスで家が引っくり返ることがある。ましてや、その棟梁選挙で選ばれる(すなわち、継続性が保証されない)政治家だと言う。

短期的に見ればミクロ世代間格差や想定していない副作用おかしなことになるだろうし、長期的に見れば右に左にゆさぶられた教育現場がぐだぐだになるだろう。教育改革は1つのサイクルすら5年、10年という長丁場の覚悟がないと、本来は為しえない難事業なのだ。どうしてもドラスティックに変えたければ、特区や特定校指定などといった「離れ」でまず実験をすべき。これは、別に教育に限った話ではなく、生きているシステムは全てそうだ。

http://anond.hatelabo.jp/20120130181922

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき~じゃないけど、次に「敵」指名されるのが自分ではない保証はないしね。

それって橋下市政がこれからずーっと続く事が前提の話だよな。

そういう話をしてる時点で橋下市政の長期化を無意識に肯定してるようなもんだと思うが。

 当然内部で意見の統一のしようもないし、「代表者」の声は相対的にかき消される。

そもそも選挙洗礼を受けた市長と、公務員試験合格しただけの公務員(の代表者)が対等って前提からしておかしいよ。

橋下を追い落としたいのならば、反橋下派で結集して議会で多数派を形成するとかやればいい。

実際、橋下はそれを実行に移して今の地位に上り詰めたわけだし。

 冷静な検証と議論をする下地を「作らせない」ことで敵に対して優位に立つというのは、為政者としてはまずかろう。

そもそも「冷静な検証と議論」してる人って具体的に誰よ?まさか例の精神科医とかか?

2012-01-26

野田の最新の演説:添削

添削

「全ての国民を代表する国会議員の皆様。→選挙で選んだのはyoutubeの君であって今の君ではない。

志を立てた初心に立ち返ろうではありませんか。→戻ってねーし。ほんとに戻るの?!

困難な課題を先送りしようとする誘惑に負けてはなりません。→じゃあ天下り改革よろしく!

次の選挙のことだけを考えるのではなく、→これは少しは考えた方がいいよ。

次の世代のことを考え抜くのが『政治家』です。→こんなことしたらまた若者選挙いかなくなるやんけ。


政治を変えましょう。→確かに変わったね。

苦難を乗り越えようとする国民に力を与え→君では無理だ。全国民脱力乙。

この国の未来を切り拓くために、今こそ『大きな政治』を、『決断する政治』を、共に成し遂げようではありませんか。→抽象的すぎ。

日本の将来は、私たち政治家良心にかかっているのです。→えーーーーーーーーーーーー!!


みんなも添削してみたらいいよ。この程度で早稲田受かるから

2012-01-22

小田嶋隆ツイートを読んで「そうだそうだ」と声に出しちゃうやつは、一生非正規

http://togetter.com/li/239139

http://anond.hatelabo.jp/20120118104228

失業ほど根源的な反抗は無い。あの人たちにはそこのところがわからないんですよ」

「で、あんたはい辞表を叩きつけるんだ?」と問い返さないでいるのが困難。

「まあ、20代半ばのアマチュアロックバンド座付き作詞家の半失業者に向かって、一部上場企業正社員が「反抗しろよ」とか言ってたわけですからね。」

気持ちはわかる。でもさ、そうやって若者、とくに非正規を扇動するのはどうかと思うんだ。

だってさ、じゃあ非正規がどうしろっていうんかな?

失業が反抗?自発的失業が世の中を変えるか?

んなわけない。

失業率が上がろうと、正社員ポストは渡すような試みをすると思うか?

新卒内定率をちょっと上げるようにちょっとくらい対策をとるだろうけどさ。

失業なんかしたって、選挙に行くことと同じくらい無意味だ。

世の中を多少でも変えた非正規なんて、加藤智大くらいのもんだ。

それだって、石を投げ込んだ程度だ。

あのね、非正規が正社員になりたかったら、正社員に、労働組合に媚びないとダメだろ?現実問題としてさ。

縁故コネ枕、あらゆる手段を使って、這い上がんないとさ。

社会を変えたかったら、マスコミにすりよらないとダメだろ?

