はてなキーワード: パートナーとは
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この費問は人種差別だと思う。
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ID非公開さん
2024/4/25 18:33
6回答
黒人男性とお付き合いする日本人女性の方々は将来不安とかないのでしょうか?黒人男性をパートナーに持つ女性は後々に高確率で苦労してるイメージです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11297066386
ID非公開さん
2024/5/1 19:35
ID非公開さん
質問者2024/5/2 1:46
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何人であろうがDVする人は居るかもしれない。
私の父は黒人ですけどまあ苦労します。日本では人種差別受けたしいじめと喧嘩の毎日で大変でした。
大学卒業後は就職しフリーランスのエンジニアを経て会社社長です。請負開発ですが・・ 取引先からご指名を受けて取引してます。
本人次第じゃないですか。
そもそもアフリカの貧しい国から遠い日本まで来る人ってよっぽど裕福なのか日本に興味があるかのどっちかか??
うちの父は英語の先生をしながら世界周遊してました。ドイツやアメリカでも英語の先生をしてたし
オーストラリアの大学卒だったし下手したら普通の日本人より当時は金持ちだったかも
人に依ると。
20代のイメージで「一人でも楽しく生きれる」って言ってる人、4.50代の独身を実際にあんまり見たこと無いのかなぁって思う。漏れなく狂うよ。例外無し。
実家がスナックでよく手伝いしてたから、高齢独身は男女共に沢山見てたけど、全員孤独に耐えきれなくなってパートナーを見つけようとするも既に汚いオッサンオバサンなので見付からなくて狂うっていう感じ。
結婚しなかったら
死ぬまで。
本当にこの通りで
カッコ良かった先輩達が
みんな45歳を過ぎたあたりから狂って行く様を
目の当たりにしたらビビる。
前
https://anond.hatelabo.jp/20240502193038
学生時代は、健康づくりのために、鹿渓館(学生棟)という建物の地下2階にある【トレーニングルーム】に通っていた。授業が終わった後に、週に三度くらいかな。
ここでは、体育会部活の支配(?)が圧倒的だった。柔道とか空手とか陸上とかラグビーとかウェイトリフティングはもちろん、数多くの部活がトレーニングルームを使用していた。めちゃ狭かった思い出がある。
自分のように体育会でない者は、ひたすらにベンチプレスの順番を待つしかなかった。でも、なかなか空かないんだよな。ベンチプレス。あとは、体育会の利用者が優先という空気があったし、実際そっちの方があるべき姿だと思っていた。
ただ、自分の番が周ってきて、ベンチ台でバーベルとか持ち上げたりするじゃん。その時にさ、ガーーーンッ!! という大きい音がするのだ。見れば、隣のスペースでアップライト気味に胸~頭上にバーベルを上げていた柔道部の人が、バーベルを放り投げるようにして床に落とすのだ。
あれは、マジでびびったわ。重さが50kg以上もある物体を放り上げるだけの筋力が俺にもあれば、驚かずに済んだのかもしれない。
結局、夕方以降にトレーニングルームを使うのはやめて、早朝にトレーニングする派に転向したんだっけ。朝だったらベンチプレスも、腹筋台も、エアロバイクも、大型鏡の前も空いている。
確か、カブトムシその他の甲虫類が、クヌギやコナラの樹液を深夜に吸うのって、スズメバチを回避してるんだよな。日中にスズメバチとやり合うと甲虫側がボロ負けするので、彼らは仕方がなく時間帯を変えて樹液を吸うのだ。俺もその仲間だった。正体は甲虫類である。
ただやはり、体育会の人たちはバックグラウンドが違うこともあって、正直無理なことがあった。特に野球部や柔道部といった上意下達のイメージがある部活は、当時の自分からするとヤベーことばかりしていた。
夕方以降にキャンパスから下宿に帰ろうとする時、北側キャンパスの中庭付近で、体育会の人たちがバイオレンスなことをしていた。例えば、誰かのTシャツの胸あたりを両手で掴んで、ブンブン振り回していた。後は、後輩にエレベーターかトイレの前のタイル貼りのところで、床オナをさせていた。あれは振りだったと信じたい。通りすがりの人は普通にスルーしていた。
