はてなキーワード: ボーダーとは
私も悪いところがあるので、決して相手だけ悪かったとはいいません。
…が、一方的に悪者扱いされて、でも周囲に「反論したりしたら泥沼だよ」と言われて我慢した分のうっぷんをここで晴らさせてください。
あまり面白いものではないのかもしれないので、気分悪くなりたくない方、あと時間のない方(長いっす)は回れ右、でw
私は、恥ずかしながら小説を書いたりするのですが、ある小説コンテンツ上で公開した小説に「すごい面白かったです。漫画化していいですか?」と書き込みしてきたのがその相手でした。
ほかにも面白かった、というコメントはあったのですが、実際に絵がうまい人に、漫画化までしてもらえる、というので、私は舞い上がりました。
彼は、自分の境遇とその主人公が似ていると言っていて、かなりのスピードで、実際に漫画を描いてくれました(でも、完璧主義らしくて気に入らないところがあったとか言って消されて結局見てませんが。。。)
なので、私も資料探しなんかに協力していたのですが、そのうちにいろいろ話がもりあがり、ほぼ毎日メールをするようになりました。
ところがあるとき、突然彼が登録していたSNSのアバターを女性のようなものに変えたので、その意図を問うたら、謎を解いたうえで自分に会いに来い、と言ってきたのですが、いろいろ問い詰めているうちに結局性同一障害で、体は女なのだ、と告白してきました。
そして今まで話をしていた内容のほとんども嘘だ、と。
それでも私は仲良くなった相手だし、その時はまだ常識のある人物のように感じられたので、いろいろと嘘をつかれていたことを全部水に流して、そのあとも付き合いを続けていくことにしまた。
けれどおかしくなってきたのはそのあとです。
ちょうど去年の今頃くらいからでしょうか。
彼の作っていたSNS上のサークルに参加したのですが、メールでやり取りしていた時とは違い、気に入らないことがあると雑談版に書き込み、その後とにかく攻撃的なメールを携帯にしてきて、ぼこぼこにされたのです。
そのあまりの内容に、私が泣きながら電話をして謝って仲直りをして、を繰り返していました。
はっきり言って今思えばその内容も、矛盾だらけだったし、「それ私悪くないじゃん」的な内容や、彼が勝手に事実を捻じ曲げて発言していたり、自分が言ったことを責任転嫁していた部分も多かったのですが、人格否定するような言葉の羅列に打ちのめされてしまって反論もできずにいたんです。
そのため、もう縁を切ろう、と毎回思いました。ですが、相手は自分を信じていろいろさらけ出してくれたのだし、それを突き放すのはいけない、と我慢して電話をしてつなぎをつけていました。
そうして、ほぼ月一で、ほとんど喧嘩、というより人格否定のオンパレードのメールが来きて、それに私が電話して謝って、の儀式が続いていたある日、突然『忙しいから』と彼がサークルを脱退しました。
その直前にサークルメンバーへのバッシングを書き連ねていた彼は、新たにサークルを立ち上げる宣言をしていましたが、それらのコメントも全部消したうえで突然の脱退……
管理人は直前に私に委譲されていましたが、実質上の管理者の脱退でサークルは混乱しました。
けれどつながってすぐぶち、と切られる始末。
メールも送ったら「アドレスが不明です」といったエラーメールが返ってきて、ほんの一昨日送った時には通じたメールがアドレス変更されて通じなくなっていたのです。
加え、SNSでは私はブラックリストに入れられて彼のプロフも見れない状態となり、完全に連絡が取れなくなってしまいました。
しかも彼は別のサークルを立ち上げ、そこで楽しく新しいメンバーと活動を始めただけでなく、ブラリしてない旧サークルの一部のメンバーだけそこに誘ったり、していて、私もブラリされたほかの子も「ああ、切り捨てられたんだな、と実感していました」
そんな扱いをされてはもうしかたない、と、私を含めたサークルメンバーは、見切りをつけて自分たちで新しいサークルを立ち上げよう、と動き始めたのです――が、その矢先です。
大体1か月くらいたったころですかね。
それも、恐ろしく普通の感じで。
「ちょっと忙しかったから全部シャットアウトしてたんだ、うん。携帯壊れたからここに連絡くれ」
と番号付のメールが来ました。
ガチャ切り、アドレス変更、理由のわからぬブラックリスト入り、突然のサークル脱退。
それで、かなり頭に来ていた私は、完全に無視していたのですが、そうしたら私の小説を上げていたHPブログ、ヤフブロ、どころかアメーバピグのメッセージも送ってきたうえ、私のピグライフの庭にまで出没し、私の名前のわかるところすべてにコメントをしてきました。
バッシングもあれば、すがるようなコメントもあり、日と時間でコロコロと内容の変わるメッセージやコメントがずらずらとならんだのです。