なにが正社員には言われたくないだ、マスコミには言われたくないだ。

小田嶋隆ツイートを読んで「そうだそうだ」と声に出しちゃうやつは、一生非正規、40になっても50になっても60になっても年収300万。

2012-01-16

反橋下から離脱するとっても簡単な方法

まず「反橋下」と思われた時点で負けなんでないかいとゆー感じ?橋下vs反橋下という構図のところにでていくのがまず負けにいくようなもの

小泉郵政選挙の時大前研一民主党アドバイスしたが採用されなかった方法松平定信や、古くは劉備玄徳なんかも好んだ方法


絶対にやってはいけないのは「人」「党」レベルでの対立

橋下さんという一個の人格を攻撃するのは避ける。

郵政選挙の時の民主党抵抗勢力現在自民党がやってる行為はまさにこれなんだけれど、

視聴者から観て苦笑しかかばないだろう。



相手が掲げている論点で勝てそうになかったら、その点では戦わない 代わりに勝てそうな論点では絶対に妥協しない

大前研一は、民主党に対してこうアドバイスした

小泉が勝てる要素は郵政改革の一点しかない。

 そして自民党はもう郵政改革を争うというムードを作ってしまい、国民がもう乗っかかるムードになっている

 どうしてもこれが許せないなら、他の政策の訴えをすべて捨ててでもこの政策を潰すべきだ、と国民が納得できる理由をつくりなさい。

 郵政改革に反対じゃないなら、この論点は解散選挙を経るまでもなく通しなさい。むしろ協力してやる姿勢を見せなさい。

 民主党政権下でも郵政改革やりますよという事にして、

 その他の面では自民党はだめだよね?民主党の方がいいよね?というテーマ解散総選挙しかけなさい。

 勝てる論点を用意できずに喧嘩をするのは政治音痴のやることだ」

しかし、当時の民主党は、直近数回の選挙戦好調だったから、大前研一アドバイス華麗にスルーされ、ご存知の有様になった。

今の自民党もこれと同じ状態に陥っている。

そもそも自分たちも消費税増税といっていたのに、「民主党が言ってるから反対」という、死ぬほどお粗末な難癖つけしかできてないように見える。

解散総選挙の時、何を論点にするつもりだろうか?「消費税増税やめます」とは言えないのだ。売りは何だろうか?

そういうことをなんにも考えずに、ただ駄々をこねているように見える自民党谷垣総裁の振る舞いは、かなり目に痛々しい。


さて、橋下徹のやってるのは小泉の時とよく似ている。

教育改革」だの何だのと、大した中身はないにもかかわらず、フレーズだけを打ち立てて、相手を「改革の敵」とみなすことで優位をつくろうとしている。

こういう時にやれハシズムだなんだのと、直接対抗しようとしてもダメだ。


そうじゃなくて肯定して、質問する形で懐に入り込んで、そのお粗末な中身を晒してあげればいい。

教育改革ですかー、素晴らしいですね。で、具体的には?え?まだそれだけしか考えてないんですか?

 へーそんだけしか考えてないのに、学者をバカだのアホだの言ってたんですかーがら悪いですねー

 というか大阪市民を舐めてますよね。そういえば府政の時結局あなたどれほどの実績が出せましたかね?公約どの程度守りましたかね?」

橋下徹は、実際は政治運営能力が高いわけじゃない。弁論が美味いだけである

ならば、その政治運営能力の採点を、自ら自己申告させてあげればいい。そこでウソを言えば信用出来ない、本当のことを言えば

この人に期待して大丈夫か、ということになる。そういう話。

下市長にアカデミズムが勝つ方法

まず橋下市長の敗北とは何かを考えると、市民の支持を失い次の選挙落選する事だと思う。

落選させる為には市民が橋下市長以外の人に一票を投じないといけない。

市民候補者たちの「何をやるか」という約束を並べて検討し、一番期待できそうな人に一票を投じる。

候補者約束に期待ができない場合のみ、消去法で一番不信感の低い人に票を投じる。

という事は「橋下市長のどこがダメか」を延々と訴え続けてて不支持率を上げても、

他に期待できる約束を提示できる候補者がいないことには確実に落選させる事は難しい。

市民は消去法など本当は選びたくない。

候補者のどこがだめか」よりも「候補者が何をしてくれるか」が大事なのだ

  

さあ頑張れアカデミズム。答えはもう出ている。

2012-01-10

結局、現状の選挙制度では多数派である老人の影響力が大きくて

老人の利害に反する政策は、将来のためにどうしてもやらなければならないものだととしても

実行不可能。

だとしたら、選挙に頼らない政策実現の方法を考えないと、いつまで経っても議論は堂々巡り


民主主義を投げ捨てるべき時が来ているのでは?

つーか、もともと有事には向かないシステムだろ、民主主義って。スピード感なさすぎて。

今の日本の状況は、有事と言って過言ではない危機的状況だろう?