基本的に、体育会の人達はやりたい放題だった。2024年現在と比べれば、あの頃の世界は「実績があれば何でもよかろう」の世界だった。実際、彼らはある程度の実績を出している。
例えば、先ほどの鹿渓館の中にある部室棟について、2階とか3階の日当たり良好なスペースは体育会が占めていた。部室の出入口は中がいつでも見えるように、目線の高さの0.5㎡ほどがガラス張りになっているのだが、彼らはそれすら張り紙で覆い隠していた。たまに、男性や女性の怒声や、うめき声や、金切り声が聞こえていた。一体、中で何が行われていたのだろうか……。
ちなみに、【文化系部活】は地下1~2階に生息していた。ジメジメとした暗い空間である。そこで毎日の部活動をしていた。最新の大学キャンパスを見る限りは、おそらく今でも其処に彼ら彼女らは生きているのだろう。
まあ、でもこの頃って、だいたい20才くらいだったからだろうか。なんでも楽しかった記憶がある。
大学の構内だと、学食でごく稀にだけど、同じゼミの人と一緒にご飯を食べることがあった。京都の山間部にフィールドワークに行く関係で、事前に同じチームで親睦を深めるのだ。半強制のイベントだったけど、ああいう体験って、あの時分じゃないとできない。
大学近くでも、例えば喫茶店がふたつあったんだけど、社会福祉のカフェの方に割と行っていた記憶がある。お値段が安いからだけじゃなくて、なんか、どんな人でも受け入れるというか。そういう感覚がよかった。
教授が言うには、昔は大学に接している市道の上に、お昼時にたくさんの屋台が出店していたらしい。むかし、食中毒みたいな事件があってからは締め出しにあったみたいだけど、人生で一度は観てみたかったな。
大学の構外だと、ちょっと北の方にはおいしいラーメン屋とか、南の方にはカフェとか、中華料理のお店とか、いろいろあったな。文芸サークルの皆でよく利用していた。
今はどうか知らないが、大学の授業の出席確認に際しては、出席カードを提出する形式だった。時代の先を行っている大学だと、学生証をピッとやれば出席したことになるらしい。
どうでもいいけど、今って授業は15回中10回以上出ないと単位をもらえないらしい。厳しいんだな。あと、年間に取得できる上限単位は42らしい。ちょっと少なすぎるよ。俺の時だと、大学3回生の前期終了時点で最低110単位は取っていたはずだ。
さて、あれは大教室での授業の時だったか。秋だったと思う。佛大の若き学生がこの日記を見ている可能性はほぼゼロかと思うが、5号館の101という大きい教室(余談だが同志社の講義室に似てる)で、中国明朝の歴史の授業中だった。当時の日記によると、倭寇とか康熙帝とか足利義満とか、そのあたりの絡みがある回だったとある。もちろん全く覚えていない。
授業が始まると、出席カードが前の席から回ってくるのかな~と思いきや、一番前の人が一番後ろの席まで配り切る形式だった。自分が出席カードを受け取ると、すぐ後ろには野球部と思しき人達がいた。彼らは、「すんません、出席カード追加で5枚くれる?」と発言していた。
出席カードを配ってる人が「すいませんね~」と言って去ろうとすると、「おいお前、待てやコラ!!」と野球部の人達が彼に絡み始めた。出席カードを配ってる彼も引かず、収まる気配がなかった。
これはいかん、と思って俺は、「ちょっと、ちょっと~」と騒いでいた。やがて中年ほどの先生がやってきて、彼らをひと睨みすると、何事もなかったように騒ぎは収まった。
上記のニュースは私が入学する前の出来事だが、大学の体育会というのは、どこもこんな感じだろうと思う。佛大野球部も、京滋リーグという枠ではほぼ無敵だった。その線でいくと、日本大学もそういう感じだったのだろう。結果だけは出していた。
結果を出しているうちはいいのだが、佛教大学だって、やりすぎるといずれは日本大学や福山大学のように、不祥事(大麻とか)>実績となってしまい、とんでもない結末を迎える。
https://www.bukkyo-u.ac.jp/news/info/20240213-26933.html
上記のように、今でも事件はあるといえばあるが、こういうのはいいよ。間違った人材(臨時雇いの研究者)を雇ってしまったんだろう。大学側はいわば騙されてしまったわけだ。次から気を付ければいい。