私はペンネームをそのままハンドルネームにしていたので、簡単に追跡できる状態だったとはいえ、ほとんどストーカー状態で付きまとわれ、しかも彼自身の開設したブログで「あいつの書いている小説は俺の盗作だ」とか「サークルの世界観も似たようなの知ってるしな。パクリと言われないといいけど」といったバッシングには、精神的に参ってきてしまいました。
そこで、サークルで関係したメンバー全員で文面を考え、彼がよくメンバーにやっていたように「返信不要」とつけた一方的なメールを送り、絶縁状を叩きつけたのですが、そうしたら今度はトーンの変わったメールが全員に送られてきたのです。
「このたびは迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。一言電話で直接お詫びをさせてください。それができなければ自分は存在する価値がないため、今日中に自殺します」
いや、こけおどしと分かっていたんです。仲間には放っておけ、という人もいました。
でも、自分のせいで死なれるなんていやだ、と思い仕方なく電話しました。
ですが、そこでまた、さらに恐ろしいことを言われたんです。
「いや、実は一回会った時(一回リアで会ってたんです)からマジで好きで、どうしてもつなぎ取りたくて、でもやり方がわからなかったからあんなやり方したんだ」
――正直、馬鹿じゃないの、と思いましたよ。
たとえどんな理由だとしても、一生懸命書いた小説を盗作扱いされ、世界観を馬鹿にされ、それで好きと言われて「本当に???」と喜ぶ女がどこにいよう。
その時はとりあえず、すでにリスカしたとかいう相手を刺激しないように、と温和な感じで話をしましたが、もう話をする気ないことは伝えていました。
でも、私の中にはぐるぐると「盗作」「パクリ」という言葉が渦巻いていました。
何時間もかけ、創意工夫を凝らして書いたものをそういわれるのがショックで、それに正直、相手のことはもうどうでもいいと思っていたし『ネット絶ちする』と言っていた言葉を試す意味で、ブログにこの落ち込みを書いていました。
「お前、ブログに書くな言うたやろ。それに、今思えば俺だけが悪いわけじゃないし、手打ちするなら今まで、俺が更けてるとか、描いてる絵は老け顔が多いとか言ってきた件についてそっちが謝ってこい」
とのこと。
古い喧嘩の内容を蒸し返して…というなら、まあブログに書いた私も私なので納得がいく。
でも、自分が老け顔だ、とか絵が老け顔が多い、と最初に言ったのは自分なのに、それをその場のノリでいじっただけの私が悪いことになっていて、それを謝ってこいという。(逆に何かで私がいじられたことも多々あった)
しかも、前の件って一方的に縁を切ってたのは自分なのに、古い昔の件があるから私が悪いっておかしいでしょ。
あと、
「謝ったら許してやっていい」
あの時は私が「許してやる」はずの立場なのに、なぜ下から私が「許してもら」いに行かねばならないのか。
「俺は精神的に普通じゃないんだから、変な行動をするかもしれないって言ってあっただろ」
それらがあまりにばかばかしかったし、周りみんなから無視するようにアドバイスされていたので、数分おきに入っていた着歴もブログコメントも全部無視していたら、
「もうお互いのことは忘れよう」
とか
みたいな内容のメールが来て、それを最後に連絡は途絶えました。
ようやく連絡が途切れてほっとしているものの、おかげで2作ほど盗作扱いされた小説はあげられなくなりましたし、もやもやしたものが私の中に残りました。
そうしてしばらくもやもやしていたのですが、ふとした拍子に「ボーダー」という存在を知り、ああ、全くあてはまるな、と思ったのです。
来歴の嘘をつき、相手の同情を誘う。
きつい言葉を叩きつけ、激怒するくせに、少しするところりと機嫌が変わって普通に接してくる。
逆にきつい言葉を言われたり、無視されたりすると、自分の存在自体を否定するような言葉を言って消えようとする。
何かあると自殺をほのめかす。
自分が悪かったことを捻じ曲げ、相手のせいにする。
などなど。
でも、今境界性人格障害について知ったのちは縁をきれて本当に良かったな、と思っています。
なんていう考えの人間のそばにいられはしないし、そんな人が支配するサークルではやっていけませんからね。
彼曰く、私は悲劇のヒロインらしいですが、別に同情なんてほしいと思ってません。
ただ腹が立つので吐き出す場がほしいだけです(笑)
そして私の場合、吐き出すのに一番いい方法が文章を書く、というだけです。
これ見つかってまたメール面倒ですが、その時はその時です。
ADHDにしろ、アスペにしろ、鬱にしろ、ネットの自己診断で大抵ボーダーor疑いが強いになるんだよね。
なんかこういうのって、甘えとか言い訳みたいでどうもなぁ。
「単に自分の努力不足だよね」と、「もうどうしようもないじゃんこんなに周りの人間と違うんだし」
という思いが葛藤している。
なんか考え方が悪いんじゃね?生活習慣とかでなんとかなるんじゃね?