民主主義でチンタラやってる場合じゃねーんじゃ?


…なんてことをつらつら考えたりはするが、そう言う俺自身、じゃあ革命闘争に身を捧げるか、とか言われるとな…

俺じゃない誰か頑張れ、になっちゃうw

2012-01-09

選挙による世代間格差

選挙の1人1票を変えようぜ。

老い先短い世代と若い世代が同じとかおかしい。

実施する政策によって影響を受ける長さが違いすぎる。公平ではない。

例えば消費税を10%に上げる、上げない候補者を選ぶ場合寿命まで10年の世代と寿命まで50年の世代で支払う額が違いすぎる。

権利と義務が表裏一体であるなら、多くの義務を背負っている側が多くの権利を持つのは当然じゃないか

から

平均寿命-年齢=投票ポイント平均寿命以上は一律で1ポイント

みたいな年齢に比例するのはどうだろう?

前述の例だと10ポイントと50ポイント

5倍の義務を負っているが、5倍の権利も持っている。

老人は先人としての知恵がたくさんあるから間違った人を選ぶ確率が低いというやつもいるだろうが、そんなに知恵があるならむしろ立候補してその知識を生かせよ。何のためにその知識を蓄えたんだよ、と。

得た知識を自分のために使うのではなく、人を導くために使えよ、と。

独裁独裁言うけど

イラクフセイン大統領だった末期に、たしか選挙してるんだよな。

北朝鮮だって中国共産党だって、名目的であれ茶番であれ、

選挙そのものを必要としているこの時代に、昔ながらの独裁者ってあり得るんだろうか?

リビアカダフィはどうだったんだろう?

んでさ、

ナチス・ドイツヒトラー政権下、ナチス国会議員ってどんな仕事をしてたんだろう?

誰か知っている人、教えてくださいな。

http://anond.hatelabo.jp/20120109172745

ハシズム」とか「独裁」とかさんざん見るけど

彼の政策の中身を批判できてないからなぁ……

選挙民によって選ばれた彼の政策に直接影響を与えるにはそれしかないのに。

それとも国政と同じグダグダにしたいんだろうか? それは嫌なんだ、という

大阪人間の気持ちを一番わかってないのは、きみたちだよ

2012-01-07

日本メディア間の隔絶について 続き

元記事

http://yorogame.blog137.fc2.com/blog-entry-513.html

9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高いこの文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

またこれらの考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高い蒼井そら社会理想希望について語りながら、性的な事を行う映像を創ることもまた効果であるといえる。

その理屈を使って、ネット上で論じられる著作権問題を憲法が持つ全体の利益という視点を重視して、多少厳密さを欠いたうえで語るなら、インターネット上の無料コピー日本人が一般的に思っているほど、あまり悪いこととも言えないという理屈も導ける。

ネット上の無料コピーによる、著作権侵害違法であるといっても、動画サイトで見るのは良いが、ツールを使って落とすのはよくないとかそういうのは根本的に考えたら些末な問題でやってることは本質的には同じとも云える。それを差異があるように演出しているのはあまり社会を善くするという意味は無いと云う事もできる。なぜなら、どのような方法であれネット上で無料コピーにより著作権侵害するという行為によって逮捕される人は現状、全然居ないに等しいからだ。なのでこのような違法としていて一部はそれを遵守せよ!と感情的になっているがその視点は近視眼的ということもできる。そういったあまり根本的に考えなていない意見によって脅迫をかけるような同調圧力と化していると思う。全体の利益という視点を重視したら、違法としててもろくに取り締まりもおこなっていないやったもん勝ちみたいな、現状の無料コピーに対する意識というのは不自然です。赤信号場合によっては無視してもいいという意識は誰でももっているように、無料コピーにしても、目立つ形でやった人間以外ととても運の悪い人以外には、取り締まりなど無いに等しいから、やるのは個人の判断で赤信号を渡ることと似たようなこと。という意識を多くの国民がもっていたほうが国家としては健全だと私は思う。その国民意識に応じて法を変えれば良い。

そのようなそこの浅いときに、脅迫的ともいえる同調圧力意見というのはネットにはありふれていて、その思考方法を変化させるためにも国家はどうあるべきかという形を分かり易く国民全員に伝えなければいけないと思う。

(終わり)

日本メディア間の隔絶について

日本メディア間の隔絶について 日本のおけるネットオールメディアの最適な関係の構築方法模索

この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高い

この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、Permalink | トラックバック(0) | 04:44

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