ただ、卒業生の一人としては、学生という本質的な存在についてはキッチリと管理して、自分のように不愉快な思いをする学生を無くしてほしいと感じている。
不満ばかりを書いてる気がする。
大学生活、楽しいことはいっぱいあった。例えば部活がそうだ。文芸部とか文芸サークルである。
文章を書くのが好きだった。それこそ子どもの時分から。中学でも高校でも、そういう系の部活がよかったけど、運に恵まれなかった。大学生になって、ようやく文字で作品を創造する喜びを得ることができた。
あとは、学園祭だ。その名も鷹稜祭(おうりょうさい)というイベントなのだが、年に一度の楽しみだった。一度だけ実行委員になったことがある。みんなで何かひとつのものを作る、といったら大げさだけど、最初は何をしたらいいか全くわからない……という段階から、次第にステップを踏んでいって、尻上がりにイベントづくりが面白くなっていく。
最初の一歩を踏み出すのが早ければ早いほど、ドンドンと楽しくハイになっていって、最終日を迎える頃には、自らがイベントと一体になっている。自分と仕事がひとつになっていく感覚。
こういう感覚は、仕事はもちろん、趣味の活動にだってある。精神的な意味で、自分とナニカが溶け合ってひとつになっている感覚である。そのナニカは、人によって違う。パートナーや仲間だったり、参加してる社会そのものだったり、取り組んでいる事柄だったり、特定の空間だったりもする。
ひとつ、少なくともひとつ、大学に進学してよかったと思えるのは――これまでの人生で一番、没頭できるものを見つけられたことだ。これだけで大学に進んでよかったって、そう思える。
あとは、アニメがそうだな。それまでのアニメって、安っぽい作画が多かった。特に、子ども向けアニメはそうだ。ポケモンはまだいいけど、デジモンとかはひどいものだった。この頃から、なぜかはわからないが綺麗な作画が増えていった。
どのアニメかは忘れたけど、女の子がドンパチやる系の朝のアニメで、必殺技のダンスのバンクがあったのだ。サンバを踊ってたんだけど、最後に「ウー!マンボ」ってやるんだよな。「サンバなのかマンボなのかどっちなんだよwwwwww」と、当時は大笑いした記憶がある。
え、そんなものが面白いのかって? 当時はまだ20代前半である。箸が転んでも面白い年頃なのだ。
次
何故自分で作らないのか?って趣旨のトラバ、ブコメ散見されるけど多分「家族やパートナーが作ってくれた」ってとこまでセットの「オムライスが好き」なんだろうな
妻に弁当作って欲しい男に「弁当が良いなら自分で適当に詰めて持ってこいよ」って指摘しても「妻が自分のために手作りしてくれた愛妻弁当が食べたい」って文脈が含まれてるから通用しないのと一緒
早退する同僚が「へそは普通に戻りました」と言っていた
パートナーの腹部に膿が溜まって、先週施術した後の経過診察についていくらしい
膨れていたへそがもう戻ったから、たぶんこの件で休むことはもうないよということが言いたかったらしい
「何ですか、その昔話のオチみたいな言葉。ちょっと今寝ぼけてたから、この人何言ってるんだろうと思ってしまった」と返した
二人で笑った
既に家族と死別していたり、家族が犯罪者系のガチ勢毒家族だったり、親が微塵も子のことを愛していなかったりって、あるんだよなぁ
特に家族と死別は、早い人なら30〜40代でも当たり前に起こり得るイベントだ (50代以上で起きるイベントだと思って想定から抜けてた)
そういう人は、友人ガチャ・パートナーガチャ・仕事ガチャ・趣味ガチャにすべて外れてしまっていたら、
べつに孤島や山の中で一人暮らしをしていなくても、『孤独』と感じることもそりゃあるだろうって思う
いつものことながら、ワイの想像力が足りなくてごめんやで🙇♀️🙇
そういう増田の友人ガチャ・パートナーガチャ・仕事ガチャ・趣味ガチャで大当たりが出ますように🙏
まともでないのにパートナー持ちの奴が多すぎるので何の真理でもないですね