みたいなのずーっと思っていて本とかネットの情報とか集めてる。
心理、脳系の情報読んでみてると、あぁ確かにオレ心理的、脳科学的に悪いことしてるわ。
唯一、脳にいいといわれていることで、読書はしてるかもしれないが、
脳によくないっていってるネットが多すぎだよな。
あぁ、こうやって減点法でマイナス思考で考える時点でダメなんだろうな。
情報仕入れすぎると理想の状態つくられて、それに対して現状がダメ杉という
病気のせいにして逃げず頑張るために、情報収集してたはずなのに
最終的にやる気なくして、ADHDだのアスペだの鬱だの病気のせいにして逃げたくなる。
どーせいちゅうねん。誰か楽にしてくれ。
年齢が若いほど自分を棚に上げてモテる異性を好きになる傾向があると思う。
小学生の頃:クラス1のモテ(1/20=上位5%)に異性全員の好意が集中
中学生の頃:クラス3位までのモテ(3/20=上位15%)に異性全員の好意が集中
高校生の頃:クラス8位までのモテ(8/20=上位40%)に異性全員の好意が集中
これは男女共にね。
大学生なんて、猫も杓子も付き合っている。
ただ20代後半での時点よりボーダーが下がることって無いのだよね。
自分が異性から見て「クラス最下位」レベルの魅力だとしても、下位15%の異性とはどう妥協しても付き合えない。
この最終ラインの妥協ができれば世の中から「あぶれ者」は居なくなるんだけど、そこは男女ともに譲れないのだろうね。
クラス最下位レベルで現実の異性と付き合うのが不可能(自分も妥協できないし、異性も妥協できないから成立不可能)な場合と、
異性から見て"そこそこ"のレベルなのに、クラス1レベルのモテ異性しか好きになれないから成立しない場合。
前者については、同情の声が集まりやすい。あまりにも恵まれないからだ。
しかし後者に対しては批判が集まる傾向にある。「理想が高すぎの、勘違い野郎」みたいに言われる。
個人的に、彼・彼女らは勘違いをしているのではなく、小中学生の異性観のまま年だけは食ったという、ただそれだけの話なのではないかと思う。
まっとうな人々は歳を取るうちに、穏やかな妥協を覚えていく。
健康的な妥協とでもいえばいいのか。妥協から安心感を得るとでもいえばいいのか。そうして人は大人になっていくが。
その流れに乗り遅れる人がいる。強硬に、流されることを拒む人もいる。
そうした人は「理想が高すぎの、勘違い野郎」なのではなく、まだ子供で居たい人なのだと思う。
K-POPには確か20人くらいの束感のある男性アイドルが居たけど、全然売れなかったし。
男は、ガイアが囁くファッションとか昇天ペガサスMAX盛りとかを笑う(≠哂う)のと同様のノリで、他人の服へのダメだしを平気に口にするし、それが攻撃とは思ってないと思う。オタクファッションをみて分かる通り、自分たちがボロカスに言われてもあんまり気にしてないから。
ファヲタ化した男を知らないんだね。あいつらは人のファッションをボロカスに言うくせに、自分のファッションを悪く言われたらすごく傷つくよ。
まー元記事はマイナビ叩きしてる人を
と決めつけすぎなところはあったよね。
女にも居るのにね。
ひねたところのある女ほど、「スーツ姿のサラリーマン」やら「ボーダーシャツに黒縁メガネの草食男子」みたいな類型的な男に萌えてる。
無害そうとか素直そうって感じるのかもね。支配欲のあらわれ?
↓のうち5つが当てはまれば境界性人格障害(ボーダー)なんだってさ。
1.現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとする気も狂わんばかりの努力(注:5.の自殺行為または自傷行為は含めないこと )
→あるある
相手の望むもの推測し、望むものを提供する努力は惜しまないかも。
チャラ男じが好きな相手にはチャラく。おとなしい感じが好きな人にはおとなしく。
まぁ、あとは見捨てられるのが怖くて、無茶な仕事も受けてしまいます。
2.理想化と脱価値化との両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる不安定で激しい対人関係様式
→1.の通り自己像なんて無いな。
4.自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの(例:浪費、性行為、物質濫用、無謀な運転、むちゃ食い)
6.顕著な気分反応性による感情不安定性(例:通常は2~3時間持続し、2~3日以上持続することはまれな強い気分変調、いらいら、または不安)
→これはある。
何をやってもむなしい。
8.不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難(例:しばしばかんしゃくを起こす、いつも怒っている、取っ組み合いのけんかをくり返す)
→怒りはないなぁ。何があっても虚脱感しかない。
9.一過性のストレス関連性の妄想様観念、または重篤な解離性症状
→慢性的な見捨てられ妄想があります。・・・一過性ではないな。
周り(友人・同僚・恋人)を振り回してる自覚はある。
今思えば長く続いた恋人はお互いメンヘラで正に共依存の関係だった。
お互いがお互いにもたれかかってたんだよね。
付きえば付き合うほど摩耗して、だけど自分の視界には目の前の相手しかいなくて。
仕事で時間が合わなくなったら相手は当てつけのような浮気をくりかえして結局離縁した。
それを無条件に受け入れてくれる人・環境を探してるのも実感してる。
何か相手に迷惑をかけてしまうと、それがどれだけ些細な事でも
相手にとって俺への評価が0点になると思い込んでしまう。
だから、周りからしたら感情の起伏が激しい人に見えるんだと思う。
わかってるつもりなんだけど、不安感は抑えられないんだよね。
6 Reasons We're In Another 'Book-Burning' Period in History | Cracked.com
By: S Peter Davis