何が辛いか。お見合いで特に感じることだが「自分は選ぶ側」という姿勢が顕著な人が多い。「自分は選ぶ側」という言葉だけ聞けば正しく聞こえるかもしれない。自分が判断するという意味では実際正しい部分はある。でも、人間関係構築の段階でこの考え方でいられると正直きつい。婚活だって人間関係を作る場面だから。自分のパートナーになるであろう人を、まるで自分が王様かお姫様であるような立場で「選ぶ」なんて上から目線の考え方は僕から見ると「あなた何様ですか?」と思う。私だってあなたと同じように人格や感情を持っている同じ人間だ。格下だと思うのはあなたの自由だけど、傷つけるような言葉を投げかけたり、貶したり、公然とあざ笑って、人の心を傷つける権利はない。婚活だと少なくない金額がかかるので(相談所によるが入会金10万とか20万、さらに月額約1万円)、サービスを受ける側だと思ってるのだろうか。あなたは相談所にお金を払っていたとしても、僕はあなたからは一銭も金なんてもらってない。相談所の婚活はカウンセラーが全部何でも下駄を履かせてやってくれるわけではないし、ショーケースに陳列された商品を品定めするような目線で生身の人間を判断することに違和感ばかりを感じて。僕だって人間なんだ。お茶代のお礼を言わない女性はそれなりにいる(お見合いの際のお茶代は男性負担が相談所のルール)。ただ、相談所のルールがそうさせてるだけで、相手の女性が個人的にお茶代を男に負担させる権利を元から持っているわけではない。今まで会った大抵の女性はそこを履き違えているように見えた。僕の担当カウンセラーさんが言うには相談所に来る人はそういう「相手を選ぶ意識でいる人」が大半で(男女ともにだが女性に比較的多いとか)、その多くが婚活を難航させていると言っていた。相手を選ぶ意識でいると仮に交際に至っても関係構築ができず、当然成婚に発展することもないらしい。そりゃ、そうだ。
ネットやYouTubeでよく「相手を減点方式で見る人は婚活では厳しい」と見るけど、あれは「自分は選ぶ側」だからそうなるのだと思う。自分が経験した範囲ではあるけど、そういう人ほど本人もパッとしない。でも何故か上から目線で相手を眺めている。年齢はみんな平等に重ねるのだから婚活に長く時間をかけるほど自分の賞味期限だって落ちるし、それに、自分が良いと思う人は他の人から見ても良い人である可能性も高いから、プライドが高いのは結構だけど「いい人がいれば結婚したい」と鷹揚に構えているだけでは良いチャンスなんて逃してしまうと思うだけど。
僕は相手を選ぶことはしなかった。僕を選んでくれた人に対して一生懸命尽くそうと思ってデートした。正直、自分を選んでくれたというだけで嬉しかった。自分の結婚に対する想いを伝えてミスマッチを早めになくそうとしたし、自分の経歴や仕事に対する思いを話して、価値観の相違が早めに分かるように配慮した。別にプレ交際を断られてもいい。断られたなら、それまでの関係だったということだ。でも、実際にはプレ交際を断られることはなかった(全てこちらからお断りさせてもらった)。僕にお見合いを申し込んでくれた人は、入会1ヶ月の時点で100名程いたけど、その中から自分の条件に最も合う方とお見合いした。プレ交際は5人ほど。そして、ついに昨日成婚退会できた。活動期間は6ヶ月くらいか。嬉しいの極みだ。自分にはもったいないくらい心優しくて思いやりのある女性だ。嬉しい。
・追記
自分も説明が下手だったかもだが、お見合い申込みをくれた100人全員とお見合いするのは時間的に無理だし(基本土日にだけやる)、結婚は1人としかできないので、選んでいると言えば言葉の上ではそうなるよ。ただ、「お前も100人から選んでるじゃん」と言われても、それは細かい言葉尻を捉えてるだけ…と思ったかな。
僕が言いたかったのは「自分も選ばれる側」という意識のない人がいることで、そういう人に限って一人称でものを言う傾向にあるということで、お見合いの席で相手の気持ちを考えずに不躾な言葉をわざわざ言ってきたりするのが嫌なんだよね。酷い人になると、お見合いの席でプロフに書いてることをわざわざ嘲笑ってきた人もいた。何で申し込んできたんだよと思ったけど。「この人ちょっとな」と感じたとしても、相手だって自分と同じ気持ちを持った対等な人間なのに何故そんな傷つけることをするのか本当に分からない。それに無理だと感じたらカウンセラーさんにお断りを伝えればいいだけなのに。そんな最低限の相手に対する気遣いや配慮ができない人だから一人称でものを語るし、いざ良い人が現れたとしても「選ぶ側」という視点しかないから関係進展しないんだよね。自分も選ばれる側だと思っていないし、立場を客観的に見ることもできていない。うまく言えないけど、そんなこと。伝わったかな?