これを聞いた人の8割は私の顔を殴りたくなるだろうが、端的に言おう。
稀覯本を含む本を数万冊以上捨ててきた。
焚書と聞いて、一般にはおそらくナチスドイツを連想する人が多いんじゃないだろうか。
それは不寛容と反知性の象徴だ。
だが今回の焚書は違う理由で起こっている。
本を捨てているのは、利用者が誰もいないような辺鄙な田舎の図書館だけじゃない。
おそらく世界最高の権威がある図書館、大英図書館でも、本の廃棄が産業的な規模で行われている。
オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ大学やそのほかいくつかの大学では最近、本の処分に関するスキャンダルが起きた。
今年ボーダーズという書店がつぶれたときには、在庫は寄付されるのではなく廃棄された。
捨てられているのは、『TVガイド』とか重複所蔵の本だけじゃない。
17世紀に美麗に印刷されたシェイクスピアの作品集を想像してみてほしい。
奥付のページには、遠い昔に亡くなった所有者からの達筆なメッセージが付いている。
それをゴミ箱に捨てるのだ。
私は何度もその場にいた。
持ち帰ってeBayに出して売って、何百ドルかにはなったんじゃないだろうか。
これはオバマの共産ナチ新世界秩序に操られたソビエトの秘密作戦か何かではない。
血も涙もない官僚主義によって起こっているのだ。
というのも……
誰しも思うのは、恵まれない人たちに寄付すればいいんじゃないの、ということだ。
囚人でも、病気の子供でも、独立系の新興書店でもいい。寄付すればタダじゃないの、と。
蔵書であることが分かるようになっている。
その本を寄付したり売ったりするときには、印を消さなければならない。
盗品でないと分かるようにするためだ。
そればかりか、所蔵印が残っている本は、親切な人が見つけて図書館に返しに来てくれちゃったりもする。
そして、処理すべき本はとても多い。
図書館はやっきになって蔵書を減らそうとしている。
図書館館長になったつもりで、10万冊を処分しなればならないという報告を受けたと考えてみてほしい。
選択肢は二つ。
学者を何十人か雇って蔵書目録をもとに重要度や価値を評価させて、
また何十人かを雇って重要度の低い10万冊に一冊一冊処分の印を押させる、
というのがひとつ。
第二の選択肢は、コンピュータで貸出回数の少ない10万冊を列挙して、
数人に館内を回って集めさせて、シュレッダーにかけさせること。
第二の選択肢のほうがずっと速くて安いことはお分かりだろう。
そうなれば儲けがでることもある。
ことに司書にとっては、それはまるで、
ゾンビに噛まれた親友を前にして、自分だけが銃を持っているようなものだ。
それに、捨てられた本のなかに救われるべき本が埋もれてしまうことも忘れてはならない。
このやり方では明らかに、ものすごく貴重な本が引っかかってしまうことがある。
2011年版が書架にあるのに、『白鯨』の初版本を書庫から借りようとする人がいるだろうか。
コンピュータで出した貸出数ランキングではそうした区別ができない。
また、このやり方をする場合は、本は完全に破壊しなければならない。
ただゴミ箱に放り込むだけでは不十分だ。
盗られるかもしれないからだ。
誰も読もうとしないように本を引き裂くか、ゴミ箱に漂白剤を入れておく必要がある。
とにかく、ゴミ箱が「ご自由にお取りください」状態になってはまずい。
そして作業をする図書館員が16世紀の貴重書を見つけたとしても、
館長はそれを救えとは言えない。
捨てる代わりに調べるように命じていることになりかねないからだ。
どんな本か分からなければ捨てるのも楽になる。
みなさんがこの事実をご存じなかったとすれば、
ほとんどの場合、一般人が気づくのはゴミ箱に大量の本が入っているのを誰かが目撃してからのことだ。
とはいえ司書がこっそり話し合っている掲示板はいくらか見受けられるが。
2004年ごろ、ニュージーランドのビクトリア大学は13万冊の本を廃棄することを決めた。
計画では、廃棄対象の本に赤いテープを貼り、
それを救いたい人がペンでチェックマークを付けることになっていた。
ご想像のとおり、誰もが怒りをあらわにした。
ある教授は図書館を「野蛮人」と呼んで学内に電子メールを回し、
図書館をめぐりすべてのテープ付きの本にチェックを入れるよう、
職員と学生に呼びかけた。
私の場合は、本の廃棄に気づいたのはそれを盗んで逮捕された人だけだ。
一般人が気づくころには、すべて終わっていて、反乱の機会はなかった。
それに図書館は気づかせることのないよう巧妙な言い回しを使う。
たくさんの書架を空にして、本を書庫に送ったというとき、彼らは嘘をついているわけではない。
ただ、書庫はすでにいっぱいで、新しい書庫行きの本の分だけ廃棄をしているということを言わないだけだ。
本の廃棄を推進する人たちは、図書館の機能を「本の博物館」だとする見方に反対する。
みなさんは愛すべき古典文学の書架に代表されるたくさんの書架の集合こそが図書館だとお思いかもしれない。
通貨が少し下がったり上がったりすれば、外国雑誌の価格も少し変わるだろう。
さてここで、購読するのは数冊ではなく10万冊だと考えてみてほしい。
そして、いま降りかかっているのは小さな変動ではなく、大恐慌時代以来の最悪の不況だ、と。
これは一夜にして旅客機一台分が財布から飛んでいくことを意味する。
その旅客機の代金が払えないと、まずいことになる。
そうなったらとりうる手段は、燃え盛る蜂の巣を手放すように、
購読を打ちきることしかない……とお思いだろうか?
ところがそれは図書館のパワーユーザー、学者と学生が毎日必要とするものなのだ。
必要のないもの、それはたとえば、手書き挿絵の入ったネクロノミコンだ。
どれほどかけがえのない所蔵物であろうと、とにかく場所がないのだ。
というのも……
図書館が蔵書を引き裂く必要がある理由のひとつは、この不況だ。
悲しいことだが、それはそれで仕方ない。
コーヒーショップと引きかえに土塊にされているとしたらどうだろうか?
オーストラリアのニューサウスウェールズ大学でまさにそれが起こっている。
その図書館では、社交的空間を作るため、1850年代からの蔵書と新聞雑誌が廃棄された。
ピーター・スレツァク教授はそれを、図書館を「スターバックスのようなもの」に変えるものだと評している。
しかし、図書館の立場にたってみれば、それを要求しているのは、
彼らは本を保管することだけではなく、本を使う場所を図書館に求めているのである。
そして出版社は無数の本を出してくる。
ということで、図書館は、一方では新刊書を所蔵するために拡張を迫られ、
一方ではカプチーノを飲んで腰を下ろす場所を作れと言われているのだ。
問題は、その費用を誰も出してくれないということだ。
この報告書でも分かるように、図書館へお金を出している組織は予算増額をものすごくいやがる。
図書館が「拡張の資金が必要」と言えば、大学当局は「他を当たってくれ」と言うだろう。
ほとんどの図書館に他の当てはない(建物に放火して保険金をせしめるという手を勘定にいれなければ)。
本はもはや流行らない。このことは認めざるをえないだろう。
2010年最後の三カ月のAmazonの売上データで、電子書籍は紙の書籍を上回りはじめた。
最近のハードディスクであれば、場所をとらずに事実上無限の数の本を入れることができる。
小さめの図書館ならUSBメモリ一つでで置き換えられるとしたら、
巨大な防火設備で本を守り続けさせる原動力は、人々の愛しかない。
現在の経済状況下では、その愛はなかなか発揮されることがない。
この動きは三十年前に遡る。
1980年代、図書館のスペース問題を解決したのは電子化ではなくマイクロフィルムと呼ばれる新技術だった。
本や新聞雑誌をスキャンしてマイクロフィルムとして保存すれば、
図書館ひとつがキャビネットひとつに収まるというのが謳い文句だった。
ニコルソン・ベイカーは、マイクロフィルムブームの悲痛な記録を本にした。
それによると、大英図書館、アメリカ議会図書館といった世界の名だたる図書館が、
数千冊の古い貴重書を引き裂いてスキャンし廃棄したそうだ。
世界中の本好きたちがこれに抗議したところ、司書がマイクロフィルムを掲げて
今日では、インターネットの普及によって、本の圧縮はますます推進されるばかりだ。
ある組織では廃棄する本の選定にあたって、グーグルブックスに載っているかどうかというシンプルな基準を用いているそうだ。
もちろん、本好きの心はそれだけでは慰められない。
彼らは本の内容だけではなく、本それ自体に価値があると信じている。
彼らにとっては、同じ版の本がほかの場所にあるからといって、
貴重な書物を捨てることは正当化できない。
道は事務書類で敷き詰められていて、
これが現実だ。
すみませんがもしオシャレに詳しいヒトいたら教えて下さい。
http://rioetc.com.br/wp-content/uploads/2011/09/DSC7307-copy.jpg
このヒトが履いている靴。
Nikeのチャッカモックのバリエーションだと思うんですけど、探しても見当たらない。
欲しいよう!!
http://rioetc.com.br/wp-content/uploads/2011/09/DSC7318-copy.jpg
↑
素材はこんな感じ。杢なのかと思ったら1x1の微塵ボーダーだった。
いや杢糸もしくはむら糸は使ってるっぽいですね。
おかしい。
メンヘルばかりがよってくる。
普通の人だと思ってたんだがなー。
リスカ、アムカ、ボーダー、過食嘔吐、自己愛、躁鬱、パニック、糖質等々
俺はSAD(人見知りの激しいやつ)で少し薬を飲んでいた事はあるが、それ以外はいたってまともなんだけどなぁ。
共依存の気質があると言われたが、これは長男に生まれて妹たちの世話をしていたのが原因なのだが。
「(自分たちのような)末っ子は、甘えさせてくれる人を本能で見抜ける」
といわれた事がある(そして実際よく甘えられてる)が、同じようにメンヘルに本能で何かしら見抜かれているんだろうか。
昔婚活パーティーで粘着された糖失も「見た瞬間から決めてた」とわけのわからんことを言われたし。
お嫁さん欲しい。
ぼくもお答えします。
だんだん難しくなってきたのでついていけるかわかりませんが…
わかる範囲で答えたいと思います。誤解があったらすいません。
でもやっぱりちゃんと理解されるほうが嬉しいです。
「音楽を聞いて感動することはでき」ると私も考えています。ですから音楽表現の場合は私の述べた理解から共感に至るまでのプロセスはそもそも通用しませんし、最初から文章表現に限定した話をしたわけです。(書いてないことを取り上げて批判することは簡単ですが、それは藁人形論法という詭弁であることを指摘しておきます。)
絵や写真、音楽のような表現なんかは良し悪しや感動するしないがハッキリしていて理解や共感がしやすいけど、文章表現はそうじゃないという話です。
それもそうか…。音楽と文章を同じものとして扱っては余計わかりにくくなるのかもしれないね。
あと「徹頭徹尾、理路整然としてなければいけない」なんていうのは思ってませんし、そういう話はしていません。
①人に文章表現を共感してもらうには②人から理解が必要で③そのためには発信者が正確で、分かりやすく書いたほうが望ましいという話であり、誰に対しても(自分自身に対しても)「徹頭徹尾、理路整然としてなければいけない」というのは思っていないわけです。
そういう話じゃなかったのならぼくの誤解だったね。ごめんなさい。
ぼくはこう思うって話と
あなたはこう思うって話がとりあえず明らかになったのかなあ。
「この人の言ってることはよくわからないけど、なんとなく切羽詰まってる感じが伝わってくる」と書いてもらえれば大分理解しやすいです。
蛇足ですが、そういう人が現実生活にいた場合、相手の状態に拠って励ますか慰めるか共感するといった行動を個人的には取りますね。
文章だとそれが分からないので(文章だと相手の気持ちが分かったつもりになるのでそれは避けたい)、たぶんスルーしてしまいますが。
わかりやすかった?よかった^^
そうだよねーぼくも同じ立場だったらどういう対応をするかちょっと悩むなあ。
「完璧に論理的な文章を書くことのほうが難しい」のはもちろん同意です。というか難しいのではなくて不可能です。
「文章を書きたい」という気持ちは誰にも邪魔できません。そして文章を書くという行為自体は「敷居の高い行為」である必然性はありません。
ですが「何かを伝えたい」という目的がある場合には話は変わります。「何かを伝え」るということには当然のことですが他者の存在が必要です。
文章を紡ぐ行為の先に他者がいるということは必然的に文章が公共性が生まれ、責任が生じてきます。
そうした場合にはミスリードによって翻弄される他者も出てきます。
こういう事態に直面した時に取りうるスタンスは少なくとも2種類あります。
①「理解してくれる人はしてくれるし、してくれない人はしてくれない。」から誤解した人はスルーするというスタンスと、
②「理解してくれない人(大多数だと思います)に理解に近づけさせる」ために対話を続けたり、根気良く文章を紡いだりというスタンスです。
私は後者のスタンスです。そして前者のスタンスも認めています。
ただし前者のスタンスを採用している人たちには「人を翻弄している可能性を放置している」という事実を直視していただき、他者がいる文章表現に否応無く、避けがたく存在している責任=ハードルをぜひ自覚していただき、自覚の上でハードルの下をくぐるなり、きちんとハードルを飛び越えるなりご自由に行為を選択していただけたらなあと思います。
(念のため言っておくとハードルの下をくぐる場合でもヘイトスピーチなんかは避けてください。ヘイト野郎はどんな場合も美しくないと思いますので。)
ぼくは①と②のどっちのスタンスなんだろうなあ。
わかりやすいように書きたいとは思うけど
たしかに翻弄している可能性あるなあ。
翻弄してしまうのはイヤだけど
かといって「ある程度」以上の努力をしてしまうのもイヤなんだよなあ、わがままかなあ^^;
ハードルは飛び越えられたらいいなという願望はあるけどめんどくさかったらやめてるかも…。
「この世に神様なんていなければ世の中の宗教はほとんど詭弁だってことになる」と仰る意味がよく分かりません。
「この世に神様なんていなければ」という仮定が良く分かりませんし(だって神様が存在するか否か、実在するか否かなんて真偽の水準では判断不能ですし)、
「世の中の宗教」という言葉が組織としての宗教なのか、制度としての宗教なのか、人々の信仰対象としての宗教なのか、など
要するに、ぼくは詭弁を弄することが悪だとは思ってないってことかな。
読者に文章を理解させようとする気があるのなら
詭弁のような不当な推論はなるべくやめたほうがいいんじゃないか
もし、詭弁を使うつもりなら留保を付記しようって話だったかな(合ってる?)
うーん…。ちょっと考えてみる。
理解してもらいたいとは思ってるけど
だからといって詭弁を言ってはいけないのかどうかもわからないし
ミスリードは理解を困難にする…ような気がする。
もしそうなら、詭弁はなるべく少ないほうがいいってことになる?
ウソはついてないつもりだけど「つもり」なだけかもしれない。
なるべく詭弁を書かないつもりでいたいなら
この理解であってるなら、それに対するぼくの答えは
まず書いてしまいたい!ってことかな。
したくなったらやろうかな~。
ちょっと勉強する手間を惜しんでいるだけで
かなり間違ったことを言ってる可能性はあるのかもしれない。
そんなこと言ってる場合じゃないのかなあ。
私は貴方の「悲しいなあ」に関する表現を「『こいつはウソを言っている』と思われた場合、悲しい」と解釈しました。
それで今回の返信に「悲しいのは事実なんだよ。」と書かれてました。
私の解釈と貴方の書いたことを総合すると、「こいつはウソを言っている」と(私に)思われようが思われまいが関係なく「悲しい」ということで良いんですかね(繰り返しますが私は貴方が嘘を言っているとは思いません)。
いや、勝手な推測ですが、誤解されること自体が悲しいのでしょうか。
どういう経緯で「悲しい」と感じたのか仰っていただけると、こちらもそちらに配慮できるかもしれないので、うれしいです。
悲しいまでの経緯か~うーん・・・
的確に表す言葉が思いつかないけど
頭では誤解されることは仕方ないことだと思うけど
でも、実際に誤解されたときにはっきりと心がきしむ。
そう言いながらも実は「わかりあえるはずだ」と思っているのかもしれないけど。
「こいつはウソをついている」と思われているのならぼくは悲しい。
そう思われていないなら悲しくない。これはたぶんハッキリしてる。
誤解されること自体が悲しいということだと思います。
それは「(あなたに)誤解されることが悲しい」と言ったわけではないのです。
ぼくも「あなたに嘘つきだと誤解されている」とは思いません。
「もし誰かに誤解されることがあるとするならば、それは悲しい」ということです。
うーん・・・わかりにくかったらまた言ってください^^;
他者に「どう思ってくれてもいい」と思いながら「他者からどう思われてるかということを気にせずにはいられない」という感覚ってどんなものなんですかね。
「どう思ってくれても構わないけど誤解されると悲しい。でも誤解だろうがなんだろうが何でもオッケー。悲しいけど否定はしない。」ってスタンスなんでしょうか。
私は「ある程度こちらを理解してくれたらどう評価しても良い。明らかに誤解されてる場合は理解してもらえるよう努力する」みたいなスタンスなので後学のためにどんな感覚なのか理解したいです。いや、やっぱり書かなくて良いですよ。この辺でお話はやめておきましょう。
おおむねそんな感じです。
悲しいけど否定しないんです。
でも、諦めるってことでもないなあ。なんだろう。
ある程度の努力をしてみて
どこかにボーダーがあって、もうそれ以上は努力をやめようという気になる。
あれ?矛盾してる?
うん、「否定しない」はたぶん違う。
否定しないんじゃなくてぼくと相手の理解を近づけようとする。
それで…どこかはわからないけど
ぼくが相手に対して「この人はわかってくれたかも」と思ったら
理解を近づけることは一時停止する。
「この人はまだわかってくれてないかも」と思ったら
引き続き理解を近づけようとする。
でも、「まだわかってくれてないかも」と思う人でも
ぼくは理解を近づけることを一時停止することがある。
そのスイッチがどこにあるのかわからないけど、そんな場合があります。
「まだわかってくれてないかも」と感じるだけでも悲しくなります。
加えて、「わかってくれたかも」と感じる人でも
こんな感じです。
んー…ウソがあるかもしれない…。
あらゆる状況下でぼくの言ってることが
必ずしも再現されるかというとそうじゃない気もします。
まだわからなかったら遠慮なく言ってください。
長々と述べてきましたが、言いたいことは以上です。もしハードルの下をくぐるような無責任な文章を書いていくつもりならこれからもどんどん批判や指摘を行っていきますし、ちゃんと責任を意識した文章を書いていくのなら批判や指摘もしつつ応援していきますので、よろしくお願いします。増田ではなくてブログやツイッターなどのご自身のフィールドでやるなら批判も指摘も何も書きません。何れの文章記述のスタイルを貴方が採用するにせよ、私は貴方を応援しています。
批判や指摘は大歓迎です(でもやっぱり心がチクチク痛いです)。
わーい応援ありがとう^^
私も人が死ぬのは嫌ですし、弱い者の味方でありたいし、弱い者が弱いままで生きられるコミュニティを実現するかもしれない連帯の可能性を信じたいですから。
ちょっと救われました。ありがとう。
よかったらどうにかして繋がりましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20110803212102
俺は自分の恋人がアスペだったって診断された時ショックだったけどな。
それってつまり「やらない」んだと思ってたことが能力的に「できなかった」ってことなんだろ。
あえてやらないと能力的にできないはやっぱり決定的に違う。
人の気持ちをわかろうとしないことと本当に人の気持ちがわからないことは違うんだよ。
ここでそんな詳しく傾向書いてないけど、「なるほどな」って思うとこは結構あるぞ。
そんくらいはアスペじゃないって言ってる奴らは怖いな。
俺は守ってやりたい、大事にしたいって思ったけど恋人に対してそういう感情を持つことさえ悪なのか。
俺らの場合は彼女がアスペだったわかった時からいろいろ勉強して話し方とか
に気をつけたり、判断が難しそうな質問・矛盾した答えが生まれそうな質問を避けたり、
自分がなぜそう思うが、どうして欲しいかをこまめに伝えたりすることかで色々改善されたぞ。
色んなタイプもあると思うけど、変に魅力的なタイプのASっているよな。
治らなくても専門機関で判断して貰うだけで増田も男の方も楽になるんならいいんじゃないか。
同じ立場として応援してる。
遊んでいたから、勉強していなかったから「来てしまった」とは違う。
しっかり受験に取り組んだ末に、「来れた」場所がここだった。
しっかり受験に取り組んで「来れた」大学をFランとは言わないし、偏差値50はFランじゃない。FランのFはボーダーフリーのことで、受けたら確実に受かるから河合塾が目標偏差値をつけられなかったことから命名した。
2chとかだとMARCH(明治・青山・立教・中央・法政)をFラン扱いしたりするが、MARCHのほとんどは昔は(今でも?)東京六大学と呼ばれて、ここを第一志望として努力して、それでも届かなかった人もいるくらいの大学。
だからMARCHとか日東駒専あたりをFランと呼び始めると本当のFランク(出願して試験に行きさえすれば合格するような)大学との区別が付かなくなる。
私の彼氏は堀北真希の大ファンで、ポスター貼ってるし、PCの壁紙も堀北。
堀北かわいいよ堀北みたいなことを私の前でもよく言う。付き合う前からずっとね。
堀北出るドラマは絶対観てるし、つき合わされたりもするw
ただその対象が堀北真希じゃなくて小学生アイドルみたいな子らだったら、
気持ち悪くて付き合う気になれなかったと思うな。
堀北とかガッキーとかそういう年齢ならセーフ。18歳がボーダーかも。
あ、でも30代40代のおじさんがガッキーに熱上げてたらちょっとキモイかなあ。
竹内結子とか壇れい辺りのファンなら納得。
すぐに財布に手を出してくる女子のほうが、早く打ち解けて幸せな恋愛をすることができます。男子の皆さんはどのような流れで女子と仲良くなり、そして正式な恋人になりますか? まずは何度かデートを重ねて、女子に対して「いいな」という感情が強くなったら告白するといった感じですよね。
しかし女子の多くがデートよりもまず「金がほしい」と考えています。とにかく金がほしいのです。デートは一緒の時間を楽しむ場ではなく、男子に合わせて仕方なくやっている行為なのです。
女子は男子のデートに応じた時点で「金がほしい」という感情が心に芽生えています。ケータイのメールアドレス交換をした時点で金がほしいと考えているといっても過言ではありません。でも男子の多くは、デートで性格が合う人かどうか確かめたいと思いますよね。その部分で、男子と女子に思考の違いがあるのです。
男子は「おごるにしてもデートを3~4回してから」と考えますが、女子は最初のデートから金がほしいと思っています。とにかく金がほしいのです。でも、最初から金をせびると嫌われる可能性があると考え、仕方なくデートを繰り返します。
ですが、よく考えてみてください。早くおごろうが、デートを重ねてからおごろうが、女子の基本的な本質は変わりません。デートを3~4回してからおごったとしても、その女子が「はやく金がほしい」と思っていることに違いはないのです。
意味がわかりますか? たとえデートを重ねても、そのデートは彼女があなたに合わせてそうしているだけであって、「金がほしいけど彼に嫌われたら嫌だからとにかくデートを何回かこなしてからおごらせよう」という考えをした女子なのです。逆に考えれば、自分の本性を隠してデートしているということになりますので、偽りの姿をした女子とデートしていることになります。
そもそも、いくらデートをしたところで女子の良し悪しなんてわからないのです。何度も言っているように、女子はあなたに気に入られて金を手に入れようと思い、自分を偽っているのですから。デートをして楽しかったと思っているのは男子だけです。家に帰って「あぁ~♪ 今日のデートも楽しかった♪」とか「いい思い出になった♪ 今夜もお紅茶が美味しいわん♪」と思っていてもそれはあなただけ。女子は「今回はガマンガマン、ガマンやで」と思っています。
では、しょっぱなから財布に手を出しててきた女子がいたとします。あなたは「強盗?!」と思って拒否するかもしれませんが、偽りの本性でデートを重ねる女子より、よっぽど気持ちに忠実な女子だと思いませんか? 嫌われるリスクを負いながらも手を出してくるということは、あなたに本気なのです。よって、気持ちを正直に出し、あなたを愛してくれる女子は、財布に手を出すのが早いということになります。
「本当はすぐにでも金がほしい」と思っているに自分の本性を隠してデートをしたりお世辞を言ってくる女子より、すぐに財布に手を出してくる女子のほうが素直でいい子の場合が多いのです。そもそも、あなたはデートを繰り返して女子を選り好みするほどたいそうな男子なのですか? 自分をもったいぶるのは「自分を買いかぶりすぎている」と言うものです。
いやこんなエントリ名にしたけど面白かったよ。最終話は結構ウルウルきたよ。
でも最終話だけに限れば若干やりすぎた感がアリアリ。
かくれんぼの出だしは良かったけど、正直最後まで引っ張りすぎという感が強い。
正直最終話だけならとらドラ!の方が形としてしっかり整ってた。
いや楽しんだけどさ。
全体を通しての評価としては…
このアニメの制作陣、とらドラ!といい見れる内容のものを作ってくるし実際見てて楽しい。
ただどっちにも共通するんだけど、トータルで見た時に佳作と良作のボーダーに乗っててジャッジの審判が必要なレベル。
でもよく冷静になって考えると、どう考えてもやっぱり佳作。点数にすると75〜78点ぐらい。
惜しい。すごく惜しい。
とらドラ!とあの花は原作付きとオリジナルという違いはあるけど、何気に弱点が共通してるような気がする。
この制作陣が作る「ふつうの世界」の空気感は悪くないと思うけど、
不要なところでイレギュラーな空気のセリフが出てきてその空気感が台無しになってる。
欲を言えばセリフで見せようとせずに演出で誘導して欲しい…
それとメインキャラの人数が多いために、必要なセリフのようで結果として全体がやや窮屈になってる部分がしばしば。
人数減らすかスポットライトの当て方を一部弱めるかしてほしい。
あの花で言えば鶴子とぽっぽが結構スポットライトを当たってた割にトータルで見た時にgdgd。
あの二人の役割をひとりのキャラクターに統合したほうがいいんじゃね?
パンスト→まどか→あの花 と立て続けに視聴に耐えうる内容のアニメが続いているけど、さすがにそろそろ打ち止めだろ。
夏アニメはきっと不発なんじゃないかなと予測。根拠は何もない。
冬あたりになると震災を大なり小なり意識したコンテンツがどっかから出るだろうから、
それが面白ければそっちを見るか。